聖書は、英語で「バイブル」と言います。定冠詞をつけて、「ザ・ブック」という言い方もあります。バイブルというのは、ギリシア語の「ビブリオン」から来ています。
ビブリオンも、「本」という言葉です。聖書は本の中の本で、もし読むべき本を一冊だけ選びなさいと言われたら、迷わず聖書を取るという世界です。
ビブリオン、バイブルには、「聖」(ホーリー)という意味はありません。それでも、中国で聖書が漢語に翻訳されるとき、それを単に「本」とせず「聖書」としたのは、いわゆる「ビブリオン」の翻訳ではなく、この本の持つ意味を考えてのことでした。
「聖」は「耳」と「呈」で構成されています。呈はささげるという言葉で、神に耳をささげるというのが「聖」という文字です。そこから、神の声を聞くことが出来る人、そのように知恵のある人のことを「聖人」というようになりました。だから、「聖書」とは、神の声を聞ことができる本、神の知恵にあずかる書物という意味なのです。
これまで、世の中にどれだけの書物が登場してきたのか分かりませんが、常に世界で最も多く販売されている書物は、聖書です。キリスト教国ではなく、クリスチャンが数多くいるわけでもない我が国で、特別な宣伝がなされることもないのに、毎年20万部以上も聖書が売れているそうです。まさに隠れたベストセラーなのです。
聖書には、旧約聖書と新約聖書があります。旧約聖書と新約聖書を合わせて、「聖書」というのです。何故か、旧約聖書は旧教(カトリック)、新約聖書は新教(プロテスタント)で使うと誤解している方があるようですが、もちろんそうではありません。
「旧約」、「新約」の「約」は、契約、約束という意味です。イエス・キリストがこの世に来られる前、アブラハムやモーセなどを通して、神とイスラエルの民の間で結ばれた契約を、旧約(古い契約)と言います。そして、イエス・キリストによって結ばれた契約を新約(新しい契約)と言います。その契約が記されている書物を旧約聖書、新約聖書と言っているのです。
神とイスラエルの民との間に結ばれた「契約」の内容は、旧約にせよ、新約にせよ、聖書に記されている主(ヤハウェ)なる神を私たちの神とすること、そして私たちが神の民(天国の民)となるというものです。この契約に基づいて、様々な教えや命令、また祝福の約束が与えられています。
旧約聖書は、キリスト教は勿論、ユダヤ教、イスラム教にとっても正典(カノン)です。世界の三大唯一神教(神は世界にただお一人であるという信仰)が、旧約聖書を基本の教えとしているわけです。ということは、同じ神を信じていることになるのではないでしょうか。
ただし、新約があっての旧約ですから、新約聖書を正典としないユダヤ教徒、イスラム教徒は、旧約聖書とは言いません。キリスト教徒だけが、ユダヤ教、イスラム教と共有している聖書を旧約聖書と呼び、さらに新約聖書を正典として持っています。
旧約聖書は、ユダヤの言葉=ヘブライ語、またアラム語で書かれましたが、新約聖書は、当時の世界共通語とも言うべきギリシア語で記されています。現代の英語のようなものですね。イエス・キリストの弟子たちは、伝道するのにギリシア語に翻訳された旧約聖書(セプチュアギンタ)を用いていました。
もしも、神の言葉は一字一句間違えて伝えられてはいけないので、必ずヘブライ語、またはアラム語で記さなければならないと言われていたならば、主イエスの教えを全世界の人々に伝えることは出来なかったかも知れません。
主イエスは、ヘブライ語、もしくはアラム語を用いておられたはずですが、その教えは、最初からギリシア語に翻訳されて、福音書などに記録されました。だから、ギリシア語を使うすべての人々、当時の文化人のだれもが、それを読むことが出来たのです。
後にラテン語訳聖書が造られ、その後、様々な国、民族の言葉に翻訳されるようになりました。今日、キリストの教えを宣べ伝える時には、その民族、部族の言語を用います。ですから、私たちも日本語の聖書を持ち、日本語の讃美歌を歌い、日本語でキリストの教えを学ぶことが出来るのです。
最初の日本語聖書は、キリスト教の伝搬と共に手がけられ、イエズス会のスペイン人宣教師ファン・フェルナンデスによって、1563年ごろまでに4福音書が翻訳されましたが、火災で焼失してしまったそうです。その後、同じくイエズス会のポルトガル人宣教師ルイス・フロイスらが手掛け、1613年ごろには、京都でイエズス会が新約聖書を出版したことが確認されています。
残念ながら、そのころからキリスト教弾圧が激しくなり、キリシタン版の日本語聖書は現存していません。
その後、プロテスタントのドイツ人宣教師ギュツラフが3人の漂流民(愛知県出身の船員)の協力を得て翻訳しました。それは、1873年(天保8年)に出版したギュツラフ訳「ヨハネによる福音書」、および「ヨハネの手紙第一」、「第二」、「第三」でした。
この3人の漂流民のことについては、故三浦綾子女史が「海嶺」という小説に発表しています。後にこの小説は、松竹映画で映画化もされました。愛知県知多郡美浜町小野浦に、和訳聖書頌徳記念碑が建てられています。
美浜町役場のサイトに「にっぽん音吉漂流の記」というページがあり、和訳頌徳記念碑、並びに和訳に協力した3人の漂流民(音吉、久吉、岩吉)について紹介しています。ぜひご覧ください。
その後、1880年代に明治元訳聖書が出版され、1917年に新約聖書が改訳されました(大正改訳)。そして、1942年に、旧約は明治元訳、新約は大正改訳を採用して合本した文語訳聖書が出来ました。それから、口語訳聖書(1957年)、新改訳聖書(1970年)、共同訳新約聖書(1978年)と、新しい日本語訳聖書が作られ、そして新共同訳聖書が1987年に出版されて、今日に至っています。
カトリックでは、ベルギー人神父エミール・ラゲが1910年にラゲ訳と呼ばれる新約聖書を出版、次いで、イタリア人神父フェデリコ・バルバロが1957年に新約聖書、1964年に旧約聖書と合わせてバルバロ訳「聖書」を出版しました。
さらに、フランシスコ会聖書研究所が1958年に聖書翻訳を開始、2011年にすべての翻訳を完了し、「聖書 原文校訂による口語訳」として出版されました。フランシスコ会訳は、詳しい訳注と解説を加えた優れた翻訳と評価されています。
静岡キリスト教会では、新共同訳聖書を用いています。因みに、共同訳は、カトリックとプロテスタントの聖書学者たちが共同して作ったので、そのように呼ばれています。ルターによる宗教改革(1517年に始まる)以後、カトリックとプロテスタントが一致協力して聖書翻訳に臨んだというのは、我が国のみならず世界の歴史上初めてのことで、画期的といえる快挙ではないかと思います。