第二ヨハネ書

 

 

「さて、婦人よ、あなたにお願いしたいことがあります。わたしが書くのは新しい掟ではなく、初めからわたしたちが持っていた掟、つまり互いに愛し合うということです。」 ヨハネの手紙二5節

 

 第二ヨハネ書は、「長老のわたしから、選ばれた婦人とその子たちへ」(1節)という言葉で始まり、「あなたの姉妹、選ばれた婦人の子供たちが、あなたたちによろしくと言っています」(13節)という結びの言葉で閉じられています。第一の手紙とは違い、初代キリスト教会の手紙の特徴を備えています。

 

 著者は「長老のわたし」(ホ・プレスビュテロス)と自己紹介していますが、名前を記していません。伝統的に著者は使徒ヨハネとされてはいますが、それならばなぜ「長老」というのか、説明がつきません。ゼベダイの子の使徒ヨハネではなく、小アジア地方に広く名が知られた「長老ヨハネ」としておきます。 

 

 宛先が「選ばれた婦人とその子たちへ」(1節)と指定されているので、厳密には「公同書簡」ではありません。ただ、「選ばれた婦人と子たち」が誰のことを言っているのか、不明です。また、宛先の場所、環境などを特定出来るような記述もないので、「公同書簡」と見做されているのでしょう。

 

 結びの言葉(13節)の中にも「選ばれた婦人」という表現が用いられています。13節では「あなたの姉妹、選ばれた婦人」というのですから、1節の「選ばれた婦人」とは別の「選ばれた婦人」(13節)がいて、その婦人をあなたの姉妹と呼んでいるわけです。

 

 「婦人」とは「キュリア」というギリシア語で、ここ以外には出てきません。通常は「グネー」(ヨハネ福音書2章4節など)という言葉が用いられます。宛先の「選ばれた婦人とその子たち」が母親とその子たちという、いわゆる家族を指すとするなら、冒頭の言葉(5節)でその「婦人」に対し、「互いに愛し合いなさい」という掟を守るように「あなたにお願いしたい」とは言わないでしょう。

 

 この「婦人とその子たち」は家族ではなく、主にある家族、つまり教会を指すと考えられます。「教会」を意味する「エクレシア」という言葉が女性名詞なので、信徒の集まりである教会を擬人化して「婦人」とよび、教会の信徒たちを「その子たち」と表現したわけです。「選ばれた(エクレクトス)」というのも、「教会(エクレシア)」を連想させる語呂合わせでしょう。

 

 13節を原文で読むと、そこに「婦人」(キュリア)という言葉はありません。口語訳の「選ばれたあなたの姉妹の子供たちが」というのが直訳的です。それを、宛先への挨拶と似た結びの言葉とするため、新共同訳は「あなたの姉妹、選ばれた婦人の子供たち」と意訳しているのでしょう。これは、姉妹教会の信徒たちが「よろしく」と挨拶を送っているということになります。

 

 冒頭の言葉(5節)で著者が教会に要請しているのは、「新しい掟ではなく、初めからわたしたちが持っていた掟、つまり互いに愛し合うということです」。第一ヨハネ書2章にも、このような表現がありました。なぜ単刀直入「互いに愛し合いなさい」と言わないで、「新しい掟ではなく、初めからわたしたちが持っていた掟」と付け加えるのでしょうか。

 

 それは、この表現の仕方に著者の意図があるわけです。つまり、自分たちが守る掟は、新しく受けたと主張されるようなものではない。キリストの教えに直結し、そこから離れないということです。さらにいうならば、新しく受ける必要はない、互いに愛し合えという教えで十分だということです。というのは、そこに真理があるからで(4節)、真理は不変だからです(2節)。

 

 真理に歩むとは、主イエスと共に歩むとも言い換えることが出来ます(ヨハネ福音書14章6節参照)。そしてそれが、4,5節で「互いに愛し合いなさい」という掟と関連付けられているというのは、主イエスが「新しい掟」としてお与えになったものだからです(ヨハネ福音書13章34節)。

 

 そして、そのように命じられただけでなく、十字架で私たちの罪を贖うことにより、主イエスは私たちに愛を示されました。ですから、主の御言葉に従い、主と共に歩む者は、互いに愛し合うのです。

 

 著者はヨハネ福音書で自分のことを、「イエスの愛しておられた弟子」(13章23節など)と紹介しています。確かにヨハネ文書(福音書、手紙、黙示録)ほど、主イエスの愛を、率直に表現している文書はありません。

 

 その長老ヨハネに導かれている群れの中から、主イエスの愛から逸脱する者が出るのは、悲しいことです。誰よりも愛されたいという思いがエゴとなり、あるいは誰よりも愛されているという驕りが、主と主の教会に背く結果となってしまったのでしょうか。

 

 「キリストの教えを超えて、これにとどまらない者は、神に結ばれていません」(9節)と忠告され、「その教えにとどまっている人にこそ、御父も御子もおられます」(同節)と告げられているとおり、主の御言葉に留まり、絶えず十字架の主を拝しましょう。主を愛し、隣人を自分自身のように愛しましょう。互いに愛し合うことが出来るように、御霊の導きと助けを祈り求めましょう。

 

 主よ、私たちを選び、神の家族としてその交わりの内に入れてくださったことを感謝致します。絶えず目覚めて真理の内を歩むことが出来ますように。世の惑わしや苦難に遭って、御言葉から迷い出ることがありませんように。御言葉にしっかりと踏み留まらせてください。御霊の導きと助けをいつもお与えください。 アーメン

 

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2014年8月6日サイト開設