歴代誌上

 

 

「アブラハムの側女ケトラが産んだ子は、ジムラン、ヨクシャン、メダン、ミディアン、イシュバク、シュア。」 歴代誌上1章32節

 

 今日から歴代誌です。注解書によると、歴代誌はペルシア時代末期の紀元前4世紀半ば頃に、エルサレム周辺に住む、神殿とその礼拝に対する熱心な支持者によって著述されたもので、著者はレビ人的な起源を持った人物だろうと想定されています。

 

 1章には、アダムからイスラエル=ヤコブまでの系図が、前後のつながり方を説明しないまま、人名を列挙するかたちで記されています。以前、マタイによる福音書1章を読んで、こんな知らない人の系図を読むくらいなら、電話帳を読んだほうがましだと思ったという話を聞いたことがあります。それに似たような思いになる人も少なくないのではないでしょうか。

 

 この系図には、すべての世代のすべての人の名が記されるわけではありません。そこには取捨選択があります。1節から4節冒頭のノアまでは、直系の系図になっています。たとえば、1節の「アダム」については、長男カインと次男アベルの名が記されていません(創世記4章参照)。けれども、その後の「セム、ハム、ヤフェト」はノアの息子たちの名で、5節以下はその子らの系図になっています。

 

 そのような記し方をするのは何故か、理由を明らかにしてはいませんが、神が「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ」(創世記1章28節)と命じられたこと、そして「ノアの洪水」でノアの家族以外は滅ぼされ(同6章以下)、箱船から出たノアの息子たちが世界中に広がっていった様子が、系図を通して窺えるようになっているようです(同10章)。

 

 また、歴代誌は8章までに捕囚となる各部族の系図を記し、そして9章に捕囚の後、エルサレムに住んだ人々の名が記されています(ネヘミヤ記11章)。ということは、歴代誌の読者は、バビロン捕囚から帰還し、エルサレムの都を再建して以降の人々ということになります。

 

 そのように書き記すことで、歴代誌の読者、捕囚から帰還した民は、ユダ族だけでなく、それぞれの部族につながりのあるイスラエル12部族の子孫であり、亡国と捕囚という憂き目を見ましたが、改めて神の民の国イスラエルを再建することが出来たということ、ゆえにアダムやアブラハムの祝福を受け継ぐ子孫であるということを言い表しているわけです。

 

 冒頭の言葉(32節)に「アブラハムの側女ケトラ」とあります(創世記25章1節以下も参照)。ケトラは、歴代誌に記されている名前の列の中で初めて登場した女性ですが、ケトラのことを知っている人、どれくらいいるかなあというようなマイナーな存在ではないでしょうか。

 

 同じ書くなら、アダムと共に造られた最初の女性エバもいるし、アブラハムの妻ということなら、サラが正妻です。34節の「イサク」を産んだのは正妻のサラでした。また、アブラハムにはハガルという側女もいて、そちらのほうがよく知られていると言えます。

 

 そのような、聖書を読んだことがある人なら、当然記憶していそうな女性の名前は書かれていなくて、ほとんどの人が記憶していない、否、その存在さえ殆ど認識されていないような女性の名前が記されているのです。

 

 ここに、神様からの大切なメッセージがあると思います。それは、誰が注目しなくても、私たちのことを覚えている方がおられる、産みの母が腹を痛めて生んだ自分の子どもの存在を忘れることなど、あり得ないと思いますが、たとえそういうことがあっても、わたしは決して忘れることはないと宣言される方がおられるということです(イザヤ49章15節)。

 

 洋の東西を問わず、女性や子どもは「ものの数」に入れないというところがあります。主イエスが五つのパンと二匹の魚を分けて食べさせたときにも、女性と子どもの数は数えられませんでした(マタイ14章21節など)。

 

 しかるに神は、2羽1アサリオンで売られる小鳥でさえ、空中を飛んでいるのか、あるいは、地に降りて餌をついばんでいるのかなど、航空機の管制官のように、すべて把握しておられます。まして、私たちのことは、髪の毛の数を数えるほどに大切に思っていてくださるのです(マタイ10章29~30節)。

 

 これと同じ話がルカ12章6,7節では、5羽で2アサリオンとされていることから、5羽目の小鳥はただでもらえるということになります。そんな小鳥でもお忘れにならない神が、私たちに絶えず目を留め、眠ることなく、まどろむことなく常に見守っていてくださるというのです(詩編121編3,4節参照)。

 

 因みに、1アサリオンは1デナリオンの16分の1、1デナリオンは労働者の一日の賃金と言われます。1デナリオンが5千円ほどの価値であれば、1アサリオンは300円ほど、一羽の小鳥はその半額の150円余りということになります。

 

 「わたしの目にあなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛し」(イザヤ書43章4節)ていると仰ってくださる神のみ言葉を今日も心に宿し、神の御愛で心いっぱい満たされて、一日を喜びと感謝と祈りで過ごさせていただきましょう。

 

 主よ、私たちのように取るに足りない者にも目を留め、愛と慈しみを豊かに注いでくださり、心から感謝致します。今日も私たちの名を呼び、掌に刻みつけると仰せくださいます。御子の血によって私たちを贖い、神の子としてくださった主の御名が、ますます崇められますように。全世界に主の恵みと導きが豊かにありますように。 アーメン

 

 

「エッサイには長男エリアブ、次男アミナダブ、三男シムア、四男ネタンエル、五男ラダイ、六男オツェム、七男ダビデが生まれた。」 歴代誌上2章13~14節

 

 2章のはじめに,イスラエル(=ヤコブ:創世記32章)の12人の子らの名が列挙されています。ただ、創世記29章31節以下、30章24節までに記されている子らの名前と順番が違います。理由はよく分かりません。

 

 イスラエル12部族の中で、先ずユダ族の系図が記されています(2節以下)。この部族に、王ダビデが誕生しました(15節)。また、20節のウリの子ベツァルエルは、神の幕屋を造る知恵を授けられた者です(31章2節以下)。歴代誌の著者は、ダビデ王と神の幕屋とを関連付ける意図をもって、ベツァルエルの名を記しているといってよいでしょう。

 

 ただ、ベツァルエルがカレブの子孫とされていることについて、カレブの父の名をヘツロンとしていますが、民数記32章12節では「ケナズ人エフネの子カレブ」とされています。

 

 ケナズ人とは、エサウの子孫でしたが(創世記36章10節以下)、カレブはカナンを偵察する際のユダ族の代表となっています(民数記13章6節)。そこで、ヘツロンの養子となってイスラエルの民に加えられたのではないかと考えると、辻褄が合うことになります。

 

 ダビデの王としての業績については、11章以下に詳しく述べられています。歴代誌に占めるダビデについての記事量の多さに、著者がダビデに対して抱いている信頼や敬意を見ることが出来るようです。とはいえ、ダビデの家系は、決して理想的と言えるようなものではありませんでした。

 

 ダビデは上述のとおりユダ族の出身ですが、族長ユダの長男エルだけでなく、その弟オナンも、主の御旨に背いて主に撃たれます(3節、創世記38章7節以下)。その後、嫁タマルが義父のユダと関係し、子をもうけました(4節、創世記38章18節)。その子孫カルミの子アカルは、イスラエルに災いをもたらしました(7節、ヨシュア記7章では「アカン」)。

 

 ダビデの曾祖父ボアズは、その父サルマ(ルツ記では「サルモン」)と遊女ラハブとの間に生まれた子です(11節、マタイ1章5節)。また、ダビデの祖父オベドは、曾祖父ボアズとモアブ人女性ルツとの間に生まれました(12節、ルツ記4章)。申命記23章4節には、モアブ人は主の会衆に加わることが出来ないとあります。およそ、イスラエルの王たるに相応しいとは言い難い婚姻関係です。

 

 そして、歴代誌に寄れば、ダビデは冒頭の言葉(14節)のとおり、7人兄弟の末子として生まれました。ただ、サムエル記上16章では、エリアブ、アビナダブ、シャンマを含む7人の息子がサムエルの前に呼ばれて共に食事し(同6節以下10節)、その後、末の子ダビデが呼ばれています。つまり、8人兄弟と読めるわけです、

 

 エッサイの息子たちの中から王を選ぶとき、神の人サムエルは長男エリアブに目を留め、「彼こそ主の前に油を注がれる者だ」(サムエル記上16章1節以下、6節)と思いました。けれども、主はそれを受け入れず、「人は目に映ることを見るが、主は心によって見る」(同7節)と言われて、末子ダビデを選び(同12節)、油を注がせました(同13節)。

 

 ダビデはその心の清さによって選ばれたようですが、しかし、そのダビデが、部下ウリヤを戦死させてその妻バト・シェバを横取りするという、誰よりも重い罪を犯したのです(サムエル下11章)。ここに見る限り、このようなダビデの家系が選ばれ、祝福に与ることが出来たのは、一方的な主の恵みであり、憐れみというほかありません。

 

 そもそも、主はダビデの心をどのように見られたというのでしょうか。それは、罪など犯さない全き清さということなどではありません。そうではなく、罪を指摘されたときにそれを素直に認め、直ちに悔い改める従順さ、そして、自分のメンツなどよりも主に従うことを喜ぶ純真な信仰でしょう(サムエル記下6,12,24章参照)。

 

 私たちの主イエスは、ダビデの子孫として、ダビデの町ベツレヘムの家畜小屋でお生まれになり、飼い葉桶をゆりかごとされました(ルカ2章)。罪人の系譜の中に誕生され(マタイ1章1節以下、ルカ3章23節以下)、そのすべての罪を引き受けて十字架で死なれたのです(ルカ23章)。

 

 御子イエスの死により、私たち人類のすべての罪が赦され、新しい命に生きることの出来る道が開かれました(ローマ3章21節以下、6章23節、8章3節)。誰でも、主イエスを受け入れ、その名を信じた者には、神の子となる資格が与えられたのです(ヨハネ1章12節)。

 

 主イエスがサマリアで一人の女性に対して、「わたしが与える水はその人のうちで泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」(同4章14節)と語られ、また、「まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝するときが来る。今がそのときである。なぜなら、父はこのように礼拝する者たちを求めておられるからだ」(同23節)と話されます。

 

 それは、罪の中にいたその女性に救いを与えるためです。名前も記されないサマリアの女性ですが、彼女は主イエスと出会って変えられ、主イエスを証しする者となりました(同28,29節)。

 

 私たちも、自分が何者であるか、また、どれほど愛されている者であるかを悟り、主イエスの愛と恵みを証しするために用いられる器として頂きましょう。そのために、聖霊に満たされて、私たちの内から生きた水が川となって流れ出るようにして頂きましょう(同7章38,39節)。主は、求める者に聖霊をお与えくださいます(ルカ11章13節)。聖霊の満たしと導きと祈り求めましょう。

 

 主よ、朝に夕に賛美のいけにえ、御名を讃える唇の実を御前に献げます。主の御言葉に耳を傾け、その導きに従います。聖霊に満たし、主を証しする力を授けてください。祝福が常に豊かにありますように。 アーメン

 

 

「ペダヤの子はゼルバベル、シムイ。ゼルバベルの子は、メシュラム、ハナンヤ、彼らの姉妹シェロミト。」 歴代誌上3章19節

 

 3章1節から16節までに、ダビデからエコンヤまで19代、およそ400年のダビデ王朝を紡いだ王の名が記されています。それは、サムエル記、列王記に記されているものと若干違いがあります。例えば、サムエル記下3章3節でダビデの次男はキルアブとなっています。また、ヨシヤのあとを継いだのはヨアハズですが(列王記下23章30節以下)、その名がありません。

 

 また、ヨヤキムの子は列王記下24章5節以下でヨヤキンとされています。また、列王記にヨヤキンの子らの名は出て来ません。ところで、16節に「その(エコンヤの)子はゼデキヤである」と言いますが、17節以下の「捕虜となったエコンヤの子は」以下、列挙されている子らにゼデキヤがいないのはどうしてでしょうか。理由は不明です。

 

 エコンヤの後に、伯父のゼデキヤ(ヨシヤの3男。本来はマタンヤ、列王記下24章17節以下)が、ダビデ王朝最後の王として王座に着きました。紀元前587年にエルサレムが陥落してゼデキヤがバビロン軍に捕らえられ(同25章6節)、王朝の幕が閉じられました。

 

 17節以下は、捕囚となったエコンヤの子ら12代の系図です。16節までの系図と遭わせて、ダビデから31代の子らの名前によって、ダビデ王朝時代、バビロン捕囚からペルシア帝国末期時代までを描いて見せているのです。

 

 エコンヤは18歳で王となり、3ヶ月エルサレムでユダを治め(列王記下24章8節)、捕囚となりました(同15節)。何時結婚したのか不明ですが、17,18節に7人の子の名が記されているので、捕囚の地で生まれた子もあったということでしょう。獄中で家庭生活を営むのは難しかったでしょうから、獄を出されてから子をなしたのでしょう(同25章17節以下)。

 

 冒頭の言葉(19節)の中に、「ゼルバベル」の名を見つけました。ゼルバベルは、バビロン捕囚から解放されてエルサレムに戻って来た民の指導者です(エズラ記2章2節、3章2節)。

 

 「ゼルバベル」とは、「バビロンの種」という意味です。ゼカリヤ書3章8節に「わたしは今や、若枝であるわが僕を来させる」と記されていますが、これは、ダビデの子孫を思わせる表現であり、ゼルバベルを指しているものと考えられます。

 

 ただ、ゼルバベルは、歴代誌ではペダヤの子とされているのに対し(19節)、エズラ記などではシェアルティエルの子となっています(マタイ福音書1章12節も)。シェアルティエルは、第一次捕囚でバビロンに連れて行かれたエコンヤ王の長男(17節)、ペダヤはエコンヤの三男(18節)です。

 

 このことについて、シェアルティエルが子をなさないまま亡くなったので、レビラート婚の規定により(申命記25章5節以下)、ペダヤがシェアルティエルの妻を迎えて子をもうけ、長男ゼルバベルをシェアルティエルの子どもとしたというように考えられています。

 

 19,20節に記されたゼルバベルの子らの名について、旧約聖書には、この箇所以外に記されてはいません。新約聖書において、マタイではアビウド(マタイ1章13節)、ルカはレサ(ルカ4章27節)の名を上げておりますが、いずれも、旧約聖書には出て来ない名前です。つまり、それぞれが全く違った名を記していて、いずれが正確なのか確証することは不可能です。 

 

 ところで、ダビデ王直系の子孫ということで、ゼルバベルがイスラエルの民の指導者、ユダヤの総督になったのであれば、それはゼルバベルの指導力もさることながら、ダビデとの契約をなお重んじておられる主の導きだということです。

 

 ゼルバベルの祖父エコンヤは(17節)、主の目に悪を行い、エルサレムに攻めてきたバビロンの王ネブカドネツァルに投降して捕囚とされたわけですが(列王記下24章8節以下)、後にエビル・メロダク王の憐れみを受けて獄を出され、王と食事を共にする恵みを得ました(列王記下25章27節以下)。

 

 また、バビロンにいた王たちの中で最も高い位がエコンヤに与えられたということがあって、その孫ゼルバベルがユダの総督とされることに、異を唱えることが出来る者はいなかったのであろうと思われます。

 

 しかも、ゼカリヤ書4章6節に「これがゼルバベルに向けられた主の言葉である。武力によらず、権力によらず、ただわが霊によって、と万軍の主は言われる」と記されているように、ゼルバベルを立てたのは主なる神ご自身であり、主の霊によって、神に委ねられた使命を果たすことが出来るというのです。

 

 このゼカリヤの言葉や、ハガイ書2章2節以下に記されている預言を見ると、神殿再建工事がサマリヤ等の妨害で中断させられ(エズラ記4章)、帰還した民は物心両面で貧困の日々を過ごさざるを得なかったので、ゼルバベルの指導に疑義を抱いたり、軽視する者たちが少なからずいたのではないかとも思われます。

 

 そうした中で、ゼルバベルは祭司イエシュアたちと共に立ち上がり、エルサレムの神殿を再建することが出来ました(エズラ3章以下6章14節)。預言者ハガイやゼカリヤの預言と援助、励ましがなければ、適わなかったかも知れません(エズラ5章1~2節、ハガイ書、ゼカリヤ書)。

 

 元に戻って、19節以下には、ゼルバベルから数えて11代目までの子孫の名前があります。それが、歴代誌の著者が名を確認できた時代、即ちペルシア帝国末期の紀元前350年頃までのダビデの子孫です。

 

 当時の人々がどのような生活を送っていたのか、詳らかではありませんが、主が預言者イザヤを通して告げられたとおり(イザヤ11章1節以下)、いったんはバビロン捕囚によって切り倒されたように思われたダビデの家系が、切り株から新たな芽を伸ばし、しっかり実を結ぶことが出来るよう、主の恵みで守られていたのです。

 

 この系図を書き記した歴代誌の著者の心には、バビロン捕囚以降ずっと苦難続きではありますが、ダビデの家系をこのように守り続けておられる主の恵みに対する感謝と喜びがあったのではないでしょうか。

 

 38年の長患いの男を安息日にお癒しになった主イエスが「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ」とお語りになりました(ヨハネ5章17節)。父なる神が恵みによって選びの民を守り支えて来られたように、御子イエスもこの世においでになって、主を信じる人々を永遠の主の安息に招き入れてくださったのです。

 

 そして今や、私たちもその恵みに与らせていただいています。日々主の恵みに感謝して御言葉に耳を傾け、その導きに誠実に応えるものでありたいと思います。

 

 主よ、私たちがあなたの召しに与ったのは、私たちの能力などの故ではなく、ただ主の霊によって御業が成し遂げられるためです。召しに忠実に歩むことが出来るように、御前に謙り、日々御言葉と御霊の導きに常に与らせてください。主の恵みと導きが常に豊かにありますように。 アーメン

 

 

「ヤベツは兄弟たちの中で最も尊敬されていた。母は、『わたしは苦しんで産んだから』と言って、彼の名をヤベツと呼んだ。」 歴代誌上4章9節

 

 4章には、2章に記されていたものとは別の、もう一つのユダ族の系図が記されています。2節のショバルの子らの名前が2章52節と異なっていることで、ここに別の系図として記録されたのでしょう。

 

 3節で「エタムの父の子は」ということは、自分に戻って来るので、「兄弟は」で済ませられそうですが、原文は「エタムの父は」(アビー・エーターム)となっており(岩波訳参照)、一方70人訳は「エタムの子らは」(フイオイ・アイターム)という言葉遣いになっています(口語訳参照)。新共同訳、新改訳は双方を合体させた訳というわけです。

 

 ヘブライ語原文のとおりにエタムの父が3人もいるなどというのは、通常あり得ないことです。70人訳、口語訳のように受け取るべきでしょう。ただ、フルの三男ハレフの家系(2章51節)と考えて、「ベト・ガデルの父ハレフの子は次の通りである。イズレエル云々」とする注解者もいます。

 

 この系図の中に、ヤベツという人物にまつわる小さな物語が記されています(9,10節)。10節の「どうかわたしを祝福して、わたしの領土を広げ、御手がわたしと共にあって災いからわたしを守り、苦しみを遠ざけてください」という祈りは、それを祈ったヤベツの名をとって「ヤベツの祈り」と言われています。

 

 20年ほど前、ブルース・ウィルキンソンが、この祈りに関する小さい書籍を出版したところ、全米で短期間に一千万部を売り上げるという反響を生み、日本語でもそれが出版されました。その後、様々な牧師、伝道者が、ある人はメディアを通じて、この祈りについて語り、出版しました。

 

 「ヤベツの祈り」は、ユダの系図の中で紹介されていますが(4章1節以下)、ヤベツの父は誰なのか、また、彼の子どもは誰なのか、記されてはいません。ある方は、イスラエル人でさえないと結論しています。

 

 2章55節に「ヤベツ」という地名があり、そこには「セフェルの氏族」が住んでいたとされています。口語訳、新改訳、岩波訳は、「セフェル」を固有名詞ではなく一般名詞として「書記(たち)」と訳しています。岩波訳の脚注に「(ヤベツとは)盆地の意か」と記されています。地名との関連もあって、ユダの系図の中におかれているのでしょうか。

 

 いずれにしても、創世記において、アブラハムの前に姿を現したメルキゼデクのように(創世記14章18~20節)、ただ一度突然現れて、そして忽然と去りました。ともかく、9,10節に僅か数行コメントされただけで、この前にも後にも、全く登場して来ないのです。

 

 冒頭の言葉(9節)によれば、母親が「わたしは苦しんで(オーツェブ)産んだから」ということで、文字順を入れ替えて「ヤベツ」と名付けたそうです。どのような苦しみであるか、定かではありませんが、出産の苦しみは死ぬほどのものだと聞きます。だからといって、それを子どもに思い知らせるかのような名付けを行うだろうかと思います。

 

 確かに主なる神は、出産を苦しみとして人にお与えになりました(創世記3章16節)。けれども、苦しんで産んだ後、その子どもの顔を見ると、苦しみを忘れてしまうとも聞きます。主イエスもそのことを引いて、主イエスの受難、離別の悲しみが、喜びに変えられることを説かれました(ヨハネ16章21~22節)。

 

 ヤコブの愛妻ラケルが二人目の息子を出産するとき、それは大変な難産で、結局ラケルは命を落としてしまいます。ラケルはその子を「ベン・オニ(苦しみの子)」と名付けました。彼女はベツレヘムの傍らに葬られました(創世記35章16節以下)。ベツレヘムはユダ族のダビデの町です。

 

 しかし、ラケルの二人目の息子「ベン・オニ」は、父ヤコブから特別に愛されました。ヤコブは彼を「ベニヤミン(幸いの子)」と呼んでいます。「苦しみの子」ではかわいそうだという解釈もありますが、母ラケルは苦しみの果て命を落としたけれども、それによって幸いが与えられた、祝福が生み出されたのだと受け取ることも出来ます。

 

 ベニヤミンは兄弟でただ一人、イスラエルの地で生まれました。他の兄弟は、ヤコブの母ラケルの故郷、ハランの地で生まれたのです(創世記29章31節以下)。イスラエル最初の王がベニヤミン族から選ばれたことも(サムエル記上10章20節以下)、12部族の中で特別な地位を占めていることを示します。

 

 これは、ヤベツが兄弟たちの中で最も尊敬されていたという言葉にも、重なるところではないでしょうか。そして、ヤベツが最も尊敬されたのは、苦しみを乗り越えて祝福されたことでしょう。その祝福の背後には、「ヤベツの祈り」がありました。その祈りが聞かれて、ヤベツは祝福を受けたのです。

 

 しかし、その祈りはヤベツの祈りというよりも、ヤベツに与えられた祈り、教えられた祈りでしょう。ヤベツに祈りを教えたのは、母親ではないかと思います。

 

 そうしたことを考え合わせると、ヤベツの出産のときに、たとえば夫と死別するといった苦しみ、深い痛みを味わい、失意のどん底にいたけれども、そこで主に祈りを捧げて、神の助けに与り、無事に出産を終えることが出来たので、その恵み、主の計らいを忘れないために、あえて苦しみを意味する「ヤベツ」という名をつけたのかも知れません。

 

 そのとき、ヤベツの母を祈りに導いたのは、聖霊なる神でしょう。そして、聖霊がヤベツを祈りに導き、そして今これを読み、学んでいる私たちをも、祈りに導いてくださるのです。

 

 聖霊ご自身が、産みの苦しみを味わっている私たちのために言葉に表せない「呻き」(ステナグモス)をもって執り成してくださいます(ローマ8章22~23,26節)。言葉で表現できない深く強い苦しみの感情が、ここに「呻き」として表現されているわけです。

 

 因みに、ここに用いられている「ステナグモス」があと一度、使徒言行録7章34節に用いられて「嘆き」と訳されています。また、動詞形「ステナゾー」がローマ書8章23節で「(霊の初穂をいただいているわたしたちも)うめきながら」と訳され、福音書では一箇所マルコ7章34節で主イエスが「(天を仰いで)深く息をつき」と訳されています。

 

 父なる神は、どう祈るべきかを知らない弱い私たちのために呻きをもって執り成される聖霊の祈りに応えられます。神は,聖霊の思いが何であるかを知っておられるからです(ローマ8章27節)。だから、万事が益となるように共に働き、どんなマイナスもプラスにしてくださるのです(同8章28節)。

 

 これからも、ヤベツの祈りの心をもって進んで参りましょう。そして主の祝福に共に与らせていただきましょう。

 

 主よ、苦しみの中で生まれたヤベツは、祈りに導かれて、豊かな祝福に与りました。どんなときにも感謝をもって祈り、インマヌエルの主の恵みと平安に与らせてください。御心がこの地の上になされますように。その器として、私たちを用いてください。そして、御名が崇められますように。 アーメン!

 

 

「ルベンは長男であったが、父の寝床を汚したので、長子の権利を同じイスラエルの子ヨセフの子孫に譲らねばならなかった。」 歴代誌上5章1節

 

 5章には、ヨルダン川東岸ギレアド地方に嗣業の地を得た3部族(ルベン、ガド、マナセの半部族)の系図と、大祭司とされたアロンの子らの系図が記されています。

 

 冒頭の言葉(1節)の通り、父祖イスラエル(=ヤコブ)の長男ルベンは、ヨセフ、ベニヤミンの母ラケルの死後、その悲しみがまだ癒えない時期に、ラケルの仕え女で父ヤコブの側女ビルハと床を共にしました(創世記35章22節)。これは、父の家督の権を強奪する行為であり、家族の崩壊を意味します。

 

  それは、父ダビデを王宮から追い出した息子アブサロムが、アヒトフェルの指導に従って行ったのと同じです(サムエル記下16章21節以下)。また、アドニヤが父ダビデの仕え女シュネムの女アビシャグを妻にと願って、ソロモンに討たれたのも同じ理由です。このために、ルベンは長子の権利を失うことになりました(創世記49章4節)。

 

 ルベンからアッシリアに連れて行かれたベエラまで(6節)、500年以上になるはずですが、この系図はあまりに短すぎます。3節末のカルミと4節はじめのヨエルの間に、相当の省略があるということです。これも、長子の権利を失った部族だからなのでしょうか。

 

 そこで、ルベンに代わって長子の権利を得たのがヨセフの子孫です。そのことが2節にも記されて、強調されています。ヨセフは、12人兄弟の11番目ですが、イスラエルの愛した妻ラケルの長男です。イスラエルにとってもラケルにとっても、待望の男児でした。そのためにヨセフを溺愛したので、ヨセフは他の兄弟たちの妬みを買ってしまいます(創世記37章3~4節)。

 

 ヨセフも、父の依怙贔屓を傘に、自分の見た夢を兄たちに傲慢に語ります(同5節以下)。それで、彼は兄弟たちによってエジプトに奴隷として売られてしまいました(同12節以下)。

 

 ただ、売られた先のエジプトで、ヨセフは主人ポティファルに気に入られ、その家の管理を任される執事になります(同39章1節以下)。ところが、女主人に性的な誘惑を受けるのです(同7節以下)。それを毅然とはねのけた彼は、今度は女主人に訴えられ、無実の罪で牢に入れられます。人間万事塞翁が馬とは、このことでしょうか。

 

 しかし、そこでもヨセフは監守長に目をかけられるようになります(同21節以下)。ヨセフは奴隷となり、さらに投獄されるというどん底を経験しましたが、つぶやかず、不満を言わずにその運命に身を委ねています。それは、神が共におられることを知っていたからでしょう。

 

 女主人に言い寄られたときも、「わたしは、どうしてそのように大きな悪を働いて、神に罪を犯すことができましょう」と答えています(同9節)。このように、ヨセフは寝床を汚す罪を犯さなかったので、ルベンの長子の権を譲り受けることになったわけです。

 

 やがて、彼はその牢獄で出会った宮廷の役人の夢を解いたことがきっかけとなり、数年後にファラオが見た夢を見事に解くことが出来たので、獄屋を出ることが出来ただけでなく、引き立てられて、エジプト一国の管理を任される宰相となりました(同41章)。

 

 エジプトを大飢饉から救ったヨセフは、やがて、自分をエジプトに売った兄弟たちと感動的な和解をします(同45章)。ヨセフは兄弟たちに、「今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです」(同5節)と告げました。

 

 そして、ヨセフはイスラエル一族を、なお飢饉の続くカナンの地からエジプト・ゴシェンの地に呼び寄せます(同46章)。ヨセフの父イスラエルは、ヨセフの子らを特別に祝福し(同48章)、12人の子どもたちに看取られてエジプトで天に召されます(同49章33節)。

 

 その後、エジプトを出て約束の地カナンに入るイスラエル12部族の中で、レビ族は主を嗣業として、神の幕屋に関わる務めを担うので、土地の分配を受けないことになります(民数記1章47節以下、17章27節以下、18章23,24節)。

 

 その代わりにヨセフの子孫が2つ分を受け、マナセ族、エフライム族として、それぞれ嗣業の土地を獲得します(民数記1章10節、ヨシュア記13章29節以下、同16,17章)。それは、ヨセフが長子権を有しているからです。長子は、他の兄弟たちの2倍の分け前を与えられることになっていたのです(申命記21章17節、列王記下2章9節参照)。

 

 主イエスは、その愛と憐れみのゆえに、本来その資格のない私たちに、ご自分を信じる信仰により、神の子となる特権をお与え下さいました(ヨハネ1章12節)。それは、主イエスと出会って罪赦され、救いの恵みに与らせて頂いたたことであり、さらに、聖霊を受けて力と愛に満たしていただくことです。

 

 ここに、御子の命と聖霊の力という二つの分が、私たちに与えられているのです。受けている恵みをいたずらにせず、御言葉に聴き従い、神の栄光を拝させていただきましょう。“主に感謝せよ、その憐れみはとわに絶えず。ハレルヤ!”

 

 主よ、私たちが神の子とされるために、どれほどの愛を賜ったことでしょう。どれだけ感謝しても、しすぎることはありません。私たちを聖霊で満たし、神の愛の証し人、主イエスの恵みの証人として用いてください。御心がこの地にもなされますように。そのために用いられる器としてくださいますように。 アーメン

 

 

「神の箱が安置されたとき以来、ダビデによって主の神殿で詠唱の任務につけられた者は次のとおりである。」 歴代誌上6章16節

 

 5章27節以下に、レビの子孫のうち、ケハト族アムラムの子アロンの家に属する大祭司の系譜が記されていました。6章1節以下には、レビ一族の残りの氏族の系図が記されています。縦の系図が横に広げられたという印象です。

 

 レビ族の3氏族(ゲルション、ケハト、メラリ)から、レビ人として祭司を補佐する人の系図が、5節以下に記されています。そして冒頭の言葉(16節)のとおり、ダビデによって、神殿の詠唱者とされた人々の系図が記されています。そのときにはまだ神殿はなく、臨在の幕屋の前でその任務に就きました(17節)。

 

 臨在の幕屋がエルサレムに設置され、幕屋とその内に置かれていた祭具を持ち運ぶ役割が不用になった人々が、詠唱者として立てられることになったかたちです。系図を確認すれば、各氏族の長男がレビ人となり、次男が詠唱者となっています。

 

 ケハト族だけは大祭司を出した氏族なので、長男のアミナダブの家系がレビ人(7節)、大祭司となったアロンとその子孫が連なるアムラムが次男(5章27,28節)、そして三男のイツハルの家系が詠唱者となったようです(18節以下、20節)。但し、3節のケハトの子らとは子らの名が一致しません。詳細は不明で、どう考えて良いのか分かりません。

 

 ところで、レビは、イスラエル=ヤコブの12人の子らの中で特に宗教的な人物だったわけではありません。むしろ、シメオンと共に、妹ディナのことで腹を立て、シケムのハモルの家のものを剣で殺し、町中を略奪するという暴力を振るう人物でした(創世記34章)。

 

 父ヤコブがシメオンとレビについて、「彼らの剣は暴力の道具」(創世記49章5節)といい、「彼らをヤコブの間に分け、イスラエルの間に散らす」 (同7節)という呪いの言葉を遺しています。そのとおり、彼らは約束の地に嗣業の地を得ることが出来ませんでした。父に呪われた人物が、主に仕える者となり、さらに神殿において賛美をささげる者とされたのです。

 

 詩編22編4節に「だがあなたは、聖所にいまし、イスラエルの賛美を受ける方」とあります。原文を直訳すると「イスラエルの賛美に座すあなたは聖なる方」(ヴェ・アッター・カードーシュ・ヨーシェーブ・テヒロート・イスラエール)です。賛美するイスラエルの上に聖なる主が臨まれるということです。新共同訳を活かせば、賛美のあるところを主が聖所となさるということになります。

 

 ソロモンが神殿を奉献し、主を賛美したとき、主の栄光が神殿に満ちたというのも(歴代誌下5章13,14節)、主が賛美をお受けくださる方、賛美されるところにおいでくださるお方であることを示しています。

 

 彼らの歌声は主への賛美として、幕屋に臨在しておられる神の前に響き、また、神の幕屋の周りにいるイスラエルの民の耳にも届きます。賛美されるべき神と賛美すべき神の民イスラエルの人々が、詠唱者の賛美によって結ばれるのです。神の祝福を受けた者は神を賛美します。恵みを味わっている者は神に感謝します。

 

 主イエスは、十字架で死なれた後(ルカ23章44節以下)、三日目に甦り(24章1節以下)、たびたびお姿を弟子たちに顕わされた後(使徒言行録1章3節)、天に昇られました(ルカ24章50節以下、使徒言行録1章9節)。

 

 その際、主イエスは弟子たちを祝福しながら、天に昇って行かれたのです(ルカ24章51節)。祝福を受けた弟子たちは、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていました(同53節)。

 

 「祝福しながら」(新共同訳)、「祝福しておられるうちに」(口語訳)ということは、主イエスの祝福は終わっていないということでしょう。今も、主イエスの祝福に与ることが出来るということです。だから、弟子たちは絶えずその恵みを味わい、神殿で主をほめたたえていたのです。

 

 ここで、「祝福する」という言葉と「ほめたたえる」という言葉は、原語では同じ言葉(ユーロゲオウ)です。つまり、賛美は神に祝福を返すことであり、賛美を通して主イエスと弟子たちの間で祝福が循環しているわけです。祝福を受けて感謝し、主を賛美する者にさらに主の祝福が加えられます。

 

 弟子たちは、人間的には敬愛する主イエスを天に送った寂しさや悲しみがあったと思いますが、しかし、「絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた」とあることから、主イエスの祝福が弟子たちの心を満たしていて、その口から主を讃える賛美が溢れ出て、賛美を住まいとされる主が弟子たちに更なる祝福を注がれるのです。

 

 主イエスが神殿で民衆に教えておられるところへ、姦通の現場で捕らえられた女性が連れられてきたことがあります(ヨハネ8章1節以下)。女性を連れてきた人々は、姦通の罪を犯した者は、石で撃ち殺せという規定があり(同5節、レビ記20章10節)、それを実行すべきかどうかと尋ねます。

 

 主イエスが、かわいそうだから赦してやれと言えば、神の律法に背くのかといって主イエスを訴える口実を得ようと考え、律法に従って石で撃てと言えば、愛を説いていたのではないのかといって,主イエスの人気に水を差すつもりだったのでしょう。

 

 ところが、主イエスは、「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」(ヨハネ8章7節)と言われました。民衆は主イエスの言葉に心さされ、誰も石を投げずにその場を立ち去りました(同9節)。誰も、その女性に石を投げる資格がなかったということです。

 

 そして、主イエスもこの女性の罪を赦され、放免されます。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい」(同11節)という言葉に、その女性がどのように反応したのか、何も記されていませんが、どんなに感謝したでしょうか。それこそ主を賛美したことでしょう。そこは、神殿です。恵みが賛美を生み、賛美が恵みを新しくしたことでしょう。

 

 バビロン捕囚から帰還した民が都に集まり、祭司エズラに律法の朗読を求めました(ネヘミヤ記8章1節以下)。民は皆、朗読を聞いて泣きました(同9節)。心を強く動かされ、悔い改めの涙を流していたのです。

 

 しかし、総督ネヘミヤと祭司エズラは、「今日は、我らの主にささげられた聖なる日だ。悲しんではならない。主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である」と語ります(同10節)。

 

 ここに、神殿における礼拝に相応しい態度は、語り聞かせられる御言葉に対して喜びをもって応答することであると教えられます。主の力に与って喜び祝い、喜び祝うことでさらに力が与えられるのです。

 

 置かれている環境がどのようであっても、神の恵みが与えられていることを知れば、賛美出来ます。私たちに賛美を与えて下さるのは聖霊です(エフェソ5章18節以下)。聖霊に満たされて賛美に導かれ、賛美を通していよいよ深く主に満たしていただきましょう。

 

 主よ、ダビデがエルサレムに都を定め、神の箱をエルサレムに迎えて以来、詠唱者が主を賛美する務めを担いました。賛美こそ、恵みの主に応えるのに相応しいからです。いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝する信仰を授けてください。いよいよ御名が崇められますように。 アーメン!

 

 

「エフライムの娘はシェエラ、彼女は上ベト・ホロン、下ベト・ホロン、ウゼン・シェエラを築いた。」 歴代誌上7章24節

 

 7章には、ユダとレビを除く、約束の地(ヨルダン川の西)に嗣業の地を得たイスラエル諸部族の系図が記されています。ただし、シメオン、ダン、ゼブルン各部族の記載はありません。その根拠は定かではありませんが、12部族の中でその存在が軽く見られていたということなのでしょうか。

 

 20節以下に、エフライムの子孫の系図が記されています。エフライムには、シュテラのほか(20節)、エゼルとエルアドという息子があり、二人はガトに下り、家畜を奪おうとして、そこで殺されてしまったと言われます(21節)。民数記では、彼らの存在を確認することが出来ません。その不名誉を、民数記の記者たちが書き残したくなかったということでしょうか。

 

 しかし、その二人のためにエフライムは長い喪に服しました(22節)。子どもたちが盗みを働こうとしたこと、そのゆえに殺されたということ、この二重の悲しみがエフライムを襲ったわけです。彼は、兄弟たちの慰問を受けてようやく立ち上がることが出来ました(22節)。

 

 ただ、ヨセフの子エフライムは、兄マナセと共にエジプトで生まれ(創世記41章52節)、その子らは当然エジプトの都に住んでいたはずです(同50章22,23節参照)。ガトはペリシテ人の町で、そこに下って行ったというのは、彼らがパレスティナに住まいを持っているかのような表現です。

 

 また、その理由が、家畜を奪うためということですが、エジプトの宰相となっていたヨセフの孫たちに、そうする必要性があったとは思えず、仮にそれがあったとして、彼らだけで外国の町に出かけて行くということも考え難く、このところは少々理解に苦しむところではあります。

 

 話を元に戻して、エフライムが立ち直った時に与えられた子に、「ベリア」という名をつけました(23節)。それは「災い」という意味です。二人の子を彼らの罪のために失うという辛い経験を忘れないというのでしょうか。だから自分は不幸だというのでしょうか。むしろ、ヤベツのときのごとく(4章9節)、こんなに災いが重なったようなときに、神は祝福をもって臨まれたということかも知れません。

 

 ベリアの子孫に、ノン(民数記など:ヌン)の子ヨシュアが生まれます(27節)。このヨシュアは、祭司エルアザルと共にモーセの後継者となり(民数記27章12節以下、申命記31章、ヨシュア記1章)、イスラエルの民を約束の地カナンに導きました。

 

 ヨシュア記1章6節以下に「強く、雄々しくあれ。強く、大いに雄々しくあって、わたしの僕モーセが命じた律法を忠実に守り、右にも左にもそれてはならない。この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたはその行く先々で栄え、成功する」とあります。

 

 主なる神はヨシュアに、律法の言葉を口ずさみ、それを忠実に守ることに強く雄々しくあるように求められました。そうして「あなたはその行く先々で成功する」と約束されています。

 

 冒頭の言葉(24節)に、エフライムの娘シェエラの記事があります。彼女が上下のベト・ホロンとウゼン・シェエラの町を築いたというのです。これらの町はエフライム山地の南、交通の要衝にあり、後にソロモン王がここに堅固な要塞を築きます(列王記上9章17節以下)。

 

 ただし、エフライムの娘というのが、文字通りの娘であるならば、21節と同様、彼女がエジプトからやって来て、カナンの地に町を築くというのは、あり得ないことでしょう。ヨシュア以降の世代に、エフライム族に属するシェエラという娘がいたというように読みたいと思います。

 

 それにしても、女性の業績がこのように記されるのは、特別なことです。女政治家かあるいは女実業家の走りでしょうか。殺された二人の兄弟や、意気消沈して長く喪に服していた父に代わって働いたということでしょうか。

 

 いずれにせよ、災いを転じて福となし、万事を益とされる神の恵み、憐れみがここに示されているのではないでしょうか。この神の恵みの前に、男も女もなく、奴隷も自由人もなく、ユダヤ人もギリシア人もありません(ガラテヤ書3章28節)。何らの差別なく、神の恵みを受けることが出来ますし、神はどのような人も用いることが出来るのです。

 

 生まれつき目の見えなかった人が主イエスと出会い、目を開いて頂きました(ヨハネ9章1節以下)。けれども、その日が安息日だったということで、ファリサイ派の人々に咎められ、元盲人との間で問答が繰り返されます(同13節以下)。

 

 その問答の最後に、「お前は全く罪の中に生まれたのに、われわれに教えようというのか」(同34節)とファリサイ派の人々が語り、元盲人を外に追い出しました。それは、元盲人に議論で打ち負かされたファリサイ派の人々が、自分たちの体面のためにとった行動です。

 

 主イエスと出会い、神の恵みを受けると、見えなかった者が見える者とされます(同39節)。それは、真実が見えていなかったことに気づかされるということでもあります。

 

 主イエスを愛してその御言葉を絶えず口ずさみ、思い起こし、恵みを心に留めましょう。主は私たちの耳を開き、目を開き、御旨を悟らせてくださいます。そして、御言葉によって知らされた真理は、私たちを自由にするのです(同8章31,32節)。

 

 主よ、取るに足りない私たち、いえ、罪の中に主に敵対していた私にも目を留め、恵みと慈しみをもって導き助けてくださいますこと、本当に感謝です。いつも、主の慈しみの御手の下におらせてください。耳を開いて御言葉を聞かせてください。目が開かれて主の御業を拝することが出来ますように。 アーメン

 

 

「ヨナタンの子は、メリブ・バアル。メリブ・バアルにはミカが生まれた。」 歴代誌上8章34節

 

 8章には、7章6節以下に記されている「ベニヤミンの子孫」とは別の、「ベニヤミンの子孫」のリストがあります。ベニヤミンの長男ベラ以外は、全く違う名が列挙されています。そして、双方とも、創世記46章21節のベニヤミンの子らのリストと一致しません。どう考えてよいのか分かりませんが、違いを推理してみるのも一興でしょう。

 

 この箇所で、ユダ、レビを除く他の部族に比べて大きく取り扱われています。また、最後にベニヤミンを扱っているのは、ヤコブ=イスラエルの12人の子らの中で最後に生まれたものだからでしょう。そして、最初にユダ、真ん中でレビ、そして最後にベニヤミンを扱うことで、全部族を囲みこむユダ-レビ-ベニヤミンという枠が完結します。

 

 ベニヤミン族の中でサウルの家系が突出して記されています。ベニヤミン族出身のキシュの子サウルは(33節)、イスラエルで最初の王になりましたが(サムエル記上10章)、主の言葉に従わなかったために、王位から退けられ、ダビデに道を譲らねばなりませんでした(同16章)。

 

 しかし、一端握った王権を手放すのを嫌ったサウルは、出陣の度に手柄を立てるダビデが自分の王位を脅かすと考えて(同18章8節)、戦士の長に任じ(同5節)、娘ミカルの婿として迎えていましたが(同20節以下)、ダビデを殺すよう全家臣に命じます(同19章1節)。そして、逃亡するダビデを追って、執拗にその命を狙い続けました(同22章以下)。

 

 しかし、それを果すことが出来ないうちに、ギルボアにおけるペリシテとの戦い(同28章以下)で命を落としてしまいます(同31章3,4節)。その上、愛息ヨナタンも戦死しました(同2節)。

 

 ヨナタンは信仰心篤く、逃亡中のダビデを支えた素晴らしい人格の持ち主ですが(同14章6節、18章1,3節、19章1節以下、20章1節以下、23章18節以下)、父の罪の呪いを受けた形となりました(出エジプト記20章5節参照)。

 

 これらのことは、新しくユダヤの王となる赤ん坊がベツレヘムに生まれたというニュースを聞いたヘロデ大王が、ベツレヘム周辺の2歳以下の男児を皆殺しにして、主イエスを亡き者としようとしたこと、けれども、神に守られて、結局果たせなかったということにも通じているようです(マタイ福音書2章)。

 

 主イエスは、ダビデの子孫として、この世においでになりました(マタイ1章1節、ローマ書1章3節など)。そして、「わたしはよい羊飼いである。よい羊飼いは羊のために命を捨てる」(ヨハネ福音書10章11節)と語られ、十字架で死なれました。因みに、十字架に掲げられた罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書かれていました(同19章19節)。

 

 主イエスの前に来た者は、神の栄光を盗み、御子の命を奪おうとする強盗でした(同10章8節)。しかし、真の王は、よい羊飼いとして、「羊」(私たち人間のこと)のために命を捨てます。それは、羊が命を受け、しかも豊かに受けるためです(同10章10節)。

 

 羊が命を受けられるのは、ただ神の憐れみ、神の恵みです。しかもそれは、御子イエスの命とひきかえに与えられた、とても重い恵みです。量ることが出来ないほどの豊かな恵みです(エフェソ書2章4節以下、8節)。

 

 サウルが命を落とし。その子ヨナタンも共に戦死しましたが、ただ一人、ヨナタンの子メリブ・バアル(「バアル(主)に愛される者」の意、サムエル記下9章6節ではメフィボシェト=「恥を振りまく者」の意)だけは、ダビデとヨナタンとの契約のゆえに守られました(サムエル記上20章15,16節参照)。

 

 メリブ・バアルは、いつもダビデと一緒に食卓を囲む者とされました(サムエル記下9章7,13節)。冒頭の言葉(34節)にメリブ・バアルの子ミカの名が記され、続く35節以下にその子孫の名が列挙されています。そこに、神の憐れみを感じます。

 

 というのは、ダビデとヨナタンとの間に交わされた契約は、ダビデの子らがダビデのゆえに祝福に与り続ける間、有効に機能しているということを、その系図が示しているからです。そしてそれは、ダビデとヨナタンとの契約だからというだけでなく、メリブ・バアルがダビデの前に全く謙遜に歩んだからです。

 

 召使いツィバに欺かれるようなことがあり(サムエル記下16章3節)、ダビデはツィバの讒言を真に受けてしまいますが(同19章26,30節)、メリブ・バアルの謙遜な態度は終始一貫、ダビデの前に生涯変わることがありませんでした(同9章8節、19章27~29,31節)。主なる神は、心の謙った者を決して軽しめられはしないのです(詩編51編19節など)。

 

 私たちも主イエスの深い憐れみにより、主と共に食卓を囲むという、主との親しい交わりに加えて頂いた者として(黙示録3章20節、第一コリント1章9節、第一ヨハネ1章3節)、常に主の御前に謙り、絶えず御言葉に耳を傾けながら、感謝をもって従順に歩ませて頂きましょう。

 

 主よ、今日も御言葉と祈りの交わりに導いてくださり、感謝致します。恵みに与って喜びに満たされ、隣人にその恵みを分かち合う福音の交わりが前進しますように。御霊の満たしと導きに常に与らせてください。御心が行われますように。私たちを試練に遭わせないで、悪からもお守りください。 アーメン

 

 

「レビの家系の長である詠唱者たちは、祭司室にとどまり、他の務めを免除されていた。彼らは昼も夜も果たすべき務めを持っていたからである。」 歴代誌上9章33節

 

 9章前半には、バビロン捕囚後、エルサレムに住んだ人々の系図が記されています。これは、ネヘミヤ記11章と共通するところです。そこには、イスラエルの人々、祭司、レビ人、神殿の使用人がいました(2節)。

 

 3節で、イスラエルの人々とは、ユダ、ベニヤミン、エフライムとマナセ、各部族の一部だと言われています。ただ、エフライムとマナセという北イスラエルの部族が帰還してエルサレムに住むようになったという記事は、これ以外にはありません。並行箇所と目されるネヘミヤ記11章3節以下にも、エフライム、マナセの記述はありません。

 

 これは、ネヘミヤがエフライム、マナセを削ったというより、歴代誌がこの二つを書き加えたものだと考えられます。つまり、エフライム、マナセ各部族の一部がエルサレムに住んでいたというのは歴史的事実ではなく、新生イスラエルは、南ユダ王国だけでなく、北のマナセ、エフライムをも包含する全イスラエルを代表するものだという表現だと思われます。

 

 ユダ族(4節以下)、ベニヤミン族(7節以下)、祭司(10節以下)、レビ人(14節以下)の系図はありますが、エフライム、マナセのものは存在しません。これも、3節の捕囚から帰還してエルサレムに住んだとされるユダとベニヤミンに加え、後からエフライムとマナセが追加されたと考える根拠です。

 

 4節以下にユダの家系、7節以下にベニヤミンの家系を記した後、10節以下に祭司の家系、14節以下には、レビ人の系図が出ていて、17節以下には神殿の門衛の働き、そして、33節には詠唱者のことが記されています。捕囚後のエルサレムの住民が大事にしたのは、神殿での礼拝だと示しているような扱い方です。

 

 19節に「幕屋の入り口を守る者」という言葉が出て来ますが、この表現は、ソロモンの神殿が完成する前の時代を示しています。22節には「ダビデと先見者サムエルが彼らにこの仕事を任せた」という言葉も出て来ます。つまり、ダビデ王の時代のレビ人の職務が、このように記されているわけです(26章2節参照)。

 

 そうすることで、バビロン捕囚によって一旦途切れてしまった神殿の務めが、捕囚後にあらためてしっかりと引き継がれたこと、その役割は、ダビデ王の時代から連綿と続いているものであるということを、ここに示そうとしているようです。

 

 さらに、35節以下は、8章29節以下と寸分違わないキシュの子サウルにまつわるベニヤミン族の系図が、再び登場して来ます。冗長ではありますが、これは、10章のサウルの物語に続く序章としての役目を果たしています。

 

 ところで、冒頭の言葉(33節)の「詠唱者」について、それに任ぜられた人々の名は、6章16節以下に既に記されていました。今日の箇所には、「レビ人の家系の長である詠唱者」とあります。

 

 詠唱者すべてが「家系の長」と考えてよいかどうか、とても微妙なところでしょう。ですが、ともかく詠唱者に任ぜられた家系の長たちは、昼も夜も果たすべき務め、即ち、神の御前に賛美をささげるという務めを持っていました。

 

 だから、「祭司室にとどまり、他の務めを免除されていた。彼らは昼も夜も果たすべき努めを持っていたからである」と言われます。つまり、門衛として幕屋を警護したり、祭司室や宝物庫の管理をする仕事や(17節以下)、祭儀用具に責任を持つような仕事(28節以下)、その他の雑用などが一切免除されたわけです。

 

 余談ながら、「(昼も夜も果たすべき)努め」とは、「仕事、公務」(メラーカー)という言葉なので、それが「努め」となっているのは、誤植でしょう(2012年に求めたA5版聖書)。引照つき聖書や小型聖書などでは、正しく「務め」と記されていました。

 

 話を戻して、詠唱者が歌ってさえいれば、楽器を奏でてさえいれば、他の仕事をしなくてもいいというようなことではないでしょう。むしろ、神の御前に楽を奏し、歌を歌って賛美をささげる務めが、何にもまして最も重要なものとされていたということです。「レビの家系の長」たちが詠唱者に任ぜられているというのも、それを示しているといってよいでしょう。

 

 詠唱者たちは、昼も夜も絶やすことなくその務めを果たし続けました。交代でその務めに当たっていたわけです。即ちそれは、詠唱者たちが賛美したいときに、したいように賛美するというものではありません。務めに当たるとき、自分が今どのような心境であろうと、どのような境遇であろうと、いつでも主を賛美するよう務めに任ぜられているのです。

 

 確かに、私たちがどのようにして神の子とされたのかということを考えると、すべてが感謝、すべてが賛美となるでしょう。しかし、現実はなかなか厳しいです。歌う気持ちになれない。感謝の念が湧いてくるような境遇じゃないということもあるでしょう。心を込めて、心から主を讃えるのでなければ、賛美ではないという考え方もあるでしょう。

 

 けれども、ヘブライ書13章15節に「イエスを通して賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を、絶えず神に献げましょう」と記されています。「賛美のいけにえ」とは、賛美する者が犠牲を払って献げるものであるという表現ということが出来ます。

 

 歌う気になれなくても、感謝する心境でなくても、むしろ、心に痛みを覚えているような状況でも、神は賛美されるべきお方だから賛美する、感謝すべきお方だから感謝する、そのときに出来る最高の賛美を心を込めてささげるということです。

 

 それにはどうすればよいのでしょうか。賛美を与えてくださるのは聖霊です。聖霊に満たされ、常に聖霊の導きに与ることです。「霊に満たされ、詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい」(エフェソ書5章18,19節)と言われる通りです。

 

 今日も、限りなく聖霊をお与えくださる主を仰ぎ、御霊の満たしを求めましょう(ヨハネ3章34節)。主は求める者に聖霊を満たし与えてくださいます(ルカ11章13節)。そして、いつも喜び、絶えず祈り、どんなことも感謝する者としていただきましょう(第一テサロニケ5章16~18節)。

 

 主よ、御名を賛美します。あなたの慈しみは命にもまさる恵み。私の唇はあなたをほめ讃えます。命のある限り、あなたを讃え、手を高く上げ、御名によって祈ります。私の魂は満ち足りました。床に就くときにも御名を唱え、あなたへの祈りを口ずさんで夜を過ごします。あなたは必ず私を助けてくださるからです。 アーメン

 

 

「戦士たちは皆立って、サウルとその息子たちの屍を取りに行き、ヤベシュに持ち帰って、彼らの骨をヤベシュの樫の木の下に葬り、七日間、断食した。」 歴代誌上10章12節

 

 歴代誌は、キシュの子サウルに関するベニヤミンの系図を2度記していますが(8章33節以下、9章35節以下)、サウルの業績やダビデとの確執などは、記録したくなかったのでしょうか。「ダビデ王の登場」(11章)を急がせるかのごとく、系図に続いて10章1節以下に突然、「サウルの死」の記事を登場させています。

 

 サウルは、シュネムに布陣して戦いを挑んで来たペリシテ軍に対し(サムエル記上28章4節)、ギルボアに陣を敷いて迎え撃ちますが、打ち負かされて、ペリシテ軍の前から敗走した多くの兵がギルボア山上で倒れます(1節、サムエル記上31章1節)。

 

 そして、ペリシテ軍がサウルの本陣に迫り、ヨナタンら息子たちを討ちます(2節)。その後、サウルもペリシテ軍の放った矢で深手を負い(3節)、もはやこれまでと、自害します(4節)。これにより、サウル王朝はサウル一代で潰えてしまったかのように記されています(6節)。

 

 しかし、サムエル記下2章8節以下によれば、サウルの軍の司令官アブネルが、サウルの末子イシュ・ボシェトを擁立してイスラエルの王としています。ところが、アブネルの死後、イシュボシェトは家臣によって暗殺されました(同4章1節以下、6節)。サウルとイシュ・ボシェトの二代で、サウル王朝は消滅してしまったわけです。

 

 イシュ・ボシェトは40歳で即位して、2年間王位にあったと、サムエル記下2章10節に記されていますが、サウルについては、正確な記述がありません。サムエル記上13章1節に「サウルは王となって一年でイスラエル全体の王となり、二年たったとき」とありますが、王位が2年間しかなかったとすると、サウルが王になったのは幾つのときかが問題になります。

 

 新改訳は、「サウルは三十歳で王となり、十二年間イスラエルの王であった」としています。NEBは、50歳で王となり、22年イスラエルを治めたということにしています。一方、使徒言行録13章21節に、「後に人々が王を求めたので、神は40年の間、ベニヤミン族の者で、キシュの子サウルをお与えになり」とあります。

 

 サウルがサムエルに見いだされたのは、「若者」のときだったということ(サムエル記上9章2節)、そして、イシュ・ボシェトの即位の年齢から考えれば、正確なことは分かりませんが、30歳より前に即位し、40年ほどその地位にあったと考えるべきなのでしょう。

 

 ところで、本章は、サムエル記上31章と字句的にほぼ一致する記事になっていますが、歴代誌はサウルの死について、「サウルは、主に背いた罪のため、主の言葉を守らず、かえって口寄せに伺いを立てたために死んだ。彼は主に尋ねようとしなかったために、主は彼を殺し、王位をエッサイの子ダビデに渡された」(13,14節)という評価を加えています。

 

 この評価について、サウルがどのような罪を犯したのか、歴代誌にはその記述が全くないので、サムエル記の記事を前提としていることになります(サムエル記上13,15,28章など参照)。そして、サウルの犯した罪は歴代誌の記者にとって、情状酌量の余地のないものだったのです。

 

 けれども、そこに美しい話が挟まれています。ペリシテとの戦いで死んだサウルと息子たちの首がペリシテに持ち帰られ、ダゴンの神殿にさらされました(10節)。サムエル記上31章では、ガリラヤ湖南方のベト・シャンの城壁に遺体をさらしたとされています。首の切られた遺体はベト・シャン城壁に、首はアシュドドのダゴン神殿に、ということでしょうか。

 

 そのことを伝え聞いたギレアドのヤベシュの住民は(11節)、冒頭の言葉(12節)のとおり、戦士を遣わしてサウルとその息子たちの屍を取って来させ、ヤベシュの樫の木の下に葬り、彼らのために七日間断食して、その死を悼みました。

 

 ベト・シャンの城壁であれ、アシュドドのダゴン神殿であれ、あるいは両方かも知れませんが、ペリシテ人の支配地域に行って、屍を取り返すというのは、まさに命がけのことです。

 

 また、遺体に触れる者はその汚れを身に受けると言われますし(レビ記21章1~4節)、さらしものにされたものは、神に呪われていると考えられていました(申命記21章23節参照)。その宗教的タブーを犯すというのは、並大抵のことではありません。

 

 ヤベシュの人々はかつて、アンモン人ナハシュの攻撃を受け、降伏しても全員の右目をくりぬき、それをもって全イスラエルを侮辱すると脅されました(サムエル記上11章2節)。その時に立ち上がったのが、油注がれて王となったばかりのサウルでした(同5節)。

 

 ヤベシュのニュースを聞くや、御霊がサウルに激しく臨み(同6節)、サウルは立ち上がって、アンモンをさんざんにうち破りました(同11節)。そのときの恩を、ヤベシュの人々は忘れていなかったわけです。ヤベシュの人々の感謝が、サウルの葬りとなりました。

 

 それはちょうど、主イエスが十字架にかけられて殺される数日前、マリアが純粋で高価なナルドの香油を主イエスの足に塗り、主イエスの葬りの用意をしたことに通じます(ヨハネ12章3,7節)。マリアは、主イエスが兄弟ラザロを甦らせくださったことに感謝し、自分の最も大切にしていた宝を主におささげしたのです。マリアの感謝の気持ち表れです。

 

 主イエスは,[わたしの葬りの日のために,それを取って置いた」(同7節)といって喜ばれました。その香油の香りは家中に広がり、また、何日も香り続けます。主イエスが十字架につけられたときも、その香りが主イエスの身体から離れてはいなかったでしょう。人々の裏切りや嘲りの中で、その香りが立ち上って主イエスの心を暖かく包んでいたと想像するのは間違いでしょうか。

 

 私たちが神の子とされるために、どれほどの愛を神から頂いたことかをよく考え(第一ヨハネ3章1節)、自分を知り、主の愛と恵みを知って、感謝と喜びをもって主に仕える者とならせていただきましょう。

 

 主よ、ヤベシュの人々がサウルの恩を忘れず、それに命がけで報いたように、私たちも主イエスを通して示された御愛に応え、すべてを献げて主にお仕えする者とならせてください。主の御業が前進しますように。御国が来ますように。 アーメン

 

 

「ダビデは次第に勢力を増し、万軍の主は彼と共におられた。」 歴代誌上11章9節

 

 サウルの死後、イスラエルの民が、ヘブロンにいたダビデのもとに集まりました(1節、サムエル記下5章1節)。そして、主の御前に契約を結んでダビデに油を注ぎ、全イスラエルの王とします(3節)。

 

 サムエル記は、サウルの死後の出来事をもう少し詳しく記しています。ダビデはヘブロンでユダ族の王となりましたが、全イスラエルはサウルの4男イシュ・ボシェトを王としました(サムエル記下2章)。ところが、イシュ・ボシェトは同族の家臣に暗殺されました(同4章)。その後、ダビデが全イスラエルの王となったのです(同5章)。

 

 歴代誌は、サウルの死と擁立を直結させることで(10章13,14節、11章以下)、ダビデの主に背き、主の言葉を守らなかったサウル王がペリシテとの戦いで殺され、イスラエルが崩壊する危機を救う者として、エッサイの子ダビデが主によって選び出されたということを、印象的に表現しているかたちです。

 

 ヘブロンで全イスラエルの王となったダビデは、難攻不落のエブス人の町、シオンの要害を攻略して、そこに移り住みました(4節以下)。そこで、その町がダビデの町と呼ばれます(7節)。サムエル記下5章の記述によれば、ギホンと呼ばれる泉に水汲みに降りるトンネルから侵入して、陥落させたようです。

 

 ダビデの町といえば、新約聖書において、彼の生まれ故郷ベツレヘムを指して用いられますが(ルカ2章4,11節)、旧約聖書にはその用例はありません。今日、ベツレヘムの西側に「ダビデの町」と呼ばれるところがありますが、いつごろからそのように呼ばれているのかは不明です。

 

 ダビデは、エルサレムの町の周囲を城壁で固めました。それは、新たに城壁を築いたというより、改築したというべきでしょう。その他の部分は、真っ先に町に攻め上って軍の頭となったヨアブが修復しました(6,8節)。サムエル記には、ティルスの王ヒラムが使節を送り、ダビデの王宮を建てたことが記されていました(サムエル記下5章11,12節)。

 

 

 ダビデの周りには、名のある勇士たちが大勢集まりました(10節以下、サムエル記下23章8節以下)。彼らはダビデが王として国を治めることに協力します。

 

 そこには、ダビデがベツレヘムの井戸の水が飲みたいと言ったとき、敵の囲みを突破してベツレヘムの井戸の水を汲み、再び敵陣を突破して戻って来るという、まさしく献身的な行動を取った勇士たちもいます(15節以下、サムエル記下23章16節)。

 

 ここで、ダビデがアドラムの洞窟にいたときというのは(15節)、サウルの手を逃れて逃避行をしていたときのことでしょう(サムエル記上22章1節)。そのときに、三十人の勇士の中の三人が、ダビデのもとに来たということになります。

 

 サムエル記には「困窮している者、負債のある者、不満のある者も皆彼のもとに集まり、ダビデは彼らの頭領になった。四百人ほどの者が彼の周りにいた」(同22章2節)と記されています。この背景には、保身のためにダビデを追い回し、王としての務めを果たさないサウルに対する不満、失望があったわけです。

 

 だから、ダビデを王とするとき、「これまで、サウルが王であったときにも、イスラエルの進退の指揮をとっておられたのはあなたでした」(2節)とイスラエルの民は告げたのです。それは、逃避行のさなか、イスラエルの民のことを思って行動をするダビデに感心していた人々が、少なからずいたということでしょう(同23章1節以下など参照)。

 

 また、ダビデの信仰を上げることも出来ます。ダビデはまっすぐ神を求め、主に従いました。勿論、完璧に清く正しく生きたというのではありませんが、罪を指摘されると、誤魔化さずに罪を認めて悔い改めました(サムエル記下12章13節など参照)。

 

 ただ、冒頭の言葉(9節)の通り、ダビデが勢力を増したのは、万軍の主がダビデと共におられたからだと言われます。「万軍の主」(ヤハウェ・ツェバオート)は、歴代誌では用例が少なく(他に17章7,14節の3回だけ)、それらは資料(サムエル記上5章9節)をそのまま採用した箇所と考えられます。

 

 ダビデがエルサレムに神殿を建てたいと願ったとき(サムエル記下7章1節以下)、主は預言者ナタンを通して、「あなたがどこに行こうとも、わたしは共にいて、あなたの行く手から敵をことごとく断ち、地上の大いなる者に並ぶ名声を与えよう」(同9節)と約束しておられました。その約束を主が忠実に実行されたわけです。

 

 イスラエルの主は、眠ることもまどろむこともなく、常に見守ってくださる方であり(詩編121編4節)、杖と鞭で彼に道を教え、敵に囲まれて四面楚歌という状態でも、食卓を共にしてくださるので、ダビデの杯はいつも喜びと平安で満ち溢れているのです(同23編4,5節)。

 

 翻って、主は私たちと共にいてくださるのでしょうか。答えは「イエス」です。主イエスは「インマヌエル」と唱えられるお方と言われます(マタイ1章23節)。インマヌエルとは、「神は我々と共におられる」という意味です。主イエスは人となってこの世に来られ、「神が私たちとご一緒だ」ということを、身をもってお示しくださったのです。

 

 主イエスは十字架に死なれましたが、三日目に甦られました(第一コリント15章3,4節)。今も、そしてとこしえまで生きておられるお方です。だから、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28章20節)と言われたのです。

 

 エフェソ書2章4~6節には「憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって,罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、ーあなたがたの救われたのは恵みによるのですーキリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました」と記されています。

 

 憐れみ豊かな主を信じて絶えず御名を呼び、新しい歌をもって主をたたえ、日々主の御言葉に耳を傾け、真理を悟り、御旨に従って歩ませていただきましょう。

 

 主よ、御子キリストをこの世に遣わし、十字架で贖いの業を成し遂げ、私たちの罪を赦し、神の子とする道を開いてくださいました。聖霊が私たちを神の宮として住まわれ、常に共にいて、御心に適う執り成しをし、万事を益に変えてくださいます。絶えずその大いなる御愛に感謝し、御言葉に従って歩む者とならせてください。福音の交わりが豊かにされますように。 アーメン

 

 

「ダビデよ、わたしたちはあなたのもの。エッサイの子よ、あなたの味方です。平和がありますように。あなたに平和、あなたを助ける者に平和。あなたの神こそ、あなたを助ける者。」 歴代誌上12章19節

 

 1節に「ダビデがまだキシュの子サウルを避けていなければならなかったとき、ツィクラグにいるダビデのもとに来た者は次のとおりである。彼らも戦いの補助要因として、勇士たちに連なっていた」とあります。ツィクラグは、ダビデがサウル王の手を逃れ、ペリシテの王アキシュを頼ったときに与えられた町でした(サムエル記上27章1節以下、6節)。

 

 そこに、ダビデを慕って人々が集まって来ました。彼らも、ダビデの勇士になりました。彼らは、サウルと同族ベニヤミン出身の者たちでした(2節)。サウルから逃げているダビデのもとに、ベニヤミンの勇士がやって来るとはどうしたことでしょう。しかも、「彼らは弓の名手で、右手でも左手でも石を投げ、矢を射ることができた」(2節)といいます。

 

 士師記20章16節に、ギブアの住民から選り抜かれた700人の兵士からなる部隊が皆左利きで、髪の毛一筋を狙って石を投げても、その的を外すことがなかったという記事があります。ギブアは、サウルが王として召され、王宮を置いた場所、即ち、都が置かれた場所です。いわばサウルの近衛兵ともいうべき左利きの石投げ、弓の名手たちが、外国に亡命しているダビデのもとにやって来たのです。

 

 サウルの死後、王位はダビデに渡されたと、10章14節に記されていましたが、王権の委譲は、ダビデがサウルを避けて隣国へ亡命生活をしているときに、このようなかたちで既に始まっていたということを示しているわけです。

 

 次は、ダビデが荒れ野の要害にいたとき、ガド族の勇士がやって来ました(9節)。「荒れ野の要害」は、ツィクラグに逃げ落ちる前にいた場所です。つまり、時間的な順序とは、異なっています。彼らは盾と槍を取ってカモシカのように速く走った一騎当千の勇将で、氾濫している川をものともしなかったとあります(9,15~16節)。

 

 さらにダビデと同族のユダ族(17節)、またマナセ族の名も挙げられます(20、21節)。そもそも、ダビデが要害にいたとき、同族のジフ人にその場所を密告され(サムエル記上23章19節、26章1節)、ペリシテへの亡命を決意したところがあります(同27章1節)。サウル王を恐れて、そうせざるを得なかったというところでしょう。

 

 明日をも知れないという逃亡・亡命の生活をしているときですから、そのような自分のもとに身を寄せてくる人々,勇士たちの存在というのは、ダビデにとってどんなに心強いものだったことでしょうか(23節参照)。

 

 1節に「補助要員」という言葉があり、スペアーとかサポーターというようなものを連想させますが、原語を直訳すれば、「助け」(アーザール:動詞・Qal分詞)です。救いといってもよいでしょう。自分ではどうすることも出来ないような状況から救い出されることを、聖書では助けというのです。ちょっと手を借りたというような意味合いではないのです。

 

 「助け」(アーザール)の名詞形は「エゼル」です。ベニヤミン族の頭が「アヒエゼル(兄弟の助け)」と3節に記されています。兄弟として助けるというのでしょう。そして、ガド族の頭が「エゼル」(10節)、まさに助けです。単なる偶然の一致ではありません。人の名も実に興味深いものです。この章には繰り返し「助け」が語られて、主要なテーマであることが分かります。

 

 そして、ユダ族のアマサイが、大変重要な言葉をダビデに告げます。それが冒頭の言葉(19節)です。これは、ダビデと彼を助ける者に平和(シャローム)があるようにという祈りです。そして、ダビデの神こそダビデを助ける者(アーザール)であるという宣言です。

 

 また、助けが与えられることとは、平和が与えられることであると教えられます。それは、神との関係が正しくなることです。神との関係においてもたらされる、真の平和です。神との平和を求めること、それが「義」を求めることです。先ず神の義を求め、神との関係が正されると、私と周りの人々の関係が平和になります(マタイ6章33節参照)。

 

 ちょうど十字架の関係、縦軸が神と私たちの架け橋、横軸が私と周りの人々の架け橋、その真ん中にキリストがいて、私たちを橋渡ししてくださる、真の仲介者となってくださるということです。

 

 そして、「ダビデと彼を助ける者に平和があるように」という祈りと、「ダビデの神こそダビデを助ける者である」という宣言は、アマサイに聖霊が降った結果、彼に与えられたものです(19節)。その意味では、これは単なるお世辞や美辞麗句、アマサイの願望の表明などではなく、アマサイに託された神の預言と考えることが出来ます。

 

 つまり、アマサイたちがダビデを助けるというより、ダビデを助ける者は神であられる、神がアマサイたちを通してダビデを助けられるのだから、ダビデは必ず平和に与ることが出来るという預言です。

 

 私たちには、救い主イエス・キリストが与えられています。キリストによって私たちは罪が赦され(コロサイ書2章13節)、神の子どもとされ(ヨハネ福音書1章12節)、永遠の命が授けられました(同3章16節)。そして、主イエスは私たちに、ご自分が持っておられた平和を与えてくださいます(同14章27節)。

 

 パウロが、「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう」(フィリピ書4章6,7節)と教えています。神を求める者に、神の平和が授けられるのです。

 

 パウロは、神を「平和の源なる神」と呼んでいます(ローマ書15章33節)。神のお与えくださる平和は、平和を創り出すことの出来る神の力、神の権威によって、キリスト・イエスを通してもたらされるのです。心に主の平和を頂き、主の御霊に満たされて、主のために働く者となりましょう。

 

 主よ、あなたは私たちのために助ける者を用意し、平和の内に力強く歩むことが出来るようにして下さり、感謝致します。何より、主ご自身が助ける者であられます。その御手に依り頼み、導きに従って歩みます。私たちを平和を創り出す御業のために用いてください。御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「その日、ダビデは神を恐れ、『どうして神の箱をわたしのもとに迎えることができようか』と言って、ダビデの町、自分のもとに箱を移さなかった。彼は箱をガト人オベド・エドムの家に向かわせた。」 歴代誌上13章12,13節

 

 ダビデは、長い間キルヤト・エアリムに置かれたままになっていた神の箱をエルサレムに運んでくることにしました(1節以下)。サムエル記下6章に並行記事がありますが、1~5節は、サムエル記にはない歴代誌独自のもので、ダビデが即位のときから全イスラエルを代表する存在として示されるという執筆者の意図に基づくものと考えられます。 

 

 3節で「サウルの時代にわたしたちはこれ(神の箱)をおろそかにした」と言っていますが、サムエルの時代からずっと忘れられたような存在になっていました(サムエル記上7章1,2節)。この表現で、主との関係を蔑ろにしていたので、ペリシテに破れ、サウル王朝が滅びたといっているわけです。

 

 ダビデはいつ、どのようにして神の箱の存在に気付いたのでしょうか。詳細は全く不明です。しかし、「おろそかにした」という言葉遣いに、神を無視する状態にいたことで心を痛めている様子を窺うことが出来ます。その神の箱を都に持って来ることは、ダビデが、イスラエルの国の真の基礎は何かということを、国の内外に示そうとしたのでしょう。

 

 それはまた、歴代誌の読者に向けて、その当時(紀元前4世紀中盤以降)、既に神の箱は失われていましたが、あらためて主との関係、エルサレム神殿における主礼拝について、重要なこととしてに考えるよう促すものでもあります。

 

 そこで、「エジプトのシホルからレボ・ハマトまで」(5節)、即ち、「ダンからベエルシェバまで」(士師記20章1節)より大きな、南から北まで、国中の人々を集め、神の箱をエルサレムに運び上げます(5節)。

 

 シホルとは、ナイル川の支流か、エジプトの川と呼ばれるイスラエルとエジプトの国境線を指すものと思われます。レボ・ハマトについては、ダマスコ北80kmにある平原ベカアの谷にある、現在のレブウエのことと言われます。

 

 イスラエルの全地からキルアト・エアリムに集められた民は、神の箱を新しい車に載せ、アビナダブの子ウザとアフヨに御者を命じ(7節)、すべての民には主の御前に力の限り歌わせ、竪琴、琴、太鼓、シンバル、ラッパを奏でさせました(8節)。まさに、鳴り物入りの都入りになるはずでした。

 

 ところが、運んでくる途中、キドンの麦打ち場で、御者の一人ウザが神に打たれて死ぬという事件が起こります(10節)。ここで、並行記事のサムエル記下6章では、ナコンの麦打ち場とされています。キドンが「投げ槍」という意味であることから、ウザが打たれた地名と考えられ、ナコンは麦打ち場を所有する人の名と考えると、矛盾ではなくなるかと思います。

 

 ウザが打たれたのを見たダビデは、冒頭の言葉(12節)のとおり、神を恐れて「どうして神の箱をわたしのところに迎えることができようか」と語り、もともと神の箱が置かれていたキルヤト・エアリムよりずっと遠くのガト人オベド・エドムの家に運ばせてしまいました(13節)。いったいどうしたことでしょうか。

 

 ウザが神に打たれたのは、牛がよろめいたので、箱を押さえようとして手を伸ばしたからだと説明されています(9,10節)。つまり、箱を守ろうとするウザの行為が打たれた原因だというのです。ただ、それでは箱が傷つき壊れるかもしれないけれども、手を出さずにただ見ていればよかったと言わんばかりです。

 

 しかしながら、実は、箱の運び方そのものに問題があったのです。それがそもそもの間違いでした。神の箱は、祭司、レビ人の肩に担がれて運ばれるように造られたのです(出エジプト記25章13節以下)。しかし、ダビデはそれを車に載せ、御者を頼んで牛に引かせました。新しい車に載せたのは、神への敬虔を示したつもりかも知れませんが、軽率な判断でした。

 

 というのは、車で運ぶというのは、ペリシテ人が用いた方法でした(サムエル記上6章)。異邦人にとって、牛は神を運ぶ使者です。だから、牛の像を造り、それに乗る神を拝むわけです。主なる神は、カナンの地の宗教的習慣に従うことを嫌われました(レビ記18章3節)。ですから、牛がよろめいたのは偶然ではなく、主が牛に運ばれるのを拒否されたのです。

 

 ただ、神の箱に触れたことで主の怒りを買ったというなら、そもそも、神の箱を新しい車に乗せ、牛にひかせてアビナダブの家を出発すること自体出来なかったでしょう。なぜその時に打たれないで、キドンの麦打ち場で打たれることになったのでしょうか。その理由は詳らかではありません。

 

 神の箱を運ぼうという時に、神に仕える祭司やレビ人たちは何をしていたのでしょうか。彼らが自分たちの責任をきちんと果たしていれば、ウザが打たれることはありませんでした。

 

 ダビデが恐れて箱を遠くに運ばせたのは、ウザが打たれた理由を悟ったからでしょう。箱に触れようとしてウザは打たれましたが、運搬方法にそもそもの原因があるということで、その方法を選んだダビデは、自分が神に打たれると考えたのではないでしょうか。ダビデは神を恐れました。鳴り物入りで行おうとした神の箱の都入りでしたが、お祭り気分は吹っ飛びました。

 

 しかるに神は、神の箱が運び込まれたガト人オベド・エドムの家を祝福されました(14節)。ダビデが自分のところに神の箱を持ち込んだ理由を聞き、異邦人ながら、まさしく神に対する畏れの心をもって神の箱を守り、神を礼拝したことでしょう。

 

 主イエスは、「わたしはブドウの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」(ヨハネ福音書15章5節)と言われました。主につながり、御言葉を守る者に、主は豊かに実を結ばせてくださると約束しておられます。

 

 神の御言葉を聴き、その教えに従うことこそ、主イエスを愛し、主イエスにつながることです(同7,10節)。オベド・エドムはそのようにして祝福されたのです。私たちも、主イエスにつながり、主の御言葉にとどまることで豊かに実を結ぶ祝福に与らせていただきましょう。

 

 主よ、ダビデは神を畏れて御言葉に忠実に従うことを疎かにした結果、神を恐れなければならない事態になりました。一方、神を畏れて神の箱を守り、仕えたガト人オベド・エドムの家は祝福されました。私たちにも、主を畏れることを学ばせ、御言葉にたち、信仰によって歩むことが出来るように導いてください。主の恵みと導きが常に豊かにありますように。 アーメン

 

 

「ダビデは、主が彼をイスラエルの王として揺るぎないものとされ、主の民イスラエルのために彼の王権を非常に高めてくださったことを悟った。」 歴代誌上14章2節

 

 隣国ティルスの王ヒラムが、エルサレムを都に定めた(11章4節以下、7節)ダビデのもとに使節を派遣しました。それは、都に王宮を建設するためです(1節)。ヒラムはレバノン杉に石工や大工など技術者と、建設に必要なものを送って来ました。

 

 神を畏れることを学んだダビデは、冒頭の言葉(2節)のとおり、主が王権を高めてくださったことを悟りました。それは、主に背いた罪のためにペリシテとの戦いにおいて息子たちと共に戦死し、王位をダビデに譲らなければならなくなったサウル王と比較して(10章13,14節)、まったく対照的な記述です。

 

 3節以下に、エルサレムで生まれたダビデの子らの名が記されています。これもサウル家との対比が示されます。9章39節以下にサウルの家系が記されていましたが、しかし、ギルボア山でのペリシテとの戦いでサウルの3人の息子たちが戦死し(10章2節)、サウル自身も深手を負い、自害して果てました(同3,4節)。

 

 その結果、歴代誌の著者は10章6節に「その家もすべて絶えた」と記しています。ただし、その時点ではエシュバアルが残っていたはずですし(8章33節、9章39節、サムエル記下2章8節:イシュ・ボシェトのこと)、ヨナタンの息子メリブ・バアル(8章34節9章40節、サムエル記下9章6節:メフィ・ボシェトのこと)もいました。

 

 サムエル記とは違い、歴代誌はエシュバアルが王位を継いだことや家臣に案去るされたこと、メフィ・ボシェトがダビデに保護されたことなどを記録に残していません。「すべて絶えた」と記述して、すべて割愛したというかたちです。

 

 一方、ダビデの家は主によって豊かに祝され、その王権を高めて頂きました。子らの名簿の中に、ダビデの跡を継いで家を確立することになるソロモンが含まれています(17章11節以下参照)。

 

 3章5,6節に、シャムア、ショバブ、ナタンとあわせて4人がアミエルの娘バト・シュアの子と記されていました。サムエル記はソロモンの母を「エリアムの娘バト・シェバ」(同11章3節、12章24節)と記しています。歴代誌はダビデが犯した罪とソロモン誕生の関係について(同11章参照)、全く触れてはいません。

 

 8節以下、ダビデ王即位を聞いたペリシテ軍が攻め上り、レファイムの谷に侵入したと記されています。ダビデは神の託宣を受けて(10節)、これを討ち破りました(11節)。再び攻めて来たときも(13節以下)、神に命じられたとおりに行動してしました(16節)。これで、10章の状況が逆転しました。そのために、ダビデの名声はすべての国々に及んだのです(17節)。

 

 11節に「彼らはバアル・ペラツィムに攻め上り、ダビデは敵を打ち滅ぼして」とあります。バアル・ペラツィムは、エルサレムからベツレヘムへと至るレファイムの谷にあります(9節)。ペラツィムは「破れ」と訳される「ペレツ」の複数形です。

 

 その動詞形は「破る、打ち破る」と訳されているパーラツという言葉です。それが13章11節で「打ち砕く」、「ペレツ・ウザ」というところに用いられています。即ちペリシテの方法で神の箱を運搬していた(サムエル記上6章7節参照)ウザを、主が打ち砕かれたという出来事です。

 

 話を元に戻して、ダビデの名声はますます広く伝えられ、諸国の民に恐れられるようになりました(17節)。そこには、ダビデの勇猛果敢な戦いぶりもあったと思いますが、それより何より、彼が神の御声に聴き従った結果だと、歴代誌の記者は告げているわけです。

 

 勿論、ダビデが高ぶったことがないというわけではありません。ダビデが人口調査をして神の怒りを買ったことがあります(21章、サムエル記下24章)。それは、王が自軍の兵馬の数など、目に見えるものを頼みとしているしるしで、そのとき、ダビデの心には、謙って神に聴くこと、万軍の主に信頼する思いが希薄になっていたのです。

 

 詩編33編16~18節に「主の勝利は兵の数によらず、勇士を救うのも力の強さではない。馬は勝利をもたらすものとはならず、兵の数によって救われるのでもない。見よ、主は御目を注がれる、主を畏れる人、主の慈しみを待ち望む人に」と詠われています。

 

 それは、勝利を賜る主への信仰の重要性を教えるものです。けれども、人がいかに見えるものに左右されるか、見えない主に信頼し続けることがいかに容易でないかということを示しているようです(44編7節、147編10節なども参照)。

 

 申命記17章14節以下に、イスラエルの王に関する規定が記されています。そこに「彼が王位についたならば、レビ人である祭司のもとにある原本からこの律法の写しを造り、それを自分の傍らに置き、生きている限り読み返し、神なる主を畏れることを学び、この律法のすべての言葉とこれらの掟を忠実に守らねばならない」(同18~19節)と規定されています。

 

 この掟を守る理由、その目的について、続く20節に「そうすれば王は同胞を見下して高ぶることなく、この戒めから右にも左にもそれることなく、王もその子らもイスラエルの中で王位を長く保つことができる」と告げられています。

 

 ダビデの王権は、ダビデのものではありません。彼が優秀だから与えられたのではありません。王位が揺るぎなく、王権が高められたのは、イスラエルの民のためです。ダビデが不動の王位、高い王権のゆえに高ぶってはならないのです。謙って神に聴き、民のために働かなければなりません。

 

 傍らに置かれている神の御言葉に耳を傾け、神の戒め、教えから右にも左にもそれることなく歩むならば、その時、彼はいよいよ高く上げられ、その王権はいよいよ堅くされるのです。そのように神を畏れ、謙って導きに従い、イスラエルの民に仕えるならば、王と民の間に尊敬と信頼の関係が築かれ、イスラエルに平和が訪れ、民は繁栄を喜ぶことが出来ます。

 

 主イエスは、「わたしの名によって願いなさい」(ヨハネ福音書16章24節)と教えられました。主イエスと弟子たちとの間の信頼関係が築かれているということです。主に信頼する弟子の願いがかなえられ、喜びで満たされます。そして、願いが叶えられた弟子たちだけでなく、それを叶えられた主にも喜びがあり、共々に大きな喜びに満たされるのです。

 

 父なる神が遣わしてくださった真理の御霊によって真理を悟り(ヨハネ14章16,17節、16章13節など)、忠実に御言葉に聴き従って主に栄光を返しましょう。聖霊によって、私たちは「アッバ、父よ」と神を呼ぶことが出来ます(ローマ書8章15節、ガラテヤ書4章6節)。

 

 聖霊を通して心に神の愛が注がれています(ローマ書5章5節)。たえず御霊に満たしていただきましょう(エフェソ書5章18節)。聖霊の力を受けて、主の恵みを証ししましょう(使徒言行録1章8節)。そのために、常に謙って主の御言葉に耳を傾けましょう。主の導きを祈ります。

 

 主よ、あなたは十字架の死に至るまで従順であられた主イエスを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。すべての者が主の 御名にひざまずき、「イエス・キリストは主である」と宣言して神を称えるためです。絶えず主の前に謙り、命の言葉を聴かせてください。御業を行って主の御名を崇めさせてください。 アーメン

 

 

「最初の時にはあなたたちがいなかったので、わたしたちの神、主はわたしたちを打ち砕かれた。わたしたちが法に従って主を求めなかったからである。」 歴代誌上15章13節

 

 ダビデ王は、再度エルサレムに神の箱を迎える準備をしました(1節、13章参照)。今回は「神の箱を担ぐのはレビでなければならない。彼らこそ、主の箱を担ぎ、永遠に主に仕えるために主によって選ばれた者である」(2節、民数記1章50節以下参照)といって、レビ人を招集しました。

 

 ここで、サムエル記では「神の箱のゆえに、オベド・エドムの一家とその財産のすべてを主は祝福しておられる、とダビデ王に告げる者があった」(サムエル記下6章12節)のがきっかけで、再度、箱を担ぎ上ることにしたとされています。それが確認されなければ、ダビデは箱をエルサレムに運び込むのを断念したかもしれないといった扱い方でした。

 

 歴代誌は、「三ヶ月の間、神の箱はオベド・エドムの家族とともに、その家の中にあった」(13章14節)という報告に合わせるように、神の箱を迎える前に「ダビデ王の勢力増大」の記事を入れ、その後、再び神の箱を迎えるために準備を始めたというかたちにしています。

 

 ダビデによって呼び集められたのは、ケハトの一族120人、メラリの一族220人、ゲルショムの一族130人、エリツァファンの一族200人、ヘブロンの一族80人、ウジエルの一族112人、計962人でした(5節以下)。

 

 規定に従えば、神の箱を担うのはケハトの一族で(民数記3章6節以下、31節、4章4節以下、15節参照)、神の箱を担うのには10人も要らないのではないかと思われますが、長距離を運ぶので、何度も交代しながら、担ぎ上るのでしょう。また、誰も不用意に神の箱に近づいて打たれることがないように、周囲の警護などもかねて、大人数で進んで行くのでしょう。

 

 神の箱を担ぐのはレビ人でなければならないということを、ダビデはいつ知ったのでしょうか。冒頭の言葉(13節)でダビデは「最初の時にはあなたたちがいなかったので、わたしたちの神、主はわたしたちを打ち砕かれた」と言っています。箱を運ぶにはどうすべきかを知らなかったのなら、当然神に聴くべきでしたし、知っていたのなら、何故従わなかったのかということになります。

 

 「わたしたちが法に従って主を求めなかったからである」は、口語訳のように「われわれがその定めにしたがってそれを扱わなかったからです」と訳すことも出来ます。いずれにせよ、初めの方法は、神の法に背くことで、主を求めず、軽率にことを進めてしまったと、ダビデはここに自らの罪を言い表し、悔い改めています。

 

 この背後に、預言者ナタンらの指導があったのかも知れません。あるいは祭司、レビ人の進言があったのかも知れません。そして、素直に神に聴き、その教えに従ったのです。こうしてダビデは、ウザの命という重い代償を払って、神を畏れること、謙虚に神に聴くことを学んだのです。

 

 王の命に従い、祭司とレビ人は、イスラエルの神、主の箱を運び上げるために自らを聖別し(14節)、主の言葉に従ってモーセが命じたとおり、レビ人たちが竿を肩に当てて神の箱を担ぎました(15節)。

 

 ダビデは、神の箱が運ばれるとき、その周りに詠唱者を配し、楽器を奏で、声を張り上げて喜び祝わせました(16節以下)。ここで、20節の「アラモト」は、「アルマー(結婚可能な年齢の女性)」の複数形で、ソプラノという意味でしょうか。21節の「第八調」はオクターブの意味と考えられています。

 

 詠唱者のリストの中にオベド・エドムの名があります(18,21,24節)。詠唱者や門衛はレビ人の任務とされているので、13章14節のガト人(=ペリシテ人)オベド・エドムとは別人だと考えざるを得ません。

 

 箱を担ぐ者、楽器を奏で、詠唱する者たちを任務に就かせたイスラエルの王ダビデは、長老、千人隊の長たちと共に喜び祝いつつ、箱を運び上げます(25節)。ダビデは、亜麻布の上着をまとい、麻のエフォドを身に着けていました(27節)。そして、主の契約の箱の前で喜び踊ります(29節、サムエル記下6章14節)。

 

 それは単に、神の箱が町にやって来たということだけではないでしょう。だびでにとって、まさに神ご自身との交わりがますます近く、深く豊かに行われるということで、それを思うとき、喜びのあまり踊らざるを得なかったのだと思います。

 

 主イエスは、最後の晩餐の祈りの中で、「永遠の命とは、唯一の真の神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです」(ヨハネ17章3節)と言われました。「永遠の命とは、神と、神のお遣わしになったイエス・キリストとを知ること」というのは、とても不思議な言葉でしょう。

 

 「知る」とは、聖書において単なる知識ではなく、人格的な交わりがあることを言います。だれかと人格的な交わりがあるということを、その人を知っているというわけです。それは、握手する、接吻を交わす、抱き合うという体の接触を伴うような、また同じ釜の飯を食うというような、親密な交わりです。

 

 確かに、真の神との交わり、主イエスとの交わり、そして、主が遣わされる真理の御霊との交わりこそ、私たちの命です。たとい永遠に生きることが出来たとしても、愛する者、親しい者がそこにいなければ、かえって空しいときを長く過ごさなければならないことでしょう。命は、信頼する人、愛すべき人々との親密な交わりがあればこそです。

 

 主イエスが「わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである」(ヨハネ10章10節)と仰いましたが、それはまさに、私たちと主との豊かな交わり、主を信じる者たちとの親密で豊かな交わりを授けてくださると言われているわけです。

 

 ダビデが、神との交わりで喜び踊ったように、私たちも絶えず御霊に満たされて、主イエスの御名によって「アッバ、父よ」と父なる神を呼び、三位一体なる神との交わりを通して、いよいよ豊かな喜びと平安に与らせていただきましょう。

 

 主よ、日毎に御言葉を聴き、その導きに従順に歩むことが出来ますように。御言葉に命があり、御言葉に聴き従うことこそ、私たちの力であることを教えてください。主の恵みと導きが常に豊かにありますように。主イエスの十字架を仰ぎます。命の道、真理の道にまっすぐに導いてください。 アーメン

 

 

「聖なる御名を誇りとせよ。主を求める人よ、心に喜びを抱き、主を、主の御力を尋ね求め、常に御顔を求めよ。主の成し遂げられた驚くべき御業と奇跡を、主の口から出る裁きを心に留めよ。」 歴代誌上16章10~12節

 

 ダビデは神の箱を都エルサレムに運び入れ、天幕の中に安置しました(1節)。この天幕は、ダビデが神の箱のために場所を整えて、張ったものです(15章1節)。

 

 主の契約の箱を運び入れるに当たり、ダビデが喜び踊るのを見て、サウルの娘ミカルはさげすみました(15章29節)。それは、サウルの時代に神の箱がおろそかにされていたということを象徴しているような姿です(13章3節)。

 

 一方、39節によると、主の幕屋がギブオンの聖なる高台にあります。神の箱がペリシテに奪われたあと(サムエル記上4章)、幕屋がシロからギブオンに移されたのでしょう。そして、神の箱が失われたまま、主の幕屋での礼拝がギブオンで続けられていたわけです。

 

 ただし、ギブオンの聖なる高台に幕屋があるという記述は、歴代誌以外にはありません。サムエルが主なる神を礼拝するためにギブオンに行ったなどという記録はどこにもなく、いつ幕屋がギブオンに移されたのか、全く定かではありません。

 

 ダビデは、神の箱をエルサレムに運び込みましたが、主の幕屋はギブオンに置いたままにし、祭司ツァドクとその兄弟たちをそこで仕えさせるようにしました。かくて、出エジプト以来の主の幕屋が立てられているギブオンに加え、神の箱を安置した天幕のあるエルサレムと、イスラエルに重要な礼拝の場所が二か所になりました。

 

 ダビデは、自ら張った天幕に神の箱を安置したのち、神の御前に焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげます(1節)。神の箱は主なる神との契約のしるし、神の御前にささげられる供え物は、神への感謝と共に、献身を表すものです。

 

 これまでも、ダビデは神を信じていなかったわけではありませんでしたし、神に従って来なかったわけでもありませんが、ここではっきりと神との契約の関係にあることを表明したのです。それは、主イエスを信じて受け入れた者が、神と人の前でそのことを公に言い表し、バプテスマを受けることにつながります。

 

 ここで、神の幕屋に関わる務めはレビ族が担っており(民数記3,4章参照)、献げ物を神にささげるのは、祭司の務めでした(レビ記1章以下参照)。既に見て来たとおり、ダビデはユダ族の出身であり(2章3節以下、15節)、また、王として立てられてはいますが(11章1節以下)、祭司ではありません。

 

 後に、ウジヤが香を炊こうとして、神に打たれたという事件がありました(歴代誌下26章16節以下)。また、サウル王がサムエルの到着を待てず、自ら献げ物をささげたとき、サムエルが「あなたは愚かなことをしたから、王権は他者のものとなる」(サムエル記上13章8節以下)と断罪したこともあります。ダビデがそれを行い得たのは、主がそれを許されたからでしょう。

 

 これは、ダビデの子孫として生まれる主イエス・キリストの予表でもあります。「キリスト」はヘブライ語で「メシア」、油注がれた者ということです。祭司や王が即位するとき、頭に油が注がれます(レビ記4章3節、サムエル記上24章6節など)。つまり、ダビデの子イエスは、王であり、また祭司でもある「救い主」だということを、ダビデが予め示しているということです。

 

 8節以下に、ダビデの歌が記されています。8~22節は詩編105編1~15節、23~33節は詩編96編1~13節、34節は詩編106編1節、35,36節は詩編106編47,48節の引用です。

 

 ここで、冒頭の言葉(10~12節)は、神の民イスラエルに対して、絶えず主なる神に心を向け、礼拝をささげるよう呼びかけるものです。神の民は、その生活の中で神の霊の力に与るように、主を慕い求めるよう、促されます。

 

 神の御前に出て、主を求め、主の御業を心に留めることが命じられますが、それは、単に自分たちのためだけのことではありません。神がおのが民をお選びになったのは、その恵みが、選びの民を通してすべての人々に広げられるためです。

 

 神の幕屋には、その周りに囲われた庭があり(出エジプト記27章9節以下)、その庭に祭壇と洗盤が置かれています(同40章6~8節参照)。祭壇はいけにえを献げるもので、これはキリストの十字架を意味しています。洗盤は祭司が身を清めるための水を入れている器で(同30章17節以下)、主イエスを信じる者が受けるバプテスマを表します。

 

 神の幕屋では、礼拝が行われます。神の幕屋には、12個のパンを供える机があります(同40章22,23節)。それは、キリストの体を表しています。教会は、命のパンであるキリストの御言葉で養われます。御言葉を守り行うことこそ、キリストの愛に留まることと教えられています。

 

 また、七枝の燭台(メノラー)があります(同24,25節)。このランプの光で幕屋の中を照らしています。これは、聖霊を表しています。聖霊が私たちに真理を悟らせます。礼拝は霊と真理をもってなされるのです。そして、香の祭壇があります(同26,27節)。神の御前に捧げられる賛美と祈りを表しています。

 

 聖霊とキリストの御言葉と賛美による礼拝を通して、至聖所へと導かれます。その奥殿には、神の箱が置かれています(同20,21節)。それは、私たちが神の民であり、主が私たちの神であるという契約のしるしです。そこで神と人が顔と顔とを合わせて、食事を共にするという親しい交わりをするのです。

 

 キリストの声を聴いて心の扉を開いた者は、キリストが心の内に来られ、共に食事をする親しい交わりが出来ると言われています(ヨハネ黙示録3章20節)。また、キリストの十字架で贖われた者は、聖霊を宿す聖霊の宮、神殿であるとも言われます(第一コリント3章16節、6章19節など)。

 

 神に創られ、キリストによって贖われた者として、御言葉に従い、心から賛美と祈りを捧げましょう。主は私たちを主との親しい交わりへと導かれ、その恵みに与らせてくださいます。絶えず主の御顔を求め、神の口から語られる御言葉に耳を傾けましょう。御霊に満たして頂きましょう。

 

 主よ、御子キリストの贖いを感謝します。キリストを心の王座にお迎えします。聖霊に満たされ、絶えず唇の実を主におささげします。霊と真実をもって主を仰ぎます。聖霊の力を受けて、主の恵みを証しします。御業のために用いてください。 アーメン

 

 

「あなたが生涯を終え、先祖のもとに行くとき、あなたの子孫、あなたの子の一人に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。この者がわたしのために家を建て、わたしは彼の家をとこしえに堅く据える。」 歴代誌上17章11~12節

 

 ダビデは少年時代、牧場で羊の群れの番をしていましたが(7節)、兄弟たちの中から選び出されて、王となるべき者としてサムエルから油を注がれました(サムエル記上16章1節以下、13節)。そうして、ダビデはヘブロンで全イスラエルの王となりました(11章1節以下、サムエル記下5章1節以下)。

 

 その後、エブス人の町であったシオンの要害を攻略し、そこに居を構えました(11章4節以下)。それで、エルサレムがダビデの町と呼ばれます(同5節)。そこに立派な王宮が完成し(14章1,2節)、そして、ダビデの張った天幕に神の箱を迎えることも出来ました(16章1節)。

 

 そこでダビデは預言者ナタンに、「見なさい。わたしはレバノン杉の家に住んでいるが、主の契約の箱は、天幕を張ってその下に置いたままだ」(1節)と、主なる神のために神殿を建てるという相談をします。ナタンは、「心にあることは何でも実行なさるとよいでしょう。神はあなたと共におられます」(2節)と、すぐに賛同しました。

 

 ところがその夜、神はイスラエルの民をエジプトから救い出して神の民とした日から今に至るまで、家に住まず、天幕を住まいとして来たこと(5節)、その間一度も、何故わたしのためにレバノン杉の家を建てないのかと言ったことはないことをお告げになり(6節)、ダビデの申し出を拒否されました(6節)。

 

 ここで、「天幕から天幕へ、幕屋から幕屋へと移って来た」(5節)と言われていることについて、シロの祭司エリの家を打たれた際、イスラエルを導き上った幕屋はギブオンに移され(16章39節参照)、その後、エルサレムに神の箱を運び上げるため、ダビデが新しい天幕をエルサレムに建てました。神の箱が、これら二つの幕屋、天幕以外に移されたことは知られていません。

 

 幕屋は、聖なる神がエジプトを脱出したイスラエルの民の中に住まわれるための聖なる所として造られました(出エジプト記25章8節参照)。神は、シナイの荒れ野を民と共に旅されたように、バビロンに捕らえ移されたときも共におられたということを、こうした表現で示しているのでしょう。

 

 ダビデの申し出を拒否されたのは、神殿を建てる必要はない、神殿などには決して住まないということではありません。主は、「わたしのために住むべき家を建てるのではあなたではない」(4節)と言われました。即ち、ダビデは神殿を建てるのにふさわしい人物ではない、別の人物が神殿を建てるということです。

 

 22章8節では「わたしの前で多くの血を大地に流したからには、あなたがわたしの名のために神殿を築くことは許されない」と言われています。 ダビデの役割は、万軍の主の手先となって、行く手からことごとく敵を断ち(8節)、敵をことごとく屈服させることです(10節)。

 

 ともあれ、神のために神殿を建てたいというダビデの心を神は喜ばれています。だからこそ、「主があなたのために家を建てる」(10節)と言われるのです。主がお建てくださる「家」とは、神殿や王宮といった建物のことではなく、「王家」、王朝のことです。

 

 だから、冒頭の言葉(11,12節)で、ダビデの子の一人が跡を継いで王国を揺るぎないものとし、その子が神殿を建てること、それゆえにその王座をとこしえに堅くすると約束されているのです。

 

 これは、当然ダビデの子ソロモンによる神殿建設を示しています(列王記上6章、歴代誌下1章18節以下参照)。ソロモンは、準備された最高の材料を用いて、7年という歳月をかけ、壮麗な神殿を建てたのでした(列王記下6章、歴代誌下3章1節以下)。ダビデに対する神の約束が、実現したわけです。

 

 かくて、「わたしは彼をとこしえにわたしの家とわたしの王国の中に立てる。彼の王座はとこしえに固く据えられる」(14節)と言われるのですが、並行箇所・サムエル記下6章16節の「あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに固く据えられる」と比較すると、注目すべき変更点があります。

 

 サムエル記で「あなたの王座はとこしえに固く据えられる」というものを、「彼の王座はとこしえに固く据えられる」と、「あなた=ダビデ」の王座が「彼=ソロモン」の王座と言い換えられています。神殿が建てられることで、王座が固く据えられることになるということを強調しているようです。

 

 また、「あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き」と言われていたものを「わたしは彼をとこしえにわたしの家とわたしの王国の中に立てる」と言い換えて、イスラエルの真の王は主なる神で、王国は主のものだと言い表しています。つまり、真の王なる主がお立てになる者だけが、王座に着くということです。

 

 勿論、歴代誌の記者は、バビロンによってダビデ王朝が倒され、ソロモンの建てた神殿が焼かれたこと、エルサレムの都も破壊され、民が捕囚とされたことを知っています(歴代誌下36章)。それは、王をはじめイスラエルの民が神に背き、異教の偶像を礼拝したからです。エルサレム神殿の中にすら、偶像が置かれました(同33章4節以下)。

 

 民自ら、神との約束を反故にしてしまったというわけです。だからといって、主なる神は、その約束を反故にされたわけではありません。神は「きのうも今日も、また永遠に変わることのない方」(ヘブライ書13章8節)であり、常に真実な方だからです(ローマ3章4節)。

 

 王朝は倒され、神殿は破壊されましたが、イスラエル王国は主の御手の中にあり、その王権、王座は永遠に確かなものなのです。だから、捕囚から解放された民がエルサレムに神殿を再建します。それを指導するのも、ダビデの子孫の一人です(エズラ記参照)。

 

 主イエスは、ヘロデが46年かかって完成出来ていない神殿を壊し、それを三日で建て直すと言われました(ヨハネ2章19節)。それは、十字架で死なれた主イエスが三日目に甦られること、その復活の主の体のことを指しています(同21節)。実に、ダビデの子孫としてお生まれになった主イエスが、真の神殿を建てられるのです。

 

 主イエスは、十字架につけられたとき、その罪状書きに、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と記されました(同19章19節など)。祭司長たちがそれに異議を唱えると、総督ピラトは、「わたしが書いたものは、書いたままにしておけ」と答えます(ヨハネ19章21,22節)。

 

 つまり、主イエスはピラトによって、十字架上でユダヤ人の王として即位されたのです。そして、主イエスは十字架で託された神の御業を完成されて息を引き取られました(同19章30節)。この主イエスこそ、真の王の王、主の主であられます。

 

 そして神は、主イエスを信じる者に、約束の聖霊を送ってくださいました。私たちは内に聖霊を宿す聖霊の宮、神の神殿であると教えられています。それは、主の憐れみと聖霊のお働きによるのです。御言葉と御霊の導きにすべてを委ね、示されるとおりに歩ませていただきましょう。それこそ私たちのなすべき礼拝なのです。

 

 主よ、御霊が私たちを神殿として内に住み、神の愛を心に注いでくださることを感謝します。御言葉と御霊により、私たちを清め、御心に適う者と造り替えてください。御名が崇められますように。宣教の御業が前進しますように。全日本に主の恵みと慈しみが豊かにありますように。 アーメン

 

 

「その後、ダビデはペリシテ人を討って屈服させ、ペリシテ人の手からガトとその周辺の村落を奪った。」 歴代誌上18章1節

 

 ダビデはかつて、サウル王の追跡から逃れるため、国外に逃亡したことがあります(サムエル記上27章参照)。その時に身を寄せたのが、ペリシテの首都ガトの王アキシュのところでした(同2節)。そのときアキシュは、ダビデの亡命を許し、ツィクラグの町を与えました(同6節)。

 

 今回、冒頭の言葉(1節)の通り、ダビデはペリシテとの闘いでガトの地を手に入れました。並行記事が記されているサムエル記下8章1節には「メテグ・アンマを奪った」という記録がありますが、メテグ・アンマとは「首都の手綱」という意味ですから、まさしく、「ガトとその周辺の村落」を指しているといってよいでしょう。

 

 この戦いが、ペリシテとイスラエル、どちらから引き起こされたものであるのか、詳細は不明です。前に、サウルの死後、ダビデがイスラエルの王になったと聞いたペリシテ人が攻め上って来たということがありました(14章8節以下、サムエル記下5章17節以下)。

 

 それは、ダビデがイスラエルの王となったを、ペリシテに対して恩を仇で返すものだとでも思ったのでしょうか。それとも、ダビデが王になったばかりなので、イスラエル国内に相当の混乱があって、今ならば攻め落とせるとでも思ったのでしょうか。しかし、神の託宣に従って行動するダビデの前に、ペリシテ軍は二度にわたってさんざんに打ち破られてしまいました(14章11,16節)。

 

 今回の闘いは、もしかすると、そのときの報復を目的とした、ペリシテ軍の方から仕掛けられたものだったのかも知れません。しかしながら、ペリシテ軍はこの戦いで決定的な敗北を喫し、首都ガトを失う結果となったわけです。

 

 もしも、ペリシテ人たちが戦いではなく、交易を求めていたら、どうだったでしょうか。かつてダビデがサウルを逃れて身を寄せた時の温情を出汁にしてやって来たら、断るのは難しかったでしょう。

 

 また、ペリシテの製鉄技術を獲得することは、イスラエルにとって大きな利益となるというような算盤勘定をしたかも知れません。隣国と和睦することで、力を合わせて共通の敵に対処することが出来るという利益もあります。

 

 そのために、互いに婚姻を結び、より密接な関係が築かれたかも知れません。とはいうものの、そういうことになっていれば、ソロモンのときにそうであったように、あるいはエルサレムにダゴンの神殿が建てられるようなことになったのかも知れません。

 

 申命記29章17節に「今日、心変わりして、我々の神、主に背き、これらの国々の神々のもとに行って仕えるような男、女、家族、部族があなたたちの間にあってはならない。あなたたちの中に、毒草や苦よもぎを生ずる根があってはならない」と命じられています。

 

 その意味で、この戦いは、異教の神々に仕える結果に陥るのを未然に防ぎ、心中に起こる罪の芽を予め抜き取る役目を果たしたと言えそうです。そのために、どちらかにそのきっかけを与え、引き起こされた戦いということになるでしょうか。

 

 ダビデはその後、モアブを討ち(2節)、ハマト地方のツォバの王ハダドエゼルを討ち(3,4節)、ダマスコのアラム軍を討ち(5,6節)、また、エドムを打ち負かしました(12節)。

 

 19章、20章にも、アンモン、アラムなどとの戦いに勝利したことが記されています。これは、ダビデの行く手から敵をことごとく断ち、地上の大いなる者に並ぶ名を与えると、主がダビデに約束されたとおりのことでした(17章8節参照)。

 

 そのようにして、周囲の敵を打ち破り、イスラエルの国に平和が訪れることにより、申命記12章10節以下に述べられている「主がその名を置くために選ばれる場所」(同11節)で主なる神を礼拝する施設、即ち神殿を建てる条件が整えられたわけです。

 

 ところで、私たちにも古い苦き根が残っていて、それが心を悩ませ、思わぬ結果を生み出すことがあります(ヘブライ書12章15節)。御言葉の光の中で心を点検し、主の御前に相応しくないものを取り除き、清めていただきましょう。

 

 私たちは、神の変わることのない生きた言葉によって、新たに生まれた者なのです(第一ペトロ書1章23節)。すべてのものを神の手に取り戻しましょう。主を信じ、主にすべてを委ねて従いましょう。

 

 主よ、私たちは、傷や汚れのない小羊のようなキリストの尊い血により、空しい生活から贖い出して頂きました。生まれたばかりの乳飲み子のように、混じり気のない霊の乳を慕い求めます。それによって成長し、いよいよ主の恵み深さを味わい知る者となるためです。 アーメン

 

 

「我らの民のため、我らの神の町々のため、雄々しく戦おう。主が良いと思われることを行ってくださるように。」 歴代誌上19章13節

 

 「あなたの行く手から敵をことごとく断つ」(17章8,10節)と言われた御言葉に従い、ダビデは四方の敵を屈服させて行きます(18章1節以下)。19章には、アンモン、アラム連合軍との戦いが記されます。これは、サムエル記下10章にも記されていた出来事でした。

 

 戦争のきっかけは、全く思いがけないことでした。アンモンの王ナハシュに恩義を受けたダビデが、その死に際して弔問の特使を派遣したことに端を発します。2節でダビデは「ハヌンの父ナハシュがわたしに忠実であったのだから、わたしもその子ハヌンに忠実であるべきだ」と言っています。

 

 アンモンとイスラエルの間に友好的な交流があったことは、知られていません。ダビデがサウルに命を狙われて南部の荒れ野に隠れていたころ、モアブの王に両親を託したことがあります(サムエル記上22章3,4節)。

 

 ユダヤに伝わる伝説に、モアブ王がダビデの家族を殺した時、兄弟の一人が難を逃れてアンモンに行き、ナハシュ王の保護を受けたという話があります。その恩顧に報いようとしての特使派遣だったのかも知れません。

 

 ところが、なぜかアンモンの高官たちは、ダビデの特使たちをスパイと決めつけます(3節)。そこで、ナハシュの子ハヌンはダビデの家臣を捕らえ、髭を剃り落とし、衣服を腰から下を切り落として辱め、追い返してしまいました(4節)。

 

 イスラエルが公式に派遣した使節に対して、そのようなことをすれば、それは相手を戦争に誘ったようなものでしょう。当然ダビデの怒りを買ったと考えたアンモン人は、すぐさま戦争の用意をします(6節)。近隣諸国に派兵を要求し、32000両の戦車を借りました(7節)。

 

 ということは、アンモンにとって、イスラエルは自力で戦って勝てる相手ではないということです。借りた戦車の数からして、アンモン人がイスラエルをどのくらい脅威に感じているかを知ることが出来ます。それならば、初めから戦争にならない工夫をしたほうがよかったのではないでしょうか。

 

 王の代替わりに乗じて敵が攻めて来るというのは、そのころ、当たり前になされていたのかも知れません。しかし、仮にスパイが送り込まれて来たのだとしても、そう考えて、弱みを見せずに戦いを避ける対処の仕方は様々あると思います。何より今は、王の死を悼んで喪に服しているときなのです。感情に任せて行動する愚かさが、そこに示されているようです。 

 

 アンモン人は町の入り口に陣取り、アラム連合軍は野に陣を敷いて、攻めて来るイスラエルを挟撃する作戦です(9節)。それに対抗して、イスラエル軍の司令官ヨアブは、精鋭を選んでアラム連合軍に向かわせ(10節)、残りを兄弟アビシャイに委ねて、アンモン人にあたるように、戦列を整えました(11節)。いよいよ戦闘開始です。

 

 両軍が出会い、いざ開戦というとき、イスラエル精鋭部隊に恐れをなしたのか、アラム連合軍は、早々と逃げ出してしまいました(14節)。不甲斐ないこと、この上ありません。かき集めた連合軍の悲しさでしょうか。あるいは、この戦いに勝ち目がないと、早々と見切りをつけたのでしょうか。

 

 それを見たアンモン人も、町に逃げ帰ります(15節)。町に閉じこもって籠城戦を選ばざるを得なかったわけです。それを見たヨアブは、町に攻め込むことなく、軍を引き、エルサレムに帰りました(15節)。

 

 しかしながら、実際に軍を率いて出陣し、戦いの備えは万全でした。相手が退却したから軍を引くというのは、言うほどたやすいものではないでしょう。むしろ、勢いに乗って攻め込むものではないでしょうか。

 

 なぜ、そうしなかったのか、理由が記されているわけではありませんが、もともと、これはイスラエルが始めた戦争ではありませんでした。特使が辱めを受けましたが、報復のために軍を組織したということをほのめかす記述はどこにもありません。

 

 むしろ、相手が戦争の準備を整え、死海の東、メデバに陣を張ったので(7節)、それに応じて全軍を出陣させたものの(8節)、相手が退却したので面目を保ったという感じです。また、ダビデが弔問のために派遣した特使は、決してスパイなどではないこと、イスラエルには、アンモンを侵略する意図などなかったということの、何よりの証明になります。

 

 そして、もう一つ大きな要素として、ヨアブの信仰があります。ヨアブは、アンモンとアラム連合軍との戦争に際して、兄弟アビシャイと互いに励まし合い、冒頭の言葉(13節)のとおり、「主が良いと思われることを行ってくださるように」という祈りをささげました。人事を尽くして天命を待つという姿勢です。

 

 決して、「勝利を私たちの手に」でも、「私たちにとって良いことをしてください」でもありません。自分たちが勝っても負けても、主が良いと思われることが行われるようにと、その結果を主に委ねているのです。逃げ出した敵をさんざんにやっつけて、自分たちの名を挙げようなどと考えてはいません。

 

 神がなさることが最善で、神は最善以下をなさらないと信じています。だから、神が敵の軍隊を退かせられたから、こちらも軍を引こう、無血、不戦の勝利を喜ぼうと考えることが出来たわけです。

 

 もしかすると、自分たちの感情は、それでは済ませられないと思われることでも、また自分たちの目にはよいと見えないことであっても、立ち現れてくるすべてのことを神の御心と信じ、受け止めようとするヨアブの信仰を、ここに見ることが出来ます。

 

 私たちも、主イエスを信頼してすべてを委ね、「主が良いと思われることをしてくださるように」と祈りながら、私たちと共にいてくださる主の導きに従って、力一杯歩ませていただきましょう。

 

 主よ、あなたに敵対し、罪の闇の内を歩んでいた私のために、御子キリストを遣わし、贖いの業を成し遂げ、救いの道を開いてくださいました。今も、御言葉により、私の歩むべき道を照らしていてくださいます。その導きに素直に従うことが出来ますように。あなたがよいと思われることを行ってください。主の祝福が常に豊かにありますように。 アーメン

 

 

「年が改まり、王たちが出陣する時期になった。ヨアブは軍隊を率いてアンモン人の地を荒らし、ラバに来てこれを包囲した。しかしダビデ自身はエルサレムにとどまっていた。ヨアブはラバを攻略し、破壊した。」 歴代誌上20章1節

 

 冒頭の言葉(1節)の中で、「王たちが出陣する時期」とは、戦争を行うのに相応しい時期ということです。パレスティナでは、寒さが去って次第に暖かくなる春先をいうようです。日本でも、戦国時代以前の戦は、農閑期に行われ、農繁期には停戦するのが常だったようです。しかしながら、戦争に相応しい時期などというものは、一日も早く世界中からなくなってほしいものです。

 

 ヨアブは再度アンモンに出陣しています。前回、無血の勝利を収めてエルサレムに帰ったのに(19章15節)、今度は何故出陣したのでしょうか。王たちが出陣する時期になって、好戦の虫が騒いだのでしょうか。やはり、はっきり勝敗をつけたくなったのでしょうか。弔問の特使が辱められたのに、何の報復もしなかったのを責められたのでしょうか。

 

 3節の「そこにいた人々を引き出し、のこぎり、鉄のつるはし、斧を持たせて働かせた」という言葉から、周囲を平定して主の神殿を建築する備えのため、労働力となる捕虜を集める目的で,この報復戦を戦ったのかも知れません。

 

 しかし、ダビデはこの戦いに共に出陣せず、エルサレムにとどまりました(1節)。ここでは、ダビデが出陣するまでもないと判断されたのでしょう。歴代誌はあっさり、ヨアブがすぐにもアンモンの首都ラバを攻略したと記していますが、サムエル記下11~12章を見ると、実際にはそんなに簡単なものではなかったようです。

 

 ダビデは、全軍を送り出した後、勇士ウリヤの妻と姦淫の罪を犯します(サム下11章3,4節)。「小人閑居して不善を為す」という言葉がありますが、誰もが「小人」であること、ダビデも例外でないことを示しています。「聖書は言う。義人なし、一人だになし」です(ローマ書3章10節参照)。

 

 その上、一度の交わりで相手の女性が懐妊したことを知ると、それを誤魔化すために策を弄し、それが不発に終わるとなると、ついには、その夫ウリヤを、アンモンとの戦いを利用して、殺してしまいます(サム下11章6節以下、16,17節)。

 

 もしもアンモンとの戦争がなく、全軍が出陣していなければ、これらの罪を犯すことがなかったことでしょう。王が姦淫の罪を犯すために戦争を始めたはずはないと思いますが、現に罪に誘われてしまいました。そして、姦淫の罪を隠すために、戦争が利用され、夫が戦死させられました。

 

 この戦争で戦死した者たちが、そこに隠されていた意味を知れば、どんなに無念でしょうか。王を恨み、祟りたい思いになるのではないでしょうか。戦争の真実というものは、案外そういうものなのかも知れません。その愚かさが、ここに描き出されているように思います。

 

 勿論、ダビデの罪は不問に付されるようなことではありません。預言者ナタンが、ダビデの罪を糾弾し(サム下12章1節以下)、それを認めたダビデに対し、罪の赦しが宣言されますが、姦淫の罪によって身籠もり、誕生した子どもは、ダビデの罪を背負って死なねばなりませんでした(同12章13,14節)。

 

 子どもの死を見ることは、親として、自分のことよりも辛いことでしょう。しかも、自分の罪を子が背負うとは、なんと悲しく辛い罰でしょうか。つまり、自分の罪を隠すために人の命を奪ったダビデが、罪のない自分の子どもの命をもって贖われたわけです。

 

 そうして、神はダビデをお見捨てにはなりません。愚かな罪を犯したダビデですが、なお神に愛され、神に用いられるのです。それは、自分の罪が示されたときに、それを認め、悔い改める者であったからです。神の御言葉に従う者であったからです。

 

 サムエル記下12章24節以下には、バト・シェバが二人目の子ソロモン(シェロモー)を産んだという記事があります。罪赦された者に与えられた恵みといってよいでしょう。そして、この平和(シャローム)という名を与えられた子が、主の神殿を建築するのです。

 

 イエス・キリストは、神の御子であられますが、ダビデの子孫としてこの世にお生まれくださいました。主イエスご自身、何一つ罪を犯されませんでしたが、全人類の罪を背負い、十字架に死なれ、その死の代価のゆえに、私たちは罪赦され、神の子として生きることが許されています。ダビデの罪を背負って死んだ子どもは、主イエスの十字架を予め世に示していたわけです。

 

 サムエル記との比較において、冒頭の「ダビデ自身はエルサレムにとどまっていた」 という言葉と、「ヨアブはラバを攻略し、破壊した」という言葉の間には、ダビデとバト・シェバの事件、そしてソロモンの誕生という出来事があったことから、少なくとも2年という時間が経過していることになります。

 

 それだけ大変な戦いだったわけで、であれば、ダビデが出陣するまでもなく、エルサレムに留まっていてもよいという公算が外れた、見積もりが甘かったということになりそうです。

 

 また、3節と4節の間には、アムノンとタマル、アブサロムの事件がありました。ダビデが絶体絶命の危機に陥ることになりましたが、主がダビデの側に加担され、謀反を起こしたアブサロムは討たれてしまいます。

 

 もしもアブサロムがダビデを討ち取ることに成功していれば、ソロモンによる主の神殿建築はあり得なかったでしょう。そうならなかったので、ダビデが周囲を平定し、神殿を建築する準備を進め、その子ソロモンがそれを完成させることが出来たのです。

 

 4節に「その後、ゲゼルでペリシテ人との戦いが起こった。このときは、フシャ人シベカイがレファイムの子孫の一人シバイを打ち殺し、彼らは服従することになった」とあり、これは、恐らくダビデの晩年で、前線に立つことが難しくなっていたようです。それでも、主は勝利を賜り、打ち負かされた人々が「服従することになった」と言われます。

 

 ここで「服従する」(カーナー)という言葉が、17章10節の「わたしの民イスラエルの上に士師を立てたころからの敵をわたしはことごとく屈服させる。わたしはあなたに告げる。主が、あなたのために家を建てる」という言葉の「屈服させる」、また18章1節で「ダビデはペリシテ人を討って屈服させ」というところに用いられています。

 

 17章10節の「(周辺の敵を)屈服させる」という約束が、18章1節と20章4節の「カーナー」を枠として、その約束どおり周辺諸国を屈服させたと、実現していく様を18~20章にまとめて記しているわけです。

 

 申命記12章1節以下に、「礼拝の場所」という小見出しの付けられた段落があります。そこでは、異教の偶像を取り去り、「主がその名を置くために全部族の中から選ばれる場所、すなわち主の住まい」(同5節)で礼拝するようにと言われます。

 

 そして同10節以下「ヨルダン川を渡り、あなたたちの神、主が受け継がせられる土地に住み、周囲の敵から守られ、安らかに住むようになったならば、あなたたちの神、主がその名を置くために選ばれる場所に、わたしの命じるすべてのもの」、即ち種々の献げ物を携えて行きなさいと命じられます。

 

 「主がその名を置くために選ばれる場所、すなわち主の住まい」に行くのは、主が受け継がせられる土地に住んで、周囲の敵から守られ、安らかに住むようになったときということですから、ダビデが周囲の敵を屈服させ、平安な日々を獲得することが、神殿建築を行うための必要条件だったわけです。

 

 どんな理由であれ戦争を正当化することは出来ませんが、私たちが主を礼拝するために、主の礼拝に相応しくないものを排除すること、そして、主にある平和、平安の中で礼拝を行うべきだということです。偶像礼拝や占い、呪いなどの主に忌み嫌われるものをはじめ、主を悲しませる生活を離れること、生活が清められること、主を喜ばせる生活を求めていきましょう。

 

 そのためにまず、自分の罪深さを認め、主の十字架を仰ぐ者でありたいと思います。

 

 主よ、あなたの深い御愛に感謝致します。御子の命の代価によって罪赦され、永遠の命に与り、神の子としていただきました。聖霊の力を受け、御子キリストの証人としての使命が委ねられています。常に十字架を仰ぎ、聖霊に満たされ、主の御業に励みます。実を豊かに結ぶことが出来ますように。御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「ダビデは神に言った。『民を数えることを命じたのはわたしではありませんか。罪を犯し、悪を行ったのはこのわたしです。この羊の群れが何をしたのでしょうか。わたしの神、主よ、どうか御手がわたしとわたしの父の家に下りますように。あなたの民を災難に遭わせないでください。』」 歴代誌上21章17節

 

 ダビデがサタンに唆されて、イスラエルの人口調査をします(1節)。旧約聖書には、ここ以外に二度、サタンが登場して来ます。それは、ゼカリヤ書3章1,2節と、ヨブ記1,2章です。そこでは、サタンは神に対して、人の罪を告発する者として振る舞っています。ヨブ記では、その上で、ヨブを苦しめる役割を果たしていますが、それは、神に範囲を限定して許可されたものでした。

 

 ダビデがイスラエルの人口調査をするというのは、サムエル記下24章にも記されていますが、そこでは、主の怒りがイスラエルに対して燃え上がり、ダビデに人口調査をするように誘われたと記されています(同1節)。そこには、主の怒りの原因は記されていません。

 

 そして、ダビデの人口調査は断罪され(同10節以下)、処罰されることになります(同15節以下)。歴代誌の著者は、神の怒りを執行する役割をサタンに担わせているわけです。

 

 人口調査は、敵に当ることの出来る兵士の数を確認するためのもので、王として把握しておきたいと考えたのでしょう。それ自体が悪いこととは思われません。民数記1章では、神がモーセとアロンに命じて、兵役につくことの出来る20歳以上の男性を数えさせ、登録するようにされました。

 

 ここで、人口調査がサタンによる誘惑とされているのは、ダビデが専心、主なる神に依り頼むよりも、兵の数に代表される武力、軍事力をもって、安心しようとしているところをあぶり出しているからでしょう。ダビデは、自分が王とされたのは、神の恵みにほかならないことを知っていたはずですが、どこかで、自分の王としての力を確認しようと考えていたのかも知れません。

 

 それに対して、神は激しい憤りを示され、疫病によって瞬く間に7万人を討たれました(14節)。数えられたのがイスラエル110万、ユダ47万の計157万でしたが、神の前にその数は全く問題にはならず、もしも途中で御使いを止められなかったら(15節)、討たれた人の数がどこまでも膨れ上がっていたことでしょう。

 

 ダビデは、抜き身の剣を持つ御使いの姿を見ました(16節)。既に自分の罪を示されていたダビデですが(7,8節)、そこに、神の憤りの激しさをはっきりと知らされました。さらに、その裁きが自分ではなく、自分に託されている国民に及んでいることに、改めて王としての責任を痛感します。

 

 ダビデは冒頭の言葉(17節)で「罪を犯し、悪を行ったのはこのわたしです。この羊の群れが何をしたのでしょうか」と神に訴えました。彼は国民を「この羊の群れ」と呼びました。「この羊の群れ」の真の羊飼いは主なる神で、イスラエルの王は、真の羊飼いなる神から、この羊の群れの世話を委ねられた者です。

 

 真の羊飼いは、百匹のうち一匹が失われてもそれに気づき、探し求められるお方であり(ルカ福音書15章4節以下)、羊のためにはおのが命を捨てられるよいお方です(ヨハネ福音書10章11節)。ダビデがこの羊の群れの数を数えた動機は、羊飼いのそれではありませんでした。ダビデはおのが愚かさ、罪深さに気づき、いよいよ熱心に神に祈りました。

 

 神は、ダビデの罪のゆえに滅ぼされそうになっているイスラエルを憐れみ、エブス人オルナンの麦打ち場に立っていた御使いに、「もう十分だ。その手を下ろせ」(15節)と言われました。それは、ダビデの言葉(17節)を聞かれる前のことです。

 

 その後、主の御使いは「ダビデはエブス人オルナンの麦打ち場に上り、主のための祭壇を築かなければならない」(18節)とダビデに伝えるよう、先見者(預言者)ガドに告げました。そしてダビデは、ガドに告げられた主の御言葉に従って祭壇を築き、いけにえをささげましたました(19,26節)。

 

 御使いの手が神の憐れみによって止められた場所、ダビデが促されて祭壇を築き、御前にいけにえを捧げた場所を、「神なる主の神殿はここにこそあるべきだ。イスラエルのために焼き尽くす献げ物をささげる祭壇は、ここにこそあるべきだ」(22章1節)として、神殿を建築する地として定めます。神殿が建てられた地は、エルサレムのモリヤ山です(歴代誌下3章1節)。

 

 モリヤ山といえば、かつて、アブラハムが愛息のイサクを焼き尽くす献げ物としてささげようとした場所です(創世記22章2節)。神は、イサクの代わりに雄羊をいけにえとしてささげるようにされました(同13節)。アブラハムは、その場所を、「ヤーウェ・イルエ」(主は見ておられる)と名付けました(同14節)。

 

 私たちにとってその地は、イスラエルの七万の民の命にもまさる神の御子、主イエスが犠牲となられた十字架の立てられたシオンの山です。主イエスの血の代価により、私たちは罪赦され、神の子とされ、永遠の命に与りました(ローマ5章6節以下、第一コリント6章20節、エフェソ2章4節以下、第一ヨハネ3章1節、5章11,13節など)。

 

 そして、私たちは主の十字架の贖いによって召し集められた「キリストの体」(=教会)であり(第一コリント12章27節、コロサイ書1章18,20節)、さらに、私たちは神の神殿とされ、神の霊が私たちの内に住んでおられます(第一コリント3章16節、6章19節、エフェソ2章20,21節、3章17節)。

 

 憐れみの主に向かい、常に霊と真実をもって、神に礼拝を捧げましょう。

 

 主よ、罪に死んでいたものを憐れみによって救い、御子の血をもって贖い、御自分のものとしてくださったこと、さらに、私たちを神の宮として御霊においてその内に宿り、神の御愛を注いでくださることを、心から感謝致します。御言葉と御霊によって私たちを清め、御業のために整え、用いてください。御名が崇められますように。御心が行われますように。 アーメン

 

 

「わたしの子よ、今こそ主が共にいてくださり、あなたについて告げられたとおり、あなたの神、主の神殿の建築を成し遂げることができるように。賢明に判断し識別する力を主があなたに与え、イスラエルの統治を託してくださり、あなたの神、主の律法を守らせてくださるように。」 歴代誌上22章11,12節

 

 ダビデは、オルナンの麦打ち場に主の神殿、焼き尽くす献げ物をささげる祭壇を設置することを定めました(1節)。それは、イスラエルを襲っている災いのために主の祭壇を築いて献げ物をささげ、主に祈り求めたとき、主は天からの火を送ってそれに答え、罪会に命じて剣をさやに納めるようにされたからです(21章26,27節)。

 

 ダビデは神殿造営の準備を始め、その子ソロモンを呼んで、主のために神殿を築くことを命じます(6節以下)。そして13節で「あなたは、主がイスラエルのために、モーセにお授けになった掟と法を行うように心がけるなら、そのとき成し遂げることができる。勇気をもて。雄々しくあれ。恐れてはならない。おじけてはならない」と励ましています。

 

 既にダビデのもとで、国の四方は平定されました(18節、18~20章)。神殿建築については、まず国内の寄留民を集めて、彼らを神殿造営に必要な採石労働者に任じました(2節)。また、多くの職人、石工や大工、あらゆる分野の達人たちを集めました(15節)。

 

 鉄や青銅、レバノン杉といった建築資材も大量に準備しました(3,4,14,16節)。あとは、着工しさえすれば、必ず完成出来るというところまで来ているといってもよいでしょう。

 

 そんな状況でダビデは何故、「勇気をもて。雄々しくあれ。恐れてはならない。おじけてはならない」とソロモンを励ましたのでしょうか。ソロモンは、何かを恐れていたのでしょうか。何故、勇気をもてと言わなければならないのでしょうか。

 

 申命記31章6節に「強く、また雄々しくあれ。恐れてはならない」と言われ(同7,8,23節も)、同様にヨシュア記1章6,7節にも「強く、雄々しくあれ」と告げられています。それは、主が共におられることを信頼し、主の命じられた律法をすべて忠実に守ることへの励ましでした。  

 

 神殿は、ただの建築物ではありません。設計図どおりに建てさえすれば、それで神殿が完成するわけではありません。そこは、主なる神を礼拝する場所です。主が臨まれる聖なる場所です。主が臨在され、礼拝が行われてこその神殿です。当然、建てる者の信仰が問われます。そして、礼拝を行う者の信仰が問われ続けます。

 

 ソロモンがイスラエルの次代の王として、自ら主のために神殿を建築する者であり、主を礼拝する者であり続けることが出来るのか、そして、主に託された国民の礼拝を指導し続けることが出来るのかと問われるのです。

 

 ダビデはその責任の重さ、大変さを思って、しかし、そこに王として立てられる光栄を思って、主の律法を守り(12節)、掟と法を行うよう心がけることを、勇気をもて、恐れてはならないといって励ましているわけです(13節)。

 

 真に主を畏れ、主の御言葉に従うとき、恐れは除かれ、平安が心に満たされるでしょう。示されたことを行うために、勇気も与えられるでしょう。だから、そのように心がけるなら、「そのとき成し遂げることができる」(13節)と約束されているわけです。

 

 この励ましを与えるにあたり、冒頭の言葉(11節)の通り、ダビデは「主が共にいてくださるように」と祈ります。この祈りの言葉が16節にもあって、この神殿建築が成し遂げられるのは、主が共にいてくださること、主が味方してくださることによるとダビデが考えていることを示しています。

 

 つまり、どんなに周到な準備をしても、どんなに知恵を懲らして熱心によい仕事をしても、それで神様のための仕事になるわけではない、一方、どんなに困難な仕事でも、主が共にいてくだされば、成し遂げることが出来るというダビデの信仰が、ここにあります。

 

 詩編127編には、「ソロモンの詩」という表題がつけられていますが、その1節に、「主御自身が建ててくださるのでなければ、家を建てる人の労苦はむなしい」という言葉があります。「家」は、ここでは神殿を指していると考えられます。父ダビデの信仰を受けて、その子ソロモンがこのように詠っているといってよいのでしょう。

 

 ということは、神殿を建てるために最も必要な備えは、建築資材や労働者、技術者たちなどではなく、この建築に主が共にいてくださるか、主御自身が建ててくださる働きであるかどうか、神の御心を問うということです。神殿を建てたいと願ったダビデの思いは退けられましたが(7,8節)、その子ソロモンが神殿を築き、王座が堅く据えられるという約束を頂きます(10節)。

 

 その約束が実現されるために、繰り返し祈りをささげ、そしてソロモンに、主の掟と法を行うよう心がけること、主を畏れ、信仰をもってことにあたるように勧めたのです。

 

 「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」(使徒言行録3章6節)という御言葉があります。私たちを信仰によって立たせ、歩ませるのは金や銀ではなく、主イエス・キリストなのです。絶えず主を仰ぎ、御言葉に従って歩みましょう。

 

 主よ、あなたは私たちの良い羊飼いであり、常に緑の牧場、憩いの汀に伴って、私たちのために必要のすべてを満たしてくださることを感謝いたします。あなたが私たちと共におられるので、死の谷を歩むときも災いを恐れず、進むことが出来ます。罪と死の力を打ち破り、今も生きておられる主を常に仰ぎ、その導きに従います。御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「ダビデは言った。『イスラエルの神、主はその民に安らぎを与え、とこしえにエルサレムにお住まいになる。レビ人はもはや幕屋とその奉仕に用いるすべての祭具を担ぐ必要がない。』」 歴代誌上23章25,26節

 

 23章には、「レビ人の任務」について記されています。レビ人は、モーセが民の指導者として立てられるまで、ヤコブによって呪われているような存在でした(創世記49章5節以下)。

 

 というのは、ヤコブ一族がパダン・アラムのラバンのもとから故郷に戻って来て(同31章17節以下)、シケムに宿営していたとき(同33章18,19節)、妹ディナがシケムの首長ハモルの息子に辱められたことを憤り、シメオンとレビが、シケムの町の男たちをことごとく欺いて殺し、町中を略奪したため、その地の人々から憎まれることになったからです(同34章)。

 

 そのレビの子孫から、神はモーセを選び、彼の兄アロンとその子らを祭司とされ(出エジプト28章1節)、レビの一族には、神の幕屋で神に仕える仕事を与えられることになりました(民数記1章49節以下)。嗣業の地は受けませんが、神の嗣業を受けることになったのです(同18章20節以下)。さながら、呪いが祝福に、マイナスがプラスに変えられたという出来事です。

 

 老齢になって、王位をその子ソロモンに譲ったダビデは(1節、列王記上1章参照)、イスラエルの全高官と共に祭司、レビ人を呼び集め(2節)、神殿での務めを指揮する者、役人と裁判官(4節)、門衛、楽器を奏で、主を賛美する者としました(5節)。また、レビ人を組み分けしました(6節以下)。こうした振る舞いを見ると、そのときダビデは、大祭司としての役割を果たしているようです。

 

 そしてダビデは、冒頭の言葉(25節)のとおり「イスラエルの神、主はその民に安らぎを与え、とこしえにエルサレムにお住まいになる」と告げました。荒れ野の旅が終わり、約束の地カナンを征服し、その四方を平定して、平和を得たからです(18~20章)。平和の裡に神殿を建てることが出来れば、「幕屋とその奉仕に用いるすべての祭具を持ち運ぶ必要がない」(26節)ようになるわけです。

 

 これから、ダビデの子ソロモンによる神殿建築が始まります。主の神殿が完成すれば、イスラエルの民と共に荒れ野を旅し、民のうちに住まわれるための神の幕屋は、完全に用済みになります(出エジプト記25章8節、29章45,46節参照)。そうなれば、レビの子らは幕屋や祭具の運搬の仕事から解かれ、もっぱら神殿で神に仕える奉仕に携わることになります。

 

 レビ人として数えられた30歳以上の男子は、3万8千人と報告されています(3節)。民数記で、生後1ヶ月以上のレビ人の総数は、2万2千人でした(民数記3章39節)。その中で、幕屋の仕事に当たることの出来るのは30歳から50歳までの者で、登録された総数は、8,580人でした(同4章48節)。

 

 それがここで、3万8千人と報告されているのは、神の祝福によってその数を増すことが出来たという以外に、納得のいく説明はないでしょう。

 

 なお、24節には「神殿の奉仕を職務とする二十歳以上の者」とあり(27節も)、3節と矛盾しています。初めは30歳以上で職務につけたけれども、その数が足りなくなって、職務につく年齢が下がって来たというのが、その実態でしょう。それが、歴代誌が記されたバビロン捕囚後の状況なのだろうと考えられます。

 

 ただ、その時のレビ人の数は341人(エズラ記2章40節以下)、神殿の使用人及びソロモンの使用人の一族を合わせて392人(同58節)、それに、祭司4289人を合わせても、5千人余です。だとすると、3万8千人というのは、かなり誇張された数と言わざるを得ません。

 

 そのうち、2万4千人が神殿の務めというのは、祭司が24の組に分けられましたから(24章1節以下、18節)、祭司に仕えるレビ人が、各組1千人ずつ配置されるということでしょう。

 

 特に、楽器を奏でて主を賛美する者が4千人います。彼らは、その他の務めに当たりません。レビ人の十人に一人以上の者が賛美をする者であるというのは、この務めがどれほど大切なものであるかということを、明示しています(6章16節以下、9章33節参照)。

 

 ダビデは、神殿が建て上げられる前からレビ人たちがそのために心備えし、よい務めが出来るように準備をしたのです。ここから既に、神を礼拝する行為が始められているのを見ることが出来ます。

 

 繰り返し教えられているように、今日、私たちは神を探す必要はありません。神殿を探さなくてもよいのです。私たちが神の神殿、聖霊を宿す神の宮だからです(第一コリント3章16節、6章19節)。聖霊は、私たちの心にお住まいくださっています。

 

 私たちと共におられる主に心を向けさえすれば、私たちが、心の内におられる聖霊に耳を傾ければ、主は語ってくださるのです。導いてくださるのです。主の御用に用いてくださるのです。

 

 自分が何者であるかは問題ではありません。神がお住まいくださっているかどうか、その導きに従っているかどうかです(ローマ書8章14,15節)。主の御名によって立ち、信仰によって歩むとき、無学の普通の人が誰にも出来ない業をするのです(使徒言行録4~5章)。最高議会のメンバーに脅されても、大胆に証しの業を行うのです。

 

 今日も恵みと平安の源なる主を仰ぎ、聖霊の力を受けて、世の光、地の塩として、それぞれの仕方で主を証ししましょう。

 

 主よ、どうぞ私たちを聖霊で満たしてください。御言葉と御霊によって導いてください。そして、主の御業のため用いてください。御心を行うために必要な知恵と力を、聖霊を通して授けてください。主の証人として整えて頂くことが出来ますように。そうして、主の御名が崇められますように。御心が行われますように。 アーメン!

  

 

「エルアザルの子らにもイタマルの子らにも聖所の長と神の長がいたので、彼らはくじによって組に分けられた。」 歴代誌上24章5節

 

 24章には、「祭司の組織」についての記述がありいます。モーセの兄アロンが神の民イスラエル最初の祭司となり(出エジプト記28章1節)、その子らが代々祭司職を担って来ました。祭司の主な務めは、神の御前にいけにえを捧げ、またイスラエルの民に契約の律法を教えることです。

 

 彼らは任職の時、右手、右足の親指と右の耳たぶに雄羊の血が塗られました(出エジプト記29章20節以下)。それは清め、聖別のしるしですが、彼らが耳で聴くことと手をもって行うこと、足で立ち、歩むことにおいて、神に用いられることを示しています。そして、その奉仕を行うために、贖いの血が必要だったのです。

 

 パウロが、「神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい」(ローマ書12章1節)と語っています。私たちの献身は、神の憐れみのゆえに、神の憐れみに支えられて初めて成り立つのです。

 

 アロンの子らのうち、ナダブとアビフは規定違反の炭火を主にささげて、自ら死を招いてしまいました(2節、レビ記10章1~3節)。残ったエルアザルとイタマルの子らが24の組に分かれて聖所の務めを果たします(4,7~18節)。

 

 冒頭の言葉(5節)に「エルアザルの子らにもイタマルの子らにも聖所の長と神の長がいた」と記されています。これは、祭司長のことを言っているのだと思われます(岩波訳の注参照)。

 

 祭司長には、聖所の長と神の長という区別があったのでしょうか。この区別がどのようなものなのか、よく分かりません。新改訳聖書では「聖所の組のつかさたち、神の組のつかさたち」と訳されており、祭司たちが大きく二つに組分けされていたように考えられています。

 

 ただ、「聖所の長」という訳に関して、「コーデシュ(聖、聖別したもの、聖所)」には定冠詞がないので、「聖なる支配者、聖なる役人」と訳すべきだという説があります。また、「神の長」も、「エロヒーム(神、神々)」を最上級の表現として用いる例で、「卓越した指導者」と訳すべきかもしれないというのです。

 

 それに従えば、祭司に特定の称号や組があったのではなく、祭司長を一般的に説明した表現と考えられ、二つは実質同格に置かれていることになります。つまり、「聖所の長と神の長」を「聖なる役人、即ち、卓越した指導者」と読むわけです。そうすると、エルアザルとイタマル、いずれの子らにも、祭司長となる人物がいたということになります。

 

 3節に「エルアザルの子らの一人ツァドクとイタマルの子らの一人アヒメレク」とあり、ツァドクもアヒメレクも、ダビデに深い関わりのある祭司長でした(18章16節参照、ただし、アヒメレクをアビメレクと誤記)。彼らが、その子らを任じられている奉仕に従って組み分けするときに、ダビデを助けたわけです。

 

 その組み分けについて、しかし、冒頭の言葉では、くじによってなされたと言います。自分の得手不得手、好き嫌い、主義、信条、あるいはまた、技能の習熟度などによって分けられたわけではありません。

 

 彼らは、くじ引きによる組分けを、偶然の所存などと考えているのではなく、そこに人間の作為が入らない神の御心を感じていたのだと思います。そして、くじで分けられた務めを、神の使命として受け止めたのです。

 

 「くじ運がいいとか悪いとか」というようなことがあるかも知れません。しかしながら、神のために聖別された者が、くじによる組み分けで神がお与えになる務めを、どこまで従順に、感謝と喜びをもって果たすかということで、まさしくそこにおいて、献身の質が問われているということが出来ます。あるいは、神を畏れる信仰といってもよいでしょう。

 

 主イエスが、「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである」(ヨハネ福音書15章16節)と言われました。

 

 私たちは一人残らず、主イエスによって選ばれ、実を結ぶようにそれぞれに使命が与えられているのです。そのために主イエスから任命を受けました。私たちの使命は、主イエスの御心のままに定められているのです。ですから、使命を遂行するのに必要な知恵や力は、主イエスが与えてくださいます。

 

 御子イエスの血の代価によって私たちを贖い、ご自分のものとして選び立ててくださった主なる神を信じましょう。日々、御言葉を通して語りかけられる主の御声に耳を傾けましょう。主の恵みと導きに感謝し、心から主をほめ讃えましょう。主との親密な交わりがあるからこそ、その御言葉に従う力や知恵が与えられるのです。

 

 主よ、どうか私たちの耳を開いてください。御声を清かに聴かせてください。私たちの心を清め、手と足を清めてください。主の御業を見ることが出来ますように。知恵も力も全く足りない者ですが、聖霊に満たし、主の御業のために用いてください。この地にも主の御心が行われますように。御国が来ますように。そうして、御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「ダビデと将軍たちはアサフ、ヘマン、エドトンの子らを選び分けて、奉仕の務めに就かせた。彼らは竪琴、琴、シンバルを奏でながら預言した。」 歴代誌上25章1節

 

 歴代誌の著者は、これまで何度も詠唱者について取り上げています(6章、9章、23章)。それは、主を礼拝すること、礼拝において主を賛美する務めがいかに重要かと考えている証拠でしょう。

 

 昼も夜も楽器を奏で、賛美の歌声を絶えず神殿に響かせるため、多くの音楽奉仕者が選ばれていました。23章5節に、楽器を奏で、主を賛美する者の数は、4千人と記されています。

 

 それが、7節には「主に向かって歌をうたうための訓練を受け、御名が熟練した者であったその兄弟たちも含め、彼らの数は二百八十八人であった」とされます。これは、12人ずつ24組に分けられた者たちの総数ということです。

 

 違いをどう理解したらよいのか分かりませんが、あるいは、23章はダビデ時代の、そして7節は歴代誌が記された当時(バビロン捕囚後)の詠唱者の数なのかも知れません。

 

 いずれにせよ、ここでは24章の祭司の組に合うように、詠唱者の組み分けも行われたというわけです。くじで分けたことについて、8節に「年少者も年長者も、熟練した者も初心者も区別なく」と言われています。

 

 そして、賛美は神に捧げられるものですから、最高の演奏、最高の音楽だったことでしょう。私たちも、不平不満、つぶやきといった雑音や不協和音などではなく、賛美のいけにえ、神の御名をたたえる唇の実を絶えず神にささげたいと思います(ヘブライ書13章25節)。そのためには、聖霊に満たされることだと、パウロは教えています(エフェソ書5章18~20節)。

 

 主は「聖所にいまし、イスラエルの賛美を受ける方」であると、詩編22編4節にありますが、口語訳では「イスラエルのさんびの上に座しておられる」と記し、新改訳は「賛美を住まいとされる」と訳しています。主なる神は、賛美のあるところに臨在されるということです。だから、聖霊に満たされると賛美に導かれるわけです。

 

 特に、今日の箇所には興味深い言葉があります。それは冒頭の言葉(1節)で「アサフ、ヘマン、エドトンの子らを選び分けて、奉仕の務めに就かせた。竪琴、琴、シンバルを奏でながら預言した」と記されています。アサフたちは楽器を奏でながら賛美した、歌ったというのではなく、「預言した」というのです。これは、どういうことでしょうか。

 

 主の霊が激しく下ると、預言する状態になると言われます(民数記11章25節、サムエル記上10章10節、19章23節、ヨエル書3章1節)。使徒言行録には、人の上に聖霊が降り、彼らが霊の語らせるままに語り出すという現象について、何度も報告されています(2章4節、4章31節、6章10節、10章44~46節、19章6節)。

 

 また、パウロは、聖霊から授けられる賜物(カリスマ)として、知恵の言葉や知識の言葉、預言する力、種々の異言を語る力、異言を解釈する力など、言葉に関する霊的な賜物をいくつも挙げており(第一コリント書12章4節以下)、特に、預言するための賜物を熱心に求めなさいと勧めています(同14章1節)。

 

 預言とは、文字通り、言葉を預かることで、神から御言葉を預かり、それを神の御言葉として人々に語り伝えることです。その意味で、これからのことを言い当てるという「予言」とは異なります。主の霊が下ると、異言を語ったり預言をしたりするということは、聖霊の働きで神の御言葉を聴きとることが出来、また、それを語り伝える力が与えられるということです。

 

 預言者たちが音楽を用いていた例が、サムエル記上10章5節の「琴、太鼓、笛、竪琴を持った人々を先頭にして、聖なる高台から下って来る預言者の一団」、また、列王記下3章15,16節の「楽を奏する者が演奏をすると、主の御手がエリシャに臨み、彼は言った。『主はこう言われる。「この涸れ谷に次々と堀を造りなさい』」というところなどに示されています。 

 

 つまり、アサフ、ヘマン、エドトンの子らが賛美を通して聖霊に満たされた結果、彼らに神の御言葉が預けられた。また、彼らの賛美が、聞く者に神の真理を教えるメッセージ、預言としてとして受けとめられたということでしょう。3節の「竪琴を奏でながら預言して主に感謝し、賛美をささげた父エドトンの指示に彼らは従った」というのは、そのことを言っているわけです。

 

 詩編に、アサフの詩や(50,73~83編)、ヘマン(88編)、エドトンの詩があり(39編)、またエドトンの曲もあったようです(62,77編)。楽器に合わせて賛美された詩が、聞いた者の心に深く留められた証拠でしょう。

 

 賛美と神の御言葉、いずれも礼拝に欠かせない大切な要素です。礼拝で牧師が語る説教と同様に、奏楽者や聖歌隊、そして会衆の歌う賛美がいかに大切かということになります。ということは、音楽の奉仕にあたる人々が聖霊に満たされて、その務めを果たすことが出来るように祈ることが、礼拝が整えられるために、とても重要だということです。

 

 だからこそ、「礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない」と言われているわけです(ヨハネ福音書4章24節)。絶えず聖霊に満たされて、主を仰ぎましょう。御言葉に耳を傾け、導きを求めましょう。恵みに与って、心から主を讃えましょう。

 

 主よ、どうか私たちを日々聖霊に満たし、心から主をほめ讃えさせてください。約束どおり、主が私たちを聖霊に満たしてくださると信じて感謝します。礼拝が整えられ、主の求められるまことの礼拝者たちが、霊と真理をもって礼拝するときが来ますように。そうして、御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「門衛の組分けについて。コラの一族ではアサフの子らの一人、コレの子メシェレムヤ。」 歴代誌上26章1節

 

 22章に神殿造営の準備が語られ、23章以下にはレビ人の任務や組分けなどが記されていました。ダビデが晩年になしたことは、主の神殿建設をソロモンに命じ、材料をそろえるなど、建設のための準備をすることでした。それは、イスラエルにとって、神を礼拝することが最も大切なことであるというダビデの信仰と,それを民に再認識させたい歴代誌の意図を表しています。

 

 礼拝は、英語で「ワーシップ worship」と言います。これは、価値(worth)があるという言葉の仲間で、尊敬とか崇拝という意味です。平たくいえば、神の価値を認めるということでしょう。神の価値を認めるということは、神に対して相応しい敬意を払うということです。つまり、ワーシップという言葉に表わされた「礼拝」とは、神に敬意を払うこと、神を崇めることです。

 

 また、礼拝を表すのに、「サービス service」という言葉もあります。東海地方を中心に喫茶店での廉価な朝食セット(例えば、ホットコーヒーにトースト、卵焼きなどがおまけでついている)をモーニング・サービスと言いますが、これは和製英語で、本来の英語は、キリスト教における朝の礼拝のことをそう言います。

 

 礼拝は、私たちが神のサービスを受けるというものではありません。神に対して、私たちが奉仕をするのです。また、神に仕えるように隣人に仕えるのです。その意味で、礼拝において自分の満足を求めるのではなく、神が喜ばれるようにする、また、他者を喜ばせようとする、それが、サービスという言葉に表わされた礼拝です。

 

 そのような礼拝の務めを担う代表者が祭司です。祭司とは、文字どおり、祭(神にいけにえを捧げる行為)を司る者です。そして、祭司を補佐する役割のレビ人がいます。彼らは様々な奉仕をします。冒頭の言葉(1節)には、「門衛」が登場します。この門衛は、神殿の門番です。門番の務めは、神殿の警護です。相応しくない者を中に入れない、神殿を守るという役割です。

 

 4~8節にオベド・エドムの子らが紹介されています。13章13節に「ガト人オベド・エドム」と記されていました。ガト人とは、ペリシテに属する町の出身者ということです。彼らは、 神の箱を預かって、主の祝福に与りました(13章14節)。だからといって、外国人をレビ人として、詠唱者、門衛に取り立てるということにはならないでしょう。

 

 別人ながら、オベド・エドムという名のゆえに、ここに取り上げられているのかも知れません。ただし、15、16章では、オベド・エドムは詠唱者としてそこに名を連ねていましたが(15章18,21,24節、16章5,38節)、25章の詠唱者のリストにはその名がありませんでした。どこかの段階で、詠唱者からはずされた(降格?)のでしょうか。

 

 オベド・エドムは、16章38節によればメラリの子孫エドトン(6章29節ではエタン)の子とされています。エドトン(エタン)は詠唱者の長の一人ですから(6章29節、15章17,19節、16章41,42節、25章1,3節)、オベド・エドムが詠唱者からはずされ、門衛とされた理由は不明です。

 

 エドトンの子とされているオベド・エドムですが、メラリの子は10節以下に記されていますし、1~3節と9節はコラの子メシェレムヤについて記しています。つまり、4~8節のオベド・エドムの系図は、なぜかコラの子の系図の中に割り込んでいる形です。その理由も説明できません。

 

 ただ、オベド・エドムの家は神の祝福を受けたので(5節)、コラの家系の者(18人:9節)やメラリの他の家系の者(13人:11節)よりも、多くの子らを持つようになっています(62人:8節、なお16章38節では68人)。

 

 今日、私たち自身が神の神殿、聖霊の宮であると言われています(第一コリント3章16節、6章19節)。私たち自身が神殿、聖霊の宮であるということは、聖霊が神として私たちの心に宿っておられるということです。それ以外のものが私たちの内側、心を満たすことがないように、守らなければなりません。

 

 エフェソ書5章18,19節に「酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ち崩すもとです。むしろ霊に満たされ、詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい」と言われています。酒に酔うことではなく、常に聖霊を心にお迎えしましょう。祈り求めれば、聖霊をくださると、主イエスが約束してくださいました(ルカ11章13節)。

 

 聖霊は、私たちを信仰に導いてくださった方です。聖霊によらなければ、イエスを主と告白できなかったのです(第一コリント12章3節)。そのことを認め、聖霊に感謝と賛美をお献げしましょう。

 

 また、主イエスが「わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」と仰っています(ヨハネ7章38節)。生きた水の川とは、主イエスを信じる者が受けようとしている聖霊のことと説明されています(同39節)。主イエスを信じた者たちから聖霊の川が流れ出て、周囲の人々を信仰に導くわけです。

 

 一方、私たちの心を占領してしまうものが、他にもあります。不安や恐れ、心配、この世の煩い、たくさんのスケジュール、様々なストレス、はたまた、この世の楽しみや欲望など。それらは、私たちから信仰の喜びや感動を奪い、御言葉の恵み、賛美や祈りから遠ざけてしまうものとなることがあります。門衛として、私たちの心に入ってくるものを賢く見分けなければなりません。

 

 いつの間にか、祈らなくなってはいませんか。生活の中で賛美することを忘れてはいませんか。聖書を読まなくなってはいませんか。礼拝する者は、神が霊であられるから、霊と真実、真理を持って礼拝しなさいと言われています(ヨハネ福音書4章23,24節)。

 

 霊が妨げられれば、礼拝にならないわけですが、そういうことに気づかないくらい、鈍くされてはいないでしょうか(イザヤ書63章10節、エフェソ書4章30節、第一テサロニケ5章19節)。

 

 酒などに酔い痴れて心が鈍くされ、主を賛美し、祈り、御言葉の恵みに与ることが妨げられないように、聖霊との交わりが阻害されることがないように、絶えず御言葉によって心を見張り、聖霊を通して注がれる神の御愛で満たし続けていただきましょう。

 

 主よ、御子の血をもって私たちを聖霊の宮として清め、常にキリストの言葉が豊かに宿るようにしてください。知恵を尽くして諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から主を誉め讃えます。主の恵みと導きが豊かにありますように。 アーメン

 

 

「家系の長、千人隊と百人隊の長、役人たちは、王に仕えて、一年中どの月も、月ごとに交代する各組のあらゆる事柄に当たった。一組に二万四千人いた。」 歴代誌上27章1節

 

 27章1節以下の段落には、神殿建設の準備から一旦離れて、イスラエルを守る「軍隊の組織」について記されています。それは、各部族がそれぞれ、自分たちの嗣業の地を守るというのではなく、王の指揮のもとに一つとなって国を守る軍隊組織です。

 

 ただ、冒頭の言葉(1節)のとおり「家系の長、千人隊と百人隊の長、役人たち」と記されていて、単なる軍隊ではない組織のように思われます。この組織には12の組があり(2~15節)、各組に2万4千人いて、各組で一ヶ月づつ、国の警護を含め「あらゆる事柄」を担当するようになっています。

 

 22章以降、神殿建築に備え、レビ人を組分けするという記事の中に、軍隊の組織(1~15節)や部族の指導者(16~22節)、王室財産の管理(25節以下)などが記されているのは、祭司やレビ人同様にそれぞれ組分けされ、交代で務めを果たしたという、国全体の統治と神殿の務めとを関連付ける目的があったのでしょう。

 

 ただし、3000年前の時代に、いつでも常に戦争に対応する体制を整えていたとは考えられません。敵が攻め込んで来れば、そんなことを言ってはいられませんが、平時において、特に農繁期などに国防のための兵役が強制されることは考えにくいところです。

 

 わが国でも、戦国時代以前、平時は農作業に当たりながら、戦時に召集されるというのが常です。戦の専門集団を作ったのは、戦国時代の織田信長が最初と聞いた覚えがあります。 

 

 また、2万4千人ずつ12組ということは、全部で28万8千人いるということになりますが、民数記1章、26章やサムエル記下24章にある記述から考えても、これが戦争に出ることの出来るイスラエルの子らの総数とは、およそ考えられません(23節、民数記1章46節、26章51節、サムエル記下24章9節参照)。

 

 2万4千という数は、完全数12の倍数に完全数10の3乗をかけ合わせた、完全の上にも完全で、これ以上大きな数字はない、すべての者を数えたという表現でしょう。その数の人々を12組集めたというのですから、王に仕え、軍事を含むあらゆる事柄にあたることの出来る完全な組織であるといっているわけです。

 

 とはいえ、真にイスラエルを守るのは、兵の数やその組織ではありません。「王の勝利は兵の数によらず、勇士を救うのも力の強さではない。馬は勝利をもたらすものとはならず、兵の数によって救われるのでもない」(詩編33編16,17節)と言われます。また、「主御自身が守ってくださるのでなければ、町を守る人が目覚めているのもむなしい」(同127編1節)とも詠われています。

 

 24節に「数え始めたために御怒りがイスラエルに臨み」と記されているのは、サムエル記下24章、歴代誌上21章に記されている、ダビデによる人口調査を思わせますが、ここでは、それをツェルヤの子ヨアブの所為にしています。また、ダビデが数えようとしなかった20歳以下の者を(23節)、ヨアブが数えようとして、神の怒りがイスラエルに臨みました。

 

 ただ、軍の司令官ヨアブが、王ダビデの命令によらず、自らそのようなことをしたという記事は、この箇所のほかには、どこにもありません。むしろ、ダビデを諌め、その罪を犯すことを止めようとしたのです(21章3節)。そしてまた、彼はダビデの命じた通りにはせず、レビ人とベニヤミンの調査をしませんでした(同6節)。

 

 ところで、兵役に就くのは20歳以上の者ですから(民数記1章3節参照)、何故軍の司令官ヨアブが20歳以下を数えようとしたのかも、判然としません。幼年学校を開くつもりでもあったということなのでしょうか。

 

 いずれにせよ、兵を数えることは、目に見えるものに依り頼もうとする行為と考えられ、真に国を守っておられる神に信頼していないことを表わしています。そうしたことが、神の怒りを招いたわけです。

 

 今日の私たちの戦いの相手は、血肉、すなわち人間ではなく、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものです(エフェソ6章10節以下)。そのために、神の武具で武装せよと言われます(同11,13節)。両の手に持つのは、信仰という盾と(同16節)、霊の剣、即ち神の言葉です(同17節)。主イエスの御言葉を信じることが、サタン悪魔に対抗する神の武器なのです。

 

 悪魔の策略は、神に対する信頼を損なわせ、人と人とを分裂させるというものです。アダムとエバは、蛇にそそのかされて神に背き、その責任を転嫁して、お互いの信頼関係を失ってしまいました(創世記3章)。国が内輪で争えば、その国は成り立ちませんし、家が内輪で争えば、その家も成り立ちません(マルコ3章24,25節)。

 

 マタイ12章28節では「わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ。」と言われています。神の国をもたらされる主イエスは、神の霊によって悪霊を追い出され、神の国を私たちのところにもたらされるのです。

 

 私たちの頭であられる主イエスが、私たちをご自身の体として一つに結び、神の支配のもとにおいてくださいます。神の支配のもとには、悪魔、悪霊が存在する余地はありません。そこには神の霊が満ちています。神の武具で身を整え、キリストの十字架において示された神の愛によって一つとされ、聖霊に満たされて祈り、賛美するのです。

 

 一年中いつでも、どこにあっても主の御旨を悟り、その導きに従って歩む私たちに、主は勝利の冠をお与えくださるでしょう。その栄冠を主にお献げ出来るよう、日毎に主の御前に進ませていただきましょう。主との親しい交わりに入れていただきましょう。主に用いられるものとしていただきましょう。

 

 主よ、あなたが私たちの味方であられるとき、私たちに敵対出来るものはありません。私たちには圧倒的な勝利が約束されています。見えるものに依り頼み、持ち物を誇ろうとする弱さ、愚かさをすて、主とその御言葉に信頼します。主の守りと導きが常に豊かにありますように。 アーメン

 

 

「わが子ソロモンよ、この父の神を認め、全き心と喜びの魂をもってその神に仕えよ。主はすべての心を探り、すべての考えの奥底まで見抜かれるからである。もし主を求めるなら、主はあなたに御自分を現してくださる。もし主を捨てるならば、主はあなたを永久に拒み続けられる。」 歴代誌上28章9節

 

 28章には、「ダビデによる神殿建築の宣言」が記されています。このことについては、既に22章で一度取り上げられていました。22章ではソロモンを個人的に呼んで神殿建築を命じているのに対し(22章6節以下、11節)、今回はイスラエルの長たる者をすべて招集し(1節)、「イスラエルのすべての人々、主の会衆の目の前で」(8節)宣言され、実行に移されて行きます。

 

 歴代誌が書き記されたのは、バビロン捕囚から解放された後のことです(歴代誌下36章参照)。バビロンから帰って来たイスラエルの民には、破壊された神殿を建て直す使命が与えられました(エズラ記1章3節、3章8節以下)。

 

 しかし、それは容易い仕事ではありませんでした。様々な妨害もあり、工事の中断を余儀なくされたこともあります(同4章)。そういう困難を乗り越えて、神殿建築をやり遂げることが出来ました(同6章13節以下)。

 

 22章でソロモンに告げられた神殿建築が、ここで民全体の前で繰り返されているのは、神殿建築と王朝の確立が深い関係を持っていることを、読者に理解してもらうためでしょう。そして、捕囚から解放されて200年を過ごして来た民に、神殿のある意味を再確認させて、神殿における礼拝の大切さを示し、国の歩みを確かなものにしようとしているのです。

 

 11節に、神殿の「設計図」(タブニート:「形、姿」の意)がダビデからソロモンに手渡されたことが記されています。この設計図は、主の御手がダビデに臨んで記されたものでした(12節以下、19節)。

 

 これは、モーセが神の幕屋を造るときに神が示した「作り方」 (タブニート)と同じ言葉です(出エジプト記25章9,40節)。つまり、主なる神がモーセに幕屋を造らせたように、ダビデを通じて神殿をその子ソロモンに造らせようとしているということです。

 

 冒頭の言葉(9節)は、神殿を建てる際に留意すべき中心的なポイントについて、ダビデがソロモンに語っているものです。それはしかし、工事の安全や、建築工事の完璧さなどを求めるものではありません。ソロモンの信仰心、「全き心と喜びの魂をもってその神に仕えよ」うとしているのかどうかが問われているのです。

 

 確かに、神は私たちの姿かたちなど、見えるところではなく、その内面を、心の奥底まで見ておられます。心を見るという言葉は、先にダビデを王として選ばれるときに、神が預言者サムエルに告げたものでした(サムエル記上16章7節)。ダビデの思いを受けて、ソロモンが神殿奉献の祈りの中で「あなたは人の心をご存じです」(列王記上8章39節)と告げています。

 

 しかしながら、神の要求に完璧に応えることが出来る内面の持ち主がいるでしょうか。たとい、今はそのつもりでも、いつでもそのような心で居続けることが出来るでしょうか。

 

 シモン・ペトロは、ほかの誰が裏切っても、自分だけは絶対に裏切らない、主を知らないなどとは言わないと豪語しました(マルコ14章29,31節など)。それは彼の本心だったとは思うのですが、しかし、自らその思いに背き、主イエスが告げられたとおり、一日も経たないうちに、三度も主イエスを否む結果となってしまったのです(同66節以下)。

 

 今このようにその子ソロモンに語っているダビデ自身も、全き心で神に仕えることが出来たのかと問われれば、もちろん否と言わざるを得ません。少なくとも彼は、神の御前に罪を犯して預言者ナタンにそれを指摘され、その罪のために生まれたばかりの我が子が死ぬという経験をしたのです(サムエル記下12章)。

 

 しかしながら、私たちは自分の弱さを知り、その弱さの中に働かれる神に信頼することが許されています。弱さを持っていることが問題ではありません。一度罪を犯せば、それでもうお仕舞というわけではないのです。弱さを知らされたとき、それを認めて、主を呼び求めればよいのです。神の助け、神の赦しなしに、一人で立つことが出来る者はいないのです。

 

 ダビデは詩編16編8節で、「わたしは絶えず主に相対しています」と詠っていますが、それは、ダビデがいつも主の前に立っていた、主を自分の前に置いた、主の前を離れたことはないというのではありません。ダビデが道を外れても、主の方がいつもダビデの前に立たれた、主がダビデを見ていてくださった、主がダビデを憐れみ、いつも主に守られていたというのが、その心でしょう。

 

 だから、「主は右にいまし、わたしは揺らぐことがありません」(同8節)と言い、続けて、「わたしの心は喜び、魂は躍ります。からだは安心して憩います」(同9節)と語っているのです。

 

 詩編23編で「主は御名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる」(同3節)、「あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける」(同4節)というのも、同じような消息を示しているのではないでしょうか。ここに、主によって罪赦され、解放された者の喜びがあります。

 

 パウロも、「むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです」(第二コリント12章9~10節)と語っています。

 

 弱さを知ってさらに主を求め、主の力、主の栄光を表していただきましょう。

 

 主よ、私のために主イエスが十字架にかかり、身代わりに死んでくださいました。その深い憐れみのゆえに、心から感謝致します。私たちのからだは、御子の命をもって贖われました。私たちはあなたのものです。常に御霊に満たし、御業のために用いてください。今日も主の導きが豊かにありますように。 アーメン!

 

 

「わが子ソロモンに全き心を与え、あなたの戒めと定めと掟を守って何事も行うようにし、わたしが準備した宮を築かせてください。」 歴代誌上29章19節

 

 「全き心と喜びの魂をもってその神に仕えよ」(28章9節)とダビデは息子ソロモンに命じていましたが、それが人間の力で出来るものではないことを、ダビデはよく知っていました。冒頭の言葉(19節)でダビデは、全き心を息子ソロモンに与えてくださるようにと、神に祈っています。

 

 ダビデは、主の神殿を建築するために、出来る限りの備えをしました(2節以下)。それは、金3000キカル(102.6トン)、今日の金価格でおよそ500億円、銀7000キカル(239.4トン)、今日の銀価格でおよそ150億円という莫大なものです(7節)。

 

 ソロモンの代に、船団を編成してオフィルの金420キカル(14.4トン)を手に入れたとありました(列王記上9章28節)。それは、かつてないほどのものということでしたから、3千キカル(100トン余り)の金というのは、相当の誇張なのではないかと考えざるを得ません。

 

 家系の長たちが献げた中に、1万ダリクの金貨が含まれています。これは、BC515年以前には鋳造されていなかったペルシアの貨幣です。つまり、歴代誌が記されていたころに使われていたもので、紀元前1千年のダビデ時代には存在しないものでした。これは、単なる時代錯誤というより、五千キカルとは、自分たちが知っているペルシアのお金で1万ダリク相当だという表現ではないかと考えられます。

 

 つまり、ダビデ、ソロモン時代はいざ知らず、捕囚から戻って来たイスラエルの民が、第二神殿の建築のために献げたのが金1万ダリク=84㎏、現在の価格で4100万円ほどというところだったということでしょう。それで考えると、ダビデのささげた3千キカルは6千ダリク=50.4㎏、価格にして2億4600万円ということになります。

 

 戦いに明け暮れていたダビデでしたが、それを献げるだけの経済力を持っていたので、イスラエル国民から税を取り立てる必要がなかったのでしょう。そして、ダビデは持てるものをすべて神殿建築に献げたのです。まさに、全き心と喜びの魂をもって神に仕える姿勢を、ここに示したのです。そして、それを見た諸部族の長たちも、精一杯の献げ物を献げました(6節以下)。

 

 それが、上記のとおり、捕囚後の民が第二神殿建築のためにささげたものだとすると、やはり驚くべき金額といってよいのではないでしょうか。ソロモン時代のような絢爛豪華な神殿を建てることは叶わないでしょうけれども、貧しく苦しい生活をしていた中から献げられた精一杯の献げ物を、主はどれほど喜ばれたことでしょう。

 

 肝要なのは、絢爛豪華な神殿を建てることではありません。「主が喜ばれるのは、焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。見よ、聞き従うことはいけにえにまさり、耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる」(サムエル記上15章22節)とあるように、神に聴き従う姿勢、礼拝をささげようとする者の心が重要なのです。

 

 ダビデは、既にそのことを悟っておりました。「このような寄進ができるとしても、わたしなど果たして何者でしょう。わたしの民など何者でしょう。すべてはあなたからいただいたもの、わたしたちは御手から受け取って、差し出したに過ぎません」(14節)と言います。

 

 さらに、「わたしたちは、わたしたちの先祖が皆そうであったように、あなたの御前では寄留民に過ぎず、移住者に過ぎません。この地上におけるわたしたちの人生は影のようなもので、希望はありません」(15節)と告げています。

 

 神の恵みなしに、充実した歩みをなすことなど出来ないということでしょう。だからダビデは息子ソロモンに、全身全霊をもって礼拝をささげることを命じ、それが出来るようにと神に祈っているのです。

 

 実に難しいのは、その心を保ち続けることです。今はそのつもりでも、次の瞬間、別のことを考えています。この後、壮麗な神殿が建てられますが、ソロモンはやがて、全き心で神に仕えることが出来なくなっていきます。

 

 神から非常に豊かな知恵と洞察力、海辺の砂浜のような広い心が授けられました(列王上5章9節)。また、それに加えて冨と栄光が与えられます(同13節)。ところが、それがあだになったかのような結果になりました。

 

 というのは、エジプトのファラオの娘の他、モアブ人、アンモン人、エドム人、シドン人、ヘト人など多くの外国の女性を愛し(同11章1節)、700人の王妃に300人の側室がいて(同3節)、彼女らに心惑わされて異教の神々を礼拝するようになります(同5,7節)。ゆえにすべての王妃が自分たちの神々を礼拝するようになったのです(同8節)。

 

 主は二度もソロモンに現れて、他の神々に従わないよう戒められましたが、彼はそれに耳を傾けようとしませんでした(同10節)。ソロモンが父ダビデのように主を畏れ、主からその罪が指摘されて、すぐに悔い改めをする人物であれば、国が南北に分裂し、アッシリア、バビロンによって滅ぼされるのを避けることが出来たかも知れません。

 

 ソロモンは、知恵に満ちた賢明な心を主より授かり(同3章12節)、そのうわさを聞いた全世界の王侯から遣わされた特使が、彼の知恵に耳を傾けた(同5章14節)と言われます。けれども、「主を畏れることは知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る」(箴言1章7節)と言われていることから、ソロモンはそのとき、神の前に無知な者となっていたのです。

 

 どうすれば、心を清く保つことが出来るでしょうか。それは、御言葉に聴き従うほかありません(詩篇119編9節)。聖書は、「何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい」(フィリピ4章6節)と命じ、「そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守る」(同7節)と約束しています。

 

 ダビデのように、心を込めて祈る者にならせていただきましょう。主にお仕えする心と考えを、神の平和で守っていただきましょう。

 

 主よ、心を尽くしてあなたを慕い求めます。御言葉から右にも左にも迷い出ることがないように、真直ぐに信仰の道を歩ませてください。感謝をこめて祈ります。いつも主の平和で心と考えをお守りください。インマヌエルの主の恵みと導きが常に豊かにありますように。 アーメン

 

 

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2014年8月6日サイト開設