創世記

 

 

「神は光と闇をわけ、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。」  創世記1章5節

 

 今日から、旧約聖書第一の書・創世記を読み始めます。これから1章ずつ読めば、3年3ヶ月後の2024年1月に聖書一巻を読み終わることになります。これを機に、聖書を通読する習慣を身に着ける方々が一人でも多く起こされるよう、主の恵みと導きを祈ります。

 

 「創世記(Genesis)」という書名は、ギリシア語の「ゲネシス(初め、起源の意)」からつけられたものです。ヘブライ語原典では、1章1節冒頭の「べ・レシート(in the beginning=初めに)」がそのまま書名として用いられています。

 

 ヘブライ語原典で、創世記は続く出エジプト記、レビ記、民数記、申命記と共に、「トーラー(律法の書)」に分類されます。「トーラー」は、伝統的にエジプト脱出の際の指導者モーセによって書かれたと考えられていて、「モーセ5書」という呼び方もあります。

 

 ただし、学者によれば、J典(ヤハウェ文書:紀元前950年頃成立)、E典(エロヒーム文書:J典より100~200年後に成立)、P典(祭司文書:捕囚期後、450年頃までに成立)という主要な文書、資料によって造り上げられたと考えられています。ということは、創世記が現在のかたちになったのは、P典が成立した後、J、Eと組み合わせる編集作業を経てからということになります。

 

 創世記の大枠は、J典(神の名を「主(ヤハウェ)」と表記している資料)に基づくとされています。因みに、1章1節から2章4節1行目までは、イスラエルの神の固有名詞「主(ヤハウェ)」が登場しません。「神(エロヒーム)」という一般名詞が用いられているだけです。その内容から、この箇所はP典(祭司文書)と考えられています。

 

 1節の「初めに、神は天地を創造された」という言葉が1章の主題となっています。ここに、「初めに、神がおられた」というのではなく、天地が創造されたと言います。神のご存在ではなく、神が初めになさった御業に注目しているわけです。神のご存在、神がおられるということは、当然のこととして前提されているわけです。

 

 「創造された」はヘブライ語で「バーラー」といいますが、これは、神によってのみ用いられる言葉です。この言葉は、完全なまでの労力の欠如、容易く楽々と造り上げる様を表し、また、素材の記述を持たない「無からの創造」という思想を含んでいます。こうしたことで、神は天地万物を創造された世界の主だと言い表そうとしているということが出来ます。

 

 2節の「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた」というのは、それが神の最初に造られた天地の姿だったというよりも、天地が創造される前の原初の状態を示すものではないかと思われます。闇に包まれた混沌の世界が、無時間的に存在していたわけです。

 

 「混沌」は「トーフー・ワー・ボーフー」という言葉遣いです。「トーフー」は「形がない」、「ボーフー」は「虚無」という意味の言葉、そして「ワー」は「そして」という接続詞です(口語訳「形なく、むなしく」、新改訳「茫漠として何もなかった」)。エレミヤ書4章23節でも「混沌」と訳されています。

 

 また「深淵」(テホーム)という言葉があります。これは「カオスの海」という意味で、宇宙的な深淵を表します。また、「神の霊が水の面を動いていた」という言葉で、「霊」(ルーアハ)は「風、息」をも意味することから、「水の面を神の風が吹き荒れていた」と解釈することも出来ます。

 

 また「深淵」(テホーム)という言葉があります。これは「カオスの海」という意味で、宇宙的な深淵を表します。また、「神の霊が水の面を動いていた」という言葉で、「霊」(ルーアハ)は「風、息」をも意味することから、「水の面を神の風が吹き荒れていた」と解釈することも出来ます。

 

 そんな「混沌」や荒涼とした原初の無秩序な状態の中で、神が創造の御業を始められました。「動いていた」(ラーハフ)は「震える、羽ばたく、宙に舞う」という意味の動詞で、親鳥が卵を抱えているようなイメージが湧きました。「カオスの海」が母胎で、霊の働きによって言葉が出来事となって産み出されるという感じです。

 

 最初に「光」(3節)を創造され、冒頭の言葉(5節)のとおり、神は「光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれ」ました。次に、深淵の水を二つに分けて、「大空」(ラーキーア、6,7節)を造られ、それを「天」(シャーマイム、8節)と呼ばれました。第三に、下の水を一つ所に集めて、乾いた所を出現させ(9節)、「乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれ」(10節)ました。

 

 第四に「二つの大きな光る物と星」(14~16節)を造られ、「大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられ」(16節)ました。第五に、「水に群がるもの」と「翼ある鳥」(20,21節)を創造され、祝福されました(22節)。第六に、地を動く獣、家畜、土を這うもの(24,25節)、そして、「人」をご自分にかたどって創造されました(26,27節)。

 

 第一から第三は環境、第四から第六はそこに生きる物が創造されました。そして、第一と第四、第二と第五、第三と第六が対応していて、神はすべてのものを秩序立てて創造されたこと、また、水の生物、空の鳥、陸上の生物、それらを支配する人間、いわゆる「動物」と呼ばれるものに「産めよ、増えよ、(置かれた環境に)満ちよ」(22,28節)と祝福を告げられたことが記されています。

 

 あらためて、神が初めに造られたのは「光」(3節)でした。神が「光あれ」(3節)と言われると、光が出来たということですが、勿論、日本語で言われたわけではありません。それは、人間が理解出来る言葉でもなかったのかも知れません。

 

 光が造られたことで、一日の始めと終わりが出来ました。けれども、この光は、太陽光ではありません。太陽は、14節で「天の大空に光る物」、「(二つの大きな光る物の)大きな方」と呼ばれています。そして、それは第四の日に造られました。エジプトを始め、太陽や月を神として礼拝する国が周辺に多くある中で、聖書は、太陽や月、星などは神の被造物にすぎないと語っているわけです。

 

 神は「闇」を造られたわけではありませんが、光の創造される前の、光のない世界は真っ暗闇でしょう。しかし、神は光を造って闇を全く排除されたわけでもありません。冒頭の言葉(5節)で「闇を夜と呼ばれた」ということは、光だけでなく、闇も神の支配下、神が創造された秩序のもとにあるということです。

 

 また、聖書の世界の一日は、夕べから始まります。夕方6時から一日が始まるのは、日中は暑くて仕事にならないので昼寝し、涼しくなった夕方から起きて仕事を始めるためだと聞いたことがあります。真偽は不明ですが、いずれにせよ、闇に光を創造された順序に倣い、夜の闇を通って明るい朝を迎えるという一日を過ごすのです。

 

 イスラエルの歴史は、エジプトでの奴隷の苦しみからの解放に始まりました。40年の荒れ野の生活を通って約束の地に定住しました。その後、アッシリア、バビロンによる国の滅亡と捕囚という苦しみを通って、イスラエルを建て直しました。

 

 夜の闇が神の支配下にあるからこそ、朝の光を見ることが出来るわけですし、夕べと朝が交互に訪れて日を重ねていくのです。ここに「闇を良しとされた」という言葉はありません。しかし、光を良しとされた神により、夜の闇の中で朝を期待することが出来ます。そこで希望を持つことが許されているのです。

 

 「闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。あなたは深い喜びと大きな楽しみをお与えになり、人々は御前に喜び祝った」(イザヤ書9章1,2節)というメシア預言があります。命の光なる主イエスを仰ぎ(ヨハネ福音書1章4節、8章12節など)、どのようなときにも深い喜びと大きな楽しみに与らせていただきましょう。

 

 主よ、あなたが天地万物の創造者であられ、私たちも主に造られたものであることを感謝します。御顔を仰ぎ望み、目覚めるときには御姿を拝して、満ち足りることが出来ます。御言葉を通して、主イエスの御顔に輝く神の栄光を悟る光を、絶えず私たちにお与えください。常に聖霊にたされ、主の愛と恵みを証しする者とならせてください。御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「主なる神は言われた。『人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろ』。」 創世記2章18節

 

 1章には、神が天地万物を創造され、すべてのものに秩序をお与えになったということが記されていました。そして2章には、特に生物が造られた意味、目的が記されています。

 

 7節に「主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」と記されています。「土」はヘブライ語で「アダマー」、土の塵から造られた「人」を「アダム」といいます。

 

 「アダム」は「人」という一般名詞であり、そしてそれが「アダム」(3章8,9節)という固有名詞にもなりました。「人=アダム」は土の塵から造られたものなので、息を引き取ると、やがて土の塵に返ります(3章19節、ヨブ記34章15節、詩編90編3節、104編29節など)。

 

 静岡に来て、8人の方を見送りました。1986年に牧師になって以来、48人の方の葬儀を執り行いました。そして、2009年に父、昨年は弟、そして今年母が召されました。勿論、こうした方々は、死んでおしまいになったのではありません。天の故郷で新しく永遠の命を生き始めたのです。ただ、地上で使っていた体、形あるものはすべてこの地上に残ります。そして、土の塵に返るのです。

 

 主なる神は、最初の人アダムをエデンの園に住まわせ、そこを耕し、守るようにされました(15節)。それぞれの役割を果たすように、神によって造られ、相応しいところに配置されたわけです。私たちは、進化論でいうような、何かの偶然が重なってたまたま出来た命などではありません。神によって、その意味と目的をもって創造されたのです。

 

 その役割を果たし終えれば、天の故郷に帰ります。天に帰れば、もう何もすることがないということでもありません。天に召される、天に呼ばれるというのは、天で新たな使命、新しい役割が与えられるということです。私たちは、そのようなものとして、神に造られたのです。

 

 1章では、主なる神はご自分が創造されたものを御覧になって、「良し」(トーブ;同4節、10節など)という評価をなさっていました。特に同31節には、「極めて良かった」(トーブ・メオード:very good)という評価が記されています。

 

 ところが、冒頭の言葉(18節)には、「良くない」(ロー・トーブ:not good)という言葉が出て来ます。「人が独りでいるのは良くない」というのです。これは、「人が独りでいる」という状態が、神の創造計画、その目的、神の御心に適わない、満足な状態ではないということでしょう。

 

 そもそも、神が人を造られたとき、ご自分にかたどり、「男と女」に創造されました(1章27節)。神のかたちとは、男と女という、互いに違いのある二人が一体となるというものでしょう(24節)。男女二人が一体となるとき、命が産み出されます(4章1節)。神が夫婦の営みを通して、命を産み出す創造の業をなさるのです。

 

 「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ」(1章28節)と言われたとおり、神は人を夫婦とし、家庭を作り、社会を形成し、全被造物に調和を与えるものとして、創造されたのです。

 

 地獄というのは、孤独な世界だと思います。そこは、まさに神の御心が行われない、神の御心に背いている世界です。語り合う相手がいない、助ける者がいない世界です。主なる神はそれを「良くない」と言われます。神は地獄を造ろうとはなさらなかったといっても良さそうです。むしろ、地獄は人が造るのです。

 

 「地獄に仏」という言葉がありますが、その環境がどんなに辛く厳しいものであったとしても、心通わせることの出来る家族や友がいれば、そこは地獄ではありません。むしろそこに、天国を垣間見ることさえ出来るでしょう。主なる神は、孤独な助けのない地獄のような世界から私たちを救うために、「助ける者」を用意されます。

 

 言うまでもなく、確かに私たちは多くの助けを必要としています。私たちの周りに、高い山、広い海、緑の野原、美しく咲く花がなかったら、川のせせらぎや木々を渡る風の音、鳥の鳴く声がなくなったら、どこで心の洗濯をするのでしょうか。猫や犬をはじめ動物たちは、私たちを喜ばせ、また慰めます。神様は私たちのために素晴らしいものを用意してくださったのです(19節)。

 

 さらに、「彼に合う」(ケ・ネグドー)という言葉に注目してください。これは、「ネゲド」(before)という前置詞に三人称単数の接尾辞「ワウ」がついて「彼の前で」という言葉と、「ケ」(like,as)という前置詞で、「向かい合って、対等な:comparable」という意味で用いられています。

 

 即ち、ここに記されている「助ける者」は、「あなたは助ける人、私は助けてもらう人」という一方通行、ワンパターンの関係ではなく、お互いが対等に、助けたり助けられたりする関係であるというのです。

 

 かくて、神は人間を、互いに助け合う存在として造られました。ですから、人間は他者の助けが必要であり、そして自分も他者を助ける存在なのです。私が誰かの助けを必要としているように、誰かが私の助けを持っているわけです。

 

 24節を見ると、神はこの助け合う関係を、結婚の関係と結びつけて教えておられます。男女がそれぞれ、親の愛情を一杯に受けて成長し、やがて二人が出会い、結婚します。

 

 私たちはこれまで、多くの愛を受けて来ました。親の愛、家族の愛、友の愛などです。これらの愛に恩返しが出来るでしょうか。もしその方法があるとすれば、それは出会った二人が真実に愛し合い、幸せな家庭を築くことでしょう。愛されて愛を学び、人を愛する人間になることです。初めから出来上がっている完全な人間などいません。初めから完璧な夫婦も存在しないのです。

 

 「家庭は裁判所ではなく、愛を学ぶ学校だ」と語られた方がありますが、確かに互いの欠点をあげつらい、裁き合うというのではなく、一生をかけて相手を愛することを学ぶのが、夫婦だと思います。

 

 助け合う、愛するとは、甘え合う、もたれ合うというものではありません。自立して、互いの責任をしっかりと担い、呼吸を合わせ、心を一つにすることです。私たちが真の夫婦になるためには、一生、努力を続ける必要があるでしょう。

 

 原語の「助ける者」は「エゼル(=助け)」という名詞で、特に、助け主としての神様を指して用いることが圧倒的に多い言葉です。たとえば、「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助け(エゼル)はどこから来るのか。わたしの助けは来る、天地を造られた主のもとから」(詩編121編1,2節)という言葉があります。

 

 私たちを助けるために、美しい自然、動物を造り、そして相応しいパートナーを私たちに与えてくださった主なる神様こそ、まさにこの聖書が教えるまことの「助ける者」です。

 

 御言葉に耳を傾け、目には見えなくても、私たちの家庭を守り続けてくださる神様を信頼し、どんなことにも、皆でお互いに心を合わせ、どんなことにも皆がお互いに力を合わせ、立ち向かいましょう。

 

 主よ、私たちはあなたから多くの愛を受けて来ました。そのご愛に応え、信仰の先達が生きられたように、私たちも与えられた使命をしっかりと果たす生き方をしたいと思います。上よりの知恵と力に満たしてください。宣教の働きが前進、拡大しますように。 アーメン

 

 

「主なる神は、アダムと女に皮の衣を作って着せられた。」 創世記3章21節

 

 エデンの園に蛇が登場し、「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか」(1節)と女に尋ねました。女は蛇に、「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました」(2,3節)と答えます。

 

 このやり取りは、単なる事実の確認などではありません。蛇は女を、主なる神に従う道から外れさせようと、巧妙に罠を仕掛けているのです。女は蛇の問いかけを、「園のどの木からも食べてはいけないと言うとは、何とけちんぼなのか」という非難と聞き、神を弁護しようとして、上記(2,3節)のように答えたのです。

 

 「園の木の果実を食べてもよいのです」という自由さの中、「園の中央に生えている木の果実だけは食べてはいけない」という禁止命令があることを告げ、しかしそれは、神がけちだからではなく、「死んではいけないから」と私たちのことを心配されての注意なのだと答えているわけです。

 

 それはしかし、神が言われたことに忠実な答えではありません。神が親切なお方だと神を弁護しようとして、禁止命令の根拠を創作し、また「触れてもいけない」という律法を付け加えています。女はこの時点で既に、神に従う道から外れ始めていたのです。

 

 女の答えを聞いた蛇は、「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知る者となることを神はご存知なのだ」(4,5節)と言い返します。女が説明した禁止命令の根拠を否定し(4節)、「それを食べると、目が開け、神のように善悪を知る者となることを神はご存じなのだ」(5節)と全く別の根拠を示し、神はやっぱりけちんぼだと断じて見せたのです。

 

 その言葉で心揺さぶられた女が、園の中央の木を見ると、「いかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆して」(6節)いました。巧妙にも蛇は、食べる木の実を特定してはいません。園の中央には、命の木もあります。そして、取って食べろとも言っていません。けれども、女は善悪の知識の木の実に手を伸ばして取って食べ、男にも渡します(6節)。それで、男も食べてしまいます。

 

 著者はここで、蛇を悪魔の手先とか、サタンの化身などと仄めかしてはいません。賢さの点で、他の動物に抜きんでていると言うだけです。ただ、神が「極めて良かった」と評されたこの世界で無邪気に楽しく過ごしていた男女に、蛇がずる賢く「神のように善悪を知る」者になろうとする経験へと唆し、そして、男女は彼らの判断で自ら木の実を食べてしまったと告げているのです。

 

 木の実を食べた結果、二人の目が開け、自分たちが裸であることを知って、いちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆いました(7節)。それが、神のように善悪を知る者となり、賢くなったということなのでしょうか。

 

 それまで、二人が裸であったことを知らなかったわけではありません。2章25節に「人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった」と記されていました。しかし、目が開けた結果、彼らがしたのは腰を覆うこと、つまり、裸を恥ずかしがるようになったということです。

 

 その上、神の足音が聞こえてくると、「アダムと女が、主なる神の顔を避けて、木の間に隠れ」(8節)ました。新共同訳はここに初めて、「アダム」を固有名詞として訳しています。神を離れて歩み始めた「アダム」を一般名詞の「人」ではなく、「アダム」という固有の人物の歩みとして訳出しているわけです。

 

 主なる神がアダムを呼ばれて、「どこにいるのか」(9節)と所在を尋ねられると、アダムは「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから」(10節)と答えます。

 

 裸を恥ずかしがるだけでなく、神を「恐ろしく」思うということは、神の前に立つことが出来なくなった自分を自覚しているということです。それは、彼らが神の御前に不従順の罪を犯したということです。その恐ろしさは、「善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう」(2章17節)という律法に違反した罰に由来するものでしょう。

 

 だから、主なる神の御顔を避け、イチジクの葉を綴り合わせて裸の腰を覆うものを造ったわけですが(7節)、これが、神のように賢くなろうと、神の禁止命令を離れて自らの道を歩んだ(6節)結果であり、それゆえ神の加護を失い、自分で自分を守るほかなくなったということです。

 

 一方、主なる神が「どこにいるのか」(9節)とアダムを呼ばれたとき、それは、隠れているアダムを探しておられたのではないでしょう。むしろ、「なぜ隠れているのか、わたしの前に出て来ないのはなぜか」という意味ではないでしょうか。

 

 主なる神は、エデンの園を耕し、守るようにアダムに使命を与え、そこに住まわせておられました(2章15節)。神の足音が聞こえてくれば、当然、アダムは神の前に立っているはずだからです。そのうえ、神とアダムの関係は、恐怖をもって語られるようなものではありませんでした。

 

 神の足音を恐れ、「わたしは裸ですから」(10節)とその理由を説明したアダムに対し、主なる神は「お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか」(11節)と問われました。それは、アダムの罪をはっきり指摘する言葉です。

 

 主の言葉に対してアダムは素直に「はい、そのとおりです。ごめんなさい」とは言わず、「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました」(12節)と答えます。それは、自分が食べたのは、女が木の実を差し出したからで、女がいなければ食べることはなかったと、罪を女の所為にします。

 

 「これこそ、わたしの骨の骨、わたしの肉の肉」(2章23節)と、一心同体として与えられた伴侶を喜んだ男が、結婚を後悔しているような言葉で、二人の関係はそれによって破綻してしまうでしょう。さらに「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女」という言い方で、アダムを助ける者として「女」を造り与えられた主なる神を非難しています。

 

 それは女も同様です。「なんということをしたのか」(13節)という主の問いに、「蛇がだましたので、食べてしまいました」(13節)と答えました。蛇がいなければ、自分はそうしなかったというのです。

 

 責任転嫁するアダムに対して、主なる神は「お前のゆえに、土は呪われるものとなった」(17節)、「お前に対して、土は茨とあざみを生えいでさせる」(18節)、「お前は顔に汗を流してパンを得る、土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵に過ぎないお前は塵に返る」(19節)と言われ、彼をエデンの園から追い出されました(23節)。

 

 そして、命の木へ至る道を守るために、「エデンの園の東にケルビムときらめく剣の炎を置かれ」(24節)ます。つまり、主なる神はアダム夫妻との関係が断絶してしまわれたのです。そのように関係が断絶することを、死と言ってもよいでしょう。パウロが「罪の支払う報酬は死です」(ローマ書6章23節)と言っているのは、そのことです。

 

 しかしながら、それは永遠の裁きではありませんでした。主が彼らを追放されたとき、彼らは裸ではありませんでした。冒頭の言葉(21節)のとおり、主は彼らに皮の衣を作って着せられたのです。これはつまり、エデンの園を追放された彼らを、主なる神がこれからも守るというしるしです。

 

 また、着せられた衣が皮製だということは、皮を剥がれた動物がいるわけです。神が人を守るための衣を作るのに、動物が犠牲となったということ、動物の命の代価によって、アダムと女の罪が覆われた、贖われたということです。ここに、主イエス・キリストの贖いの業の予表があります。

 

 ただしこれは、完全な罪の赦しではありません。裸を覆うものが与えられたということは、覆いを必要とする体だということです。「二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった」(2章25節)という元の状態に戻されたわけではないのです。つまり、最終的にアダムの罪を赦すのは、主イエス・キリストの十字架の贖いの御業だということです。

 

 主なる神の恵みに感謝し、御言葉に従って歩ませて頂きましょう。

 

 主よ、絶えず私たちの耳を開いてください。常に御言葉の恵みが開かれますように。導きに従って歩むことが出来るよう、信仰に堅く立たせてください。委ねられた使命を全うすることが出来るよう、聖霊に満たし、その力を受けさせてください。そうして、主の御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「主は言われた。『何ということをしたのか。お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる』。」 創世記4章10節

 

 1節に「アダムは妻エバを知った。エバは身ごもってカインを産み」と記されています。「知る」(ヤーダー)という言葉は、客観的な知識を得ることではなく、体験的に認識する、知り合うということを意味します。そこから、この箇所のように、夫婦の性を伴う深い交わりを表すために用いられるようにもなりました。

 

  禁断の木の実を食べた後、アダムはその罪を女に所為にしようとして、夫婦の関係に亀裂を生じさせていたものと思われます。エデンの園を追放された後、その二人の関係が、回復したのです。どのようにしてそれが可能になったのか、聖書に明言されてはいません。

 

 もしかすると、主なる神から与えられた皮の衣(3章20節)、それは神の憐れみ、罪の贖いを示しているものですが、二人がその皮の衣を身にまとうことで、さながら神の愛に包まれ、満たされたようになって、相互の関係が改善するようになったといってもよいのかも知れません。

 

 善悪の知識の木の実を食べることで、それを禁止された主なる神との関係、そして「これこそわたしの骨の骨、わたしの肉の肉」(2章23節)と喜んでいた夫婦の関係を壊し、大切なものを失うことになりました。関係の破壊、これが罪の本質です。しかし、主はその罪を贖い、もう一度夫婦が深く交わり、心と体で互いに深く交わり、愛し合うことが出来るようにしてくださったのです。

 

  そして、エバは身ごもり、長男のカインを産みました。「カイン」という名前について、聖書は、「得る、獲得する」(カーナー)という言葉に由来するものと説明しています。主なる神は二人の関係を回復させ、二人に大切な命の絆、「カイン」という跡取りをかすがいとして獲得させたのです。

 

 余談ながら、ここで興味深いのは、名づけがアダムではなく、エバによってなされていることです。イスラエルの父祖の一人ヤコブの12人の子らも、それぞれ母親が名をつけました。神の人サムエルも、母のハンナが名づけをしました(29章31節以下、35章18節、サムエル記上1章20節など)。古代世界では、母による名づけに象徴される、母系的な家系が普通だったのかも知れません。

 

 初子のカインに続いて、弟アベルが生まれました。そして、アベルは羊を飼う者になり、兄のカインは土を耕す者となりました(2節)。弟アベルの生業を先に紹介することが、次の節の導入となっています。時が経ち、兄カインは土の実りを主への献げ物とし(3節)、弟アベルは肥えた初子を献げ物としました(4節)。

 

 どのように献げ物をするのかということは、このときはまだ定められていませんでした。二人はそれぞれ自発的に神に献げ物をしたわけです。土の実りを得ることも、また羊を飼うことも、苦労の多い働きだったと思いますが(3章17節以下)、土の実りや、肥えた初子をお与えくださった神に感謝して、二人とも、それぞれの献げ物を捧げたのでしょう。

 

  ところが、何故か、主は弟アベルの献げ物には目を留められ、兄カインの献げ物には目を留められませんでした(5節)。その理由、根拠はそこに示されてはいません。

 

  ヘブライ書4章4節に「信仰によって、アベルはカインより優れたいけにえを神に捧げ、その信仰によって、正しい者であると証明されました。神が彼の献げ物を認められたからです。アベルは死にましたが、信仰によってまだ語っています」と記されています。アベルの献げ物が選ばれるべくして選ばれた、それは、信仰による優れた献げ物だったからというのです。

 

 しかしながら、創世記の記述によれば、アベルの献げ物の方が優れていたとか、カインはつまらないものを捧げたとか、はたまた、彼らの献げ物をする心、その思いに優劣があったと受け取れるような記述などはありません。

 

 解釈の鍵となるのは、二人の名前です。弟の名「アベル(原典ヘブライ語「ヘベル」)」は、「息、はかなさ、空虚さ、無意味、無価値、虚無」といった意味の言葉です。親が子にそのような名前をつけるだろうかと考えてしまいます。ある注解者は、その名が示しているように、アベルは実在の人物ではなく、物語のために登場させられた架空の人物ではないかと言っています。

 

 その根拠として、アベルは羊を飼う者となったと2節に記されていますが、4章17節以下に記されているカインの系図で、カインから数えて7代目のヤバルについて、「ヤバルは、家畜を飼い天幕に住む者の先祖となった」と記していることです。家畜を飼う先祖が、アベルではなく、カインの子孫のヤバルだと言っているわけです。

 

 一方、「カイン」という名前は、上記の説明とは別に本来は「槍」を意味する名詞です。サムエル記下21章16節では「カイン」が名前としてではなく、名詞の[槍]と訳されています。「槍」という意味のカインと、「はかなさ、空しさ」という意味のアベル、つまり、この二人の名前が、この後の二人の運命を示唆するものとなっているのです。

 

  主がアベルとその献げ物には目を留められ、カインとその献げ物に目を留められなかったのは何故か、そして、カインがそのことをどのようにして知ったのか、よく分かりません。創世記の記者は、それらのことについて全く何も語らないまま、話をどんどん先に進めます。どうしてかは分かりませんが、とにかくカインとその献げ物に主が目を留められなかったことで、カインは激怒します(5節)。

 

 彼の怒り方、憤った様を見ると、カインはやはり最上のものを主に献げたつもりだったと思われます。主への献げ物についていい加減に考えて、残り物、余り物、どうでもよいものを主に捧げたということであれば、そこまで憤ることはなかったでしょう。

 

 カインは、主のなさり方に合点がいかなかったのです。主なる神は間違っている、自分の方が正しいと考えたのではないでしょうか。そして、主の賞賛を独り占めしたアベルに対して嫉妬の念に駆られ、狂わんばかりになってしまいました。

 

 その時、主なる神がカインに向かって語りかけ、自分が本当に間違ったことをしていないなら、正々堂々顔を上げ、胸を張ればよいではないか(6節)。しかし、自分を義として、怒りに身を任せるなら、そこに罪が待ち伏せしていると、主は言われます(7節)。

 

 けれども、カインは激しく憤っていて、その言葉に耳を貸すことが出来ません。そして、弟アベルに声をかけ、野原で弟を殺してしまいます(8節)。自らの手で兄弟の関係を破壊してしまったのです。「襲って殺した」という言葉遣いで、この殺人が偶発的に起こったものではない、カインによる故意の殺人であることを示しています。

 

 一方、殺されたアベルは、なぜ兄カインが自分に突然襲い掛かって来たのか、なぜ兄から殺されなければならなかったのか、全く合点がいかなかったことでしょう。主のなさり方が理不尽だと考えてとったカインの行動は、弟アベルにとって全く理不尽としか言えないものでした。

 

 そして、主の忠告にも拘わらず、カインは自分の心の戸口で待ち伏せしている罪を支配することが出来ず、弟の命を奪う者となってしまいました。その殺人が行われると、すぐに主なる神が現れ、カインに「お前の弟アベルはどこにいるのか」(9節)と尋ねられます。

 

 「どこにいるのか」(エーイ)という言葉は、アダムとエバが禁断の木の実を食べて身を隠した時、「どこにいるのか」(3章9節)とアダムを呼ばれた言葉を思い出します。主はそこで、アダムが主との関係を壊したことを問われたのでした。ここでは、主なる神は弟に対する責任、その関係を壊した罪を問われているのです。

 

 「お前の弟アベルはどこにいるのか」(9節)という質問に対して、カインは、「知りません。わたしは弟の番人でしょうか」(同節)と答えます。カインの父アダムは、神の「どこにいるのか」という問いに対して正直に答えていますが、カインはしらばっくれて、偽りの返答をしました。

 

 しかも、弟アベルは羊飼いですから、「わたしは弟アベル(羊の番をする者)の番人をしなければならないのでしょうか」と、ふてぶてしくも皮肉たっぷりのダジャレで、主なる神に対して自分の罪をはぐらかそうとしているのです。

 

 勿論、主をだますことなど出来はしません。冒頭の言葉(10節)のとおり、「何ということをしたのか。お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる」(10節)と主は言われました。ここで、「血」は複数形で記されており、まるで、流されたアベルの血の一滴一滴が、土の中から叫んでいるかのようです。

 

 そして、「今、お前は呪われる者となった」(11節)と語られます。不当に殺されたアベルの一滴一滴の血が、理不尽に自分の命を奪った兄カインに対する呪いを、土の中で声高に叫んでいたのでしょう。そして、その声が、主の耳に届いていたのです。

 

 9章5節に「あなたたちの命である血が流された場合、わたしは賠償を要求する。いかなる獣からも要求する。人間どうしの血については、人間から人間の命を賠償として要求する」とあります。血は命であり(レビ記17章11,14節も参照)、その命は主のものなので、人の血を流し、その命を奪う者は、主からその命を要求されるということです。

 

 その意味で、主は一人一人の命を見守り、番をしておられるので、主の目と耳を盗んで人の命を奪うことなど、全く出来ない相談だということになります。その上、流された血が、主による復讐を求めて、呪いの叫び声を上げます。主なる神の御前に、完全犯罪を目論むような行為は、全く無意味です。

 

 血を流した罪を糾弾した主は、「今、お前は呪われる者となった。お前が流した弟の血を、口を開けて飲み込んだ土よりもなお、呪われる。土を耕しても、土はもはやお前のために作物を産み出すことはない。お前は地上をさまよい、さすらう者となる」(11,12節)と、判決を言い渡されます。

 

 アダムに対して「お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ」(3章17節)と言われていました。それに対して、カインに対する判決は、カイン自身がさらに呪われて、彼がどんなに労苦しても、もはや作物を産み出すことはないと言われるのです。

 

 カインは土を耕す者でした。土から実りを得ることが出来たのに、罪に流された結果、それを完全に失ってしまったのです。もはや、農耕で生きることが出来ません。だから、彼は地上をさまよいながら生きる、放浪者となるほかなかったのです。

 

 16節に「カインは主の前を去り、エデンの東、ノド(さすらい)の地に住んだ」と記されています。放浪者に相応しいさすらいの地ノドが、彼の生きていく場となったのです。パレスチナの東方には、アラビアの砂漠が広がっています。あるいは、その砂漠地帯をさまよう様を思い描いての「ノドの地」という表現かも知れません。

 

 砂漠地帯は、まさに農耕には適さない、土の実りを産み出すことのない、常に死と隣り合わせの世界です。そのような「ノドの地」を、水を求め、食物を求めてさまよい、さすらうのです。

 

 主イエスがタラントンのたとえ話の最後に「この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう」(マタイ25章30節)と語られました。ノドの地こそ、「外の暗闇」であり、「泣きわめいて歯ぎしりする」、どんなに悔やんでも悔やみきれない、「後悔先に立たず」という言葉を噛みしめながらさすらうしかない場所でしょう。

 

 ところで、ヘブライ書12章24節に「新しい契約の仲介者イエス、そして、アベルの血よりも立派に語る注がれた血」という言葉があります。キリストが十字架で流された血が、アベルの血よりも立派に語ると言われています。

 

 それは、キリストの流された血が、自分を十字架につけて殺した者たちに対して、恨み言、呪いの言葉などではなく、罪の赦しを求め、救いを願って叫ぶからです。そして、神の御心は、私たちがキリストを信じて、皆救われることにあるのです。

 

 アダムの罪によって土が呪われ、その子カインが弟アベルの血を流して更に呪いを身に受けることになりましたが、人の罪の呪いを身に受けて死なれた主イエスが十字架でながされた血は、すべての罪を赦し、その呪いから解放して、救いを完成してくださったのです。

 

 私たちは、キリストを信じ、バプテスマを受けて、キリストの甦りの命の中に入れられました(ローマ書6章3,4節参照)。私たちが神の子とされ、御国を受け継ぐ者とされている保障として、聖霊で証印を受けたと、エフェソ書1章13,14節に記されています。

 

 聖霊は真理の御霊として、私たちに対し、主イエス・キリストのことを証言します(ヨハネ15章26節)。私たちがキリスト・イエスは私たちの主であると言い表すことで、確かに聖霊の証印を受け、御国を受け継ぐ者とされていることが保証、確認されるのです。

 

 主の恵みと導きに感謝し、日々主を仰ぎ、賛美しましょう。イエス・キリストが私たちの主であることを、その生活を通して証ししましょう。そのために、聖霊の導きと力に与りましょう

  

 主よ、あなたは互いに愛し合えと命じられました。周囲の人々と互いに怒りではなく、愛と平和の関係を築き、守り、支え合うことが出来ますように。あなたが私たちの内に住まわせておられる聖霊を通して、私たちの心に神の愛が注がれています。常に御霊に満たされて、主の愛と恵みの証し人として日々歩むことが出来ますように。 アーメン

 

 

「彼は、『主の呪いを受けた大地で働く我々の手の苦労を、この子は慰めてくれるであろう』と言って、その子をノア(慰め)と名付けた。」 創世記5章29節

 

 5章には「アダムの系図」が記されています。これはP(祭司)典で、もともと2章4節aの「これが天地創造の由来である」という言葉に続けて記されていたものと考えられます。1章1節~2章4節aもP典でした。

 

 1,2節に「神は人を創造された日、神に似せてこれを造られ、男と女に創造された」とあり、これは、1章27節の「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された」という言葉を要約したものでしょう。

 

 3節には「アダムは130歳になったとき、自分に似た、自分にかたどった男の子をもうけた」と言われます。アダムが神にかたどって造られたように、セトはアダムをかたどった男の子ということですから、セトも神にかたどって造られたということで、それによって、セト以下の子孫も神にかたどって造られたものだと言おうとしているわけです。

 

 ところで、4章のカインの系図には、この表現がありません。本来、カインはアダムの長男であり、カインこそ、アダムをかたどった男の子と言われるべきでしょう。そう言われない理由は、4章と5章ではもともとの資料が違うというのが、学者の説明です。即ち、4章はJ典、神の固有の名前をYHWH=ヤハウェと記している資料です。邦語訳聖書では「主」という言葉です。

 

 資料が違うのだから、同じ表現が出て来ないのは当たり前と言ってしまえば、身もふたもないということになるかも知れません。ただ、創世記の大枠は、ダビデ・ソロモン時代、即ち紀元前950年ごろ、J資料の著者が書きました。

 

 それに対して、P資料は、紀元前500年ごろ、つまりバビロン捕囚後に書かれたと言われます。そして、紀元前450年以降、バビロンから帰国したエズラの時代に、J資料、D資料、E資料、P資料が編集されて、モーセ五書が出来たと考えられています。つまり、四つの資料を組み合わせる編集作業が行われたわけです。

 

 その編集作業を行った編集者の意図を考えると、5章でアダムの子セトについて語られている「自分にかたどった男の子」といった表現が、4章17節以下のカインの系図に出て来ないのは、神をかたどるということが、神の御心に従って生きるということを示しているからではないかと思われます。

 

 つまり、神の御心は、神に似せて人が男と女に創造されたということから、神にあって男と女が一つになること、そこに命が創造されるということにあると思われます。ところが、兄カインが、神の警告にも拘らず、それに耳を貸さずに弟アベルの命を奪ってしまったために、神のかたちを失ってしまったということだろうと思うのです。

 

 3節以下には、アダムからノアまでの十代の系図が記されており、そこに長子が誕生したときと生涯の年齢が示されています。それによれば、アダムからノア誕生までが1056年、ノアの子セムたちの誕生まで1556年という計算になります。

 

 これは、どのように計算したのかというと、子どもが生まれた年を順番に足し合わせただけです。つまり、セトが生まれた時、アダムは130歳、そして、セトが105歳のときエノシュが生まれたので、130に105を足す。アダムが235歳の時、エノシュが生まれたということです。

 

 次に、エノシュの子ケナンはエノシュの90歳の時の子だから、235に90を足して、アダムは325歳。同様にして、ケナンの子マハラルエルが生まれた時、アダムは395歳、その子イエレドが生まれた時、アダムは460歳、その子エノクが生まれた時、アダムは622歳、メトシェラが生まれた時、アダムは687歳、レメクが生まれた時、アダムは874歳。

 

 アダムが息を引き取ったのは、930歳の時なので、何とアダムは、孫やひ孫どころではない、セト以下レメクまでの8代の子孫を見ることが出来たということになります。それは、アダムがもう少し長生きしていれば、ノアの誕生に立ち会うことも出来たかもというような年齢なのです。

 

 系図で目につくのは、何と言ってもその長寿ぶりです。最長寿は8代目のメトシェラで969歳(27節)、最も短命のエノクでも365歳です(23節)。長寿第二位は6代目のイエレドで、962歳でした(20節)。エノクは7代目なので、最も短命のエノクを、長寿1位とメトシェラ(8代目)と2位のイエレド(6代目)が挟み付けるかたちになっています。

 

 さらに、子をもうけた時の年齢の高さは、どう考えてよいのか分からないほどです。系図の最後に記さているノアは、500歳になってセム、ハム、ヤフェト、三人の男の子の父親になりました(32節)。なんという生命力でしょうか。

 

 ここに示されているのは、長寿が神の祝福だということです。長く生き、生を全うして死ぬこと、それが神の祝福であり、充実した人生と考えられていたのです。

 

 最長寿のメトシェラは、187歳のときに9代目レメクが生まれ(25節)、レメクは、182歳で10代目ノアの誕生を見ました(28節以下)。それは、メトシェラ369歳の時ということになります。ノアが500歳で子をなした時、ノアの祖父メトシェラは869歳です。先にも申し上げた通り、メトシェラは969歳まで生きています。つまり、ひ孫の誕生を見て、さらに百年生きていたのです。

 

 そのひ孫誕生から百年後、ノアが500歳で子をなしてから百年後、即ち「ノアが六百歳のとき、洪水が地上に起こり、云々」と、7章6節に記されています。少々ややこしいことを申し上げておりますが、何が言いたいのかといいますと、メトシェラが死んだのは、洪水が地上に起こったと言われる年で、だからメトシェラの死因は、洪水が起こったためと考えられるということです。

 

 同じように、メトシェラの子レメクがあと5年以上長生きしていれば、彼も洪水の犠牲になるところでした。そうならないで済むように、父祖たちよりかなり若い777歳で天に召されたというかたちです。

 

 ところで、4章のカインの系図と5章のアダムの系図の双方に、レメクの名があります。4章では、カインの末のレメクが二人の妻に、「わたしは傷の報いに男を殺し、打ち傷の報いに若者を殺す。カインのための復讐が七倍なら、レメクのためには七十七倍」(4章23,24節)と言います。

 

 ここで、レメクが人を殺すのは、受けた傷に対する報復という正当防衛的なものであり、しかも、受けた傷害の77倍も徹底的に復讐すると宣言されます。この言葉から、カインの兄弟殺しも謂わば正当防衛、あるいはカインが蒙った被害の報復だったと、レメクが言おうとしているようにさえ思われます。

 

 それに対して5章では、セトの末のレメクに与えられた男の子を「ノア」と名付けたその理由を、冒頭の言葉(29節)のとおり、「『主の呪いを受けた大地で働く我々の手の苦労を、この子は慰めてくれるであろう』と言って、その子をノア(慰め)と名付けた」と記しています。

 

 「主の呪いを受けた大地で働く」とは、アダムが神に背いたために、土が呪われ、収穫を得るために労苦しなければならないということでした(3章17節以下)。レメクの家に生まれた子が彼らを慰めるとは、ノアが癒しをもたらす者になるということでしょう。

 

 「ノア」という名には「休息」という意味があります。呪われた大地で苦労している人々に休息を与えて労うといった役割を果たすよう、期待されているわけです。それはしかし、ノアに大地の呪いを解く力があるということではありません。

 

 ローマ書15章5節に「忍耐と慰めの源である神」とあり、また第二コリント書1章3節には「慰めを豊かにくださる神」という言葉があります。つまり、神ご自身が慰めに満ち満ちているお方であり、人々に慰めを与えるため、レメクにノアを授けられたということなのです。

 

 6章9節に「その世代の中で、ノアは神に従う無垢な人であった。ノアは神と共に歩んだ」と言われます。アダムとエバが神に背いて大地が呪われましたが、10代目の子孫ノアが神と共に、神に忠実に従って歩んで、大地に休息と慰めをもたらすのです。

 

 いかにすれば、「神と共に歩む」ことが可能になるのでしょうか。私たち人間の側に、その条件を満たすことの出来る者がいるとは思えません。人が神と共に歩むということが可能になるのは、神が人と共に歩んでくださるからです。

 

 それは、実に忍耐のいることです。自分に背くような相手、自分に反抗する者と一緒にいることは、なかなか困難なことです。けれども神は、愛のゆえに、深い憐みのゆえに、忍耐をもって私たちと共に歩んでくださるのです。

 

 神は今も私たちと共にいてくださいます。マタイ福音書1章23節に「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である」とあります。主イエスこそ、私たちと共にいてくださる神だというのです。同じマタイ28章20節でも「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と宣言しておられます。

 

 主を喜び、主の御声に聴き、導きに従って歩む祝福に、皆で共に与らせて頂きましょう。

 

 忍耐と慰め、希望と平安の源である主よ、私たちに慰めや励まし、希望、平安を与えようと、御子イエスを遣わし、また、聖霊を遣わしてくださり、感謝します。キリストを心の王座にお迎えし、力と愛に満たされ、委ねられている主の御業に励む者とならせてください。私たちと歩みを共にしてくださる主の愛に感謝し、常に主を喜び、主の御言葉に耳を傾け、導きに従って歩む者であらせてください。全世界に主の慰めと平和が豊かにありますように。 アーメン

 

 

「これはノアの物語である。その世代の中で、ノアは神に従う無垢な人であった。ノアは神と共に歩んだ。」 創世記6章9節

 

 1~4節は、「神の子ら」(2節)と言われている神の御使いたちと「人の娘たち」(2節)の結婚によって、「ネフィリム」(4節)と呼ばれる半神半人的存在が生まれたという話が記されています。「ネフィリム」について、「大昔の名高い英雄たち」と紹介されています。

 

 70人訳聖書(ギリシア語訳旧約聖書)には、「ギガンテス」(ギガの複数形:「巨人」の意)の語が用いられています。その子孫がパレスティナの原住民として存在していたと考えられ、それを「アナク人」(民数記13章33節、ヨシュア記11章21節)、「レファイム人、エミム人」(申命記2章10,11節)の名で呼んでいます。

 

 しかしながら、主なる神は、「神の子ら」と「人の娘たち」の結婚や、それによって生まれた「ネフィリム」の存在を喜ばれません。そのため3節に「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。人は肉にすぎないのだから」という主の言葉が記されています。

 

 「とどまるべき」と訳されているのは、聖書中ここにしか出て来ない「ドゥーン」という言葉ですが、この言葉には、「治める、強くある」という意味があります。神の子らの生命力で、肉に過ぎない人間、即ち土から作られ、死ぬべき運命にある人間が、生命力を強め、永遠に生きるようになることを、主はお許しにならないのです。

 

 それは、神が創造された世界の秩序を破壊するものだからです。関係の破壊、それが罪の本質だと教えられて来ましたが、御使いたちと人の娘たちの結婚は、その最たるものと考えられています。アダムが神に背いて以来、その罪は増大の一途をたどり、天と地の秩序を破壊するまでになったことを、「地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っている」(5節)と言われます。

 

 このような、人間に対する主なる神の評価については、「少しは良いことも考え、計画している」と反論したい人も、少なからずおられると思います。にも拘わらず、主なる神は人の罪をとても厳しく深刻に見ておられます。そして、「地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められ」(6節)ておられるのです。

 

 ギリシアの哲学者ならば、神という存在は、人間をはるかに超越し、すべてのことをご存じなのだから、人がすることで後悔されたり、心を害されたりすることはないというのかも知れませんけれども、しかし、主なる神は、哲学者が考えて定義するようなお方ではありません。勿論、そのような超越性をお持ちでないとも言いません。

 

 サムエル記上15章29節に、預言者サムエルがサウル王に対して、「イスラエルの栄光である神は、偽ったり気が変わったりすることのない方だ。この方は人間のように気が変わることはない」と告げた言葉が記されています。

 

 しかし、同じくサムエル記上15章35節には「サムエルは死ぬ日まで、再びサウルに会おうとせず、サウルのことを嘆いた。主はサウルを、イスラエルの上に王として立てたことを悔いられた」とあります。

 

 神は人間を、機械仕掛けの人形のようには造られませんでした。知恵があり、感情を持ち、意志を持った存在として造られたのです。その心を、お互いを一人ぼっちにしない、むしろ助け合い、愛し合うために用いることを、神は期待されていました。というのも、何より神ご自身が、愛と慈しみに満ち、常に私たちに慰めや平安、希望を与えたいと考えておられる方だからです。

 

 だからこそ、私たち人間が神の御心に背き、自ら関係を破壊して不幸になる様子をご覧になって、心を痛められ、人間を造ったことを後悔されるほどに苦しまれるのです。神が「心を痛められた」というのは、「アーツァブ」という言葉ですが、この言葉の名詞形が人間に与えた「苦しみ=イッツァーボーン」(3章16,17節、5章29節)という言葉です。

 

 この言葉の用い方を見ると、人が神との関係、隣人との関係を破壊し、その罰を負わなければならない様子を見て、神ご自身が最も痛みを覚え、苦しんでおられるのです。さながら、人の罰を神が背負っておられるかのような用語です。

 

 主なる神はここで、一つの決意をされます。それは7節に「わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する」というように、地上から生けるものをすべて拭い去るというものです。

 

 家畜や這うもの、空の鳥が罪を犯したわけではないのでしょうが、人の娘たちや神の子らによって、すべてが呪われたものとなったということでしょう。「拭い去る」(マーハー)には、洗い流すという意味もあり、水による破滅という意味が暗に示されているのかも知れません。

 

 1章31節で「神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ、それは極めて良かった」と言われていましたが、主なる神はここで、この地上世界の生きとし生けるもののすべてを「拭い去る」と言われます。なんという結末でしょうか。神が後悔されたという言葉の意味、その重さ、深さがここにはっきりと示されます。

 

 神が天地を創造された時、「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いて」(1章2節)いるだけでした。ご自分が創造されたものをすべて拭い去って、もとの「混沌」、「かたちなく空しい」世界に戻そうと言われるのです。なんと辛く悲しい決意でしょうか。

 

 もしもそれだけだったら、私たちは今ここに存在していなかったでしょう。神はその時、辛く悲しい決意をされただけではなかったのです。8節に「しかし、ノアは主の好意を得た」と記されています。アダムから10代目の子孫ノアに、主が目を留められました。

 

 その選びは、「好意」(ヘーン:「恵み、行為、受容、魅力」の意)即ち、神の恩恵以外では説明出来ないものでした。神は、恐るべき裁きを実行される前に、「好意」によって救いの御業を開始するために、一人の人に目を留められたのです。

 

 ノアの人となりを、創世記の記者は冒頭の言葉(9節)で「その世代の中でノアは神に従う無垢な人であった。ノアは神と共に歩んだ」と記しています。「神に従う」とは「正しい」(ツァッディーク)、「無垢な人」とは「公正な」(ターミーム)という言葉です。

 

 正義と公正というのは、聖書を貫く中心的な用語ですが、絶対的な意味での「完全さ」をあらわすものではありません。人が、そしてその献げ物が祭儀的に正常で、神に受け入れられる状態にあるということを意味するものだと、注解書に記されていました。そのように献げ物が神に受け入れられるというのも、恵みによるということです。

 

 ノアは、神に造られた人として、罪を犯す前のアダムのように神に従い、神と共に歩むことを喜びとしていたのですが、神の恵みが、ノアにそのように歩むことを可能にした、神の恵みによってそのように歩むことが許されたということでしょう。

 

 神はノアに対して、これからご自身が実行しようとしておられる胸の内を明かされ、それに備えるように命じられます。それは、「すべて肉なるものを終わらせる時が来ている」(13節)ということです。「終わらせる時」(ケーツ)とは、預言者たちの終末を語る言葉として極めて重く用いられた言葉です(アモス8章2節、ハバクク2章3節、エゼキエル21章30,34節など)。

 

 そしてそれは、「地上に洪水をもたらし、命の霊を持つ、すべての肉なるものを天の下から滅ぼす。地上のすべてのものは息絶える」(17節)という恐るべき計画でした。それが実行されることは、確かに世の終わりを迎えることです。

 

 すべての肉なるものを滅ぼし、地上のすべてのものが息絶えるということですが、しかし、神はノアに、「ゴフェルの木の箱舟を造りなさい」(14節)と命じられました。この箱舟で、ノアとその家族は洪水を逃れるのです。

 

 神は、ノアに箱舟の設計図を示しました。それは、長さ300アンマ(約135メートル)、幅50アンマ(約23メートル)、高さ30アンマ(約14メートル)、総排水量が4万トンを越えるという、とてつもなく大きなものです(15節)。

 

 40数年前、私は神戸から沖縄まで、船で旅したことがあります。それは、1万トン級のとても大きなフェリーボートでしたが、ノアが作ることになった箱舟は、その4倍を優に超えるサイズなのです。

 

 箱舟の内部は、3階建てになっており(16節)、そして、各階ごと、小部屋に仕切られ、内側にも外側にもタールが塗られます(14節)。これは、どこか一箇所に穴が開き、浸水しても、すぐには舟が沈まないための工夫で、現代の船の建造にも通用するものです。

 

 この船の大きさから考えると、神は、ノアとその家族だけを洪水から守りたいと考えておられたのではなく、もっと多くのものを救いたいと考えておられたことが分かります。ここに、神の愛と憐れみの大きさ、豊かさが示されています。

 

 ここに全くその記述はありませんが、あるいは、ノアとその家族は、神に命じられて巨大な箱舟を建造する傍ら、周囲にいる人々に向かって、「主が洪水でこの地上を滅ぼし尽くすことに決められましたた。私たちと一緒に、この箱舟を造って乗り込み、生き延びられるようにしましょう」と訴え、箱舟造りに協力を求めたり、あるいは箱舟に共に乗り込むように勧めてていたのではないでしょうか。

 

 しかしながら、ノアの言葉に耳を貸し、箱舟造りに協力したり、一緒に舟に乗り込もうという人はいませんでした。だからこそ、滅びを刈り取ることになるわけですね。ノアたちの行動は、周囲の人々には全く理解出来ないことだったわけです。恐らく、人々はノアの言葉に耳を傾けなかったというだけじゃなく、悪口雑言を浴びせ、嘲笑したのではないでしょうか。

 

 22節に「ノアは、すべて神が命じられたとおりに果たした」と語られているとおり、ノアは神に徹底的に従いました。ヘブライ書11章7節にも「信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神のお告げを受けたとき、恐れかしこみながら、自分の家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世界を罪に定め、また信仰に基づく義を受け継ぐ者となりました」と記されています。

 

 この世に倣わず、むしろ心を新たにして自分を変えて頂き、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようにならせていただきましょう(ローマ書12章2節)。

 

 主よ、あなたの深いご愛に感謝します。御子の命をもって贖いの業を成し遂げ、私たちすべての者が御子を信じる信仰により、救いの恵みに与ることが出来るようにしてくださいました。日々御言葉に耳を傾け、聖霊の導きによって御心をわきまえることが出来ますように。そうして、いつでもどこでも大胆に主の恵みを証しすることが出来るようにしてください。 アーメン

 

 

「水は勢いを増して更にその上15アンマに達し、山々を覆った。」 創世記7章20節

 

 1節に「さあ、あなたとあなたの家族は皆、箱舟に入りなさい。この世代の中であなただけはわたしに従う人だと、わたしは認めている」という主なる神の御言葉が記されています。ここに、ノアとその家族が箱舟に乗り込むことの出来る理由が語られます。当時の世の中で、ノアだけが主に従う人だと主から認められているからというのです。

 

 「従う人」は「ツァディーク(正しい)」という言葉です。口語訳と新改訳、岩波訳は直訳的に「正しい」と訳しています。ただ、この言葉は法律的に「正しい」という意味の言葉ではありません。これは関係を表す言葉で、その人が置かれている関係の中で正しく振る舞う人という意味です。

 

 人が神との正しい関係にあれば、その人は神を信じ、依り頼み、御言葉に従うでしょう。そこで、新共同訳は「従う人」と意訳しているわけです。主なる神との関係に正しく立つ者、主に従う者に対して、主もまた恵み深く関わってくださいます。それで、ノアに箱舟に入れと言われるのです。

 

 そして、ノアの妻子や嫁たちも、箱舟に入ることが許されます。ノアの従順と主の憐れみによって、その家族も救いに与るのです。これは、パウロがフィリピの獄吏に「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」(使徒言行録16章31節)と告げた言葉を思い起こさせます。一人の人物の信仰、その正しい振る舞いにより、彼との親しい関係にある者にも神の恵みが及ぶのです。

 

 主なる神は、清い動物は7つがいずつ、清くない動物は1つがいずつ、鳥も7つがいずつ船に乗せるよう命じられます(2,3節)。清くない動物については、レビ記11章にそのリストが示されます。因みに、そこで不浄とされている動物の多くは、パレスティナ先住民や周辺諸国民の祭儀の中で聖なるものとして高く評価されています。異教の祭儀や呪術的な習慣から離れるために、不浄と定められたようです。

 

 ノアと妻子、嫁たち、清い動物、清くない動物、鳥も地を這うものもすべて、箱船に入りました(7節以下、13節以下)。すると「主は、ノアの後ろで戸を閉ざされ」(16節)ました。主が門番となり、主に認められたものが計画通りに箱船に入って洪水から守られ、主に認められなかったものたちが乗り込むことのないように、主がその戸を閉ざしてしまわれたのです。

 

 洪水について、4節で「わたしは四十日四十夜地上に雨を降らせ、わたしが造ったすべての生き物を地の面からぬぐい去ることにした」と言われ、12節に「雨が四十日四十夜、地上に降り続いた」、17節後半に「水は次第に増して箱船を押し上げ、箱船は大地を離れて浮かんだ」と告げられます。それで、地上に残されたものはすべて死に絶えました(22,23節)。これは、J典の記述です。

 

 一方、11節には「大いなる深淵の源がことごとく裂け、天の窓が開かれた」と語られています。これは、P典の記述です。「大いなる深淵」(テホーム)は、1章2節の「深淵」と同じ言葉で、それが裂けて洪水となったということは、地上に水が溢れたというレベルではなく、宇宙的な破局を意味するものでしょう。

 

 「洪水」(6節など:マッブール)という言葉は、「本来、『洪水』や『氾濫』という意味ではなく、『滅ぼし』という意味ですらなく、宇宙の一部分、即ち、天上の大洋を意味する特殊用語であった」と、ATDという注解書に記されていました。七十人訳聖書(ギリシア語訳旧約聖書)はそれを、「カタクリュスモス」と訳しています。英語のカタクリズム(cataclysm:「大変動、天変地異、破局」の意)の語源となる言葉です。

 

 創世記1章6,7節において、大空(ラキーア)で水(マイム)が二つに分けられました。大空の上の水と大空の下の水で、下の水は海(同10節:ヤーミーム)と呼ばれました。上の水をどう呼ばれたのか1章には記されていませんが、大空の上の水がマッブールで、天の窓が開くと、洪水となって流れ落ちてくるというわけです。

 

 それは、大空によって分けられていた上の水と下の水が一つとなって、すべてのものが1章2節の「深淵」(テホーム)に沈み込むことになるということです。つまり、地球のみならず、宇宙全体に人の背きの罪による破局が及んだということでしょう。

 

 洪水が40日間地上を覆い(17節)、さらに勢力を増して大いにみなぎり、箱船は水の面を漂います(18節)。天の下にあるものはすべて、水に覆われてしまいました(19節)。そのことを強調するかのように、冒頭の言葉(20節)のとおり「水は勢いを増して更にその上15アンマに達し、山々を覆った」と告げます。

 

 この記事は、考えてみるまでもなく実に不思議な言葉です。そもそも、あらゆる高い山の上15アンマに水面があるということですが、いったい誰がその水深を計測したのでしょうか。そして、そのことに、どんな意味があるというのでしょうか。

 

 勿論、意味のないことが聖書に記されているはずはありません。天が裂けて宇宙全体の破局が起こっているという状況で、水の深さを測ることが出来るのは、主なる神とその御使いたちだけです。主が無意味なことをされるはずがありません。

 

 それで考えつくのは、箱舟との関係です。箱船の高さは、30アンマでした(6章15節)。15アンマは、箱舟の高さの半分、ちょうど真ん中ということになります。箱舟が水に浮かんでいるときの喫水線は、箱舟に乗っている人や動物などの重さに舟自体の重量を加えた重さと、喫水線下の舟の体積分の水の重さが釣り合うところになります。

 

 舟に乗っているものが軽ければ、喫水線は下がり、乗っているものが重ければ、喫水線は上がります。水面から一番高い山の頂上までの水深が15アンマなので、喫水線が舟底から15アンマ以下であれば、箱舟はどこにもぶつかることなく、どこまでも水面を漂うことになります。

 

 8章4節に「箱舟はアララト山の上に止まった」と記されています。アララト山は、トルコとアルメニア(旧ソ連)の国境にそびえる、イスラエルの人々が知っているこの地方の最高峰(標高5,144メートル)です。水が減り始めて、洪水が起こって5ヶ月後の「第七の月の十七日」にアララト山に止まったということですが、水が減らなければ、漂ったままだったのかも知れません。

 

 また、箱舟には、舵もなければ、帆や櫂など動力もありません。完全に浪任せで水の面を漂うほかはないのです。水が減り始めたとき、それが太平洋や大西洋のど真ん中であれば、乾いた地を見つけることも出来ません。アララト山に止まったのはたまたまなどというのではなく、初めからきちんとそこに漂着するように、主は計算しておられたのでしょう。

 

 そのことを読者に悟らせるために、水深を測り、それを創世記の記事に記させておられたのです。そのことは、私たちの目に、直面している事柄、その状況がどのように見えているとしても、神は絶えずそこで私たちに配慮して最善のことをなし、私たちを恵みへ、救いへ導こうとしていてくださるということでしょう。

 

 ノアは、そのように主なる神を信じ、その御言葉に信頼して箱舟を造り、家族で箱舟に入りました。そうして、主の恵みを得ました。ノアの信仰によって、息子たちとその嫁たちなど家族全員も恵みに与ることが出来ました。

 

 私たちも日々主を仰ぎ、その御言葉に耳を傾け、導きに素直に従いましょう。主が最善をなしてくださり、限りなく豊かな恵みに与らせてくださると信じましょう。

 

 主よ、あなたの恵みに依り頼みます。弱い私たちです。自分の信仰ですら、固く保たせることが出来ませ。慈しみの御手の下に絶えず私たちを導き、守り支えてください。聖霊の執り成しにより、万事が益となるように共に働いてくださることを感謝します。日々御言葉に聴き、導きに従って歩ませてください。御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「神は、ノアと彼と共に箱舟にいたすべての獣とすべての家畜を心に留め、地の上に風を吹かせられたので、水が減り始めた。」 創世記8章1節

 

 冒頭の言葉(1節)に「地の上に風を吹かせられた」という言葉があります。「風」はヘブライ語で「ルーアッハ」と言います。1章2節に「神の霊が水の面を動いていた」とありましたが、「霊」も同じ「ルーアッハ」です。

 

 天地創造の初め、まだすべてが混沌として、闇が大いなる深淵の面にあり、水の面を神の霊が動いていて、そこに秩序が造り出されていったわけです。それと同じように、深淵の源が裂け、天の窓(複数)が開いて、大空の上と下の水が一つとなり、一切が初めの混沌とした状況に戻されたところに、風(霊)が吹き、秩序が回復されていくのです。

 

 そのきっかけとなったのが、「神は、ノアと彼と共に箱舟にいたすべての獣とすべての家畜を心に留め」(1節)というところです。あらゆる命を奪い去った水の面をさまよう箱舟が、そのままの状態で放置されてしまうなら、水と食料が尽きて、彼らも死に絶えることになったことでしょう。神は、そのようになることを望まれませんでした。

 

 そこで、風を吹かせ、水を追い遣られます(1節)。また、深淵の源と天の窓が閉じられたので、天からの雨がやみました(2節)。3節には「百五十日の後には水が減って」とあり、4節で「第七の月の十七日に箱舟はアララト山の上に止まった」と言われます。

 

 7月17日というのは、2月17日に洪水が起こってから(7章10節)「150日」、ちょうど5か月たった期日です。その日、箱舟がアララト山に漂着したというのですが、それはすべて、神の導きです。箱舟には舵も動力もありません。すべて風任せ、浪任せの船旅です。

 

 山頂より15アンマ上に水面があり、そこを漂流しているわけで、仮に、太平洋上に箱舟があれば、とめどなく船は動かされて、水が減り始めているという実感など、まずもって持つことは出来なかったことでしょうし、また水が完全に減ったとしても、箱船から出ることが出来なくなっていまいます。山にぶつかったことで、水が減り始めたこと、そこに陸があることを、はっきり知ることが出来ました。

 

 それから2か月と2週間経過した10月1日に、山の頂が水面に顔をのぞかせるようになりました(5節)。そして、40日後、即ち11月10日になって、ノアは、水が引いたかどうかを確かめようと、まず烏を放します(7節)。続いて鳩を放します(9,10,12節)。そうして、水が引いたかどうかを確かめていたわけです。

 

 この出来事から、6節でノアが開いた箱舟の窓は、箱舟の側面ではなく、明かり取りとして設けられた屋根の窓であったことが分かります。側面に窓があれば、鳥を放さなくても、水が減っていること、山の頂が水面から顔を出していることが、自分たちの目で確認出来たでしょう。

 

 とはいえ、窓があって外の状況をつぶさに見ることが出来たなら、雨の降り始めから地上に水がみなぎり始め、生きとし生けるものの命が絶やされていくところを目撃することにもなったでしょう。また、何日も雨が降りやまず、何か月も水が減らない状況に、希望を失うような事態になったかも知れません。

 

 側面の出入り口は神によって閉ざされたまま、屋根に取り付けられた明かり取りだけが外の世界を知る手掛かりということは、ノアたちはいつも天を仰ぎながら、神が起こされる出来事に、ただただその身を委ねるほか、なすすべはなかったということです。

 

 

 雨の降り始めから1年後、最初の月の一日に完全に水が引き(13節)、第2の月の27日、つまり1年と10日が経過した後、地はすっかり乾きました(14節)。そこで、神はノアに箱舟から出よと促されます(15節以下)。それで、ノアと家族、動物たちは、神に告げられた通り、箱舟から出ました。(18,19節)。

 

 それからノアは、主のために祭壇を築き、清い家畜と清い鳥のうちから焼き尽くす献げ物をとって献げました(20節)。「祭壇」(ミズベーハ)は、いけにえの動物を「屠殺する」(ザーバー)という言葉から来ており、聖書中に403回出て来ますが、ここで最初に用いられています。

 

 ノアは、そのようにすることを何時何処で学んだのか分かりませんが、箱舟を出て祝いの飲み食いをしたり、住み着く場所を探すよりも先に、いけにえをささげて礼拝したのです。主に従う正しい人は、「何よりもまず、神の国と神の義とを求めなさい」(マタイ福音書6章33節)という御言葉を実践する者であるということが、ここに明確に示されているわけです。

 

 焼き尽くす献げ物の芳しい香りをかいだ主が、「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。わたしは、この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい」(21節)と語られました。

 

 「人に対して大地を呪うことは二度とすまい」と主なる神が決意を述べられたのは、洪水を経験した人々が、徹底的に悔い改めて二度と悪を行わないという決意をしたからなどということではありません。というのは、「人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ」と、その理由の言葉が記されているからです。

 

 「常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって」(6章5節)というのが、神が洪水によって地の面から人をぬぐい去ろうとお考えになった理由でした。しかし、洪水後も、「人が心に思うことは、幼いときから悪い」と言われるということは、人間は、洪水の前と後で何ら変わっていないということになります。

 

 それならばなぜ、「呪うことは二度とすまい」ということになるのでしょうか。その問いの答えは、冒頭の言葉の「ノアと彼と共に箱舟にいたすべての獣とすべての家畜を御心に留め」という言葉にあるということでしょう。つまり、神がノアたちに御心を留めてくださらなければ、地上に人類が生き残ることは出来なかったのです。

 

 宗教改革者カルヴァンは、創世記を註解して、「もし人々がそれにふさわしく扱われねばならぬとすれば、毎日毎日洪水が必要であろう」と記しています。確かに、私たちは、自分の心に思い計る悪のゆえに、毎日洪水によって神の裁きを受けなければならないでしょう。

 

 義なる神の御前に、自分一人で立つことの出来る人間など、存在しません。皆、神の憐れみを必要としています。即ち、神が、その憐れみによって私たちに御心を留めて下さるのでなければ、誰も生きられないということです。

 

 それは、ノアにとってもしかりです。神がノアを御心に留められ、風を吹かせられたからこそ、水が減り始めたのです(1節)。そうでなければ、永遠に大水の上を漂っていなければならなかったことでしょう。そして、結局滅びを招くほかなかったと思われます。

 

 時折、私たちの周りで、思いがけない出来事が起こります。災害に見舞われる人がいます。悲惨な事件に巻き込まれる人がいます。それはしかし、神の呪いや罰などではありません。大規模災害を神の裁きのように言う人が時折ありますが、神は「呪うことは二度とすまい」と仰っています。

 

 神は、ノアとその家族、家畜に目を留められたように、そのような被害を蒙った人やその家族を心に留め、愛のまなざしを向けてくださるでしょう。そして、神に代わったつもりで被害を被った人を断罪するようなら、他者を量った計りで自分も量り返され、それこそ、神の裁きを被ることになるでしょう。その人は無事では済むでしょうか。

 

 忍耐と慰めの源であり、また希望の源である神に信頼し(ローマ書15章5,13節)、聖霊の導きに従って共に歩みましょう。

 

 主よ、罪のもとにあり、滅びを刈り取るほかなかった私たちに目を留め、救いへと導いてくださったことを感謝します。私たちにキリスト・イエスに倣って同じ思いを抱かせ、私たちの主イエス・キリストの神であり、父である方をたたえさせてください。どんな時にも、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とで私たちを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてください。 アーメン

 

 

「雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なる者との間に立てた永遠の契約に心を留める。」 創世記9章16節

 

 箱舟を出たノアとその家族が祭壇を築いて供え物をし(8章18節)、その香りをかいで「人に対して大地を呪うことは二度とすまい」(同21節)と言われた主なる神が、更に「産めよ、増えよ、地に満ちよ」(1節)と祝福されます。

 

 これは、神が最初に人を創造されたときに祝福して言われた「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ」(1章28節)という言葉とほぼ同じです。ここに神は、洪水後、世界を改めて祝福され、神の御旨にかなう、「極めて良かった」(1章31節)と評価される世界を再創造されました。ここで人々が、再び産まれ、増え広がり、この地を満たすことを神が望んでおられるということです。

 

 続いて、「地のすべての獣と空のすべての鳥は、地を這うすべてのものと海のすべての魚と共に、あなたたちの前に恐れおののき、あなたたちの手にゆだねられる。動いている命あるものは、すべてあなたたちの食糧とするがよい。わたしはこれらすべてのものを、青草と同じようにあなたたちに与える」(2,3節)と語られます。

 

 かつて人と動物に与えられていた食物は、木の実や青草だけで(1章29,30節)、肉食は許されていませんでした。すべての命は主なる神の主権のもとにあり、いかなるものも殺害することは、許されないものだったのです。

 

 しかしながら、ここでは肉食が許され、「動いている命あるものは、すべてあなたたちの食糧とするがよい。わたしはこれらすべてのものを、青草と同じようにあなたたちに与える」(3節)と言われています。

 

 それでも、「ただし、命である血を含んだまま食べてはならない」(4節)と、注意書きが記されています。この箇所を岩波訳では、「肉は命あるまま、すなわち血のまま、食べてはならない」と訳しています。つまり、血は命そのもの、命は血の中に宿っていると考えられているのです。

 

 申命記15章23節にも「ただし、その血を食べてはならず、水のように地面に注ぎ出さねばならない」と記されています。1章24節によれば、神は動物を地から造られました。そこで、屠られる動物の血は、大地に戻されるのです。

 

 また、レビ記17章11節には「血はその中の命によって贖いをするのである」と記されています。血は命そのものなので、屠られた動物の血を神に献げることで、それを献げた人の命の贖いをしているというわけです。

 

 ですから、動物の血を飲むことは許されませんし、人の血を流し、命を奪うことも、勿論許されません。5節に「また、あなたたちの命である血が流された場合、わたしは賠償を要求する。いかなる獣からも要求する。人間どうしの血については、人間から人間の命を賠償として要求する」と言われます。

 

 続く6節でも「人の血を流す者は、人によって自分の血を流される。人は神にかたどって造られたからだ」と言われています。これは、命が神のものであり、特に神にかたどって造られている人の命は不可侵なのです。エデンの園の善悪の知識の木の実を食するのが禁じられたのと同じく、人の命に触れることは、神の主権に関わる事柄だということです。

 

 こうした言葉に続いて、神は8節以下に契約の言葉を告げられます。6章18節で「わたしはあなたと契約を立てる」と言われていました。ここに来て、ノアとその子孫たち、およびあらゆる鳥や家畜、地のすべての獣などに対して、その調印が行われるのです。

 

 「契約」というのは、ヘブライ語の「ブリート」という言葉です。これは、「結ぶ、定める」(バーラー)という動詞から出て、足かせや軛などの意味となり、対人関係における約束を示す言葉になりました。

 

 契約の内容は11節に「わたしがあなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない」と記されます。これは、神がノアとその家族を初めとする全人類の保護を約束したものです。神に対するノアたちの忠誠などは、ここに求められてはいません。神が一方的に締結宣言された契約ということです。

 

 13節で神は「わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる」と言われました。虹は、神と私たちの間に契約が結ばれたという証拠、契約書に押された証印のようなものでしょう。

 

 ご承知のように、虹の色の数は一般的に七色(赤、橙、黄、緑、青、藍、紫)と考えられていますが、これは、物理学者ニュートンの虹の研究に由来するものです。イギリスでは、虹の基本色は「赤、黄、緑、青、紫」の5色と考えられていましたが、ニュートンは柑橘類のオレンジの橙色と植物染料インディゴの藍色を加えて、7色としました。

 

 勿論、虹の色は無段階に変化しています。色の種類は、無限にあるわけです。そのことをニュートンも知っていましたが、それにも拘わらず、虹を7色としたのは、7が神聖な数、聖書における完全数だからだそうです。音楽のオクターブも、ドレミファソラシの7音からなっています。ニュートンは、虹の美しさを、七つの基本色から出来ている神聖さ、完全さによるとしたわけです。

 

 ところで、「虹」は原語で「ケシェット」と言います。「ケシェット」は、通常「弓矢」と訳される言葉です。21章16節では「矢」、27章3節、48章22節、49章24節では「弓」と訳されています。つまり、虹は神の武器なのです。だから神は「わたしの虹」(13節)と言われています。英語で「レインボウ(雨の弓)」というのは、この箇所に由来しているのかも知れませんね。

 

 神はここで、御自分の武器である弓を、雲の中に虹として置いて、和解のしるし、契約のしるしとされ、二度と大地を洪水で滅ぼすことはしないと約束されたのです。神の武器は、人の手の届かない雲の中に置かれています。この宣言によって、神の恵みは常に人の意志に先行していることを示しています。

 

 冒頭の言葉(16節)に「永遠の契約」(ブリート・オーラーム)と記されています。二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはない(11節、8章21節も)という約束が、永遠のものであるということです。

 

 因みに、「永遠の契約」は他にアブラハムに対して(17章7節など)、またモーセに対して(出エジプト記31章16節、レビ記24章8節など)、さらにダビデに対して(サムエル記下23章5節など)、告げられています。またイザヤ書24章5節、エレミヤ書32章40節など、エゼキエル書16章60節など、預言者の書でも取り上げられます。

 

 8章22節に「地の続く限り、種蒔きも刈り入れも、寒さも暑さも、夏も冬も、昼も夜も、やむことはない」と言われていました。春夏秋冬、一年365日、神が再構築された天地は、再びリズムを取り戻して、夕となり朝となる毎日のリズムが繰り返されるのです。

 

 雲が湧き、雨が降り出すことがあるでしょう。川が溢れるようになることがあるかも知れません。しかし、それで地が裁かれ、滅ぼされるということはありません。雲の上には太陽が照っており、やがて虹を見せるのです。

 

 そして、「虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める」(16節、14,15節も)と言われています。虹が現れる度に、私たちに神との契約を思い出せと言われているのではありません。神が永遠の契約に「心を留める」(ザーカール:「覚える、思い起こす」の意)と言われているのです。

 

 当然のことながら、神が虹を見て契約に心を留められるのは、神が忘れっぽいので、虹を見て契約を確認するということではありません。箱船のノアたちに「心を留め」(ザーカール)、それで水が引き始めたように(8章1節)、心に思うことは幼いときから悪いと言われる私たちを神が忍耐し続け、深い憐れみと慈しみの心で愛し、恵みを与え続けるため、虹を見るようにするということです。

 

 その上、永遠の契約は、「地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた」と言われています。ノアとその家族だけでなく、人類だけでもなく、すべての生き物との間に立てられました。人がした悪で滅びを招いた自然界の生きとし生けるものに対して、契約を立てて、人の悪のゆえに洪水をもって自然界を滅ぼすことは二度としないと言われているのです。

 

 悪をなす人に対し、神はその悪に悪をもって報いるというのではなく、御自分の武器を放棄し、世界の平和を守り、人に恵みをお与えくださいます。私たちは、その恵みを携えて全世界に増え広がるよう、神に祝福されているのです。

 

 その精神が日本国憲法第9条の「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」という条文に見事に言い表されているといえるのではないでしょうか。

 

 世界中の国々が、この条文をその憲法に書き込めば、世界から戦争をなくすことが出来るでしょう。やがて、戦争が野蛮な行為として、国際的な法律で断罪される時代を迎えることが出来るように、神の導きと助けを祈りたいと思います。

 

 そのために、私たちも契約のしるしである虹を見て、主が私たちにお与えくださった恵みに心を留め、喜びと感謝の賛美と祈りを捧げながら、愛と赦しに歩ませて頂きたいと思います。

 

 主よ、あなたが御心に留めてくださるとは、人間は何者なのでしょう。人の子は何者なのでしょう、あなたが顧みてくださるとは。私たちは主の御顔を拝し、御言葉に耳を傾けます。御霊の導きに与り、心から御名を崇めます。聖霊に満たされて、主の証人としての務めを全うすることが出来ますように。 アーメン

 

 

「ノアの子孫である諸氏族を、民族ごとの系図にまとめると以上のようになる。地上の諸民族は洪水の後、彼らから分かれ出た。」 創世記10章32節

 

 10章には、ノアの息子たち「セム、ハム、ヤフェトの系図」が記されています。その最後に冒頭の言葉(32節)のとおり「ノアの子孫である諸氏族を、民族ごとの系図にまとめると以上のようになる。地上の諸民族は洪水の後、彼らから分かれ出た」と語られています。箱舟を出たノアの子孫が、アララトから全世界に増え広がって行ったわけです。

 

 それは、「産めよ、増えよ、地に満ちよ」(9章1,7節)と神がノアたちを祝福してくださった結果です。ということで、この系図は、すべての民族が一つの家系から出たということを表わしているのです(同19節参照)。

 

 ノアの三人の息子たちの系図について、ヤフェトの子孫(2節以下)は、小アジア並びに地中海沿岸の国々に広がっています。ハムの子孫(6節以下)は、クシュはエチオピア、プトはリビアを指すと考えられることから、カナン以外はエジプト北部にある国々ということです。

 

 セムの子孫(21節以下)は、「エベルのすべての子孫の先祖」と記されています。「エベル」とは、ヘブライ人(イブリー)を指していると思われますが、これはもともと「渡って来た」という言葉で、海や川の向こう側から移住して来た人々を意味します。

 

 カルデヤのウルを出発したアブラハムとその家族が、約束の地カナンにやって来て、その後、430年に亘るエジプトでの奴隷生活の後、葦の海を渡ってシナイの荒れ野に入り、その40年後にヨルダン川を渡って、カナンにやって来ました。まさに「エベル」です。。

 

 「セム、ハム、ヤフェトの系図」と言っておいて、セムが最後に取り上げられています。これは、セムの系図が最も重要なものであることを示しています。

 

 21節にセムが「ヤフェトの兄であった」と記されています。ノアの子はセム、ハム、ヤフェトの3人ですから、セムはヤフェトの兄であるだけでなく、ハムの兄でもあるはずです。創世記の著者は、ここでは敢えてハムの名を伏せたようです。それは、9章20節以下の出来事、ノアによる呪いが関係しているのでしょう。

 

 それでも、ハムの系図が一番大きな分量で描かれ、特にニムロドについて詳細に語ることで、主なる神はご自身の御心に適うことを行おうとする者だけでなく、むしろ神の民に敵対するような者でも、ご自分の道具として選び、立て、お用いになえることが出来るということが示されます。

 

 ニムロドは、「地上で最初の勇士となった」(8節)、「主の御前に勇敢な狩人であり」(9節)と言われます。動物を屠って食べることが許されて(9章3節)、狩猟を生業とする者が登場したわけです。

 

 ただ、「最初の勇士」、「勇敢な狩人」で連想されるのは、猛獣と戦って町を守るという人物像です。町を守る者というイメージは、やがて「王」を示すようになります。10節に、「彼の王国の主な町は」と記されているように、ニムロドは彼の王国の権力的支配者となっています。

 

 ニムロドの出身地クシュはエチオピアを指していますが、支配地域は、「シンアルの地」(10節)、即ちバビロニアです。そこから、「アッシリアに進み、ニネベ、レホボト・イル、カラ、レセンを建てた」と言われます(11,12節)。これは、歴史的な事実というよりも、イスラエルを苦しめた存在として、エチオピヤやバビロン、アッシリアなどの名が挙げられているのです。

 

 ニムロドに、「主の御前に勇敢な狩人」という形容詞がつけられているのは、アッシリア、バビロンの王がイスラエルを苦しめるのが主の御心という表現だと考えると、大変興味深いところです。それは、シンアルの地が、11章でバベルの塔の物語と結び付けられているからです(10節、11章2,9節参照)。

 

 11章10節以下のセムの系図に「アブラム」(26節)が登場して来ます。「神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる」(マタイ福音書3章9節)と言われますが、確かに神は、血筋や能力などではなく、恵みによっておのが民を選び、イスラエルを作り出されたのです。そして、その恵みによって、私たちも選ばれたのです。

 

 神は、洪水によってすべて完璧になったとは言われませんでした。洪水の前も後も不完全なまま、人は幼いときから心に思い図ることは悪いことばかりと言われたのです(8章21節、6章5節)。しかし、そこに慈しみ深き主なる神がおられ、私たちに恵みを与えていてくださいます。不完全な、ただの人である私たちを選び、キリストの教会を建て上げるために用いてくださいます。

 

 私たちが住んでいる町とその周辺、私たち信徒一人一人が置かれている家庭や職場、学校、地域が、私たちの宣教の最前線です。主イエスは、世界宣教のために宣教師を海外に派遣されたように、私たちをこの静岡周辺の宣教のために選び立てておられます。家族の救いのため、近隣への伝道の進展のために祈りましょう。

 

 命が親から子へ、子から孫へとつながれていくように、永遠の命、信仰の恵みも、主によって人から人へとつなげられていきます。そうした営みの背後に、世界宣教を祈る世界中の人々の祈りがあって、至るところに実を結んでいるのです。

 

 私たちも常に主を仰ぎ、共に御言葉に耳を傾け、御霊の力を受けて、主の教会を建て上げる働きのために熱く祈り、自らを神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとしてささげて参りましょう。それこそ、私たちのなすべき霊的な礼拝だからです(ローマ書12章1節)。

 

 主よ、セムの子孫としてアブラハムが生まれ、ダビデが生まれ、ダビデの子孫としてキリストが世に来られました。すべてが主の深い憐れみによるものでした。私たちも恵みによって救いに与り、神の民として頂きました。聖霊に満たされ、その力を受けて、主の証人としての召しにふさわしく歩み、この地にキリストの教会を建て上げる働きのため用いてくださいますように。 アーメン

 

 

「こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。」 創世記11章9節

 

 洪水の後、箱舟を出たノアの子ら、その子孫たちは、世界全地に広がって行きました(9章19節)。ノアの息子ら、その子孫は、それぞれの地に、言語、氏族、民族に従って住むようになったと、10章5節、20節、31節に記されていました。どのように氏族、民族が別れ、違う言語で話すようになったのか、その原因を説明しているのが、1節以下の段落です。

 

 1節には「世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた」と言われています。「同じ言葉を使って」は「ひとつの唇(サーファー・エハート)」、「同じように話して」は、「同じ(ひとつの)言葉(ドゥバリーム・アハディーム)」という言葉遣いです。どこでも同じ言葉で話していて、思いを通わせ合うことが出来ます。

 

 2節に「東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた」とあります。「シンアルの地」とは、10章10節の「彼の王国の主な町は、バベル、ウルク、アッカドであり、それらはすべてシンアルの地にあった」という言葉からも、メソポタミア平野南部から中風にかけてのバビロニア地方を意味するヘブライ語の表現と考えられます。

 

 いずれにせよ、シンアルの地に住み着いた人々は、「れんがを作り、それをよく焼こう」(3節)といって、素焼き煉瓦造りを始めます。パレスティナでは、建築に石材や木材を用いますが、メソポタミアでは、石材や質のよい木材に恵まれなかったので、煉瓦を作っていました。

 

 紀元前4千年から1千年間は、粘土を乾燥させただけの日干し煉瓦を使っていましたが、紀元前3千年ごろ、粘土を焼いて素焼き煉瓦を作るという技術が生み出されて、壁の内部には日干し煉瓦を用い、素焼き煉瓦はそれを保護するために用いられたようです。そして、漆喰の代わりに、大量にあるアスファルトが用いられました(3節)。

 

 紀元前3千年ごろといえば、ジグラットと呼ばれる塔が造られるシュメール・アッカド時代にあたります。ジグラットとは、アッカド語で「高いところ」を意味しているそうです。ジグラットの最上部には月神ナンナルを祀る神殿が載せられています。ジグラットは、神が訪れる人工の山として建造され、そこで人が神と出会うことが出来ると考えられていたようです。

 

 4節に「彼らは、『さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう』と言った」と記されています。高い塔を建てる目的は、名声を得て、全地に散らされることのないようにするということでした。

 

 シンアルの地に住み着いた人々が「東の方から移動してきた」理由が、より有名な強い民に追い払われた結果だとすると、この地から余所に移動させられずにすむように、堅固な町を建てたいという願いは、分からないではありません。

 

 ここで「天まで届く塔」を建てるのは、外敵から町を守るためであり、それがどこよりも高い塔であれば、それを建てた人々の威信を内外に示すことが出来ると考えたわけです。その意味で、ここに示されているのは、所謂「ジグラット」のような宗教施設ではありません。

 

 けれどもそれは、「あなたたちは産めよ、増えよ、地に群がり、地に増えよ」(9章7節)と言われた主の御命令に背くことになります。また、自分たちの力を周囲の人々に誇示しようとすることは、他の人々よりも自分たちを上に置き、自分たちが神に近い存在として「ジグラット」を造りたいと考える傾向を示しているとも言えるでしょう。

 

 主なる神は、高い塔のある町を建てようとしている人々の振る舞いを御覧になるため、天から降って来られます(5節)。勿論、申し上げるまでもないことですが、主なる神は、天から降って来られなければ、人間のしていることが分からないような、近視眼的なお方ではありません。

 

 これは、天まで届く塔のある町を建てて名をあげようと考えている人々に対して、主なる神のおられる天は、途方もなく高いところにあるということです。その一方で、人間の業はあまりにも小さいので、それを見るために天から降りて、近くに寄って来て見る必要があるという、ある種の皮肉をここに込めているわけです。

 

 皮肉と言えば、高い塔が石造りではなく煉瓦で築かれるというのも、弱くて不十分なものであると言おうとしているということも出来るでしょう。9年前のトルコ東部地震では、煉瓦積みの家の崩壊で犠牲となった方が多くあったと報道されていました。

 

 塔を建てようとしている人々の振る舞いをご覧になって、主なる神は、「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない」(6節)と言われました。

 

 一つの民で、一つの言葉を話しているから、何を企てても、妨げることができないということで、一致の大切さ、その力強さを教えられます。それは、主なる神ですら妨げられないことだというのです。人々はそれを知っていて、自分たちの一致が乱され、全地に散らされることを恐れます。自分たちの名をあげたいという野望が、それによって妨げられてしまうからです。

 

 主なる神は「我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉を聞き分けられぬようにしてしまおう」(7節)と言われ、それを実行されました。その結果を言い表しているのが、冒頭の言葉(9節)です。

 

 人々は、同じ言葉を話しながら、素焼き煉瓦とアスファルトを得て、天にまで達する高い塔のある町を建てようとしました。しかし、主によって言葉が乱され、話が互いに通じ合わなくなって、町が建設出来なくなりました(8節)。それによって、その町は「バベル」と呼ばれるようになったと説明されます。

 

 「バベル」とは「バビロン」の古い名前で、バビロニアの言葉で「神の門」という意味です。しかし、ここでは「混乱」を意味する「バラル」という言葉に由来する名前だと説明されています。このことで、アダムとエバが、神のようになろうとして禁を犯した結果、神との関係が壊れ、夫婦関係もおかしくなったということを思い出します。

 

 人がいかに高い技術や知識を獲得し、それによって神のようになろうとしても、実際に神の門に到達することなど出来ないのです。恐怖心で人の心を縛り、一つになって突き進んでいるつもりでも、そこにはしかし、混乱しかないのです。

 

 言語が混乱させられたというのは、今まで日本語を話していた人が急に英語を話し始めたというような、全く違う言語に変わったということでしょうけれども、あるいは同じ日本語を話していながらも、自分の考えに固執しているため、相手の話が全く理解出来ないという事態を示しているのかも知れません。

 

 言葉が乱されて、思いの通じなくなった人々は、町を建てることが出来ず、そこから全地に散らされて行きました。しかしながら、全地に広く散らされて行くこと自体は、刑罰などではありません。そもそも神は「産めよ、増えよ、地に群がり、地に増えよ」(9章7節、同1節、1章28節など)と命じておられたのであり、それが実行されたということだからです。

 

 とはいえ、互いに言葉が通じない、きちんとコミュニケーションが出来ないというのは、多くの問題を生じさせます。神の祝福を携えて増え広がるのではなく、混乱して一致できないからです。背き合うことを、聖書は「罪」と言います。罪のゆえに、私たちは神の恵みを失い、その栄光を受けることが出来なくなってしまいました(ローマ書3章23節)。

 

 ゼファニヤ書3章1,2節に「災いだ、反逆と汚れに満ちた暴虐の都は。この都は神の声を聞かず、戒めを受け入れなかった」と言われ、そのため6節で「わたしは諸国の民を滅ぼした。彼らの城壁の塔は破壊された。わたしは彼らの街路を荒れるにまかせた。もはや、通り過ぎる者もない。彼らの町々は捨てられ、人影もなく、住む者もない」と告げられています。

 

 ところが9節には「その後、わたしは諸国の民に清い唇を与える。彼らは皆、主の名を唱え、一つとなって主に仕える」と預言されています。罪と罰が宣告された後、神は救いを用意されるということですが、諸国の民がかつてのように「主の名を唱え、一つとなって主に仕える」と言われています。

 

 私たちは、聖霊の働きによってイエスを救い主、主と信じる信仰に導かれました。信仰によって私たちには永遠の命が授けられ、神の子どもとされる特権に与りました。神に対して「アッバ」、お父ちゃんと呼ぶ霊が与えられたというのです(ローマ書8章15節、ガラテヤ書4章6節)。それは、私たちの功績によって獲得したなどというものではありません。主がお与えくださった恵みです。

 

 聖霊は私たちを祈りに導きます。どう祈ればよいか分からない弱い私たちのために、呻きをもって執り成してくださいます(ローマ書8章26節)。それによって、どんなマイナス状況をもプラスに変えてくださるのです(同28節)。

 

 また、聖霊は私たちに、主の恵みを証しする力を与えてくださいます(使徒言行録1章9節)。常に主を仰いで祈りましょう。そして、聖霊に満たされた主の証人にならせて頂きましょう。

 

 主よ、私たちの家庭や地域、国の至るところで、御言葉が語られ、その権威が回復しますように。国の指導者たちが、主を畏れ、主に仕える真実な心と考えをもって、国の将来に資する正しい政治を行うことができるよう、上よりの知恵と力を与えてください。私たちを聖霊に満たし、主の恵みを証しする力を与えてください。 アーメン

 

 

「主はアブラムに言われた。『あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。』」 創世記12章1節

 

 11章10節以下にノアの子セムの系図が記されていますが、セムから数えて9代目に、テラがカルデアのウルで生まれ(11章24節)、テラにはアブラム、ナホル、ハランが生まれました(同26節)。末息子のハランは、ロトをもうけた後、亡くなりました(同28節)。一方、長男と思われるアブラムには、子どもが出来ませんでした。

 

 同29節に、アブラムの妻はサライ、ナホルの妻はミルカで、ミルカはハランの娘と紹介されています。ナホル・ミルカ夫妻は、アブラムの子イサクの妻となるリベカの祖父・祖母となります。サライの父の名が記されていませんが、20章12節によれば、サライはアブラムの異母妹と言われているので、サライの父は、アブラムの父のテラということになります。

 

 ハランの死後、テラは息子アブラムとその妻サライ、ハランの息子ロトを連れてカルデヤのウルを出発し、ハランまでやって来ました。このとき、ナホルを連れていませんが、後にイサクの嫁取りの際、「一族のいる故郷」(24章4節)から嫁を連れて来るようにと僕に命じているので、一緒に行かなかったかも知れませんが、そのときまでにハランにやって来ていたようです。

 

 ウルはチグリス、ユーフラテス川の河口付近に位置し、ハランはその源流付近に位置する町です。ウルからハランまで、約900㎞の距離です。東京~広島、静岡~大牟田といったところでしょうか。

 

 なぜ、テラがウルからハランまで移動することにしたのか、理由は聖書に記されておりませんが、アブラムが誕生した紀元前2000年頃、東のエラムがウルに侵攻し、ウル第三王朝を滅ぼすという事件がありました。もしかすると、その難を逃れるための移動だったのかも知れません。

 

 テラは、205年の生涯をハランで閉じることになりました(同32節)。アブラムが生まれたのは、テラ70歳の時ですから(同26節)、テラが天に召されたのは、アブラムが135歳のときということになります。

 

 冒頭の言葉(1節)で、主なる神がアブラムに「生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい」と命じられました。アブラムの「生まれ故郷」は「カルデアのウル」(11章28,31節)ですが、「父の家」は、主の呼びかけを受けた時、アブラムは父テラに連れられて、ハランの地に来ていました(同31節)。

 

 アブラムがハランを出発したのは75歳のときと、4節に記されています。父テラはアブラムが135歳の時に召されたというのですから、主がアブラムに語りかけられたとき、父テラはまだ存命だったのです(同26,32節,12章4節参照)。

 

 ということで、「生まれ故郷、父の家」とは、「ハランの地」ということになるようですが、しかし、「生まれ故郷、父の家」は、アブラムを愛し、養い育て、守り支えてくれるものの総称と考えたらよいでしょう。主なる神は、アブラムがそれなしに生きることは出来ないと考えているものから、彼を引き離そうとされたのです。

 

 アブラムがハランに何年ほど住んでいたのかは不明ですが、慣れ親しんだ場所、愛され、養い育てられたところを離れ、守り支えてくれた家族、親族から別れて旅立つというのは、大変なことだったのではないでしょうか。

 

 その上、「わたしが示す地に行きなさい」と言われていますが、それがどのようなところなのか、明示されてはいないのです。75歳という年齢に達して、見知らぬ地に出て行くことを選び取るというのは、決して容易いことではありません。簡単にやり直しの聞く年齢とは考えられないからです。思えば、とても勇気のいる決断だったでしょう。

 

 しかし、アブラムはその命令に従って旅立ちます。ここに信仰の基本があります。信仰とは、神の語りかけ、その御言葉を聞いて、それに応答することです。アブラムは主の御言葉に従いました。即ち、アブラムは自分の親族や竹馬の友、家、財産などではなく、主なる神に信頼し、その導きに従うことにしたのです。

 

 「わたしが示す地に行きなさい」という命令には、祝福の言葉がつけられていました。それは、2,3節の「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る。」という言葉です。

 

 ここに、「祝福する」(バーラフ)という言葉が4回、「祝福(の源)」(ベラカー)が1回用いられています。アブラムが家を出るのは、「大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う人をわたしは呪う。地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る」(2,3節)と言われる主の祝福に与るためです。

 

 12章1節以前の状況であれば、アブラムの家は、彼の死をもって途絶えてしまいます。しかし、その状況を変える祝福の言葉が、主なる神によって語られたのです。そのまま故郷にいれば、アブラムたちは安全に守られるかもしれませんが、妻サライの不妊という状況を変えることは出来なかったでしょう。

 

 神に従って旅立てば、旅の危険、そして見知らぬ土地、見知らぬ人々の間での新しい生活の不安はあるものの、「大いなる国民とする、あなたの名を高める」という、将来の希望を手にすることが出来るかもしれないのです。アブラムは、それに懸けてみることにしたわけです。

 

 旧約学者の浅見定雄先生がこの箇所を註解して、「信仰は、服従としての冒険を回避しない。しかし、信仰の決断は、『やけくそ』や『当てずっぽう』の別名ではない!」と記しておられます。上述のとおり、確かにアブラムは、ここで主の言葉に従う信仰の決断をしたのです。

 

 「あなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める」(2節)というのは、バベルの人々が、高い塔のある町を建てて獲得しようと考えていたものでした(11章4節)。バベルの人々が獲得に失敗したものを、主なる神はアブラムに祝福としてお与えくださるというのです。

 

 しかも、アブラムに与えられる祝福は、彼一人のものではありません。アブラムの祝福は、地上のすべての氏族に及びます。「地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る」(3節)と言われているからです。一人の祝福がすべての民の祝福となるのです。

 

 何故アブラムが、地上のすべての氏族の祝福の源とされるのでしょうか。その理由は誰にも分かりません。アブラム自身にすら、分からないでしょう。ただ、アブラムを祝福の源とし、アブラムによって地上の氏族をすべて祝福に入らせたいという主なる神の御意志、憐れみ深い主の御心によって、アブラムが選ばれたのです。

 

 アブラムは、特別な存在ではありません。アブラムが自分で主なる神の祝福を造って人々に配れるわけではありません。ただ、「あなたを祝福の源とする」と言われる主を信じたのです。アブラムは、そのように主を信じる者の代表として、私たちの前に立っています。私たちも、祝福をお与えくださる主を信じる信仰において、その祝福に与っているのです。

 

 ただ、4節に「ロトも共に言った」と言われています。主から、「父の家を離れて」と言われていたのに、アブラムは甥のロトを連れて行ったのです(4節)。アブラムは、自分に子が出来なかった場合の保険と考えて、甥ロトが同行させたのではないかと思われます。

 

 やがて、カナンの地、「シケムの聖所、モレの樫の木まで来た」(6節)ところ、主がアブラムに現れて、「あなたの子孫にこの土地を与える」(7節)と言われました。「わたしが示す地に行け」という御言葉に従ったアブラムに、「これがその土地だ、これをあなたに与える」と言われているわけです。

 

 主とその御言葉に信頼して行動するとき、主は御言葉に伴うしるしをもって、御言葉の真実を示してくださいます(マルコ福音書16章20節参照)。アブラムは、そこに祭壇を築きました(7節)。また、そこからベテルの東の山に移った時も、主のために祭壇を築き、主の御名を呼びました(8節)。即ち、アブラムはカナンの地で主なる神に礼拝をささげ、主の御名を呼んで祈ったのです。

 

 主の示された地に到着して、「あなたの子孫にこの土地を与える」(7節)と言われた主に、感謝と喜びをもって2,3節で語られた祝福の実現を祈り願ったのでしょう。

 

 私たちも信仰によって救いに与ったアブラハムの子として(ルカ福音書19章9節参照)、主の御言葉にしっかりと耳を傾け、御言葉を信じて立ち上がり、前進させて頂きましょう。地上のすべての人が主の祝福に入るため、主の恵みを力強く証ししましょう。

 

 主よ、アブラムは御言葉を信じて行動しました。主はその信仰を確かなものとしてくださいました。今、私たちもあなたの御言葉を聞いています。私たちの耳を開いてください。ただ聞くだけの者でなく、聞いて行う者とならせてください。御言葉の真実を見ることが出来ますように。聖霊に満たされて、主の証人として用いられますように。 アーメン

 

 

「さあ、目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい。見える限りの土地をすべて、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える。」 創世記13章14,15節

 

 新共同訳聖書は13章に「ロトとの別れ」という小見出しをつけています。ロトは、アブラムの末弟ハランの子、つまりアブラムの甥にあたります。これから、叔父アブラムと甥のロトが別れ別れになるということです。

 

 1節に「アブラムは、妻と共に、すべての持ち物を携え、エジプトを出て再びネゲブ地方へ上った。ロトも一緒であった」と記されています。12章10節以下、イスラエル南部のネゲブ地方にいたアブラムは、ひどい飢饉にあってエジプトに逃れました(同10節)。

 

 そのときアブラムは、妻サライが美しいので(同11節)、殺されてしまうかもしれないと考え(同12節)、「妻」という代わりに「妹」と言います(同13節)。すると、エジプトの王が彼女を王宮に召し入れ(同15節)、アブラムにたくさんの贈り物をしました(同16節)。アブラムは自分の命を守るため、妻サライをエジプトの王に差し出し、引き換えに贈り物を受け取ったのです。

 

 このままでは、「あなたの子孫にこの土地を与える」(同7節)と言われた主の約束は、台無しになってしまいます。サライがエジプトの皇后になってしまえば、アブラムの子孫が生まれる可能性は消滅してしまうからです。そこに主なる神が介入され、王と宮廷の人々を恐ろしい病気にかからせました(同17節)。それで、王はサライをアブラムに返し、エジプトを去らせました(同19節)。

 

 神がアブラムとサライを守ってくださったので、何の害を受けることもありませんでした。それだけでなく、アブラムはエジプト王から妻サライを返してもらいましたが、贈り物として与えられた羊や牛の群れ、ロバ、雌ロバ、ラクダに男女の奴隷などを王に返す必要はなかったので、資産を増やしてネゲブに戻って来ることが出来たのです。

 

 3,4節に「ネゲブ地方から更に、べテルに向かって旅を続け、べテルとアイとの間の、以前に天幕を張った所まで来た。そこは、彼が最初に祭壇を築いて、主の御名を呼んだ場所であった」と記されています。これは、12章8節から10節までの箇所に書かれていた旅路の逆コースです。

 

 そして、飢饉を逃れるためにエジプトに下って以来、しばらく忘れたかのようになっていた、主の御名を呼ぶ、神を礼拝する生活を回復する道でした。それはまた、アブラムがサライとの仲を回復するための道でもあったでしょう。神の御許に戻って来る以外になかった、神の恵みを受けずして、自分たちを取り戻すことは出来なかったのです。

 

 それはしかし、元通りということではありません。1~4節には「戻る、帰る」(シューブ)という言葉は用いられていません。ここにあるのは、「上る(アーラー)」、「行く、歩く(ハーラク)」という、足を踏み出して前進する姿勢を表す言葉が使われています。

 

 つまり、過去を懐かしむ道、思い出の場所に逃げ込むための道ではなく、目を将来に向け、約束の土地を目指して新しい思いを抱きながら、エジプトを出立し、ネゲブからべテルまでやって来たということになるのではないでしょうか。

 

 ところが、アブラムとロトの家畜が多くなって、問題が発生します。7節に「アブラムの家畜を飼う者たちと、ロトの家畜を飼う者たちとの間に争いが起きた。その地方にはカナン人もペリジ人も住んでいた」とあるとおりです。カナン人、ペリジ人の住む地に寄留している二人にとって、現在の牧草地や水場だけでは、各々の群れを維持することが出来なくなってしまったのです。

 

 かつて、「わたしが示す地に行きなさい」と主から示されたとき、主はアブラムに「生まれ故郷、父の家を離れて」(12章1節)と言われていました。それは、目に見える形で守り支えるものから、アブラムを引き離すことでした。そのとき、アブラムは甥のロトを連れて出発しました(同4節)。それは、自分たちに子が授からなかったときの保険にしようということだったでしょう。

 

 財産が増えたことは神の祝福と言ってもよいと思いますし、ロトを保険とすることで、アブラムの将来はいよいよ安泰ということになるはずでしたが、それが親族間に争いをもたらすことになりました。人間関係はなかなか一筋縄ではいかず、思うに任せません。エジプトで資産を増やして戻って来たことが、仇になったかたちです。

 

 そこで、家長として身内の争いを避けるために、アブラムは一つの決断をします。それは9節で「あなたの前にはいくらでも土地があるのだから、ここで別れようではないか。あなたが左に行くなら、わたしは右に行こう。あなたが右に行くなら、わたしは左に行こう」というものです。

 

 ここでアブラムは、土地の選択権を甥のロトに譲っています。ロトは周りを見渡して、よく潤っているヨルダンの低地を選び、さっさと荷物をまとめ、東へ移って行きました(11節)。ロトには、年長者を立てて、先によいところをとってもらおうという考えは無かったようです。

 

 あるいは、牧者間の争いの背後に、ロト自身が、叔父アブラムとは一緒にやって行けないという思いを持っていたのかも知れません。エジプト滞在時の、妻サライよりも自分の命の保全を優先したアブラムの身の処し方に、その原因があるのではないかとも思われます。

 

 「ヨルダン川流域の低地一帯は、主がソドムとゴモラを滅ぼす前であったので、ツォアルに至るまで、主の園のように、エジプトの国のように、見渡す限りよく潤っていた」と10節後半に記されています。ソドム、ゴモラの位置は不明ですが、死海の南岸にあったのではないかと考えられています。

 

 19章にソドムとゴモラ、低地一帯の滅亡が記録されています。その原因が13節に「ソドムの住民は邪悪で、主に対して多くの罪を犯していた」と記されているのです。豊かに繁栄することが罪を犯すことに直結しているわけではありませんが、神に依り頼むよりも富に信頼を置くという、私たちには、目に見えるもので安心しようとする傾向があることを否むことが出来ません。

 

 一方、ロトに選択権を譲ったアブラムは、西へ移って行きます。18節に、ヘブロンにあるマムレの樫の木のところに住んだと記されています。ヘブロンは、死海(塩の海)の西方、ユダの山地南部、海抜930メートルの高さにある町です。

 

 かくてアブラムは、「父の家」の残りの者、ロトと分かれ、また、良い地を離れて、南方の山地に住むことになりました。その時、アブラムに主なる神が声をかけられました。それが、冒頭の言葉(14,15節)です。

 

 ここで「目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい」と言われているのは、アブラムがこの時、項垂れていたということでしょう。それは、甥のロトと別れた結果、将来の保険を失うということになったからです。また、よく潤ったヨルダンの低地を離れて、ユダの山地に移ることで、増えた家畜の群れを維持していくことに不安を覚えていたかも知れません。

 

 10節に「ロトが目を上げて眺めると、ヨルダン川流域の低地一帯は、主がソドムとゴモラを滅ぼす前であったので、ツォアルに至るまで、主の園のように、エジプトの国のように、見渡す限りよく潤っていた」と記されていて、希望に満ちていた甥ロトの有様とは全く好対照です。

 

 しかしながら、詩編145編14節に「主は倒れようとする人をひとりひとり支え、うずくまっている人を起こしてくださいます」と詠われているように、主は項垂れているアブラムに「目を上げよ」と呼びかけ、立ち上がる勇気を与え、子がなく、今ロトと別れて保険を失ったばかりのアブラムに、見える限りの土地をアブラムと子孫に与えるという祝福を告げられます。

 

 しかも、「あなたの子孫を大地の砂粒のようにする。大地の砂粒が数え切れないように、あなたの子孫も数え切れないであろう」(16節)と言われました。先には、自分の命を守るために詭弁を用い、妻をファラオに差し出しました。それが、ロトと袂を分かつ原因となりました。ここでアブラムは、自ら考えて行動するのではなく、「わたしが与える」と告げられる神の言葉に従うのです。

 

 何よりの祝福は「見渡す限りの土地すべて」(15節)というより、「あなたの子孫を大地の砂粒のようにする」(16節)という言葉でしょう。子孫がいなければ、広大な嗣業の地が与えられたとしても、アブラムの死後、また他人のものになってしまいます。

 

 今はまだ、畳一枚分の土地も持っていません。それを受け継ぐ子もいません。しかし、アブラムは主の言葉に従って目を上げました。彼が見たのは、他人の土地ではなく、主が自分にくださると言われた土地です。そして何よりも、それをくださると約束された主を仰いだのです(18節)。

 

 アブラムは「信仰の父」と言われますが、それは主の恵みによるものでした。ローマ書8章30節に「神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです」というとおりです。アブラムは、罪深い自分を義とし、さらに栄光をお与えくださる主を仰ぎ、問題のただなかで、神は万事を益とされるお方だと信じたのです。

 

 私たちも、御言葉に従って目を上げましょう。示されるところを見渡しましょう。縦横に歩き回りましょう。主が語られた御言葉の力、その恵みに与らせて頂きましょう。

 

 主よ、アブラムは人間的な希望を失ったとき、御言葉に促されてあなたを仰ぎました。そうしてアブラムは、再び立ち上がる力を得、希望をもって出発することが出来ました。私たちも主の御言葉に信頼し、導きに従って歩みます。耳を開いて御言葉を聞き、目を開いて主の御姿を拝することが出来ますように。 アーメン

 

 

「いと高き神の祭司であったサレムの王メルキゼデクも、パンとぶどう酒を持って来た。」 創世記14章18節

 

 14章最初の段落には「王たちの戦い」という小見出しがつけられています。聖書に記されている最初の戦争です。そして、残念なことにこれ以後、戦争がなくなることがありません。今日も、世界のどこかでテロやその報復の戦闘などが繰り広げられています。

 

 我が国は大東亜戦争終了後、平和憲法を制定・発布し、戦後70年余り、戦争に加担しないで平和の裡に歩んで来ることが出来ました。ところが今、自公政権は憲法を改正しようとしています。秘密保護法、戦争法、共謀罪など、戦前回帰の法律を次々と強行成立させ、集団的自衛権をさえ合憲とする憲法解釈の変更を閣議決定してしまいました。

 

 1節以下、戦争を起こしている王や国の名前については不明な点が多く、これがどのような戦争だったのか、明確な説明をすることは出来ません。その意味では、何の関心も持たないまま、アラブやシリア、アフリカ諸国などで起こっている内戦や紛争のニュースを聞いているような気分かも知れません。何のための戦いか、なぜ戦争になったのか、実態がよく分からないのです。

 

 かつての大東亜戦争、それはアジアを欧米列強による支配から解放し、平和で共に栄えるところとするという大義を持った戦いだったはずです。ところが、ロシアや中国と戦い、米国と戦争状態になってから、インドシナを戦場とし、太平洋南方にまで戦地を拡大させるに至って、何のための戦いなのか、分からなくなってしまったのではないでしょうか。

 

 1節に記されている4人の王は、その国名からメソポタミアを支配する王たち、2節に記されている5人の王は、ヨルダン一帯を支配する王たちのようです。それら9か国は、エラムの王ケドルラオメルの支配下に置かれていました(4節)。エラム主導による共和制を敷いていたのでしょう。

 

 その体制が12年続いていたのですが、13年目にヨルダンの王たちが同盟を結んで、ケドルラオメルに背きます(4節)。翌年、ヨルダンの5王を討つため、メソポタミアのほかの3王がケドルラオメルに従い、パレスティナにやって来ます。 

 

 5節以下に戦場が記されています。それは、ガリラヤ湖、ヨルダン川の東側を南下して、死海の南東に広がるセイルの山地、荒れ野に至るものです(6節)。5人の王は、最終決戦地としてシディムの谷、現在の死海にあたるところに集結し、メソポタミア連合軍に戦いを挑みますが(9節)、打ち破られてしまい、ソドムとゴモラの王は敗走中にアスファルトの穴に落ち、ほかの王たちは山へ逃れました(10節)。

 

 メソポタミア連合軍は、征服した五つの国から財産や食料をすべて没収し、生き残っている者たちを捕虜として連行します。その捕虜の中に、アブラムの甥ロトも含まれていたと、12節に報告されています。その情報が、戦場から逃げ延びた一人の人物によって、アブラムのもとにも届けられました(13節)。

 

 13節に「ヘブライ人アブラム」と記されています。「ヘブライ人」の名が登場するのは、ここが初めてです。「ヘブライ人」とは「渡って来た者」という言葉です。ヨセフ物語では、エジプトの宮廷の役人ポティファルの妻がヨセフを「ヘブライ人」(39章14節)といって、差別的な意味を込めて訴えていますが、ここでは「異邦人」といった意味で用いられていると考えてよいでしょう。

 

 つまり、アブラムは異邦人として、ヘブロンにあるマムレの樫の木の傍らに寄留していたのです。アブラムが、その戦争について聞いた時、それは単なる外国ニュースだったでしょう。あるいは、13章13節に「ソドムの住民は邪悪で、主に対して多くの罪を犯していた」と記されているので、アブラムは敗戦のニュースを神の裁きとして歓迎する思いだったのかもしれません。

 

 ところが、その知らせをもたらした男は、ロトとその家族がメソポタミア連合軍の捕虜になったことを告げました。14節に「アブラムは、親族のものが捕虜になったと聞いて」と記されているからです。なんとその男は、どのようにしてか知る由もありませんが、ロトとアブラムの関係を知っていたのです。

 

 ロトが捕虜になったと聞いた時、アブラムは単なる異邦人ではいられませんでした。ロトが年長者を立てず、先によく潤ったヨルダンの低地を選んだから、そんな目に遭ったんだ、いい気味だ、打ち捨てておこうなどと考えなかったかどうか、それは分かりません。

 

 ただ、アブラムは、自分の家族が窮地に陥っているのを見過ごしにはできないと考えて、すぐに行動を起こしました。かつて、エジプトで自分を守るために妻サライを犠牲にしようとしたアブラムが、今回は、甥のロトのために一肌脱ごうと考えたわけです。

 

 アブラムは、訓練を授けた家の奴隷318人を引き連れて、敵を追います(14節)。敵は、ヨルダン地方5か国の同盟軍を撃破する力のある、ケドルラオメルと3人の王の連合軍です。アブラムが連れて行った318人の僕たちが勇敢で、その上いかによく訓練されていたとしても、全く勝負にならないというところだと思われましたが、結果は違いました。

 

 ダンからダマスコの北のホバまで追跡して(14,15節)、「アブラムはすべての財産を取り返し、親族のロトとその財産、女たちやそのほかの人々も取り戻」(16節)すことが出来たのです。それは、神の導きというほかありません。

 

 兵力、所持する武器の数と威力において、戦術や戦略の巧みさなどで何とかなるというレベルの戦いではありません。神の助けなしに、強大な敵に勝利し、ロトやその家族、財産を取り戻せるとは考えられませんでした。このとき、神がアブラムに味方されたわけです。

 

 アブラムがすべてのものを取り戻して凱旋した時、ソドムの王が彼を出迎えました。それは、戦利品を分け合うためでした(21節以下)。ところが、そこにもう一人の人がいました。それが、冒頭の言葉(18節)に登場する「サレムの王メルキゼデク」です。王メルキゼデクが、アブラムの前にパンとぶどう酒を持ってやって来たというのです。

 

 続く19,20節に「彼はアブラムを祝福して言った。『天地の造り主、いと高き神に、アブラムは祝福されますように。敵をあなたの手に渡された、いと高き神が讃えられますように』。アブラムはすべてのものの十分の一を贈った」と記されています。

 

 メルキゼデクは、アブラムを祝福しました。そして、メルキゼデクの祝福の言葉を聞いたアブラムは、自分の持ち物の十分の一をメルキゼデクに贈りました。ここにアブラムの信仰が示されます。即ちアブラムは、この戦いは神の戦いで、神ご自身が勝利をとられたのだと言おうとしているのです。こうしてアブラムは、エジプトで失った家族の関係を取り戻すことが出来たわけです。

 

 メルキゼデクについて、出自など詳しいことは何も分かりません。「メルキ」は「王」、「ゼデク」は「義(ツェデク)」という言葉ですから、「義の王」という意味の名前です(ヘブライ書7章2節参照)。

 

 そして彼は「サレムの王」と紹介されています。「サレム」とは、エルサレムを指すものと考えられていますが、「サレム」は「救い」や「平和」を意味する「シャローム」と関係の深い言葉です。即ち、サレムの王とは、平和の王ということになります(同上節参照)。

 

 さらに、その肩書きに「いと高き神の祭司」と記されています。義の王にして平和の王である人物が、いと高き神の祭司だというのです。そのような人物が突然登場して来て、凱旋して来たアブラムを祝福したのです。

 

 旧約聖書でメルキゼデクについて記しているのは、この箇所のほかには、詩編110編4節があります。そこに、「わたしの言葉に従って、あなたはとこしえの祭司メルキゼデク」と記されています。これは、ダビデの子孫として生まれるメシアのことを語っています。

 

 そして、この詩の言葉が、ヘブライ書5章6節、7章17,21節に引用されています。ヘブライ書の記者は、アブラムを祝福し、彼から十分の一の献げ物を受け取ったメルキゼデクとは、イエス・キリストだと考えています。だから、メルキゼデクはアブラムを、パンとぶどう酒をもって出迎えました(18節)。それはまるで、主の晩餐式を開こうとしているかのようです。

 

 アブラムは、過越祭を知りません。だから勿論、主の晩餐式も知りません。けれども、御自分の命をもって罪の代価を払い、祝福を与えて下さる主イエスのご愛を、メルキゼデクの出迎えに感じ取ったのです。だから、誰から教えられたわけでもないのに、持ち物の十分の一を主に献げて、その御愛に応えようと考えたわけです。ここに、まさにアブラムの信仰を見ることができ来るでしょう。

 

 私たちも、主の御愛に与りました。日々心から感謝と喜びをもって主の御愛に応え、委ねられている賜物を用いて主の御業に励む者にならせて頂きたいと思います。

 

 主よ、あなたはメルキゼデクを通して、出来事を生み出す生きた力ある言葉でアブラムを祝福されましたアブラムはそれを信じ、受け入れました。あなたの御言葉が必ず成ると信じることの出来る者は幸いです。私たちに、御言葉を聞く耳とそれを信じ受け入れる心を授け、その祝福に与らせてください。主に従う働きを通して主のご栄光が表されますように。 アーメン

 

 

「アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。」 創世記15章6節

 

 新共同訳は15章に「神の約束」という小見出しをつけています。冒頭の言葉(6節)に「アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた」と記されています。この言葉が、パウロの心を強く捉えました。ガラテヤ書3章6節にこの言葉を引用して、ガラテヤ地方にいるキリスト者たちに信仰の恵みを説いていますし、ローマ書の基礎にこの言葉を据えています(4章参照)。

 

 「アブラムは主を信じた」。もしも、アブラハムを記念するモニュメントが大理石か御影石で作られていて、そこに何か刻まれているとすれば、それはきっとこの「アブラムは主を信じた」という言葉でしょう。それほどに大切な言葉だと思いますが、アブラムは、主をどのように信じたのでしょうか。主を信じるために、アブラムは何をしたのでしょうか。

 

 残念ながら、そのことについては、聖書に何も記されていません。おそらく、アブラムは主を信じるために、何かをしたわけではありません。むしろ、何もしてはいません。主をどのように信じたのかと問われても、正確なところはよく分からないのです。強いて言えば、神の語りかけに対して四の五の言わず、一切をそのままに受け入れた姿勢を、信仰と呼んでいるのでしょう。

 

 そして、主はそれを「義と認められ」ました。「義」とは神との正しい関係、神との関係において正しく振る舞うことです。「認める」と訳されているのは、「思う、計算する、計画する、見做す」(ハーシャブ)という経済用語です。神の御言葉の前に沈黙してそれを受け止めるアブラムの態度が、神の御前での正しい振る舞いであり、神との正しい関係を示すものと見做されたというわけです。

 

 このことについて、出エジプト記33章19節に「わたしはあなたの前にすべてのわたしの善い賜物を通らせ、あなたの前に主という名を宣言する。わたしは恵もうとする者を恵み、憐れもうとする者を憐れむ」と言われています。神が恵みを与える者、憐れみをかける者を選び、それらをお与えになるというのです。

 

 つまり、主が一方的にアブラムを選ばれ、彼に目を留めて恵みと憐みを注ぎ、アブラムが主に信頼して、その言葉を受けいれることが出来るように、アブラムをご自身との正しい関係に導き入れられたということです。

 

 そして、それと同じ恵みをパウロも味わいました。ローマ書3章23,24節で「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです」と言っています。その根拠として、前述のとおり同4章で冒頭の言葉を引用しながら、アブラムは主を信じる者の模範だと言っているのです。

 

 パウロがそのように言うのは、彼自身の経験によるのです。パウロは、キリスト教会を弾圧し、信者たちを捕えて獄に投じました。執事に選ばれ、優れた説教者でもあったステファノを殉教の死に追いやったのもパウロです。そのパウロが、復活の主イエスと出会って救われ、しかも、キリストの福音を宣べ伝える伝道者、使徒とされたのです。それを恵みと言わずしてなんというのでしょうか。

 

 パウロが救われたこと、主イエスを信じる信仰に導かれたのは、神の奇跡だということです。そして、そんな自分が救いに与ったのだから、救われない者は一人もいない。すべての人は神の恵みにより、無償で義とされるのだと、パウロは言うのです。確かに、それは私たちの上にも実現した神の恵み、神の奇跡です。

 

 1節に「これらのことの後で、主の言葉が幻の中でアブラムに臨んだ。『恐れるな、アブラムよ。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きいであろう』」と記されています。これは、アブラムの神に依り頼む信仰とその献げ物に対する祝福の言葉といってよいでしょう。

 

 「(主の)言葉」(ダーバール)と記されていますが、これはアブラムにとって、単なる言葉ではありません。それは「主の言葉」だからです。「主の言葉」であれば、それは既に「事件、大いなる出来事」(ドゥバリーム:ダーバールの複数形)です。

 

 アダムが罪を犯してから、神の登場、神の言葉が臨むとき、それを受ける人々には、恐れが伴いました。新約聖書においても、主イエスの誕生を知らされた人々、また、復活の知らせを受けた人々も、そして、主イエスに御業とその言葉に神の権威、神の力を感じ取った時、人々は、一様に恐れ戦いています。それで神は、「恐れるな、アブラムよ」と呼びかけられたのです。

 

 しかしながら、アブラムはこの言葉を素直に喜べませんでした。それは、神がくださる非常に大きな報い、それが12章2節で語られた「大いなる国民とする」ことや、同7節の「あなたの子孫にこの土地を与える」という約束を指しているなら、未だその恵みを受け継ぐべき「子」が与えられていないからです(2節)。

 

 「家を継ぐのはダマスコのエリエゼルです」ということについて、それは、ダマスコで得た奴隷のエリエゼルのことで、彼を養子として、家督を継がせるしかないという意味であると、3節で説明しています。つまり、神の祝福の言葉が今は信じられないと、アブラムは語っているわけです。

 

 主は、「その者があなたの跡を継ぐのではなく、あなたから生まれる者が跡を継ぐ」(4節)と言われます。そして、アブラムを外に連れ出して、「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい」、「あなたの子孫はこのようになる」(5節)と言われました。

 

 子がないという現実は、未だ何も変わっていません。ハランを出て、どれだけの年月が経過して来たのでしょうか。しかし、神に促されてアブラムは夜空を見上げます。そこには無数の星が輝いています。

 

 アブラムの心はそのとき、希望のない暗闇だったでしょう。けれども、主に促されて夜空を見上げた時、闇の夜に輝く星が見えます。神は、何もない暗闇に「光あれ」と語って光を造られました(1章3節)。天の大空に無数の星をちりばめることの出来るお方が、あなたの子孫を星の数のようにしようと語られました。

 

 星の数は数え切れません。それは、子孫の数が無数に増えるという意味でしょう。けれども、どのようにしてアブラムに子が授けられるのか、人間には理解出来ないという意味でもあるのではないでしょうか。

 

 神の約束は必ず実現します。それは、真実なる主の言葉だからです。言葉が肉となって、私たちの間に宿られました。それが、私たちの主イエス・キリストです。アブラムの子孫として、すべての星を集めても足りない栄光に輝く、恵みと真理に満ちた主イエスが、私たちの住むこの世へおいでくださったのです(ヨハネ福音書1章14節)。

 

 被造物としての星を仰ぐのではなく、星を創造し、暗い空に配置された主イエスを絶えず仰ぎながら、主がお語りくださった約束の言葉をしっかり受け止め、力強く前を向いて進みましょう。

 

 主よ、私たちは恵みにより、イエスを主と信じる信仰に導かれました。そして今、その信仰によって義とされています。測り知れない恵みのゆえに、心から感謝と賛美をささげます。絶えず主を仰ぎ、主を信じる信仰に堅く立つことが出来ますように。日々主の御言葉に耳を傾けることが出来ますように。 アーメン

 

 

「ハガルは自分に語りかけた主の御名を呼んで、『あなたこそエル・ロイ(わたしを顧みられる神です)』と言った。それは、彼女が、『神がわたしを顧みられた後もなお、わたしはここで見続けていたではないか』と言ったからである。」 創世記16章13節

 

 16章には「ハガルの逃亡と出産」という小見出しがつけられています。「ハガル」というのは、アブラムの妻サライに仕えるエジプトの女奴隷と、1節に紹介されています。エジプトの女性ということなら、アブラム一家がエジプトに滞在していたときに与えられたのでしょうか(12章10節以下)。ファラオの宮廷にサライが召し出されたときに、サライに仕えるようになったのかも知れません。

 

 「ハガルの逃亡と出産」について、その発端は2節に「サライはアブラムに言った。『主はわたしに子供を授けてくださいません。どうぞ、わたしの女奴隷のところに入ってください。わたしは彼女によって、子供を与えられるかもしれません』」と記されています。

 

 サライに子が授からないというのは(1節)、11章30節から続く、アブラム、サライ夫妻の大問題でした。詩編127編3節に「見よ、子らは主からいただく嗣業。胎の実りは報い」と言われています。子らが神の賜物だということは、神が授けられる恵みなのです。アブラムとサライに子がないという状態も神の支配のもとにあるわけで、それもまた、神の導きというべきでしょう。

 

 サライはあらためてここに、自分たちの間にある問題を口にしました。「主はわたしに子供を授けてくださいません」(2節)。それは、確かに事実です。しかし、それは真実かと言えば、そうではない部分もあります。というのは15章5節で、アブラムの子孫は星の数のように多くなると、神が約束しておられるからです。

 

 神はこの約束を確かなものとするために、アブラムと契約を結ばれました(15章9節以下参照)。そのことをサライも知っていたはずです。それでも、「主は私に子どもを授けてくださいません」と告げているということは、主なる神の口約束は信用できない、約束の実現をこのまま待っていても、子どもを抱くことはできないだろうと、不信仰を言葉にしているわけです。

 

 そこで、これまで不妊で(11章20節)お互いに年齢も進んだ今、子を授かる可能性が皆無に近いとなれば、「あなたから生まれる者が跡を継ぐ」という祝福の実現のため、サライに仕える女奴隷をアブラムの側室とし、側室が出産した子どもを女主人サライの子どもとすることによって、跡継ぎをもうけようと進言するのです。

 

 それが2節後半の「どうぞ、わたしの女奴隷のところに入ってください。わたしは彼女によって、子供を与えられるかもしれません」という言葉です。即ち、サライは、自分の女奴隷ハガルによる代理出産を提案したわけです。そして、生まれた子供は、女主人のものとされます。これは当時、子どもがない場合に採られる原則的解決方法で、一般に合法とされていたものでした。

 

 アブラムは、サライの提案を受け入れました(2節)。そして、それは直ぐに実行に移されました(3節)。その結果、サライの女奴隷ハガルは、見事に身ごもりました(4節)。主の導きに従い、約束の地カナンにやって来て、これまで10年かかっても与えられなかった子どもが、サライの知恵でようやく授かったのです。

 

 しかし、それでバンザイと叫ぶわけには行きませんでした。かえって、直ぐにアブラムの家に波風が立ち始めます。それまでなかったことですが、ハガルは、自分が身ごもったことが分かると、女主人に対して高慢な態度を取るようになります(4節)。あるいは、不妊の女主人を辱めるに留まらず、アブラムの子の母として、正妻の座を要求するような真似をしたのかもしれません。

 

 当然のことながら、サライはそれが気に入りません。正妻としての地位を脅かされるようになったサライは、夫アブラムに身分の保全を求めて「わたしが不当な目に遭ったのは、あなたのせいです。女奴隷をあなたのふところに与えたのはわたしなのに、彼女は自分が身ごもったのを知ると、わたしを軽んじるようになりました。主がわたしとあなたとの間を裁かれますように」(5節)と訴えます。

 

 自分の女奴隷をアブラムの側室として差し出したのだから、しっかり管理、指導して欲しいということでしょうか。そして、あらためてハガルはサライの女奴隷であることが確認され、「好きなようにするがよい」(6節)とサライに答えます。それで、サライはハガルに辛く当たりました。

 

 たまらず、ハガルは女主人のもとから逃げ出しました。それにより、サライは自分の正妻の座を守ることは出来たわけです。けれども、女奴隷ハガルによって子をもうけ、アブラムの跡継ぎを得るという彼女の計画は、水の泡となってしまいました。

 

 一方、女主人のもとを逃げ出したハガルは、故郷のエジプトに帰ろうとしていたのでしょう。7節の「シュル街道に沿う泉のほとり」というのは、イスラエルとエジプトの国境付近です。「シュル」について、岩波訳の脚注に「ネゲブ地方の一要塞地の名か。『隔壁』の意」とあります。注解書には、エジプトが国境に設けた城壁の名前かも知れないと記されていました。

 

 「ハガル」という名前は、エジプト名ではなくセム語系の名で「離脱」とか「移住」を意味するものと言われます。とすると、サライの仕え女となってエジプトを離れることになったハガルに、サライかアブラムがその名を与えたのでしょう。

 

 そして今、サライのいびりを受けて、ハガルは女主人のもとを逃げ出しました。彼女は、南に下る道を進む間、ずっとうしろを気にしていたことでしょう。というのは、逃亡奴隷が捕らえられたときには、重い刑罰が待っているからです。

 

 この逃避行は、ハガルにとっても大きな災難でした。もしも子を孕まなければ、今も女主人サライのもとにいて、平穏に過ごすことが出来たでしょう。女主人から側室として推挙されるほど、女主人の覚えもよかったのです。奴隷生活も悪いことばかりではなかったのに、今となっては、もう女主人のもとには戻れません。ともかく、故郷に帰ろう、何かよいことがあるかも知れないといったところでしょう。

 

 そこに主の御使いが登場し(7節)、「サライの女奴隷ハガルよ」(8節)と呼びかけました。そして、「女主人のもとに帰り、従順に仕えなさい」(9節)と言います。それは、彼女を厳しく叱責する言葉などではありませんでした。むしろ、慈愛に満ちた勧告であり、また、その言葉で不安や恐れを抱くに違いない彼女を励ます、激励の言葉だったでしょう。

 

 御使いは「わたしは、あなたの子孫を数えきれないほど多く増やす」(10節)と約束し、さらに「今、あなたは身ごもっている。やがてあなたは男の子を産む。その子をイシュマエルと名付けなさい。主があなたの悩みをお聞きになられたから」(11節)と言います。この「イシュマエル」とは、「神は聞かれる」という意味の名前なのです。

 

 それを聞いたハガルは、冒頭の言葉(13節)のとおり、主の名を呼んで「あなたこそエル・ロイ(わたしを顧みられる神です)」と言い、そして、「神がわたしを顧みられた後もなお、わたしはここで見続けていたではないか」と告げました。主なる神が、自分を顧みていてくださる、子孫が数え切れないほどになると祝福してくださったことに感動したのです。

 

 詩編139編8~10節に「天に登ろうとも、あなたはそこにいまし、陰府に身を横たえようとも、見よ、あなたはそこにいます。曙の翼を駆って海のかなたに行き着こうとも、あなたはそこにもいまし、御手をもってわたしを導き、右の御手をもってわたしをとらえてくださる」とあります。まさに、アブラムの神は、ハガルと共におられ、御手をもって導き、捉えていてくださるお方なのです。

 

 ハガルがシュル街道に沿う泉のほとり、そのオアシスに来たのは、水を求めてのことだったでしょう。けれども、彼女はそこで、水以上のものを見つけました。自分を見ていてくださる神を見出したのです。彼女はその場所を、「ベエル・ラハイ・ロイ」と呼びました。それは、「生きて見ておられる方の井戸」という意味です。

 

 これはまるで、サマリアの女が主イエスと出会い、永遠の命に至る水をいただいて、「さあ、見に来てください。わたしが行ったことをすべて言い当てた人がいます。もしかしたら、この方がメシアかもしれません」(ヨハネ福音書4章1節以下、14,29節)と証しした言葉のようです。

 

 ハガルは、御使いの言葉に励まされ、自分を絶えず顧みていてくださる、エル・ロイなる主のまなざしに背中を押されて、女主人サライのもとに帰ります。そして、男児を出産し、御使いに示されたとおり、その子をイシュマエルと名付けました(15節)。これから、どのような辛いことがあっても、主が聞いていてくださると、わが子の名を呼ぶ度に確認したことでしょう。

 

 「神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」(第一コリント10章13節)という御言葉があります。ハガルはここに、主のもとに逃れることを学んだのです。

 

 主よ、その生涯で、苦しみに遭わずにすむ人など、一人もありません。しかし、あなたは真実なお方で、試練と共に、それを乗り越える道を備え、それに目を開かせ、乗り越える力をお与えくださいます。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということも知らされています。絶えず主に聞き、その導きに従うことが出来ますように。 アーメン

 

 

「アブラムが99歳になったとき、主はアブラムに現れて言われた。『わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい。』」 創世記17章1節

 

 17章には「契約と割礼」という小見出しがつけられています。「契約」は、神とイスラエルの始祖アブラムとの間に結ばれる約束ですが、それは、15章に続いて2度目のことになります。

 

 冒頭の言葉(1節)に「アブラムが99歳になったとき」と記されています。直前の16章16節に「ハガルがイシュマエルを産んだとき、アブラムは86歳であった」と記されておりました。章立てが新たになったとはいえ、1行進む間に13年の月日が経過したことになります。

 

 その間、アブラムと妻サライ、側女ハガルとその子イシュマエルは、それぞれどのような生活をしていたのでしょうか。残念ながら、聖書はそのことについて全く沈黙しています。もしかすると、アブラムは側女ハガルによってイシュマエルを与えられたことに、満足していたのかも知れません。

 

 その上、牛や羊などの家畜や多くの奴隷を所有していたのですから(12章16節、13章1節以下)、これ以上、何を望むことがあろうかと考えていたのではないでしょうか。そのためか、特に記録しなければならないような出来事が、何も起こらなかったというわけです。

 

 86歳で女奴隷ハガルとの間にもうけたイシュマエルは、13歳になりました。13歳といえば、ユダヤでは「バル・ミツバ」と呼ばれる、成人式を迎える歳です。律法の命令、戒めを守る責任を負う年齢に達したことを意味します。アブラムにとって、立派な若者になったイシュマエルが自分の跡を継いでくれることで、ますます安泰という状況を迎えていたわけです。

 

 ところが、主なる神がここに13年の沈黙を破って「わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい」とアブラムに語られました。「全き者」はヘブライ語で「ターミーム」と言います。これは、「正しい、公平な、健全」という意味の言葉です。ルターは「敬虔」と訳しています。

 

 つまり、これは道徳的に完璧という意味ではなく、神との関係において、完全に聴き従う者、神に全き献身をした者ということを意味しています。ここで、「全き者となりなさい」と言われたということは、主がアブラムに完全な献身を求められたわけで、そうなることが主の御心だということです。

 

 どうすれば完全な者となることが出来るのでしょうか。そしてこれは、一人アブラムのことではありません。レビ人及び祭司に対して、「あなたは、あなたの神、主と共にあって全き者でなければならない」(申命記18章13節)と命じられています。

 

 そしてまた、主イエスが山上の説教で、「だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」と語られました(マタイ福音書5章48節)。つまり、私たちに対して、「完全な者となりなさい」と言われているわけです。私たちは、どのようにすれば、完全な者となれるのでしょうか。本当に完全な者になど、実際になれるものなのでしょうか。

 

 勿論、自力で完全になれる人はいません。だからといって、「神様、無理です、出来ません」と言えば、それですむわけでもありません。主は確かに「わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい」と言われたのです。

 

 私たちが全き者となれるのは、私たちの努力などによるのではありません。そのように命じられる全能の神の力です。神が「光あれ」と言われると、闇に光ができました(1章3節)。闇が努力して光輝いたわけではありません。主なる神はここに御自分を「全能の神」(エル・シャダイ)と自己紹介しておられます。「人間にはできないことも、神にはできる」(ルカ福音書18章27節)のです。

 

 アブラムは今99歳ですが、思いも新たに百歳に向けて歩み始めるのです。さながら、アブラムの全き者としての人生が、ようやく百歳にして始まると言われているかのようです。あなたは何時、この「全き者であれ」という主の御言葉に耳を傾け、そのようにあろうとして歩み出すでしょうか。

 

 御前にひれ伏したアブラムに(3節)「これがあなたと結ぶわたしの契約である。あなたは多くの国民の父となる。あなたは、もはやアブラムではなく、アブラハムと名乗りなさい。あなたを多くの国民の父とするからである。わたしは、あなたをますます繁栄させ、諸国民の父とする。王となる者たちがあなたから出るであろう」(4~6節)と神が語られました。

 

 主なる神はこれまで、彼の子孫が増えること、約束の地が子孫に与えられることを、何度も約束して来られましたが、今回、新しいことを告げられました。それは、「アブラム」と呼ばれている彼の名前を、「アブラハム」と変えることです。

 

 言語学的には、「アブラム」と「アブラハム」に、意味上の違いはありません。註解者は、意味を強めるために長い形にしたのだろうと言っています。「アブラム」と、「わが父は高くいます、わが父は尊い」という意味です。「わが父」とは、神のことです。ですから、高くいます、尊いと言われるのは、アブラムではなく、父なる神です。アブラムはその名によって神に栄光を帰しているのです。

 

 神は、その名の意味を強めるように「アブラハム」の名を与え、そして彼に「あなたは多くの国民の父となる」と言われました(4節、5節)。6節には「あなたをますます繁栄させ、諸国民の父とする」と言われました。高い父、と言われ、尊い父と言われる父なる神が「アブラム」あらため「アブラハム」を、「多くの国民の父」、「諸国民の父」と呼ばれるのです。

 

 即ち、イシュマエルが一つの国を形成する民族になるでしょう。そして、未だ名の知られていない初子から、決して少なくない数の、否、「多くの国民」が誕生し、子孫の中から王となる者が出るというのです(6節)。アブラムはこの約束の言葉を受けて、アブラハムとして歩み始めます。

 

 同様に、アブラハムの妻サライも「サラ」と、こちらは縮めた名前にするように、告げられます(15節)。こちらも、その名前の意味に違いはありませんが、言語学的に見て、「サライ」よりも「サラ」の方が新しい形なのだそうです。神は妻サラにも、新たな献身を求められたということでしょう。

 

 それは、アブラハムとサラに「男の子」を初子として授けるからです。未だ一人の子も産んだことのない「サラ」が祝福を受けて、「諸国民の母」となるというのです(16節)。

 

 アブラハムは、そのように告げられる神の御前にひれ伏しておりますが、心の中では、「百歳の男に子供が生まれるだろうか。九十歳のサラに子供が産めるだろうか」といって笑っています(17節)。それは、あり得ないことだからです。

 

 けれども、あり得ないことが起こります。主が彼らに「イサク」即ち、「笑い」を授けられるのです(19節)。「イサク」とは、「彼は笑う」という意味の名前なのです。神の驚くべき恵みは、「笑う」ほかはないほどのものなのです。

 

 そうです。笑えなかった者に笑いをお与えくださる、それは、Amazing Grace、奇跡というほかないような、言葉にできない神様からのプレゼントなのです。主なる神が奇跡を行い、アブラハムとサラを全き者として歩ませられる、そして、彼らは多くの国民の父、諸国民の母となるのです。

 

 それは、「わたしはあなたの前にすべてのわたしの善い賜物を通らせ、あなたの前に主という名を宣言する。わたしは恵もうとする者を恵み、憐れもうとする者を憐れむ」と出エジプト記33章19節で告げられているとおり、神が恵みをお与えになる者の初穂となることでした。

 

 12章2節に「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように」と既に告げられていたことを、今ここであらためて、アブラハムとサラという名前の変更と共に、御旨を示されたのです。

 

 それは、「救い」とも呼ぶべき神の恵みです。アブラハムとサラが主に従う献身の道を歩むことで、神の救いが、アブラハムの血を分けた子孫たるイスラエルの民のみならず、すべての異邦の民にまで及ぶこととなったのです。

 

 主が共にいてくださるからこそ、主の方が私たちから離れず、私たちを共に歩ませてくださるからこそ、その恵みを見させて頂いているのです。今日も、そしてこれからも、共に信仰の創始者であり、完成に導いてくださる主を仰ぎ、聖霊の風を受けながら、その御言葉に従って一歩踏み出して参りましょう。

 

 主よ、あなたは確かに全能の神であられます。あなたに出来ないことはありません。あなたが語られたことは必ず実現すると信じます。不信仰な私を助けてください。絶えず主の御言葉に聞き、信仰に堅く立つことが出来ますように。常に主に従い、主と共に歩ませてください。 アーメン

 

 

「主はアブラハムに言われた。『なぜサラは笑ったのか。なぜ年をとった自分に子供が生まれるはずがないと思ったのだ。主に不可能なことがあろうか。来年の今ごろ、わたしはここに戻ってくる。そのころ、サラには必ず男の子が生まれている主に不可能なことがあろうか。来年の今ごろ、わたしはここに戻って来る。その頃、サラには必ず男の子が生まれている。』」 創世記18章13,14節

 

 18章では、アブラハムの妻サラの信仰が問題になっています。順を追って見てみましょう。1節に「主はマムレの樫の木の所でアブラハムに現れた。暑い真昼に、アブラハムは天幕の入り口に座っていた」と告げられています。暑い真昼というのですから、アブラハムは天幕で日差しを避けて、休息を取っていたのでしょう。その天幕は、道路から少し離れたところに張られていたと思います。

 

 主なる神が現われたということですが(1節)、目を上げたアブラハムが見たのは「三人の人」(2節)でした。主なる神が三人の男たちの姿を借りて現れたということでしょう。なぜ三人なのか、正確なところは分かりません。

 

 この後、16節以下に「ソドムのための執り成し」の物語が続き、そして、アブラハムと別れた主がソドムに向かわれるのですが、19章1節には、「二人の御使いが夕方ソドムに着いたとき」と記されているので、三人のうち一人が主なる神で、残りの二人は主の御使いと解釈してもよいのかも知れません。

 

 三人の男たちは、アブラハムに向かって立っていました。アブラハムは、男たちの歩いて来る姿を見てはいないようです。突然、アブラハムの前に彼らが登場して来たのです。そして、彼らがそこに立っていたということは、アブラハムの所に立ち寄ろうとしていることを示しています。アブラハムは、男たちを見て走り出し、彼らの前にひれ伏しました。

 

  そして、「お客様、よろしければ、どうか僕のもとを通り過ぎないでください。水を少々持って来させますから、足を洗って、木陰でどうぞひと休みなさってください。何か召し上がるものを調えますので、疲れをいやしてから、お出かけください。せっかく、僕の所の近くをお通りになったのですから」(3~5節)と告げます。

 

 ここで「お客様」というのは「アドーナイ=ご主人様」という言葉遣いです。それに対して、自分のことを「エベド=僕」と言います。アブラハムは極めて丁重に、そして熱心に、彼らを招待しました。「よろしければ」というのは「あなたの目に恵みを得ますなら」という言葉です。

 

 「古代中近東の世界では、客を持て成すことはひとつの大きな美徳であり、充分に客を持て成すことができるかどうかは人徳にかかわることだったと思われる」と、註解書に記されていました。アブラハムは当時の習慣に倣い、最大のおもてなしをしようと考えたのでしょう。

 

 「少々の水」と共に「何か召し上がるものを」と言いますが、これは「ファト・レヘム=ひとかけらのパン」という言葉です。ところが、実際にアブラムが用意させたのは、随分豪華な食事です。

 

 まず、「上等の小麦粉を三セアほどこねて、パン菓子をこしらえなさい」とサラに言います。3セアは1エファにあたり、およそ23リットルという量です。どれだけのパンが作られることでしょう。

 

 次に、「アブラハムは牛の群れのところへ走って行き、柔らかくておいしそうな子牛を選び、召し使いに渡し、急いで料理させ」(7節)ます。そうして「凝乳、乳、出来立ての子牛の料理などを運び、彼らの前に並べ」(8節)ました。そして、彼らが木陰で食事をしている間、そばに立って給仕をしたのです。

 

 そのとき、三人がアブラハムに語りかけ、「あなたの妻のサラはどこにいますか」(9節)と、妻サラの所在を確認します。「天幕の中におります」(同節)とアブラムが答えると、彼らは「わたしは来年の今ごろ、必ずここにまた来ますが、そのころには、あなたの妻のサラに男の子が生まれているでしょう」(10節)と告げました。

 

 これは、17章16節で既に、神がアブラハムに告げておられたことです。それを聞いたアブラハムは笑ってしまいました(同17節)。アブラハムの妻のサラもそれを耳にして「ひそかに笑った」(12節)と記されています。彼女は、「自分は年をとり、もはや楽しみがあるはずもなし、主人も年老いているのに」(同節)と思ったのです。

 

 「ひそかに」は「ベ・キルバーハ=彼女の中で」という言葉で、口語訳、新改訳はこれを「心の中で」と訳しています。「年をとり」は「バーラー=すり減る、すり切れる」という言葉、「楽しみ」と訳されている「エドゥナー」は、性的な意味を持っています。夫婦共に年老いて性的な交わりもなくなっているので、妊娠なんてことはありっこないと、心の中で笑ったということです。

 

 そのとき妻サラは89歳、夫アブラハムは99歳になっていました(17章1,17節参照)。それまでも、不妊と言われていたサラです。どう考えても妊娠・出産は不可能でしょう。現実の厳しさを知る者として、その絶望的な状況から、祝福の言葉を語る彼らを、自嘲気味に愚かと笑うしかなかったわけです。

 

 それに対して主がアブラハムに告げたのが、冒頭の言葉(13,14節)です。主が「なぜサラは笑ったのか」(13節)と問い、「主に不可能なことがあろうか」(14節)と質します。ということは、ここで祝福を告げておられるのは、主なる神だということです。サラはそのとき、誰が祝福の言葉を語っておられるのか、知らなかったのです。

 

 「主に不可能なことがあろうか」というのは、サラを初め、私たちに対する信仰のテストです。この問いかけに、どのように答えましょうか。一般論として、「神には不可能なことなどない」と答えることは、やぶさかでないというところでしょう。しかし、大きな問題を抱えているときに、主は必ず解決なさる、主に不可能なことはないと答えるのは、容易いものではありません。

 

 神の祝福の約束は、この世の知恵や常識で判断すると、ときには愚かなものに見えるかもしれません。あり得ないことと思われるかもしれません。けれども、信ずる者には、救いを得させる確かな力なのです(第一コリント1章18節)。

 

 サラは不信仰を指摘されて、恐れました。約束の言葉を語られたのが、主なる神であることを悟ったのです。自分の不信仰が示されて、恐れを覚えたのです。それはしかし、主への真の信仰に目覚めることでした。

 

 主なる神は、サラを裁くつもりで、「なぜサラは笑ったのか」(13節)と問い、そして「主に不可能なことがあろうか」(14節)と質されたわけではありません。このとき、主が語られた言葉は必ず実現するという信仰に、サラを招かれたのです。

 

 主イエスの母マリアも、天使ガブリエルの受胎告知に対して「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに」(ルカ福音書1章34節)と答えましたが、「神にできないことは何一つない」(同37節)との言葉に「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」(同38節)と応じることができました。

 

 信じないものにならないで、信じるものになりましょう。

 

 主よ、あなたの愛と導きを感謝します。現実の厳しさの前に笑うしかないようなときにも、祝福をお与えくださる主を仰ぎ、その御言葉に耳を傾けます。弱い私たちを憐れみ、助けてください。キリストの言葉を受けて、信仰に立つことが出来ますように。信じない者にならないで、信じる者とならせてください。 アーメン

 

 

「こうして、ロトの住んでいた低地の町々は滅ぼされたが、神はアブラハムを御心に留め、ロトを破滅のただ中から救い出された。」 創世記19章29節

 

 19章には「ソドムの滅亡」という小見出しがつけられています。ソドムは、14章2,3節の記述から、シディムの谷にあったと考えられますが、その正確な場所は不明です。現在は、死海南部にあるリサン半島の南方の湖の底に沈んでいると考えられています。

 

 死海の南端近くの西岸に沿って「ジェベル・ウスドゥム」(アラビヤ語で「ソドムの山」の意)と呼ばれる岩塩の山があり,それがかつての町の名を表わしていると言われています。なぜソドムの町が湖の底に沈むことになったのか、その原因が、今日の箇所に記されているということです。

 

 1節に「二人の御使いが夕方ソドムに着いた」とあります。アブラハムのところには、三人の人がやって来ました。三人のうちの一人、主はアブラハムの所に残ってアブラハムと語り合ったことが、18章16節以下に記されています。そして、二人の御使いが、夕暮れにソドムに到着したわけです。

 

 その時、「ロトはソドムの門の所に座って」いました。「門の所」には広場があり、そこで市場が開かれたり、また、ときには裁判が行われたりします(申命記21章19節、ルツ記4章1節、サムエル記下15章2節など)。ですから、ロト以外にも、多くの人々がそこにたむろしていたと思われます。

 

 けれども、二人の御使いを迎えたのは、ロトだけでした。ロトは彼らの前にひれ伏し、丁重に彼らを招待しました。「皆様方」(2節)というのは、18章3節でアブラハムが三人の旅人を迎えて「お客様」と呼んだのと同じ「アドーナイ」というヘブライ語が用いられていて、これは「ご主人様」という言葉です。

 

 ただ、御使いたちはヘブロンにアブラハムを訪ねたときとは異なり、全く別の用向きでソドムにやって来たのです。だから、「いや、結構です。わたしたちはこの広場で夜を過ごします」(2節)と、ロトの招待を断ります。けれども、「ぜひにと勧めたので」(3節)、ついにその招待に応じてくれることになりました。

 

 「酵母を入れないパンを焼いて」(3節)ということから、ロトは急いで料理を調えて、彼らをもてなしました。アブラハムが旅人のために妻サラに作らせた「パン菓子」(18章6節)も、酵母を入れないパンのことです。食事を終えて寛いでいたころ、「ソドムの男たちが、若者も年寄りもこぞって押しかけ」(4節)て来ました。二人の旅人をなぶりものにするためです(5節)。

 

 ここで「なぶりものにする」(5節)と訳されているのは、「知る」という意味の「ヤーダー」という言葉で、4章1節で「さて、アダムは妻エバを知った」というところで用いられているのと同じく、肉体の交わりを指す表現です。

 

 英語で「sodomy(ソドミー)」というのはこの箇所から出たことで、男色などの不自然な性行為を意味する用語です。ラテン語の「peccatum Sodomiticum」が語源と言われ、これは、「ソドムの罪」という言葉です。ソドムの男たちが若者から年寄りまでこぞって押しかけて来て、旅人と性的な交わりを持とうというわけですから、その乱れのひどさが知れます。

 

 もっとも、ユダヤ教の古典的な解釈では、「ソドムの罪」が男色を強調するものではなく、よそ者に対する残酷さやもてなしの欠如などのようなものとして扱われています。エゼキエル書16章49節の「お前の妹ソドムの罪はこれである。彼女とその娘たちは高慢で、食物に飽き安閑と暮らしていながら、貧しい者、乏しい者を助けようとしなかった」が、その解釈の根拠となっています。

 

 ロトは、彼らから旅人を守るために勇気をふるって戸口の前に出て行き(6節)、「どうか、皆さん、乱暴なことはしないでください」(7節)と言います。「皆さん」とは「わたしの兄弟」(アタイ)という言葉です。それは、親密さというより、町の中でお互いに対等の立ち場だという状況を示すものでしょう。

 

 その時ロトが提案したのは、驚愕すべき内容で、「実は、わたしにはまだ嫁がせていない娘が二人おります。皆さんにその娘たちを差し出しますから、好きなようにしてください。ただ、あの方々には何もしないでください。この家の屋根の下に身を寄せていただいたのですから」(8節)と言います。

 

 旅人を守るために娘を差し出そうと、ロトが本気で考えていたかどうか分かりませんが、聖書の世界では、家に迎え入れた旅人を守る責任が、その家長にあるということでしょう。また、二人の旅人がそれほどに神聖な存在だということを示そうとしている、といってよいのかも知れません。

 

 しかし、町の男たちはそれに耳を貸そうとせず、逆にロトを「よそ者」(9節)と呼び、対等な存在ではなく、ロトが自分たちに「指図など」(同節)する権利はないと言います。「指図」とは、裁判官を意味する「シャーファト」という言葉です。ロトを裁判官にした覚えはないというわけです。そこで、まずロトを痛い目に遭わせてやろうと言い出します(9節)。

 

 あわやというところで、二人の客がロトを家の中に引き入れ、町の人々の目をくらまし、戸口が分からないようにしました(10,11節)。旅人を守るつもりが、かえってロトが旅人に助けられたのです。

 

 この出来事で、天に届いていたこの町の罪の大きさが、実証されました。そこで二人は、自分の身の上をロトに明かして、「あなたの婿や息子や娘などを皆連れてここから逃げなさい。実は、わたしたちはこの町を滅ぼしに来たのです。大きな叫びが主のもとに届いたので、主は、この町を滅ぼすためにわたしたちを遣わされたのです」と告げました(12,13節)。

 

 怖い目に遭ったロトは、それを聞いてすぐに娘婿のところに行きますが、彼らは取り合いません。彼らは冗談だと思ったというのです(14節)。ところが、その様子を見てロトも腰が引けてしまいます。み使いたちがロトをせき立てて、「さあ早く、あなたの妻とここにいる二人の娘を連れて行きなさい」というと(15節)、ロトはためらっていたというのです(16節)。

 

 逃げるのをためらう理由は明らかにされてはいませんが、ロトは、ソドムが豊かに潤っているのを見てここに移り住んだのでした(13章10節)。また、裁判官にした覚えはないという言葉遣いがありましたが、よそ者のロトがこの町である程度のステイタスを得ていたと考えられます。そのようなことで、この地を離れることに未練があったのでしょう。

 

 それなら勝手にしろというところですが、そんなロトをなお「主は憐れんで」(16節)、二人に彼らの手をとらせて町の外へ連れ出し、「命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはならない。低地のどこにもとどまるな。山へ逃げなさい。さもないと、滅びることになる」(17節)と言われます。

 

 ところが、ロトは「主よ、できません。あなたは僕に目を留め、慈しみを豊かに示し、命を救おうとしてくださいます。しかし、わたしは山まで逃げ延びることはできません。恐らく、災害に巻き込まれて死んでしまうでしょう」(18,19節)と答えます。

 

 そして、低地の小さい町を指して、「御覧ください、あの町を。あそこなら近いので、逃げて行けると思います。あれは小さな町です。あそこへ逃げさせてください。あれはほんの小さな町です。どうか、そこでわたしの命を救ってください」(20節)と願います。

 

 言いたい放題というところですが、それをなんと、主は聞き入れられました(21,22節)。そして、その町は「小さな町」(ミツアル)ということで(20節)、「ツォアル」と名づけられました(22節)。

 

 ロトがツォアルの町に逃れたとき、天から火が降って、ソドムとゴモラを滅ぼしました。そのとき、「ロトの妻は後ろを振り向いたので、塩の柱に」(26節)なってしまいました。主は憐れみ深いお方ですが、しかし、侮られるようなお方ではありません(ガラテヤ書6章7節参照)。

 

 どうして、主はロトを憐れまれたのでしょうか。なぜ、ロトの家族を救おうとされたのでしょうか。ソドム、ゴモラの町の人々の中で、ロトの家族だけが神の御言葉に従う清い生活をしていたというのでしょうか。残念ながら、19章を見る限り、彼らが清く、また御言葉に従う生活をしていたとは、到底考えられません。

 

 ロトとその家族が救い出されたのは、冒頭の言葉(29節)に「こうして、ロトの住んでいた低地の町々は滅ぼされたが、神はアブラハムを御心に留め、ロトを破滅のただ中から救い出された」と記されているとおりで、ロト自身の正しさなどではありません。アブラハムに免じて、アブラハムの親族として、その憐れみを受けてのことだったわけです。

 

 アブラハムは、主からソドムとゴモラの町のことを知らされたとき、「まことにあなたは、正しい者と悪い者と一緒に滅ぼされるのですか」(18章23節)と尋ね、ソドムのために執り成して(同24節以下)、そこに十人の正しい者がいれば、滅ぼさないという主の言葉を引き出します(同32節)。

 

 けれども、残念ながらソドムの町に正しい者を十人、見つけることはできませんでした。当初の予定どおり、ソドムの町は滅ぼされます。けれども、アブラハムの執り成しで、ロトとその家族は憐れみを受けました。

 

 御言葉を聞いたとき、私たちもロトのように、従うことをためらい、実行を曖昧にすることはないでしょうか。それにもかかわらず、主の恵みに与ることができるのは、主イエスを信じる信仰により、私たちもアブラハムの子とされているからであり、その背後に、私たちのために執り成し祈ってくださる方があるからです。

 

 それは先ず、主イエスご自身であり、言葉に表せない切なる呻きをもって執り成してくださる聖霊なる神です(ローマ書8章26節)。そして、主にあって先に召された先達、私たちのことを愛し、見守ってくださる兄弟姉妹方です。

 

 その恵みを覚え、私たちも、常に恵み深く憐れみ豊かな主を信じ、主にあってアブラハムのように家族、親族、知人友人の救いのため、具体的に名前を上げて執り成しの祈りをささげる者にならせていただきましょう。

 

 主よ、あなたを信じます。私たちの家族、親族を救ってください。私たちの知人友人が滅びを刈り取ることがありませんように。そのために、私たちを用いてください。語るべき言葉を与えてください。知恵と力をお与えください。あなたを待ち望みます。御名が崇められますように。主の御業が表されますように。 アーメン

 

 

「アブラハムは答えた。『この土地には、神を畏れることが全くないので、わたしは妻のゆえに殺されると思ったのです。』」 創世記20章11節

 

 20章は、「神」が一般名詞の「エロヒーム」で語られる「E典」です。ここには、「ゲラル滞在」という小見出しがつけられています。この段落は、12章9~20節の「エジプト滞在」とよく似ています。12章は「J典」です。その意味では、E典の「ゲラル滞在」の記事の前に、J典と同様、「アブラムの召命と移住」(12章1~9節)の物語があったのでしょう。

 

 J典に編み込まれて現在の場所に置かれた結果、ヘブロンにいたアブラハムが南のネゲブ地方に移り、そこから更に南西方向に移動して、「カデシュとシュルの間」、即ちエジプトとの国境付近、ちょうどエジプトの川と呼ばれるワーディー(水なし川:雨期の初めと終わりに雨が降ったときだけ流れる川)のあたりに住んだとされます。

 

 そして、「ゲラルに滞在していたとき」(1節)と言われます。ゲラルは、ガザの南東約17㎞、ベエルシェバの北西約24㎞の地点にある、現在のテル・エシェリアと同定される町です。この町は、長い間ペリシテ人の支配下にありました。

 

 なぜ、アブラハムがエジプトとの国境付近に移り住んだのか、それから、どのようにしてゲラルに滞在するようになるのか、その理由など何も記されていませんが、19章に記されていた、ソドムの町に起こった恐るべき出来事から少しでも距離をとろうとしてのことと、編集者は私たちに思わせようとしているのではないかと考えられます。

 

 ただ、アブラハムは、多くの家畜を飼っています。だから、ヘブロンから南へネゲブ、カデシュから西へシュルの道を進み、そこから北東へ上ってゲラル、そしてヘブロンに戻って来るという、餌場、水場を求めて移動しながら群れを養う、遊牧民のような生活をしていたのかもしれません。

 

 しかし、そのような遊牧民の生活は、およそ安定しているとは言い難いものです。特に、寄留者としての立ち場は非常に弱いものです。生活の安定を図るためには、生きていく上での様々な知恵、したたかさが必要になって来ます。

 

 12章のエジプト滞在と同様、ここゲラルでも、アブラハムは妻サラのことを妹と紹介します。その理由が冒頭の言葉(11節)にアブラハムの言葉で「この土地には、神を畏れることが全くないので、わたしは妻のゆえに殺されると思ったのです」と説明されています。

 

 他人の妻と姦淫することは、重罪です。アブラハムの妻サラを王宮に召し入れたゲラルの王アビメレクに神が夢で現れ、「あなたは、召し入れた女のゆえに死ぬ。その女は、夫ある身だ」(3節)と言われたとき、自分の身の潔白を認めてくれるよう、アビメレクが神に訴えていますが(4,5節)、それは、他人の女性を横取りしたということなら、死罪になるということを了解しているからです。

 

 そのために、姦淫ではないことにするため、夫を殺して妻を自分のものにするという手法がとられることが、少なからずあったと考えられます(12章12節参照)。アブラハムが「妻のゆえに殺されると思った」というのは、そのことです。そこで、殺されることを免れるために、妻を妹と偽り、それゆえ、サラが王から召されると、アブラハムはそのまま差し出したわけです。

 

 王が女性を王宮に召し入れるのは、跡取りをもうけるためでしょう。およそ、90歳になろうとするサラに対して行われることとは考えがたいところです。もっとずっと若いときになされたという想定ではないかと思われますが、詳細は全くもって不明です。

 

 いずれにしても、もしも、サラがそのままゲラルの王アビメレクの側室、はたまた妻となるならば、17,18章で告げられていた、アブラハムとサラとの間に嫡子イサクが生まれるという神の約束は、反故になってしまいます。否、アブラハムが自ら、それを拒否したというかたちになってしまいます。

 

 この危機に、神が介入されました。上述のとおりアビメレクに夢で現れ、「あなたは、召し入れた女のゆえに死ぬ。その女は夫ある身だ」(3節)と告げられました。それに対し、アビメレクは自分が無罪であることを主張します。

 

 4節で「正しい者でも殺されるのですか」というのは、アブラハムがソドムのために執り成すときに「正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか」と尋ねた言葉を思い出します。それを、異邦人のアビメレクが、自らの潔白を認めてもらうために語っているのです。アビメレクは続けて、「わたしは、全くやましい考えも不正な手段でもなくこの事をしたのです」(5節)と言いました。

 

 ここで「やましい」というのは、「完全、無罪」を意味する「トーム」という言葉です。また、「不正な手段でもなく」は、「潔白な手」という言葉です。サラを召し入れた件について、自分は無罪、潔白だと主張したのです。

 

 神もそれを認められ、「わたしも、あなたが全くやましい考えでなしにこのことをしたことは知っている。だからわたしも、あなたがわたしに対して罪を犯すことのないように、彼女に触れさせなかったのだ」(6節)と請け合われます。ここで主なる神は、異邦ペリシテのゲラルの王アビメレクについて、神を畏れる義人と認められたかのような言葉遣いをしているのです(ヨブ記1章1節参照)。

 

 「罪を犯すことのないように」は、「罪を犯すことを妨げた」という言葉ですが、「妨げる」という言葉は、「惜しむ」という言葉でもあります。即ち、神はここに、異邦人に対する愛、深い憐れみの心を示しておられます。主なる神は、ユダヤ人だけを愛しておられるわけではない、クリスチャンだけを愛されるのではない、異邦人も、異教徒も、愛の対象から漏れることはないということです。

 

 18節には「主がアブラハムの妻サラのゆえに、アビメレクの宮廷のすべての女たちの胎を堅く閉ざしておられたからである」と記されています。「胎が閉ざされる」というのは、通常、子どもを産めないという表現ですが、一日二日でそれが確認できるはずもありません。それが問題になったということで考えれば、性的な交わりをすることが出来ないようにされたということになるのかも知れません。

 

 神は「直ちに、あの人の妻を返しなさい。彼は預言者だから、あなたのために祈り、命を救ってくれるだろう」(7節)と言われました。ここで、アブラハムのことを「預言者」と言われます。それは、エリヤやイザヤのような預言者というのではなく、神と人との間の仲介者、神に選び立てられた人という意味で語られているものと思われます。

 

 というのは、アブラハムは「祝福の源」(12章2節)と言われていましたが、それは、神の祝福の仲介者ということで、アブラハムを通して、神の祝福が子々孫々、すべての人々に拡げられていくからです。

 

 そこでアビメレクは、「羊、牛、男女の奴隷などを取ってアブラハムに与え、そして、妻サラを返し」(14節)ました。さらに、「この辺りはすべてわたしの領土です。好きなところにお住まいください」(15節)と言います。

 

 アブラハムが祈ると、アビメレクの妻や侍女たちは再び子どもが産めるようになりました。ここに、預言者の使命が、神の御言葉を聞いてそれを人々に伝えるだけではなく、人々のために執り成し祈ることも含まれてることが示されています。神はアブラハムの祈りを聞かれました。アブラハムを祝福することが、アビメレクの家の祝福となりました。

 

 神の言葉を聞いたアビメレクがアブラハムを呼び、「どういうつもりで、こんなことをしたのか」(10節)と尋ねたのに対し、アブラハムは「この土地には、神を畏れることが全くないので」(11節)と答えていましたが、実際には、アビメレクとその家来たちが、夢でアビメレクに語りかけられた神を非常に畏れました(8節)。

 

 むしろ、自分の命を守るためにということで、「妹」と偽って妻をアビメレクに差し出したアブラハムの方が、神を畏れることも、神に信頼することも忘れてしまっています。自分のずるがしこさで、この難局を乗り越えようとしていたのです。

 

 さらに13節で、「かつて、神がわたしを父の家から離して、さすらいの旅に出されたとき、わたしは妻に、『わたしに尽くすと思って、どこへ行っても、わたしのことを、この人を兄ですと言ってくれないか』と頼んだのです」と言います。

 

 ここでは、神が自分をさすらいの旅に出されたので、こうなった責任は神にあり、仕方なく、神を畏れることがないこの世を渡って行くのに、方便を用いることにしたと言い訳しています。なんたることでしょうか。

 

 それにも拘わらず、神はアブラハムを責めてはおられません。かつて、アブラハムを義と認められた神は、今ここにアブラハムの信仰を全く見ることができなくても、その義をアブラハムから取り上げられてはいません。

 

 16節でアビメレクが妻サラに、「わたしは、銀一千シェケルをあなたの兄上に贈りました。それは、あなたとの間のすべての出来事の疑惑を晴らす証拠です。これであなたの名誉は取り戻されるでしょう」と言います。ここで、アビメレクはサラにアブラハムのことを「夫」と言わず、「兄上」と呼びました。これも、アブラハムの言葉を否定せず、その名誉を傷つけないようにという配慮でしょうか。

 

そして、アブラハムがアビメレクに賠償金を払ったというのではありません。アビメレクがアブラハムに、賠償金として1千シェケル、ローマのお金にしておよそ1300デナリオンを支払いました。罪のない者が罪ある者のためにそれをしたというのです。それは、「疑惑を晴らす証拠」とするためです。

 

 これは、奇妙な表現です。それはヘブライ語原文で、「目を覆うもの、目隠し」(ケスートゥ・エーナイム)という言葉です。第三者の目から、サラを覆う、そしてアブラハムを覆う。そのための贖い代として、1千シェケルが差し出された。こうして、アブラハムとサラの名誉は保たれ、その分、アビメレクの名誉が損なわれるかたちになりました。ここに、まさに贖いの業があります。

 

 ということは、もともとアブラハムを義とした信仰とは、彼の行いなどに基づくものではなく、主なる神の御言葉を信じるように導かれた、主の深い恵み、憐れみに基づいているものということになります。

 

 つまり、どんなときでも主を信じて、その信仰が揺るがないから、神に義とされたのではないのです。アブラハムの不信仰な振る舞いにも拘わらず、全能の御手をもって恵みをお与えくださる主を信じさせていただいた、その信仰により、憐れみによって義として頂いたのです。

 

 もしも、アブラハムが告げたとおり、アビメレク王をはじめ、ゲラルの人々に神を畏れるところが全くなく、サラがアブラハムの妹ではなく、妻であったと知ったのであれば、それこそ、アブラハムは殺されて、サラがアビメレクのものとされたことでしょう。そうなれば、イスラエルの歴史はそこで終わったしまうことになったでしょう。全く、とんでもないことになるところでした。

 

 しかるに神は、その失敗を逆転させ、贈り物を得、そして、ゲラルの地に安心して住むことができるように導かれたのです。私たちは、この憐れみ深い主に信頼を置き、主の恵みに感謝と喜びの歌をささげるだけです。主を喜び祝うことこそ、私たちの力の源だからです(ネヘミヤ記8章10節)。

 

 主よ、アブラハムの弱さにも拘わらず、いえ、弱さのゆえに恵みをお与えくださったことを、心から感謝します。私たちの人生にも、あなたの恵みが満ち溢れています。アブラハムがアビメレクのために執り成し祈ったように、私たちも聖霊の力を受けて、隣人のために祝福を祈るアブラハムの子としての使命を果たすことが出来ますように。 アーメン

 

 

「神がハガルの目を開かれたので、彼女は水のある井戸を見つけた。彼女は行って革袋に水を満たし、子どもに飲ませた。」 創世記21章19節

 

 21章は、「イサクの誕生」(1~8節)、「イサクとイシュマエル」(9~21節)、「アビメレクとの契約」(22節以下)という三つの物語で構成されています。

 

 主なる神が、約束どおりアブラハムの妻サラを顧みられたので(1節)、彼女は身籠り、男の子を産みました(2節)。男の子が生まれたとき、アブラハムは百歳になっていました(5節)。ということは、サラは九十歳です。月のものはとうになくなっていたと、18章11節に記されていました。普通には、あり得ないことですが、主なる神が不可能を可能にしてくださったのです(同14節)。

 

 先に主は、「あなたの妻サラがあなたとの間に男の子を産む。その子をイサクと名付けなさい」(17章19節)と言われました。アブラハムはそのとおり、イサク(原文では「イツハーク」)と名付け(4節)、八日目に割礼を施しました。新共同訳聖書は、「イサク」とは「彼は笑う」という意味だと、17章19節に付言していました。

 

 この命名について、サラが6節で「神はわたしに笑いをお与えになった。聞く者は皆、わたしと笑い(イサク)を共にしてくれるでしょう」と説明していました。最初の「笑い」は「ツェホーク」という名詞、二番目の「笑い」は「イツハク」(「ツァーハク(笑う)」の未完了形3人称単数)という動詞です。この動詞から「イツハーク=イサク」という名前をつけたということです。

 

 かつて、子が授かるという神の御使いの言葉を到底本気には出来ず、笑ってしまったサラです(18章12節)。それは、相手の言葉を嘲笑う笑いですが、それはしかし、お腹の底からの笑いではなく、乾いた寂しく悲しい、自嘲の思いのこもった笑いでした。

 

 けれども今、サラには、全く別の笑いが与えられました。それは、自分のお腹を痛めた子を胸に抱くことのできた喜びから来る、嬉しさがこみ上げてくる笑いです。たとい、他人がサラの高齢出産を笑ったとしても、喜びがさらに大きくなることでしょう。自分でも笑ってしまうくらい、あり得ないことだったからです。「笑いを共にする」とはそのことです。

 

 それはまた、「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように」(12章2節)と語られた主の祝福が、真実なものであることを知った喜びでした。主なる神は、アブラハムとサラを心底笑わせ、周囲の人々をも、その祝福に共に与らせたのです(6節後半、12章3節)。

 

 8節に「やがて、子どもは育って乳離れした。アブラハムはイサクの乳離れの日に盛大な祝宴を開いた」と言われます。当時のパレスティナで子どもが乳離れするのは、生後およそ3年目ごろだったそうです。乳離れに際して、家族の中で大きな祝いが行われました。

 

 ところで、アブラハムは、妻サラの仕え女ハガルを通して「イシュマエル」という長男を得ていました。ただ、この段落には「イシュマエル」の名は記されず、「エジプトの女ハガルがアブラハムとの間に産んだ子」というのみです。そのことを通して、妻サラの産んだ子どもとサラの仕え女ハガルの産んだ子どもが、決して対等ではないということが示されています。

 

 イシュマエルは、アブラハムが86歳のときの子どもです。14年後にイサクが生まれ、それから2年あまり経過しておりますから、イシュマエルは16歳を過ぎていると考えられます。9節に「サラは、エジプトの女ハガルがアブラハムとの間に産んだ子が、イサクをからかっているのを見て」とあります。「からかう」というのは「ツァーハク:笑う」という言葉です。

 

 16歳と2歳という異母兄弟同士、楽しく遊んでいたのではないでしょうか。しかし、サラの目には、わが子イサクがエジプトの女奴隷ハガルの息子にからかわれているように見えたのです。そしてそれは、ハガルが身ごもったとき、女主人の自分を軽んじるようになったという、イヤなことを思い出させたのかも知れません。

 

 すぐにサラはアブラハムに、「あの女とあの子を追い出してください。あの女の息子は、わたしの子イサクと同じ跡継ぎとなるべきではありません」(10節)と進言します。サラは、「あの女とあの子」といって、仕え女ハガルのことも、自分と対等に並べられることを拒否しているわけです。

 

 それを聞いたアブラハムは苦しみます。妻サラにとっては、「あの女とあの子」ですが、アブラハムには、血を分けた愛する息子、長男のイシュマエルであり、長男を産んだその母ハガルです。どうして、おいそれと追い出すことが出来るでしょうか。

 

 そんなアブラハムに対して神は、「あの子供とあの女のことで苦しまなくてもよい。すべてサラが言うことに聞き従いなさい」(12節)と言われます。それはしかし、必ずしもアブラハムを楽にする言葉ではなかっただろうと思います。

 

 サラがアブラハムに「主はわたしに子供を授けてくださいません。わたしの女奴隷のところに入ってください。わたしは彼女によって、子供を与えられるかもしれません」(16章2節)と言い、アブラハムはそれに従いました。それは、子を授けると約束された神に対する不信から出たことです。

 

 「サラが言うことに聞き従いなさい」と神が言われるのは、蒔いた種を刈り取れという言葉に聞こえます。その思いが、アブラハムをなお苦しめます。イシュマエルはわが子、しかも、最初に与えられた男児なのです。父親としての思いと妻サラに対する思いとの間で、そして、妻の言うことに聞き従えという神の言葉で、どれほど辛い思いをしたことでしょう。その葛藤は、計り知ることができません。

 

 翌朝、アブラハムはハガルにパンと水の革袋を与え、その子イシュマエルを連れ去らせました(14節)。ハガルとイシュマエルは、ベエル・シェバの南の荒れ野を彷徨います。やがて水が無くなりました。もはや、彼らの命を守る支えがありません(15節)。その絶望の中で彼らに出来ることはただ一つ、それは声をあげて泣くことだけでした(16節)。

 

 この箇所のイシュマエルの描写は、およそバル・ミツバという成人式を過ぎた若者の姿ではなく、まるでまだ乳離れしていない幼子のようです。どう考えたら良いのか、全く分かりません。

 

 子どもの泣き声を聞かれた神が(17節)、冒頭の言葉(19節)のとおり、ハガルの目を開かれます。そこで、井戸を見つけました。井戸は初めからそこにあったでしょう。しかし、絶望の渕にあるハガルには、井戸が見えてなかったのです。井戸は命の保証です。井戸を見つけたことで、ハガルは再び、「エル・ロイ(わたしを顧みられる神)」(16章13節)なる神を見出したわけです。

 

 主なる神は、アブラハムのゆえにイシュマエルとハガルにも恵みを注がれました(13,20節)。イシュマエルはエジプトから妻を迎え(21節)、一族をなしていきます(25章12節以下参照)。イスラム教では、イシュマエルはアラブの民の始祖とされています。神は彼らにも「笑い」をお与えになったのです。

 

 神は私たちにも笑いをお与えくださいます。神は私たちのために、絶えず最善のことをなしていてくださると信じることの出来る人は幸いです。

 

 主よ、あなたの恵みは測り知ることが出来ません。それは、私たちのために愛する独り子をさえ惜しまず与え尽くされるほどのものです。私たちが神の子と呼ばれるために、どれほどの愛を賜ったことか、その恵みに目が開かれたとき、私たちの心は感謝と喜びに満ち溢れます。いよいよ主の御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで、人々は今日でも『主の山に、備えあり(イエラエ)』と言っている。」 創世記22章14節

 

 1節に「神はアブラハムを試された」という言葉があります。神がアブラハムを試験しようとされているのです。その試験について、2節に「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい」と告げられます。

 

 神がアブラハムの息子、彼の愛する独り子イサクを焼き尽くす献げ物として神にささげよと言われています。アブラハムの子はイサク独りではありません。エジプト人の仕え女ハガルに産ませた子イシュマエルがいました。

 

 しかし、アブラハムは、妻サラに求められてハガルとイシュマエルを家から追い出した後です(21章14節)。今のアブラハムに我が子と呼べるのは、イサクのほかありません。ですから、「独り子」とは、失うわけにはいかない、ただ独りのユニークな存在という意味です。

 

 神は、このイサクを約束の子としてアブラハムにくださったのですが、それは、随分長い間待ってようやく与えられた子どもです。その子を焼き尽くす献げ物としてささげよと命じて、アブラハムが神を畏れ、どんな時でも神に聴き従うかどうかを試されるわけです。

 

 しかし、命じられたアブラハムにとってみれば、それは、これ以上の難題はない、とんでもない要求でした。愛する独り子を神に献げるというのは、どれほどの苦しみでしょうか。特にそれは、神に約束された嗣業を託すべき跡継ぎを失うことを意味しています。しかも、それを要求しているのが、だれでもない、自分たちに子どもを授けてくださった神なのです。

 

 「試験」ということでは、これまでもアブラハムは何度も経験してきたということもできます。そもそも、「生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい」(12章1節)という主なる神の最初の語りかけが、そうだったでしょう。その言葉で、アブラハムの神に聴き従う生活が始まったのです。

 

 その後、飢饉でエジプトに降ったとき(同10節以下)、また、ペリシテ人のゲラルの地に寄留するようになったのも(20章1節以下)、試験だったと考えることができます。そして、残念ながらアブラハムは、その試験を無事にパスすることができませんでした。

 

 妻サラが、主は自分に子どもを授けてくださらないので、自分の女奴隷ハガルによって子どもを得ましょうと提案してきたことも、アブラハムを試すことだったでしょう。サラは、主の言葉が信じられないから、現実的に行動しようと進言したのです。計画通りに子どもが授かりますが、それは手放しで喜べる結果とはなりませんでした。

 

 今日の箇所には、アブラハムの心の内が何も記されていません。ただ淡々と、アブラハムは翌朝早く、ろばに鞍を置き、薪と二人の若者と息子イサクを伴って、命じられたモリヤの地を黙々と目指したようです(3節)。勿論、息子イサクを焼き尽くす献げ物として、自らの手で屠ることを、無感覚で行えるはずがありません。何も記されていないからこそ、あらゆる人間的な思いを想像させます。

 

 4節に「三日目になって、アブラハムが目を凝らすと、遠くにその場所が見えた」と記されています。三日の道程を歩いて来る間、アブラハムは様々なことを考えていたと思われますが、一つ確実なのは、彼は一貫して神の御言葉に従い続けているということです。何か一時的な激しい感情に誘われてそれをしたというようなことではないのです。

 

 ようやく目指すモリヤの地が遠くに見える場所まで来たとき、アブラハムは若者に「お前たちは、ろばと一緒にここで待っていなさい。わたしと息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる」(5節)と言いました。これからアブラハムがイサクに対してすることを、若者たちに見せたくなかったのでしょう。

 

 そして、イサクに薪を背負わせ、アブラハムは火と刃物を持ちました(6節)。するとイサクが、アブラハムに呼びかけて、「焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか」(7節)と尋ねました。自分が薪を背負っていること、そして、父アブラハムが火と刃物を持っているのを、焼き尽くす献げ物を神に献げようとしていると、イサクは判断したわけです。

 

 この問いに対してアブラハムは、「焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる」(8節)と答えました。アブラハムは、本当にそのように思って答えたのでしょうか。それとも、そうだったらいいなという願望をこめての言葉でしょうか。あるいは、ただその場を繕うだけの、一時しのぎの言葉なのでしょうか。

 

 真相は分かりません。そうだったらいいなという思いがあり、神はきっとそうしてくださるにちがいないと信じようとしたというところではないでしょうか。何しろ、主なる神は子を持つ可能性がなかったアブラハムとサラに、イサクを授けてくださったのです。

 

 モリヤの地に着くと、アブラハムは神に命じられたとおりにします(9,10節)。何の迷いもないかのごとく、決然と行動しています。そして、驚くべきことにといってよいでしょうか、息子イサクが抵抗した様子がありません。父親のすることを完全に信頼してのことなのでしょう。私たちには到底真似の出来ない振る舞いです。ここに、二人の信仰を見ることが出来ます。

 

 刃物を振り下ろそうとしたその瞬間、主の御使いがアブラハムをとどめました。12節に「御使いは言った。『その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった』」とあり、これがアブラハムの試験であった旨を明らかにします。

 

 そして、試験に合格したアブラハムとイサクのために、神は一匹の雄羊を用意しておられました。13節に「アブラハムは目を凝らして見回した。すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角を取られていた。アブラハムは行ってその雄羊を捕まえ、息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげた」と言います。

 

 こうして、アブラハムが、そうだったらいいなと考え、きっと神様はそうしてくださるにちがいないと信じたとおりに、ことが進みました。主を信じて、御心に従うとき、どんな試練の中にも神の助けがあることが示されます。

 

 冒頭の言葉(14節)のとおり、アブラハムはその場所を「ヤーウェ・イルエ」と名付けました。それは、「主は備えてくださる」という意味だと、新共同訳聖書に注記されています。口語訳聖書には、「アドナイ・エレ」と記されています。

 

 原文には、新共同訳のように神の固有名詞が「ヤーウェ」と記されているのですが、ユダヤ人たちは、それを口語訳聖書のように「アドナイ」即ち「主」というように読み替えています。主の名をみだりに唱えてはならないと、十戒に言われているからです(出エジプト記20章7節)。

 

 「イルエ」は「ラーアー」という言葉の未完了形で、「見る、分かる、理解する」という意味です。主が見ておられるというのが、「ヤーウェ・イルエ」と名付けたその場所の意味なのです。主がアブラハムの一挙手一投足を見ておられました。それは、ここでは試験のためにということになりますが、しかし、ただ見ておられただけではなく、焼き尽くす献げ物としての雄羊を備えておられました。

 

 「主の山に、備えあり(イエラエ)」(14節)と人々は言っているということですが、「備えあり」と訳されているのは、「見る」(ラーアー)の受動態(ニファル形)3人称単数で、「それは見られる、供給される」といった意味になります。主は常に私たちに目を留められ、私たちの必要を満たそうと備えておられるという信仰を、そこに表明しているのです。

 

 あらためて、1節に「モリヤの地、神の命じられた山の一つに登って」とありましたが、「モリヤ」について、歴代誌下3章1節に「ソロモンはエルサレムのモリヤ山で、主の神殿の建築を始めた。そこは、主が父ダビデに御自身を現され、ダビデがあらかじめ準備しておいた所で、かつてエブス人オルナンの麦打ち場があった」と記されています。

 

 歴代誌の記者は、ソロモンが神殿を建てたのは、エルサレムのモリヤ山だったと記述しており、モリヤ山とはシオンの山を指していることになります。確かに、ベエル・シェバからエルサレム、シオンの山までは70㎞ほどありますので、三日の道程といってよいでしょう。

 

 すると、イサクを焼き尽くす献げ物とするために祭壇を築いたのは、モリヤ山、即ち主の神殿が築かれることになるシオンの丘ということになります。シオンの丘に神殿がソロモン王によって建築される前、ダビデが契約の箱を設置した場所とされています。

 

 かつて主の神殿が建てられていた場所に、現在はイスラム教の「岩のドーム」と呼ばれる宗教施設が設置されています。岩のドームは、アブラハムがイサクを献げる祭壇にした岩とされるものを覆うように建てられています。

 

 ただし、イスラム教では、この岩はアブラハムとイサクにまつわる遺物というより、この岩からイスラム教の預言者ムハンマドが天に登る旅をしたとされているそうです。その事実を記念するために、この岩を黄金のドームで覆い、重要な宗教施設としたそうです。エルサレムの「岩のドーム」は、メッカの「聖なるモスク」、メディナの「預言者のモスク」と共に、三大聖地の一つとされています。

 

 アブラハムの愛する子イサクを焼き尽くす献げ物としようとしたモリヤの地が、ダビデが契約の箱を安置した場所、そして、その子ソロモンが主の神殿を建築したシオンの丘であるならば、イサクの身代わりに焼き尽くす献げ物された一匹の雄羊とは、2000年後に神殿の外のゴルゴタと呼ばれる地で、全人類の罪の身代わりに十字架につけられた、神の独り子主イエスを予表するものではありませんか。

 

 主なる神は、アブラハムのときに既に、生きた人を供え物にするような宗教儀式は、神の願うところではないこと、究極の焼き尽くす献げ物として神ご自身が備えられた献げ物は、御自分の愛する独り子であるということを、このように予め示しておられたのです。

 

 「ヤーウェ・イルエ」、絶えず私たちを見ていてくださる主を仰ぎ、その御言葉に従って私たちに委ねられている主の使命を果たし、そのためにすべて必要なものを備えてくださる主を、心から誉め讃えて参りましょう。

 

 主よ、あなたは私たちのために、独り子イエス・キリストを十字架に贖いの供え物とされました。その愛により、神の子とされ、命の恵みに与っています。いつも主を仰ぎ、その御言葉に聴き従うことが出来ますように。御名を崇めさせたまえ。 アーメン

 

 

「サラの生涯は百二十七年であった。これがサラの生きた年数である。」 創世記23章1節

 

 23章には、「サラの死と埋葬」という小見出しがつけられています。息子イサクを焼き尽くす献げ物として神に献げ得るかという試練の後(22章)、アブラハムは終局に向けて進むことになります。23章は伴侶の死、24章は息子イサクの嫁取り、そして、25章にアブラハムの死が報告されています。

 

 冒頭の言葉(1節)に「サラの生涯は百二十七年であった」と記されています。女性の年齢が記録されるというのは、聖書では特異なことです。それだけ、サラが特別な存在だということのようです。サラは、長い人生を生き抜きました。それは、神の祝福といってもよいでしょう。

 

 しかしながら、人生がいかに長く、どんなに祝福に満ちたものであっても、私たちの人生は、死をもって閉じられます。コヘレトは「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある」(同3章1節)と言い、続けて「生まれるとき、死ぬとき、植えるとき、植えたものを抜くとき」(同2節)と記しています。誰にも、死のときが訪れます。人の死亡率は100%です。

 

 サラの死は、ここに非常に簡潔に語られています。イサクを産み、イシュマエルを追い出した後のサラが、どのように子育てし、その後、どのように過ごしてきたのかなど、何も分かりません。ただ、どんなに言葉を費やしてその人生を物語っても、それによって死の現実を軽くしたり、覆い隠したりすることは出来ません。人はただ、その現実を受け入れるほかはないのです。

 

 サラは夫アブラムに仕え、陰に日向に夫を支える脇役として生きました。ヘブライ書11章11,12節に「信仰によって、不妊の女サラ自身も、年齢が盛りを過ぎていたのに子をもうける力を得ました。約束をなさった方は真実な方であると、信じていたからです。それで、死んだも同様の一人の人から空の星のように、また海辺の数え切れない砂のように、多くの子孫が生まれたのです」と記されています。

 

 とはいえ、主の御使いから子が授けられると聞いてそれを笑ったこと(18章12節)、またハガルやイシュマエルに対してなした言動(16章5,6節、21章9,10節)などを考えると、ヘブライ書に「信仰の人」として名を上げられることに、反論したい気にもなります。

 

 けれどもサラは、神の恵みによってアブラハムと共に歩み、不可能を可能とされる神の約束に従って90歳という高年齢で子イサクを授かりました。そうして、127年の生涯を全うしたのです。サラが召されるとき、愛し子イサクは37歳になっていました。

 

 人は誰も、自分で自分を救うことは出来ません。弱き者、不義なる者、無きに等しい者をあえて選び、その罪を赦し、救い、召し、さらに義とし、栄光から栄光へと主の同じ姿に変えてくださる、恵みと憐れみに富む主なる神に、ただただ依り頼むだけです(ローマ5章6節以下、8章30節、第一コリント1章26節以下、第二コリント3章18節)。

 

 亡くなったサラのために、アブラハムは墓地を整えようとします。サラは「カナン地方のキルヤト・アルバ、すなわちヘブロン」(2節)で亡くなりました。「キルヤト・アルバ」とは、「アルバの町」という意味です。

 

 「アルバ」は、カナンの地に住んでいたアナク人の父祖アナクの父であり(ヨシュア記15章13節、21章11節)、アナク人の中の最も偉大な人物でした(同14章15節)。それが、ヘブロンという名前になったのは、イスラエルの民がヨシュアに率いられて約束の地カナンにやってきた後のことと言われています。

 

 

 アブラハムの時代、ここには「ヘトの人々(ベネー・ヘート=「ヘトの子ら」の意)」が住んでいました(3節)。そこでアブラハムは、ヘトの人に「わたしは、あなたがたのところに一時滞在する寄留者ですが、あなたがたが所有する墓地を譲ってくださいませんか。亡くなった妻を葬ってやりたいのです」(4節)と申し出ます。

 

 アブラハムはここで自分のことを、「一時滞在する寄留者」(4節)と言います。アブラハムは、甥のロトと別れて以来、ヘブロンのマムレの樫の木のところに来て住むようになったと、13章18節に記されていました。

 

 それから、少なくとも50年近く経過しているのですが、このときアブラハムは、未だ約束の地カナンに、自分の所有と呼べる土地を持ってはいなかったのです。その必要がなかったのかどうかは分かりませんが、ここでは、妻サラを葬るために、どうしても、墓地を確保したいと願うのです。

 

 5節以下に、墓地取得のヘト人との交渉の様子が描かれています。言葉遣いから見えるのは、ヘト人のアブラハムに対する好意です。6節で「御主人、お聞きください。あなたは、わたしどもの中で神に選ばれた方です。どうぞ、わたしどもの最も良い墓地を選んで、亡くなられた方を葬ってください。わたしどもの中には墓地の提供を拒んで、亡くなられた方を葬らせない者など、一人もいません」と言います。

 

 「神に選ばれた方」とは、「ネシー・エロヒーム」という言葉で、口語訳は「神のような主君」、新改訳は「神のつかさ」、岩波訳は「神のような立派なお方」と訳し、脚注に「字義通りには『神の指導者』」と記しています。長年のアブラハムとのつきあいで、その意に反するのは得策ではない、上手に取り入ろうと考えて、最高級の呼び名でアブラハムと交渉しようとしているようです。

 

 そこでアブラハムは、希望の墓地の場所を指定します。それが8,9節にあるアブラハムの言葉で、「もし、亡くなった妻を葬ることをお許しいただけるなら、ぜひ、わたしの願いを聞いてください。ツォハルの子、エフロンにお願いして、あの方の畑の端にあるマクペラの洞穴を譲っていただきたいのです。十分な銀をお支払いしますから、皆様方の間に墓地を所有させてください」と言います。

 

 「マクペラの洞窟」を妻サラの墓地にと願ったわけですが、「マクペラ」とは、「一部分(portion)」という意味があります。畑の一部分だからということでしょうか。また、「二重(double)」という意味もあります。この墓地には、サラだけでなく、アブラハム自身、そして、イサクとリベカ、ヤコブとレアもここに葬られました。「二つの墓穴」という意味で「二重の洞穴」と呼んだのかも知れません。

 

 それを聞いたヘト人エフロンは11節で「どうか、御主人、お聞きください。あの畑は差し上げます。あそこにある洞穴も差し上げます。わたしの一族が立ち会っているところで、あなたに差し上げますから、早速、亡くなられた方を葬ってください」と答えています。「十分な銀をお支払いする」というアブラハムに、「洞穴だけでなく、畑も差し上げる」というのです。

 

 「差し上げる」と訳された「ナータン」という言葉は、4,9節でアブラハムによって「譲っていただきたい」と訳されており、それは勿論、無償ということではないでしょう。つまり、「与える(ナータン)」という言葉を用いながら、相手の腹の探り合いをしているわけです。

 

 そこでアブラハムはエフロンに「わたしの願いを聞き入れてくださるなら、どうか、畑の代金を払わせてください。どうぞ、受け取ってください。そうすれば、亡くなった妻をあそこに葬ってやれます」(13節)と言います。

 

 エフロンの「あの畑は差し上げます。あそこにある洞穴も差し上げます」(11節)という言葉を受けて、「マクペラの洞窟」だけでなく、その洞穴と一緒に「畑」も譲ってくれるようにと、その願いを拡大しました。

 

 するとエフロンは「どうか、御主人、お聞きください。あの土地は銀四百シェケルのものです。それがあなたとわたしの間で、どれほどのことでしょう。早速、亡くなられた方を葬ってください」(14,15節)と答えます。土地の代金は400シェケルでどうでしょうか、あなたには安いものでしょうといっているわけです。

 

 このような取引は、現在でも中近東で行われているそうで、金銭づくの関係をはばかって「差し上げる」と言った上で、相手が「買い取る」と言い張るので、断り切れずに相手に売値を言うというかたちをとるわけです。

 

 そして、そこから具体的な売値交渉が始まるわけですが、エフロンがアブラハムに告げた墓地用の土地代金400シェケルについて、たとえばサムエル記下24章18節以下に、ダビデ王がエブス人アラウナ所有の麦打ち場を買うやり取りが記されています。そこでも、ここと同じようなやり取りがなされた後、ダビデは、麦打ち場と牛のために、銀50シェケルを支払ったと記されています(同24節)。

 

 また、エレミヤ書32章6節以下には、エレミヤが「叔父シャルムの子ハナムエル」というのですから、エレミヤの従兄弟ということになりますね。エレミヤが従兄弟のハナムエルから畑を買い取るという記事が記されています。その時、エレミヤが畑の代金としてハナムエルに支払ったのは、銀17シェケルであったと記されていました(同9節)。

 

 どうでしょう。ダビデ王が麦打ち場に支払った銀50シェケル、預言者エレミヤが畑を買うのに支払った17シェケル、この金額を見ると、アブラハムが求められた銀400シェケルというのは、法外というべき値段です。通常ならば、このような土地売買はまずまず成立しないでしょう。

 

 けれども、この墓地用の土地売買契約が成立して初めて、アブラハムは、神が示されたこのカナンの地に、自分の所有の土地を持つことが出来るのです。自分が住むためではなく、妻サラを葬るためにカナン人の墓地を求めたのは、それが故人の生涯の記念碑であり、特に、この地でサラは生きたという証しです。そして、畑を所有することで、彼はここに住むことになります。

 

 百年も連れ添った妻サラの死は、アブラハムにとってどれほど深い悲しみになったことかと思いますが、サラの葬りのための場所を確保することが、自身の住まいのための土地を獲得することにもなりました。それは、この地がアブラハムとその子孫によって永遠に所有されるところとなると、神が約束されたことを信じている証しなのです。

 

 私たちは、人の命は死で終わらないことを知っています。死は、新しい命、永遠の命の門です。私たちは、天の御国に国籍を持ち(フィリピ書3章20節)、そこに私たちの住まいがあります。用意が整えられると、主が私たちを迎えにおいでになります。わたしたちは、神と共に永遠に天の御国に住むことができるのです。それが、ヨハネ福音書14章2,3節に記されていることです。

 

 どんな生涯も、神の恵みによって支えられています。そして、天の御国目指して進んで行きます。そこで、あらゆることが益となるのです。マイナスが大きければ大きいほど、神から与えられる恵みは大きなものとなるのです。

 

 サラの127年の生涯がことごとく神の恵みであったとされるように、私たちの生涯もまた、ことごとく主の恵みです。たとい今がマイナスとしか見えないような状況にあるとしても、すべてを益に変えてくださる主によって、主の恵みへと導かれていることを信じ、感謝しましょう。

 

 主よ、私たちはキリスト・イエスによって命の書に名を記され、天の御国に国籍を持つ者とされたことを、心から感謝します。この信仰のゆえに、この地上を希望と平安をもって歩むことが出来ます。御名が崇められますように。御国が来ますように。 アーメン

 

 

「主人アブラハムの神、主よ。どうか、今日、わたしを顧みて、主人アブラハムに慈しみを示してください。」 創世記24章12節

 

 24章には「イサクとリベカの結婚」という小見出しがつけられています。長く連れ添った妻サラを葬り(23章)、さらに年を重ねたアブラハムにとって、一番気にかかっていたのは、一人息子イサクのことでした。それも、嫁を迎えさせることです。そこでアブラハムは、自分が最も信頼している僕を呼びました(2節)。

 

 24章全体にわたって、その僕の名は記されていませんが、アブラハムが全幅の信頼を寄せている僕といえば、「ダマスコのエリエゼル」(15章2節)でしょう。まだイサクが与えられる前で、アブラハムと妻サラには子どもが授からないままで、「家の僕が跡を継ぐことになっています」(同3節)と言っていました。

 

 アブラハムは、この僕を信頼して家の全財産の管理を任せていたのです(2節)。それは、その僕を跡取りとすると決めるほどのことでした。そしてその僕も、そのような主人の信頼を裏切ろうとは、全く考えていないようです。むしろ主人に深く感謝し、心から主人に仕えて来たのです。ここに、イスラエルの父祖を取り巻いている美しい人間関係が描かれています。

 

 アブラハムはこの時、一番心にかかっていたことをこの僕に任せました。ただ、無条件にということではありませんでした。アブラハムが出した嫁取りの条件は、「あなたはわたしの息子の嫁をわたしが今住んでいるカナンの娘から取るのではなく」(3節)、「わたしの一族のいる故郷へ行って、嫁を息子イサクのために連れて来るように」(4節)ということです。

 

 これは、血筋ということもあったのかも知れませんが、何より、信仰の問題でした。カナンの土着の宗教習俗に染まらず、純粋な信仰を継承し、妥協しないようにということです。それによって、アブラハムに与えられた主の祝福、すべてのものの祝福の源となるという使命を代々受け継ぐのです。これ以外の条件は、ここにはありません。

 

 僕は、アブラハムに「もしかすると、その娘がわたしに従ってこの土地に来たくないと言うかもしれません。その場合には、御子息をあなたの故郷にお連れしてよいでしょうか」(5節)と尋ねます。それに対して、アブラハムが「決して、息子をあちらへ行かせてはならない」(6節)と答えました。

 

 その理由を続く7節で、「天の神である主は、わたしを父の家、生まれ故郷から連れ出し、『あなたの子孫にこの土地を与える』と言って、わたしに誓い、約束してくださった。その方がお前の行く手に御使いを遣わして、そこから息子に嫁を連れて来ることができるようにしてくださる」と説明しています。

 

 つまり、神はカナンの地を約束の地としてお与えくださったのだから、嫁をこちらに連れて来るのであって、故郷の親族の家に婿入りさせるような真似はできないということです。そのために、神が僕の行く手に御使いを遣わしてくださると言います。つまり、このことは神から出ているので、必ず実現させてくださると、アブラハムは信じているのです。

 

 僕は、主人から預かった高価な贈り物をたくさん携え、アラム・ナハライムのナホルの町へ向かって出発します(10節)。アラム・ナハライムについて、「ナハライム」とは、対になった二つの川という意味で、チグリス、ユーフラテスという大河のこと、その二つの川に挟まれた「アラム」の地を指しています。

 

 ベエル・シェバからナホルまで、直線でおよそ700㎞というところでしょうか。歩けば、優にひと月はかかるという距離です。ラクダ十頭を選んでと10節に記されていました。ラクダは人の4倍ほどのスピードで歩くということなので、およそ1週間ほどでナホルの町に到着することができたのではないかと思われます。

 

 町はずれの井戸の傍らまでやって来た僕は、冒頭の言葉(12節)のとおり、「主人アブラハムの神、主よ。どうか、今日、わたしを顧みて、主人アブラハムに慈しみを示してください」と祈りをささげます。僕は、主人アブラハムの信任に応えるためには、主なる神の助けが絶対必要だと考えていたわけです。

 

 そこでまず、「どうか、今日、わたしを顧みてください」と求めます。「顧みてください」と訳されているのは、「わたしの面前で会ってください」(ヒクレー・ナー・レファーナイ)という言葉です。主人が信頼している神が自分をも顧みてくださるように、そして、御業を起こしてくださるようにと願い求めるのです。

 

 それは勿論、僕自身のためではありません。主人アブラハムのためであり、その子イサクのためです。だから、続いて「主人アブラハムに慈しみを示してください」と祈るのです。こうして、僕は、主人アブラハムのために慈しみを祈りつつ、アブラハムと同様、神を全く信頼に値するお方として、仰いでいるのです。

 

 続く13,14節に「この町に住む人の娘たちが水をくみに来たとき、その一人に、『どうか、水がめを傾けて、飲ませてください』と頼んでみます。その娘が、『どうぞ、お飲みください。らくだにも飲ませてあげましょう』と答えれば、彼女こそ、あなたがあなたの僕イサクの嫁としてお決めになったものとさせてください」と言います。

 

 僕は、神の御心を確認するため、しるしを与えて欲しいと願っているのです。それは、井戸に水を汲みに来た女性に「水を飲ませてください」と頼んで、その願いに応えるだけでなく、「らくだにも飲ませてあげましょう」と積極的に応じてくれる女性がその人物ということにして欲しいというのです。それは、見知らぬ旅人を受け入れ、その動物にも思い遣る優しい心を持っている女性ということです。

 

 すると、まだ祈り終わらない内に一人の娘がやって来て(15節)、彼が願ったとおりに応えました。それも「らくだにも水を汲んで来て、たっぷり飲ませてあげましょう」(19節)と言い、すぐに水を汲みに井戸に走り、すべてのらくだに水を飲ませたのです(20節)。

 

 そこで、僕は金の花輪と金の腕輪二つを取り出して贈り物としつつ(22節)、「あなたは、どなたの娘さんですか」(23節)と尋ねると、「ナホルとその妻ミルカの子ベトエルの娘です」(24節)という答えが返ってきました。

 

 ナホルはアブラハムの兄弟、ベトエルはアブラハムの甥、イサクにとって従弟になる間柄、その娘というのですから、確かに神は、アブラハムの僕を彼の親族の家に導かれ、その家の娘に出会わせ、それが神の決められたイサクの嫁であるということを、これほどまでにはっきりとお示しになったのです。

 

 それを聞いた僕は、ひざまずいて主を伏し拝み(26節)、「主人アブラハムの神、主はたたえられますように。主の慈しみとまことはわたしの主人を離れず、主はわたしの旅路を導き、主人の一族の家にたどりつかせてくださいました」(27節)と、賛美と感謝の祈りを捧げます。

 

 28節以下、僕はベトエルの家に招かれ、これまでのいきさつを説明し、娘リベカをアブラハムの息子イサクの嫁として迎えたいと申し出ました(48,49節)。それに対してラバンとベトエルは、「このことは主の御意志ですから、わたしどもが善し悪しを申すことはできません。リベカはここにおります。どうぞお連れください」(50,51節)と答えます。

 

 つまり、僕の話を聞いたベトエルとラバンは、この結婚が主から出たことだと信じたのです。そして、リベカ自身も、それが主の導きと信じて、この僕と共に、翌朝すぐに旅立ちます(54節以下、58節)。

 

 ここに登場してくる人々にとって、神の慈しみ、神の導きは、極めて具体的です。勿論、神の導きの手が実際に見えているわけではありません。しかし、信仰の目をもって振り返ってみると、確かにその「御手」が見えて来ます。主の御意志が分かって来ます。神の御業は、超自然的な出来事によってだけでなく、人の心を通して、その思いを動かすというかたちで働くのです。

 

 恵みの主に信頼し、日々御言葉に耳を傾け、その御心を行う者とならせていただきましょう。

 

 主よ、あなたは私たちにも目を留め、恵みと憐れみを溢れるほど豊かに注ぎ与えてくださいます。私たちに進むべき道を示し、信仰によって歩み通すことができるよう、守り導いてください。主世、あなたの富と知恵と知識はなんと深いことでしょう。誰が、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせるでしょう。すべてのものは神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように。 アーメン

 

 

「ヤコブは言った。『まず、お兄さんの長子の権利を譲ってください。』」 創世記25章31節

 

 1節に、アブラハムが再婚したと記されています。しかし、6節に「側女」記されています。あくまで正妻はサラ一人ということなのでしょう。側妻の名は「ケトラ」といいます。ケトラについて岩波訳脚注に「ケトラは『薫香を焚かれた女性』の意。アラビア半島の香料交易に関係する名」と記されています。

 

 ケトラはアブラハムに、ジムラン、ヨクシャン、メダン、ミディアン、イシュバク、シュアと、計6人を産みました(2節)。岩波訳脚注に「これらケトラの子孫(代上1:32-33に再録)には、不詳の名前も多いが、全体としてシナイ半島から南アラビアの部族を指す」とありました。

 

 さらに、「ミディアンはシナイ半島からアラビア半島のベドウィン部族(37:28他)。シェバは南アラビアの国(王上10:1)。シェバとでダンは10:7参照。シュアハはシュヒ人(ヨブ2:11)。アッシュル人はアラビアの一部族。ハノクはエノク(4:18,5:21)に同じ」と説明しています。

 

 「♪アブラハムには7人の子、一人はのっぽで後はちび、皆仲良く暮らしてる、さあ踊りましょう。右手、左手、右足、左足、頭、お尻、回って、おしまい♪」という歌があります。原作詞者、作曲者は不明です。

 

 アブラハムには、正妻サラとの間にイサク、サラの女奴隷ハガルとの間にイシュマエルがおり、そして、側妻としたケトラとの間に6人の子ですから、合計8人の息子を持っていることになります。何故、「7人の子」なのでしょうか。また、背の高さについては、どこにも記述されていませんから、誰がのっぽで誰がちびなのか、検証は出来ません。

 

 アブラハムは全財産をイサクに譲り(5節)、ケトラの子らには贈り物を与え、東の方へ移住させて、イサクから遠ざけました(6節)。「ケデム地方」とは「東の地」という言葉です(口語訳、新改訳、岩波訳参照)。

 

 そうしてアブラハムは、175年の生涯の幕を閉じます(7節)。息子イサクとイシュマエルが、彼を妻サラと共にマクペラの洞穴に葬りました(9,10節)。アブラハムが父の家を離れたのが75歳の時でしたから、175歳で息を引き取ったということは、主の言葉に従って約束の地へと出発して100年間生きたということになります。

 

 ハランを出て25年後、アブラハムが100歳のとき、イサクが生まれました(21章5節)。それから37年後、妻サラが127歳で息を引き取りました(23章1節)。その3年後にイサクが40歳で結婚しました(20節)。その後、アブラハムは側妻を迎えて6人の子をなしたわけです。アブラハムが神の御言葉に従って生まれ故郷を後にした後、確かに神は、アブラハムを祝福されたのです。

 

 アブラハムの息子イサクが、アラム・ナハライムのナホルの町から従姪のリベカを迎えて(24章15節)妻としたのは(同67節)、上述のとおり40歳の時でした(20節)。しかし、イサク・リベカ夫妻には子が授かりませんでした(21節)。父アブラハムと同様です。そこで、イサクが祈り求めたところ、主が祈りを聞かれ、待望の子どもが与えられます(同節)。

 

 しかも、リベカの胎内に宿ったのは、双子の赤ちゃんでした(22節以下)。26節に「リベカが二人を産んだとき、イサクは60歳であった」と記されています。つまり、イサクは結婚して20年、妻リベカに子が授かるのを祈り待ち望んだわけです。

 

 イサクが祈リ、主がそれに答えられてリベカが身ごもったということは、命は神の賜物であるということです。また、祈りこそ、主なる神を信頼し、御前に静まって約束の成就を待つことの出来る力です。私たちに力はなくとも、主にはその力があります。

 

 主イエスが、「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない」(ヨハネ福音書11章25,26節)と言われました。

 

 また、「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとにいくことができない」(同14章6節)と言われています。私たちの家族、親族に永遠の命が授けられるよう、信じて祈り続けましょう。

 

 リベカの胎内に双子が宿ったことが分かったとき、リベカが主に御心を尋ねたところ、主は「二つの国民があなたに胎内に宿っており、二つの民があなたの腹の内で分かれ争っている。一つの民が他の民より強くなり、兄が弟に仕えるようになる」(23節)とお答えになりました。つまり、主なる神は二人が生まれる前に弟を選ばれ、より重要な役割をお与えになっていたのです。

 

 27節に「二人の子どもは成長して、エサウは巧みな狩人で野の人となったが、ヤコブは穏やかな人で天幕の周りで働くのを常とした」とあります。兄エサウは長じて狩猟者となりました。「巧みな」というのは「ヤーダー」という言葉で、「知識を持っている」という意味です。

 

 弟ヤコブは「天幕の周りで働く野を常とした」というのですから、田畑を耕して生活するお百姓になったということでしょう。「穏やかな人」は「ターム」という言葉で、「完全な、汚れのない」という意味の形容詞です。およそ「物静かな」という意味などではなく、健康面、体力面で問題がない、また、道徳的で健全といった意味合いと考えられます(岩波訳参照)。

 

 ただ、「ヤコブ」の名の由来となった「アーケーブ」という言葉は、「かかと」という意味の名詞のほかに「だます、蹴飛ばす」という動詞もあります。ヤコブの生涯には、欺し、欺され、押し退け、押し退けられるということがついて回るのです。

 

 ヤコブが煮物をしていると、エサウが疲れきって野原から帰って来ました(29節)。エサウは巧みな狩猟者でしたが、しかし、いつも獲物を獲得できるという保証はありません。野山を駆け回って獲物を追いますが、獲物が得られないということもあるわけです。空腹を抱え、疲労困憊して家に戻って来たときに、ヤコブが煮物をしていたのです。

 

 そこで、エサウがヤコブに「お願いだ、その赤いもの(アドム)、そこの赤いものを食べさせてほしい。わたしは疲れきっているんだ」(30節)と願います。エサウは、ヤコブが何を作っていたのか、その料理の名を知らなかったのかも知れません。だから、「その赤いもの」と呼んでいます。それが、彼の別名「エドム」の語源(エサウがエドム人の始祖)となったと説明しています。

 

 エサウの願いに対してヤコブは冒頭の言葉(31節)のとおり、「まず、お兄さんの長子の権利を譲ってください」と言います。ここに、「長子の権利」と言われているのは、父親が亡くなったときに、遺産を他の兄弟の2倍分受け継ぐことが出来る権利のことです(申命記21章17節)。長子は、神に属するものとされ、特別な価値があると考えられていたのです。

 

 「煮物を食べさせろ」という要求に対して、「長子の権利を譲れ」というのは、およそ釣り合わない無理難題のように思われます。到底、聞ける話ではありません。ここは「馬鹿にするな」と怒って立ち上がるところでしょう。ところが、驚くべきことに、「ああ、もう死にそうだ。長子の権利などどうでもよい」(32節)とエサウは答えるのです。

 

 それを聞いたヤコブが「では、今すぐ誓ってください」(33節)というと、エサウは誓いの言葉を口にし、長子の権利を譲ってしまいました。長子の権利を「パンとレンズ豆の煮物」でヤコブに譲り渡してしまったのです。

 

 このときエサウは、飢えて死んでしまえば、長子の権利もへったくれもない、父の亡くなるときまで、この空腹を我慢し続けることなど出来ない、今のこの空腹を満たす料理の方が、長子の権利よりも大切だと考えたのです。目先のことで、大切な将来の保証を売り渡してしまうとは、なんと愚かなことでしょうか。しかし、私たちも目先の利益で右往左往させられています、

 

 一方ヤコブは、そんなに簡単に長子の権利が手に入ると考えてはいなかったと思います。兄エサウがレンズ豆の煮物と長子の権利を交換するだろうと、ヤコブが本気で考えていたとは思えません。ただ、仮に、ここでこの煮物を兄エサウに譲って、自分は食べないまま空腹でいることになっても、「長子の権利」を手にすれば、それは将来の保証となると考えたのです。

 

 ところで、父イサクが持っていた遺産とは、どれほどのものでしょうか。それは、アブラハムから受け継いだ「非常に多くの家畜や金銀」(13章2節)、そして、サラを葬るために購入した、ヘト人エフロン所有のヘブロンのマクペラの畑とそこの洞穴です(23章17節以下)。

 

 しかし、それだけではありません。イサクの父アブラハムは、「祝福の源」(12章2,3節)とされた人物です。アブラハムが「長寿を全うして息を引き取り、満ち足りて死に、先祖の列に加えられた」(7節)ように、主なる神が共にいて、祝福を与えてくださるという、目には見えない財産、宝物がありました。

 

 自分もその祝福に与りたい、兄エサウが長子としてそれを譲り受けるのを、手をこまねいてただ見ているというようなことはできないと、弟ヤコブは考えていたのです。このような父イサクの持つ財産、祝福の力に対する見解の相違が、エサウとヤコブ、二人の対応を分けました。

 

 私たちは、主イエスを信じる信仰によって神の子とされ、キリストと共同の相続人とされています(ローマ書8章17節)。この権利をあってもなくても同じなどと考えて、サタンに欺き取られてはなりません。また、既に恵みによって与えられているのに、精進、努力によって獲得すべきものと思い違いさせられてはなりません。主の恵みにより、命の光の内を歩ませていただきましょう。

 

 主よ、イサクが命のために祈り、ヤコブがイサクが持っていた神の祝福を求めたように、私たちも神の恵みを慕い求めます。それによって信仰に生きる者となるためです。パウロが、神の恵みによって今日のわたしがあると言い、わたしに与えられた恵みは無駄にならなかったと告げているように、私たちも動かされないようにしっかりたち、主の業に常に励む者としてください。 アーメン

 

 

「わたしは、あなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしはあなたと共にいる。わたしはあなたを祝福し、子孫を増やす。わが僕アブラハムのゆえに。」 創世記26章24節

 

 アブラハムの子イサクは、リベカを妻に迎える頃は、ネゲブに住んでいましたが(24章62節)、父アブラハムの死後、ネゲブの砂漠のベエル・ラハイ・ロイの近くに移り住みました(25章11節)。その地方に飢饉があったので、ゲラルの地に身を寄せます。そこは、ペリシテの王アビメレクが支配しているところでした(1節、20章2節参照)。

 

 ただし、ゲラルの王を「ペリシテ人」というのは時代錯誤です。ペリシテ人がパレスティナに移住してくるのは族長時代ではなく、出エジプト(紀元前1300年頃)より後の紀元前1200年ごろと言われます。ゲラルの地がペリシテ人の支配する地域にあることを、創世記の読者が知っているという前提で記されたものでしょう。

 

 エレミヤ書47章4節に「主がペリシテ人を滅ぼされる、カフトルの島の残りの者まで」とあります。カフトルの島とはクレタ島のことです。「カフトルの島の残りの者」という言葉で、ペリシテ人がクレタ島の出身であることが示されています。

 

 イサクがゲラルに寄留することにしたのは、「エジプトへ下って行ってはならない。わたしが命じる土地に滞在しなさい」(2節)と主なる神に命じられたからです。そして、その土地をイサクとその子孫に賜ること、子孫が星の数のように増えること、アブラハムに対して誓ったことを成就するということを約束されました(3,4節)。

 

 それで、ゲラルに住むことにしたイサクですが(6節)、その地で、かつて父アブラハムがしたように、イサクも妻リベカの美しさのゆえに殺されることを恐れ、妹と偽ります(7節、20章2,11節)。それでイサクの命は守られるでしょうが、リベカはどうなるのでしょうか。まったく「あの親にしてこの子あり」状態です。

 

 イサクがリベカと結婚したのが40歳の時(25章20節)、エサウとヤコブが生まれたのは、60歳の時です(同26節)。その後、二人が成長して兄エサウは巧みな狩猟者に、弟ヤコブは天幕の周りで働く者、たとえば農夫になっています。イサクとリベカは、およそ若者などではありません。また、成長した二人の子らは、このときどこにいたのでしょうか。

 

 いずれにせよ、神はイサクとリベカを守られ、ゲラルの民の誰かがリベカを娶ろうとする前に、リベカがイサクの妻であることに気づかせます(8,9節)。「戯れる」(8節)は「イサク」の名の由来となった「笑い」(ツァーハク)という言葉ですが、39章14節の「いたずらをされる」という訳語と同様、性的な意味があります。新改訳は「妻のリベカを愛撫している」と訳しています。

 

 リベカがイサクの妻だと気づいたアビメレクは、それでイサクを殺そうとするどころか、かえって王はゲラルのすべての民に、イサクとリベカ夫婦に危害を加えないよう命じます(11節)。それは、イサクにゲラル滞在を命じられ(2節)、「わたしはあなたと共にいてあなたを祝福」(3節)すると約束された、主なる神の守りがあったからです。

 

 ネゲブは飢饉の最中でしょうけれども、イサクはゲラルの地で、種を蒔けば百倍の収穫を得(12節)、富み栄えて(13節)多くの羊や牛の群れ、多くの召使を持つようになりました。あまり豊かになったので、その地の人々から羨まれ、妬みを買うところとなりました(14節)。

 

 ゲラルの人々は、かつてアブラハムが掘らせた井戸をみな塞ぎ、土で埋めて(15節)、「ここから出て行っていただきたい」(16節)とイサクを追い出します。そこで、イサクはゲラルの谷に天幕を張り(17節)、そこに井戸を掘りました(18,19節)。

 

 ゲラルの羊飼いとの間に水場争いが起こると(20節)、イサクはそれを譲って別の井戸を掘り、そこで争いが起こると(21節)、また別の井戸を掘ります(22節)。種を蒔けば大収穫、井戸を掘れば豊かな水が出る、これは、周囲の人々には驚くべきことでした。あるいは、脅威だったことでしょう。

 

 ペリシテ人はイサクに対して、当初は力で立ち向かいました。イサクには、ペリシテ人に対抗する力はありませんでした。その都度、追いやられ、妨げられ、取り上げられました。しかしまた、ペリシテ人はイサクを無視出来ませんでした。自分たちにないものがイサクにはあると考えざるを得なかったわけです。

 

 そこで、ペリシテの王アビメレクが、参謀アフザトと軍隊の長ピコルを伴って、イサクのもとを訪ねて来ました(26節)。イサクが、「わたしを憎んで追い出したのに、なぜここに来たのですか」(27節)と尋ねると、彼らは、「我々はお互いに、つまり、我々とあなたとの間で誓約を交わし、契約を結びたい」(28節、21章23節も参照)と言い出します。

 

 彼らは、イサクを妬み、ゲラルから追い出した人々です。なのに今なぜ、仲良くしようということになったのでしょうか。それは、「主があなたと共におられることがよく分かったからです」(28節、21章22節も参照)、「あなたは確かに、主に祝福された方です」(29節)と語っているところに、それが示されます。

 

 つまり、イサクには神が共におられて、祝福を与えておられるから、イサクに対抗出来ない。むしろ、イサクとよい関係を保ち、その祝福のおこぼれに与る方が、自分たちには得策だと考えて、ここに和睦を申し出たわけです。

 

 イサクは彼らと食卓を囲み(30節)、誓約を交わし(31節)、そして、新しい井戸から水を得ました(32節)。イサクはその井戸を「シブア(誓い)」と名付けました。その町は「ベエル・シェバ」(誓いの井戸)と呼ばれています(33節、21章27節以下31節参照)。

 

 その誓いに先立って、主がイサクに現れてお与えになった祝福が、冒頭の言葉(24節)です。ここで主は御自分を自己紹介して、「あなたの父アブラハムの神」と言われました。アブラハムは、その信仰が常に賞賛に値する人物というわけではありません。主なる神が恵みによってアブラハムを選んで故郷ハランから呼び出し、彼を祝福してカナンの地を与えると約束されました。

 

 今ここに、アブラハムに与えた祝福が、息子イサクに引き継がれたのです。祝福は、人間の努力などで獲得できるものではありません。それは神様からのプレゼントなのです。大切なのは、井戸を持っているか、住む土地があるかなどということではありません。主なる神が私たちと共におられ、本当に私たちを祝福してくださるのかということです。

 

 イサクは、主によって夫婦関係が守られ(7節以下)、種を蒔けば豊かな収穫を得(12節)、井戸を掘れば水が出る(19,21,22節)という祝福を受けました。「レホボト(広い場所)」(22節)という名の井戸は、繁栄のために広い場所が与えられるというしるしでした。

 

 主の祝福の言葉を聞いたイサクは「そこに祭壇を築き、主の名を呼んで礼拝」(25節)しました。そして、イサクの僕たちがそこに井戸を掘りました。イサクとアビメレクの契約がなされた日の翌日、その井戸から「水が出ました」(32節)。イサクの礼拝に、主が「水」という祝福をもって応えてくださったのです。

 

 水と礼拝と言えば、主イエスとサマリアの女性との会話を思い出します(ヨハネ福音書4章参照)。主イエスがその女性に「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」(同14節)と言われました。主イエスがくださる水とは、永遠の命、即ち父なる神との永遠の交わりに入ることと読むことが出来ます。

 

 さらに、「まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ」(同23節)と言われました。女性が今、主イエスと語らい、交わり、心を通わせることを、「霊と真理をもって父を礼拝する時」と仰っているわけです。

 

 人を救い得るのは、生ける神だけです。聖書は、「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名(イエス・キリストの名)のほか、人間には与えられていないのです」(使徒言行録4章12節、10節も参照)と言います。

 

 昨日も今日も、そしてとこしえに変わらない主イエスを信頼し、常に御顔を仰ぎ、その御言葉に従って御業に励みましょう。

 

 主よ、あなたは絶えず私たちと共におられ、祝福を与え続けてくださっています。それがどんなに大きな喜びであり、平安であるか、分かりません。感謝と賛美のいけにえをささげます。いよいよ御名が崇められますように。御国が来ますように。そうして、御心がこの地になされますように。 アーメン

 

 

「エサウはこの父の言葉を聞くと、悲痛な叫び声を上げて激しく泣き、父に向かって言った。『わたしのお父さん。わたしも、このわたしも祝福してください。』」 創世記27章34節

 

 イサクは、年老いて目がかすみ、見えなくなってきたので(1節)、長男エサウを呼び寄せて、自分の持っている祝福をエサウに与えたいと言います(4節)。それを聞きつけた妻リベカは(5節)、長男エサウが外出している隙に次男ヤコブをたきつけ(6節以下)、共謀して夫イサクの祝福をだまし取らせます(18節以下)。

 

 その後、エサウが帰宅してヤコブに出し抜かれたことを知り(30節以下)、弟を憎んで密かに弟の抹殺を図るようになります(41節)。それを知ったリベカは、兄ラバンの住む故郷ハラン(43節、24章10節ではアラム・ナハライムのナホルの町、25章20節ではパダン・アラム)にヤコブを逃がすようにします(42節以下)。

 

 夫婦、兄弟間で欺し合いが行われ、家族が分断されていきます。なぜ、こんなことが聖書に記されているのでしょうか。少し問題を整理して考えて見ましょう。

 

 第一に、父親の祝福は長子に与えられるものです。ところが、長男エサウは、長子の特権をパンとレンズ豆の煮物で弟ヤコブに売り渡していました(25章27節以下)。そうすると、イサクの祝福がヤコブに与えられるのは、順当なことです。

 

 しかし、イサクはエサウが狩りで獲ってくる獲物が好物で、長男のエサウを愛していました(25章28節)。だから、エサウを祝福してやりたかったのです。それに対して、母リベカは次男のヤコブを愛しており(同節)、ヤコブが受けるはずのものを長男エサウに横取りされたくはなかったのです。

 

 この両親の偏愛ぶりが、兄弟間に恨みや殺意を生み出しました。母親が弟息子をたきつけて父親の祝福をだまし取らせる、それは勿論、完全犯罪とはなりません。兄エサウが狩りから帰ってきて父親の前に出れば、弟ヤコブが父イサクをだましたことがすぐに露呈するからです(33節)。となれば、兄弟間、夫婦間に大きな亀裂が入ることは、想像に難くありません。

 

 リベカは、そのツケを払わなければならなくなります。兄エサウの殺意からヤコブを守るために、兄ラバンのいるハランに送りますが、すぐに戻って来ることなど出来ません。ヤコブのハラン行きは「しばらく」(ヤーミーム・アハディーム:数日の意)どころではなく、20年以上に及ぶからです。そのために、リベカは愛する息子ヤコブと、二度と再び顔を合わせることが出来なくなったのです。

 

 第二に、祝福とは何でしょうか。エサウは36節で「彼をヤコブとは、よくも名付けたものだ。これで二度も、わたしの足を引っ張り(アーカブ)、欺いた。あの時はわたしの長子の権利を奪い、今度はわたしの祝福を奪ってしまった」と言っています。

 

 しかし、長子の権利がなければ、最初に祝福を受ける資格はありません。長子の権利は奪われたものではなく、自分で譲り渡したのですから、その意味では、ここで腹を立てる理由や権利は、エサウにはありません。

 

 イサクは37節で「既にわたしは、彼をお前の主人とし、親族をすべて彼の僕とし、穀物もぶどう酒も彼のものにしてしまった」と語っていますが、それはしかし、既にそれらすべてが実現し、穀物やぶどう酒がヤコブのものになってしまったというわけではありません。そうなるように、祝福の祈りをささげたというだけです。

 

 エサウはかつて、長子の権利で腹を満たすことは出来ないと考えていました(25章32節)。今ここでも、祈りの言葉でエサウの腹を満すことは出来ないでしょう。

 

 しかし、「レンズ豆の一件」(25章)と今回の「祝福の祈り」(27章)の間に、26章のゲラルでの出来事があります。それは、敵に立ち向かう力はないけれども、イサクには神が共におられ、いつでもどこでも、イサクを助けました。即ち、イサクの祝福とは、この世の繁栄とか成功、勝利などではなく、助けの手を伸べられる神が、いつもイサクと共におられるということです(同3,24,28節)。

 

 その様子を見たエサウは、改めて父の持っている神の祝福が欲しいと思うようになったわけです。だから、弟ヤコブに祝福がだまし取られたと知ると、冒頭の言葉(34節)の通り「このわたしも祝福してください」と訴え、さらに「祝福はたった一つしかないのですか。わたしも、このわたしも祝福してください」(38節)と懇願するのです。

 

 それで、イサクは長男エサウにも祝福を与えます(39,40節)。しかしそれは明らかに、ヤコブに与えた祝福とは相当の格差があります。

 

 最後に考えるべきことは、その祝福をお与えになるのは、どなたかということです。この話の主人公は、主なる神なのです。目に見え、耳に聞こえる祝福に差があっても、それをお与えになるのは、主なる神です。他者と比較して、祝福の量が多いとか少ないとかというのは、主の御心に添わないことです。

 

 私たちと共におられる主に信頼して、主がお与えくださるものを一つずつ感謝して受け止めるならば、1タラントンが2タラントン、2タラントンが4タラントン、5タラントンが10タラントンと増し加えられていく恵みを味わうのです(マタイ福音書25章14節以下)。

 

 その際、主は「忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ」(同21,23節)と喜び、祝福してくださいます。

 

 主の祝福を求めながら、一日一日精一杯主に向かって感謝と信頼をもって生きること、それこそ、主の祝福の道を歩むことなのです。

 

 主よ、あなたが私たちと共におられ、活ける神の御言葉を賜り、力強い御業を表して、私たちの歩みを祝福してくださることを、心から感謝します。世にあって恐れと不安に包まれ、道を見失う私たちに、御言葉を通して光を与え、行くべき道、立つべきところをお示しくださるからです。 アーメン

 

 

「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」 創世記28章15節

 

 ヤコブは、母リベカに促され、父イサクに命じられて、パダン・アラムのハランにあるベトエルおじいさんの家まで旅をします(1節以下)。そこにはリベカの郷里でリベカの兄・ラバン叔父さんがいて、その娘(イサクの従姉妹にあたる)の中から自分の結婚相手を見つけるのです。

 

 父イサクは、ヤコブを送り出すにあたり、「どうか、全能の神がお前を祝福して繁栄させ、お前を増やして多くの民の群れとしてくださるように。どうか、アブラハムの祝福がお前とその子孫に及び、神がアブラハムに与えられた土地、お前が寄留しているこの土地を受け継ぐことができるように」(3,4節)と祝福を祈ります。

 

 ここで、「全能の神」というのは「エル・シャダイ」という言葉ですが、17章1節で主なる神がご自分を「わたしは全能の神(エル・シャダイ)である」と宣言されていました。そうしてアブラハムを「わたしは、あなたとの間に契約を立て、あなたをますます増やすであろう」(同2節)といって祝福されました。

 

 息子ヤコブを祝福するイサクの祈りは、当にこのアブラハムの祝福をヤコブが受け継いで繁栄し、ヤコブとその子孫がアブラハムに与えられた土地、「エジプトの川から大河ユーフラテスに至るまで」(15章18節)の土地を受け継ぐことができるようにというのです。

 

 ヤコブは、父イサクに命じられたとおりベエル・シェバを発ち、パダン・アラムに向かいます(10節、27章43節ではハランの町)。その距離は直線でおよそ800km、一ケ月ほどの徒歩の旅です。旅立つヤコブの胸中には何があったでしょうか。

 

 ヤコブは、パンと一杯の煮物で長子の権利を手に入れました(25章)。それは父イサクの遺産を長男として受け継ぎ、祝福の祈りを受ける権利です。そして、父の祝福を受けることが出来ました(27章)。これで、ヤコブの前途は安泰かと思われました。ところが、家族のいるベエル・シェバを離れて、遠くハランに旅立たなければなりません。

 

 母リベカは「しばらく叔父さんのところに置いてもらいなさい」(27章44節)と言って、ヤコブを送り出しました。嫁探しというのは口実で、長子の権利と父の祝福を奪った弟ヤコブを亡き者にしようとする兄エサウの前から逃がれる旅です(同42,43節)。「しばらく」(ヤーミーム・アハディーム:「数日」の意)は、実際には20年という年月にもなるのです(31章38,41節)。

 

 母に唆されて父を騙し、兄を出し抜いて手に入れた祝福ですが、祝福を得るためには手段を選ばないというやり方を、主が喜ばれるはずはありません。それがアダとなって、すべてを失うような結果になったのです。彼の胸中に残ったのは、後悔や恐れ、そして寂しさではないでしょうか。

 

 そのような思いを抱えての旅立ちです。ある場所で日が暮れ、野宿することになりました(11節)。石を枕にして横になりますが、すぐに眠れるという心境ではなかったでしょう。そこで彼は夢を見ました。それは、枕許に天国の階段が下りて来て、そこを神の御使いたちが上り下りしているという夢です(12節)。

 

 そして、彼の傍らに主なる神が立たれました(13節)。父を騙し、兄を出し抜いたことを後悔していたときですから、ヤコブは恐れおののきました(17節)。それは、主なる神が自分を罰するために来られたとしか、思えなかったからです。

 

 しかし、そこで語られたのは裁きではありません。そのとき主は、「わたしは、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である」(13節)と自己紹介をなさいました。主なる神は「アブラハムの神、イサクの神」と、個人の名で呼ばれることをよしとされます。

 

 それは、主ご自身が「ヤコブの神」と呼ばれることを喜び、ヤコブが「わが神、主よ」と呼ぶことを主が待っておられるということではないでしょうか。それはまた、主なる神が私たちの名で呼ばれ、そして、私たちが「我らの神、主よ」と呼ぶことを期待しておられるということでもあります。

 

 自己紹介に続いて、「あなたが今横たわっているこの土地を、あなたとあなたの子孫に与える。あなたの子孫は大地の砂粒のように多くなり、西へ、東へ、北へ、南へと広がっていくであろう」(13,14節)と言われます。これは、アブラハムに与えると約束されたことが(12,15章など)、ヤコブにもしっかり引き継がれたということです。

 

 さらに、冒頭の言葉(15節)のとおり「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない」と言われます。

 

 これは、主なる神がヤコブを祝福して告げられた、約束の言葉です。その第一は、「わたしはあなたと共にいる」です。これは、聖書を貫いている福音で、後に主イエスの肩書きとなりました。主イエスは、「インマヌエルと呼ばれる」(マタイ福音書1章23節)お方です。インマヌエルとは、「神は我々と共におられる」という意味なのです。

 

 第二は、「あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守る」です。主は、いつでもどこでもヤコブを守り支えられます。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」(2章18節)と言われる主が、ヤコブの助けとなられるのです。そして、私たちが信仰の目を開いて仰ぎ見るなら、天地を造られた全能の神が、私たちをも助け守っておられることが分かるでしょう。

 

 神の守りは24時間365日、いつでも完全です。「イスラエル(=ヤコブ)を見守る方は、まどろむことなく、眠ることもない。あなたを覆う陰、あなたの右にいます方」(詩編121編4節)と言われます。ベエル・シェバだけでなく、ハランでも、その途中の荒れ野でも、ヤコブを見守っておられるのです。

 

 第三は、「必ずこの土地に連れ帰る」です。父祖アブラハムに約束された土地、ヤコブが受け継ぐべき土地が、カナンにあるのです。神は、どこへ行っても、必ずこの土地に連れ帰ると言われました。確かに、ヤコブはここに帰って来ます。ハランから、帰って来ることが出来ました(33章18節)。その後、エジプトからも、そしてバビロンからも、帰って来ました。

 

 ベエル・シェバを離れることで、神の祝福を失ってしまったかのように見えましたが、今ここに改めて、繰り返し「わたしはあなたを」と言われて、イサクがヤコブを祝福したからというのではなく、主御自身がヤコブを祝福すると宣言し、それが実行されるまで決して見捨てないと保証されたのです。

 

 祝福の約束を聞いたヤコブは、枕にしていた石を記念碑として立て、その場所を「ベテル」(ベート=家、エル=神、即ち「神の家」の意)と呼びました。ヤコブの人生の荒れ野が、神と出会う天の門、神が共におられる神の家となったのです。

 

 ベテルは、主なる神と出会う場所、御言葉を聞く場所、その実現を味わう場所です。いつでもどこでも、私たちが主に目を向け、主を仰ぐ時、そこがベテルなのです。今私たちが置かれている場所をベテルとして、ヤコブを祝福された主を信じ、その御言葉に耳を傾け、聖霊の導きに従って歩みましょう。

 

 主よ、ヤコブを顧みて祝福を賜ったように、いつも私たちに目を向け、私たちを導き、私たちの避け所となって守り支えていてくださることを感謝致します。絶えず主を喜び、御名を賛美することが出来ますように。御言葉に聞き、委ねられた使命を従順に果たすことが出来ますように。 アーメン

 

 

「ところが、朝になってみると、それはレアであった。ヤコブがラバンに、『どうしてこんなことをなさったのですか。わたしがあなたのもとで働いたのは、ラケルのためではありませんか。なぜ、わたしをだましたのですか』と言うと、ラバンは答えた。『我々の所では、妹を姉より先に嫁がせることはしないのだ。とにかく、この一週間の婚礼の祝いを済ませなさい。そうすれば、妹の方もお前に嫁がせよう。だがもう七年間、うちで働いてもらわねばならない。』」 創世記29章25~27節

 

 ヤコブは旅を続けて、東方の人々の土地までやって来ました(1節)。「東方の人々の土地」(アレツァー・ブネー・ケデム:「東の子らの地」)は、ここでは具体的にどの町のことなのか曖昧にして、異郷の地にやって来たという表現になっています。

 

 その土地の井戸辺にいた人々に「皆さんはどちらの方ですか」(4節)と尋ねると、「わたしたちはハランの者です」という答えが返ってきました。それにより、目指すハランの町の近くにやって来たことが確認されます。そこで、「ナホルの息子のラバンを知っていますか」(5節)と尋ねると、知っているだけでなく、「もうすぐ、娘のラケルも羊の群れを連れてやって来ます」(6節)と答えました。

 

 ヤコブがハランの町にやって来たのは、ラバンの娘の中から結婚相手を見つけるためでした(28章1,2節)。ベテルでヤコブの夢枕に立たれた全能の神が、最適な場所にヤコブを導かれたわけです。やがて、ラケルが羊の群れを連れて井戸辺にやって来ます(9節)。ヤコブはすぐに井戸の口に乗せられていた大きな石を転がし、ラケルの羊に水を飲ませてやりました(10節)。

 

 そして、ラケルに口づけし、声をあげて泣きます(11節)。それから、自分のことをラケルに打ち明けたというので、ヤコブは、800㎞の孤独な徒歩の旅で目指す地に着き、親族と顔を合わせて、感極まってしまったというところでしょう。しかし、事情が分からないまま、突然羊に水を飲ませてくれたり、口づけされたりしたラケルは、戸惑ってしまったのではないでしょうか。

 

 それでも、ヤコブの自己紹介を受けたリベカは、すぐに家に走り、父ラバンにヤコブのことを知らせました(12節)。それを聞いたラバンは、甥のヤコブを走って迎えに行き、自分の家に案内しました(13節)父イサクに命じられたとおり(28章2節参照)、叔父ラバンの娘ラケルを妻に迎え、彼女を伴ってベエル・シェバへ戻れば、ハッピーエンドになりそうな情景です。

 

 しかし、ヤコブがハランにやって来たのは、結婚相手を見つけるだけでなく、エサウの憤りが治まり、それを確認した母リベカが呼び戻してくれるのを待つためでもあります(27章44,45節)。ところが、ひと月経っても、何の音沙汰もありません(14節後半)。

 

 伯父ラバンは、無為に日を過ごしているヤコブに、仕事を与えることにします。それで、「お前は身内の者だからといって、ただで働くことはない。どんな報酬が欲しいか言ってみなさい」(15節)と尋ねます。

 

 その問いにヤコブは、「下の娘のラケルをくださるなら、わたしは七年間あなたのところで働きます」(18節)と答えます。これは、ヤコブがどれほどラケルを思っているかということ表わしていますが、7年分の給料全部を結納とするというのは、大変なことでしょう。

 

 勿論、ラバンはこれを聞くと「あの娘をほかの人に嫁がせるより、お前に嫁がせる方がよい。わたしの所にいなさい」(19節)と言います。ヤコブの破格の申し出を断る手はなかったのです。その上、ヤコブとラバンは再従兄弟でありつつ、伯父と甥の関係ですから、ラケルを嫁に出しても、親族の関係に留まっています。

 

 ラバンの答えを聞いたヤコブは、愛するラケルと結婚出来るとあって、少々の苦労は何のその、喜び勇んで働きました。聖書には、「彼女を愛していたので、それはほんの数日のように思われた」(20節)と記されています。

 

 ところが、結婚初夜に連れて来られたのは、ラケルではなく、姉のレアでした(23節)。余りの喜びのためか、相手が違うことに気づかないまま一夜を過ごし、冒頭の言葉(25節)のとおり、翌朝になってようやく、それがレアであったことに憤り、ラバンに抗議しました。

 

 すると、「我々の所では、妹を姉より先に嫁がせることはしないのだ」(26節)と、木で鼻を括ったような答えが返って来ました。その上、「もう七年間、うちで働いてもらわねばならない」(27節)と言い出される始末。それが気に入らなければ、ラケルはやれない、とっとと出て行けと言わんばかりの物言いです。

 

 完全に足もとを見られたヤコブは、ここで諦めれば、ラケルと結婚出来ませんし、そのために7年間働いたことが、無駄になってしまいます。結局、叔父に騙されたと知りながら、あと7年、働くほかはありませんでした。

 

 この背景に、ヤコブが父や兄に対して行ったことがあります。ヤコブは、兄エサウから、パンとレンズ豆の煮物で、釣り合うはずのない「長子の権利」を買い取りました(25章31節以下)。また、ヤコブは自分をエサウと偽って目の悪い父を騙し、兄に授けられるはずの父イサクの祝福を、自分のものにしたのです(27章18節以下)。

 

 叔父ラバンは、二人の娘を嫁にやることで、ヤコブを14年間ただ働きさせることに成功しました。それも、ラケルと偽って姉のレアを先に押しつけ、「ラケルを嫁に欲しいなら、もう七年間、働いてもらわねばならない」と言い放ち、ヤコブが兄エサウや父イサクに対して行ったことを、まるで復讐されているかのように、やられてしまったのです。

 

 ヤコブは、更にもう7年ラバンのもとで働くことを了承し、一週間の婚礼の祝いを行ってラケルを娶りました(30節)。それは、ラケルを愛するからこそのことでした。しかし、最初の七年とは違い、伯父ラバンに騙されたと知りながら働く七年は、愛や喜びとは別の感情がヤコブの心を支配していたことでしょう。それは、ヤコブに騙された父イサクや兄エサウが抱いたのと同じ思いに違いありません。

 

 ラケルのために働く7年間が「ほんの数日」(ヤーミーム・アハディーム)のように思われたということですが、これは27章44節で母リベカが告げた叔父さんの所に置いてもらう期間の「しばらく」という言葉と同じなので、ここにも創世記の編集者の皮肉が込められているようです。

 

 また、ベテルで主なる神の祝福を受けたヤコブですが(28章13節以下)、本章には、ヤコブの祈りの言葉や主とのやりとりなど、何も記されていません。ここに、ヤコブの問題があるのではないでしょうか。それでも、常に共におられる主が叔父ラバンの家でもヤコブを祝福され、彼が願わずに与えられたレアによって、ルベン、シメオン、レビ、ユダという男児を授けられたのです(31節以下)。

 

 そして、ヤコブが疎んじたと言われるレア(31節)が産んだ「ユダ」(35節)から、その子孫として、ダビデ、ソロモン、そして主イエス・キリストが、歴史の舞台に登場して来るのです。恵み深い主に感謝し、日々御言葉に耳を傾け、主の御旨を行うものとならせていただきましょう。

 

 主よ、父を騙し、兄の祝福を奪ったヤコブは、ハランの地でその報いを受けなければなりませんでした。けれども、それは決して無駄ではありません。愛するラケルを妻としただけでなく、レアが与えられ、そして、かけがえのない子らを授かったのです。日々、御言葉によって私たちを力づけ、確かな道を歩ませてください。 アーメン

 

 

「『もし、お前さえ良ければ、もっといてほしいのだが。実は占いで、わたしはお前のお陰で、主から祝福をいただいていることが分かったのだ』とラバンは言い」 創世記30章27節

 

 ヤコブがラバンの下で14年を過ごす間、二人の妻とその召使いに次々と子が授かりました(29章31節~30章24節)。主なる神は、まずヤコブから疎んじられているレアにルベン、シメオン、レビ、ユダと、4人の男の子を授けられました(29章31節以下)。

 

 次いでラケルの召使いビルハにダンとナフタリ(3節以下)、次はレアの召使いジルパにガドとアシェル(9節以下)が与えられました。その後、再びレアにイサカルとゼブルンが授かりました(16節以下)。さらに女児ディナも産まれました。

 

 ヤコブの愛したラケルは、最後になって主が御心に留められて胎が開かれ、ヨセフを産みました(22節)。かくてヤコブはハランの地で、ルベン、シメオン、レビ、ユダ、ダン、ナフタリ、ガド、アシェル、イサカル、ゼブルン、ディナ(女児)、ヨセフと、合計12人の子を持つ父親となったのです。

 

 これは、子どもを産むことでヤコブの寵愛を引き留めようと励んだ結果のように描かれていますが、それによって、たった一人でハランまで来たヤコブは、今や2人の妻、2人の側女、12人の子ども、合わせて17人の大家族です。「あなたの子孫は大地の砂粒のように多くなり、西へ、東へ、北へ、南へと広がっていく」(28章14節)と約束された主の言葉が、実現し始めているのです。

 

 ところで、妻を得るために14年働いたヤコブは、最愛の妻がヨセフを産んだところで、妻子と共に故郷へ帰らせてくれるようにと、義父であり叔父でもあるラバンに願い出ました(25節以下)。

 

 ただ、ヤコブに妻子を連れて行かせることは、現代の私たちが考えるほど単純なことではありません。ヘブライ人の奴隷について、出エジプト記21章4節に「もし、主人が彼に妻を与えて、その妻が彼との間に息子あるいは娘を産んだ場合は、その妻と子どもは主人に属し、彼は独身で去らねばならない」という規定があります。

 

 ヤコブは奴隷ではなく、ラバンの親族ではありますが、パダン・アラムにあっては、自分の土地を持たない寄留者です。だから、この後、ラバンのもとを逃げ出したヤコブを追いかけて来たラバンが、「この娘たちはわたしの娘だ。この孫たちもわたしの孫だ。この家畜の群れもわたしの群れ、いや、お前の目の前にあるものはみなわたしのものだ」(31章43節)というのです。

 

 ラバンには、ヤコブを手放す気はありません。むしろ、ずっと一緒にいて欲しいと考えています。冒頭の言葉(27節)でラバンがヤコブに「もし、お前さえよければ、もっといてほしいのだが。わたしはお前のお陰で、主から祝福をいただいていると分かった」と語っているとおりです。

 

 二人の娘を嫁として与える代わりにヤコブをただ働きさせたラバンですが、ヤコブの働きが期待以上に大きく、ヤコブを通して主なる神の祝福がラバンに注ぎ与えられていることが分かったというのです。それはちょうど、独りでやって来たヤコブが大家族になっているところにも示されていました。

 

 ヤコブを引き留めたいラバンは、「お前の望む報酬をはっきり言いなさい。必ず支払うから」(28節)と言いますが、「しかし今のままでは、いつになったらわたしは自分の家を持つことができるでしょうか」とヤコブは言い返します。そこで「何をお前に支払えばよいのか」(31節)と、ラバンが尋ねます。

 

 ところが、ラバンの問いに答えるヤコブの言葉は、不思議なものです。「何もくださるには及びません。ただこういう条件なら、もう一度あなたの群れを飼い、世話をいたしましょう」(31節)と言い、そして、ラバンの群れの中でぶちとまだらの羊、黒みがかった羊、まだらとぶちの山羊を、自分の報酬として欲しいと願うのです(32,33節)。

 

 ヤコブはここで、ラバンの群れのぶちとまだら、黒みがかった羊、ぶちとまだらの山羊を報酬としてくれるならば、もう一度、ラバンのもとで家畜の世話を続けると告げているのです。レアのために7年、ラケルのために7年働いたヤコブが、報酬のためにあと7年働こうというのでしょう。ラバンは、「よろしい。お前の言うとおりにしよう」(34節)と請合います。

 

 ラバンは、ヤコブの申し出を、これ以上無い好条件だと考えたのでしょう。そこには、ヤコブがこんなバカだとは思わなかった、これでまた、ヤコブをただ働きさせられるという、少々軽蔑するような思いがこもっているかも知れません。

 

 そこで、ラバンはその日のうちに、縞やまだらの雄山羊、ぶちやまだらの雌山羊全部、黒みがかった羊を全部取り出して息子たちの手に渡し(35節)、三日かかるほどのところに連れて行かせます(36節)。ヤコブの手に託すのは、まだらやぶちなどのない、白い羊や黒みがかった山羊だけにして、ヤコブが報酬を受け取れないようにしたわけです。

 

 ところで、ラバンとその家族がいなくなると、ヤコブはポプラとアーモンド、プラタナスの木の若枝の皮をはいで縞模様を作り(37節)、それを家畜の水飲み場の水槽の中に置きました(38節)。そして、その水飲み場で枝を見ながら交尾させたのです。

 

 それは、人間や動物の母親が妊娠期間中に見たものが胎児に伝わり、決定的な影響を与えるという、ある種の胎教効果を期待しての工夫でした。そして、それが功を奏して、家畜の群れはみな縞やぶち、まだらの子を産んだのです(39節)。

 

 さらに、ヤコブは羊の群れを丈夫なものと弱いものに分け、丈夫な羊は皮をはいだ枝の前で交尾させ(41節)、弱い羊の時は枝を置かないようにしました(42節)。そのため、数多くの丈夫な羊はみなヤコブのものとなり、弱いものはラバンのものとなりました。

 

 ここでラバンは、ヤコブに主なる神の祝福が伴っていることを知りながら、祝福をお与えになる主に目を向けるのではなく、祝福として与えられた羊と山羊の群れをヤコブから奪うことに躍起となっていました。

 

 かつて、主なる神はアブラハムに、「あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う」(12章3節)と告げられました。そのアブラハムの祝福を、ヤコブは父イサクを通じて受け継ぎました。イサクがヤコブを祝福して「お前を呪う者は呪われ、お前を祝福する者を祝福されるように」(27章29節)と言っています。

 

 もしもラバンが、自分も主なる神の祝福に与ることが出来るように祈ってほしいと求めていれば、そして、自分でも恵みの主を信じ、導きを祈り求めていたならば、全く違った結果を生んだことでしょう。

 

 コロサイ書3章5節に「貪欲は偶像礼拝にほかならない」という言葉があります。人は、自分の欲を満たす神を求めて偶像を造るということでしょう。そしてそれは、神に喜ばれることではありません。一方、ヤコブがしていることも、褒められるようなこととは思われません。子山羊一匹すらくれようとしないケチな伯父さんに対して、巧妙に出し抜こうとしているからです。

 

 それでも、確かに彼は神に祝福されているようで、無一物でラバンのもとを去るべき運命かと思われたヤコブが、多くの家畜を自分のものとしています。私たちが不真実でも、神は常に真実であられ、ベテルの約束(28章13~15節)が果たされるまで、「決して見捨てない」(15節)との宣言を実行しておられるのです。

 

 「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14章6節)と語られた主を仰ぎ、神との豊かな交わりに与らせていただきましょう。

 

 主よ、体の灯火は目である。目が澄んでいれば、全身が明るいという御言葉があります。いつも御言葉に耳を傾け、心の目を主に向けさせてください。そして、私たちの全身を御言葉の光で照らしてください。そうして、天に宝を積むことが出来ますように。 アーメン

 

 

「わたしはベテルの神である。かつてあなたは、そこに記念碑を立てて油を注ぎ、わたしに誓願を立てたではないか。さあ、今すぐこの土地を出て、あなたの故郷に帰りなさい。」 創世記31章13節

 

 ヤコブは、ラバンの息子たちが「我々の父のものを全部奪ってしまった。父のものをごまかして、あの富を築き上げたのだ」(1節)というのを耳にします。これは、ヤコブを無報酬で7年働かせるつもりが、自分たちの想定外の結果になってしまったということであり、ヤコブのゆえに豊かな資産を持てるようになっていたものを、奪い返されて腹立たしい思いになっているということです。

 

 ですから、主の祝福に与って、ヤコブに対して満面の笑顔を見せていたであろうラバンの態度は、以前とは全く違ったものに変わってしまいます(2節)。ずっとただ働きさせながら、群れを大きくするつもりが、むしろヤコブに取り上げられるかたちになったわけですから、苛立ちも一様でなかったことでしょう。

 

 そのようなとき、主なる神がヤコブに、「あなたは、あなたの故郷である先祖の土地に帰りなさい。わたしはあなたと共にいる」(3節)と語られました。主がヤコブをラバンから守るために、ラバンのもとから連れ出そうとされるのです。

 

 そこで、ヤコブは早速妻たちを呼び、話をします(4節以下)。それは、妻たちがその子らも含め、自分の帰郷について来てくれるかどうかを確認しようとしてのことでしょう。その際、父ラバンがいかにヤコブを欺いたか(6節以下)、それにも拘らずいかに主なる神がヤコブを祝福されたかを語ります(6,7,9節)。

 

 そして、その主から冒頭の言葉(13節)のとおり「わたしはベテルの神である。かつてあなたは、そこに記念碑を立てて油を注ぎ、わたしに誓願を立てたではないか。今すぐこの土地を出て、あなたの故郷に帰りなさい」と告げられたことを伝えます。

 

 主がご自身を「ベテルの神」と、町の名前で紹介するのは異例のことだと思いますが、明確に28章18~22節の出来事を思い出させます。主が20年前の出来事を思い起こさせたのは、彼が立つべき場所は、持ち物の多さ、財産の豊かさなどではなく、彼と共にいて絶えず守り、祝しておられる主への信頼だということを、ヤコブ自身と、この物語を聞く私たちに対して明らかにするためです。

 

 ヤコブの話を聞いたレアとラケルは、「父の家に、わたしたちへの嗣業の割り当て分がまだあるでしょうか。わたしたちはもう、父にとって他人と同じではありませんか。父はわたしたちを売って、しかもそのお金を使い果たしてしまったのです」(14,15節)と応じました。

 

 「他人と同じ」は:「よそものと見做される」(ノクリヨート・ネフシャブヌー」という言葉です。つまり、ヤコブに嫁したレアとラケルに嗣業の地の割り当て分を期待することは出来ないということです。また、ヤコブの結納金(14年の労働)も、レアたちのためにではなく、父ラバンの所有とされてしまったので、それはレアとラケルをヤコブに売り渡したということです。

 

 通常、結納金は使わずにとって置いて、最後には嫁入りする娘に渡るようになっていたようですが、ラバンはそれを私して、娘たちには何も渡さないままだったのです。しかも、夫ヤコブにも報酬を正当に払おうとしない父ラバンのケチさ加減、貪欲ぶりに、娘として愛想を尽かしていたということでしょう。

 

 だから、「神様が父から取り上げられた財産は、確かに全部わたしたちと子供たちのものです。今すぐ、神様があなたに告げられたとおりになさってください」(16節)と答えるのです。かくてここに、帰国に向けて主なる神のみ告げと、妻たちの同意が得られました。

 

 そこで、ヤコブは家族を連れ、密かにラバンのもとを抜け出しました(17節以下)。三日目にヤコブが逃げ出したことに気づいたラバンは、一族を引き連れて追いかけ、七日目にギレアドの山地で追いつきます(22節)。ヤコブが逃げ出したことにすぐ気づかなかったのは、「自分(ラバン)とヤコブとの間に歩いて三日かかるほどの距離をおいた」(30章36節)ためでした。

 

 ヤコブに追いついたラバンは、「なぜ、こっそり逃げ出したりして、わたしをだましたのか。ひとこと言ってくれさえすれば、わたしは太鼓や竪琴で喜び歌って、送り出してやったものを。孫や娘たちに別れの口づけもさせないとは愚かなことをしたものだ」(27,28節)と非難します。さらに、「なぜわたしの守り神を盗んだのか」(30節)と詰問します。

 

 それに対してヤコブは、「あなたが娘たちをわたしから奪い取るのではないかと思って恐れただけです」(31節)と応じ、「もし、あなたの守り神がだれかのところで見つかれば、そのものを生かしてはおきません。我々一同の前で、わたしのところにあなたのものがあるかどうか調べて、取り戻してください」(32節)と言います。

 

 そこで、ラバンはヤコブたちの天幕に入り、守り神を探しますが、その像を見つけることができませんでした(33~35節)。ただ、ヤコブの「わたしのところにあなたのものがあるかどうか」という物言いは、守り神の像は勿論、ヤコブと共にいる娘や孫たち、そして携えている多くの家畜もすべて、ラバンのものではないと言い表しているようです。

 

 ラバンが「夕べ、お前たちの父の神が、『ヤコブを一切非難せぬよう、よく心に留めておきなさい』とわたしにお告げになった」(29節)と語っていました。ここに、ラバンの守り神はその像のありかをラバンに教えることが出来なかったけれども、ベテルの神はヤコブを守るために、ラバンに警告を与えたという、分かり易い対比をもって、主こそ神であることを示しています。

 

 主なる神の仲介により、ヤコブとラバンは契約を結び、記念碑を立てます(43節以下、45節)。記念碑として立てた石塚を、ラバンはエガル・サハドタと呼び、ヤコブはガルエドと呼びました(47節)。ガルエドはヘブライ語で「証拠の石塚」という意味です。そして、エガル・サハドタはそのアラム語訳です。ラバンがアラム人だという表現です。

 

 「その名はガルエドと呼ばれるようになった」(48節)というのは、彼らが今いる「ギレアドの山地」(23節)の地名の由来を説明しているのです。また、ヤコブが妻たちを苦しめたり、ほかの女性を娶ることがないいように(50節)、主がヤコブとラバンの間を見張ってくださるようにとラバンが言ったので、そこは「ミツパ(見張所)」(49節)とも呼ばれるようになったと説明されます。

 

 ラバンは更に、「敵意をもって、わたしがこの石塚を越えてお前の方に侵入したり、お前がこの石塚とこの記念碑を越えてわたしの方に侵入したりすることがないようにしよう。どうか、アブラハムの神とナホルの神、彼らの先祖の神が我々の間を正しく裁いてくださいますように神が我々の間を正しく裁いてくださいますように」(52,53節)と言います。つまり、二人はここに、相互不可侵条約を結んだのです。

 

 それには、ヤコブの父イサクの「多くの民がお前に仕え、多くの国民がお前にひれ伏す。お前は兄弟たちの主人となり、母の子らもお前にひれ伏す。お前を呪う者は呪われ、お前を祝福するものは祝福されるように」(27章29節)という祝福の祈り、そして、それに応えられる主の祝福が響いています。

 

 そして「あなたは、あなたの故郷である先祖の土地に帰りなさい。わたしはあなたと共にいる」(3節)と言われたとおり、主がヤコブと共にいて、御言葉を実現するために働いてくださったのです。

 

 誰かの計画が上手くいっているように見えても、あるいはまた、そうは見えなくても、本当に堅く立つのは主の御言葉(イザヤ書40章8節)であり、主の御旨だけが実現するのです(箴言19章21節)。

 

 恵みの主の御言葉に日々耳を傾け、御旨が実現するよう祈りつつ主の業に励みましょう。

 

 主よ、あなたは私たちのために、天の窓を開き、溢れる恵みを注いで、良いもので満たしてくださるお方です。大いなることを期待して、絶えず主を仰ぎます。御言葉を信じ、大胆に歩み出します。主が私たちと共にいてくださるということに優る祝福はないからです。 アーメン

 

 

「その人は言った。『お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。』」 創世記32章29節

 

 イスラエルというヘブライ語は、「神が支配される、神が保持される、神が守られる」という意味だろうと言われます。これまで、主なる神が共にいて、守り、祝福へと至らせるという信仰について、学んで来ました。

 

 23節以下の段落で、ヤコブが何者かと夜明けまで「格闘」(アーバク)したことが記されています(25節)。格闘、レスリングです。日本流に言えば、相撲をとったというところでしょう。「夜明けまで」というのですから、一晩中相撲をしていたわけです。

 

 その人はヤコブに勝てそうにないとみて、ヤコブの腿の関節を打ってはずしました(26節)。そして、「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」(27節)と言います。ヤコブが、「いいえ、祝福してくださるまでは離しません」(同節)と答えると、その人はヤコブに名を尋ねた後(28節)、冒頭の言葉(29節)のとおりヤコブを祝福しました。

 

 ヤコブには、どうしても主なる神の祝福に与りたいという強い思いがあったと思います。彼は、二人の妻と二人の側女、11人の息子に最低一人以上の娘、そして、たくさんの家畜の群れ、僕たちを連れて故郷に帰って来ます。ただ独り、無一物で家を出たのに、大成功を収めて戻って来ました。

 

 故郷に錦を飾るというかたちです。胸を張って家に戻れそうなのですが、当のヤコブは、家が近づくほど小さくなり、心配が増して来ました。それは家を出た日、自分の命を狙っていた兄エサウはどうしているだろうか、まだ自分に対する恨みが消えていないのではないかという心配です。

 

 それで、セイル地方、エドムの野にいる兄エサウのもとに使者を走らせて、ヤコブの帰郷を知らせると(4~6節)、兄はヤコブを歓迎するために四百人の供を連れて迎えに出るという答えです(7節)。それを聞いたヤコブには、それがおよそ歓迎の徴などとは思えず、恐怖の念に襲われました。

 

 どうすればよいかとあれこれ考えて、まず群れを二組に分け、前が襲われている間に逃げようという算段をします(8,9節)。そして、神が守ってくださるように祈ります(10節以下)。その後、ヤコブは兄に贈り物をして機嫌を取ろうと考えます。14,15節に贈り物のリストがありますが、なかなかたいしたものではないでしょうか。

 

 こうして二重三重の備えをして夜、寝もうとするのに、いよいよ明日は兄と対面だと思うと、どうしても寝付けません。そこで、贈り物の群れをまず送り出し(22節)、次いで家族を連れてヤボクの渡しを渡ります(23節)。持ち物も渡らせた後、ヤコブだけその場に残ります(25節)。その時、何者かがヤコブに襲いかかり、格闘をしたというのが、上述の話です。

 

 あらためて、冒頭の言葉(29節)でヤコブは神の祝福として、第一に「イスラエル」という名を受け取りました。ヤコブとは「かかと」に由来する名です(25章26節)。それはまた「押しのける、奪い取る、だます」という動詞と同根なので、父をだまし、兄を出し抜いたとき、その名の由来が説明されています(27章36節)。

 

 そのヤコブに、上述のとおり「イスラエル」という名が与えられました。この名付けについて、「お前は神と人と闘って勝ったから」と説明されています。つまり、「神(エル)」は「闘う(サーラー)」というのが、この名の由来だというのです。

 

 ただ、ATDという注解書に、「ここでは非常に自由に(「神が支配されるように!」という)語の本来の意味に反して解釈され、神が闘いの主語でなく目的語であるかのように理解されている(ただしわれわれの「闘う」という訳は必ずしも確かなものではない)」と記されています。「神と人と闘って勝った」というのは、兄エサウのことを考えての意味づけということでしょう。

 

 また、ヤコブは本当に、「神と(人と)闘って勝った」のでしょうか。兄エサウのことで恐れおののいていたヤコブです。夜明けまで格闘したということは、ヤコブの不安に、神が一晩中付き添ってくださったということでしょう。そして、恐れおののいているヤコブを励まし、力づけるため、神がヤコブに勝ちを譲ってくださったわけです。

 

 第二は、それと明言されているわけではありませんが、「腿を傷めて足を引きずっていた」ことです。彼はこれまで何度も、他者を強い足で蹴飛ばし、押しのけて欲しい物を手に入れ、苦境に陥ればその足で逃げ出して来ました。けれども、これからは、そのような強い足ではなく、彼と共にいて、彼を守られる神に依り頼むほかはありません。

 

 それは神の御心に適ったことでした。痛んだ足を引きずりながら嘆くヤコブに、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(第二コリント書12章9節)と、祝福を語られるでしょう。

 

 神はいつも私たちと共にいてくださり、私たちが神を認め、神に信頼するならば、いつでも私たちのために必要な御業を行ってくださるのです。主を真剣に尋ね求め、祝福に与る経験、主にあって強められる経験を持たせて頂きましょう。

 

 主よ、あなたがいつも共にいてくださるという子と、どこにいても守り支えていてくださるというのは、頭で分かることではなく、恐れと不安の中にあって、実際に心と体で味わい知るものです。困難にぶつかる度毎に、祝福してくださるまで離しませんと祈り求めます。あなたが祈りに答えてくださることを信じて感謝します。 アーメン

 

 

「いいえ。もし御好意をいただけるのであれば、どうぞ贈り物をお受け取りください。兄上のお顔は、わたしには神の御顔のように見えます。このわたしを温かく迎えてくださったのですから。」 創世記33章10節

 

 ペヌエルで神の人と格闘し、「イスラエル」という新しい名前と痛めた足を持ったヤコブは、いよいよ兄エサウと20年ぶりの対面に臨みます。兄は、400人の供を連れてやって来ます(1節)。その仰々しい様子を見たヤコブは、心中穏やかではなかったでしょう。

 

 あるいは、兄の顔を避けてハランに旅立った日のことを、昨日のことのように思い出したのではないでしょうか(27章41節以下、28章5節)。彼は、父が兄に与えると約束していた祝福の祈りを横取りしたのです。兄エサウはそれを知ったとき、ヤコブを殺す決断をしました(27章41節)。だから、ハランの地へ逃げ出したのです(27章43節)。

 

 ベテルで神の祝福を受け(28章10節以下)、ハランで大家族となり(29章15節以下)、ひと財産をなし(30章43節)、ヤボクの渡しで神の使いと互角に相撲をとって、「イスラエル」の名をもらい、祝福を受けたヤコブですが(32章23節以下、29節)、腿を痛め、足を引きずっているヤコブは、もはや逃げ出すこともできません。

 

 ヤコブは観念して、家族の先頭に立ち、後ろに側女とその子ら、レアとその子ら、最後尾にラケルとヨセフを置いて兄エサウの前に進みで、兄のもとに着くまでに七度地にひれ伏しました(3節)。地にひれ伏すのは、家臣が国王に対して、あるいは人が神に対して行う儀礼的な行為で、「私はあなたの下僕です」というような、相手に対する最高度の敬意を表明する態度です。

 

 七度それをしたということは、何度も何度も繰り返したということですが、七は完全数ですから、私は絶対あなたに反抗しません、完全にあなたに従います、ということを表わしているものといってよいでしょう。

 

 すると、兄エサウは走って来てヤコブを迎え、抱きしめ、首を抱えて口づけし、共に泣きました(4節)。つまり、エサウはヤコブの帰郷、そして再会を心から喜び、歓迎してくれたのです。過去のことについては、全く何も語られません。ということは、ヤコブの罪過を赦し、何があったかもすっかり忘れてしまっているような状況だということです。

 

 ヤコブは兄を「ご主人様(アドニー:「わが主人」の意;口語訳、岩波訳参照)」と呼び(8節)、エサウは、「弟よ」と呼んで答えています(9節)。さながら、放蕩息子とその父親が再会したときのような、麗しい光景です。もしかすると、主イエスはこのときのエサウとヤコブのやりとりを思い起こしながら、放蕩息子のたとえをお語りになったのかも知れません。

 

 しかるにヤコブは、そんなエサウがにわかに信じられません。本当にこれが兄エサウだろうか、別人ではないだろうかと思ったことでしょう。冒頭の言葉(10節)には、そんなヤコブの気持ちが記されています。それは「兄上のお顔は、わたしには神の御顔のように見えます」というところです。

 

 ヤコブは当初、兄エサウがどのように行動しても、自分たち家族の身の安全を確保出来るよう、組を二つに分けました(32章8,9節)。また、兄に機嫌を直してもらえるよう、贈り物を準備するという、二重三重の備えをしました(同14節以下)。しかし、エサウがヤコブを無条件で受け入れ、歓迎してくれたので、今度は感謝の思い一杯で、贈り物をどうしても受け取ってくれるよう頼み込みます。

 

 ヤコブはどうして兄エサウがそんなに優しくなっているのか、分からずにいます。しかし、エサウの顔が、神の顔のように見えるというのは、興味深い表現です。イスラエルには、人間は罪深いので神の御顔を見ることは出来ない、清い神の眼差しに触れると、一瞬にして心刺され息絶えてしまうといった考え方があります。

 

 ところが今ヤコブは、エサウが自分を本当に歓迎してくれていることや、過去のことに全く触れようともしない態度に、自分のしたひどい仕打ちを兄が赦してくれていると実感し、そこから、神の顔を見ることは、裁きや罰を受けるというのではなく、赦され、受け入れられることだと、ここに語っているわけです。

 

 ヤコブは、ベテルや(28章17節)ヤボクの渡しでの体験(32章31節)に基づいて、そう語ったのでしょう。ここに、聖書の語る福音があります。

 

 三度主イエスを否んだペトロは(ルカ22章54節以下)、主イエスの愛の眼差しに見つめられ(同61節)、「わたしはあなたのために、信仰がなくならないように祈った」という主イエスの執り成しの祈りに支えられて(同32節)、やがて立ち直りました。キリスト教会の迫害者だったパウロも、主イエスと出会ってキリストの福音を伝える伝道者、使徒となりました。

 

 私たちも、神の愛と赦しの眼差しに絶えず守られていることを感謝し、日々主の御言葉に耳を傾けつつ、その恵みに応え、感謝と喜びをもって歩みたいと思います。

 

 主よ、あなたは迷い出た一匹の羊を探し回る羊飼いのように、放蕩息子の帰還を走り迎えた父親のように、何時も愛と憐れみに満ちた眼差しで私たちを捕らえ、守り導いてくださいます。そのご愛に応えて、あなたの御言葉の光の内を歩ませてください。いよいよ深く真実な交わりの内に、共におらせてください。 アーメン

 

 

「困ったことをしてくれたものだ。わたしはこの土地に住むカナン人やペリジ人の憎まれ者になり、のけ者になってしまった。こちらは少人数なのだから、彼らが集まって攻撃してきたら、わたしも家族も滅ぼされてしまうではないか。」 創世記34章30節

 

 エサウと感動的な再会を果たした後、ヤコブはペヌエルからスコトへ行き、そこに土地を購入して家を建て、家畜の小屋を作りました(33章17節)。スコトとは「小屋」という意味だと、新共同訳聖書に付言されています。ヤコブはここを本拠地とするつもりのようです。そして、シケムの町へ行って宿営し(同18節)、天幕を張った土地の一部を買い取り(同19節)、そこに祭壇を建てました(同20節)。

 

 ところが、ここで事件が起こりました。ヤコブには、レアとの間に生まれたディナという名の娘がいました(30章21節)。彼女が「土地の娘たちに会いに出かけた」(1節)のですが、ヒビ人ハモルの息子シケムがディナを見初め、無理やり関係を持ちます(2節)。そして、父ハモルにディナを妻に迎えることを認めてくれるように求めます(4節)。

 

 ハモルは息子の願いを入れてヤコブのもとを訪れ(6節)、ディナを息子シケムの嫁にくれるように願い出ます(8節以下)。シケムも同様に語ります(11節以下)。彼らの申し出は、シケムがどれほどディナのことを真剣に思っているかということを示しており、その意味では、ヤコブが叔父ラバンの娘ラケルを妻にするために、7年間ただ働きすると申し出た心情に通ずるものがあります。

 

 ところが、ヤコブはこの申し出に対して、何ら反応してはいません。シケムとその父ハモルに返答したのは、ヤコブの息子たちです。息子らは、シケムたちが割礼という儀式を行うなら、相互に姻戚関係を結ぼうと応じます(14節以下)。

 

 ハモルと息子シケムは、ディナのために、ためらわず実行することにし、町の人々にも割礼を受けるようにと提案します(20節以下)。町の人がヤコブの息子たちの「提案を受け入れた」(24節)というのは、ヤコブたちと関係を持つことが町のプラスにつながるという計算以上に、ハモルが町の首長で、彼らへの信望が厚かったということでしょう。

 

 しかしながら、割礼を受ければ、姻戚関係を結ぶというのは、真実ではありませんでした。ヤコブの息子たちは、ディナが「汚されたことを聞いた」(5節、13節も参照)とあり、ディナが辱められたことを、宗教的「汚れ」と受け止めています。

 

 それゆえ、「みな、互いに嘆き、また激しく憤った」(7節)のです。だから、割礼を持ち出したのは、宗教を同じくするなら、自分たちと同じ主を信じる神の民となるならということになるわけですが、それでシケムが妹ディナしたことを赦すというつもりは全くありません。姻戚関係を結ぶことを餌にした、だまし討ちのためです(13節、25節以下)。

 

 町の人々が割礼を受け、まだ傷の痛みに苦しんでいるときに(24,25節)、ディナの兄シメオンとレビは剣を取って町に入り、男たちをことごとく殺して、妹ディナを取り戻しました(25,26節)。そして、残りの息子たちは、町中を略奪しました(27節以下)。

 

 すると、ここまで全く口を開かなかったヤコブが、ようやく口を開きました。それが冒頭の言葉(30節)です。ヤコブは、息子たちがしたことで、この町におれなくなったことを非難しているのですが、ここには娘ディナを思い遣る言葉も、ディナを取り戻した息子たちへの労いもありません。父親として、娘のことをどう考えていたのでしょうか。

 

 父ヤコブがはっきりしないので、息子たちが代って行動しただけで、本当ならヤコブが自分自身の意思を示すべきだったのです。だから、自分たちの行動を父ヤコブに非難された息子たちが、「妹が娼婦のように扱われてもかまわないのですか」(31節)と反論すると、それに対する言葉がないのです。

 

 ヤコブは利に聡く、そのためには手段を選ばず行動するというところがありますが、そうでないときには完全に受身です。ディナのことを聞いても、何の行動も起こしません。それこそ、神に祈ることすらしなかったのです。

 

 その意味で、このような事件が起こり、彼がシケムを離れなければならなくなったのは、約束の地ではないヨルダン川東部のスコトに拠点を作ったことも含めて、ヤコブの振る舞いを神がよしとされなかったということでしょう。

 

 それで、神はヤコブをベテルに呼び出されるのです(35章1節)。彼が戻るべき場所は「ベテル」、即ち「神の家」なのです。神のもとに宿り、その御言葉を聞き、その恵みの内を主なる神と共に歩むことなのです。

 

 主イエスも、「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない」(ヨハネ福音書15章4節)と仰いました。

 

 主イエス・キリストにつながって、絶えず御言葉に耳を傾け、実を結ぶことができるように、主の助けと導きを祈りましょう。

 

 主よ、私たちは弱い人間です。他人を非難することは出来ますが、ヤコブと同じ立場になったときに、自己保身に走らないとは言えません。だからこそ、あなたに依り頼みます。どうか、試みにあわせないで、絶えず悪しき者からお救いください。御言葉に耳を傾けます。真実を教えてください。そうして、まず神の国と神の義とを求めるみ言葉と祈りによる生活へ、常に導いてください。 アーメン

 

 

「そこに祭壇を築いて、その場所をエル・ベテルと名付けた。兄を避けて逃げていったとき、神がそこでヤコブに現れたからである。」 創世記35章7節

 

 シケムで問題を起こしたヤコブに、神が「さあ、ベテルに上り、そこに住みなさい。そしてその地に、あなたが兄エサウを避けて逃げて行ったとき、あなたに現れた神のために祭壇を造りなさい」(1節)と声をかけられました。

 

 ヤコブは20年前、兄エサウの顔を逃れてハランに向かう途中、ルズの野で夢を見、枕元に立たれた主なる神の「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る」(28章15節)という祝福の言葉を受けたとき、枕にしていた石を記念碑として(同18節)、その場所をベテル(神の家)と名付けました(同19節)。

 

 ハランの地で20年という年月を叔父ラバンに仕えて、大変苦労しましたが、二人の嫁を迎え、12人の子をなし、大きな財産を携えて故郷に帰ってきました(29~30章)。兄エサウには、思いがけない歓迎を受けました(33章)。けれども、大切なことをヤコブは忘れていました。それは、彼が戻るべき場所のことです。

 

 そのためということではないでしょうが、娘ディナがシケムで辱めを受け(34章1,2節)、息子たちが妹ディナを取り返し、復讐するために町を襲いました(同25節以下)。しかるにヤコブは、それらのことが起こっても何もせず、息子たちに文句を言うだけだったので、家族が分裂してしまいそうです(同30,31節)。そのようなときに、神が声をかけられたのです。

 

 神の声を聞いたヤコブは、20年前を思い出したことでしょう。ただ独り故郷を離れて怖じラバンの家を目指して旅していたとき、あの辛く悲しかった夢枕に現れてくださった主なる神の愛を。そして、その時に与えられた約束をです(28章20~22節)。

 

 ヤコブは、共にいた者たちすべてに「お前たちが身に着けている外国の神々を取り去り、身を清めて衣服を着替えなさい。さあ、これからベテルに上ろう。わたしはその地に、苦難のときわたしに答え、旅の間わたしと共にいてくださった神のために祭壇を造る」(2,3節)と告げます。ヤコブは、スコトに建てた家や土地、そして今寄留しているシケムの町を離れることを宣言したのです。

 

 この言葉を聞いた人々は、持っていた外国のすべての神々をヤコブに渡し(4節)、それらを木の下に埋めて出発します。ヤコブに従ったというよりも、神の恵みと憐れみが彼らを動かしたというところではないでしょうか。でなければ、家長としての威厳を失ってしまっていたヤコブの言葉に、彼らが素直に耳を傾けることはなかったのではないかと思われるからです。

 

 冒頭の言葉(7節)のとおり、ベテルに着いてヤコブはそこに祭壇を築き、そこを「エル・ベテル」と名付けました。それは、「ベテルの神」という意味です。神は、ヤコブをハランの地から呼び出すときにも、「わたしはベテルの神(エル・ベテル)である」(31章13節)と仰っていました。

 

 神はここでもう一度ヤコブを祝福し、「あなたの名はヤコブである。しかし、あなたの名はもはやヤコブと呼ばれない。イスラエルがあなたの名となる」(10節)と言われました。これはペヌエルでの祝福の再現です(32章29節)。改めて過去と訣別し、神の民として、新しい恵みを受けて歩むように祝福されたといってよいのではないでしょうか。

 

 「身を清めて衣服を着替えなさい」という言葉と合わせて、これはパウロが、「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。バプテスマを受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです」(ガラテヤ書3章26,27節)と記している御言葉に通じています。

 

 「神はわたしたちの一切の罪を赦し、規則によって私たちを訴えて不利に陥れていた証書を破棄し、これを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました」(コロサイ書2章13,14節)。神は私たちのことを、御子イエスの血によって清められた者と認め、さらには、私たちが皆、さながら御子イエスであるかのように看做されるわけです。

 

 「キリストを着ている」とは、そのことです。私たちが自分でイエス・キリストのようになれるわけがありません。私たちが主イエスを信じるだけで、神の子となる特権が与えられました(ヨハネ福音書1章12節)。これは神の一方的な恵みなのです。

 

 ヤコブが神の声に従ってベテルに上り、そこに祭壇を築き、神を礼拝したように、私たちも日々主の御言葉に耳を傾け、主と共に、主の内に住まい、心から感謝をもって主を礼拝しましょう。

 

  主よ、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、私たちに対する愛を示されました。私たちは、主イエス・キリストによってあなたを誇りとしています。罪の支払う報酬は死ですが、あなたは私たちに主イエスによって永遠の命を賜ったからです。栄光が神に永遠にありますように。 アーメン

 

 

「イスラエルの人々を治める王がまだいなかった時代に、エドム地方を治めていた王たちは次のとおりである。」 創世記36章31節

 

 36章には、エサウの系図が記されています。35章22節以下に、エサウの弟ヤコブの息子たちの名が短く記され、父イサクの死が報告された後(同27節以下)、長々とエサウの系図が記されているのは、「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ」(1章28節、9章7節も参照)と命じられた主の祝福が、エサウにも及んでいることを、如実にあらわしています。

 

 弟ヤコブがハランに出発して後、兄エサウがどのように歩んだのか、全く分かりません。けれども、戻って来た弟を出迎えるのに、エサウは400人の供を連れていますし(32章7節、33章1節)、ヤコブの贈り物に対して、「弟よ、わたしのところにはなんでも十分にある。お前のものはお前が持っていなさい」(33章9節)と語っているので、主なる神は、兄エサウも豊かに祝福されたのです。

 

 6節に「エサウは、妻、息子、娘、家で働くすべての人々、家畜の群れ、すべての動物を連れ、カナンの土地で手に入れた全財産を携え、弟ヤコブのところから離れて他の土地へ出て行った」とあります。

 

 そして、その理由が続く7節で「彼らの所有物は一緒に住むにはあまりにも多く、滞在していた土地は彼らの家畜を養うには狭すぎたからである」と語られています。これは、アブラハムが甥のロトと離別した出来事を思い起こさせます(13章参照)。

 

 8節に「エサウはこうして、セイルの山地に住むようになった」とありますが、32章4節に「セイル地方、すなわちエドムの野にいる兄エサウのもとに」と記されていますので、エサウは以前からセイル山地に住んでいたことが分かります。

 

 ここであらためてセイルの山地に住むようになったということは、エサウは全家族、全財産を携えてヤコブのもとに行ったけれども、互いの持ち物が多過ぎて一緒に住むことが出来なかったため、約束の地を弟に委ね、再び元いた山地に戻ったと考えたらよいのでしょう。

 

 マラキ書1章2,3節に「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ」と記されていますが、今日の箇所を見る限り、エサウが神に憎まれているようには思われませんし、ここで神に憎まれる理由も見出すことはできません。

 

 エサウは、確かに長子の権利を軽んじました。祝福を横取りしたヤコブを憎み、殺そうと企みました。けれども、それを実行したわけではありませんし、後日、ヤコブと再会を果たしたときには、既にそれを忘れてしまっているようでした。

 

 強いていえば、エサウがヘト人の娘を二人、妻としたということでしょうか(26章34節参照)。父イサクと母リベカにとって、そのことが悩みの種だといわれています(同35節)。けれども、それが神の怒りを買ったなどということでもなかったようです。

 

 33章の兄弟のやり取りを見ると、むしろ愛されるべきはエサウで、不誠実なヤコブが兄に憎まれても当然という思いさえします。その意味で、ヤコブが愛されるのは、彼自身にその理由があるのではなく、一方的な神の憐れみの故です。そしてその憐れみは今日、私たちに注ぎ与えられています。私たちが主イエスを信じる信仰に導かれ、救いの恵みに与ったのは、実にこの憐れみによるのです。

 

 神はかつて、イスラエルの父祖アブラハムに対して、「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の源となるように」(12章2節)と言われ、さらに「あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う」(同3節)と語られました。

 

 そのアブラハムに対する主の祝福が、イサクからヤコブに受け継がれました(27章29節)。だから、エサウが神に祝福されて大家族で豊かな財産を所有するようになったのは、自分を出し抜き、父イサクを欺いた弟ヤコブの罪を赦し、彼に親切に語ったからではないでしょうか。

 

 冒頭の言葉(31節)で、イスラエルにまだ王がいなかった時代に、既に、エドム地方を治める王がいたというのも、イスラエルの子孫がカナンの地を自分たちの所有とするはるか以前に、エサウの子孫は既に、エドム地方を支配する者になっていたということです。

 

 私たちも、力強い神の御手の下に自らを低くし、思い煩いを主にお任せしましょう。神は謙遜な者に恵みをお与えくださいます(第一ペトロ書5章5節以下)。すべての人との平和を追い求めましょう。神の恵みから除かれることがないためです(ヘブライ書12章14,15節)。

 

 主よ、私たちをお互いの愛とすべての人への愛とで、豊かに満ち溢れさせてくださいますように。そして、私たちの主イエスが、ご自身に属するすべての聖なる者たちと共に来られるとき、私たちの心を強め、あなたの御前で、聖なる、非のうちどころのない者としてくださいますように。そのように恵みを注ぎ与えてくださる憐れみ豊かな主に、心から感謝と賛美をささげます。 アーメン

 

 

「さあ、今だ。あれを殺して、穴の一つに投げ込もう。後は、野獣に食われたと言えばよい。あれの夢がどうなるか、見てやろう。」 創世記37章20節

 

 37章から、ヤコブの11番目の息子ヨセフを主人公にした、新しい物語が始まります。ヨセフは、夢を見る男、また夢を解釈する人物として、よく知られています。37章にも、ヨセフが見た夢が二つ、ヨセフ自身によって紹介されています。一つは麦束に関するもので(6,7節)、今一つは、天体に関するものでした(9節)。

 

 それを聞いた兄弟や父ヤコブが、その夢解きをします。いずれも、ヨセフが王のようで、兄弟や両親を支配するようになるということです。常識的に考えると、そんなことはあるはずがない、また、あってはならないことでしょう。兄が弟にかしずき、あるいは父母までが彼に従うようになるなどということが、本当にあり得るでしょうか。

 

 ただ、ヨセフの母ラケルは、弟ベニヤミンを産んだ後(35章18節)、息を引き取ってベツレヘムに向かう道の傍らに葬られています(同19節)。また、ヤコブが後にエジプトで宰相となったヨセフと再会を果たす前に、妻レアをエフロンの洞穴に葬ったことが49章31節に記されています。だから、母親が、王となったヨセフの前にひれ伏すことはありません。

 

 また、ヨセフが幼子ならともかく、そんな夢を見たと得々として語る17歳の若者ヨセフに対して、兄弟や父親が腹を立てるのは至極当然のことでしょう。こんな身の程をわきまえない、言ってよいことと悪いことの判別も出来ないような者であるならば、いかに年寄り子で、甘やかされて育ったのかということでしょう。

 

 もっとも、ヨセフはハランの地で一番最後に生まれた子ですが、29,30章の記事によれば、ルベンからヨセフまで、父ヤコブが、ラケルを嫁に迎えるために働く7年の間に生まれたということになっています。どうやら、29,30章の設定よりも、本章では兄弟間の年齢差がずいぶん大きくなっているようです。

 

 ここで、「夢」というのは勿論、現実に即したものではないと言えます。兄弟たちにとっては、それは馬鹿げているというべきものでしょう。しかしながら、兄弟たちも父ヤコブも、ヨセフを笑い飛ばしてはいません。むしろ憎悪と妬みを感じています(4,11節)。あるいは、脅威を感じているのかも知れません。

 

 というのは、ヨセフの夢が今の境遇を一変させるものだからです。兄たちは、何をしなくても特権的に色々な物を手に入れることが出来ますが、11番目の無力な少年には、夢見ることしか出来ません。ここで告げられているヨセフの夢は、現状維持や現状の発展などではなく、現状を全く変えてしまう希望なのです。

 

 つまり、ここで兄たちは現状維持を願う保守派、ヨセフは革命的な夢を持つ革新派になっています。父ヤコブは、ヨセフを咎めるというところで(10節)、兄弟たちと同じ立場を表明しながらも、その夢を「心に留めた」(11節)ことで、ヨセフが見た夢の希望の可能性をも認めようとしていることが分かります。

 

 ヤコブ自身、兄エサウを出し抜いて長子の特権を奪い(25章27節以下)、父から祝福をだまし取って(27章18節以下)、パダン・アラムの叔父ラバンのところへ独り旅をした際に(27章41節以下、28章5節)、ベテルで主なる神が自分に語りかける夢を見ました(28章10節以下)。そして、その夢が実現したのです(31章5,7,9,13節、35章1節以下)。

 

 問題をややこしくしているのは、ヨセフが兄たちのことを告げ口する者であり(2節)、そして、父ヤコブがヨセフを偏愛、それも溺愛と言ってよいほどの依怙贔屓をしていることです(3節)。ゆえに兄弟たちはヨセフに嫉妬し、常に憎悪の念を持ってヨセフを見ていたのです(4節)。

 

 そこで、冒頭の言葉(20節)のように、兄弟たちは、やって来たヨセフを殺して、自分たちの身分の保全を図ろうとします。夢を見たヨセフがいなくなれば、その夢がどうなるのかと考え、実際に試してみようとしているのです。カインとアベルの物語のように(4章1節以下、7節)、ここに神に抵抗する人間の姿があり、そして、彼らを飲み込もうとする罪の力、悪魔が玄関口に立っているのです。

 

 ヨセフは殺されることは免れましたが(21,22節)、空井戸に放り込まれていたのをミディアン人に見つけられ、イシュマエルの商人たちに売られてしまいます(28節)。そして、イシュマエル人はヨセフをエジプトに連れて行き(28節)、宮廷の役人、侍従長のポティファルに奴隷として売りつけます(36節)。

 

 こうして、兄弟の憎悪がヨセフの夢を粉砕してしまったように見えます。そしてこれは、ヤコブを嘆き悲しませました。しかしながら、夢を見たヨセフはエジプトで生きています。人が夢を抹殺しようとしても、神はそれを許されません。ヨセフに与えられた夢は、神が語りかけられた言葉なのです。

 

 ヨエル書3章1節に「その後、わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。あなたたちの息子や娘は預言し、老人は夢を見、若者は幻を見る」とあります。神の霊が私たちに臨んだとき、霊は私たちに夢と幻で語りかけられます。人がその夢を語るとき、それは「預言」となるのです。

 

 私たちは今、様々な制約の中にいますが、神の霊に満たされて、夢、幻を見せて頂きたいと思います。見せて頂いた夢、幻を通して神の御言葉を聞き、希望と生命の力に与らせていただきましょう。ヨセフのように現実に翻弄され、ヤコブのように希望を失ったかのようなときにも、夢を通して示された主の言葉はとこしえに残り(イザヤ書40章8節)、主の望まれることを必ず成し遂げるのです(同55章11節)。

 

 主よ、あなたの恵みにより、御言葉と聖霊の導きによって、日々歩ませていただいています。めいめいに委ねられている使命を全うし、主が約束していてくださる豊かな収穫に与ることが出来るよう、絶えず一人一人を聖霊に満たしてください。私たちに夢や幻をお与えください。それぞれの賜物を全体の益となるよう、用いることが出来ますように。そうして、キリストの体なる教会を建て上げさせてください。 アーメン

 

 

「ところがその子は手を引っ込めてしまい、もう一人の方が出てきたので、助産婦は言った。『なんとまあ、この子は人を出し抜いたりして』。そこで、この子はペレツ(出し抜き)と名付けられた。」 創世記38章29節

 

 38章は、ヨセフ物語の筋書きとは、殆ど何の関係もない、ヤコブの4男ユダとその嫁タマルの話が記されています。ユダは、カナン人シュアの娘と結婚し、3人の男児(エル・オナン・シェラ)をもうけました(2,3節)。そして、長男エルに迎えた嫁がタマルです(6節)。

 

 ところが、長男が主に背いために打たれ(7節)、次男オナンも、レビラート婚という制度に従って長男に跡取りを残すことを拒み、兄弟としての義務を果たさず、主の意に反する振る舞いをしたため、主に打たれて死にました(8~10節)。

 

 そこでユダは、末息子まで失うわけにはいかないと考え、シェラが成人するまでといってタマルを実家に帰します(11節)。ところが、そのときユダは、タマルをシェラの妻とするつもりはありませんでした(12,14節)。あるいは、タマルが諸悪の根源のように考えていたのかも知れません。

 

 かなりの年月が経過し、シェラは既に成人しているのに一向に迎えに来ようとしないユダの腹の内を知ったタマルは、娼婦の姿で義父ユダを誘惑します(14節)。ユダは、妻が亡くなり、その喪が明けて友人と共にティムナに行くところでした。ユダはタマルと関係を持ちます(16,18節)。そして、タマルは身籠りました(18,24節)。

 

 タマルの妊娠を知ったユダは、「女を引きずり出して、焼き殺してしまえ」(24節)と命じます。タマルは、自分を懐妊させた相手について確認するように告げ(25節)、ユダは嫁を裁く資格のないことを悟ります(26節)。やがて、タマルは双子の男児を産みます(27節以下)。

 

 出産の時、最初にゼラが手を出し、そこで助産婦が真っ赤な糸を手に結ぶと(28節)、冒頭の言葉(29節)のとおり、手を引っ込めてしまって、先にペレツが生まれて来、その後から手に真っ赤な糸を結んだゼラが生まれて来ました(30節)。新共同訳聖書には「ゼラ」に「真っ赤」、「ペレツ」に「出し抜き」と、その意味が説明されています。

 

 こんな話が、なぜここに記されているのでしょうか。ここから何を学ぶべきでしょうか。ひとつは、ヨハネ8章1節以下の、姦通の現場で捕らえられた女性の裁きを要求する律法学者たちに対して、主イエスが「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」(同7節)と仰ったところ、結局、女性に石を投げる者がいなかったという出来事(同9節)を思い起こさせます。

 

 即ち、律法学者たちは、自分のことは棚に上げて、特に弱い立場の女性に対して正義の刃を振り回そうとしていたわけです。そして、その裁きについて主イエスに委ねることで、主イエスのなさりようを批判の的にしようとしていました。けれども、裁きを執行する役割が主イエスから与えられ、しかもその資格が問われて、逆に恥じ入らされ、その場を立ち去るほかなかったのです。

 

 主イエスは、罪を犯されたことのないお方、即ち、その場で女性を正当に裁く資格、権利を持っておられるただ一人のお方です。けれども、「わたしもあなたを罪に定めない」(同11節)と言われました。罪の裁きをおのが身に引き受けられてその女性を罪に定めず、お赦しになったのです。

 

 ヨハネは主イエスのことを「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである」(同1章9節)と言っています。まことの光によって、私たちの内にある罪、情欲、妬み、争う気持ちなど、すべてが照らされるのです。それは、死をもたらす裁きの光ではなく、その罪の暗闇を私たちから追い出し、取り除き、完全に清める光、赦しを与え、命を与える光なのです。

 

 中学時代の友人が、高校3年生になって初めて教会に来ました。そこでヤコブ書1章から「絶対者なる神の前に出たときに、そこに自分の真の姿が示される。主の御言葉こそ、自分の真の姿を映し出す、完全に正しい鏡だ」という言葉を聞いて、彼は真剣に聖書を読み始め、自分の罪の醜さに気づかされ、罪を赦されるキリストの愛を受け入れて、信仰の道に入りました。

 

 今ひとつは、ユダやタマルが夢想だにし得なかった歴史が、ここから展開していくということです。マタイ福音書1章1~16節には、アブラハムから主イエスまでの系図が記されています。同3節に「ユダはタマルによってペレツとゼラを」と記されています。ユダはタマルと姦淫する罪を犯したのですが、神は二人を憐れみ、彼らの子どもをアブラハムから主イエスへと至る系図の中に置かれたのです。

 

 この系図に記載されている人物の中で、罪を犯さなかったという人は、一人もいません。「罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とすること」(第一ヨハネ1章10節)なのです。

 

 主イエス・キリストの系図は、罪のない清い人の連なりではありません。ただ、主イエスがすべての罪を贖ってくださった結果、彼らの人生が主イエスのための生涯、主イエスの役に立つ生涯に変えられたということを表わしているのです。

 

 敢えて言えば、ゼラを出し抜いたペレツがいなければ、そしてユダとタマルがいなければ、主イエスの誕生がなかったというほどに、彼らは重要な存在としていただいたのです。これはもう、ただ神の憐れみによる選び、神の恵みによる導きという外ない出来事です。そしてそれが、私たちの人生にも起こっているのです。

 

 主の恵みによる選びを自覚し、日々主の御言葉に耳を傾けましょう。御旨をわきまえ、主の御業に仕え、豊かな実りを見ることが出来るよう祈り、励みましょう。

 

 主よ、御子イエスによって私たちのすべての罪を赦し、神の子として生きる道を開いてくださいました。主の恵みに応え、御旨に従い、主の御業のために用いられる者とならせてください。御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「彼女はヨセフの着物をつかんで言った。『わたしの床に入りなさい。』ヨセフは着物を彼女の手に残し、逃げて外へ出た。」 創世記39章12節

 

 イシュマエル人のキャラバンは、ヨセフをエジプトに連れて来て、宮廷の役人、侍従長ポティファルに奴隷として売りました(1,2節)。遠い外国の地に奴隷として売られてしまい、ヨセフが見た夢(37章5節以下)は、雲散霧消してしまったかのように見えます。

 

 けれども、その夢はヨセフ自身が見たいと欲したものではなく、主が彼に見せられたものだったのです。それゆえに、ヨセフがどこへ連れて行かれようとも、そこに主なる神が共におられ、彼のなすことをすべて祝福されました(2節)。そして、ヨセフのゆえにエジプト人ポティファルの家も祝福されたのです(5節)。

 

 「主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。時が巡り来れば実を結び、葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす」(詩編1編2,3節)という御言葉がありますが、ヨセフに夢を与えられた主こそ、命の水の流れであり、主の導きに従うときに、その人のすることは、繁栄をもたらすものとなるのです。

 

 ヨセフのなすことすべてを主が上手く計らわれるのを見たポティファルは(3節)、家の管理、財産のすべてをヨセフに委ねました(4,6節)。その結果、安心して役人としての仕事に打ち込み、また、余暇を楽しめるようになったことでしょう。一方ヨセフは、奴隷という身分ではありますが、主人の絶大な信頼を得、執事としていきいきと仕事に打ち込んだことでしょう。

 

 ところが、「好事魔多し」です。「顔も美しく、体つきも優れていた」(6節)というヨセフに、なんとポティファルの妻が目をつけて、「わたしの床に入りなさい」(7節)と誘惑します。ヨセフは、勿論それに耳を貸しません。「あなたはご主人の妻ですから。わたしは、どうしてそのように大きな悪を働いて、神に罪を犯すことができましょう」(9節)と語っています。

 

 女主人が「わたしの床に入れ」と命じているのですから、それを拒絶すれば、どういう罰が伴うことになるのか分かりません。それでも、ヨセフにとって、女主人の命令に従うことは、主人の信頼を損ねて「大きな悪を働く」ことであり、さらに神の御心、神の御教えに背く「罪を犯す」ことなので、到底それを承服するわけにはいかないのです。

 

 バプテスト連盟信仰宣言の中に、「教会は国家に対して常に目を注ぎ、このために祈り、神の御旨に反しない限りこれに従う」という言葉があります。教会をヨセフ、国家を主人と置き換えれば、この状況に合うでしょう。主人が神の御旨に反したことを命じるときには、それに従わないということです。そのために不利益を蒙っても、神の恵みがそれに勝ると信じるのです。

 

 女主人は、自分の命令がヨセフに拒絶されると考えてはいなかったでしょう。あるいは、自分には相当の魅力があるとさえ考えていたかも知れません。そこに、権力の横暴、身勝手さがあります。

 

 思わぬ拒絶に遭って威信を傷つけられ、馬鹿にされたと考えた女主人は、可愛さ余って憎さ百倍と言わんばかり、ヨセフを主人に告発します。その証拠は、ヨセフの上着です。女主人はヨセフと無理やり関係を持とうとしましたが、冒頭の言葉(12節)のとおり、ヨセフはそれを逃がれて、外に出ました。そのとき、女主人の手にヨセフの上着が残ったのです。

 

 その証拠によって、ヨセフは窮地に立たされました。彼は、主人ポティファルに仕え、家を管理する執事としての仕事に就いておりましたが、主人は妻の告発を受けて憤り、ヨセフを捕らえて王の囚人をつなぐ監獄に入れられました(19、20節)。奴隷から囚人へという、さらなる転落を味わうことになったのです。

 

 しかし、もしも本当にヨセフが女主人に対して罪を犯そうとしていたなら、そんなことでは済まなかったでしょう。あるいは、主人はヨセフの日頃の行動から、女主人の告発を真に受けてはいなかったのかも知れません。しかし、女主人の告発と、奴隷という立場の若者とを、天秤にかけることも出来なかったでしょう。そして、すぐに極刑を執行させないよう、神が守っておられたのでしょう。

 

 敢えて言うならば、ヨセフを捕らえようとして女主人が手に出来たのは、彼の上着だけです。ヨセフの腕を掴むことは出来なかったのです。勿論、ヨセフは監獄につながれ、ますます苦しみが大きくなります。けれども、ヨセフを実際に捕らえているのは、権力者の腕などではありません。神の御腕がヨセフを守っています。監獄でも主が共におられ、恵みが与えられたのです(21節以下)。

 

 あるいは、権力の横暴でヨセフの命を奪うことも出来るかもしれません。それでも、ヨセフの魂を自由に取り扱うことは出来ません。ヨセフは神の守りの中で、そのような権力の前に自由に立ち、その悪しき力を逃れることが出来るのです(使徒言行録7章、16章16節以下参照)。

 

 私たちも日々主を畏れ、その恵みに信頼して立ち、御言葉に従って歩みましょう。主が共にいて、守ってくださいます。

 

 主よ、ヨセフは外国人奴隷という、最も低い位置に置かれています。けれども、女主人の権力に屈せず、神の前に真実に生きることが出来ました。それは、あなたがヨセフと共におられるからです。そして今、インマヌエルと唱えられる主イエスが私たちと共にいてくださいます。それはどんなに心強いことでしょう。どんなに平安をもたらすことでしょう。御名を褒め称えて感謝します。 アーメン

 

 

「『我々は夢を見たのだが、それを解き明かしてくれる人がいない』と二人は答えた。ヨセフは、『解き明かしは神がなさることではありませんか。どうかわたしに話してみてください』と言った。」 創世記40章8節

 

 無実の罪で収監されているヨセフのいる監獄に(39章20節)、過ちを犯した王の高官二人が入れられました(1~3節)。刑が確定する前の拘置だったようです。侍従長は、二人をヨセフの管理下に置いて、世話をさせます(4節)。

 

 ヨセフは監守長の目に適い、獄内のこと一切を任されていました(39章21節以下)。ヨセフはこのとき、江戸時代の「牢名主」のような立場になっていたということです。侍従長が収監する高官二人を、監守長ではなくヨセフに託したということは、ヨセフの立場について監守長から聞いていて、侍従長もそれを承認していたということでしょう。

 

 それから幾日か過ぎたとき(4節)、監獄の高官二人がそれぞれ夢を見ました(5節)。その夢の意味が隠されていたので、二人ともふさぎ込んでいます(6節)。単なる夢として忘れようとしても、忘れることが出来ません。そのことは、かつて、ヨセフが見た夢のことで、兄たちがヨセフを手にかけようとしたことにも通じています。

 

 彼らにとって、夢の話はただの夢物語と笑い飛ばし、聞き捨てにすることが出来るような代物ではなかったのです。当時のエジプトでは、夢を解釈するのは立派な学問であり、夢解きの技術を学ぶための書物も数多く存在したそうです。

 

 ヨセフが、「今日は、どうしてそんなに憂うつな顔をしているのですか」(7節)と尋ねると、二人は冒頭の言葉(8節)のとおり、「我々は夢を見たのだが、それを解き明かしてくれる人がいない」と答えました。そこで、ヨセフが「解き明かしは神がなさることではありませんか。どうかわたしに話してみてください」と応じます。

 

 高官二人は、世話役の男、しかも同じ監獄につながれている囚人から、そのような言葉を聞くことになるとは、夢にも思っていなかったことでしょう。というのも、世話役とはいっても奴隷という身分で、しかも収監されている人物が、学問をしているなどとは、考えることも想像することすら出来なかったからです。

 

 それだけに、ヨセフが語ったのは、大変インパクトの強い言葉ではないでしょうか。彼らの夢を解き明かすのは、学歴などではありませんし、身分でもありません。ヨセフ自身の知恵や経験でもありません。神が解き明かすというのです。

 

 高官二人は獄につながれていて、夢を解き明かしてくれる者のところに行くことが出来ません。しかし、彼らを世話しているヨセフは、夢を解き明かすことの出来るお方と深い交わりを持ち、そのお方と自由に会うことが出来たのです。そのお方こそ、人に夢を見させ、それを解き明かし、そしてその夢を成就させることのお出来になる神です。

 

 彼らは、ヨセフに自分の見た夢を話します(9節以下、16節以下)。それは、ヨセフの言葉を信用したからではないかも知れませんが、それ以外に術がなかったからでしょう。二人の夢の話を聞いて、ヨセフはその解き明かしをしました(12節以下、18節以下)。給仕役の長は三日後に元の職務に復帰し(13節)、料理役の長は三日後に処刑されるというものです(19節)。

 

 どうしてそのような解釈になるのか、どうすればそのような解釈が出来るのかという、詳細な説明はありません。つまり、論理的に説明が出来ることというのではなく、夢の解き明かしは、まさしく神によって与えられた賜物(カリスマ)ということでしょう。そして、ヨセフが解き明かしたとおりになります(20節以下)。

 

 ヨセフは給仕役の男に、夢の解き明かしのとおりのことが起こった暁には、自分のことを思い出し、ファラオに自分の身の上を話して、牢から出られるよう取り計らってくれるようにと頼んでいました(14節)。それなのに、「給仕役の長はヨセフのことを思い出さず、忘れてしまった」(23節)ということです。

 

 たった3日のことで、しかも、ヨセフが解き明かしたとおりになったというのに、ヨセフの頼みを忘れてしまうということがあり得るでしょうか。ちょっと考えられないようなことですが、あるいは、奴隷の異国人で、囚人となっている者のために、国の高官がファラオに執り成すということが、そもそも、あり得ない話だったということなのかも知れません。

 

 いずれにせよ、高官二人が見た夢を解き明かし、そのとおりになったということは、かつて、ヨセフが見た夢もそのとおりに実現するということでしょう。給仕役の長がヨセフのことを忘れ去ってしまったとしても、故郷から遠く離れたエジプトの町の地下牢に収監されているヨセフに主なる神が目を留め、共におられます。

 

 主がヨセフに目を留めておられるからこそ、最も弱い立場にいながら、置かれている場所で一切の管理が彼の手に委ねられ、用いられているのです。そして、与えられた夢の実現に向けて、ときが計られているのです。私たちも、老人に夢を、若者には幻をお与えくださる主を仰ぎ(ヨエル書3章1節以下)、共に御霊の導きに与らせて頂きましょう。

 

 主よ、あなたは人に夢、幻をお与えになる方であり、その意味を教え、そして夢を成就してくださるお方です。わたしたちにも夢、幻を与えてください。幻がなければ、民は堕落するからです。夢、幻は、聖霊の言葉です。どうか聖霊を与えてください。聖霊に満たしてください。その力を得て、主イエスの証人となることが出来ますように。 アーメン

 

 

「神がそういうことをみな示されたからには、お前ほど聡明で知恵のある者は、ほかにいないであろう。お前をわが宮廷の責任者とする。わが国民は皆、お前の命に従うであろう。ただ王位にあるということでだけ、わたしはお前の上に立つ。」 創世記41章39.40節

 

 給仕役の長が監獄を出て復職した(40章21節)その2年後に、今度はファラオが不思議な夢を見ました(1節)。それは、川の中から、よく肥えた雌牛が7頭上がって来た後、やせ細った醜い雌牛が7頭出て来て、よく肥えた雌牛を食い尽くしたというものです(2節以下)。

 

 そこで目が覚めたファラオがまた眠ると、再び夢を見ました。それは、よく実った七つの穂が一本の茎から出てきて(5節)、そのあとに実が入っていない干からびた七つの穂が生えてきて(6節)、実の入っていない穂が実の入った七つの穂を飲み込んだというものです(7節)。

 

 朝になってファラオはひどく心が騒ぎ、エジプト中の魔術師、賢者たちを呼び寄せて、自分が見た夢を彼らに話しました。けれども、誰も納得の行く夢の解釈をファラオに示すことが出来ませんでした(8節)。

 

 そのとき、給仕役の長が2年前に侍従長の家にある牢獄で出会ったヨセフのことを思い出し、ファラオにヨセフの夢解きのことを告げます(9節以下)。そこでファラオはヨセフを呼びにやり、ヨセフは直ちに牢屋を出され、身なりを整えてファラオの前に出ました(14節)。ファラオは早速、ヨセフに夢解きを依頼します(15節)。

 

 古代世界では、天体の運行やその他の自然法則などを研究して、それで未来を予知することは、科学の対象として真剣に取り組まれました。それは、不安な人生に少しでも安全を確保したいという人間の深い願望の現われです。

 

 そうしたことは、現代においても見られます。一方では、きわめて現実的、合理的に、学歴や資格取得などによって将来の安定した地位を獲得しようと考えています。入試で消耗することがないように、幼稚園から大学まで連なった有名私立学校への「お受験、お入学」に躍起になったりするのも、その流れの一つでしょう。

 

 反面、入試に際して神仏に合格を祈願し、仕事始めには安全祈願、そして商売繁盛、五穀豊穣、家内安全などのためのお参りを行います。車に交通安全のお守りを下げています。一般に販売されている雑誌で、星占い、今日の運勢などを載せていないものは、一つもないといってよい程でしょう。これも、少しでも自分の不安を解消し、安心して物事に打ち込めるようにしたいということでしょう。

 

 ファラオの前に出たヨセフは、「神がファラオの幸いについて告げられる」(16節)、「神がこれからなさろうとしていることを、ファラオにお示しになったのです」(28節)と語ります。それは、未来はすべて神の御手の中にあるということであり、人間が時間を支配して自分の思うままに未来を導き、自分の安全を確保するような真似をすることは出来ないということです。

 

 私たちは、今を精一杯生きるほかはないのですが、ただがむしゃらに生きればよいというわけではありません。自分の生きるべき道があるはずです。「神などいない、神なんかいらない」と豪語する一方で、不安解消のため迷信に走る、その両極の間を揺れ動いている、それが現代日本に生きる私たちの姿なのかもしれません。

 

 ヨセフは一貫して神中心の立場に立ち、ファラオに夢をお与えになった主なる神が、その夢の解釈をヨセフに示してくださると信じて、ファラオの前でも大胆に語ります。およそ、異国から奴隷として売られて来て、冤罪とはいえ刑の執行を待っている囚人という最も弱い立場にいる者の態度、振る舞いとは、到底思えません。

 

 ヨセフは、ファラオの見た夢が、いずれも7年間の大豊作に続く7年間の飢饉で国が滅びてしまうということを神がファラオに示したもので(25節以下)、二つ重ねて夢を見たのは、神がそれをまもなく実行されようとしているからだと、告げました(32節)。

 

 その夢の解釈に基づき、すぐに聡明で知恵のある人物を選んで国を治めさせ(33節)、国中に監督官を立てて、7年間の豊作の間に国の産物の五分の一を徴収させて(34節)、食糧をできるかぎり集めてファラオの管理の下に備蓄保管し(35節)、その後の7年間のひどい飢饉に備えるようにという具体的な計画を提案します(36節)。

 

 国家滅亡の危機を免れるためには、神の御言葉に応え、それに基づく計画に従って、それが忠実に実行されることが必要です。計画を立てなければ、夢はいつまでも夢のままです。そして、それが実行されなければ、神の御言葉もそれに基づく計画も、まったく意味を持ちません。

 

 ヨセフの言葉に感心したファラオが、冒頭の言葉(39,40節)を語ります。ここで、「神がそういうことをみな示されたからには、お前ほど聡明で知恵のある者は、ほかにいないであろう」と言っていることから、神の御言葉を聴くことの出来る者が一番賢いと、ファラオが考えているということになります。

 

 確かに、この計画を忠実に実行出来る「聡明で知恵ある人物」(33節)は、このヨセフを置いてほかにいないことが、夢解きをし、それに基づいてしっかりとした計画を提案したという事実で明らかにされています。そしてこのファラオの言葉は、エジプト国内で最も低い身分でいたヨセフの立場を180度変え、王に継ぐ地位に立つ者とします。

 

 これまで、父に依怙贔屓され(37章3節)、とくとくと自分の見た夢を兄たちに自慢して憎まれ(同5節以下)、深い穴に投げ込まれた後(同24節)、奴隷としてエジプトに売られ(同28,36節)、そして、無実の罪で収監されました(39章20節)。

 

 ヨセフは次々と襲いかかって来る問題に振り回され、命さえ脅かされておりました。けれども、今ここで、彼に与えられた夢が実現するため、世界が動き始めたのです。それは、ヨセフの夢は、確かに神が彼に見せたものであり、それは神の預言であったという証しです。主が仰ったことは、必ず実現するからです(ルカ1章20,37,45節参照)。

 

 明日を守り、導かれる主に信頼し、日々主の御言葉に耳を傾けましょう。主を畏れることこそ、知恵の初めであり(箴言1章7節)、主は神の国と神の義とを第一に求める者に、必要なものをすべてお与えくださるからです(マタイ6章33節)。

 

 主よ、人の心には様々な計画があります。幸せになりたいと色々画策します。しかしながら、世界を治め、ときを支配しておられるのは、あなたです。私たちは、すべてを御手の内におさめ、御心のままに動かしておられる主に信頼し、その御言葉に耳を傾けます。聖霊の働きによって、導いてください。 アーメン

 

 

「ああ、我々は弟のことで罰を受けているのだ。弟が我々に助けを求めたとき、あれほどの苦しみを見ながら、耳を貸そうともしなかった。それで、この苦しみが我々に降りかかった。」 創世記42章21節

 

 42章から、物語は大変ドラマティックに展開して行きます。エジプトのファラオが見た夢(41章1節以下)をヨセフが解き明かした(同25節以下)とおり、7年間豊作が続いた後(同47節以下)、7年間の飢饉が始まりました(同53節以下)。

 

 ファラオはヨセフを責任者として(同37節以下、40節)、飢饉対策をしっかりと実行しました(同48,49節)。そのため、エジプト周辺諸国をも巻き込んだ大凶作の中で、エジプトには十分な食物があり、やがて、各地から穀物を買いにエジプトにやって来るようになりました(同54節以下)。

 

 その中に、ヤコブの息子たち、即ちヨセフの10人の兄たちもいました(1節以下)。エジプトの「司政者」(ハ・シャッリート:権威者)ヨセフ(エジプト名:ツァフェナト・パネア「神は語られ、彼は生きる」の意;41章45節)の前に来てひれ伏し、食糧を買うためにカナンからやって来たと告げます(6,7節)。彼らは、司政者が弟のヨセフだとは気づきませんでした(8節)。

 

 ヨセフの方がいち早くそれに気づき(7,8節)、「お前たちは回し者だ。この国の手薄な所を探りに来たに違いない」(9節)と言います。兄たちは身に覚えのないことを言われるので、何とか司政者の誤解を解こうとして自分たちの氏素性を語ります(10,11節、13節)。

 

 その中で、兄たちは問わず語りに「末の弟は、今、父のもとにおりますが、もう一人は失いました」(13節)と、ヨセフのことにも言及しています。それを聞いた司政者は、「お前たちのうち、だれか一人を行かせて、弟をここに連れて来い。それまでは、お前たちを監禁し、お前たちの言うことが本当かどうか試す」(16節)といって、皆を牢獄に監禁してしまいました(17節)。

 

 けれども、三日目に司政者が姿を現すと(18節)、「兄弟のうち一人だけを牢獄に監禁するから、ほかの者は皆、飢えているお前たちの家族のために穀物を持って帰り、末の弟をここへ連れて来い」(19,20節)と命じました。監禁する者と穀物を持って家に帰る者の数を逆転させたわけです。

 

 ヨセフの真意が定かではありませんが、「もう一人は失いました」という表現の意味、そのことについての兄弟たちの考えを知りたいと思ったのでしょう。しかし、9人を監禁して一人だけを家に帰すなら、父ヤコブはいよいよ意気消沈し、末の息子ベニヤミンを絶対失うわけには行かないと、決してエジプト行きを認めはしないだろうと考えて、方針を変えたものと思われます。

 

 兄弟たちにとって、スパイ扱いされての投獄は、まったく謂れのないことですから、大変な苦痛だったと思います。しかしながら、そうであればこそ、彼らは自分たちが、かつてドタンで弟ヨセフに対してなした仕打ち(37章17節以下)を、強く思い出させられたことでしょう。

 

 というのは、冒頭の言葉(21節)のとおり、「ああ、我々は弟のことで罰を受けているのだ」と言い、自分たちの現在の苦しみを、かつてのヨセフの有様と重ね合わせ、自分たちの弟への仕打ちに対する罰と受け止めているからです。

 

 長兄ルベンの「だから、あの子の血の報いを受けるのだ」(22節)という言葉は、直訳すると、「彼の血が求められている」となります。血とは命のことですから、ヨセフは既に死んだものと思っているのです。それは取り返しのつかないことで、自分たちの命が要求されていると考えているということになります。

 

 ドタンで穴の中からいなくなったヨセフのことを(37章29節)、野獣に喰われたことにしていましたが(同31,33節)、ルベンはもしかすると、ヨセフが本当に獣に噛み裂かれてしまったのではないかと思っていたのかも知れません。「あれほどの苦しみを見ながら、耳を貸そうともしなかった」(21節)とは、彼らがヨセフを穴に突き落としただけではなかったということなのでしょう。

 

 ヨセフは、兄たちが語った言葉を聞きました。それは、自分に対して行った仕打ちを罪と認め、後悔している言葉でした。ヨセフはその場を離れて一人、涙を流します(24節)。ヨセフは、彼らが自分にしたことを忘れることはなかったでしょう。だから、兄たちがやって来たとき、「お前たちは回し者だ」と難癖をつけ、牢獄に監禁するような真似をしたのでしょう。

 

 ところが、兄たちの会話を聞いて、兄たちも自分のことを忘れてはいないこと、そのことに傷みを覚え、また悔いていることを知りました。苦しんでいたのは自分一人ではなかったと知ったわけです。そうすると、自分が今、彼らにしていることは、なんとひどい仕打ちだろうということにもなるでしょう。そうした思いが、熱い涙となって溢れ出たのではないでしょうか。

 

 そこで、罪滅ぼしの意味も込めて、兄たちの穀物の袋にその代金をすべて返し、彼らを特別なゲストとして処遇することにしたのではないでしょうか(26節以下)。兄たちが神の御前にひれ伏し、素直に罪を認めている姿に接して、ヨセフもまた、神の前にひれ伏す思いにさせられたわけです。

 

 ただ、兄たちはエジプトの司政者から回し者呼ばわりされて監禁され、シメオンを残して家に帰らされ、末の弟を連れて行かなければならなくなったこと、それから、穀物の代金がすべて戻されていることなど、訳の分からないことの連続に、「これは一体、どういうことだ。神が我々になさったことは」(28節)といぶかります。神のなさりようが、彼らの理解や経験を越えているのです。

 

 ヤコブの子らは、神の祝福に生きるよう選ばれていたのに、罪によってその祝福を見失っていました。しかるに主なる神は、彼らの罪を裁き、処罰しようとしておられるわけではありません。彼らを義の道に導こう、祝福の道に連れ戻そうとされていて、ヨセフにも彼らにも働きかけておられるのです。ここに、神の深い憐れみが示されています。

 

 万事を益としてくださる主なる神を信頼し、どんなことでも思い煩うことをやめ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めるところを神に打ち明けましょう。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、私たちの心と考えをキリスト・イエスによって守るでしょう。

 

 主よ、私たちが皆心を一つに、同情し合い、兄弟を愛し、憐れみ深く、謙虚になれますように。悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を祈る者とならせてください。私たちは、アブラハムの祝福を受け継ぐために召されたからです。 アーメン

 

 

「どうか、全能の神がその人の前でお前たちに憐れみを施し、もう一人の兄弟と、このベニヤミンを返してくださいますように。このわたしがどうしても子供を失わねばならないのなら、失ってもよい。」 創世記43章14節

 

 カナン地方にいる父ヤコブのもとに戻って来た息子たちは、エジプトで起こった出来事を父にすべて報告しました(42章29節以下)。特に、末の弟を連れて行けば、人質となったシメオンを返し、自由にエジプトに出入りできるようにしてくれると、エジプトの司政者の告げたことをヤコブに伝えたのです(同33,34節)。

 

 それを聞いたヤコブは、「お前たちは、わたしから次々と子供を奪ってしまった。ヨセフを失い、シメオンも失った。その上ベニヤミンまでも取り上げるのか。みんなわたしを苦しめることばかりだ」(同36節)と言い、ベニヤミンをエジプトに連れて行くことに同意しません(同38節も参照)。

 

 シメオンが一緒に戻って来なかったことで、父ヤコブが末息子のベニヤミンをエジプトに連れて行くのに同意することはなくなってしまいました。ベニヤミンを連れずに、兄弟たちはエジプトの司政者の前に出ることはできません。そして、彼らがエジプトにやって来ないということになれば、人質となったシメオンは無事ではいられないでしょう。

 

 全く八方ふさがりの状態になってしまいました。息子たちはこの災難の原因が、ヨセフにしたことの罰と考えてはいますが(同21節)、しかしどうすれば良いのか、なすすべを知らないのです。

 

 困難な状況を打開できる妙案もなく手をこまねいている間も、カナンを襲っている飢饉はひどくなる一方で(1節)、エジプトから持ち帰った穀物が、ついに底をついてしまいました(2節)。そこで父ヤコブが息子たちに、「もう一度行って、我々の食糧を少し買って来なさい」(同節)と命じます。けれども、上述のとおり末弟ベニヤミンを連れないでエジプトに行くことは出来ません。

 

 父は、ヨセフのみならず、ベニヤミンまでも失うことは出来ないと考えて、エジプト行きを認めないと頑張るのですが(6節、42章36,38節)、しかしながら、穀物を買いに行かなければ、ベニヤミンを失うどころではありません。ベニヤミンを含む家族全員が飢えて、死んでしまいます。ヤコブは家長として、どうすべきかを決断しなければなりません。

 

 そのとき、ユダがベニヤミンのことを請合い、無事に連れ帰らなければ、その罪を生涯負うと約束します(8節以下)。その背景には、弟ヨセフをイシュマエル人に売ってしまおうと提案し(37章16節)、自分たちの手でそれを実行したわけではありませんが、ヨセフは実際に、ミディアン人の商人たちによってイシュマエル人に奴隷として売り渡されてしまいました(同28節)。

 

 そこで、ヨセフの晴れ着を雄山羊の血に浸し、野獣に噛み殺されたように偽装して父親に届けると(同31,32節)、父親はそれにだまされて深く嘆き悲しみ(同34節)、慰められることを拒み、「嘆きながら陰府に下って行こう」(同35節)とまで言いました。そのような事態を引き起こしてしまったという負い目が、ユダのそのような発言になったのでしょう。

 

 ユダの言葉がヤコブの背中を押し、「どうしてもそうしなければならないのなら」(11節)と言い、「では、弟を連れて、早速その人のところへ戻りなさい」(13節)と、ベニヤミンを連れて穀物を買いに行くことに同意します。

 

 そのように心を決めた父ヤコブは、交渉を円滑に進め、出来ればベニヤミンと「もう一人の兄弟」を無事に返してもらえるよう、土地の名産を贈り物とすること、また穀物の代金の二倍の銀貨を用意し、袋に戻されていた銀貨も返すことと、息子たちに具体的な指示を与えます(11,12節)。

 

 冒頭の言葉(14節)で、「もう一人の兄弟」とは、当然エジプトに捕らわれているシメオンのことです。しかし、エジプトから持ち帰った穀物がある間、シメオンの存在は忘れられたようなものでした。ベニヤミンを返してくれるようにと神に祈り求める際、ようやく思い出してもらえたかたちです。

 

 もしも、司政者がヨセフでなく、本当に息子たちを回し者と疑ってこのような措置をとっていたのなら、息子たちがなかなかベニヤミンを連れて戻って来ないことに腹を立て、あるいはシメオンを処刑してしまったかもしれません。一日一日、その危険性は高まっていたのです。

 

 しかも、ヤコブは、神がこの祈りを聞いてくださるという確信に立っていたわけではありません。「子供を失わねばならないのなら、失ってもよい」と言っているからです。

 

 ヤコブはベニヤミンが生まれるときに最愛の妻ラケルを失い(35章16節以下)、そして、最も可愛がり、依怙贔屓していたヨセフを失っています。「失ってもよい」というのは、それでも自分は大丈夫ということではないでしょう。むしろ、もしもそのようなことになるならば、もはや生きていく甲斐はない、自分も死のうと考えての発言のように思われます。

 

 それでも、彼は「全能の神」(エル・シャダイ、17章1節、28章3節、35章11節)に、「もう一人の兄弟と、このベニヤミンを返してくださいますように」と祈りました。彼が依って立っていたのは自分自身の確信ではなく、全能の神の「憐れみ」(ラハミーム)です。これは「レヘム(子宮)」の複数形です。自分のお腹を痛めて産んだ子を思う母の心を「憐れみ」と表現しているわけです。

 

 その神の憐れみにかけて祈るヤコブの心には、かつてエサウを恐れてヤボクの渡しで神の人と組み打ちしたときのことが思い出されていたのではないでしょうか(32章23節以下)。ヤコブは、「祝福してくださるまでは離しません」(同27節)と、執拗に神の人に食い下がりました。そうして祝福を受け、「イスラエル」という名を授かることが出来たのです(同29節)。

 

 いみじくも、42章まで彼は「ヤコブ」と呼ばれていましたが、本章では彼を「イスラエル」と呼んでいます。自分でベニヤミンをはじめ家族を守ろうとしているとき、彼はヤコブと呼ばれ、自分でそれを守り切れず、万軍の主の憐れみにすがり、祈りの手を上げるよう導かれる状況において、イスラエルと呼ばれるようになっているわけです。

 

 そう考えると、この祈りはただ一度祈られただけではなく、息子たちがエジプトに送り出してから、カナンの地方に戻って来るまで、毎日ヤコブの口に上っていたのではないでしょうか。そして、神は確かにここでヤコブ=イスラエルとその子らを憐れみ、この祈りに導いてくださったのです。

 

 ただ神に依り頼む幸い、そして神の恵みに与る幸いを共に味わうことが出来るよう、私たちも万軍の主、全能の神の御名を呼び、「アッバ、父よ」と叫ぶほどに真剣に祈りましょう。主の御言葉に真剣に耳を傾けましょう。

 

 主よ、あなたはまことに慈しみ深いお方です。罪人の私のために独り子を十字架に贖いの供え物とし、私たちを救いに導いてくださいました。私たちはこの恵みを味わった者として、主の証しをする使命が与えられています。家族の救いを願います。知人・友人の救いを願います。そのために私たちを用いてください。聖霊に満たし、証しの力、祈りの力をお与えください。 アーメン

 

 

「何とぞ、この子の代わりに、この僕を御主君の奴隷としてここに残し、この子はほかの兄弟たちと一緒に帰らせてください。」 創世記44章33節

 

 ジャーナリスト・評論家の扇谷正造氏の著書に『トップの条件』(PHP研究所、1983年刊)という本があります。30数年前、牧師となった最初の任地、松山の書店で求めました。この本には、リーダーとなる人物に求められる条件などが述べられています。副題は「『恕』一字で萬事」です。

 

 「恕(じょ)」は「如」と「心」の組み合わせ文字です。「如」は「似ている、同じ、等しい、らしくする」といった意味に用いられます。それに「心」を組み合わせて、「恕」は「心を等しくする」という文字となります。そこから、「相手の立場に立つ、人の身の上や心情について察し同情すること、思い遣り」という意味を表します。訓読みは「恕(ゆる)す」です。

 

 『トップの条件』に紹介されているエピソードで、孔子の弟子・子貢が「人生において大切なことを一字で表わすと、何という字になりますか」と質問したところ、孔子は「それ、恕か」と答えたという話が記されています(P.76)。これが、著書の副題の意味です。

 

 ヤコブの4男ユダが、ファラオの夢解き(41章16節以下)を機にエジプトの司政者となっている(同40節以下)腹違いの弟・11男のヨセフに対して、そうとは知らずに末弟ベニヤミンを守ろうとして語る18節以下の言葉は、私たちの心を揺さぶります。

 

 末弟ベニヤミンを連れて再び穀物を買いに来た兄弟たちを、司政者ヨセフは自宅での食事に招き(43章32節以下)、帰りには、執事に命じて袋一杯に穀物を入れさせ、その袋に代価として支払われた銀貨を返すようにしました(1節)。彼らを特別な賓客として遇したわけです。その上で、自分の銀の杯をベニヤミンの袋に入れて置くように言いつけました(2節)。兄弟たちは何も知らずに家路に着きます(3節)。

 

 町の門を出て、どれほども行かないうち、それこそ兄弟たちが夕べの宴会の席のことをあれこれ思い巡らしているうちに追手がやって来て、「どうして、お前たちは悪をもって善に報いるのだ。あの銀の杯は、わたしの主人が飲むときや占いのときに、お使いになるものではないか。よくもこんな悪いことができたものだ」(4節以下、6節)と詰問されます。

 

 身に覚えのない彼らは、おのが身の潔白を証明するため、「僕どもの中のだれからでも杯が見つかれば、その者は死罪に、ほかのわたしどもも皆、御主人様の奴隷になります」(7節以下、9節)と、自分たちの荷物を調べるよう申し出ます。それは、単に盗みというだけでなく、「占い」という神が忌み嫌われるエジプトの習慣に手を出す冒涜行為だったからでしょう。

 

 執事は「その者はわたしの奴隷にならねばならない。他の者には罪はない」(10節)と答えて、年長者の袋から順に、念入りに調べます。最後にベニヤミンの袋を調べたところ、銀の杯が見つかります(12節)。ヨセフが策したとおり(2,4,5節)、こうして犯行の証拠が見つかったからには、彼らに弁解の余地はありません。

 

 すごすごと町へ引き返し(13節)、ヨセフの屋敷に戻ります(14節)。そして「お前たちのしたこの仕業は何事か」(15節)と問うヨセフに、「御主君に何と申し開きできましょう。今更どう言えば、わたしどもの身の証しを立てることができましょう。神が僕どもの罪を暴かれたのです。この上は、わたしどもも、杯が見つかった者と共に、御主君の奴隷になります」(16節)と答えました。

 

 ヨセフがこのように策を弄したのは、母ラケルから生まれた実の弟ベニヤミンを、自分のもとに留まらせたいという思いからではないかと考えられます。それは、兄弟たちに「杯を見つけられた者だけが、わたしの奴隷になればよい。ほかの者は皆、父親のもとへ帰るがよい」(17節)と言っているからです。

 

 けれども、自分の身の上を明かさないまま、ヨセフがエジプトに売られることになった犯罪には加わっていなかった、血のつながった実の弟ベニヤミンを犯罪者とし、その罪を暴くという手法を採っていることから、単にベニヤミンを側におらせたいというだけではないかも知れません。

 

 かつて、父に頼まれて兄たちの様子を伺いに行ったヨセフが(37章12節以下)、上着をはぎ取られて穴に投げ込まれたこと(同23,24節)、その後エジプトの侍従長ポティファルに奴隷として売られたこと(同28,36節)、そこで無実の罪で投獄されたことなど(39章7節以下20節)、自分が蒙った苦しみを、兄弟たちにも味わわせようという思いが全くなかったとは言えません。

 

 けれども、ユダが「神が僕どもの罪を暴かれた」というとき、それはベニヤミンのことだけでなく、自分たちがヨセフに対してなした罪のことも告白していると思われます。そう考えると、神がヨセフを用いて、このように兄弟たちを真の悔い改めに導こうとされているといってもよいのではないでしょうか。

 

 「自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます」(第一ヨハネ書1章9節)とあるとおり、主なる神は彼らの罪を赦し、罪の呪い、過去の出来事に対する後悔の念から、解き放ってくださろうとしているということです。

 

 ヨセフの言葉(17節)を聞いたユダは、父ヤコブがいかに末弟ベニヤミンを愛しているかという事情を、ヤコブが「わたしの妻」(27節)と呼ぶラケルが生んだ二人の子のうちの一人は既に死んだものと思われており(28節)、残る一人と父の魂は固く結ばれているので(30節)、ベニヤミンが戻らなければ、白髪の父を悲嘆のうちに陰府に下らせることになると説明します(31節)。

 

 そして、ベニヤミンをエジプトでの穀物購入に同行させる保証として、もしものことがあれば、自分が父に対して生涯その罪を負うと請け合ったことを告げ(32節)、冒頭の言葉(33節)のとおり、「何とぞ、この子の代わりに、この僕を御主君の奴隷としてここに残し、この子はほかの兄弟たちと一緒に帰らせてください」と、司政者ヨセフに懇願しています。

 

 ユダはまさに「恕の精神」を発揮して、ここに弟ベニヤミンの罪を引き受け、またベニヤミンを失ったときの父ヤコブのことを思い遣り、父に対してなした保証を実行するために、自分自身を犠牲として司政者ヨセフの前に差し出したのです。それは、かつて自分が弟ヨセフをイシュマエル人の隊商に売ろうとした、罪滅ぼしでもあったでしょう(37章26,27節)。

 

 この物語は、ユダの子孫であるダビデの子として(マタイ1章1節)肉をとってこの世に来られた、神の御子、主イエス・キリストの十字架を思い起こさせます(ローマ書1章3,4節、第二テモテ書2章8節)。主イエスは、罪の虜になっている私たちを救うため、十字架にご自身を投げ出して罪の呪いをその身に引き受け、私たちが神の子として父なる神の許、本籍のある天に安全に帰って行けるように道を備えてくださったのです。

 

 この主の「恕(ゆるし)」を味わわせて頂いた者として、私たちも互いに愛し合い、その喜びを証しする者にならせて頂きましょう。

 

 主よ、ヤコブの息子たちが自分たちの罪に気づかされたように、私たちもあなたの御前に立つときに、おのが罪を自覚せざるを得ません。けれどもそこには、裁かれる恐れではなく、罪赦された喜びがあります。御子イエスが私たちの罪を身代わりに負ってくださり、私たちは神の子とされる恵みに与っているからです。今はただ、喜びと感謝をもって主にお従いするのみです。ハレルヤ! アーメン

 

 

「しかし、今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです。」 創世記45章5節

 

 いよいよ45章は、37章から始まったヨセフ物語のクライマックスです。「何とぞ、この子(ベニヤミン)の代わりに、この僕を御主君の奴隷としてここに残し、この子はほかの兄弟たちと一緒に帰らせてください」(44章33節)という兄ユダの言葉を聞いたヨセフは、もう自分を抑えることが出来なくなり、兄弟たちを残して側にいる他の者たちを外に出し、自分の正体を明かします(1節)。

 

 ユダは、ヨセフが父親の愛を一身に受けていることを妬み、夢の話に恨みを抱いて、ヨセフをイシュマエル人に売ろうと提案した張本人です(37章26節以下)。そのユダが、上記の通り、父の愛を一身に受けているベニヤミンをかばい、自分が代わってヨセフの奴隷になると言ったのです。

 

 兄たちがエジプトに穀物を買いに来て以来、ヨセフはずっと、司政者ツァフェナト・パネア(41章45節)として彼らに接して来ました。それは、ヨセフが最初に見た、「畑でわたしたちが束を結わえていると、いきなりわたしの束が起き上がり、まっすぐに立ったのです。すると、兄さんたちの束が周りに集まって来て、わたしの束にひれ伏しました」(37章7節)という夢の実現でした。

 

 恐らく、ヨセフの心には、自分を苦しめた兄たちへの憎悪があったでしょう。それゆえ、かつての夢が実現したということで、勝ち誇る思いを持っていたかもしれません。そして、弟ベニヤミンを呼び寄せることにも成功しました。その気になれば、これからずっと側近くに置いておくことも出来ます。

 

 けれども、こうしたヨセフの企てを、父ヤコブや末弟ベニヤミンに対する兄ユダの思いが粉砕、溶解してしまったのです。それで初めて「わたしはヨセフです」(3節)と名乗ります。そして、「お父さんはまだ生きておられますか」(同節)と尋ねます。それを聞いた兄弟たちは、驚きのあまり答えることが出来ませんでした。

 

 ヨセフを空井戸に投げ込み、食事しながら相談している間に、ミディアン人がヨセフを引き上げ、イシュマエル人のキャラバンに売ってしまって、その姿を見ることが出来なくなって以来(37章12節以下)、死んだことになっていたヨセフです。それが今、自分たちの生殺与奪の権を手にしたエジプトの司政者として、目の前に立っているのです。どう考え、どのように答えればよいでしょうか。

 

 これは、復活の朝、墓から戻って来た女性たちがもたらした、主イエスが復活されたという知らせを聞いた弟子たちと同じ反応ではないでしょうか。弟子たちは、死んで葬られた主イエス復活の報告を、到底信じることは出来ませんでした。

 

 その上、主イエスがゲッセマネの園で身柄を拘束されたとき、弟子たちは皆主イエスを捨てて逃げ出しました。ただ一人ついて行ったペトロは、カイアファの官邸で、3度主イエスを否定してしまいました。主イエスが甦られたと聞いても、どの面下げて主イエスに会えるかといった心境でした。ヨセフの前にいる兄弟たちは、そんな主イエスの弟子たちと同じ状態だったことでしょう。

 

 「お父さんはまだ生きておられますか」(3節)とは、42章で兄たちがエジプトにやって来てから、何度も聞き、確認してきたところですが(42章11,13節、43章27,28節、44章19節以下、22,24~32節)、ここで改めてそのように尋ねるのは、自分がシメオンやベニヤミンに対して行ったことで、白髪の父を苦しませたと自覚するからでしょう。

 

 だから、司政者として自分たちの前に姿を現したヨセフを恐れて、口を開くことが出来ない兄弟たちを自分の側に近寄らせ、「わたしはあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです」(4節)と確認させるのです。それは、決して自分が死者でも化け物でもないということ、「恨めしや」と登場して来たのではないということです。

 

 そして、冒頭の言葉(5節)のとおり、「しかし、今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません」というのは完全な赦しの宣言ですが、そこには、ヨセフ自身が兄たちや父に対してしたことは、エジプトに売られても仕方のないことだったという意味も含まれているようです。

 

 つまり、兄たちの仕業が原因でヨセフがエジプトに売られることになり、父ヤコブが苦悩したように、ヨセフがエジプトの司政者としての権力をもって、ベニヤミンについて企んだことによって、更に深く父を苦しませていることをユダの言葉で知り、それがヨセフに対して、その罪を告発したわけです。

 

 そして、「命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです」(5節)と告げます。この言葉は、この時初めてヨセフの心に浮かんだ思いだったのではないでしょうか。今初めて本当のことが分かったということです。それは、37章でヨセフの見た夢は、ヨセフを勝ち誇らせるためではなく、神が家族に希望と将来を与えるためのものだったということです。

 

 目の前にある出来事に振り回され、一喜一憂する私たちですが、歴史を支配しておられる主なる神を信じ、日々御言葉に耳を傾けつつ、聖霊の導きを祈り求めながら、自分のなすべきことを忠実に実行して参りましょう。

 

 主よ、ベニヤミンのために身を投げ出すユダの言葉を聞いて、ヨセフは心溶かされ、兄弟たちの罪をすべて赦しました。ユダの言葉は、ヨセフ自身の罪を告発し、彼も兄弟たちや父の赦しを必要とする存在だと告げていたからです。そして、神の深い御心を悟りました。ヨセフが父の愛を受け、特別な夢を見たのは、家族の救いに奉仕するためであり、苦しみを味わったのは、ヨセフのエゴが砕かれるためだったのです。主の御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトへ下ることを恐れてはならない。わたしはあなたをそこで大いなる国民とする。」 創世記46章3節

 

 エジプトで司政者となっていたヨセフが、兄弟たちに自分の身を明かした上で(45章1節以下)、まだ5年は飢饉が続くので(同6節)、全家でエジプトに下って来るようにと、父ヤコブに告げさせました(同9節以下)。それはヤコブにとって、にわかに信じることの出来ないニュースでした(同26節)。

 

 獣に殺されたと思っていたヨセフが生きており(37章33節)、しかも、「エジプト全国を治める者になっている」(45章26節)というのですから。しかし、ヨセフが与えた数々の品を示されて、父ヤコブは元気を取り戻します(同27節)。抑え切れない喜びが湧き上がって来たことでしょう。

 

 46章は、物語の主人公の座が、もう一度ヨセフから父ヤコブに移ります。ヤコブ=イスラエルは、一家を挙げてエジプトに向けて旅立ちます。その途中、ベエル・シェバに立ち寄り、神にいけにえをささげました(1節)。ここはかつて、ヤコブが兄エサウを出し抜き、父イサクを欺いて、父の祝福の祈りを受けたところです(27章18節以下、28章10節参照)。

 

 その夜、幻の中に神が現れて、冒頭の言葉(3節)のとおり「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトへ下ることを恐れてはならない。わたしはあなたをそこで大いなる国民にする」と言われました。37章以下のヨセフ物語の中で、神の顕現が記されるのは、唯一ここだけです。

 

 ここに「エジプトへ降ることを恐れてはならない」と言われていますが、ヤコブはエジプト行きを恐れているのでしょうか。そこに、恐れるべき事態が待ち受けていると、ヤコブが考えていたのでしょうか。エジプト行きは、死んだと思っていた息子ヨセフと再会するためであり、なお5年は続く飢饉から逃れるためです。

 

 むしろ、ベエル・シェバに留まるほうが、恐れを伴うというものでしょう。ヤコブがエジプト行きをためらい、恐れる理由を見出すことは、出来そうにありません。ここでヤコブが恐れているのは、エジプトに下ること自体ではなく、約束の地を離れてエジプトに下ることを、主なる神が許されるのかということでしょう。

 

 これまで、自分が欲しいと思ったものを手に入れるためには、手段を選ばないというヤコブでしたが、あらためて神の祝福を受け、今や「イスラエル」という名を与えられています。でありながら、またもや神の御旨を尋ね求めないで、目に見える物に心動かされ、利益に飛びつこうとしているのではないかと、あらためて神を畏れ、いけにえを献げて、御旨を祈り尋ねたわけです。

 

 それは、本当に神によって生きていこうとしているのか、本当にパンよりも神の御言葉が大切なのかということでしょう(マタイ福音書4章4節参照)。そこでヤコブはここに、神を畏れ、神の御言葉を求めて礼拝をささげました。それを神が祝福されて、「恐れず安心してエジプトに下れ、そこで大いなる国民としよう」という約束をくださったわけです。

 

 さらに、「わたしがあなたと共にエジプトへ下り、わたしがあなたを必ず連れ戻す。ヨセフがあなたのまぶたを閉じてくれるであろう」(4節)と言われます。この約束はヤコブにとって、マクペラの畑にある先祖の墓に埋葬されることを指しています(49章29節以下、50章13節)。そしてそれは、ヤコブの子孫がいつの日か、カナンの地に戻るということを示すものです。

 

 ヤコブ=イスラエルは、息子や孫、娘や孫娘など、一族を皆引き連れてエジプトへ向かいました(7節)。レアから生まれた子らが33名(15節)、ジルパの子らが16名(18節)、ラケルの子らが14名(22節)、ビルハの子らが7名(25節)で、かくてヤコブの子らは、合計70名です(27節)。

 

 既に大家族となっているヤコブですが、エジプト行きを通して「大いなる国民」となるという主なる神の祝福を受けました。430年後、神の人モーセに率いられてエジプトを脱出したイスラエルの民は、兵役に就くことの出来る20歳以上の男子だけで60万3550人になります(民数記1章45,46節)。

 

 ヤコブ=イスラエルが、神の御前に砕かれ謙ったように、主イエスの弟子たちも御前に砕かれる経験をしました。それは、ゲッセマネの園で主イエスを見捨てて逃げ去ったこと、大祭司カイアファの官邸で主イエスを知らないと三度も否定したことです。

 

 彼らは、自分の力で信仰に堅く立つことは出来ない、神に頼り、聖霊の力を受けなければ、主イエスの証人となることは出来ないと思い知らされたのです(使徒言行録1章8節)。だからこそ、弟子たちは主の召天後、心を込めて一つになって真剣に聖霊を祈り求めました(同14節)。

 

 主なる神は、弟子たちの祈りに応え、彼らを聖霊に満たしました(同2章1節以下)。そこから、キリスト教会の働きが始まったのです。徹底的に自らの貧しさ、罪深さを知り、謙って主に従いましょう。

 

 主よ、心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くしてあなたを慕い求めます。日々、御言葉を聞かせてください。主の愛と恵み、聖霊の力と導きを祈り求めます。どうか私たちを祝福し、恵みの証人として用いてください。御名が崇められますように。御心がこの地になされますように。 アーメン

 

 

「それから、ヨセフは父ヤコブを連れて来て、ファラオの前に立たせた。ヤコブはファラオに祝福の言葉を述べた。」 創世記47章7節

 

 ヤコブは、息子ヨセフがエジプト全国を治める者として生きており(45章26節)、自分と家族をエジプトに招いていると知り(同21節以下)、神の御心を確認した上で(46章1節以下)、家族全員を連れてベエル・シェバを発ち(同5節以下)、エジプトに下りました。

 

 そして、ゴシェンの地でヨセフに会いました(同28節以下)。これは、どんなに嬉しい出来事だったことでしょう。特別に可愛がっていて(37章3節)、しかし既に死んだものと思っていた(同33節、42章36、38節)ヨセフと、再会する日が訪れたのです。ヤコブの「わたしはもう死んでもよい」(46章30節)という言葉に、この感激の大きさを見ることが出来ます。

 

 ヨセフは兄たち5人を連れてファラオのところへ行き(1,2節)、自分の家族たちがゴシェンの地に住む許可を願い出ます(3節以下)。ゴシェンは、ナイル川河口デルタ地帯(下エジプト地帯)にあります。11節に「そこは、ラメセス地方の最も良い土地であった」と記されているとおり、ゴシェンは居住や牧畜に適する地でした。

 

 ヨセフは、「わたしの父と兄弟たちが、羊や牛をはじめ、すべての財産を携えて、カナン地方からやって来て、今、ゴシェンの地におります」(1節)と、自分の家族がたまたま滞在している場所として言及し、ヤコブの兄弟たちがその仕事について、「先祖代々、羊飼いでございます」(3節)とファラオの問いに答え、「ゴシェンの地に住まわせてください」(4節)と求めました。

 

 ファラオはヨセフに、「父上と兄弟たちが、お前のところにやって来たのだ。エジプトの国のことはお前に任せてあるのだから、最も良い土地に父上と兄弟たちを住まわせるがよい。ゴシェンの地に住まわせるのもよかろう」(5,6節)と言いました。ヨセフのゆえに、父上と兄弟たちのことを「よきにはからえ」というわけです。

 

 それからヨセフは、冒頭の言葉(7節)の通り、父ヤコブをファラオのところへ連れて行きました。そのとき、ヤコブがファラオに祝福の言葉を述べたと記されています。

 

 ヤコブは、どんなことをファラオに言ったのでしょうか。相手はエジプトの王です。富と権力をその手に握り、そして、自分と家族に対して非常に親切にしてくれています。それに引き換え、ヤコブは飢饉でカナンから出て来た者、住む場所も食べるものもなく、ただ王の好意に甘えるしかないような者です。

 

 ヘブライ書7章7節に「さて、下の者が上の者から祝福を受けるのは、当然なことです」と記されています。この基準を当てはめると、エジプトのファラオを祝福したヤコブの方が、上なる者、大いなる者であるということになります。しかしながら、ここで、ヤコブの何がファラオに勝っているというのでしょうか。

 

 ファラオがヤコブに、「あなたは何歳におなりですか」(8節)と尋ねます(8節)。それは、老人に対する敬意の表明だと言われます。老人を大切にするという時には、その人格を敬い、尊ぶことが大切です。聖書では「白髪の人の前では起立し、長老を尊び、あなたの神を畏れなさい」(レビ記19章32節)と命じられています。

 

 ヤコブは、「わたしの旅路の年月は130歳です」(9節)と答えました。確かに長命です。けれどもヤコブは続けて「わたしの生涯の年月は短く、苦しみ多く、わたしの先祖たちの生涯や旅路の年月には及びません」(同節)と語ります。

 

 「苦しみ多く」(ラーイーム)は「悪」(ラーアー)という言葉の複数形です。これは、自分の若き日々の罪を思っているところから語られた言葉遣いと考えられます。父を騙し、兄を押しのけるような真似をして、その結果、その「悪」の呪いがブーメランとなって自分に返ってきたような、こんなに苦しみ多い生活を送っているというわけです。

 

 そんなヤコブが、エジプトのファラオに与えたいと思うものとは何でしょうか。ファラオは権力を持ち、富を持っています。住む家も食べる物も、その他ありとあらゆるものを豊かにもっています。ヤコブには、ヘブロンに墓地とわずかな畑があるだけで、続く飢饉の中、食料も底をついていました。

 

 しかし、ヤコブの目は、エジプト中のすべてのものよりもさらに豊かな、神の祝福を見ています。神はヤコブの想像を超えて、祝福を豊かにお与えくださるお方であることを、これまで何度も経験してきました。そして今も、死んでしまったと思っていた愛するヨセフと、全く思いもよらないかたちで、再会を果たせたのです。

 

 父イサクの祈りを通して与えられた神の祝福の確かさを、繰り返し味わってきたからこそ、臆することなくファラオの前に立ち、ファラオに対して、祝福の言葉を語ることが出来たのです。そしてそれは単なる言葉ではなく、実際にファラオを富ませる力となっていくのです。この後、エジプト中の家畜(16節以下)、農地と民がファラオのものとなりました(20節以下)。

 

 ペトロとヨハネが、「美しい門」の傍らで物乞いをしていた、生まれつき足の不自由な男に対して、「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」(使徒言行録3章6節)と言いました。すると、男は躍り上がって立ち、歩き出しました(同8節)。

 

 これは、イエス・キリストを通して私たちに与えられている祝福の力の大きさ、強さを示しています。私たち自身が主イエスの御名によって立ち上がり、信仰によって歩き出すようにと命じているのです。人々が聞きたいのは、理屈ではなく、この力をもって働く主イエスの救いの福音なのです。

 

 主よ、私たちには、聖霊を通して神の愛が与えられています。主イエスの十字架の死によって罪赦され、今本当に自由にされて、喜んでいます。この信仰の喜びと平安を、多くの方に語り伝え、日々の生活で証しすることが出来ますように。アーメン

 

 

「イスラエルは右手を伸ばして、弟であるエフライムの頭の上に置き、左手をマナセの頭の上に置いた。つまり、マナセが長男であるのに、彼は両手を交差して置いたのである。」 創世記48章14節

 

 死期が近いのを知ったヤコブ=イスラエルは、息子ヨセフを呼び寄せ(47章29節)、「どうか、わたしをこのエジプトには葬らないでくれ。わたしが先祖たちと共に眠りについたなら、わたしをエジプトから運び出して、先祖たちの墓に葬って欲しい」(同29,30節)と願い、その実行を誓わせました(同31節)。

 

 その後、ヤコブが病気だとの知らせを受けたヨセフは、二人の息子を連れて父を病床に見舞います(1節)。するとヤコブは、息子ヨセフの二人の子マナセとエフライムを自分の子としたいと言います(5節)。「エフライムとマナセは、ルベンやシメオンと同じように、わたしの子となる」(同節)ということは、ヨセフの子らがイスラエルを形作る12部族の2部族となるということです。

 

 さらに、マナセがヨセフの長男、エフライムは次男ですが、このときヤコブは、その順序を逆にして、「エフライムとマナセ」と言っています。それが8節以下、ヨセフの二人の子らの祝福において起こる出来事を、予め告げるというかたちになっています。

 

 ヤコブがヨセフの子らを祝福しようと言うので(9節)、ヨセフは父ヤコブの前にひれ伏し(12節)、二人の子をヤコブの前に進ませます(13節)。するとヤコブは、右手をエフライムの頭に、左手をマナセの頭に、両手を交差させて置きました(14節)。

 

 つまり、右側のマナセに左手を、左側のエフライムに右手を、交差させるかたちで手を置いたのです。口語訳は、「ことさらそのように手を置いた」と訳しており、不注意や気まぐれではなく、注意深く慎重に相手を選んで行われたことを示しています。

 

 イスラエルの伝統では、右手の祝福は長子に与えられるもので、遺産の配分において他の兄弟の2倍を受ける特権を有効にする祝福と言われています。ヨセフは、長男マナセが右手の祝福を受けるように右前に、次男エフライムを左前に進ませたのです。

 

 ところが、父ヤコブの右手が次男エフライムのの頭に置かれているので、ヨセフは父の手を置き換えようとします(17節)。けれどもヤコブはきっぱりと「わたしの子よ、わたしには分かっている」(19節)と言い、弟エフライムを兄マナセに勝って祝福しようと、神が選ばれたというわけです(19節以下)。

 

 なぜそうなのか、理由は説明されていませんし、ヨセフも父に対して、それ以上抗議をしていません。ここに、祝福というものは、人の考えに左右されない、神の自由な選びによって与えられるものということが語られているのです。そしてこの自由な選びは、神の憐れみに基づいています。

 

 ヤコブはヨセフを祝福して、「わたしの生涯を今日まで導かれた牧者なる神よ。わたしをあらゆる苦しみから贖われた御使いよ。どうか、この子どもたちの上に祝福をお与えください。どうか、わたしの名とわたしの先祖アブラハム、イサクの名が彼らによって覚えられますように。どうか、彼らがこの地上に数多く増え続けますように」(15,16節)と祈ります。

 

 ヤコブは勿論、祝福の祈りを空しい言葉だとは考えていません。ヤコブは、父イサクを騙し、兄エサウを出し抜いて、この祝福を受けました。父イサクの祝福を受けずに生きることなど出来ないと、ヤコブは考えていたのです。

 

 生きていく上で、主なる神の祝福が不可欠という考えは間違っていませんが、しかし、そのためには手段を選ばないというやり方を、主なる神は喜ばれはしません。結局ヤコブは、兄エサウを恐れて、その前から逃げ出さなければなりませんでした。苦しみを味わい、後悔の日々を過ごしたでしょう。

 

 しかるに神は、ヤコブの罪を赦し、苦しみから救い出してくださったのです。ヤコブはここに、本当に大切なのは、祝福をお与えくださる神との交わりであることを、改めて知ったのです。特に、死んだと思っていたヨセフが生きていると知らされたとき、それこそおのが罪の結果と諦めていたのに、罪赦される喜びが湧き上がり、神の祝福の力を味わったのです。

 

 長子の受けるべき祝福が、次男に与えられたということを、新約の福音の光を通してみると、神の独り子イエス・キリストの受くべき分が、御子を信じて神の子となる資格が与えられた(ヨハネ1章12節)私たちのものとされた、私たちが御子キリストと共同の相続人となった(ローマ書8章17節)ということを示しています。

 

 ヤコブは祝福をお与えくださる神を「わたしの先祖アブラハムとイサクがその御前に歩んだ神よ。わたしの生涯を今日まで導かれた牧者なる神よ。わたしをあらゆる苦しみから贖われた御使いよ」(15,16節)と呼んでいますが、これは、ヤコブが自ら知らずして主イエスを証しているようです。

 

 使徒ペトロは「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」(マルコ14章29節)、「たとえ、ご一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」(同31節)と豪語していましたが、舌の根も乾かぬうちに3度も主イエスなど知らないと公言してしまいます(同66節以下)。

 

 主イエスはそのことについて、予めペトロに「シモン、シモン、サタンはあなたがたを小麦のようにふるいにかけることを願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰がなくならないように祈った」(ルカ22章31,32節)と告げられ、立ち直らせるべく、十字架の死によってペトロを贖い、御自分の証人として用いるべく、聖霊の力を注ぎ与え、使徒として立てられました。

 

 主は私たち一人一人にそれぞれ違った賜物を与え、違った仕方で主の祝福を体験し、主に従うように招かれています。「あなたは、わたしに従いなさい」(ヨハネ福音書21章23節)と。主の招きに答え、示された使命、主の御業のために励むものとならせて頂きましょう。

 

 主よ、私たちがあなたを選んだのではありません。あなたが私たちをお選びになりました。それは、私たちが出て行って実を結ぶ者となるため、その実が豊かに残るためであり、また、御名による祈りが聞き届けられるためでした。御名が崇められますように。御国が来ますように。 アーメン

 

 

「ヤコブは、息子たちに命じ終えると、寝床の上に足をそろえ、息を引き取り、先祖の列に加えられた。」 創世記49章33節

 

 ヨセフの子らの祝福を祈ったヤコブ=イスラエルは(48章1節以下)、息子たちを呼び寄せ、「わたしは後の日にお前たちに起こることを語っておきたい」(1節)と言います。新共同訳は、ここに「ヤコブの祝福」という小見出しをつけています。

 

 しかしながら、それはこの段落を必ずしも正しく言い表してはいません。長男ルベン、次男シメオン、三男レビに与えたのは、後の日に起こることというより、過去に行ったことに対する叱責、また呪いです(4,7節)。

 

 後に約束の地カナンに嗣業を得るとき、ルベンはヨルダン川東部に一地域を与えられたものの強力な部族になることはなく、シメオンとレビは部族としての嗣業の地を受けることが出来ませんでした。その理由がどこにあるのかということを、ここに予め告げたものとなっています。但し、レビは神を嗣業とするという名誉ある務めが与えられるので、その扱いが平等であるとも言えないように思われます。

 

 これら三人とユダとヨセフを除く他の七人については、扱いはごく小さいものになっています。その中でゼブルンについて「海辺に住む」、「舟の出入りする港となり」(13節)と言われますが、古代、パレスティナの海岸に舟の航行に良い港はありません。また、ゼブルンの子孫が後に与えられる嗣業の地には、海岸線はありませんでした(ヨシュア記19章10節以下)。

 

 12人の子らの中で、ユダとヨセフは特別扱いを受けています。このユダとヨセフ両部族は、この後、重要な役割を担うことになります。まずユダについて、10節に「王笏はユダから離れず」という言葉が出て来ますが、イスラエル第2代の王となったダビデは、ユダ族の出身で、彼の子孫が代々の王となって一時代を築きました。

 

 「ろばをぶどうの木に、雌ろばの子を良いぶどうの木につなぐ」という11節の言葉は、通常、ろばが葡萄を食べ尽くしてしまうから、そのようにすることはあり得ないと思われます。そんな不注意なことをする人、着物をぶどう酒で洗う人は、当にパラダイス的と言える程の豊かさの中に住んでいる人です。

 

 「ついにシロが来て」(10節)という言葉は難解ですが、シロを「彼の支配者」(モーシェロー)と読む読み方が提唱されており、そうすることで、ユダの子孫にメシアが出ることを告げているという解釈が、ここに示されて来ました。そして確かに、ダビデの子孫として、主イエスがこの世においでになったのです。

 

 次に、ヨセフについては、「あなたの父の祝福は永遠の山の祝福にまさり、永久の丘の賜物に優る。これらの祝福がヨセフの頭の上にあり、兄弟たちから選ばれた者の頭にあるように」(26節)と、最高の讃辞が述べられます。

 

 ヨセフの子孫は、マナセとエフライムがヤコブの子として、他の兄弟たち対の子孫に並び、パレスティナの中央部(ヨシュア記16章)およびヨルダン川東部に嗣業を受け(同13章29節以下)、大勢の人口を持つ部族に成長しました。

 

 ヤコブ=イスラエルが、エフライムをマナセより上に立てて祝福していましたが(48章19,20節)、ソロモン以後、イスラエルが南北に分裂した際、エフライム族出身のネバトの子ヤロブアムが北イスラエル王国の初代の王になるなど(列王記上11章26節以下、37節、12章20節)、中心的存在となります。

 

 イザヤ書7章2節に「アラムがエフライムと同盟した」という言葉がありますが、エフライムが北イスラエル全体の代名詞のように用いられています(エレミヤ書7章15節、エゼキエル書37章16節、ホセア書4章17節など)。

 

 ヤコブが息子たちに告げた言葉について、28節には「これは彼らの父が語り、祝福した言葉である。父は彼らを、各々にふさわしい祝福をもって祝福したのである」とあります。内容はどうであれ、聖書はこれを、ヤコブの祝福の言葉というのです。これをもって新共同訳は、この段落に「ヤコブの祝福」という小見出しをつけているわけです。

 

 このように、子らに祝福を語り終えたヤコブ自身の生涯は、波乱万丈と言ってもよいものでした。ヤコブは必ずしも、人々から褒められるような生き方をしたわけではありません。むしろ、後ろ指を指されるようなところもあります。

 

 けれども、「間もなくわたしは、先祖の列に加えられる。わたしをヘト人エフロンの畑にある洞穴に、先祖たちと共に葬ってほしい」(29節)と子らに要請した後のヤコブの最期は、冒頭の言葉(33節)のとおり、寝床の上で足を伸ばし、静かに息を引き取るという、とても穏やかなものでした。

 

 ヤコブの死に際して、「ヨセフは父の顔に伏して泣き、口ずけした」(50章1節)と記されている以外の感情表現はありません。ヤコブ自身にも、動揺している様子は見られません。悲しみ嘆いたり、あるいは、死の向こう側に何かを期待するという様子もありません。死という現実を素直に受け止め、それに身を委ねたようです。

 

 それはかつて、兄エサウを恐れて神の御使いと格闘した、ペヌエルの出来事とは対照的です(32章23節以下)。ここにヤコブは、生への執着などではなく、祝福を与えてくださる主なる神に信頼し、その手に自分を委ねる信仰に生きていたことが明示されています。

 

 最後に、「先祖の列に加えられた」と記されています。これは、遺体が先祖代々の墓に納められたという表現のようですが、父イサクの祈りを通してアブラハムの祝福に与り、その力に支えられて生き、その祝福をユダやヨセフなど、子らの世代に手渡すという祝福の列に加えられたと読んでもよいのではないでしょうか。

 

 モーセに対して神ご自身が、「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」(出エジプト記3章6節)と言われています。確かにヤコブは先祖の列に加えられたわけです。

 

 主イエスを信じる信仰によって、私たちも「アブラハムの子」(ガラテヤ書3章7,9節)とされました。常に主を仰ぎ、祝福の内を歩ませて頂きましょう。

 

 主よ、あなたを信じます。御言葉を信じます。神の祝福、そこに愛が溢れています。恵みが溢れています。その祝福を信じ、家族のために、隣人のために祝福を祈っていきたいと思います。私たちの歩みを祝福し、その地境を広げてください。 アーメン

 

 

「ヨセフは兄弟たちに言った。『わたしは間もなく死にます。しかし、神は必ずあなたたちを顧みてくださり、この国からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた土地に導き上ってくださいます。』」 創世記50章24節

 

 父ヤコブの死を受けて(49章33節)、司政者ヨセフは侍医たちに、遺骸の防腐処置を命じます(2節)。それは、ヤコブの遺骸を遠くパレスティナまで運ぶために必要な処置でした。どれほど手数や費用がかかる処置だったのか、「そのために40日を費やした」(3節)という言葉が暗示しています。

 

 その期間も含め、エジプト人がヤコブのために「70日の間喪に服した」(3節)と言われます。アロンとモーセのための服喪期間が30日(民数記20章19節、申命記34章8節)、イスラエル初代の王サウルのために、ヤベシュの住民が7日間断食したと記されていました(サムエル記上31章13節)。ヤコブのための期間の長さは群を抜いています。

 

 エジプトの王のための服喪期間が72日という記録があるそうで、ヤコブはエジプト王に匹敵する扱いを受けていることになります。葬りのためにカナンの地に向かうヨセフと家族に、エジプトの重臣や長老が同行し(7節)、そして戦車や騎兵(9節)という盛大な葬列も、エジプトの偉大さを誇示する目的もあるでしょうが、ヤコブがエジプトにとって重要な人物だということを示しています。

 

 しかしながら、ヤコブはエジプトで、どれほどのことをしたというのでしょう。むしろ、主なる神がヨセフを通じてエジプトでなさった出来事の恵みに、ただ与っただけということでしょう。「すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです」(ローマ書11章36節)。あらためて、神の憐れみ深さ、恵みの豊かさを思います。

 

 葬列はヨルダン川東のゴレン・アタドへ進み、そこで7日間のエジプト流の葬儀を行いました(10,11節)。エジプトからは、海の道をガザからヘブロンへと進むのが通常で、ヨルダン川の東に進むためにシナイ半島を経由してヨルダン川東へ迂回するルートを通ったことになります。

 

 5節の「カナンの土地に用意されている墓」は、直訳的に訳すと「わたしが自分で掘ったカナンの地の墓」という言葉遣いです。アブラハムが妻サラのために購入したマクペラの洞穴ではなく、ヤコブが墓を自分で掘ったということで、あるいは、ヤコブの墓がヨルダン川東にあるという記録、資料に基づいて、ゴレン・アタドでの葬儀が記録されたのかも知れません。

 

 ゴレン・アタドでの7日間にわたるエジプト流の盛大な葬儀の後、ヤコブの息子たちは父に命じられていたとおり、ヘブロンのマムレの前にあるマクペラの畑の洞穴に、父の亡骸を葬りました(12,13節、49章29節以下)。かくてマクペラの洞穴には、アブラハムとサラ、イサクとリベカ、そしてヤコブとレアが葬られたことになります(同31節)。

 

 そしてヨセフと兄弟たち、葬儀のために一緒にやって来た人々は、またエジプトに戻りました(14節)。父ヤコブを葬った後、ヨセフの兄たちは、かつて自分たちが行った悪をヨセフがまだ恨みに思っていて、父が死んでしまった今、ヨセフに報復されるのではないかと恐れていました(15節)。

 

 そこで人を介し、「お前たちはヨセフにこう言いなさい。確かに、兄たちはお前に悪いことをしたが、どうか兄たちの咎と罪を赦してやってほしい」(17節)と父ヤコブの言葉をヨセフに告げさせて、自分たちの言葉として「どうか、あなたの父の神に仕える僕たちの咎を赦してください」(17節)と兄たちがヨセフに謝罪します。

 

 それを聞いたヨセフは、涙を流しました。それは、父の死の悼みに加え、兄弟たちとの間の信頼関係がまだ十分でなかった、先に告げた言葉が完全に信用されてはいなかったという悲しみと(45章4節以下参照)、しかしこれから真の関係を築くことが出来るという思いが入り交じった、悲喜こもごもの涙でしょう。

 

 そして、あらためて「恐れることはありません。わたしが神に代わることができましょうか。あなたがたは悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです」(19,20節)と語ります。これは、ヨセフと兄たちとの間に、主なる神が介入しておられるということです。

 

 ヨセフも兄弟たちも、共に神の御前に置かれています。過去、現在、未来のすべてのことが、主の御手のうちに収められています。そして、ヨセフがエジプトに奴隷として売られたことを、神が善に変えられました。世界各地を襲った飢饉から全エジプトを救い、カナンの地にいるヤコブの家族を救うために、主なる神は、エジプトに奴隷として売られたヨセフを用いられたのです。

 

 神がなさったことに、人が付け加えることはありません。そんなことをすれば、悪を善に変えられた神の御業を、台無しにしてしまいます。それは「神に代わること」(19節)で、それこそ、ヨセフが神に裁かれることになります。

 

 だからヨセフは、「どうか恐れないでください。このわたしが、あなたたちとあなたたちの子供を養いましょう」(22節)と優しく語りかけ、兄たちを慰めました。そして、兄たち、その家族とともにエジプトに住み、ヨセフは110歳まで生きて、その子エフライムの3代の子孫を見る事が出来ました(23節)。

 

 そうして、ヨセフも自分の死を前に、神の約束の御言葉を信じ、約束の地に遺骨を携えて上るよう、指示を与えます(25節)。冒頭の「神は必ずあなたたちを顧みてくださり、この国からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた土地に導き上ってくださいます」(24節)という言葉が、ヨセフの信仰を明確に示しています。

 

 神は、全人類をその罪の呪いから救い出すため、主イエスをこの世に遣わされました。そして、主イエスの評判を妬み、亡き者にしようという祭司長,律法学者ら宗教指導者たちの悪巧みを、全人類の救いに変えられました。キリストの十字架の死によって、全人類の罪を贖われたのです。

 

 また、私たちの死ぬべき定めが、主にあって甦りの命に生きるよう変えられました。その贖いの業を成し遂げられた「苦難の僕」(イザヤ書52章13節以下)に、父なる神は天と地のすべての権威、権能を授けて、あらゆるものの上に立つ支配者とされたのです(マタイ福音書28章18節、エフェソ書1章21,22節)。

 

 パウロが、「わたしたちはバプテスマによってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです」(ローマ書6章4節)と記しています。

 

 この世は滅びに向かって突き進んでいるように見えます。確かに、この世は終わりのときを迎えます。世界を創造されたお方が、この世の終わりをも設けられます。そしてそれは、新しい世界の始まりなのです。

 

 初めであり、終わりである方、アルファであり、オメガである方、今おられ、かつておられ、やがて来られるお方は(黙示録1章8節、22章13節)、私たちのために、万事が益となるように共に働いてくださるお方です(ローマ書8章28節)。

 

 昨日も今日も、永遠に変わらない主の御言葉に耳を傾け(ヘブライ書13章8節)、信仰をもって歩みましょう。

 

 主よ、あなたは私たちの涙をぬぐい、どんなマイナスの出来事も益に変えて下さるお方です。ヨセフの苦しみは、エジプトを救い、そして家族を救いました。主に信頼することこそ、私たちの希望であり、力の源です。弱い私を憐れみ、信仰に堅く立つことが出来ますように。 アーメン

 

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