ダニエル書

 

 

「侍従長は彼らの名前を変えて、ダニエルをベルテシャツァル、ハナンヤをシャドラク、ミシャエルをメシャク、アザルヤをアベド・ネゴと呼んだ。」 ダニエル書1章7節

 

 ダニエル書は、「ユダの王ヨヤキムが即位して三年目」(1節、紀元前605年頃)にバビロンの捕虜となったダニエルに名を借りた著者が記しているという構成になっています(7章1節以下参照)。

 

 列王記下24章1節に、ヨヤキムの統治下、ネブカドネツァルに攻められて、3年間バビロンに隷属した後、反逆したと記されています。バビロンの王ネブカドネツァルは、紀元前605年に即位して、エジプト軍をカルケミシュの戦いで打ち破り、パレスティナの権益を手に入れました。その勢いでエルサレムに攻めて来たのでしょう。

 

 ただし、エルサレムを包囲して神殿祭具の一部を手中にしたというのは、ヨヤキムが反逆した後、再び攻め寄せてヨヤキムの子ヨヤキンを捕囚とした紀元前597年のことでしょう(列王記下24章10節以下、第一次バビロン捕囚)。

 

 本書の中心部分はアラム語で書かれています。恐らくもともとほぼ全体が当時の国際語であるアラム語で書かれ、後に、1章1節から2章4節まで、そして8章から12章までが、ヘブライ語に翻訳されたようです。

 

 アラム語、ヘブライ語の用法は、主に紀元前2世紀ごろに用いられたものと考えられています。ということから、本書が1節で言われているような捕囚前ないし捕囚時代の著作ということは、有り得ないということになります。

 

 本書は、1章から6章までダニエルと三人の友人たちの英雄物語で、小説形式で記された物語は、その語彙や知識から、ペルシアとヘレニズムの影響を強く受けていることが分かります。一方、7章から12章までに出て来る黙示的な幻は、紀元前2世紀初めに書かれたと推定されています。

 

 注解者たちは、現在見られるかたちになったのは、シリアのアンティオコス・エピファネスによってパレスティナが支配されていた紀元前2世紀で、ギリシア文化の強制によってユダヤ人たちが大いに悩まされたその治世の終わり近く、紀元前165年頃のものであろうと言います。

 

 著者は、アンティオコスの政治に抵抗した敬虔派ユダヤ教徒(ハシディーム)の一員であろうと考えられます。そのグループから、死海の畔にあるクムランで共同体を形成するために荒れ野に出て行った人々がいます。その他の人々は、後にファリサイ派として歴史に登場して来ます。

 

 私たちキリスト教徒の持つ聖書では、ダニエル書は「預言者」の書の一つとされていますが、ヘブライ語聖書(マソラ本文)では、ダニエル書は詩編やエステル記、エズラ記などと並んで「諸書」に区分されています。7章からの黙示的な幻を見れば、預言者の中に加えても良さそうですが。

 

 書名となった「ダニエル」については、「イスラエル人の王族と貴族の中から、体に難点がなく、容姿が美しく、何事にも才能と知恵があり、知識と理解力に富み、宮廷に仕える能力のある少年」(3,4節)で、「ユダ族出身」(6節)と紹介されています。

 

 捕虜となっている者の中にそのような少年がいるということは、ヨヤキムの代ではなく、攻め寄せたバビロンに降伏してヨヤキン王と王族、主な者たちが捕囚となった紀元前597年のことと考えた方が良さそうです。その捕囚の民の中から優秀な若者を選んで宮廷で仕えさせることにしたのです(3~5節)。

 

 そこに、ユダ族出身の四人の若者がいました。ダニエル、ハナンヤ、ミシャエル、アザルヤです(6節)。侍従長は、冒頭の言葉(7節)のとおり、彼らの名前をバビロンの名前に変えました。名前を変えるというのは、それ自体何でもないように見えますが、これは自分たちの文化を相手に強要し、相手の文化を否定するという象徴的な出来事です。

 

 古くは、ヤコブの子ヨセフがエジプトの宰相となるとき、ツァフェナト・パネアという名前を与えられたということがありました(創世記41章45節)。近くは、戦時中、日本が併合した国で宗氏改名を行いました。

 

 ダニエルとは「神が裁きたもう」という名で、主なる神の正義を信じる親がわが子にその名をつけたわけです。それがベルテシャツァルと変えられました。これはバビロンの言葉で「王の生命をお守りください」という意味です。親がつけた名が奪われ、別の名で呼ばれる屈辱は、経験してみないと分からないでしょう。自分でつけるペンネームや友だちからつけられるニックネームなどとは、わけが違います。

 

 自分の人生を左右する出来事に出会い、改名することもあります。たとえば、主イエスの弟子となった漁師シモンがペトロと呼ばれ(マタイ福音書16章18節)、迫害者であったサウロがパウロと名乗っています(使徒言行録13章9節)。

 

 ヤコブはヤボクの渡しで神の使いと争ったとき、神の使いから「イスラエル」の名前を与えられました(創世記32章29節)。アブラムがアブラハムに(創世記17章5節)、サライがサラに(創世記17章15節)、名前を変えています。そこには、新しい人生のへ神の祝福があります。

 

 ダニエルの改名は、彼が望んだものでも、人生を左右する出来事に出会って、神の祝福の名前がつけられたというのでもありません。彼自身ではどうすることも出来ない力に押さえつけられるかのような出来事です。

 

 しかし、そのような状況にあっても、ダニエルが自分を見失うことはありませんでした。8節の「宮廷の肉類と酒で自分を汚すまいと決心し」たというところにそれが表われています。神の御前に、清くあることを願っていたわけです。

 

 私たちは主イエスを信じて、「クリスチャン(キリストのもの)」と呼ばれる者となりました。この地上の生涯を、主イエスを信じる信仰によって歩み通し、御国に凱旋するとき、主なる神が私たちに、祝福による新しい名を賜ることでしょう。

 

 そのときまで、主なる神を信じ、主のみ言葉に日々耳を傾けつつ、御霊に満たされて真理の道、命の道をまっすぐに歩みましょう。

 

 主よ、御子キリストは人間となってこの世に来られたとき、イエスと名付けられ、また、インマヌエルと呼ばれました。十字架の死によって贖いの業を成し遂げられて、高く上げられ、あらゆる名にまさる名が授けられました。キリストに倣う者として、日々御言葉に耳を傾け、御霊の力を受けて宣教の使命を果たし、御名を崇めさせてください。主の祝福が常に豊かにありますように。 アーメン

 

 

「神の御名をたたえよ、世々とこしえに。知恵と力は神のもの。神は時を移し、季節を変え、王を退け、王を立て、知者に知恵を、識者に知識を与えられる。」 ダニエル書2章20,21節

 

 1節冒頭の「ネブカドネツァル王が即位して2年目」とは、紀元前604~3年ごろということになります。ということは、ダニエルたちが王に仕える者として選び出され、3年の養成期間を過ごしているときということになります(1章3節以下)。

 

 ただ、それでは25節の「ユダの捕囚の中に、一人の男が見つかりました」という言葉と時期が合いません。2年目というのは、ヨヤキン王がバビロン軍に降伏して捕囚となった「バビロンの王の治世第8年」(列王記下24章12,15節:第一次バビロン捕囚:紀元前587年)の翌年、バビロンの王ネブカドネツァルの治世第9年のことと考えた方が良さそうです。

 

 王は何度か夢を見て不安になり(1節)、占い師、祈祷師、まじない師、賢者たちを呼び出して夢解きを求めます(2,3節)。それも、どんな夢を見たのかを言い当てた上で、その解釈を告げよ。出来なければ体を八つ裂きにする。しかし、正しく解釈してくれれば、贈り物と大いなる名誉を授けようというのです(5,6節)。

 

 余談ながら、4節の「賢者たちは王にアラム語で答えた」という言葉に続く、カギ括弧で記された賢者たちの発言から7章28節まで、アラム語で記されています。「アラム語で」というのが、ここから本文がヘブライ語からアラム語に変わるという後代の書き込みだろうと、岩波訳の注に記されています。日本語でダニエル書を読む私たちには、何のことやらという話ですが。 

 

 話を元に戻して、夢を言い当て、その上で夢を解釈するよう求める王に対し、賢者たちは、そんなことは誰にも出来はしないと答えると(10,11節)、王は激しく憤り、バビロンの知者と言われる者たちを皆殺しにせよと命じます(12節)。とんでもない無理難題です。権力者というものは、時としてこのように頑迷に振舞うものだと言わんとしているのでしょうか。

 

 しかしながら、この無理難題に答える者がいました。それは、ダニエルです。ダニエルは、三人の友と共に天の神に憐れみを乞い、王が見た夢の秘密を求めて祈りました(18節)。すると、天の神は夜の幻を通して、夢の秘密を明かされました(19節)。

 

 ダニエルは神を賛美した後、早速王に拝謁し、王の見た夢を告げ(31節以下)、夢の秘密を解き明かしました(37節以下)。巨大な像の金の頭はネブカドネツァルでバビロンを示し(38節)、銀の胸と腕はメディアが次に興ること、第三は青銅の腹と腿でペルシア(39節)、第四は鉄の脛でアレキサンダー率いるギリシアが登場します(40節)。

 

 それが鉄と陶土の足になるというのは(41節以下)、ギリシアがシリア・セレウコス朝とエジプト・プトレマイオス朝に分裂することを示していると考えられます。ダニエル書は、この段階にあるときに記されたのです。

 

 この巨大な像を、人手によらず切り出された一つの石(34節)、即ち、天の神が起こされた国が打ち砕く(44節)と告げられます。バビロンをメディアとペルシアが砕き、ペルシアをギリシアが砕き、そして、ギリシアが分裂した後、ローマがそれらを砕きます。

 

 このように王の無理難題に答えることが出来たことについてダニエルは、自分に世の中の誰にも勝る優れた知恵があるからではなく、将来起こるべきことを王に知らせるために神が夢を見せ、その夢を解釈して意味をよく理解することができるようにしてくださったのだと語っています(28節以下、45節)。

 

 ダニエルの夢解きを聞いた王は、即刻ダニエルを宰相として立て、その友らも行政官に任じました(48,49節)。さながら、エジプトに奴隷として売られ、だれも解き明かせなかったファラオの夢を解き明かし、奴隷で囚人という立場からエジプトの宰相として取り立てられたヨセフのようです(創世記41章1節以下、41,42節)。

 

 それを聞いたバビロン王ネブカドネツァルは、ダニエルの前にひれ伏して拝します(46節)。そして、「あなたがこの秘密を明かすことができたからには、あなたたちの神はまことに神々の神、すべての王の主、秘密を明かす方にちがいない」(47節)と言いました。

 

 即ち、バビロンの王は、ダニエルを通してイスラエルの神の前にひれ伏したのです。ここに、主なる神が、イスラエルだけでなく、バビロンの人々にとってもまことの神でもあられることが明示されます。

 

 また、その夢解きを通して、人の造るものはどんなに立派に見え、あるいは実際に優れているとしても、それは有限の存在に過ぎないことを示されました(37節)。今、権勢を誇り、栄耀栄華を誇っているバビロンも、やがて崩されるときが来ます(41,45節)。

 

 ネブカドネツァルの権威は、天の神から授けられたものです(37節)。それは、ネブカドネツァルによって、神の御業が行われるためなのです。そのことをわきまえず、分を超えて驕り昂ぶり、神の栄光を自分のものにしようとする者は退けられます。かつてのイスラエルがそうでした。それゆえ、バビロン捕囚の憂き目を見たのです。まさに、「奢れる平家は久しからず」です。

 

 神を畏れることこそ、知恵のはじめなのです(箴言1章7節)。主にまことの知恵を求めましょう。すべてのものには終わりがあります。天の神はすべての国々を打ち滅ぼすために一つの国を興され、永遠の滅びることなく、その主権は他の民の手に渡ることなく、永遠に続くと告げられます(44節)。

 

 これは、主を神と仰ぐ神の国イスラエルこそ、すべての国を討つ滅ぼすために熾された国だと語られているものと思われます。主なる神の権威、権能を持ってすれば、それは容易いことだと、ダニエル書の著者は考えているのでしょう。

 

 しかし、文字通りの意味で著者の考えていたことは実現しませんでした。しかしながら、それは預言が完全に外れたという話ではありません。彼に与えられた「神の国」の希望は、違ったかたちで実現するのです。

 

 そのために主なる神が用意されたのは、天軍天使たちなどではありません。御子キリストをこの世にお遣わしになったのです。御子キリストが十字架によって敵意という隔ての壁を取り壊され、ユダヤ人も異邦人もなく、男も女もなく、すべてのものを一人の新しい人に作り上げて平和を実現されました(エフェソ書2章14~16節、ガラテヤ書3章28節)。

 

 主イエスが十字架で殺されたとき、それは、神のご計画が水泡に帰したかのようでした。しかし、知恵と知識の宝はすべて、このキリストのうちに隠されています(コロサイ書2章3節)。神の愚かさは人の賢さよりも賢く、神の弱さは人の強さよりも強いのです(第一コリント書1章25節)。

 

 冒頭の言葉(20,21節)のとおり、ダニエルがしたように私たちも神の前に膝をかがめ、主の御名を讃え歌いましょう。「神の御名をたたえよ、世々とこしえに。知恵と力は神のもの。神は時を移し、季節を変え、王を退け、王を立て、知者に知恵を、識者に知識を与えられる」と。

 

 「霊に満たされ、詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい」(エフェソ書5章18,19節)とあるごとく、聖霊の満たしと導きにあずかり、主の御心を悟り、心から賛美をささげましょう。 

 

 命であり、甦りであられる主よ、主イエスこそ道、真理、命です。常に主を畏れ、主に従って歩み、御もとに進ませてください。更に深く主と交わり、絶えずほめ歌を歌わせてください。御名が崇められますように。御国が来ますように。この地に御心が行われますように。御業のために用いられる者としてください。 アーメン

 

 

「わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。そうでなくても、ご承知ください。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お立てになった金の像を拝むことも、決していたしません。」 ダニエル書3章17,18節

 

 バビロンの王ネブカドネツァルが金で像を造りました(1節)。高さ60アンマといえば、およそ27mという大きさです。奈良の大仏が座高およそ15mだそうですから、立ち上がればそれくらいの身長になるでしょうか。

 

 王が巨大な像を造ったということであれば、自分自身の像ではないかと想像されるのですが、12節の「王様の神に仕えず」、14節の「わたしの神に仕えず」、18節の「王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも」という記述から、それはネブカドネツァルが仕え拝していた神の像だったということが分かります。

 

 この像の除幕式に、帝国中の高官、役人たちが召集されました(2節)。そして、角笛、横笛、六絃琴、竪琴、十三絃琴、風琴などあらゆる楽器の音が聞こえたら、神の像の前にひれ伏し、拝むことが命じられました(5節)。そして、ひれ伏して拝まない者は、燃え盛る炉に投げ込まれるという厳罰がありました(6節)。

 

 2章47節で王がダニエルに「あなたの神はまことに神々の神、すべての王の主、秘密を明かす方にちがいない」と言い、ダニエルを長官として立てたばかりでした。それなのに、なぜそのような像を造り、拝ませようとしているのでしょうか。

 

 勿論、ネブカドネツァル王が主なる神を信じる者となったというわけではありませんし、ローマ時代の皇帝礼拝のように自分自身を神格化しようとしていたというわけではなかったでしょうから、宗教をとおして国家を統一しようとしていたのでしょう。あるいは、神の名を利用して自分の権力を誇示しようとしていたのでしょうか。

 

 王の厳命に対し、ユダヤ人のシャドラク(ハナンヤ)、メシャク(ミシャエル)、アベド・ネゴ(アザルヤ)、つまりダニエルの三人の友人たちは像を拝みませんでした。ここにダニエルの名が入れられてはいませんが、ダニエルも当然拝まなかっただろうと思います。

 

 ところが、三人のことが王に密告されます(9節以下)。「ユダヤ人を中傷しようとして」(8節)とあることから、捕囚でありながら行政官に任じられたことを妬ましく思っていたのでしょう。三人は王の前に立たされます(13節)。そして、像を拝まなければ炉に投げ込まれることが、改めて言い渡されます(14,15節)。

 

 その際、「お前たちをわたしの手から救い出す神があろうか」(15節)と尋ねています。当然、自分の手から救い出すことのできる神などいないと考えての発言です。ここに、神を神とも思わず、さながら自分を神の地位において、真の神を排除しようとしている愚かさが示されます。

 

 冒頭の言葉(17,18節)は、その王の言葉に対する三人の答えです。絶対的権力者と思われている王の前に、捕囚から取りたてられた三人が極めて冷静に、主なる神への忠実な信仰を表明しているのです。憤った王は、炉を通常の七倍も熱く燃やし、三人を縛り上げて放り込みました(19節以下)。冷静な三人と対照的に、激している王の姿は滑稽に映るでしょう。

 

 炉は激しく燃えていて、三人を投げ込む係の男たちさえ焼き殺しましたが(22節)、しかし、三人は何の害を受けることもありませんでした(25,27節)。それを見たネブカドネツァル王は、三人を炉から引き上げ、イスラエルの神を賛め称えました(28節以下)。

 

 大変痛快な物語です。行政官に任命されているとはいえ(2章49節)、捕囚の身の三人が、帝国の頂点に君臨する王に向かって、臆することなく自らの信仰を言い表し、最後には、逆に王が彼らの神を称えるようになったのです。

 

 勿論、彼らの信仰表明は、まさに殉教を覚悟してのものでした。自分たちは神が王の手から自分たちを救い出してくださると信じているけれども、たといそれが適わなくても、つまり、焼き殺されることになっても、王の神々に仕えはしないし、金の像を拝むこともしないというのです(18節)。そして神は、彼らの信仰に答えて、炉の火から、王の手から彼らを守られました(25節)。

 

 信仰のゆえに迫害される人々がいます。信仰を捨てるように強要されることがあります。私のような臆病者は、そのような迫害には耐えられないかも知れません。脅しに屈して、心ならずも金の像を拝むかも知れません。そして、人々はそんな腰抜けの私を嘲り笑うことでしょう。けれども、そんな弱い私に目を留めてくださる方があります。それは、主イエスです。

 

 三人が燃え盛る炉の中に投げ込まれたとき、もう一人の人がそこにいました。ネブカドネツァル王は、「四人の者が火の中を自由に歩いているのが見える。そして何の害も受けていない。それに四人目の者は神の子のような姿をしている」(25節)と言っています。神の御子キリストが、三人を火に投げ込まれないようにしたというのではありません。燃え盛る火の中に共におられたのです。そして、三人を完全に守られました。

 

 同様に、主イエスは弱く苦しむ私たちと共におられ、私たちの弱さや苦しみを引き受けてくださいます。ご自分を三度否むペトロに対して、「わたしはあなたのために、信仰がなくならないように祈った。だから、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(ルカ福音書22章32節)と言われた主です。ペトロは、この主イエスの祈りに支えられて、再び立ち上がることが出来ました。

 

 私たちも、このお方の深い憐れみのゆえに罪赦され、神の子として永遠の命に活かされる恵みに入れられています。恵みの主に信頼し、その御言葉に日々耳を傾けましょう。感謝をもって主の御名を呼び、祈りましょう。聖霊の助けを頂き、御心を行う者としていただきましょう。

 

 主よ、どうか試みにあわせないで、悪からお救いください。弱い私が、真の主なる神を離れて他の神々を祀り、拝むことがありませんように。絶えず主を仰ぎ、常に主イエスに向かい、「わたしの主、わたしの神よ」と言い表し、死に至るまで忠実に主に従って歩み、御心を行う者とならせてさせてください。 アーメン

 

 

「すべて地に住む者は無に等しい。(神は)天の軍勢をも地に住む者をも御旨のままにされる。その手を押さえて、何をするのかと言いうるものはだれもいない。」 ダニエル書4章32節

 

 神が再びネブカドネツァルに夢を見せられました(2節以下、2章参照)。それは、天にまで届くほどに成長した木を天使が来て切り倒してしまうというもので、そしてその切り株が、野の草を食む獣のようになっています(12,13節)。そこで、ネブカドネツァルはベルテシャツァル(ダニエル)を呼んで、その夢解きを頼みます(6,15節)。

 

 ダニエルの夢解きによると、ネブカドネツァルの見た夢は、彼に降りかかる運命について神が彼に予め示すためのものでした。そして、天にまで届くほどに成長した木は、彼に与えられた威光を示すもので、それは地の果てにまで及んでいたけれども(19節)、木が切り倒されることで、威光のすべてが取り去られてしまうということが示されました。

 

 彼は、王の地位を追われるだけでなく、人の心を失って「七つの時」の間、野の獣と共に住んで草を食む生活をしなければならなくなります(22節)。「七つの時」とは、「7」が完全数ですから、神の罰が完全に実行される時間ということになります。そして、罪を悔い改め、いと高き神こそが真の支配者であると悟れば、王国が返されるというのです(23節)。

 

 ダニエルは王に、「どうぞわたしの忠告をお受けになり、罪を悔いて施しを行い、悪を改めて貧しい人に恵みをお与えになってください。そうすれば、引き続き繁栄されるでしょう」(24節)と進言しました。その進言を受けて、王は貧しい人に恵みを与える公正な政治を行っていたのだと思います。しかしながら、少しずつたがが緩んでしまったのではないでしょうか。

 

 1年が過ぎたころ、ネブカドネツァル王が王宮の屋上を散歩しながら、「なんとバビロンは偉大ではないか。これこそ、このわたしが都として立て、わたしの権力の偉大さ、わたしの威光の尊さを示すものだ」(27節)とその業績を数え上げ、自分の権力の大きさを独り喜んでいたとき、天からの声が響き(28,29節)、夢で啓示されたとおりのことが彼の身に起こりました(30節)。

 

 そして、七つの時を経て、預言どおり彼に理性が戻り(31節)、神を賛め称えたとき、神は繁栄を返されました(33節)。「切り株と根は地中に残し」(12節)というのは、すべて根こそぎ滅ぼされてしまうというのではなく、主の深い憐れみによって新生の希望を与えるものだったのです。

 

 歴史的事実として、バビロニア帝国最後の王ナポニドスが悪性の病に襲われ、7年間、アラビアのテマというところに引っ込んでいたことがあり、『ナポニドスの叙事詩』に「この王は狂気である」とはっきり記されているそうです。

 

 また、5章1,2節にネブカドネツァルの子と紹介されているベルシャツァルは、実際にはナポニドスの子です。だから、ナポニドスに起こったことを、ネブカドネツァルのこととして描いていると言ってもよさそうです。

 

 いずれにせよ、このことを通してネブカドネツァルも、確かにいと高き神を畏れることを学んだことでしょう。冒頭の言葉(32節)のとおり、「すべて地に住む者は無に等しい。天の軍勢をも地に住む者をも御旨のままにされる」と神を称え、「わたしネブカドネツァルは天の王をほめたたえ、あがめ、賛美する。その御業はまこと、その道は正しく、奢る者を倒される」(34節)と歌っています。

 

 これはしかし、他人事ではなく、私たち自身が心して聴くべき物語です。たとえば、年の初めに、今年こそ神の言葉を朝毎にきちんと聴き、神の御心に従って正しく歩もうと思いますが、じきにそれを忘れ、自分勝手に歩んでしまいます。1年間、なかなか定めたとおりに歩み続けることが出来ません。

 

 そして、主なる神こそこの世の主権者であることを忘れ、神の栄光を横取りして自分のものにしようとする傲慢な者は、人の心を失って獣と同じ心になるというのは、心すべきことです。世の権力者でなくても、自分の来し方を振り返って業績を数え上げ、誇らしい思いになるというのは、誰にでもあることだからです。

 

 さらに、それが昂じて他人の業績を自分のものと言って見たり、人に褒められるために業績を偽るということも、全くないことではありません。どこかに、人から良く思われたいという意識があり、粉飾してしまうのです。

 

 私たちが人として生きることが出来るのは、神の深い御計画によることです。だからこそ、常に主の御言葉を聴く必要がありまし、繰り返し味わう必要があります。日ごとに御前にひれ伏し、新しく御言葉を頂きましょう。そして、主によって、いつも喜び、絶えず祈り、どんなことも感謝する生活をさせていただきましょう。

 

 主よ、私たちに清い心を授け、新しく確かな霊をお与えください。御前から私たちを退けず、御救いの喜びを常に味わわせ、御霊によって支えてください。日毎に御言葉の恵みに与り、主の御心をわきまえることができますように。御心がこの地になり、御名があがめられますように。 アーメン

 

 

「さて、書かれた文字はこうです。メネ、メネ、テケル、そして、パルシン。」 ダニエル書5章25節

 

 ベルシャツァルが、千人もの貴族を招いて大宴会を開きました(1節)。2節にベルシャツァルの父はネブカドネツァルと紹介されていますが、実際は、ベルシャツァルはネブカドネツァルから数えて4代目、バビロンの最後の王ナボニドスの皇太子です。

 

 ベルシャツァルの母はネブカドネツァルの娘なので、ベルシャツァルはネブカドネツァルの孫ということになります。ただ、ベルシャツァルが実際に王と呼ばれることはありませんでした。

 

 宴が進み、酔いも回った頃、ベルシャツァルは余興のつもりで、エルサレムの神殿から持ち込まれた金銀の祭具で酒を飲もうと、会場に持って来させました(2節)。こうして酒を飲みながら、彼らは「金や銀、青銅、鉄、木や石」(4節)で作った自分たちの神々をほめたたえていました。

 

 異国の神の祭具を用いることで、その国を平らげた自国の神々の威光をたたえると共に、異国の神を侮辱して酒の肴にしていたわけです。ところが、そのときに人の指のようなものが現れて、王宮の白い壁に文字を書きました(5節)。

 

 恐怖にかられた王は、祈禱師、賢者、星占い師たちを集め、「この字を読み、解釈をしてくれる者には、紫の衣を着せ、金の鎖を首にかけて、王国を治める者のうちの第三の位を与えよう」(7節、エステル記8章15節、創世記41章42節参照)と言います。「第三の位」とは、王と王妃に次ぐポジションということでしょう。

 

 しかしながら、その文字を読める者、そして解釈できる者はいませんでした(8節、2,4章参照)。王はいよいよ怖じ惑い、貴族たちも皆途方に暮れていると知った后が、「お国には、聖なる神の霊を宿している人が一人おります」(11節)と語り、ダニエルを召し出して、その壁の文字を解釈してもらうよう進言しました(12節)。

 

 ダニエルは、ベルシャツァルの父王ネブカドネツァルの身の上に起こった出来事(4章参照)、王位を追われ、栄光が奪われて(20節)、人間の社会からも追放されたという出来事を意に介さず(21節)、神の祭具を持ち出し酒を飲む器としただけでなく、異教の神々をほめたたえたために(23節)、神が指でその文字を書かれたのだと説明しました(24節)。

 

 そして、冒頭の言葉(25節)のとおり、書かれた文字を読みました。「メネ、メネ、テケル、そして、パルシン」という文字ですが、「メネ」はムナ、「テケル」はシェケル、そして、「パルシン(ペレスの複数形)」はムナの半分という貨幣の単位を表していると考えられます。つまり「1ムナ、1シェケル、そして0.5ムナが二つ」ということです。

 

 ユダヤでは、貨幣や重さの単位を人々の価値を表すのに用います。それをここに当てはめると、1ムナはネブカドネツァル、1シェケルはベルシャツァル、そして0.5ムナ二つはメディアとペルシャということになるでしょうか。1ムナはおよそ60シェケルに相当します。父ネブカドネツァルと息子ベルシャツァルでは、値打ちがかなり違うということです。

 

 それから、ダニエルは、メネは「数える」、テケルは「量をはかる」、パルシンは「分ける」という意味だと王に告げます。ヘブライ語と同様、アラム語も、書かれている子音に異なる母音をつけることで意味を変えることが出来ます。ここでは、ダニエルは名詞を動詞として解釈したのです。

 

 即ち、神がベルシャツァルの治世を「数えて」終わりにしようとしておられ(26節)、そして、彼の力量が「はかられて」不足が判明し(27節)、それゆえ、バビロンの国がメディアとペルシャの二つに「分割」される(28節)、という説明がなされました。

 

 貨幣の単位とあわせて考えれば、1ムナの値打ちがあるものを、1シェケルのベルシャツァルが引き受けることは到底出来ず、メディアとペルシャが0.5ムナずつ分け与えられることになったというわけです。

 

 ここでの問題は、ベルシャツァルの政治手腕、統治能力などではありません。まことの神はどなたなのか、まことの神に対してどのような態度で臨まなければならないのか、彼がまったく理解していなかったということです。まことの神を畏れ、神の御言葉に聴き従うべきなのです。

 

 この点で、ネブカドネツァル王は自分の経験、そして、そこから得た悟りを、子や孫に教えなかったのでしょうか。「わたしネブカドネツァルは天の王をほめたたえ、あがめ、賛美する。その御業はまこと、その道は正しく、奢る者を倒される」(4章34節)と語った父の思いは、彼に伝えられなかったのでしょうか。

 

 そのことについてダニエルは、「あなたはその王子で、これらのことをよくご存知でありながら、なお、へりくだろうとはなさらなかった」(22節)と断じています。聴いていたはず、見ていたはず、知っていたはずということですね。

 

 この解き明かしを聞いたベルシャツァルは、約束どおりダニエルに栄誉を与え、国を治める者のうち第三の位に就けるという布告を出しますが(29節)、しかし、それによって神の裁きの手を止めることは出来ず、その夜、神は王を打たれました(30節)。この背景にあるのが、紀元前539年に起こったペルシア王キュロスによるバビロン占領です。 

 

 ベルシャツァルの死は、世の支配者、王たちへの警告です。「人間の王国を支配するのは、いと高き神であり、この神は御旨のままにそれをだれにでも与え、また、最も卑しい人をその上に立てることもできる」(4章14節)と記されていました。

 

 「最も卑しい人」という言葉でシリア王アンティオコス・エピファネスを揶揄しているようですが、神の権威に挑戦し、神の支配を無視して傲慢に振る舞う者は、「最も卑しい人」とされるということでしょう。それが、ネブカドネツァル王の身に起こったことでした。そして、それを知りつつ、そこから学べず、愚かな振る舞いをしたベルシャツァルは打たれ、国が二分されました。

 

 私たちも、驕りやすい自分を戒める教えとして覚えていたいと思います。

 

 主よ、私たちに柔和と謙遜を学ばせてください。御子キリストも、多くの苦しみによって従順を学ばれたと言われます。主イエスと共に、主の軛を負わせてください。主こそ、私たちの永遠の救いの源であられ、私たちの魂に真の安らぎをお与えくださるからです。 アーメン

 

 

「神様が天使を送って獅子の口を閉ざしてくださいましたので、わたしは何の危害も受けませんでした。神様に対するわたしの無実が認められたのです。そして王様、あなたさまに対しても、背いたことはございません。」 ダニエル書6章23節

 

 ダニエル書に登場して来る三人目の王は、メディア人ダレイオスです(1節)。歴史上、メディア人ダレイオスの存在を確認することができず、メディア人の帝国も歴史的に存在していません。

 

 「メディア人ダレイオス」をペルシア帝国二代目の王ダレイオス1世のことと考えるという学者もないではありませんが、彼が王位に就いたのは36歳で、「既に62歳であった」(1節)とは合致しません。また、彼が即位したのが紀元前522年です。紀元前605年に少年だったダニエルが(1章1節以下、6節)、ダレイオス1世即位の年まで生存していたとは、考え難いところです。

 

 29節の「ダレイオスとペルシアのキュロス」を、「ダレイオス、即ちペルシアのキュロス」と読むという学者がいます。保守的な立場では、最も受け入れ易い解釈だろうと思います。その意味で、ダニエル書は歴史的事実を正確にというスタンスではなく、信仰において大切なことを、歴史物語の体裁で物語り、聞く者を教え励ます書物といってよいでしょう。

 

 ダレイオスは帝国に120人の総督を置き(2節)、その上に3人の大臣を置きました(3節)。ダニエルは大臣の一人でしたが、ダレイオスはダニエルがすべてに傑出しているのを見て、王国全体を治める宰相に任じました(4節)。バビロンに次ぐメディアにおいても宰相となったという状況です(2章48節)。

 

 ヤコブの11番目の息子ヨセフが、ファラオの夢を解き、その知恵が認められて、エジプトの宰相に取り立てられたのと同様(創世記41章37節以下)、背後に神の御手があり、神の支配が異邦世界にも広く及んでいることを示しています。

 

 ところが、ダニエルが重く用いられることを妬んだ他の大臣や総督たちは、ダニエルを失脚させようと画策します。けれども、なかなか弱点が見当たりません(5節)。そこで、ダニエルの信仰を口実にして彼を失脚させようと考えました(6節)。

 

 それは、向こう一ケ月間、ダレイオス王以外の人間や神に向かって願い事をする者は、だれでも獅子の洞窟に投げ込まれるという勅令を、ダレイオス王に発布してもらうことです(8節以下)。本来であれば、そのような勅令を出すべきかどうか、宰相としたダニエルに相談するところなのでしょうけれども、王は彼らの思いどおりに勅令を出してしまいます(11節)。

 

 しかしながら、禁令の発布を知った後も、ダニエルは日に三度、自分の信じる主なる神に祈りと賛美をささげることをやめませんでした(11節)。役人たちはダニエルの禁令違反を見届けた後(12節)、そのことを王に訴え出て、刑の執行を求めます(13,14節)。

 

 王は何とかダニエルを救いたいと考え、日が暮れるまで努力しますが(15節)、自分の出した勅令を引っ込めることも出来ず(16節)、刑を執行するため、ダニエルを引き出すことになります(17節)。王は、「お前がいつも拝んでいる神がお前を救ってくださるように」(17節)と祈りました。王には、ダニエル一人を救う力がなかったのです。

 

 食を断ち、眠れぬ夜を過ごした王は(19節)、夜明けとともに獅子の洞窟に行き(20節)、ダニエルに「生ける神の僕よ、お前がいつも拝んでいる神は、獅子からお前を救い出す力があったか」(21節)と呼びかけます。王は断食、徹夜でダニエルの保護を神に祈り続けていたわけです。

 

 それに対してダニエルは、「王様がとこしえまでも生き長らえられますように」(22節)と答えた後、冒頭の言葉(23節)を語りました。自分が無事であった理由を、①神が天使を送って獅子の口を閉ざしてくれた、②神に対する無実が認められた、③王に対しても背いたことがないと告げています。

 

 神に信頼し、誠実に歩んでいたダニエルの信仰と、ダニエルの身を案じたダレイオス王の祈りが神に届き、ダニエルを獅子の口から守ったというかたちです。王は喜んでダニエルを洞窟から出します(24節)。そして、ダニエルを陥れようとした者たちを家族もろとも洞窟に投げ込み、獅子の餌食としました(25節)。

 

 ここで、「お前がいつも拝んでいる神は、獅子の口からお前を救い出す力があったか」という言葉は、私たちが困難な問題に直面するときに迫ってくる問いです。神は生きているのか。この困難な状況から救ってくださるのか。そもそも神がおられるなら、なぜこんな問題が降りかかるのか。

 

 ダニエル書はこのような問いに対して、神は生きている。問題から救い出してくださるということを示しています。なぜ災いが降りかかるのか、それはだれにも分かりません。ダレイオス王は何故、ダニエルを陥れようとしていた者たちの提案をすんなりと受け入れたのか、その時、何故宰相の意見を求めなかったのか、よく分かりません。

 

 しかし、困難な状況に出会えば、私たちは真剣に神を求め、神に祈ります。そして、神の答えを聴きます。私たちの祈りを聞き届けられる神がおられるからこそ、問題を耐え忍び、乗り越え、解決に導かれるのです。あとになって振り返ってみると、問題が私たちを神に近づけ、信仰が強められたことに気づきます。そのために、神がその状況になるのを許されたのでしょうか。

 

 私たちもダニエルの信仰に倣って、どんなことに直面しても朝ごと夕ごと忠実に神の前に進み、賛美と祈りをささげましょう。神の御言葉を聴きましょう。

 

 主よ、自然災害に見舞われたり、戦乱により、大きな悲しみや不安の中で過ごしている人々がいます。今日も命の御言葉を聴かせてください。真理の光のうちを歩ませてください。主イエスこそ、私たちの道であり、真理であり、命だからです。 アーメン

 

 

「見よ、『人の子』のような者が天の雲に乗り、『日の老いたる者』の前に来て、そのもとに進み、権威、威光、王権を受けた。諸国、諸族、諸言語の民は皆、彼に仕え、彼の支配はとこしえに続き、その統治は滅びることがない。」 ダニエル書7章13,14節

 

 7章で、ダニエルの見た幻(夢)が物語られます(1,2節)。1節はその時期を「バビロンの王ベルシャツァルの治世元年のことである」と言います。ベルシャツァルは、5章で学んだとおり、バビロンの最後の王ナボニドスの皇太子であり、彼が王となったことはありません。

 

 ただ、ナボニドスが都から離れている間、摂政としてバビロンを治めており、そのため、ペルシアの王キュロスがバビロンに攻め込んできた折、戦死したと考えられています。ダニエル書の記述を受け入れるなら、摂政としてバビロンを治めた初めの年(紀元前546年頃)ということになります。

 

 ダニエルが見たのは、大海から四頭の獣が現れるというものでした(3節)。第一の獣は獅子のようで鷲の翼が生えており(4節)、第二は熊(5節)、第三は豹で翼が四つ、頭も四つあります。(6節)、そして第四は巨大な鉄の歯に10本の角を持つ獣です(7節以下)。

 

 これらは地上に起こる四人の王であると天使によって説明されます(15節以下、17節)。これは、2章でバビロンの王ネブカドネツァルが見た夢をダニエルが解いた物語を思い起こさせます。

 

 四人の王を巡って、様々な解釈がなされています。最も代表的なのは、第一がバビロン、第二がメディア、第三がペルシア、そして第四がギリシアというものです。そして、第四の獣の10本の角の後に出てきたもう一本の角とは、シリアのアンティオコス・エピファネス王を指すと考えられます。

 

 アンティオコスによるパレスティナ支配は、帝国を統一するためにギリシア文化を強制するというものでした。王は、ユダヤの宗教を一掃するために様々な迫害を行いました。安息日に略奪を繰り返し、神殿にはギリシアの神々の祭壇を設けて礼拝を強要するなどしたのです(23,25節)。

 

 それによってユダヤの人々は、シリア王アンティオコスに逆って信仰を守るか、王に従って律法を破るかの二者択一が迫られました。逆らうことは死を意味し、生きるためには律法を破るほかないという時代でした。

 

 1世紀のクリスチャンたちは、第四の獣をローマ帝国に当てはめました。現代では、ロシアなどの共産主義国家がそれだという解釈を聞いたこともあります。自分たちを苦しめる敵を、それに当てはめて解釈しているわけです。

 

 そのように、現実の敵について預言したものという解釈を否定するものではありませんが、敵とは具体的に誰のことかと、周りを見回して詮索する作業に加わる必要はないでしょう。私の中にも、神の御言葉に逆らい、傲慢になる思いがあります。角が生えてきます。周りを踏みつけてしまいたいというような思いに駆られます。人の内側に働きかけて闇に引きずり込もうとする悪魔がいるのです。

 

 この箇所で注目すべきメッセージは、冒頭の言葉(13,14節)のとおり、創造主なる神を示す「日の老いたる者」が、天の雲に乗って来た「人の子」に、権威、威光、王権を授け、すべての民を従える「人の子」の統治がとこしえに続き、滅びることがないというものでしょう。「人の子」(バル・エナシュ)とは、「人間の子」という言葉で、「一人の人間」を意味しています。

 

 詩編8編5~7節に「そのあなたが御心に留めてくださるとは、人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう、あなたが顧みてくださるとは。神に僅かに劣るものとして人を造り、なお、栄光と威光を冠としていただかせ、御手によって造られたものをすべて治めるように、その足もとに置かれました」とあります。

 

 本来、神は人間を、万物を治める者として創造されました。神は、「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」と命ぜられたのです(創世記1章28節)。その意味で、永久の王権を授けられた「人の子」の統治とは、神が創造の秩序をもう一度回復しようとしておられるということを示していることになります。

 

 およそ国の統治者となろうと思う者は、自分が人間の子であるとは言いません。むしろ、自らを神としようとします。神の子と呼ばせます。しかし、本来は神の独り子でありながら、自ら「人の子」と称しておられた方があります。そうです。主イエス・キリストです。

 

 このお方の統治は、武力、権力とは無関係です。むしろ、平和の統治、愛による統治、愛する者のために自らの命を捨てるという統治です(ヨハネ福音書10章10,11節)。主イエスの贖いにより、信仰によって私たちは神の子とされました。罪が赦されました。永遠の命を頂きました。それは、主イエスにあって、神がこの世に平和の秩序を回復されるためなのです。

 

 私たちの主イエスの御顔を日々仰ぎましょう。朝ごとに主の御声に耳を傾けましょう。御霊に満たされ、その導きに従って歩みましょう。 

 

 主よ、感謝します。今、平和のないところに平和を作ってください。共に主の十字架を仰がせてください。聖霊を通して神の愛をお互いの心に注いでください。自然災害の被災者、テロや内戦などの犠牲になられた方々、それらによって故郷、祖国を離れざるを得なくされている方々に、主の慰めと平安がありますように。人の命が守られますように。 アーメン

 

 

「日が暮れ、夜の明けること二千三百回に及んで、聖所はあるべき状態に戻る。」 ダニエル書8章14節

 

 ベルシャツァル王の治世第3年、即ち紀元前551年ごろに、ダニエルは再び幻を見ました(1節)。初めの幻が「ベルシャツァル王の治世元年」(7章1節)で、その2年後に次の幻を見たということで、8章を7章につなげているわけですが、日本語の読者には分からない違いがあります。それは、7章までアラム語で記されていましたが、8章からヘブライ語になることです。

 

 このときにダニエルが見たのは、エラム州の都スサのウライ川の畔で(2節)、一頭の雄羊が川岸に立っているという幻です(3節)。スサは、ペルシア帝国の冬の首都で、歴代の王が住んでいたところです(ネヘミヤ記1章1節、エステル記1章2節も参照)。

 

 雄羊は二本の長い角を持っており(3節)、それは20節でメディアとペルシアの王のことであると説明されています。つまり、ベルシャツァル王が殺され(5章30節参照)、バビロン帝国がメディアとペルシアにとって代わられることを示しています。

 

 ただし、メディア王国は、バビロンが滅びる前の紀元前550年に、ペルシア王キュロスによって滅ぼされています。ということから、このメディアとペルシアの王とは、ペルシア帝国の王ということになります。

 

 その後、雄山羊が雄羊を打ち倒します(5~7節)。雄山羊は21節でギリシアの王のことと説明されており、マケドニア王国の大王アレキサンダーを指していると思われます。その後に、非常に強大な王が現れます。「一本の小さな角が生え出て、非常に強大になり」(9節)とは、そのことです。それは、セレウコス朝シリアの王アンティオコス・エピファネスを指していると考えられます。

 

 ダニエルは、その角が「麗しの地」へと力を伸ばすのを見ました(9節)。「麗しの地」とはイスラエル、就中エルサレムを指しています。「天の万軍に及ぶまで力を伸ばし、その万軍、つまり星のうちの幾つかを地に投げ落とし、踏みにじった」(10節)とは、帝国内の諸宗教とその祭儀にアンティオコスがなした攻撃を指していると考えられます。

 

 アンティオコスは日ごとの供え物、即ちモーセの律法に規定されている朝夕の供え物(出エジプト記29章38節以下)を廃し、その聖所を倒しました(11節)。エルサレム神殿の祭壇を破壊し、そこに異教の神の祭壇を立てて冒涜したのです。

 

 エピファネスとは、神が現れるという意味ですから、彼は傲慢にも自らを神の座に置く称号をつけていたわけです。そして、エルサレムの神殿で異教の神々を礼拝することを強要されたために、イスラエルの民は苦しめられました。

 

 それはそうと、アンティオコスが王位についたのは紀元前175年ですから、ダニエルはずいぶん先のことを幻で見ていることになります。これは、知者として名高いダニエルの名を借り、バビロンやペルシアの王になぞらえて、シリアの王アンティオコスに苦しめられているイスラエルの民に向かい、神の言葉を伝えようとしているわけです。

 

 しかしそれは、捕囚の憂き目を見たイスラエルは、捕囚からの解放後もずっと苦難の道を歩んで来たということを示しています。一難去ってまた一難と言わんばかりです。古くはエジプト、アッシリア、バビロン、次いでペルシア、それからギリシア、そしてシリア、その後にローマがパレスティナを支配します。

 

 ですから、イスラエルの民は、自らの手で完全な独立自治を勝ち取りたいと願い続けます。主イエスが登場してきて、その奇跡を目の当たりにした群衆が、主イエスを王に推し立てようとしたのも、その現れです(ルカ福音書19章38節、ヨハネ福音書6章15節など)。

 

 しかし、そのような願いはなかなか実現されません。紀元70年にローマ軍によってヘロデの神殿を破壊されてからは、今日に至るまで、自らの神殿さえ持つことも出来ないままでいます。現在、エルサレムはイスラム教の聖地とされ、ヘロデの神殿跡にイスラム教の神殿(金のドームと岩のドーム)が建てられています。

 

 ただ、もうひとつ大切なメッセージがあります。それは、苦難は永遠のものではないということです。「いつまで続くのか」という問いに対して(13節)、冒頭の言葉(14節)のとおり、「日が暮れ、夜が明けること二千三百回に及んで、聖所はあるべき状態に戻る」という答えがありました。

 

 「日が暮れ、夜が明けること」で2回とカウントすると2300回は1150日、つまり三年余ということになり、7章25節の「一時期、二時期、半時期」、すなわち3年半と符合することになります。「7」が完全数で、その半分ということですから、文字通り三年半というよりも、苦難はいつまでも続かないという意味と考えればよいでしょう。

 

 イスラエルの民はこのメッセージを受け止め、今でも神による国と神殿の再建を堅く信じているわけです。どんな状況であっても主に信頼し、御言葉の成就を待ち望む信仰を、私たちも学びたいと思います。

 

 パウロは、「だから(復活の信仰のゆえに)わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきます。わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます」(第二コリント書4章16,17節)と言いました。

 

 パウロが同11章23節以下に彼が味わった苦難がリストアップされていますが、それは、「軽い艱難」とはおよそ思われません。けれども、それを「軽い」と言わしめるほどに、彼の心には復活の命に与る希望が満ち、そのときに受ける永遠の栄光に比べれば、艱難は「一時」のことと言い得たのです。

 

 どんなときでも、主に信頼し、御言葉の成就を待ちつつ、主を仰ぎ、賛美と祈りを御前にささげて参りましょう。

 

 主よ、どうか私たちの悩みに目を留め、苦しみから解放してください。暗闇に真実と愛の光を灯してください。私たちの主こそ、真実であり、また希望と慰めの源だからです。どんなときにも主を信頼し、御言葉は必ず実現することを信じ待ち望む者としてください。御業のために用いてください。御名があがめられますように。 アーメン

 

 

「憐れみと赦しは主である神のもの。わたしたちは神に背きました。」 ダニエル書9章9節

 

 1節の始めに「ダレイオスの治世第一年」とあり、「ダレイオスはメディア出身で、クセルクセスの子であり、カルデア人の国を治めていた」と記されていますが、この「ダレイオス」なる人物のことが特定出来ません。エズラ記6章1節以下に出て来る「ダレイオス」はペルシアの王で、しかもキュロス王の後継者の一人です。

 

 そこで、ダレイオスがエズラ記に記されているペルシアの王と同一人物であると考えれば、ダニエルが「キュロス王の元年まで仕えた」(1章21節)という言葉と符号しないことになります。

 

 ここでは、6章1節の「(ベルシャツァルから)王国を継いだのは、メディア人ダレイオスであった」という言葉や10章1節の「ペルシアの王キュロスの治世第三年」との関連で、ここにいう「メディア出身のダレイオス」とは、ペルシアのキュロス王のことではないかと考えられます。そうであれば、「ダレイオスの治世第一年」とは、紀元前538年ということになります。

 

 そのとき、ダニエルは聖書を通して一つの啓示を受けました。それは、「エルサレムの荒廃の時が終わるまでには、主が預言者エレミヤに告げられたように七十年という年数」(2節)がある、ということでした(エレミヤ書25章11,12節、29章10節参照参照)。

 

 ダニエルはこの言葉について、あらためて天使による説明を受けます。それは、「お前の民と聖なる都に対して70週が定められている」というものでした(24節)。そして、この70週が7週と62週と1週に分けられます(25,27節)。

 

 これは、文字通りの週ではなく、1日を1年と読み替えて考えてみるとよいでしょう。つまり、1週間は7日ですから、それを7年と読み替えるわけです。そうすると、最初の7週は49年ということになります。これはバビロン捕囚の期間(紀元前587年~538年)とちょうど符合します。

 

 続く62週(62×7=434日)、即ち434年(紀元前105年ごろ)に適合する歴史的な出来事というのははありません。バビロンからの帰還を果たした紀元前587年から200年間、イスラエルはペルシアの属領でした。それからおよそ190年にわたってギリシア・ヘレニズム国家の支配を受けました。ペルシアとギリシア・ヘレニズム国家の390年にわたる支配を62週と見なせばよいのでしょう。

 

 残りの1週は、ヘレニズム国家のパレスティナ支配の最後に登場して来たアンティオコス4世・エピファネスのことを指しています。ヘレニズム国家はそれまで自由政策で、自治と宗教の自由を認めていましたが、前175年に即位したアンティオコスⅣはユダヤの習俗や文化、宗教を否定して強力にギリシア化を推し進め、そのためにイスラエルの民は苦汁をなめました(27節)。

 

 ここで告げられているのは、歴史を支配しておられるのは神であり、目に見える現実がいかようであっても、主なる神こそ、私たちの祈りを聞き、救ってくださるお方であるという信仰に、私たちを導こうとしているのです。そして何より、イスラエルが苦難を味わっているのは、この信仰を見失って神に背いた罪のゆえなのだと告げているのです。

 

 ダニエルは、罪の赦しを乞い願いました(5節以下)。実際にダニエルは、自分の命を危険にさらしても主なる神に祈りをささげ、礼拝することをやめなかった人物です(6章11節)。そして、神は獅子の口を閉ざしてダニエルを守られました(同23節)。

 

 そのように神に従い続けてきたダニエルが、5節で「わたしたちは罪を犯し悪行を重ね、背き逆らって、あなたの戒めと裁きから離れ去りました」(5節)と言い、冒頭の言葉(9節)のとおり、「憐れみと赦しは主である神のもの。わたしたちは神に背きました」と言って、民の背きの罪を自分のこととして悔い改めています。ここに、執り成しの祈りの真理があるように思います。

 

 そして、そこに主イエスの贖いが見えてきます。主は、私たちの罪をご自身のものとしてその身に引き受け、罪の呪いから私たちを解放してくださいました。ダニエルが語っているとおり、まさに私たちは背く者ですが、しかし、主なる神は憐れみと赦しの主です。

 

 この主の深い憐れみのゆえに私たちの罪は赦され、神の子となる特権が与えられ、永遠の命に生きる者とされました。聖霊に満たされ、霊と真をもって主を礼拝しましょう。聖霊の力を頂き、主の恵みを証しする者とならせていただきましょう。

 

 主よ、私たち日本の民を憐れんでください。主の御名により、私たちを清めてください。癒してください。み救いに与らせてください。憐れみと赦しは主のものだからです。聖霊の力を受けて、主の恵みを証しする者とならせてください。御名が崇められますように。御国が来ますように。 アーメン

 

 

「ダニエルよ、恐れることはない。神の前に心を尽くして苦行し、神意を知ろうとし始めたその最初の日から、お前の言葉は聞き入れられており、お前の言葉のためにわたしは来た。」 ダニエル書10章12節

 

 「キュロス王の治世第三年」(1節)すなわち紀元前536年ごろ、ダニエルに一つの言葉が示されました。それは真実の言葉と言われますが、理解が困難な言葉だったので、幻による説明が与えられました。

 

 それは、ダニエルが3週間の嘆きの祈りをしていたときのことでした(2節)。ダニエルが何を嘆いて祈っていたのか、何も記されてはいませんが、彼がこれまでに見せられたイスラエルの将来にわたる苦難について、嘆きながら執り成し祈っていたのではないかと思われます。

 

 その幻の中で、麻の衣を着、純金の帯を腰に締めていて(5節)、体は宝石、顔は稲妻、目はたいまつの炎、腕と足は磨かれた青銅のように見え、話す声は大群衆の声のように聞こえる(6節)一人の人が立っていました。ダニエルと共にいた人々は強い恐怖に襲われて逃げ出し(7節)、一人残されたダニエルも気力を失い(8節)、地に倒れました(9節)。

 

 その人がダニエルに冒頭の言葉(12節)のとおり、「ダニエルよ、恐れることはない。神の前に心を尽くして苦行し、神意を知ろうとし始めたその最初の日から、お前の言葉は聞き入れられており、お前の言葉のためにわたしは来た」と言いました。「苦行」とは断食のことです(3節)。

 

 そして、ダニエルが嘆きの祈りをしていた三週間、ペルシア王国の天使長が神の使いを妨げたけれども、大天使長ミカエルが助けてくれたので、ペルシアの王たちのところにいる必要がなくなり(13節)、ダニエルのところに将来起こるであろうことを知らせるメッセージを届けに来たと続けました(14節)。

 

 「主のようなお方」と話すのは、とても畏れ多いことだったので、力は失せ、息も止まりそうなことでしたが(17節)、その人がダニエルに触れて力づけ(18節,16節も)、「恐れることはない。愛されている者よ。平和を取り戻し、しっかりしなさい」(19節)と言われて、力を取り戻しました。

 

 彼は、「今、わたしはペルシアの天使長と闘うために帰る。わたしが去るとすぐギリシアの天使長が現れるであろう。しかし、真理の書に記されていることをお前に教えよう。お前の天使長ミカエルのほかに、これらに対してわたしを助ける者はないのだ」(20,21節)と言いました。

 

 ここに、各国にその国を守る守護天使がいるという考えが言い表わされています。そして、ペルシアの守護天使が、ダニエルに神の御旨を告げようとしてやってくる神の使いを妨害していたというわけです。

 

 それは、ペルシアにとって都合の悪いこと、つまり、やがてペルシアは滅亡する、神の民が勝利するというメッセージだったと思われます。それで、ダニエルのもとに遣わされた神の使いに対して、ペルシアの守護天使が神の御旨に反して抵抗したわけです。ただ、いかに抵抗しても、神の御旨に背く者に勝ち目はありません。

 

 改めて心に留めておきたいのは、「神の前に心を尽くして苦行し、神意を知ろうとし始めた最初の日から、お前(ダニエル)の言葉は聞き入れられて」(12節)いたと言われていたことです。それは、初めの日に聞き入れられていたので、三週間も嘆き祈ることは必要がなく、無駄だった、意味のないことだったということではありません。

 

 むしろ、彼の祈りがあったからこそ、「主のようなお方」がダニエルのもとに遣わされたのであり、それがペルシアの天使長の抵抗によって妨げられていると、大天使長ミカエルが助けに来たという結果を生み出したわけです。

 

 それは、執り成しの祈りがなければ天使たちが働けないということではないでしょう。しかし、ダニエルは嘆きの祈りによって、このような目に見えない天の戦いに参加していたわけです。そして、祈っていたからこそ、民の将来に関するメッセージをもたらしていただくことが出来たのであり、それで、「平和を取り戻し、しっかりする」(19節)ことが出来るのです。

 

 これは、エジプトを脱出したイスラエルの民とアマレク人との闘いに、勝利をもたらしたモーセの祈りを思い起こします(出エジプト記17章8節以下)。神の力を持ってすれば、アマレクを一撃で打ち倒すことは容易いことですが、モーセが祈りの手を上げ、アロンとフルがその手が下がらないよう両側から支えることで(同12節)、イスラエルがアマレクに勝利するようにされたのです(同13節)。

 

 ペルシアの次にはギリシアがやって来ます(20節)。イスラエルはギリシアの支配の下で苦しめられます。主を礼拝することもままならないような状況に陥ります。しかし、祈る者のために、神は助けを用意してくださいます。

 

 「あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。わたしを尋ね求めるならば見出し、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしに出会うであろう」(エレミヤ書29章12~14節)と主は言われているのです。

 

 主イエスも、「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる」(マタイ福音書7章7,8節)と言われました。

 

 祈りましょう。主を求めましょう。主の御言葉を聴きましょう。聖霊の導きに与り、御言葉を聴いて行う者にしていただきましょう。

 

 主よ、絶えず私たちを守り導いてくださり、有難うございます。どうか、私たちの国を憐れみ、この国の民に目を留めてください。皆が平和を取り戻し、しっかりと立つことが出来ますように。そのために、私たちの耳を開き、主の御声を聴かせてください。目を開き、主の御業を拝させてください。心を開き、主の御旨を悟らせてください。 アーメン

 

 

「これらの指導者の何人かが倒されるのは、終わりの時に備えて練り清められ、純白にされるためである。まだ時は来ていない。」 ダニエル書11章35節

 

 「さて、お前に真理を告げよう」(2節)と言われ、10章1節でダニエルに啓示されていた「一つの言葉」の内容が、ここで明らかにされます。それは、ペルシアに4人の王が出た後、ギリシアに勇壮な王が立って世界を治めるようになること(3節)、けれども、帝国が四つに分裂すること(4節)、その後、南と北二つが覇権を争い、離合集散を繰り返すことです(5節以下)。

 

 これは、固有名詞こそあげられていないものの、ペルシアからギリシア時代の歴史的事実とつき合わせることが出来ます。3節の勇壮な王はアレキサンダーのことで、彼の後、ギリシア帝国は分裂し、シリアを中心とする「北の国」と、エジプトを中心とする「南の国」の間に、様々な画策、戦いがなされます。17節の「娘」はクレオパトラです。

 

 そして、21節に出てくる「卑しむべき者」は、これまでも繰り返し述べられているアンティオコス4世(アンティオコスⅣ・エピファネス)のことです。彼はエジプト軍を撃破してパレスティナの覇権を握り、その勢いを駆ってエジプトに攻め込みますが(29節)、すんでのところで勝利することが出来ませんでした。

 

 「キティムの船隊」と呼ばれているローマ軍の介入により、追い返されます(30節)。エジプトからの帰還途中、イスラエルの反乱軍の存在を知り、それを武力で制圧します。30節の「聖なる契約に対し、怒りを燃やして行動し」というのが、そのことです。そして、反乱の芽を摘むにはイスラエルの宗教を破壊してしまうことだと、徹底的な弾圧を行いました(31節以下)。

 

 32,33節に「自分の神を知る民は確固として行動する。民の目覚めた人々は多くの者を導くが、ある期間、剣にかかり、火刑に処せられ、捕らわれ、略奪されて倒される」と記されています。圧倒的な権力者の弾圧によって処刑され、倒されるけれども、それにも怯まず、おのが信仰を守り通した人々がいるというのは、私たちに希望と勇気を与えます。

 

 しかし、「こうして倒れるこの人々を助ける者は少なく、多くの者は彼らにくみするが、実は不誠実である」(34節)と言われ、著者はこのような表現を通して、本当の救いは、人から、人の力によってではなく、主なるまことの神から来る、と語りたいのではないでしょうか。

 

 冒頭の言葉(35節)に「まだ時は来ていない」とあります。それは、「終わりの時」と言われる、真の主なる神を礼拝する神の民イスラエルが回復されるときのことです。その「時」は、武力で獲得されるのではなく、歴史を導かれる神によってもたらされるのです。そのときまで、なおイスラエルの苦難は続きます。指導者の多くが殉教します(33,35節)。

 

 そのような苦しみの目的をここでは、「終わりの時に備えて練り清められ、純白にされるためである」と示しています。誰も苦難を望みはしません。しかし、苦難を通して信仰が試され、確かめられ、鍛えられることも確かです(イザヤ書48章10節、ヘブライ書12章5節以下)。そうして、ますます強く神を待ち望むようになります(詩編42編6,12節、119編147節、130編5節など)。

 

 パウロも、「苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを」(ローマ書5章3,4節)と言いました。また、「あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです」(フィリピ書1章29節)と語ります。

 

 さらに、弱い私たちのために、神の御霊も切なる呻きをもって執り成し、助けてくださいます(ローマ書8章26節)。それによって神は、必ずすべてのことを益に変えてくださるという恵みを味わわせて下さるのです(同8章28節)。

 

 主を信じ、御言葉を待ち望みましょう。主を待ち望む者のために、主は新たな力をお与えくださり、それによって鷲のように翼を張って上ることが出来るからです(イザヤ書40章31節)。

 

 主よ、私たちを「自分の神を知る者」となし、「確固として行動」させてください。「目覚めた者」として多くの者を導かせてください。主よ、あなたを信じます。弱い私たちを助けてください。主の御心がこの地になされますように。 アーメン

 

 

「そのとき、大天使長ミカエルが立つ。彼はお前の民の子らを守護する。そのときまで苦難が続く。国が始まって以来、かつてなかったほどの苦難が。しかし、そのときには救われるであろう、お前の民、あの書に記された人々は。」 ダニエル書12章1節

 

 11章45節に「ついに彼の終わりのときが来る」と記されていました。それは、セレウコス朝シリアの王アンティオコスⅣ・エピファネスに苦しめられていたイスラエルの民が待ち望んでいた瞬間でした。

 

 アンティオコスⅣの反ユダヤ主義に反発して反乱が起こり、紀元前164年12月にシリア軍を撃破、ゼウス神殿とされていたエルサレムの神殿を清め、再奉献しました。この出来事を記念して、今日も「ハヌカー」というユダヤ教の祭りが行われています。

 

 その後、自軍の撃破の知らせを受けて、アンティオコスⅣが自ら軍を率いてユダヤに侵攻しようとしましたが、道半ばで急死しました。紀元前163年のことです。それから20年後の紀元前143年にシリア軍が完全に撤退、この独立戦争を率いてきたハスモン家による統治を記念する貨幣を発行し、ローマと外交関係を結ぶなどして、イスラエルの独立が達成されました。

 

 しかしそれは、永遠の御国の到来などではありませんでした。紀元前63年当時、王権を巡ってヒルカノス(兄)とアリストブロス(弟)の間で内紛があり、そこにつけ込んだローマが、優秀なアリストブロスよりもヒルカノスの方が懐柔しやすいと考えて支援し、アリストブロスは死に追い込まれます。かくてイスラエルは、自治を認められながら、ローマの属州シリアの一部となりました。

 

 ダニエルが預言した、大天使長が立ち上がってイスラエルを守護し(1節)、多くの者が塵の中の眠りから目覚め(2節)、そして、目覚めた人は大空の光のように輝く(3節)という出来事は、いまだ実現してはいません。

 

 それはいつ、どのようにして起こるのか、まだ分かりません。ダニエルが「これらのことの終わりはどうなるのでしょうか」(8節)と尋ねたとき、「終わりのときまでこれらのことは秘められ、封じられている」(9節)という答えが返ってきて、人には明かされないことが示されます。

 

 冒頭の言葉(1節)に、「そのときまで、苦難が続く」という言葉があります。聖書が終りのときを描くとき、そこには常に苦難が起こることが語られます(マタイ福音書24章、マルコ福音書13章など)。

 

 しかし、最後には必ず神が勝利すること、信仰を守った者には栄光の冠が与えられることが約束されます(第二テモテ書2章8節以下、10節、ヤコブ書1章12節など)。主イエスも、「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(ヨハネ福音書16章33節)と言われました。

 

 これはしかし、単なる苦難というよりも、信仰を持っているからこその苦難と考えられます。そして、その苦難に打ち勝ってこその栄光であると言われているわけです。古い英語の諺で、「No Cross, No Crown(ノークロス、ノークラウン=十字架なしに栄冠なし、苦しまずして栄光を得ることは出来ない)」というとおりです。

 

 ただ、ギリシアの属領となったことも、ローマの属領となったことも、深い意味があったと思います。ギリシア帝国時代、エジプト・アレクサンドリアにいたユダヤ人たちが、ギリシア語の旧約聖書を作りました。

 

 セプチュアジンタ(70人訳)と呼ばれるものですが、初代のクリスチャンたちは、このギリシア語訳旧約聖書を用いて、ヨーロッパをはじめ広く世界の福音宣教に赴きました。ヘレニズム文化が広く行き渡っていたからこそ、そのような宣教が出来たと考えられます。

 

 そして、ローマの支配下で主イエスの誕生、十字架と復活の出来事は起こりました。もし、ローマの支配下でなければ、ナザレにいたヨセフとマリアが、住民登録のためにベツレヘムに向かうということはなかったでしょう。そうなれば、主イエスがベツレヘムでお生まれになることもなかったわけです。

 

 そしてまた、ローマの支配下でなければ、キリストが十字架の死を遂げることもありませんでした。イスラエルでは、神を冒涜したとされる者は石を投げられて処刑される石打ちと呼ばれる死刑の方法がとられていました。十字架刑は、ローマの死刑の方法だったのです。

 

 つまり、旧約の預言成就のために、ローマの支配が欠かせなかったことになります。そして、広い地域の交通の安全がある程度保証されていたので、安心して伝道旅行をすることが出来たということも、ローマ帝国の支配の賜物と言ってよいでしょう。

 

 神は確かにすべてのことを益として下さいます。どんなマイナスもプラスに変えられるのです。今日も全知全能の主を見上げ、主に信頼して歩みましょう。

 

 主よ、あなたの勝利を信じます。常に、主の愛と平和が全世界に、私たちの住む町に、それぞれの家庭にありますように。特に、災害に見舞われた地域には、慰めと平安、助けが豊かにありますように。そのマイナスがプラスになりますように。 アーメン

 

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2014年8月6日サイト開設