サムエル記下

 

 

「ダビデは彼に言った。『主が油を注がれた方を、恐れもせずに手にかけ、殺害するとは何事か。』」 サムエル記下1章14節

 

 アマレクをうち破って略奪されていたものをすべて取り返し(サムエル上30章参照)、ツィクラグに戻っていたダビデのもとに(1節)、サウルとヨナタンの戦死の報がもたらされました(4節)。

 

 メッセンジャーは、なんとダビデたちが住んでいたツィクラグを襲ったアマレクの若者でした(8節)。彼は、その略奪隊の一員ではなく、むしろ、サウル軍に傭兵として参加していた可能性が高いと思われます。

 

 だから、彼はイスラエル軍がペリシテ軍に対峙して陣取ったギルボア山にいて、サウルの最期を見届けることになったのでしょう(6節)。そのうえ、なんとそこで、傷ついたサウル王に乞われて最後のとどめを刺す役割を果たし、サウルがつけていた王冠と腕輪をダビデに届けに来たというのです(9,10節)。

 

 けれども、アマレクの若者がサウルのとどめを刺したという部分は、サムエル記上31章3~5節の記事と食い違っています。これは恐らく、ダビデから報償をせしめるために、そのような話を作り上げたのではないかと思われます。サウルの遺体から王冠と指輪をとった若者は、一人遺されたサウルの息子イシュ・ボシェトのところにではなく、ダビデのところにそれを持って来ました。

 

 この若者は、サウルがダビデを敵視していたことを知っていたわけです。そして、サウル亡き後、サウルの子らではなく、ダビデが新しい王となるものと考えていたのでしょう。だから、サウルの死を報告し、その証拠にサウルの王冠と腕輪を届けることで、ダビデはきっと喜び、褒美を貰うことが出来ると考えたのだと思います。

 

 もしもダビデが、王位を奪うためにサウルの死を願うような人物であれば、この知らせに歓喜の涙を流し、アマレク人に褒美を取らせたかも知れません。しかしながら、かつて2度までも神によってサウルの命を手の中に渡されながら、主が油注がれた者に手を下すことをよしとせず、かえって、すべてを主の手に委ねてきたダビデです(サムエル記上24,26章)。

 

 勿論、ダビデに王となる意志がなかったとは思いません。また、サウルから逃れ、国を離れてペリシテの地に降り、ツィクラグで寄留の生活をしなければならなかったのは、辛いことだったろうとは思います。

 

 けれどもダビデは、サウルを退けるのは、彼に油を注いで王としてたれられた主なる神のなされることであって、人が神に代わることは出来ないと、堅く考えていたのです。それは「主が油を注がれた方に手をかければ、罰を受けずには済まない」、「主がサウルを打たれるだろう。時が来て死ぬか、戦に出て殺されるかだ」(サムエル記上26章9,10節)というダビデの言葉に明示されています。

 

 ダビデは、戦死したサウルとヨナタン、多くの兵士とイスラエルの民のことを思って夕暮れまで断食した後(12節)、若者を呼び出し、冒頭の言葉(14節)の通り、「主が油を注がれた方を、恐れもせずに手をかけ、殺害するとは何事か」と言い、従者に彼を討たせました(15節)。

 

 主に油注がれたサウルに手をかけた者は誰であろうと、それがどのような状況であろうと、許されるものではなかったのです。若者は、褒美をもらえるどころか、全く思ってもみなかったダビデの言葉に腰を抜かしたことでしょう。そして、サウルを殺害したというのは嘘だったと弁明しようとしたかも知れません。しかし、後悔先に立たず、すべては後の祭りでした。

 

 ただ、サウルが主によって油注がれた王であり、従って、サウル王の生殺与奪の権はただ主の御手にのみあるのであって、それに手を出したということは、王を殺害したという罪に加え、神の主権を侵す反逆の罪を犯したということになったのです。 

 

 ここに、ダビデが王位について、神の油注ぎについて、どれほど重く考えているかということが伺えます。それは、ダビデ自身、油注がれた者だからであり、そして、誰よりも主を畏れる者だからです。

 

 油注がれた者とは、メシア=キリストということです。主イエスは、ご自身を十字架に追い遣り、命を奪おうとしている者のために、「父よ、彼らをお赦しください」(ルカ23章34節)と祈られ、そして、罪の呪いをご自分の身に引き受けてくださいました。

 

 私たちは、主イエスの命によって贖われ、罪赦され、御霊の導きによって信仰を言い表し、神の子とされ、永遠の命に与りました。それは、考えることも出来ないほどの驚くべき恵み(Amazing Grace)です。

 

 神の子に与えられている特権、力、資格というものがどれほどのものであるのか、悟らせていただきましょう。それをもって私たちに委ねられている使命を全うするため、絶えず主の御声に耳を傾けましょう。主の御顔を仰ぎましょう(ヨハネ1章12節、エフェソ1章17節以下)。

 

 主よ、私たちは、恵みによって主イエスを信じる信仰に導かれ、神の子とされました。どれほどの愛を頂いていることでしょう。それは、独り子を犠牲にするほどの愛です。どうしてそれを徒に受けることが出来るでしょうか。あなたを畏れます。常に光の子として、御言葉の光の内を歩むことが出来ますように。聖霊に満たされ、主の使命を果たすことが出来ますように。 アーメン

 

 

「ユダの人々はそこに来て、ダビデに油を注ぎ、ユダの家の王とした。ギレアドのヤベシュの人々がサウルを葬ったと知らされたとき」 サムエル記下2章4節

 

 サウルの死後、ダビデは主に託宣を求めて「どこかユダの町に上るべきでしょうか」と尋ねると、主は「上れ」と言われます。「どこへ上ればよいのでしょうか」と聞くと、「ヘブロンへ」とお答えになりました(1節)。

 

 そこで、主に告げられたとおり、二人の妻や従っていた兵とその家族を伴って、ガトの王アキシュから与えられたツィクラグから、北東方向約30kmのヘブロンに上って来て、そこに住まいを構えました(2,3節)。

 

 ヘブロンは、アブラハムと妻サラをはじめイスラエルの父祖たちが滞在し、生活していた場所であり、また葬られた墓所のある町です(創世記23章、25章10節、35章27,28節、50章13節)。ダビデはこの町から、イスラエルの王となる道を歩み始めるのです。

 

 冒頭の言葉(4節)のとおり、ダビデが戻って来たことを知ったユダの人々が、ヘブロンに集まって来ました。そして、ダビデに油を注いで、ユダの王としました。かつて主に選ばれ、サムエルによって油注がれていたダビデは(サムエル記上16章13節)、いよいよここに、王として立てられて油注がれる者となったのです。

 

 ユダの人々が集まったということは、かつてダビデをサウルに売り渡そうとしたジフやケイラの町の人々も、そこにいたことでしょう(同23章11節以下、19節以下、26章1節参照)。それを忘れるダビデではないと思いますが、それを恨みに思うことはなかったのでしょうか。

 

 けれども、そのようなことには全く触れられていません。サウルに売った人々に仕返しをしようというような動きもありません。この後、そうしたことが思い出されることもありません。それこそ、ダビデが人間的な思いではなく、主の御旨に従って歩んでいる証拠といってもよいでしょう。

 

 また、ギレアドのヤベシュの人々がサウルを葬ったと聞き(4節)、ダビデは使者を遣わして彼らを労い、主の祝福を祈ります(5,6節)。その際、「主君サウルに忠実(ヘセド)を尽くし」(5節)たので、「主があなたがたに慈しみ(ヘセド)とまこと(エメト)を尽くしてくださいますように」(6節)という言葉遣いで、彼らの忠誠に主が応えてくださると祝福しているのです。

 

 そこには、彼らの忠誠にもはやサウルが応えることができないということも含まれているのかも知れません。それで「わたしも、そうしたあなたがたの働きに報いたいと思います」(6節)と告げ、サウルに代わって自分がという思いを伝えているのです。しかしながら、いまだダビデはサウルの正統な後継者ではありません。

 

 それで、「力を奮起し、勇敢な者となってください。あなたがたの主君サウルは亡くなられましたが、ユダの家はこのわたしに油を注いで自分たちの王としました」と語ります(7節)。

 

 この言葉で、自分がユダの王とされたことに言及しているのは、王としての立ち場で、サウルの葬りのために奮起し、勇敢に働いたヤベシュの人々に報いたいということでしょう。そして、そのためには、ギレアドのヤベシュの人々の力が必要で、ダビデがサウルの後継者となれるよう、協力して欲しいという思いを込めているのです。

 

 ところが、サウルの軍の司令官だったアブネルが、サウルの4男イシュ・ボシェトを担いでヨルダン川東部のギレアドの地マハナイムに移り(8節)、そこで、ユダを除く全イスラエルの王としました(9節)。当然、ヤベシュの人々も、イシュ・ボシェトに従う者となったのです。

 

 ここで、「イシュ・ボシェト」というのは「恥の人」という意味です。歴代誌上8章33節には、「エシュバアル」と記されています。それは、「バアル(主)の人」、あるいは「主はいます」という意味です。おそらく、こちらが真の名前でしょう。それがここで、「イシュ・ボシェト」に変えられているのは、「バアル」がカナンのバアル神を思わせるからです。

 

 イスラエルの王たちがまことの神に背いてバアルを礼拝し、それが国を滅ぼす原因となりました。預言者たちは、そのような王の姿勢を痛烈に非難しました。それで、「恥の人」を意味する名で呼ばれるようになったわけです。

 

 また、イシュ・ボシェトは王とされてはいるものの、司令官アブネルに完全に実権を握られ、彼の思いのままにされることになるので(3章6節)、人々から実際にそのようにあだ名されたのかもしれません。

 

 こうして、サウルのもとに一つになっていたイスラエルが、その死後、二つに分裂してしまいました。これでは、隣りの強敵ペリシテに立ち向かうことは出来ません。だから、ベニヤミンに属するギブアやベテルなどではなく、ペリシテから遠いヨルダン川東のギレアドの地、マハナイムが首都に選ばれたわけです。

 

 マハナイムとは、「二つの陣営」という意味ですが(創世記32章3節)、実にユダの王ダビデの住むヘブロンの他にもう一つ、マハナイムにイスラエルの王イシュ・ボシェトがいる都が出来たのです。

 

 けれども、そこには神に託宣を求めることもなく、祭司によって油注がれるでもなく、サウルの息子の名を用いて軍の司令官アブネルが興した王朝です。ダビデとイシュ・ボシェト、どちらの王朝を主なる神が支持されるか、火を見るより明らかでしょう。

 

 神が味方されるのは、集まっている兵の多少などにはよりません。繰り返し学んでいるように、神が喜んでくださるのは犠牲の多さなどではなく、主の御声に聞き従うことであり、神の御前に打ち砕かれ、悔いる心なのです(サム上15章22節、詩51編19節)。

 

 その後、イスラエルとユダの家の間に戦いが起こり、それは、聖書の表現以上に激しいもので、簡単に決着のつかないことだったようですが、3章1節に「ダビデはますます勢力を増し、サウルの家は次第に衰えていった」と報告されています。

 

 あらためて信仰の基礎固めとして、謙って日々の御言葉に耳を傾け、心を新たにして、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりたいと思います(ローマ書12章2節)。そして、絶えずその御心に従順に歩みたいと思います。

 

 主よ、人の心には様々な計画がありますが、ただ主の御旨だけが堅く立つということを教えられます。日毎に御旨を尋ねて御前に進み、その御声に耳を傾け、導きに従って、絶えず喜びと感謝をもって忠実に歩むことが出来ますように。絶えず聖霊の満たしと導きをお与えください。 アーメン

 

 

「王はアブネルを悼む歌を詠んだ。『愚か者が死ぬように、アブネルは死なねばならなかったのか。」 サムエル記下3章33節

 

 イスラエルの実権を握っている軍の司令官アブネルが(6節)、サウルの側女リツパと通じたことを、イシュ・ボシェトが咎めました(7節)。前王の側女を自分のものにするというのは、その王位を継承することを意味していたのです。名ばかりとはいえ、王であるイシュ・ボシェトが咎めるのは当然ですが、しかし、それはアブネルを激怒させただけでした。

 

 「今日までわたしは、あなたの父上サウルの家とその兄弟、友人たちに忠実に仕えてきまた。あなたをダビデの手に渡すこともしませんでした」(8節)と語るアブネルの言葉から、完全に立場が逆転していて、イシュ・ボシェトを殺すも生かすもアブネルの意のまま、イシュ・ボシェトはアブネルの傀儡に過ぎないということが示されます。

 

 実際、イシュ・ボシェトはアブネルを恐れて、言葉を返すことも出来ません(11節)。アブネルは、王権をダビデに渡すと宣言します(10節)。ダビデの勢力が増し、サウルの家が次第に衰えていくのを見て(1節)、勝ち馬に乗るつもりだったのでしょう。

 

 さらには、ダビデが全イスラエルの王となると、その功績でダビデが自分をイスラエル全軍の司令官に取り立ててくれるはずだという思いもあったのではないでしょうか。

 

 しかし、アブネルはダビデと契約を結ぶ話し合いに来て(19節)、ダビデの軍の司令官ヨアブに殺されてしまいました。ヨアブはアブネルをスパイだと言い(25節)、このまま放ってはおけないと考えたのです。あるいは、アブネルがダビデと契約を結べば、軍の司令官の地位を追われるのではないかと考え、それを嫌ったのかも知れません。

 

 しかし、真の理由は、ダビデ軍とイシュ・ボシェト軍のつばぜり合いで、ヨアブの弟アサエルがアブネルに殺されていたので、その仇を討つことだったのです(27、30節、2章18節以下)。しかし、権力争いであれ、弟の仇討ちであれ、そのような暴力が真の平和を生み出すことはありません。

 

 暴力に暴力で応ずると、更なる暴力の連鎖を産み出すというのは、テロ行為に対する反撃が報復に報復を産み、各地でその戦闘が泥沼に陥り、なかなか出口を見出すことができないといったところに、如実に示されているといってよいでしょう。ヨアブがアブネルを暗殺した結果、ダビデとアブネルの契約によるイスラエルの平和的統一は、ご破算になってしまいました。

 

 ダビデは冒頭の言葉(33節)の通り、アブネルの死を悼み、「勇将が愚か者のように死んだのはなぜか」と歌いました。これは、アブネルの死が、イスラエルとユダとの戦いによるものではなく、偽りの策略によるものであり、自分はそれに関わっていないことを表しています(37節も参照)。そして、そのような策略に愚かしくも引っかかってしまったのは何故かと問うているのです。

 

 アブネル自身も、まさか自分が殺されようなどとは、考えてもいなかったのでしょう。そこに、油断がありました。ダビデと契約を結び、全イスラエルの軍の司令官になろうといった野心のために、周りが見えていなかったのかもしれません。つまり、自分の策に溺れていたわけです。

 

 アブネルに限らず、誰であっても、欲に目がくらみ、また、恨みや怒りに心が燃えているときには、なかなか正常な判断は出来ないものです。その意味では、ヨアブも同罪ですし、私にも、彼らに石を投げる資格があるとは、到底思えません。

 

 2節以下に「ヘブロンで生まれたダビデの息子」の名が列挙されています。ここには、アヒノアム、アビガイルに加え、4人の女性を妻として迎えています。サウルの娘ミカルと併せ、7人の女性を妻としたことになります。その中で興味深いのは、3男アブサロムの母となったゲシュルの王タルマイの娘マアカという女性です(3節)。

 

 ゲシュルというのは、ガリラヤ湖東岸地域ですから、イシュ・ボシェトのいるマハナイムの北に位置します。つまり、ギレアドのマハナイムにいるイシュ・ボシェトを挟撃するために、ゲシュルの王女を妻に迎えたというかたちです。しかしながら、ためにする結婚で、幸いを産み出すことは出来ないようです。というのは、後にマアカの子アブサロムが父ダビデに弓引くことになるからです(15章以下)。

 

 心を鎮めて、神の前に出ましょう。御言葉に耳を傾けましょう。御言葉通りに歩む以外に、おのが道を清く保つことは不可能です(詩編119編9節)。主は、「お前たちは、立ち帰って、静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある」(イザヤ書30章15節)と言われます。主に信頼し、岩、砦、逃れ場なる神に救いを求め(詩編18編3節)、祈りましょう。

 

 主よ、あなたはその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません。私たちの灯火を輝かし、闇を照らしてくださいます。主の他に神はありません。神の他に私たちの岩はありません。主こそ命の神です。主を崇め。御名を褒め讃えます。 アーメン

 

 

「サウルの子ヨナタンには両足の萎えた息子がいた。サウルとヨナタンの訃報がイズレエルから届いたとき、その子は五歳であった。乳母が抱いて逃げたが、逃げようとして慌てたので彼を落とし、足が不自由になったのである。彼の名はメフィボシェトといった。」 サムエル記下4章4節

 

 アブネルが死んだという知らせが届くと、王イシュ・ボシェトは落胆し、全イスラエルは怯えました(1節)。それまでも、ダビデ率いるユダは勢力を拡大し、イスラエルは力を落としていました(3章1節)。軍の長を失ったイスラエルに対してどのような行動に出るのか、サウルの家をどのように扱おうとするのか、人々は戦々恐々その成り行きを見守っていたことでしょう。

 

 ところが、なんとイスラエル軍の略奪隊の隊長二人が、昼寝をしていた王イシュ・ボシェトを暗殺したのです(2,5,6節)。寝首を掻くとは、当にこのことです。そうして、彼らはイシュ・ボシェトの首を土産に、ダビデのもとを訪ねました(7節)。

 

 彼らは、軍の司令官であり、イスラエルの実質上の最高権力者であったアブネルが死んだ今、イシュ・ボシェトに仕えるより、ダビデに仕える方がよいと考えたのでしょう。そして、ダビデに仕官を申し出るに際し、サウルの子イシュ・ボシェトの首を差し出せば、ダビデの覚えもよく、もしかすると報償も期待出来ると考えていたのだろうと思います。

 

 けれども、彼らに与えられたのは死でした(9節以下)。二人は「ベニヤミンの者」(2節)と記されているので、サウル、イシュ・ボシェトとは同族です。悲しいかな、イシュ・ボシェトは同族の者に殺されたのです。そして、イシュ・ボシェトに手をかけた二人は、自分で蒔いた種を刈り取らなければなりませんでした。

 

 イシュ・ボシェトを暗殺した二人を処罰したダビデの態度で、全イスラエルはどんなに安心したことでしょうか。それは、先にイスラエル初代の王サウルのとどめを刺したというアマレク人を処罰したときと同じです(10節、1章13節以下)。

 

 しかも、ダビデはイシュ・ボシェトのことを、「自分の家の寝床で休んでいた正しい人」と言っています(11節)。イシュ・ボシェトは、アブネルによって擁立された王であって(2章8節)、サウルやダビデのように主に選ばれ、主の祭司によって油注がれたというわけではありませんが、しかし、後見人のアブネルを失ったからといって、イシュ・ボシェトが二人に殺される理由はなかったというのです。

 

 「正しい人を神に逆らう者が殺したのだ。その流血の罪をお前たちの手に問わずにいられようか」(11節)というダビデの言葉のとおりに二人を処刑することで(12節)、ここでもまた、ダビデがイスラエルの王位を狙って、軍の司令官アブネルや王イシュ・ボシェトを殺害させたわけではないこと、むしろ、サウルの家を重んじているということが示されました。

 

 ところで、冒頭の言葉(4節)で唐突に、「サウルの子ヨナタンには両足の萎えた息子がいた」という報告があります。サウルの子イシュ・ボシェトが暗殺されたため、サウル家の生き残り、正統な後継者はそのヨナタンの子一人になったということなのでしょう。

 

 ところが、そのとき5歳であったヨナタンの息子は、サウル、ヨナタン共に戦死の知らせを受け、乳母が抱いて逃げようとしたときに誤って落としてしまい、彼は両足に障害を負ってしまいました。だからというわけでもないでしょうけれども、イスラエルの人々がサウル家の生き残りを探し出して、イシュ・ボシェトの後継者にしようという動きにならなかったわけです。

 

 ダビデはヨナタンと、そしてまたサウルとも、彼の家を永遠に慈しむという約束していました(サム上20章15節、24章22節)。だから、ヨナタンに息子があったことを知っていれば、もっと早く保護の手を伸べていたと思います。しかし、その存在が分からなかったのは、息子が司令官アブネルを恐れて隠れていたからでしょうか。それとも、ユダの王ダビデを恐れていたのでしょうか。

 

 息子の名は、「メフィボシェト」といいます。メフィボシェトは、歴代誌ではメリブ・バアルと呼ばれています(歴代誌上8章34節、9章40節)。それは、「主に愛される者」という意味です。

 

 イシュ・ボシェト(エシュバアル)と同様(2章8節、歴代誌上8章33節)、メリブ・バアルの方が本来の名前でしたが、バアルがカナンのバアル神を連想させることと、サウルの子孫ということもあり、記者が、「恥を振りまく者」という意味のメフィボシェトという名前に変えたものと考えられています。

 

 メフィボシェトは、後にダビデによって見出され(9章1節以下)、やがてダビデと共に食卓について食事をすることになります(同7節)。そのときメフィボシェトは、「僕など何者でありましょうか。死んだ犬も同然のわたしを顧みてくださるとは」と言っています(同8節)。

 

 ここに、神の国に迎えられる資格のない私たちが、主イエスを信じて主と共に食卓につく神の子とされるという福音の恵みが、予め示されているかたちです。罪のために両手両足の萎えている私たち、目が見えず、耳が聞こえなくなっていた私たちを、主なる神が深く憐れみ、天の交わりに加えてくださるために御子キリストの十字架の死により、救いの道を開いてくださったのです。

 

 計り知れない恵みをお与えくださる主に心から感謝し、この年も、主の御前に謙遜になるのは勿論のこと、何より主の御声に耳を傾け、その召しに相応しく歩み働く者とならせて頂きましょう。

 

 主よ、私たちは文字通り、イシュ・ボシェト(恥の人)であり、また、メフィボシェト(恥を振りまく者)です。しかるに、主は私たちをご自分のものと呼び、主に愛される者としてくださいます。その恵みに感謝します。どうか、主を愛し、主に信頼して生きる者となることが出来ますように。絶えず御顔を拝し、御言葉に耳を傾けます。御霊に満たし、ご用のために用いてください。 アーメン

 

 

「ダビデはヘブロンで主の御前に彼らと契約を結んだ。長老たちはダビデに油を注ぎ、イスラエルの王とした。」  サムエル記下5章3節

 

 ダビデは、神の人サムエルから、王としての油注ぎを受けましたが、自ら王になろうとはしませんでした。王になるために、前の者を押しのけようとはしませんでした。ダビデが王になったのは、すべてダビデと共におられた主なる神の導きでした。力を用いず、策略を用いず、ただ神の選び、神の油注ぎのゆえに、王とされたのです(サムエル記上16章12,13節)。

 

 ダビデは優れた軍人でした。勇敢な戦士でした。戦術の心得もありました。言葉に分別があって外見もよく、竪琴を巧みに奏で、詩を作る才にも長けていました(同16章18節)。しかし、そのように有能だから、王として選ばれたのではありません。ダビデが主の御旨を尋ね求め、主に素直に聴き従う者だからこそ、神に立てられて王とされたのです。

 

 ダビデがイスラエルの王とされたのは「30歳」のときです(4節)。30歳は、祭司が臨在の幕屋で仕事に就くことが出来る年齢です(民数記4章3節など)。また、ダビデの子と呼ばれるメシア=キリストなる主イエスも、公生涯に入り、福音を宣べ伝え始めたのは、およそ30歳だったと言われています(ルカ3章23節)。

 

 ダビデは、少年の日にサムエルによって油注がれてから、およそ20年を過ごしてきたわけです。この長きに亘って主に従って歩み、王となることが出来たのは、勿論ダビデ一人の力ではありません。両親から信仰を学んだことでしょう。また、信仰篤き友であり、義兄となったサウルの子ヨナタンが、ダビデを励ましました。

 

 ダビデは、40年に亘ってイスラエルを治めました(4節)。それは、出エジプトの民がシナイの荒れ野を旅した期間に相当します(出エジプト記16章35節など)。モーセが荒れ野で民を率いている40年間、主が共におられて何一つ不足するものはなかったと、申命記2章7節に記されています。同様に、ダビデを選ばれた主は、絶えず恵みをもってイスラエルを導かれたのです。

 

 主に油注がれ、使命が与えられた者には、必要な知恵や力が備えられます。このことは、自分の器にあった働きを願うというのではなく、委ねられている使命を果たすのに必要な賜物が与えられるよう祈るということが教えられているのです。

 

 ダビデが主によって油注がれた者であることは、今や全イスラエルの民の認めるところとなりました。2節に「主はあなたに仰せになりました。『わが民イスラエルを牧するのはあなただ。あなたがイスラエルの指導者になる』と」と記されていますが、これは、ヘブロンにいたダビデのもとにイスラエルの全部族が集まり、ダビデに語った言葉でした。

 

 かくて、冒頭の言葉(3節)のとおり、ユダの王とされていたダビデは、ヘブロンにおいて主の御前に民と契約を結び、イスラエルの長老たちの手により、全イスラエルの王として油注がれました。かくて、サムエルによって油注がれて以来、三度目の油注ぎを受け(サムエル記上16章13節、サムエル記下2章4節)、名実共にイスラエル12部族を統括する王となったのです。

 

 ダビデは、エブス人の町であったシオンの要害(=エルサレム)を陥落させ(7節)、そこに住んでこれをダビデの町と呼び、町の周囲に城壁を築きました(9節)。ここは、ユダとベニヤミンの境界に位置し、イスラエルとユダを統治するのに相応しい場所でした。

 

 やがて、隣国ティルスの王ヒラムがダビデに使節を送って来て、エルサレムに王宮が建てられました(11節)。こうして、ダビデの王権は、いよいよ堅く打ち立てられていきました(12節)。これからバビロンによってエルサレムが陥落させられるまで、400年に及ぶダビデ王朝がスタートしたのです。

 

 後に、ダビデの子孫としてベツレヘムにお生まれになった主イエス・キリストは(マタイ2章5節、ルカ2章4節以下)、エルサレム城外のゴルゴタの丘で十字架にかかり(マタイ27章33節など)、葬られ(同27章57節以下)、三日目に罪と死にうち勝って甦られました(同28章1節以下)。

 

 その後、この町にいた120人のキリストの弟子たちに聖霊が激しく降り(使徒言行録2章1節以下)、彼らが大胆に福音を語り始めた結果、3000人もの人々が救われ、教会が形作られました(同2章41,42節)。ここから弟子たちは散らされて、全世界にキリストの福音が宣べ伝えられて行ったのです。

 

 それは主イエスが、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」と語られたとおりのことです(同1章8節)。

 

 私たちもこの年、私たちの主イエス・キリストの愛と平和の福音を、私たちの家族、親族、知人友人、同僚、地域の人々に伝えていきましょう。そのために、聖霊の力に与ることが出来るよう、御霊の満たしと導きを祈りましょう。

 

 主よ、サウルは油注がれたにも拘わらず、王位から退けられました。ダビデは油注ぎの故に、イスラエル全家の王となりました。その鍵は、神に聴き従うことでした。絶えず、御言葉に耳を傾け、導きに従って歩ませてください。私たちが果たすべき使命のために必要な賜物、知恵と力を豊かにお授けください。何より、私たちの隣人に神の愛と恵みを証しするため、常に御霊に満たしてください。御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「主の御前でダビデは力のかぎり踊った。彼は麻のエフォドを着けていた。」 サムエル記下6章14節

 

 ダビデは、イスラエルの精鋭3万を集めました(1節)。それは、長い間バアレ・ユダ(別名キルヤト・エアリム:「森の町」の意、ヨシュア記15章9節など)のアビナダブの家に安置されていた主の箱を、エルサレムに運び上げるためです(サムエル記上7章1節参照)。

 

 3万もの精鋭を引き連れて行ったのは、彼らに主の箱を運ばせるためではありません。主の箱を運ぶ際の不測に事態に備え、主の箱を守るためのことです。そしてまた、すべての者が万軍の主なる神の前にひれ伏すようにという、ダビデの信仰の表明でもあろうと思われます。

 

 彼らは主の箱を新しい車に乗せて運び出し、アビナダブの子ウザとアフヨが車を御していました(3節)。「アフヨは箱の前を進んだ」(4節)ということですから、車の前を歩き、牛の手綱を持っていたのでしょう。ということは、ウザが箱の後ろ、つまり、車の後ろを歩いて、箱を見守っていたわけです。

 

 ところで、アビナダブの家では、その息子エルアザルを聖別して、主の箱を守っていたはずです(サムエル記上7章1節)。箱を運び出すというときに、当然登場すべきだと思われるのに、その名が出て来ないのはなぜか、よく分かりません。しかし、あるいはそのことが、この後に起こる悲劇の要因なのでしょうか。

 

 ダビデ一行は、主の御前で糸杉の楽器、竪琴、琴、太鼓、鈴、シンバルを奏でながら(5節)、賑々しく道を進んでいました。だれが楽器を奏でたのか、どのくらいの数かは不明ですが、「イスラエルの家は皆」(5節)というのですから、精鋭部隊以外にも同行している人々や沿道の人々が大勢いて、彼らが手に手に楽器を持って奏でているという様子を思い浮かべます。

 

 やがて、ナコンの麦打ち場にさしかかったとき、牛がよろめき、車が揺れて箱が落ちそうになったので、後ろにいたウザが慌てて手を伸ばし、主の箱を押さえました(6節)。主の箱を守ろうとする当然の行動だと思われますが、主は怒りを発し、その場でウザを打たれたので、彼は主の箱の傍らで命絶えました(7節)。

 

 ウザの「過失」は、主の箱を牛車で運んだこと、そして、主の箱に手で触れたことです。主の箱は、レビ族のケハトの氏族がその肩に担いで運ぶことになっていました(民数記4章4節以下)。そして、「彼らが聖なるものに触れて死を招くことがあってはならない」と規定されています(同15節)。その規定を守らなかったからだと考えられます。

 

 長い間箱を守って来たエルアザルがいたなら、こういうことにはならなかったのかも知れません。しかしながら、祭司以外の誰も箱に触れてはいけないということであれば、牛車に乗せる段階で、ウザだけでなく、アフヨも主に打たれたことでしょう。ここは、主に守られるべき「人」が、主の箱を守ろうとしたという逆転を、主が打たれたということではないかと思わされます。

 

 この出来事でダビデも怒り、その場所をペレツ・ウザ(ウザを砕く)と呼びました。そして、主の箱を運ぶことを主が憤られているのかと恐れたダビデは、主の箱のダビデの町・エルサレムへの持ち込みを中止し、オベド・エドムの家に運ばせます。

 

 オベド・エドムは、ペリシテの町ガトの住民です(10節)。ガトはキルヤト・エアリムから南西に約40キロ、エルサレムはキルヤト・エアリムから東南東へ約15キロですから、キルヤト・エアリムのアビナダブの家からエルサレムへ運ばせていた主の箱を、キルヤト・エアリムよりもさらに遠く、国外に運び出させたわけです。ここに、ダビデの恐れのほどが伺えます。

 

 ところが、主はオベド・エドムの家を祝福されました。オベド・エドムとは「エドムの僕」という意味です。これは本名ではなく、通称でしょう。ただ、主なる神は、ご自分を畏れ、信じ受け入れる者は、民族、種族を越えて祝福してくださるということが、ここに示されます。そして、オベド・エドムの家の祝福を聞いたダビデは、もう一度、主の箱をエルサレムに運ばせます。

 

 歴代誌上15章12,13節に、「レビ族の家系の長であるあなたたちは、兄弟たちと共に自らを聖別し、イスラエルの神、主の箱を、わたしが整えた場所に運び上げよ。最初のときにはあなたたちがいなかったので、わたしたちの神、主はわたしたちを打ち砕かれた。わたしたちが法に従って主を求めなかったからである」と、ダビデが告げた言葉が記されています。

 

 つまり、今度は律法に従って、主の箱を担ぎ上ることにしたわけです。さらに、箱を担ぐ者が六歩進むと肥えた牛をいけにえとして捧げ(13節)、また、喜びの叫びを上げ、角笛を吹き鳴らして、主の箱を運び上げました(15節)。

 

 特に、冒頭の言葉(14節)のとおり、ダビデは主の御前で力の限り踊りました。まさにお祭り騒ぎです。ゆっくりゆっくり主の箱は進みました。行列の賑やかな物音を聞きつけて多くの人々が集まって来たことでしょう。

 

 そしてその行列の中心にいる者の姿を見たでしょう。そこには、神の箱の前で力のかぎり舞い踊るダビデの姿がありました。それを見て、この楽隊と踊りの行列に参加する人々もいたでしょう。国中がお祭り騒ぎ、祝賀ムード満点といった状況を思い浮かべます。

 

 但し、そういう人々ばかりではありません。自分の立場を忘れて踊っているダビデを見て、ダビデの妻ミカルは蔑みの言葉を投げました(16,20節)。王の娘として育ち、王となる人物に嫁いだ女性として、王としての威厳を損なう行為を見逃すことは出来なかったのでしょう。

 

 ダビデはそのとき、麻のエフォドをつけていたと記されていますが(14節)、ミカルは「裸」と言っています(20節)。つまり、ダビデはエフォド以外には、何も身につけていなかったのです。

 

 けれども、主はそんなダビデを喜ばれ、周囲の敵をすべて退けて、彼に安らぎをお与えになりました(7章1節)。なぜでしょうか。それは、ダビデが自分の立場も忘れ、ただ主の箱がダビデの町、自分のもとに来ることを喜んでいたからです。

 

 賛美とは、マグニファイ、拡大するという意味の言葉から来ています。ダビデの心の中で主なる神の姿が拡大され、何よりも大切なものになり、それが賛美の踊りとなったのです。ところが、妻ミカルには、主を喜ぶことよりも王としての威厳、立場の方が大切だったのです。

 

 ここで、人々から蔑まれ、嘲られたもう一人の人物を思い出します。彼は、人々から罵られ、唾をかけられ、こぶしで打たれ、着物をはぎ取られて裸同然になり、茨の冠をかぶせられ、十字架に釘づけられ、殺されました(マルコ福音書15章16節以下、37節)。

 

 それはまるで、屠殺場に引かれていく小羊のように黙々として(イザヤ書53章7節)、されるがままにされている主イエスのことです。私たちの罪のゆえにその呪いをご自分の身に受け、十字架で贖いの業を成し遂げてくださいました。

 

 その姿には見るべき面影も、輝かしい風格も好ましい容姿もありません。人々は彼を軽蔑し、見捨てました(イザヤ書53章2,3節)。しかるに神は、最も低くなられたこの主イエスに、すべてのものに勝る名を与えて、天に昇らせ、ご自分の右の座につかせられたのです(フィリピ書2章6節以下、マルコ福音書16章19節)。

 

 主イエスを心に迎え、このお方が常に心の中で拡大されて、あらゆる問題、苦しみから解放され、喜びに溢れて感謝と賛美をささげる者とならせていただきましょう。

 

 主よ、御言葉を感謝します。私たちの問題は、問題が襲ってくると神が見えなくなることです。問題の方が私よりも大きくなってしまいます。問題よりも大きな主に目を向け、主の答えを頂くことが出来ますように。私たちの内に主が拡大されるように、絶えず祈りに、そして賛美に導いてください。 アーメン

 

 

「わたしはイスラエルの子らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、家に住まず、天幕、すなわち幕屋を住みかとして歩んできた。」 サムエル記下7章6節

 

 無事に主の箱をダビデの町エルサレムに運び上げ、ダビデの張った天幕の中に安置して、献げ物をささげ終わると(6章17節)、ダビデは王宮に住み、主が周囲を平定して彼に安らぎをお与えになりました(1節)。

 

 そこで、ダビデは預言者ナタンを呼んで「見なさい。わたしはレバノン杉の家に住んでいるが、神の箱は天幕を張った中に置いたままだ」(2節)と言いました。これは、主なる神のために神殿を建てたいということです。

 

 荒れ野を旅している間は勿論、約束の地に入ってからも、絶えずペリシテやアマレクなどの外敵に脅かされて来ました。なかなか、安定した生活を営むことが出来ませんでした。だから、神殿を建てようという余裕もなかったし、やろうとしても出来る相談ではなかったのです。

 

 ここに、ダビデのもとでイスラエルが統一され、主が周囲の敵を退けて安息をお与えになりましたから、ようやく神殿を建てることが出来るようになったというわけです。ダビデの思いを知ったナタンは、ダビデの思い通りにしたらよいと言いました(3節)。しかし、それは主なる神の御旨に適うところではありませんでした。

 

 その夜、主なる神がナタンに「幻」(4節以下、17節)を通して語りかけ、冒頭の言葉(6節)のとおり、出エジプト以来、主は家に住まず、主は幕屋を住みかとして歩んできたと告げられます。さらに言葉をつないで、イスラエルの民と共に歩んで来る間、一度たりとも、レバノン杉の家を建てよと命じたことはないだろうと言われます(7節)。

 

 このことで、家と幕屋、住むと歩むを対比させて、主は恒久的な建物の中にご自分を置くよりも、天幕と神の箱に象徴される、民の中に、民と共に住まわれ(出エジプト記25章8節)、民を導いてどこへでも自由に歩まれるお方であり、その主権を譲るつもりなどないこと、ゆえに、主を礼拝するのに建物が問題ではないということが示されます。

 

 むしろ主は、ダビデをイスラエルの指導者としたのは主であること(8節)、ゆえに、ダビデがどこに行っても共にいて、行く手から敵をすべて断ち、地上の大いなる者に並ぶ名声を与えると、祝福を約束されました(9節)。

 

 名声を与えるという祝福を具体的に、主がダビデのために家を興すと言われます(11節)。ダビデのための「家」とは、ダビデ家=ダビデ王朝を意味していて、主のために家を建てたいというダビデに、家を建てるのは主であると宣言されたかたちです。

 

 「その王国を揺るぎないものにする」(12節)、「彼の王国の王座をとこしえに固く据える」(13節)「あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに固く据えられる」(16節)が、主の祝福の確かさを明示しています。

 

 さらに、「わたしは慈しみを彼から取り去りはしない。あなたの前から退けたサウルから慈しみを取り去ったが,そのようなことはしない」(15節)と言われます。「慈しみ」は「ヘセド」という言葉で、ダビデに与えられる祝福が、ダビデの働きや信仰、王としての姿勢への報いなどではなく、一方的に与えられる恵みだということです。

 

 それで、主なる神は、金輪際、神殿を建てようなどと考えてはならないと仰ったわけではありません。彼の後に立てられる者が「わたしの名のために家を建て」(13節)ると言われます。この「家」は、神の家、神殿のことです。

 

 神殿建築が、主がダビデの家を堅く立て、その王座をとこしえに堅く据えられるしるしということですが(13節)、神殿があるからダビデの家が常に祝され、イスラエルの国が守られ、その民に安らぎが授けられるということではありません。

 

 神礼拝が疎かになり、御言葉が蔑ろにされれば、神殿があっても国は破れ、都は焼かれてしまうのです。それは、かつて神の箱がイスラエル軍を守らず、むしろ神の箱をペリシテに奪われてしまったのと同様です(サムエル記上4章)。

 

 ダビデは、預言者ナタンを通して告げられた主の御言葉を聴いて、感謝の祈りをささげます(18節以下)。ダビデが願ったのは神殿を建てたいということであって、自分の家を興し、礎を確かにしたいということではなかったからです。もっとも、そう願った背景に、王朝の礎が堅固な者となるようにという思いがなかったとは言い切れませんが。

 

 そのことで、「何よりも先ず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらの(必要な)ものはみな加えて与えられる」(マタイ6章33節)と言われた主イエスの御言葉を思い出します。

 

 神殿を建てたいというダビデの申し出を主が受け入れられなかったことについて、歴代誌上28章3節に、「あなたは戦いに明け暮れ、人々の血を流した。それゆえ、あなたがわたしの名のために神殿を築くことは許されない」と記されています。これは、戦いに手を染めた者の手ではなく、平和に仕える者の手で神殿を建てたいということでしょう(同22章6節以下も参照)。

 

 だから、平和(シャローム)という言葉に由来を持つソロモン(シェロモー)に、神殿を建てさせたのです。とはいえ、ダビデと主なる神との間では、神殿を必要としないほどに、主がダビデの心の内に住まわれ、ダビデの心も主と共にあったということでしょう。

 

 その意味で、ダビデの子ソロモンが主のために壮麗な神殿を建てるのは、ダビデが願ったことであり、主がダビデの身から出た子に建てさせると言われた約束が成就したことではあるのですが、それがかえって、見えるものにとらわれ、かたちあるもので自分の功績を誇示しようとする誘惑になったのではないかと見ることも出来そうです。

 

 心して主を仰がなければなりません。絶えず御名を崇め、心から賛美と祈りを主にささげましょう。その御言葉に耳を傾け、その実現を誠実に祈り願いましょう。

 

 今日、神は私たちの体を、聖霊の宿る神殿とされました(第一コリント書3章16節、6章19節、第二コリント書6章16節)。主を心の王座に迎え、主と深く交わり、霊とまことをもって主を礼拝しましょう。主の霊に満たされて前進しましょう。

 

 主よ、私たち静岡教会は60数年前、この地に教会堂を建て、福音宣教の業に励んで参りました。私たちは、何よりも先ず、主の御顔を慕い求め、主を愛し、喜びをもって主に仕える教会となりたいと思います。この教会が、この地の祈りの家として用いられ、また讃美溢れる教会となりますように。そして、教会を形成する信徒一人一人が主の恵みを証しする者になれますように。その使命を全うするために、聖霊に満たし、上よりの知恵と力に与らせてください。 アーメン

 

 

「ダビデは王として全イスラエルを支配し、その民すべてのために裁きと恵みの業を行った。」 サムエル記下8章15節

 

 ダビデは西のペリシテを討ち、「メテグ・アンマ」を奪いました(1節)。メテグ・アンマとは、「アンマの手綱」という意味です。並行箇所の歴代誌上18章1節では、「ガトとその周辺の村落」とされています。

 

 アンマは、腕尺(肘から指先まで)と言われる長さの単位(1アンマは約45㎝)で、ペリシテの首都ガトとその周辺、1アンマといわれるほどにそば近くにある村落、放牧地を「メテグ・アンマ」と言い、それを征圧してイスラエルの支配下においたということなのでしょう。

 

 次いで、東のモアブを討ち、兵の三分の二を殺しました(2節)。かつて、ダビデはサウルの前に逃避行をしていた時、両親をモアブに王に託していたことがあり、それは友好関係を示すものでした。そもそも、ダビデの曾祖母はモアブ人ルツです。モアブを打った理由はよく分かりません。あるいは、両親の処遇にダビデが憤りを覚えていて、報復を考えていたというようなことなのでしょうか。

 

 その次に、北のツォバを討ちました(3節)。ツォバは、ダマスコとハマトの間にあったアラム人の都市国家です。ダビデは多くの兵を捕虜としましたが、馬は100頭を残して後は処分しました(4節)。それは「王は馬を増やしてはならない」という申命記17章16節の規定に基づいているのです。また、ユダの山岳地帯では、多数の戦車を所有しても利用出来ないと考えたのかも知れません。

 

 ツォバに援軍を送ったダマスコのアラム軍も討ち、隷属させました(5,6節)。勢力を回復しようとして北に向かって行動を起こし(3節)、ツォバと交戦中だったハマトの王トイからは、ダビデの戦勝を祝う品が届き、友好関係が築かれます(9,10節)。

 

 その後、南のエドム軍を塩の谷で討ちました(13節)。「アラムを討って帰る途中」(13節)とありますが、「塩の谷」はユダの南方ベエル・シェバの東に延びる谷なので、エルサレムを通り過ぎて、あるいは迂回路を通って、塩の谷でエドムを迎え撃ったということになります。

 

 歴代誌上18章12節では、エドム軍を討ったのがツェルヤの子アブシャイとなっています。であれば、ダビデの別動隊による攻撃ということになります。また、詩編60編1節の表題には、ヨアブが司令官だったように記されています。資料が錯綜しているようですが、いずれにしても、ダビデの代にエドムが討たれ、かくて四方を平定することが出来ました。

 

 このように、主はダビデの行く先々で勝利を与えられました(14節)。7章9,11節で約束されたことが実現したかたちです。これらの戦いがどのようにして引き起こされたのか、何も記されてはおりません。しかし、ダビデに率いられたイスラエル軍がこれら広範囲に及ぶ戦いに打ち勝った結果、約束の地イスラエルに待望の平和が訪れたのです。

 

 そこで、ダビデは冒頭の言葉(15節)のとおり「王として全イスラエルを支配し、その民すべてのために裁きと恵みの業を行」いました。「裁きと恵みの業」とは、直訳すれば「公正と正義」(ミシュパート・ウ・ツェダカー,岩波訳「正義と公平」)という言葉で、民を正しく公平に裁き、民のために良い治世を行うことです。

 

 国を継続的に安定させ、よい政治を行うために、軍の司令官としてヨアブ、補佐官にヨシャファト(16節)を任命します。祭司はツァドクとアヒメレク。セラヤを書記官(17節)、ベナヤをクレタ人とペレティ人の監督官としました(18節)。

 

 こうして、イスラエル王国の行政機構が整えられていきました。政治的指導者のリストに、祭司が入れられているのが、まさにその政治が「公正と正義」に基づいたものとなるための鍵だったのです。ここに、7章8節以下で神が預言者ナタンを通してダビデに語られた預言の言葉が、一つ一つ実現しています。

 

 任官リストの最後に、「ダビデの息子たちが祭司となった」(18節)と記されています。ダビデはユダ族なので、彼の息子たちが祭司となるというのは少々不思議です。神は聖所の仕事のすべてをレビ族に委ね(民数記1章47節以下)、祭司の務めをなすのは、レビ族の中でも油注がれたアロンとその子らに限られていたからです(同3章3節)。

 

 けれども、ダビデ自身、主の御前で踊ったとき、祭司が身につけるエフォドを着ていましたし(6章14節、出エジプト28章6節以下)、主の箱を天幕に安置した後、主の御前に祭壇を築き、献げ物をささげています(6章17節)。ダビデが祭司と呼ばれたことはありませんが、そのときは明らかに祭司の務めを果たしており、それが許されています。

 

 ダビデの子らについて、どのような務めを聖所で果たしたのか、全く不明です。あるいは、一時的に祭司ツァドクとアヒメレクの補佐役として、その役割を果たすことがあったということではなのかも知れません。20章26節では、ダビデの子らに代わって「ヤイル人イラもダビデの祭司」とされています。

 

 ダビデの子孫には、永遠の救いの源であり、偉大な大祭司となられた主イエス・キリストがおられます。主イエスは、「メルキゼデクと同じような大祭司」と呼ばれました(ヘブライ5章9~10節、6章20節~7章28節)。

 

 そうすると、ダビデの息子たちが祭司となったのは、ダビデを含むすべての者の罪の呪いを一心に身に受け、十字架でその規定もろとも破棄し、凱旋の行進に加えてくださった(コロサイ2章13~15節)、神の御子キリスト・イエスの出現を予告するものだったのではないでしょうか。

 

 主キリスト・イエスの贖いによって救いに与った私たちは「選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神の者となった民」(第一ペトロ書2章9節)です。「裁きと恵みの業(公正と正義)」をもって私たちの宮、教会において主に仕え、聖別された神の家族に仕える者です。その恵み、その喜びを、主にあって広く証しして参りましょう。

 

 主よ、私たちのために自らを生贄として十字架に死なれた主イエスが、私たちの大祭司として常に神の右にいて執り成し祈り、支えてくださることを、心から感謝致します。主のご愛に支えられて、私たちも互いに愛し合い、仕え合うことを通して、主の弟子であることを証しさせてください。主の御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「恐れることはない。あなたの父ヨナタンのために、わたしはあなたに忠実を尽くそう。祖父サウルの地所はすべて返す。あなたはいつもわたしの食卓で食事をするように」  サムエル記下9章7節

 

 ダビデ王は、エブス人の町エルサレムを陥落させて「ダビデの町」と呼び(5章6節以下)、そこに王宮を建て(同11,12節)、天幕に契約の箱を安置し(6章1節以下)、また、行政機構を整えました(8章15節以下)。神殿も建てたいと願ったダビデでしたが(7章2節)、それは子の代に実現するという主なる神の約束を頂きました(同12,13節)。

 

 こうして、国の礎が堅固になったとき、ダビデはかつて親友ヨナタンと結んだ契約を思い出しました。それは、「主がダビデの敵をことごとく地の面から断たれるときにも、あなたの慈しみをわたしの家からとこしえに断たないでほしい」(サム上20章15節)というものです。ダビデは、サウル王から命を狙われましたが、サウルの息子ヨナタンからは、真実な友情で守られ、励ましを受けました。

 

 そこで、サウル家の残りの者を探します(1節)。すると、ヨナタンの息子がただ一人生き残っているということが分かりました(3節)。ヨナタンの息子については3章4節に、サウルとヨナタンの訃報が届いたとき、乳母が抱いて逃げたと報告されていましたが、どこにいるのかは記されていませんでした。

 

 彼は、ヨルダン川の東、ガリラヤ湖の南東15キロほどの「ロ・デバル」(新共同訳聖書付録聖書地図4参照)にあるアミエルの子マキルの家にかくまわれていました(4節)。「ロ・デバル」とは、牧場がないという意味です。

 

 サウルの死後、その子イシュ・ボシェトが軍の長アブネルに担がれて王となり、首都を置いたマハナイムから(2章8節)、北におよそ45kmの距離にあります。首都がマハナイムに置かれ、伯父イシュ・ボシェトが王となっていても、そこに身を寄せようとは考えなかったわけです。

 

 ヨナタンの子をかくまっていたロ・デバルのアミエルの子マキルについて、17章27節にもう一度登場して来て、ダビデが息子アブサロムの謀反により王宮を逃げ出してマハナイムに到着した際、寝具、食器、麦類、豆類、蜂蜜、凝乳、羊などを提供して、ダビデとその一行を援助しています。

 

 ダビデは早速、人を遣わしてヨナタンの息子をエルサレムに連れて来させます(5節)。ヨナタンの息子は、名を「メフィボシェト」(6節)といいます。これは、「恥を振りまく者」という意味です。

 

 本来の名は、歴代誌上8章34節にあるとおり「メリブ・バアル(「主に愛される者」の意)」だったはずです。しかし、「バアル」が異教の神を思わせること、そして、ダビデを敵視したサウルの孫ということで、イシュ・ボシェト同様、故意に読み替えられているわけです。

 

 ダビデ王の前に呼び出されたメフィボシェトは、恐れてひれ伏します。当時は、新しい王が立てば、自分の身の安全,王朝の安泰を図るために前王の親族、関係者をすべて殺すというのが常識のようなものでした。だから、自分の名が呼ばれたとき、ただ「僕です」と答えるのが精一杯だったのです(6節)。

 

 そのときにダビデがメフィボシェトに語ったのが、冒頭(7節)の「恐れることはない。あなたの父ヨナタンのために、わたしはあなたに忠実を尽くそう。祖父サウルの地所はすべて返す。あなたはいつもわたしの食卓で食事をするように」という言葉です。「忠実」とは「ヘセド(慈しみ)」という言葉ですが、ここではヨナタンとの契約に基づくものなので、「忠実」と約されています。

 

 メフィボシェトは、このダビデの言葉をどのように聞いたのでしょうか。もしかすると、父ヨナタンから、ダビデとの関係を聞かされていたのかも知れません。けれども、そのときは父ヨナタンが皇太子で、ダビデは家臣という関係でした。今は立場が完全に逆転しています。

 

 ダビデが本当に父ヨナタンとの約束を守るかどうか分かりませんし、祖父サウルがダビデを亡き者にしようと執念深くつけ狙い続けていたことを考えれば、復讐されると考える方が自然だったことでしょう。学者たちの中には、メフィボシェトをダビデの食卓に連ならせたのは、ダビデが彼の動向を監視するためだと考える人々もいます。

 

 しかしながら、ダビデは、自分の命を狙っていたサウルに対してさえ、主に油を注がれた者として、繰り返し好意を示しました(サムエル記上24,26章)。ましてメフィボシェトは親友ヨナタンの息子であり、その家を憐れむと約束している仲です。このダビデの言葉に、嘘偽りなどなかったことでしょう。

 

 そうしてダビデは、サウルの従者であったツィバを呼び、メフィボシェトに与えることにしたサウルの所有のものをすべて管理し、メフィボシェトのために生計を立てるように命じます(9,10節)。そして、「メフィボシェトは、いつもわたしの食卓で食事をすることになる」(10節)と言い渡しました。

 

 12節に、メフィボシェトにミカという名の幼い息子がいたと言われています。であれば、ヨナタンの孫にあたるミカも、ダビデの好意を受け、共に食事をするようになったのかも知れません。

 

 ところで、サウルとヨナタンの訃報が届いたときに5歳だったメフィボシェトが(4章4節)、いつの間に子をなしたのでしょうか。サウルの死後、ダビデはヘブロンでユダの王となり、7年6ヶ月後、エルサレムで全イスラエルを統治する王になったということですが(5章5節参照)、契約の箱を都に運び、四方を平定するのにずいぶん時間がかかったということでしょう。

 

 今日の私たちは、主イエスの前に、このメフィボシェトと同じ立場です。主イエスが、神の御前に「惨めな者、哀れな者、貧しい者、目の見えない者、裸の者」(黙示録3章17節)という罪人でしかない私たちの家を訪ね、すべての罪を赦し、共に食事をしようと招かれます(黙示録3章20節)。

 

 今日も主が私たちを、御自分の食卓に招いておられます。この主イエスの恵みの招きにどのように応えましょうか。ご自分の命をかけて愛してくださる主に、心からの感謝を込めて主の食卓に連ならせていただきましょう。

 

 主よ、私たちは何者でしょうか。あなたの独り子キリスト・イエスの命と引き換えに、神の子としてその食卓につかせて頂けるような存在であろうはずがありません。そのご愛に報いるすべも知りません。ただ、主を仰ぎ、導かれるままその座に連なり、感謝を込めてその恵みを喜び歌うのみです。ハレルヤ! アーメン!

 

 

「アラム軍が逃げるのを見ると、アンモン人も、アビシャイの前から逃げ出し、町の中に入った。ヨアブはアンモン人をそのままにして引き揚げ、エルサレムに帰った。」 サムエル記下10章14節

 

 アンモンの王ナハシュが亡くなったという報せに、ダビデは生前の関係から使節を遣わして哀悼の意を表そうとしました(1,2節)。ここでダビデは、「ハヌンの父ナハシュがわたしに忠実であったのだから、わたしもその子ハヌンに忠実であるべきだ」と言っています。

 

 9章と10章をつなぐキーワードは、「忠実 faithfull 」という言葉です。いずれも、ダビデがその忠実さを相手に示そうという言葉遣いになっています。9章では、サウル家に対して「忠実」を尽くしたいと言い(9章1,3,7節)、10章では、アンモンの王に対して「忠実」であるべきだと言っています(10章2節)。

 

 ここで、「忠実」と訳されているのは、ヘブライ語の「ヘセド」という言葉です。この言葉は通常、「憐れみ mercy、親切 kindness、善いこと goodness」などと訳される言葉ですが、旧約聖書において、「愛」を示す言葉として用いられています。

 

 特に、主なる神と人との間の契約における忠誠心、誠実さ、真実を示すものです。主はどんなときにも誠実に真実に、恵みをお与えくださるので、私たちも忠実に主に仕えましょうということです。

 

 そもそも、アンモン人はアブラハムの甥ロトの子孫です。だから、主はイスラエルの民に「あなたは、今日、モアブ領アルを通り、アンモンの人々のいるところに近づくが、彼らを敵とし、彼らに戦いを挑んではならない。わたしはアンモンの人々の土地を領地としてあなたには与えない。それは既にロトの子孫に領地として与えた」と、申命記2章18,19節に記されております。

 

 アンモンの領地は、ヨルダン川の東、ギレアドの地の東側にあります。ただ、アンモンの王ナハシュは、サウル王が即位した時、ギレアドのヤベシュに攻め上って来て、彼らを酷い言葉で脅したため、サウルに打ち負かされています(サムエル記上11章1節以下)。その後、ダビデと友好関係にあったことを示す記事は、見あたりません。

 

 あるいは、ダビデがサウルに追われて逃亡生活を余儀なくされていたとき、両親をモアブの王に託していたことがありますが(同22章1節以下、3,4節)、同様に、アンモンの人々がダビデに親切にするということがあったのかも知れません。

 

 ところが、ナハシュの息子ハヌンの重臣たちは、ダビデの遣わした弔問使節をスパイと断じ(3節)、彼らのひげを半分そり落とし、衣服も半分切り落とすという侮辱を加えて追い返しました(4節)。国を代表して弔問にやって来た使節に対し、そのような仕打ちをするのは、愚かとしか言いようがありません。

 

 当然のことながら、それによって、ダビデの怒りを買ってしまいます。ダビデの憤りを知らされたアンモンでは、早速戦いの用意を始めます。そこで先ず、ベト・レホブおよびツォバのアラム人に歩兵2万、マアカの王には兵1千、トブには1万2千の兵と、合計3万3千の兵を傭兵として派遣するよう、それぞれ要請しました(6節)。

 

 ということは、自分たちの兵力、軍事力だけでは、イスラエルと戦えないと考えたわけです。それが適切な判断ということなのでしょうが、そうであるならば、徒らにダビデの派遣した使節を侮辱して、戦争の火種を播くような愚かな振る舞いに及ぶべきではなかったのです。

 

 アンモンの都はラバです。今日のヨルダン王国の首都アンマンと同定されています。エルサレムから東におよそ60㎞といった距離にあります。イスラエル軍がラバの城門まで押し寄せて来たとき、アンモンの王ハヌンは、城内から戦いを仕掛けるアンモン軍と、野に配置したアラム連合軍で、挟み撃ちする作戦でした(8節)。

 

 それに対して、イスラエル軍の司令官ヨアブは、城内のアンモン軍と場外に配置されたアラム連合軍を見て、イスラエル軍を二つに分け、選りすぐりの精鋭部隊をヨアブが率いてアラム連合軍に当たり(9節)、残りは弟アビシャイに委ねてアンモン軍に向かわせることにしました(10節)。

 

 ところが、ヨアブ率いるイスラエルの精鋭がアラム連合軍に近づくと、彼らは早々と戦線を離脱してしまいました(13節)。全く頼りにならない輩です。請われてやっては来たけれども、命を懸けるほどの義理はないということだったのでしょうか。

 

 すると、アラム連合軍が逃げたのを知って、アンモン軍も戦意を失い、城内に逃げ込んでしまいました。こうして、ほとんど刃を交わすこともなく、無血でイスラエルが勝利を獲得したのです。

 

 ところが、戦う前に敵前逃亡して面目丸つぶれのアラム連合軍は、ツォバのハダドエゼル王の指揮の下、遠くアラム・ナハライム軍も動員してあらためて連合軍を編成し、雪辱のためガリラヤ湖東方50㎞ほどのところにあるヘラムまで押し寄せて来ました(15,16節)。それに対し、今度は、ダビデ自身が全軍を率いてアラム軍を迎え撃ちます(17節)。

 

 この戦いで、アラム連合軍は、戦車7百、騎兵4万、そして軍の司令官ショバクも失うことになりました(18節)。アラム諸国は、払わなくてもよかった犠牲を払い、そして、イスラエルに隷属させられてしまうのです(19節)。

 

 ここであらためて、冒頭の言葉(14節)にあるイスラエル軍の司令官ヨアブのとった行動には驚かされます。彼は、勢いにまかせてアンモンの都ラバに攻め込んだというのではありません。彼らは町に逃げ込んだアンモン人をそのままにして引き揚げ、エルサレムに帰るのです。

 

 戦利品も獲らず、賠償金も受け取らずに引き揚げたのでは、死者が辱められたことの報復にならないでしょう。そんなことで、面目が立ったということになるのでしょうか。ただ、そもそもこれは、ダビデ・イスラエルが望んだ戦いではありません。故ナハシュ王への弔問から始まったことでした。

 

 そして、自ら恥を雪ごうとしなくても、主なる神はイスラエルをユーフラテスの向こうのアラム軍に勝利させ(18節)、その勢力がアラム・ナハライムにまで及ぶようにしてくださって(19節)、もはや、アンモンはイスラエルの敵ではなくなってしまったのです。

 

 私たちは今日、右の頬を打つ者には左の頬も向けなさい(マタイ5章39節)、敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい(同44節)と教えられています。出来るかと尋ねられて、「はい」と答えるのは容易いことではありません。むしろ、右の頬を打たれたら、相手の左の頬をイヤというほど殴り返してしまうでしょうし、自分を傷つける敵は、愛せないからこそ「敵」なのです。

 

 それを教えられた主イエスは、自ら十字架の上で身をもってそれを実行されました。あらゆる侮辱にも激昂されることなく、むしろ、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23章34節)と祈られ、天国の門を広く開かれました。主イエスがそのようにして私たちに「ヘセド」恵み憐れみをお示しくださったのです。

 

 日毎に主イエスを仰ぎ、その御言葉に忠実に耳を傾け、その導きに従ってまっすぐに歩ませていただきましょう。

 

 主よ、今も戦火を交えている国,地域に住む人々を覚えてください。テロとの戦いと称して始められた戦争が、未だ終結の時を迎えてはいません。むしろ、テロを拡大させています。一刻も早く戦闘が終結し、全世界に平和が訪れますように。平和の源であられる神の御心がその地に行われ、その喜びが隅々にまで広げられますように。すべての者が神の御前に膝をかがめ、その御言葉に忠実に聞き従う者となりますように。 アーメン

 

 

「ウリヤはダビデに答えた。『神の箱も、イスラエルもユダも仮小屋に宿り、わたしの主人ヨアブも主君の家臣たちも野営していますのに、わたしだけが家に帰って飲み食いしたり、妻と床を共にしたりできるでしょうか。」 サムエル記下11章11節

 

 再びアンモンとの戦いが起こり(10章参照)、イスラエル全軍が出陣したとき、ダビデは王宮に残っていました(1節)。「年が改まり、王たちが出陣する時期」とは、春は戦争の季節ということになるのでしょう。

 

 しかしながら、ここでは、かつてダビデは兵士の先頭に立って出陣していたのに(サムエル記上18章13,16節)、今回はエルサレムに留まっています。それが問題だということを示すため、そのように言い表しているようです。

 

 ある日の夕暮れ、昼寝から覚めて王宮の屋上を散歩していたとき、水浴をしている一人の美しい女性が目に留まります(2節)。使いを出して女性のことを調べさせると、エリアムの娘バト・シェバで、ヘト人ウリヤの妻であるということです(3節)。

 

 エリアムもウリヤも、ダビデの勇士のうちに数えられる兵士であり(23章34,39節)、エリアムの父アヒトフェルは、ダビデの顧問です(15章12節)。女性の父エリアムや、夫ウリヤが自分の勇敢な兵卒で、今、アンモンとの戦いのために戦場に赴いているという状況です。

 

 そのうえ、「彼女は清めから身を清めたところ」(4節)、即ち、月経の期間中で、彼女に触れることは「汚れ」を身に受けることになる時期だということです(レビ記15章19節以下)。それら、ダビデにもたらされた情報すべてが、彼がこれからしようとしていることを諦めさせようとするイエローカードです。

 

 ところが、それらのことを知りながら、ダビデは使いを出してその女性を王宮に招き、床を共にしてしまいました(4節)。二人の間のやり取りは記録されていません。ただ、家に帰った女性から、「子を宿しました」(ハーラー・アノヒー)という単語二文字の短い報告が、ダビデのもとに届けられただけです。

 

 報告を受けたダビデは、ヨアブにバト・シェバの夫ウリヤを戦地から送り返すよう命じ(6節)、そうして家に帰らせようとします(8節)。それは勿論、ウリヤを労うふりをして、自分の姦淫の罪をごまかすためです。

 

 戦地から戻って来たウリヤにダビデは、ヨアブの安否、兵士の安否、戦況について尋ねました(7節)。「戦況」は、「戦争の安否」という言葉遣いで、「安否」は、シャロームという言葉です。つまり、ダビデは自分の罪をごまかす算段のために、三度「シャローム」を口にしているのです。

 

 報告を受けたのち、ダビデはウリヤに、「家に帰って足を洗うがよい」と言います(8節)。ウリヤにとってその言葉は、婉曲に性交を促す言葉で、軍隊の男たちの間で交わされるからかいの言葉のように聞こえたのではないかと、註解書に記されていました。

 

 王の贈り物を受け取り、王宮を退出したウリヤですが、しかし、彼は家には帰りませんでした(9節)。ダビデが理由を尋ねると、冒頭の言葉(11節)の通り、「わたしだけが家に帰って飲み食いしたり、妻と床を共にしたりできるでしょうか」と答えました。ここに、ウリヤの誠実さ、ダビデやヨアブに対する忠臣ぶりが示されます。

 

 ウリヤは「ヘト人」、即ち、カナンの子ヘトの子孫です(創世記10章15節、23章3節参照)。異邦人のウリヤが、神の箱が戦場に運ばれていることを気にかけ、「仮小屋」という表現で、イスラエルもユダも、国を挙げて臨戦態勢でいることを言い表し、何より、司令官ヨアブや主君の家臣たち、つまり、彼の仲間が戦場にいて危険な戦いをしていることを気遣っています。

 

 だから、そんな戦いの最中に、自分一人気を抜き、妻と楽しみ過ごすことなど出来ないというわけですが、これは本来、ダビデが言わなければならないことでした。そして、ダビデがそう思っていたならば、当然のことながら、自分の部下の妻と姦淫することもありませんでした。

 

 簡単に誤魔化すことは出来ないと悟ったダビデは、ウリヤを食事に招き、酒に酔わせて家に帰そうとしますが、それも功を奏しませんでした(13節)。かくて、ウリヤを家に帰らせて姦淫を誤魔化すという策は、破綻してしまいました。

 

 そこで、ダビデは、「ウリヤを最前線に出して一人置き去りにし、戦死させよ」という司令官ヨアブに宛てた手紙を、そうとは知らないウリヤに持たせます(14,15節)。ヨアブはその命令に従い、激戦地にウリヤを送って、戦死させました(17節)。

 

 勇士の一人に数えられるウリヤですから、今回も最後まで勇敢に戦ったと思います。そして、王ダビデに対し、絶対忠誠を誓っていますから、自分を激戦地で戦死させるようにという親書をヨアブに届けるときも、激戦の最前線に出されても、そこでダビデ王の真意を疑うようなことは、微塵もなかったことでしょう。

 

 ダビデは、ウリヤの喪が明けた後、彼の妻を王宮に引き取り、自分の妻としました(27節)。ほとんどの者はダビデの企みを知りませんから、その行為を、ダビデの好意と考えたでしょう。

 

 知っているのは司令官ヨアブだけですが、彼は王の命令に従ってウリヤを戦死させた共犯者ですから、沈黙せざるを得ないでしょう。そして、王がおのが思うままに振る舞うのは、当時の常識というものだったのではないかと思います。

 

 ダビデは、自分の姦淫の罪を覆い隠し、王としての威厳を保つために、勇敢で忠実な僕ウリヤを殺し、その妻を自分のものにしてしまいました。こうして、殺すな、姦淫するな、隣人のものを欲するなという十戒に背きました(出エジプト記20章13,14,17節)。

 

 「全イスラエルを支配し、その民すべてのために裁きと恵みの業を行う」(8章15節)べき王が、「ダビデのしたことは主の御心に適わなかった」(27節)と言われる罪を犯してしまったのです。

 

 この27節の言葉は、25節の「そのこと(敵の城門に押し寄せ、ウリヤが戦死したこと)を悪かったとみなす必要はない」という言葉との対比で、ダビデの心がその時、いかに主から離れていたのかということが明示されます。

 

 しかしながら、そのことはダビデひとりの問題ではありません。すべきことを知っていながらそれをすることが出来ず、してはならないと知りながら、「分かっちゃいるけど、辞められない」とうそぶきながら、それをしてしまう私たちです。

 

 パウロも、ローマ書7章15節以下でそのことを記し、「もし、わたしが望まないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの内に住んでいる罪なのです」(同20節)と訴えています。

 

 第一テモテ書1章15節で、「わたしは、その罪人の中で最たる者です」(口語訳、新改訳:「罪人のかしら」)というとき、それは、かつてクリスチャンになる前は、そうだったというのではありません。テモテに対し、老伝道者となったパウロが、現在形でそのように語っているのです。 

 

 信仰が深まると、罪と無縁の生活になるというのではなく、むしろ、ますます自分の罪深さに打ちのめされるような思いになるというのでしょう。だから、「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか」(ローマ書7章24節)と言います。

 

 しかし、自分でその死の体から逃れることはできなくても、パウロを救ってくださるお方がおられます。ゆえに、「わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします」(同25節)と言うのです。

 

 さらに、「神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、『アッバ、父よ』と呼ぶのです」(同8章14,15節)と告げています。

 

 ウリヤに、信仰の姿勢を学びましょう。忠実に主の御言葉に耳を傾け、喜びをもって御霊の導きに従いましょう。信仰によって勝利出来るよう、共に主の導きを祈りましょう。

 

 主よ、私たちはあなたを「アッバ、父よ」と呼びます。憐れみを乞います。弱い私たちの祈りに耳を傾け、憐れんでください。私たちの助けとなってください。あなたは私たちの嘆きを踊りに変え、粗布を脱がせて喜びを帯としてくださいます。いつも主を仰ぎ、御言葉に従って行動することが出来ますように。そうして、絶えず唇の実を主にお献げすることが出来ますように。 アーメン

 

 

「ダビデはその男に激怒し、ナタンに言った。『主は生きておられる。そんなことをした男は死罪だ。』」 サムエル記下12章5節

 

 貪りと姦淫、さらに殺人の罪まで犯したダビデに対して(11章参照)、主なる神は預言者ナタンを遣わされました(1節)。ナタンはダビデに一つの話をします。それは、多くの羊や牛を持つ豊かな男が、来客をもてなすのに自分の家畜を惜しみ、近くに住む貧しい男が飼っているたった一匹の、娘のように可愛がっている雌の小羊を取り上げ、それを客に振る舞ったという話です(1節以下、4節)。

 

 その話を聞いて激怒したダビデ王は、冒頭の言葉(5節)のとおり「そんなことをした男は死罪だ」と言い、さらに、「奪ったものを4倍にして償え」(6節)と言います。それは、正しい判断です。だれでも、他人の罪は正しく裁くことが出来るようです。

 

 しかしながら、ダビデにはそのように裁きを行う資格はありません。ナタンはダビデに、「その男はあなただ」(7節)と告げました。ダビデこそ、すでに8人以上の妻、側女を持ちながら(3章2節以下、5章13節以下など参照)、隣人ウリヤから、たった一匹の小羊たるバト・シェバを奪った男なのです(9節)。

 

 4節の「取り上げる」も、9節の「奪う」も、そして11章4節の「召し入れる」も、すべて「取る」(ラーカー)という動詞です。それは、サムエル記上8章11、13,15節の「徴用する」という言葉でもあります。

 

 即ち、王は「徴用」という言葉ですべてのものを隣人から取り上げ、奪うのです。そう考えると、11章4節の「召し入れる」は、相手の意志によらず、無理やり連れて来るというニュアンスで読まれるべきなのでしょう。 

 

 ダビデは、ナタンから「その男はあなただ」と指摘されるまで、自分の罪をそれほど自覚してはいなかったようです。王は、そうするものだからでしょうか。まさしく彼は、神の御前に、自分が何をしているのか、分からずにいたのでしょう(ルカ23章34節)。

 

 そしてこれは、私たちの現実でもあります。他人の過ちは、どんなに小さくても断じて赦せないと思うのに、自分の過ちには極めて寛大です。主なる神が私たちの罪を裁かれるならば、言うまでもなく、「そんなことをした男は死罪」なのです。

 

 ナタンから罪を指摘されたダビデは、「わたしは主に罪を犯した」(13節)と、直ちにそれを認めました。それこそ、主がダビデの心を御覧になって、王として立てられることになったポイントでしょう(サムエル記上16章7節参照)。

 

 詩編51編は、「ダビデがバト・シェバと通じたので預言者ナタンがダビデのもとに来たとき」(同2節)にダビデが詠んだとされる詩です(同1節)。「ヒソプの枝でわたしの罪を払ってください、わたしが清くなるように。わたしを洗ってください。雪よりも白くなるように」(9節)と、罪の清めを願います。

 

 さらに、「神よ、わたしの内に清い心を創造し、新しく確かな霊を授けてください。御前からわたしを退けず、あなたの聖なる霊を取り上げないでください。御救いの喜びを再びわたしに味わわせ、自由の霊によって支えてください」(12~14節)と求めます。

 

 ダビデは、自分が犯した罪は、もはや自分がその命をもって償うほかはないことを、はっきり自覚しました。もしも 罪人の自分が生きるのを許されるのであれば、それには魂の清めが不可欠だ。それも、生半可のことではない、修理や改善などでは到底間に合わない、あらためて清い心を創造し、確かな霊を授けて頂くほかはないというのです。

 

 これは、ずいぶん手前勝手な願いのように聞こえます。自分が罪で汚した霊魂を、清いものと取り替えてもらいたい、そこに、神の確かな霊を満たして欲しいというのですから。けれども、ダビデが詠うとおり、罪人が神の御前にあって生きるには、そのように神の憐れみに寄り縋るほかは有りません。神によらずして、清い心を創り出すことなど出来ないからです。

 

 4人の男に連れられてきた中風の男が、家の屋根を破って主イエスの前につりおろされたことがあります(マルコ2章1節以下)。そのとき、癒しに先立って「あなたの罪は赦される」(同5節)と宣言されました。これは、中風という病気の原因が、病人の罪にあるということではありません。

 

 これは、中風の男をつり下ろした男たちの信仰を主イエスが見られて、宣言されたものです。主イエスが見られた信仰とは、なんとか、この病人を主イエスのところにお連れしたい、主イエスに会わせたいという思いでしょう。その思いに「罪の赦しの宣言」で主イエスがお応えになったのです。

 

 中風の男だけでなく、連れて来た4人の男たちも、そして私たちも、先ず、主イエスに赦しの宣言を聞かなければならない罪人なのです。主イエスの、その罪の赦しの宣言を聞いて初めて、私たちは自分が罪人であるということを、正しく悟ることが出来るのです。そして、その罪の贖いのために、罪なき神の御子の命が支払われたのです。

 

 預言者ナタンは「主があなたの罪を取り除かれる。あなたは死の罰を免れる」(13節)と言い、続けて「しかし、このようなことをして主を甚だしく軽んじたのだから、生まれてくるあなたの子は必ず死ぬ」(14節)と告げました。

 

 それを聞いたダビデはその子のために主なる神に助命を願い、断食します(16節)。子に罪はありません。罪の呪いは自分にと願っての断食でしょう。しかしながら、七日目に子は息を引き取りました(18節)。自分の罪のために死んだその子を思うダビデの心の痛みはどれほどのものだったでしょう。

 

 それはしかし、誰よりも主ご自身が深く知っておられます。主なる神は、御自分の独り子なるキリスト・イエスを、私たちの罪のために、贖いの供え物としてささげられたからです。それは、罪のない御子が十字架で血を流すこと以外に、罪人の私たちを清め、生かす術がなかったからです。

 

 人知を遙かに超えた主の恵みに日々感謝し、今日も主の御旨に従って歩ませていただきましょう。

 

 主よ、あなたは御子イエスを私たちの身代わりに十字架に磔になさるため、地上にお遣わしになりました。私たちはキリストによって贖われ、自由にされました。そのことを心から感謝し、主を証しします。私たちを聖霊に満たし、主の証人として用いてください。救いの喜びが全世界に広げられますように。 アーメン

 

 

「ダビデ王は事の一部始終を聞き、激しく怒った。」 サムエル記下13章21節

 

 妹のタマルに恋したダビデ王の長男アムノンは、自分の強い恋愛感情をもてあましていました(1,2節)。アムノンの母は、イズレエル人アヒノアムです(3章2節)。そして、タマルは、ゲシュルの王タルマイの娘マアカの子で、兄はダビデ王の3男アブサロムです。つまり、アムノンとタマルは母の違う兄妹ということになります。

 

 姉妹との結婚は、律法で禁じられています(レビ記18章9節、20章17節など)。また、「タマルは処女で」とあり、王家の未婚の女性はむやみに人前に出ないようしつけられ、隔離されていたようです。だから、アムノンが彼女に近づくことも、なかなか適わず、一人タマルを恋い慕って悩んでいたのです。

 

 そのとき、ヨナダブがアムノンの悩みを知り、入れ知恵します。ヨナダブについて、「友人」と記されていますが(3節)、「ダビデの兄弟シムアの息子」というのですから、正確には「従兄弟」と紹介すべきでしょう。シムアはサムエル記上16章9節で「シャンマ」とされている人物です。

 

 ヨナダブは、アムノンが仮病を使い、父ダビデに仲介を頼んで、妹タマルを看病によこしてもらえと言いました(5節)。そこで、アムノンは早速それに従い、父にタマルへの仲介を依頼します(6節)。

 

 ダビデは、アムノンの腹の内を知らず、メッセンジャーの役を果たします(7節)。それは、ウリヤが、ダビデに持たされた手紙の内容を知らずにその配達役を果たし、その手紙により、戦死させられたことを思い起こさせ、歴史の皮肉を覚えます。

 

 タマルは、父ダビデの要請でアムノンのもとに行き、レビボットというハート型の菓子を焼きます(8節)。レビボットは「心臓」という言葉から派生した言葉で、その菓子に強壮作用があると信じられていたのでしょう。アムノンは人払いをして(9節)、タマルの手で食べさせてほしいと、彼女を寝室に招き入れ(10節)、そこで、無理やり関係を持とうとします(11節以下)。

 

 タマルは、アムノンのしようとしていることの愚かさを告げ(12節)、むしろ、父ダビデに正式に話せば、結婚も許されるだろうと提案しますが(13節)、アムノンはその声に耳を貸さず、その激情の赴くままに行動してしまいました(14節)。

 

 ところが、力づくでタマルと床を共にしたアムノンは、今度は激しい憎悪の念に襲われ、タマルを追い出して戸を閉ざしました(15節)。情と欲とは満たされたけれども、力づくの行為は、後に空しさを残すだけという結果になったのでしょう。それまで、アムノンが「愛」と思っていたものは(1節)、激しい情欲に過ぎなかったのです。

 

 それで、自ら力づくで行為に及んでおきながら、暴力的に辱めたタマルを、激しく憎むようになりました。そうしなければ、彼は心の平静を保つことが出来なかったのです。それは、何と罪深いことでしょうか。人を傷つけ、踏みにじっておいて、しかもなお、それを相手のせいにしているわけです。けれども、それが私たちの罪の現実なのです。

 

 アムノンは、タマルを追い出して、すべてなかったことにしてしまいたかったのでしょうけれども、タマルはそれで泣き寝入りする女性ではありません。灰を被り、処女のしるしであった着物を引き裂き、嘆きの叫びを上げながら歩き、兄アムノンが密室で自分にしたことを告発します(19節)。

 

 そこに、タマルの実兄アブサロムが登場します。そして、タマルを犯した相手が長兄アムノンであることを確かめると、「妹よ、今は何も言うな。彼はお前の兄だ。このことを心にかけてはいけない。」(20節)と言います。それは、妹を心配してのことのようですが、それは、妹の復讐をする機会を狙うため、しばらく沈黙させておくということでした。

 

 実際、彼は異母兄アムノンを殺す計画を立て、2年後、それを実行に移します(23節以下)。アムノンは長兄ですから、彼を復讐というかたちで亡き者にすると、王位継承権を手にすることが出来ます。それが本来の目的だったかも知れません。これらのことは「欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます」(ヤコブ書1章15節)という御言葉を思い出させます。

 

 そして、タマルにとって、これらのことは何の慰めにも励ましにもなりません。全く過失のないタマルが、自分の身と心に受けた傷を誰にも打ち明けられず、沈黙が強いられたのです。兄たちの激しい感情に翻弄され、その痛みから癒されることもなく、ただただ絶望するしかありませんでした(20節)。彼女の思いを知るのは、ただ主なる神のみだったのです。

 

 そして、家長のダビデがこの話の一部始終を聞きました。そして、冒頭の言葉(21節)の通り、「激しく怒った」と言います(21節)。それは当然のことです。ただ、ダビデはいったい何を怒ったのでしょうか。誰を怒ったのでしょうか。

 

 ダビデはこの後、何もしませんでした。アムノンを罰することも、タマルを慰めることもしてはいません。なぜ,ダビデは何もしなかったのでしょうか。その内容について、理由について、そこには何も記されていません。

 

 ただ、これが、預言者ナタンによって告げられていた、ダビデが犯した罪に対する罰かも知れません。ナタンは「剣はとこしえにあなたの家から去らないであろう」(12章10節)と言い、「主はこう言われる。『見よ、わたしはあなたの家の者の中からあなたに対して悪を働く者を起こそう』」(同11節)と告げていました。

 

 つまり、ダビデが犯した罪を、息子たちがなぞったのです。彼がしたように隣人のものを欲しがり、姦淫し、そして、殺し合うのです。ですから、一部始終を聞いたダビデは激しく怒ったものの、彼には息子たちを罰する資格はなかったわけです。

 

 8章18節に「ダビデの息子たちは祭司となった」と記されていましたが、彼らにとって祭司となるということはどういうことだったのでしょうか。ダビデの子らのうち、誰が主の祭司となったのでしょうか。

 

 そもそも、祭司は神と人との間を取り持つものとして、罪の償いのためにいけにえを献げて民のために執り成し祈る者です。また、ウリムとトンミムで神の御心を尋ね、神の託宣を民に告げ知らせる者です。

 

 その務めを果たすために、先ず、おのが身を清めます(レビ記8章7節、ヘブライ書7章27節)。即ち、清い神の御前に出るために、まず自分自身のために贖いの供え物を献げなければならない罪人であることを、徹底的に学んだ者だと言わなければなりません。

 

 私たちも、主イエスを信じて救われ、「選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です」(第一ペトロ書2章9節)。その罪の贖いのために、主イエスがダビデの子孫として生まれ、ご自身を犠牲となさいました(第一コリント書15章3節、第一テモテ書1章15節、第二テモテ書2章8節)。

 

 そして、死を打ち破って甦られ(第一コリント書15章4節)、今も生きておられます(ルカ福音書24章5,6,23節)。「アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです」(第一コリント書15章22節)。

 

 聖霊の満たしと導きに与り、主の福音を携えて、家族、知人友人、周囲の人々に、そして地の果てにまで、その恵みと喜びを証しする者となりましょう。

 

 主よ、私たちは絶えず主イエスの救いを必要としている罪人です。主の憐れみなしに生きることは出来ません。いつもブドウの木なる主イエスにつながり、その御言葉に留まって、豊かな実を結ぶ人生を歩ませて頂くことが出来ますように。聖霊の満たしと導きに与り、主にある恵みと喜びを、家族をはじめ多くの方に証しすることが出来ますように。 アーメン

 

 

「御家臣ヨアブが事態を変えるためにこのようなことをしたのです。王様は神の御使いの知恵のような知恵をお持ちで、地上に起こることをすべてご存じです。」 サムエル記下14章20節

 

 アムノンを殺してゲシュルに逃げたアブサロムをどうすべきか、ダビデは悩みました(13章37節以下)。ゲシュルは、妻であり、アブサロムの母であるマアカの母国ですし、ゲシュルの王アミフドの子タルマイは、アブサロムの祖父です(3章3節参照)。

 

 このまま放置しておけば、ゲシュルの王になるなどして、二度とアブサロムはダビデの下に帰って来ないかも知れません。皇太子を失った今、続けてアブサロムも失うことになるのは、ダビデとしては、どうしても避けたいところでしょう。

 

 ダビデは、イスラエルの王として、「裁きと恵みの業(公正と正義)」を行うために、皇太子を殺害したアブサロムを処罰すべきで、国外追放となってもやむを得ないと、その頭では考えるのですが、その心は、父親としてアブサロムに愛を示し、その罪を赦してやりたいのです。13章39節で、「アムノンの死をあきらめた王の心は、アブサロムを求めていた」というのはそのことでしょう。

 

 そもそも、アブサロムがアムノンを討ったのは、妹タマルの復讐のためでした。初めにダビデがアムノンに対して断固とした態度を取っていれば、アブサロムが妹のことでアムノンに憎悪の炎を燃やし、殺害する必要はなかったでしょう。仮に、アブサロムが王位継承権を得るためにそうしようとしていたとしても、大義名分を与えることはなかったのです。

 

 ダビデの心を察した軍の司令官ヨアブは、アブサロムを連れ戻すために一計を案じました(1節)。ヨアブに命じられて、ダビデのもとに一人の女性が遣わされ、ダビデの知恵を求めます(2節)。それはちょうど、ダビデが自分の罪を悟るように、神がナタンを遣わして語らせたのに似ています(12章1節以下参照)。

 

 女性の話を聞いたダビデは、それがヨアブの入れ知恵であると気づきました(19節)。それを女性に確かめたとき、その女性は冒頭の言葉(20節)のとおり、ダビデの知恵をたたえて、「王様は神の御使いのような知恵をお持ちである」と語りました。そしてダビデは、ヨアブの考えどおり、アブサロムを赦し、家に連れ戻すことを許可します(21節)。

 

 「これで一件落着、めでたしめでたし」と言いたいところですが、事情はそんなに単純ではありません。そもそも、ヨアブはなぜ、王子アブサロムを連れ戻したいと思ったのでしょうか。

 

 ヨアブはかつて、弟アサエルがイスラエルの司令官アブネルに戦いを挑んで敗れ、殺されたのを恨み、策略を用いてアブネルを殺し、復讐を果たしました(3章22節以下)。つまり、ヨアブは決して寛大な人物ではありません。

 

 ヨアブは女性に、「はしために残された火種を消し、夫の名も跡継ぎも地上に残させまいとしています」(7節)と言わせました。つまり、アムノン亡き後、続いてアブサロムを失うことは、ダビデの名も、そして跡継ぎも、この地上に残らない、それは、国を危うくすることだというのです。

 

 ヨアブはダビデの王位を継承する者をアブサロムと定めて、国の安定を願っているのです。あるいは、アブサロムがダビデの正統な後継者となるとき、ここでアブサロムに肩入れした自分の立場、地位がさらに堅くなると考えていたのかも知れません。

 

 あらためて、この女性は「主君である王様は、神の御使いのように善と悪を聞き分けられます」(17節)と言い、「王様は御使いの知恵のような知恵をお持ちで、地上で起こることをすべてご存じです」(20節)と語っていました。確かに、王として国を治めるためには、そのような知恵が必要でしょう。

 

 けれども、本当にダビデがそんな知恵を持っているわけではありません。故に、しばしば過ちを犯します。彼も、知恵ある者の助言を必要としている者なのです。その知恵とは、主を畏れる心に基づくものです(箴言1章7節)。

 

 本当に御使いの知恵のような知恵をダビデが持っていたのであれば、ダビデはその決定の前に、神の知恵を求めたことでしょう。彼の決定が神の御旨に適うところとなれば、神への感謝、御名をたたえる賛美を主にささげたことでしょう。

 

 後に、へロデ王の演説にティルスとシドンの住民が、「神の声だ。人間の声ではない」(使徒言行録12章22節)と叫んだとき、その栄光を神に帰さなかったため、ヘロデは主の御使いに打たれました(同23節)。

 

 今日の箇所では、神の知恵を求めて祈ることも、託宣を求めて預言者に尋ねることもありません。また、この女性が王を「神の御使いのような知恵」と讃える言葉を聞いて、ダビデがその誉を神にお返しすることもありません。

 

 上述の通り、ダビデはアブサロムを連れ戻すのを許します(21節)。ヨアブは、自分の意見が受け入れられて喜びます(22節)。けれども、ダビデ自身の心はなお複雑でした。アブサロムを連れて戻ってきたヨアブに、「自分の家に向かわせよ。わたしの前に出てはならない」(24節)というのです。王としてのプライドが言わせた言葉なのでしょうか。

 

 このようなダビデの決定、解決方法が神の御旨に適うものでなかったことは、直に明らかになります(15章以下参照)。ダビデはさらに辛い経験をしなければなりません。神の裁きが明らかになります。つまり、ヨアブは国の安定を願ってダビデに入れ知恵したのですが、それが却って国を混乱させ、ダビデの苦しみを増す結果になったのです。

 

 実に、「神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊、打ち砕かれ悔いる心」(詩編51編19節)です。罪の赦し、神の救いが安価な恵みとならないように、絶えず神の前に謙り、御言葉に耳を傾けて参りましょう。

 

 主よ、他人の相談に乗ることは出来ても、自分のことは分からない私たちです。よかれと思っても、間違っていることがあります。どうか憐れんでください。御名により、正しい道に導いてください。御言葉を聴く耳を与えてください。主の恵みと導きが常に豊かにありますように。 アーメン

 

 

「主は生きておられ、わが主君、王も生きておられる。生きるも死ぬも、主君、王のおいでになるところが僕のいるべきところです。」 サムエル記下15章21節

 

 ダビデは、軍の司令官ヨアブの言葉を受け入れて、アブサロムの帰国を許しました(14章21節)。そして2年を待たされましたが、アブサロムはダビデの前に出ることを許されます(同33節)。王子としての立場、地位を回復することが出来たのです。

 

 14章25節には、特にアブサロムの美しさに触れられています。また、軍の司令官ヨアブの肩入れもあります。それらのことから、次第にイスラエルの民は、アブサロムがダビデ王の正当な後継者になると期待するようになったのではないでしょうか。

 

 しかし、一連のダビデの態度から、このままの成り行きで自分に王位を譲るはずはないと悟ったアブサロムは、時間をかけて父から王位を奪い取る計画を立てました。先ず、自分のために戦車と馬、50人の護衛兵を整えます(1節)。それから、城門の傍らに立って、王に裁定を求めてやってくる人々の心をつかむために腐心します(2節以下)。

 

 やがて多くの人々の心をつかんだアブサロムは、40歳を機にヘブロンに向かい、旗揚げの用意をします(7節以下)。なお、「40歳になった年の終わりに」を口語訳、新改訳、岩波訳などは、70人訳、ペシタ訳に従って「4年後に」としています。新共同訳はマソラ本文に従っているのですが、しかし、「4年後に」とする方がよさそうです。

 

 というのは、ダビデがヘブロンでユダの王となり(2章3,節)、その後イスラエル全土の王となって、合計40年王位にありました(5章3~5節)。アブサロムはヘブロンで生まれた3番目の息子です(3章2,3節)。とすると、アブサロムが40歳の年の終わりにクーデターを起こした時、ダビデは既に王位になかったのではないかと考えられるからです。

 

 アブサロムがイスラエルの民の心をつかむと共に(2~6節)、ダビデの顧問であったギロ人アヒトフェルを参謀として迎えることにも成功しました(12節)。そこで、ついに父ダビデに対して反旗を翻したのです。

 

 アヒトフェルの子エリアムは、ダビデの勇士の一人に数えられています(23章34節)。また、ダビデが妻として迎えたバト・シェバは、エリアムの娘です(11章3節)。つまり、アヒトフェルは、ダビデの義祖父にもなったわけです。そのような人物が、ダビデを離れて、アブサロムにつくようになったのです。

 

 それを皮切りに、アブサロムのもとに集まる民の数が増えていったということは(12節)、ダビデが年齢を重ねて代替わりの時が近づいていることに加え、彼の犯した罪や、ダビデ家内の騒動が国内に様々な影を落とし、それを正しく裁くことの出来ないダビデから、心が離れたという人々もかなりいたということなのでしょう。

 

 けれども、ダビデには頼りになる友も少なくありませんでした。「友の振りをする友もあり、兄弟よりも愛し、親密になる人もある」(箴言18章24節)という言葉があるように、息子アブサロムに背かれたダビデを、命がけで守ろうとする友人たちがいるのです。その一人が、ガト人イタイです。

 

 ガトは隣国ペリシテの都です。イタイは、ダビデに雇われた傭兵部隊の隊長です(18章2節参照)。昔の王は、国内の政治状況に左右されない外国人を個人的な護衛兵として雇うということがあったのです。

 

 ダビデがサウルに追われて、ガトに逃避していたことがあります(サムエル記上27章)。サウルの死後、ダビデはユダの王となり(サムエル記下2章)、やがて全イスラエルの王となりました(5章1節以下)。その後、攻め上って来たペリシテを返り討ちにし、彼らを討ち滅ぼしました(同17節以下)。

 

 エルサレムを逃げ出すに際し、クレタ人、ペレティ人、ガト人がダビデについて行こうとしていました(18節)。クレタ人もペレティ人も、ペリシテの人々です。長い間敵対し、自分たちを討ち滅ぼしたダビデのところに亡命し、傭兵となっているというところに、彼の仁徳があらわされているのでしょうか。

 

 その中にいたガト人イタイに、「あなたは外国人だ。しかもこの国では亡命者の身分だ。昨日来たばかりのあなたを今日我々と共に放浪者にすることはできない。わたしは行けるところへ行くだけだ。兄弟たちと共に戻りなさい」(19,20節)と、帰国を勧めます。

 

 そのときに、ガト人イタイがダビデに語ったのが、冒頭の言葉(21節)です。イタイは、ダビデの曾祖母、モアブ人ルツが姑ナオミに示したのと同じ忠誠と献身を、ここに示したのです(ルツ記1章16~17節)。

 

 イタイがそのような返答をする理由は不明です。もしかすると、自分自身の危機において、自分のことより傭兵のことを心にかけてくれるダビデの心情に触れて、何があってもダビデについて行こうと決めたのでしょうか。ただ、その背後に、慈しみ(ヘセド)をダビデから取り去りはしないと約束された主の憐れみが示されます(7章15節)。

 

 私たちは、主イエスが十字架の上で、自分を殺そうとする者のために父なる神に執り成し祈られた、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23章34節)という言葉で、深い主の憐れみに触れました。そうして、主を信じ、主に従う者とならせていただきました。

 

 イタイのように、「主は生きておられます。生きるも死ぬも、主がおいでになるところが僕のいるところです」と、常にその信仰を言い表す者にならせていただきましょう。

 

 いえ、私たちの主は、常に共にいてくださいます。「神ご自身、『わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない』と言われました」(ヘブライ書13章5節)。「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です」(同8節)。

 

 主イエスは、「インマヌエル」(「神我らと共にいます」という意味)と唱えられるお方なのです(マタイ1章23節、28章20節)。ただただ感謝です。

 

 主よ、アブサロムの反逆は、元を質せばダビデの罪でした。預言者ナタンが告げていたとおりです。しかし、あなたはダビデを憐れまれました。同じ憐れみが、私たちにも注がれています。絶えず共におられる主の慈しみのもとに留まりましょう。恵み深い主の御言葉に耳を傾け、喜びをもって従って参りましょう。全世界に、インマヌエルの主の平安と喜びが常に豊かにありますように。 アーメン

 

 

「主がわたしの苦しみをごらんになり、今日の彼の呪いに変えて幸いを返してくださるかもしれない。」 サムエル記下16章12節

 

 ダビデは、息子アブサロムの謀反が明らかになってから、誰とも戦おうとしません。エルサレム城内に留まってアブサロム率いる反乱軍と戦えば、必ずダビデの方が負けるということでもなかったのではないかと思います。

 

 しかし、ダビデはエルサレムの町が戦乱で荒らされ、町の人々に危害が及ぶことを避けました(15章14節参照)。勿論、息子と血で血を洗う戦いをすることは、絶対にしたくなかったのでしょう。そして、自分の運命を主に委ねています(15章25~26節)。

 

 16章では、ダビデが先ず、ヨナタンの息子メフィボシェトの従者ツィバの出迎えを受け(1節)、その折、ツィバはメフィボシェトのことを、「『イスラエルの家は今日、父の王座をわたしに返す』と申していました」と、ダビデに告げます(3節)。ダビデが王宮を明け渡した今、王座がサウルの孫メフィボシェトに返されると考えているというわけです。 

 

 ただ、19章25節以下の記事と合わせて考えると、ツィバの言葉をそのまま鵜呑みには出来ません。恐らく、ツィバ自身が、エルサレムを追い落とされるダビデと、ダビデを追い出すアブサロム、どちらに着くべきかと考えていること、その考えの先には、あるいは、ダビデ家の内紛を通じて、サウル王家復興の目があるかどうかを考えていたのではないでしょうか。

 

 そして、このところは先ずダビデを応援しよう、ダビデの側に着こうと表明し、一方、メフィボシェトはアブサロムの反抗がサウル王家の復興を後押しすると考えているということで、サウル家の残党は、アブサロムに味方するだろうと、ダビデに伝えているわけです。

 

 そうすることで、ツィバは、ダビデに対する自分の立場をより高いものにしようとしているわけです。そう考えると、メフィボシェトの言葉がツィバの作文であるという可能性は、決して小さくありません。

 

 しかるに、それを聞いたダビデは、何の調査をするわけでもなく、直ぐにツィバの言葉に基づいて、メフィボシェトを自分に反抗する側の人間だと断じ、9章9節でメフィボシェトに与えることにしていたサウル家の所領を、すべてツィバのものとすると宣言してしまいます(4節)。

 

 このことは、自分に反抗する者は所領が取り上げられ、忠誠を示す者にその所領を与えることにするぞという、王として警告する言葉とも言えるでしょう。

 

 次に、サウル一族の生き残りシムイがダビデを「出て行け、出て行け。流血の罪を犯した男、ならず者。サウル家のすべての血を流して王位を奪ったお前に、主は報復なさる。主がお前の息子アブサロムに王位を渡されたのだ。お前は災難を受けている。お前が流血の罪を犯した男だからだ」(7,8節)といって呪います。

 

 そうした呪いの言葉を口にしながら、彼は、サウル王家の復興を願っているわけです。ただ、シムイの言葉には誤解、曲解が多々あります。そもそも、ダビデがサウルとその家の者に手をかけようとしたことはありません。しかしながら、ダビデはシムイの言葉を甘受します。

 

 ダビデの司令官ヨアブの弟、ツェルヤの子アビシャイが、シムイを討たせてくださいと進言しますが(9節)、「主がダビデを呪えとお命じになったのであの男は呪っているのだろう」(10節)と応え、それを退けます。

 

 さらに、「わたしの身から出た子がわたしの命をねらっている。ましてこれはベニヤミン人だ。勝手にさせておけ。主のご命令で呪っているのだ」(11節)と家臣全員に告げます。ダビデは、シムイの呪いの言葉を、神の裁きと受け止めました。サウルの家が退けられたのはまさに主の裁きでしたが(サムエル記上15章)、ダビデも確かに「流血の罪を犯した男」(8節、11章14節以下)だったのです。

 

 ダビデが逃げ出したあと、エルサレムに入城したアブサロムは(15節)、アヒトフェルの言葉に従って、王宮に残っていたダビデの側女たちのところに入りました(21,22節)。それは、王位を自分のものにしたというデモンストレーションです(3章6節以下参照)。また、それはナタンがダビデに告げていた預言のとおりのことです(12章11節)。

 

 アヒトフェルの提案したことが,主の預言を実現させることだったということもあり、アヒトフェルの告げることは神託のようだと、アブサロムのみならず、むしろダビデがそのように受け止めたことでしょう(23節)。

 

 ダビデは、誘惑の前に弱い人間の代表です。決して強い者ではありません。しかし、罪が示されるとそれを素直に認め、悔い改めることの出来る人物です。今ここに自分の罪に対する裁きが語られ、王位がアブサロムに渡されるというのなら、それをそのままに受け入れます。そのようにして徹底的に主に従う悔い改めの道を歩もうとする人物なのです。

 

 悔い改めとは、自分のしたことを後悔すること、懺悔することというよりも、はっきり向きを変えて、主なる神の言葉に耳を傾け、素直に従うこと、主の言われるとおりにするということです。

 

 詩編23編は、アブサロムに追われて放浪しているときに詠ったものだという解釈を聞いたことがあります。そこに見られるように、ダビデは、死を覚悟しなければならない状況の中で、主の御顔を仰ぎ、主の導きによって平安と希望を見出す経験をしたのです。

 

 ダビデは、シムイの呪いの言葉を主の裁きと聞いて、謙りました。そのように、主に従って歩む中で、冒頭の言葉(12節)の通り、「主がわたしの苦しみをご覧になり、今日の彼の呪いに変えて幸いを返してくださるかもしれない」、いや、憐れみの神はきっとそうしてくださると信じ受け止めることが出来たのです。

 

 主は「打ち砕かれた心に近くいまし、悔いる霊を救ってくださる」(詩編34編19節)お方です。どう祈ってよいのか分からずにただ呻いている弱い私たちを顧み、聖霊の執り成しの呻きを聞き届けて(ローマ書8章26節)、万事を益に変えてくださるお方、どんなマイナスもプラスにされるお方です(同28節)。そのように信じることの出来る者は幸いです。

 

 日々、愛と憐れみを限りなく注いで下さる主を信じる、幸せ者の道を歩ませていただきましょう。

 

 主よ、私たちの心を真理の光で照らしてください。私たちの内に迷いの道があるかどうかをご覧ください。どうか私たちを、永久の道に導いてください。私たちを憐れみ、万事を益となるように働いてくださることを感謝します。全世界に主の慈しみがとこしえに豊かにありますように。 アーメン

 

 

「アブサロムも、どのイスラエル人も、アルキ人フシャイの提案がアヒトフェルの提案にまさると思った。アヒトフェルの優れた提案が捨てられ、アブサロムに災いがくだることを主が定められたからである。」 サムエル記下17章14節

 

 アヒトフェルが、王宮を脱出したダビデにすぐ追っ手をかけるため、1万2千の兵を託して欲しいと、アブサロムに求めました(1節)。疲れて力を落としているところを急襲すれば、必ずダビデを討ち取ることが出来るというのです(2節)。

 

 この提案を聞いたアブサロムは、しかし、アルキ人フシャイの言うことも聞いてみようと言って呼び出します(5,6節)。フシャイは、15章30節に初めて登場して来ます。フシャイを同37節では、「ダビデの友」と呼んでいます。王の友とは、単なる友人ではなく、宮廷で王に仕える高官で(列王記上4章1節以下、5節参照)、相談役のことです。

 

 フシャイは、王宮を逃げ出したダビデの前に姿を現しましたが(15章32節)、ダビデはフシャイに、都に留まってアブサロムに取り入り、顧問アヒトフェルの策を覆すため(同34節)、祭司ツァドク、アビアタルと行動を共にするようにと要請しました(同35節)。フシャイはその要請を受けて、エルサレムに戻り、アブサロムに仕える者となります(16章16節以下)。

 

 アブサロムに呼び出されたフシャイは、アヒトフェルの提案を否定し(7節以下)、アブサロム王の下に、ダンからベエルシェバまで、全イスラエルの兵士を集結させ、全軍をアブサロム自身が率いてダビデに襲いかかれば、一人残らず滅ぼすことが出来ると提案しました(11節以下)。

 

 実際には、手持ちの兵ですぐ夜襲をかけるというアヒトフェルの提案の方が、より確実にダビデを打ち取ることが出来たと思われます。イスラエル全地から兵を集めるには、とても時間がかかリますし、そうなると、逃げ出したダビデも、態勢を整えることが出来ます。そうなると、戦いの行方はどちらに転ぶことになるか、分かったものではありません。

 

 ただ、アヒトフェルが自分で軍を率いると提案したのに対し、フシャイはアブサロムが率いて戦いに臨むと提案しているところが、決定の分かれ目になったのではないでしょうか。つまり、その戦いの功名をアヒトフェルが握るのか、それともアブサロムが手にするのかという点です。

 

 しかも、自分の檄でイスラエル全地の兵が集まるという提案は、どんなにアブサロムの耳に心地よく響いたことでしょう。そのうえ、冒頭の言葉(14節)の通り、アブサロムに災いを下すため、主なる神がそこに加担しておられます。優れたアヒトフェルの提案は退けられ、ダビデを逃亡させるために、ダビデの友フシャイの提案が採用されたのです。

 

 こうして、危機を逃れ、態勢を立て直すための時間的な余裕がダビデに与えられました。フシャイは、そのことを祭司ツァドクとアビアタルに告げ、急いでダビデに使者を送り、荒れ野の渡し場を渡るよう伝えさせます(15,16節)。祭司らは、自分の息子ヨナタンとアヒマアツを使者としてダビデに送ります(17節、15章36節参照)。

 

 ところが、この二人のことをアブサロムに知らせた者がいて、追っ手がかかりますが(18,20節)、彼らは、バフリムのある男の家で匿われ、無事に務めを果たすことが出来ました(18節以下)。

 

 そこでダビデの一行は、直ぐにヨルダン川を渡り(22節)、マハナイムに行きました(24節)。マハナイムは、かつてサウルの子イシュ・ボシェトが都を置いたところです(2章8節以下)。当然、サウル家に加担したいと考えている人々が少なからずいることでしょう。

 

 となると、ダビデをアブサロムに売る、あるいはダビデの寝首をかくという人々が出て来るかもしれません。しかるに、アンモン人ナハシュの子ショビ、ロ・デバル出身のアミエルの子マキル、ロゲリム出身のギレアド人バルジライがやって来て、寝具やたらい、陶器、そして、様々な食料品を差し入れ、ダビデたちを労いました(27節以下)。

 

 その理由は明らかにされていませんが、かつてサウルやヨナタンを葬ったヤベシュの人々にダビデが語ったこと(2章5節以下)、ヨナタンの子メピボシェトに行ったことを(9章1節以下)、彼らが好感していたということではないでしょうか。

 

 このように、ダビデのために次々と、様々な協力者が現れます。ダビデには欠点が多くありますが、しかし、彼が軍人としてサウルに仕え、また自身が王となってからも、イスラエルのために行動して来たことが、どれほど多くの人々に支持されていたかということを、ここに見ることが出来ます。

 

 それにひきかえ、アブサロムは重要な人物を失います。なんと、彼の参謀アヒトフェルが、自分の提案が受け入れられなかったということで、自宅に戻り、首をつって死んでしまうのです(23節)。

 

 ダビデに態勢を立て直す時間を与え、そして戦いを交えることになればどうなるか、アヒトフェルには予想がついたのでしょう。そして、先にはダビデの顧問として仕えていた自分が、主君を見限ってアブサロムに乗り換えたわけですから、アブサロム軍が敗れれぱ、自分がどのような目に遭わされるのかということも、見当がついたのです。

 

 そして、前述のとおり、主の御手があります。アヒトフェルの提案を聞いたとき、アブサロムにもイスラエルの長老全員の目にも、正しいものと映っていたのに(4節)、それにもかかわらず、アブサロムはフシャイの提案を聞いてみようと言い出しました(5節)。

 

 そして、フシャイの提案の方がアヒトフェルの提案よりも良いという、誤った判断に導かれます(14節)。それは、油注がれたイスラエルの王である父ダビデに手をかけて殺そうとするアプサロムに、主が災いを下す決定をなさったからです。

 

 主なる神は、地上に目を注ぎ、私たちの営みを見ておられます。それは、ご自身の御心が行われるためです。主を畏れ、主に聴き、主の御旨に従って歩みたいと恵います。

 

 主よ、私たちは心に様々なことを思い図りますが、しかし、あなたの御旨だけが堅く立ちます。あなたは、ダビデを憐れみ、救いを与えられました。その憐れみは、私たちの上にも日々注がれています。恵みに与った者として、主の御業のために用いられるものとしてください。御名が崇められますように。御心がこの地の上になされますように。 アーメン

 

 

「王はヨアブ、アビシャイ、イタイに命じた。『若者アブサロムを手荒には扱わないでくれ』。兵士は皆、アブサロムについて王が将軍たち全員に命じるのを聞いていた。」 サムエル記下18章5節

 

 ダビデ軍の戦いの用意が整いました。ダビデは軍を三つに分け、軍の司令官ヨアブとその兄弟アビシャイ、そして、傭兵のガト人イタイを部隊長に任じます(2節)。ダビデは、兵士たちの要求によって町に留まり(3,4節)、出陣して行くヨアブらに冒頭の言葉(5節)の通り、「若者アブサロムを手荒には扱わないでくれ」と命じました。

 

 つまり、ダビデがこの戦いで最も気にかけていたのは、息子アブサロムの命だったわけです。そのことは、戦わずしてエルサレムの王宮を明け渡したところにも表れていました(15章14節)。ダビデが出陣しようとしたのも、アブサロムを何とか保護したかったからなのでしょう。この時ダビデは、王としてではなく、父親として振る舞っています。

 

 ただ、そうはいっても 、アブサロムは謀反人です。だから「我が子アブサロム」ではなく、「若者アブサロム」と言います。また、新共同訳には訳出されていませんが、「リー」=「わたしのため」(口語訳)、「私に免じて」(新改訳)と言っています。アブサロムには同情の余地はないが、ダビデが一人の父親として振る舞いたいと考えているという表現なのでしょう。

 

 もっとも、ダビデは息子を「若者」と呼びましたが、アブサロムは、決して分別を弁えない成人前の若者などではありません。既に息子三人に娘一人を持つ、40歳の壮年です(14章27節、15章7節)※1。

 

 しかも、謀反を起こして父親を王の座から追放し、自ら王として振る舞っている男です。そのような人物を生かしておくことは、必ず、将来に禍根を残すことになるでしょう。ダビデの命が常に狙われることになりますし、国内の安定と幸福が絶えず脅かされることになります。

 

 既に、事態は後戻りを許さないところにまで来てしまいました。もはや、父子が和解し、交わりを回復する時期は過ぎてしまったのです。つまり、軍の司令官ヨアブにとっては、王ダビデを守り、国の安泰を図るために、どうしても謀反人アブサロムは殺さなけれぱならない相手なのです。

 

 いよいよ、戦いが始まります。戦場は「エフライムの森」と報告されています(6節)。ダビデはマハナイムに陣取り(17章24,27節)、アブサロム率いるイスラエル軍はヨルダン川を渡ってギレアドの野に布陣しています(同24,26節)。つまり、両軍とも、ヨルダン川の東に陣を敷いたのです。

 

 それなのに、何故また、ヨルダン川を渡ってエフライムの森に戦場を移したのか、よく分かりません。ただ、その戦いはアブサロム率いるイスラエル軍の大敗北で、2万の兵を失いました(7節)。

 

 森林さえダビデに味方したことが、8節に記されています。そして、イスラエルの王アブサロムも、樫の大木に首をひっかけて宙づりになりました(9節)。「天と地の間に宙づりになった」ということで、神がアブサロムの身柄を捕捉し、それを見つけた者に取り扱いを委ねているかのようです。

 

 それを見つけた兵がヨアブに報告し(10節)、なぜその場で地に打ち落とさなかったのか」と尋ねます(11節)。それは、迷わず殺せということです。兵が、それは王の命に背くことだとして拒みむと(12,13節)、自ら手を下してしてしまいます(14節)。

 

 やがて、アブサロム戦死の報が届くと(32節)、ダビデは悲嘆にくれました(19章1節:口語訳は18章33節)。アブサロムは謀反を起こした憎むべき者であり、王位継承者として期待していた長男アムノンを殺害した(13章23節以下)、しばらく顔も見たくないと思った相手です(14章24節)。しかしながら、前述のとおり、確かにダビデにとって愛すべき息子でもあったのです。

 

 主イエスは、「あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない」(マタイ福昔書7章11節)と語られました。

 

 自分の子どもに対する父親の愛がそうであるならば、独り子イエスに対する天の父なる神の心は、何と複雑なものだったことでしょう。悪い者を救うために、その独り子を犠牲になさったのです。

 

 聖なる神にとって「生まれながら神の怒りを受けるべき者」(エフェソ2章3節)である私たち悪しき者の罪を、そのままに放置したり、裁きなしに赦したりするということは出来ません。そこで、私たちを愛し救うために、私たちのすべての罪の呪いを独り子に負わせたのです。

 

 そして、その罪を徹底的に裁かれました。それゆえ、独り子イエスに十字架の苦しみを味わわせ、陰府にまで落とさなければなりませんでした(使徒2章27,31節参照)。

 

 主イエスが十字架の上で、「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)」(マルコ15章34節)と叫ばれたとき、父なる神はそれをどのようにお聞きになられたのでしょう。父の呻き嘆く声が聞こえるようです。

 

 私たちはこの神の愛により、恵みによって救われました(エフェソ2章8節)。罪が赦されました(コロサイ1章14節)。神の子とされました(ヨハネ1章12節)。聖霊の導きによって、幼子が父親を呼ぷように、主なる神に向かって「アッバ(お父ちゃん)」と呼ぷことが許されたのです(ローマ8章15節)。主にあって、永遠の命に生きる者としてくださったのです(第一ヨハネ5章11節)。

 

 感謝をもって主を仰ぎ、絶えず主の御言葉に耳を傾け、御旨に従って参りましょう。

 

 主よ、私たちは罪人の最たる者ですが、憐れみによって神の子とされ、御愛のうちに生かされています。その恵みを心から感謝致します。常に耳が開かれて、御声をさやかに聞くことが出来ますように。喜びと感謝をもって日々主と共に歩み、委ねられた使命に励むことが出来ますように。御名が崇められますように。御国が来ますように。 アーメン

 

註1・・18節に「アブサロムは…跡継ぎの息子がなく、名が絶えると思った…」とあり、14章27節と矛盾します。諸説あるようですが、三人の子があったけれども、何らかの理由で早く息子たちが亡くなり、石塚を立てていたと考えるのが、一番自然ではないかと思われます。また、15章7節の「40歳になった年の終わりに」を、口語訳、新改訳、岩波訳などは、70人訳(ギリシア語訳旧約聖書)、ペシタ訳(シリア語訳聖書)に従って「4年後に」としています。

 

 

「あなたたちはわたしの兄弟、わたしの骨肉ではないか。王を連れ戻すのに遅れをとるのか。」 サムエル記下19章13節

 

 反乱軍の首謀者アプサロムが討ち取られ(18章15節)、ダビデ軍が勝利を収めました。けれども、素直に喜べません。アブサロムはダビデの息子です。本来ならば、王位継承順位で筆頭にいるはずの存在です。ダビデはアブサロムの存命を願いましたが(18章5節)、ヨアブはそれに従いませんでした(同11,14節)。

 

 ダビデはアブサロムの死を悼み、大声を上げて嘆きます(1,5節)。何故、こんなことになってしまったのでしょう。それはすべてダビデ自身が播いた種、自分の犯した罪の結果であると、改めて思い知らされていたのではないでしょうか。ダビデはむしろ、死ぬべきは若いアブサロムではなく、自分の方だったと考えていたのだと思います。

 

 そうしたダビデを察してか、凱旋軍が喪に服するかのように、音も立てないようにして都に戻って来ました(3,4節)。彼らはダビデを畏敬し、悲嘆の中から立ち上がるのを、じっと待つのです。 

 

 それを知った軍の司令官ヨアブは、嘆き続けているダビデのもとに行き、「アブサロムが生きていて、ダビデの兵が皆死んでいたらよかったのか。今出て来て兵に言葉をかけなければ、今後、ダビデのために働く者はいなくなる」と諭します(6節以下)。

 

 確かに、ダビデのために働いた兵士に感謝をもって報いなければ、今度は彼らが背く者となるでしょう。それで、ダビデは帰還した兵士にようやく労いの挨拶をしました(9節)。

 

 一方、アブサロムを担いで王にしようとしたイスラエルの人々が、再びダビデを王として迎えるべく、動き始めます(10節以下)。そのとき、態度を決めかねていた部族があります。それは、ユダ族です。その大半がダビデを見限り、アブサロムの側についたのです。特に、ユダの長老たちは、ダビデの報復をどれほど恐れていたことでしょうか。だから、何も出来ずにいたのでしょう(11節参照)。

 

 中でも、軍の司令官アマサは、ダビデからの懲罰を覚悟していたと思います。アマサはダビデの甥(ダビデの妹アビガイルの子)であり、ヨアブの従弟に当たります(6章25節、歴代誌上2章16,17節)。骨肉の争いといいますが、血を分けた者同士の争いは、他人同士以上の憎しみを生むものでしょう。

 

 そのような彼らに対して、ダビデの方から働きかけました(12節以下)。長男アムノンを殺し、謀反を起こした息子アブサロムの死を悼み、嘆いていたダビデです。どうして、自分の多数の親族を失うことが出来るでしょうか。

 

 彼は、腹心の友、祭司ツァドクとアビアタルを通して、ユダの長老たちに自分を王宮に連れ戻すように、伝言させたのです。そして、アマサをヨアブに代えて軍の司令官に迎えると誓うのです(14節)。

 

 これは、ヨアブが自分の命令に従わずに、息子アブサロムを殺したことに対する報復人事ということなのでしょう。けれども、この言葉は、ダビデの報復を恐れていたユダの人々をどれほど安心させたことでしょうか。ダビデの寛大な処置を、どんなに喜んだことでしょうか。ですから、彼らは一致してダビデを迎えるのです。

 

 15節に「ダビデはユダのすべての人々の心を動かして一人の人の心のようにした」とありますが、ダビデが寛容さを示していなければ、逆にユダ族は、アマサを自分たちの指導者として立て、ダビデ・イスラエルに敵対する勢力になっていったかも知れません。

 

 かくてダビデは、クーデター派の人々には、全く報復をしません。誰に対しても寛容さを示しました。それによって、ダビデはイスラエルのすべての部族の再統一に成功したのです。

 

 主イエスは「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイ福音書5章44節)と命じられました。それは容易く出来ることではありませんが、主イエスご自身、十字架の上で「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか如らないのです」(ルカ福音書23章34節)と、ご自分を殺そうとする人々の赦しのため、執り成し祈られました。

 

 また、私たちが王なる主イエスを心の王座に迎えるよう、主イエスの方から私たちの心の戸口に立って、その扉をノックされます(ヨハネ黙示録3章20節)。主イエスが、私と共に食車を囲み、互いに親しい交わりをしようと言われるのです。実に、神の御子が私たちの兄弟、私たちの骨肉となってくださったのです。

 

 朝ごとに主に向かって心を開き、御言葉に従って、心の王座に主イエスをお迎えしましょう。

 

 主よ、世界は今、様々な力に振り回されています。平和で豊かな暮らしを守るために、知恵が求められています。不安や恐れによって徒に走り回ることなく、あるいは、力づくで相手を言いなりにするというのでなく、互いに信頼し、尊敬し合える関係を築くことが出来ますように。敵を愛し、迫害する者のために祈るように教え、十字架上で実践された主イエスを、絶えず心の王座に迎えます。私たちを主の望まれるような者に造り替えてください。御心がこの地の上でも行われますように。 アーメン

 

 

「わたしはイスラエルの中で平和を望む忠実な者の一人です。あなたはイスラエルの母なる町を滅ぼそうとしておられます。何故、あなたは主の嗣業を呑み尽<そうとなさるのですか。」 サムエル記下20章19節

 

 アブサロムの謀反を鎮圧して、ようやく王国再統一が出来たと思ったのに、今度はベニヤミン族のシェバがダビデに反旗を翻します。それは、ダビデ王を巡るイスラエルとユダの諍いが発端でした(19章41~44節)。

 

 どちらが先にダビデを呼び戻そうと言ったのか、どちらが先に行動を起こしたのか、どちらが数が多いのかなど、いずれにしても大した問題ではなさそうですが、言葉を交わすうちに激論となり、ついには戦争にまで発展してしまったのです。こんな些細なことで、戦争に発展してしまうことを、心しておくべきだと思います。

 

 しかしながら、こうした背景には、ダビデ王家をめぐるユダ部族に対する嫉妬心のようなものがあるのでしょう。だから、シェバの反乱が功を奏していれば、彼がイスラエル(ユダ部族を含まない)の王となり、ベニヤミン族の伝統を引き継ぐことになったことのではないでしょうか。

 

 ベニヤミン族ビクリの子シェバの檄により、イスラエル10部族はダビデから離れていきます。ダビデは、シェバはイスラエル王国にとって危険な存在だと考えて追跡させます。

 

 しかし、シェバにはそれほどの力はありませんでした。初めは、イスラエルの民が皆彼に従ったようでしたが(2節)、全イスラエルを通ってイスラエル北端の地ベト・マアカのアベルまで来たとき(14節)、彼に従っていたのは、ごくわずかな人数だったようです。

 

 新共同訳で「選び抜かれた兵」と訳されているのは、「ベリーム」(ベリ人)という言葉です。新改訳はそのまま「ベリ人」と訳し、口語訳は「ビクリびと」と訳していました。岩波訳も「ビクリ人」として、「原文はベリ(人)」と註をつけています。つまり、シェバと同族のビクリ家の人々だけが、彼に従ったということです。

 

 上述の通り、ベト・マアカは北の国境線の町です。イスラエルの全部族を通ってそこまで行ったというのは、ダビデの軍に追跡されていると知って、全部族を動員しつつ、陣を敷くべき場所を探したけれども、実際は「イスラエルよ、自分の天幕に帰れ」(1節)と言われて、ダビデのもとを離れて、各々の所領に帰って行ったのでしょう。

 

 その結果、ならず者と言われたシェバに従う者は乏しく、彼を受け入れるところもなかったわけです。それで、ユダの軍に追われてそこまで逃げたということなのでしょう。

 

 一方、シェバを追跡するため、ダビデはユダの人々を動員するよう、ヨアブの後任として司令官に任じたアマサに命じました(4節、19章14節)。アマサは、ヨアブとは従弟同士であり、ダビデの妹の子(甥)ですが、アブサロムの反乱のとき、彼はアブサロムについて、軍の司令官に任命されています(17章25節)。

 

 そんなアマサを司令官にしたのは、反乱に加担したユダ族に対する配慮でしょう。また、「若者アブサロムを手荒には扱わないでくれ」(18章5節)というダビデの命令を守らず、アブサロムを殺害したヨアブを降格させる意図があったと考えられます。

 

 しかしながら、軍の司令官としては、アマサは力量不足でした。そもそも、アブサロムの軍をまとめて、ダビデの軍としっかり立ち向かうことが出来なかったわけです。今回、ダビデから告げられた「三日」という期日を守ることが出来ませんでした(5節)。

 

 そこで、シェバにこれ以上時間を与えるのを危険と考えたダビデは、アビシャイに家臣を率いてシェバを追跡するよう命じます(6節)。ここでも、実績のあるヨアブではなく、その兄弟アビシャイを立てるところに、やはりアブサロムを殺したヨアブに対するダビデの思いが現れているようです。

 

 彼らがギブオンにさしかかったとき、アマサが姿を現しました(8節)。しかし、ヨアブが彼を殺します(10節)。ヨアブが、アブサロムの反乱に加担していたアマサを信用せず、ダビデに危害が及ぶ危険な芽を取り除くということだったと思われます。加えて、軍の司令官に戻りたいというヨアブの思いの表れでもあります。この後、ヨアブが実際上の司令官として、兵を率いています(13節以下)。

 

 さて、シェバが逃げ込んだ町アベルとは、「牧場」という意味です。そして、ベト・マアカは「搾る家」という意味です。家畜の乳搾りをする小屋の周辺に牧場があるという光景を思い浮かべてみるとよいでしょう。そんな平和な場所が、ユダとイスラエルの戦場になろうとしているのです。

 

 アベルの町をヨアブの軍が取り囲み、塁を築いて町の城壁を破壊しようとしたとき、一人の女性がヨアブに呼ばわり、冒頭の言葉(19節)のとおり、「何故あなたは主の嗣業を呑み尽くそうとされるのですか」と語ります(19節)。

 

 女性は、町の長老たちに代わり、知恵をもってヨアブに語りかけ、町を取り囲み、攻め込もうとしている理由を尋ねています。この言葉がなければ、シェバ一人のために、アベルの町が全滅させられていたかも知れません。

 

 女性の言葉に対してヨアブは、「決してそのようなことはない。呑み尽くしたり、滅ぼしたりすることなど考えてもいない」(20節)と答えます。そして、「ビクリの子シェバという者がダビデ王に向かって手をあげたのだ。その男一人を渡してくれれば、この町から引き揚げよう」(21節)と告げます。

 

 かつて、アンモン・アラム軍との戦いにおいて、敵が軍を引いて逃げ出した時に、刃を交えないまま引き揚げ、エルサレムに戻ったヨアブでしたが(10章14節)、ここでも、問答無用、勢いに任せて攻め込むなどというのではなく、平和的な解決を選び取る知恵を発揮したのです。

 

 女性はシェバの首を渡すと約束し(21節)、町の人々のところに行きました。そのとき、シェバ一人のために町を滅亡させてもよいのか、彼を差し出せば町が守られるのだと、町の人々を説得したのでしょう。そして、逃げ込んだシェバの首をはねさせ、ヨアブに投げ落としました。

 

 ヨアブは角笛を吹いて全軍を帰還させます(22節)。こうして、たった一人の犠牲で、町の平和を守ることが出来ました。そしてそれは、ダビデのもとでイスラエルの平和が保たれることにもなりました。

 

 ところで、今日の箇所には、シェバが反逆したことについて、神の御心を問う言葉が出て参りません。預言者に尋ねることも、神に祈る言葉もありません。サムエル記の記者は、そのことに気づかせようとしているのではないでしょうか。

 

 この戦いは、どちらが良くてどちらが悪いというものでもありません。勝てば官軍でもないでしょう。イスラエル民族同士が分かれ争っているところに問題があります。

 

 主イエスが「どんな国でも内輪で争えば、荒れ果ててしまい、どんな町でも家でも、内輪で争えば成り立って行かない」(マタイ12章25節)と仰いましたが、ダビデを巡る小さな諍いが、国の分裂に発展しました。確かに、力と力の対決は、真の平和を生み出しはしません。相手を思い遣り、その言葉に耳を傾ける心がなければ、一致することは出来ません。

 

 シェバが「我々にはダビデと分け合うものはない。エッサイの子と共にする嗣業はない。イスラエルよ、自分の天幕に帰れ」(1節)と語っていますが、ソロモンの死後、ネバトの子ヤロブアムがソロモンの子レハブアムに対して同様に語り、イスラエルは南北に分裂してしまいます(列王記上12章16節)。これが、力ずくで自分の思いを成し遂げようとする人間の罪の姿なのです。

 

 すべての隔ての壁を取り壌して神と和解させ、二つのものを一つにするキリストの十字架が立てられました(エフェソ書2章14節以下。キりストー人の犠牲により、すべての罪が赦され、神との和解が完成しました(第ニコリント5章18,19節)。

 

 こうして、私たちが外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、キリストにおいて共に建てられ、霊の働きによって神の住まわれる神殿となるのです(エフェソ2章19,21節)。

 

 パウロは、私たちの神こそ「平和の源」と言います(ローマ書15章33節、16章20節)。御子キリストの贖いの業を通して私たちと和解を成し遂げてくださった平和の源なる神を仰ぎ、日々キリストにある喜びと平安をもって歩ませていただきましょう。

 

 主よ、私たちはこの世の中で希望を持たず、神を知らずに生きていました。けれども、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって神と和解し、神に近づくことが出来ます。聖霊を通して、私たちの心に神の愛が注がれています。ここから、希望をもって前進します。キリストの平和と喜ぴが、全世界に広げられますように。平和のないところに平和を造り出すために、知恵を与えてください。真の知恵に基づいて、行動することが出来ますように。 アーメン

 

 

「アヤの娘リツパは粗布を取って岩の上に広げた。収穫の初めのころから、死者たちに雨が天から降り注ぐころまで、リツパは昼は空の鳥が死者の上にとまることを、夜は野の獣が襲うことを防いだ。」 サムエル記下21章10節

 

 イスラエルで飢饉が三年間続きました(1節)。その原因は、この地方によくある干魃だと思われますが、ダビデが主に託宣を求めると、それは「ギブオン人を殺害し、血を流したサウルとその家に責任がある」(1節)と主がお答えになりました。

 

 ギブオンはべニヤミン族の土地の中にある町ですが、ヨシュアの時代、この町のカナン人が巧みにイスラエルと平和条約を結んで、そこに住み続けていました(ヨシュア記9章参照)。2節で「ギブオン人はアモリ人の生き残りで、イスラエルの人々に属する者ではないが、イスラエルの人々は彼らと誓約を交わしていた」というのは、そのことです。

 

 サウルがいつギブオン人を殺害したのか、サムエル記にはその記述はありません。それがここで、「ところがサウルは、イスラエルとユダの人々への熱情の余り、ギブオン人を討とうとしたことがあった」(2節)と説明されます。

 

 カナン人が国内に安住しているのは、イスラエルとユダの人々のためによくないと考えて、それで、サウルは王として彼らを殺害したということでしょう。その罪が呪いとなって、3年続いて飢饉が起こったというわけです。

 

 それで、ダビデが罪の償いについてギブオン人に尋ねると(3節)、彼らは「わたしたちがイスラエルの領土のどこにも定着できないように滅亡を謀った男、あの男の子孫の中から7人をわたしたちに渡してください。わたしたちは主がお選びになった者サウルの町ギブアで、主の御前に彼らをさらし者にします」(5,6節)と答えました。

 

 ある註解者が、この話はダビデがサウル家に脅威を感じていて、それを合法的に取り除くために、どこにも証拠のない、飢饉が襲ったのはサウルの罪のためだという神の託宣があったことにしたのであろう。そして、この危機から逃れるために、心ならずもサウル一族の男子7名の命を奪ったという解釈をしています。

 

 もしも本当に、サウルがそのような罪を犯していたのであれば、預言者サムエルがそれを指摘、糾弾しないはずはなく、そうでなくても、サムエル記の著者がそれを書き残さないはずはないでしょう。

 

 そうしなかったのは、サウルが実際に行ったという事件なのではなく、ダビデが自分の王座の安定を図るために、主の託宣とギブオン人との契約を利用して、サウル家の者に残忍な利己的行為を行ったことを知らしめるためだと考えるのです。

 

 だからこそ、サウル家一族の出で、ゲラの子シムイが「出て行け、出て行け。流血の罪を犯した男、ならず者。サウル家のすべての血を流して王位を奪ったお前に、主は報復なさる」(16章7,8節)とダビデを呪って言ったのだと想定しています。

 

 ことの真偽は不明ですが、王位を守るために不安の種を取り除いておこうとする行為は、ダビデ自身がサウル王から絶えず命を狙われるという経験をしています。また、ヘロデ大王は、ユダヤ人の王として生まれた方があるという情報に基づき(マタイ2章2節)、ベツレヘム周辺の2歳以下の男児を殺させたという事件を起こしました(同16節)。

 

 それだけでなく、ヘロデは、自分の最愛の妻や子どもたちも、自分の王座を狙っているという中傷、また疑心暗鬼のために殺害したそうです。王というものが持つ悲しさ、愚かさでしょうか。

 

 いずれにせよ、ダビデは、サウルの子ヨナタンの息子メフィボシェトを渡すわけにはいかないと考え(7節)、サウルの側女リツパの二人の息子と、サウルの娘ミカルの五人の息子を捕らえて(8節)、ギブオン人に引き渡しました。

 

 ダビデは、サムエル記上20章12節以下でヨナタンと、ヨナタンの家からダビデの慈しみを絶やさないこと、同24章22節でサウルと、サウルの子孫を断たないことを約束していました。リツパは側女であって、その子らはサウルの正統な後継者ではないということ、また、アドリエルに嫁したミカルの子らについても、サウルの後継者ではないということで、約束違反にはならないというのでしょう。

 

 ここで、ミカルの息子とありますが、実際にはミカルの姉メラブの息子たちのことでしょう。ミカルが結婚したダビデとの間に子はなく(6章23節)、また、アドリエルに嫁いだのはメラブです(サムエル記上18章19節)。

 

 ギブオン人は、7人の子らをギブアの山で一度に処刑し、主の前にさらし者にしました(9節)。その7人の遺体を、サウルの側女リツパが、冒頭の言葉(10節)のとおり、烏や獣の襲撃から守ったとあります。それは、「収穫の初めのころから、死者たちに雨が降り注ぐころまで」と記されています。

 

 「収穫の初めのころ」は、9節で、リツパの子らが処刑されたときであり、それは、大麦の収穫が始まることであったと説明されています。「死者たちに雨が降り注ぐころ」とは、大麦の収穫後に降った雨ということになります。

 

 イスラエルにおいては、12月から3月が雨期で、雨期の始めと終わりの雨が降ります。「収穫の初めのころ」が雨期の終わりで、次の「雨が降り注ぐ」のは12月です。それ以前に降れば、それは季節外れの雨ということになります。いずれにせよ、その雨は干魃が終わりを告げ、飢饉を脱したことを示すものです。ということは、ギブオンの人々の血の呪いが解けたということを示します。

 

 そんな雨が降るまでということは、実際にどれくらいの日月があったのかは不明ですが、親が子を思うまさに献身的な愛情を、そこに見ることが出来ます。絶えず死体に群がってくる猛禽に立ち向かうというのは、生半可なことではありません。まったく親心の有り難さというものです。

 

 リツパの行動の報告を受けたダビデは(11節)、ヤベシュ・ギレアドの人々からサウルとヨナタンの遺骨を受け取り(12節)、そして、今回さらし者にされたサウルの子孫の遺骨を集め(13節)、それらを、サウルの父キシュの墓に葬りました(14節)。殺された七人の子に、罪はありません。サウルの罪の身代わりに、その呪いを受けたかたちです。

 

 私たちは、サウルの7人の子孫にはるかにまさる、神の独り子の血の贖いによって、雨のように降り注いでくる神の恵みに与ることが出来ます。そして主は、昼も夜もまどろむことなく眠ることなく、私たちの盾となり、絶えず右にいて、私たちを討とうとするすべてのものから守ってくださるのです(詩編121編4節以下)。

 

 この豊かな恵み、御子の命によって与えられる重い恵みを無駄にして、主の御言葉を聴くことの飢饉に陥ることがないように(アモス書8章11節)、常に心して主の御声に耳を傾けたいと思います。

 

 主よ、あなたの深い憐れみに感謝します。私たちが被るぺき罪の呪いを、神の御子キリストがすぺて身に負ってくださいました。あなたの恵みにより、今の私があるのです。その恵みに応え、その召しに従い、後ろのものを忘れ、前のものに向かって、ひたすら走ります。御名が崇められますように。この地に御心が行われますように。 アーメン

 

 

「敵は力があり、わたしを憎む者は勝ち誇っているが、なお、主はわたしを救い出される。彼らが攻め寄せる災いの日、主はわたしの支えとなり、わたしを広い所に導き出し、助けとなり、喜ぴ迎えてくださる。」 サムエル記下22章18~20節

 

 22章には、「ダビデの感謝の歌」とされる詩が記されています。これとほとんど同じ詩が、詩編18編にあります。1節に言うとおり、ダビデが自分の生涯を振り返り、その時々に救いの御手を伸べてくださった主なる神に対する感謝と賛美の言葉を連ねているという内容です。

 

 サムエル記上2章1節以下に「ハンナの祈り」とされる歌があり、その歌とこの「ダビデの歌」によって、サムエル記が枠づけられています。即ち、サムエルの誕生からサウルの登場、そして、ダビデに至るイスラエルの歴史は、単なる権力と戦いの物語というのではなく、主の権威、御力による救いの物語であり、それに対して、イスラエルが感謝と賛美をささげるというかたちです。

 

 この歌には、1節の「救い出す」(ナーツァル)という言葉が、冒頭の言葉(18節)と49節(「助け出す」と訳されている)にもあります。3節の「救い」(エイシャー)という名詞が、36,47節にもあり、また同根の「救う」(ヤーシャー)という動詞が3節に2度(一つは「勝利を与える」と訳されている)、4,28,42節(「助ける」と訳されている)に用いられています。救いをテーマに、様々な表現を用いているわけです。

 

 主なる神は、イスラエルに様々な指導者を立て、正義と公正をもってあらゆる苦難からイスラエルを助け出すようにされました。初めはモーセ、次にヨシュア、その後は士師たち、最後の士師サムエル、そして、イスラエルの歴史に初めて登場して来た王たち。しかしながら、イスラエルに真の救いをもたらさられたのは、主なる神御自身だったということです。

 

 ダビデの人生は苦難の連続でした。内に外に、様々な戦いや試練がありました。若い日には、サウル王に妬まれ、命をつけ狙われました(サムエル記上18章以下)。サウルの死後、自身が王となって、今度は息子アブサロムが謀反を起こしました(サムエル記下15章以下)。その後、シェバの反逆もありました(同20章)。

 

 そのように、何度も死線を越えるような経験をしています。それを、「死の波がわたしを囲み、奈落の激流がわたしをおののかせ、陰府の縄がめぐり、死の網が仕掛けられている」(5,6節)と詠っています。確かに、私たちにとっても最大の敵は「死」です。誰も、この戦いを免れることは出来ません。そして、誰も死の力に打ち勝つことは出来ません。

 

 けれども、「苦難の中から主を呼び求め、わたしの神を呼び求めると、その声は神殿に響き、叫びは御耳に届く」(7節)と詠うダビデは、主が救い出してくださるので、どんな相手に対しても、私たちは常に勝利することが出来ると確信しているのです。

 

 それは、ダビデが助けを求めて主に叫ぶ度に、主が答えてくださったという経験に基づく確信です。ダビデはそれを、冒頭の言葉(18節)のとおり、「敵は力があり、わたしを憎む者は勝ち誇っているが、なお、主はわたしを救い出される」と詠いました。

 

 また、続けて「彼らが攻め寄せる災いの日、主はわたしの支えとなり、わたしを広い所に導き出し、助けとなり、喜び迎えてくださる」(19~20節)と語っています。苦難の中でも主がダビデを守ってくださったので、今や全イスラエルの王として広い国土を確保することが出来、近隣には敵対する者がいなくなっているという様子を、そこに見ることが出来ます。

 

 そして、その主を信頼して、私たちにも戦いに勝利するように励ましているのです。「喜び迎えてくださる」(20節)とは、私たちが神様に喜ばれるような良い者であるということではありません。ダビデ自身、その資格があると考えていなかったでしょう。

 

 むしろ、そのような資格がないにも拘わらず、主なる神はいつでも、主を呼び求める声に耳を傾け、その都度、御手を伸べて守り助けてくださったということを、素直に喜び、感謝しているのです。

 

 「わたしは主の道を守り、わたしの神に背かない。わたしは主の裁きをすべて前に置き、主の掟を遠ざけない。わたしは主に対して無垢であろうとし、罪から身を守る」(22~24節)とは、ダビデが自分で獲得した境地ではありません。ダビデは主の前に、多くの罪、中でも姦淫と殺人という重罪を犯して来たからです。

 

 しかしながら、罪が示される度にそれを認め、主の御前に素直に悔い改めました。そして、主はダビデを憐れみ、その罪を赦されたのです。それゆえ、「御目の前にわたしは清い」(25節)と語ることが許されているわけです。

 

 主は私たちを迎えるために、独り子を犠牲になさいました。主イエスがお生まれになったとき、宿屋には彼らが泊まれる場所がありませんでした(ルカ2章7節)。公生涯に入ってからも、「人の子には枕するところもない」(同9章58節)という日々でした。私たちは主イエスのために場所を用意せず、むしろ、十字架につけて殺してしまったのです。

 

 しかるに神は、私たちが神の御国に入ることを、喜び迎えてくださいます。「広い所に導き出し」(20節)というとおり、そこはとても広く(詩編31編9節参照)、あらゆる者を迎え入れることが出来ますし、死の波も奈落の激流も、陰府の縄も死の網も届きません。

 

 そのことで、主イエスをメシア、生ける神の子と信じる信仰を土台としてその岩の上に立てられるキリストの教会には、陰府の力も対抗出来ないと、主イエスが仰いました(マタイ16章18節)。キリストが死の力を撃ち破って甦られたように、私たちも、復活の恵みに与ることが出来るのです(ローマ書6章3~5節、フィリピ書3章10,11節、コロサイ書2章12節、3章1節など参照)。

 

 主の恵みを喜び、感謝のいけにえ、賛美のいけにえを主にささげましょう。

 

 主よ、あなたは私たちの灯火であり、私たちの闇を照らしてくださいます。あなたの他に神はいません。あなたは私たちの逃れの岩です。あなたは救いの盾を私たちに授け、私たちを強い者としてくださいます。主よ、国々の中で私たちはあなたに感謝をささげ、御名をほめ歌います。私たちの父である神に、栄光が代々限りなくありますように。 アーメン

 

 

「イスラエルの神は語り、イスラエルの岩はわたしに告げられる。神に従って人を治める者、神を畏れて治める者は、太陽の輝き出る朝の光、雲もない朝の光、雨の後、地から若草を萌え出させる陽の光。」 サムエル記下23章3~4節

 

 2節以下は、ダビデの最後の言葉であると紹介されています(1節)。彼はこの詩を、主の霊に導かれて作りました。「主の霊はわたしの内に語り、主の言葉はわたしの舌の上にある。イスラエルの神は語り、イスラエルの岩はわたしに告げられる」(2~3節)と語っているとおりです。その意味では、神から詠うべき言葉を授けられた、預言的な詩ということも出来ます。

 

 ダビデは冒頭の言葉(3節)で、「神に従って人を治める者、神を畏れて治める者」といって、イスラエルで王位につく者は、神に従い、神を畏れて人を治める者でなければならないと教えています。これは、王となるための心得といって良いでしょう。

 

 なお、「神に従って」は、「正義(ツァッディーク)」という言葉です。聖書における「義」とは、神との正しい関係という意味ですから、新共同訳はそれを「神に従う」と意訳したのでしょう。

 

 そして、神に従い、神を畏れて治める者は、「太陽の輝き出る朝の光、雲もない朝の光、雨の後、地から若草を萌え出させる陽の光」(4節)であると語られます。ここに、太陽の光についての言及がなされています。

 

 それは、「地から若草を萌え出させる陽の光」と記していて、命を育むものであることを思わせます。そのことから、イスラエルの王は、神に従う正しい統治によって、神の恵みをイスラエルにもたらす者であるということが示されているのです。

 

 「ソロモンの詩」と表題がつけられた詩編72編5,6節でも、「王が太陽と共に永らえ、月のある限り、代々に永らえますように。王が牧場に降る雨となり、地を潤す豊かな雨となりますように」と詠われています。

 

 しかも、興味深いことに、その詩は「エッサイの子ダビデの祈りの終り」(同20節)という言葉で閉じられているのです。ということは、詩編の編者が、ソロモンはダビデの子なので、これもダビデの祈りではないかと考えたわけです。

 

 ところで、ダビデの子孫は皆、神に従って人を治める者、神を畏れて治める者でしょうか。6節の「悪人(ベリアル:口語訳、新改訳では「よこしまな者」)」という言葉は、ダビデに逆らう者、従わない者を指していると思われます。

 

 ここではさしあたり、ダビデの息子アブサロムやビクリの子シェバなどが考えられていると思います。20章1節でシェバのことを「ならず者」と呼んでいます。サムエル記上2章12節ではエリの息子たち、同25章17節ではナバルのことをそう記していました。

 

 しかし、アブサロムだけでなく、ダビデに連なる者の中から、そう呼ばざるを得ない者が出て来るということではないでしょうか。同30章22節に「ダビデに従って行った者の中には、悪意を持つならず者がいて」と言われています。またサム下16章7節では、シムイがダビデを「流血の罪を犯した男、ならず者」と罵っています。

 

 22章5節で「奈落(口語訳・新改訳は「滅び」)」と訳されているのも、「ベリアル」です。これは、ダビデを脅かすものということで、アブサロムらのことと言ってもよいですが、ダビデ自身の罪のこととも考えられます。罪がダビデを、抗いようもない力をもって悪へ、滅びへと誘っていくという様子を思い浮かべます。

 

 そのため、「触れる者は槍の鉄と木を満身に受ける。火がその場で彼らを焼き尽くすであろう」(7節)と警告されているのです。そして、残念ながらというべきでしょうけれども、その悪のゆえに、エルサレムの都がバビロンに攻め落とされ、多くの者が剣によって殺され、町は火で焼き尽くされ、残りの者は捕囚の憂き目を見るという結果を招きました。

 

 ダビデはしかし、霊の導きによって、もっと先のことを垣間見ていたのではないでしょうか。冒頭の言葉(3,4節)で、ダビデは自分の子孫に、神に従って人を治める者、神を畏れて治める真の王者が出ること、その統治は、輝き出る朝の光のようだと、ここに預言しているわけです。

 

 それは、預言者イザヤが、「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、乎和の君』と唱えられる」(イザヤ9章5節)と、王なるメシア到来を預言しているのと同じようなものではないでしょうか。

 

 ヨハネ福音書で主イエスのことを、「言(ことば:主イエスのこと)の内に命があった。命は人間を照らす光であった」(1章4節)、「言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた」(同12節)、「わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に更に恵みを受けた」(同16節)と語っています。

 

 主イエスは、東方の博士たちに「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」(マタイ2章2節)と呼ばれ、十字架の罪状書きに「これはユダヤ人の王イエスである」(同23章37節)と記されました。

 

 ダビデの子孫としてお生まれになり、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義とされるために復活させられた(第ニテモテ2章8節、ローマ書4章25節)主イエスこそ、ダビデが詠い、イザヤが預言した、真の「王の王、主の主」(黙示録17章14節、第一テモテ6章15節)なのです。

 

 主イエスを心の王座、生活の中心にお迎えし、賛美のいけにえ、唇の実を絶えず主にお捧げしましょう。

 

 主よ、御子イエスを私たちの王の王、主の主として、私たちの生活の中心、心の王座にお迎えします。主は命の神です。私たちの岩なる主を讃えます。主と共にあって、私たちの家は堅く立ちます。真にあなたは、私たちの救いと願いを、すべて育て上げてくださいます。いよいよ御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「その日ガドが来て、ダビデに告げた。『エブス人アラウナの麦打ち場に上り、そこに主のための祭壇を築きなさい。』」 サムエル記下24章18節

 

 主なる神がイスラエルに対して怒りを発し、ダビデに人口調査をする思いを起こさせました(1節)。軍の司令官ヨアブは、ダビデを思いとどまらせようとするのですが(3節)、王の言葉が厳しく、調査の旅に出発することになります(4節)。

 

 9ヶ月と20日の調査の旅で(8節)、戦いに出ることの出来る戦士の数がイスラエルに80万、ユダに50万、合わせて130万人に及ぶことが報告されました(9節)。この報告を受けたダビデは、罪の呵責を覚えて主の前に出ました(10節)。

 

 初めに主なる神が何を怒られたのか、何も記されておりません。また、ヨアブはなぜ、王に対して人口調査を思いとどまらせようとしたのでしょうか。そして、ヨアブの報告を聞いたダビデが罪の呵責を覚えるのは、なぜでしょうか。ここに、主の怒りの真相が隠されているようです。

 

 兵を数えるのは、それによって軍事力を計ろうとする行為です。兵の数が少なければ、外敵を恐れなければなりませんが、数が多ければそれだけ安心出来ます。そのように、自分の持てる力を知っておくことは、国防上、大切なことではないかと考えられるのです。けれども、イスラエルにとって、国に勝利を与え、平和をもたらしているのは、兵の数と力ではありません。

 

 かつてサウル王の子ヨナタンが語ったとおり、「主が勝利を得られるために、兵の数の多少は問題ではない」(サムエル記上14章6節)のです。また、ダビデ自身が若者であったとき、「主は救いを賜るのに剣や槍を必要とはされないことを、ここに集まったすべての者は知るだろう。この戦いは主のものだ」(同17章47節)と語っていました。

 

 つまり、兵の数の多少は問題ではない、救いを賜るのに剣や槍を必要とはされないというような、主なる神への絶対的信頼、信仰に立っていれば、兵の数を数え、それによって安心しようという思いになることはないというわけです。

 

 兵を数えてみようかという誘惑の背後に、主への信頼を失った不安な心か、あるいは、主に頼らずとも自分の持てる力でやっていける、これだけの力を持てば大丈夫だという高ぶりの心があると考えられるのです。

 

 ということは、そのようなダビデの不信仰や高慢が主の怒りを呼んだわけです。そして、その罪をはっきりさせるために、人口を数えるように、ダビデを誘われたのではないかと示されました。

 

 ヨアブが、「主がこの民を百倍にも増やしてくださいますように」(3節)といって、人口調査を思いとどまらせようとしたのは、この人口調査にダビデの不安、あるいは高ぶり、そして、主に対する不信を感じたからなのかも知れません。

 

 主は預言者ガドをダビデのもとに遣わし、7年の飢饉か、3ヶ月敵に追われることか、三日間の疫病か、一つを選べと言わせます(13節)。ダビデは、「主の御手にかかって倒れよう」(14節)と、疫病を選びます。それで、国に疫病が起こり、たちまち7万もの人々が病死します。いわば、これで安心と思っていた力が、主の前に全く何の頼りにもならないことを思い知らされるのです。

 

 ダビデは、イスラエルの民が御使いに打たれ、疫病で倒れるのを見て、「罪を犯したのはわたしです。わたしが悪かったのです。この羊の群れが何をしたのでしょうか。どうか御手がわたしとわたしの父の家に下りますように」(17節)と言います。心が痛み、とても見ていられなかったのです。ここに、ダビデの人間性、主の前に出る謙虚さを見ることが出来ます。

 

 そこへガドがやって来て、冒頭の言葉(18節)のとおり、主のための祭壇を築くように進言します。祭壇を築くように示されたエブス人アラウナの麦打ち場というのは、主がイスラエルに下された災いを思い返されて、御使いの手を止めさせられたところでした(16節参照)。

 

 ダビデは告げられたとおり、エブス人アラウナの麦打ち場を譲り受け(19節以下、24節)、そこに主のための祭壇を築き、焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげました(25節)。すると、主がその祈りに答えられて、疫病はやんだと記されています(25節)。

 

 ダビデが、災いの一つを選ぶとき、「主の慈悲は大きい」といって、「主の御手にかかって倒れよう」と、疫病を選びました(14節)。

 

 それは、主の災いを安易に考えていたということではないでしょう。主は恐るべきお方ですが、しかし、その裁きの中にも主の慈悲を信じたのです。そして、それに応じられるかのように、エルサレムを滅ぼそうと手を伸ばす御使いに、「もう十分だ。その手を下ろせ」(16節)と止められました。

 

 その場所は、後にダビデの子ソロモンによって、壮麗なエルサレム神殿が建てられることになります(歴代誌下3章1節)。サムエル記で「アラウナ」と記されている麦打ち場の持ち主の名が「オルナン」とされていますが、同じ状況を記述している歴代誌上21章1節以下の記事で、「エブス人のルナンの麦打ち場」(同15節など)となっていました。

 

 また、ソロモンが神殿建築を始めた「エルサレムのモリヤ山」は、かつてアブラハムが神に命じられて、息子イサクを捧げようとしたところでした(創世記22章2節)。その際、独り子をさえ惜しまず捧げようとしたアブラハムを主が止められ(同11,12節)、代わりに木の茂みに角をとられていた一匹の雄羊を捧げました(同13節)。

 

 この地に、イエス・キリストの十字架が立てられることになります。十字架という祭壇に、「世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1章29節)なる主イエスが、贖いの供え物とされるのです。

 

 ダビデは、「無償で得た焼き尽くす献げ物をわたしの神、主にささげることはできない」と言って、麦打ち場と牛の代価を払いました(24節)。ダビデの子イエスは、ご自身を贖いの供え物とされ、私たちは全く無償で救いの恵みに与っています。

 

 主の前に謙り、十字架の主を仰ぎ、心いっぱい主を愛し、主の御言葉に従っていきたいと思います。

 

 主よ、私たちは心の欲するままに行動していた、生まれながら神の怒りを受けるべき者でしたが、その豊かな憐れみにより、その愛によって、罪のために死んでいた私たちをキリストと共に生かし、共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいます。私たちの主イエス・キリストの父である神がほめ讃えられますように。 アーメン

 

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2014年8月6日サイト開設