エレミヤ書

 

 

「主はわたしに言われた。『あなたの見るとおりだ。わたしは、わたしの言葉を成し遂げようと、見張っている』。」 エレミヤ書1章12節

 

 本日から、エレミヤ書を読み始めます。エレミヤは、「ベニヤミンの地のアナトトの祭司ヒルキヤの子」(1節)です。「アナトトの祭司」というのは、ダビデに重く用いられた祭司アビアタルの子孫のことかもしれません(サムエル記上22章20節以下、サム下15章24節以下、17章15節な)。

 

 アビアタルは王位継承を巡って行動を誤り、その結果、ソロモンによって退位させられ、アナトトに追放されたからです(列王記上2章26節)。エレミヤ書には、祭司や預言者に対して厳しい裁きの言葉が多く記されていますが、それは、エレミヤが祭司の家系に生まれ育ったからこその視点であると言ってもよいでしょう。

 

 エレミヤは、「アモンの子ヨシヤの時代、その治世の第13年」(2節)、つまり紀元前627年ごろから、「ヨシヤの子ゼデキヤの治世の第11年の終わり、すなわち、その年の五月に、エルサレムの住民が捕囚となるまで」(3節)、つまり紀元前587年ごろまでのおよそ40年間、エルサレムで預言者として活動しました。

 

 ヨシヤ王は治世18年(前622年頃)にエルサレムで宗教改革を断行しました(列王記下22章3節以下、23章3節)。その5年前から活動を始めた預言者エレミヤの働きが、ヨシヤの治世に大きな影響を及ぼしていたのではないでしょうか。

 

 また、アッシュルバニパル王の死後(紀元前627年)強大だったアッシリア帝国の支配が不安定化し、 前612年に首都ニネベがメディア・カルデア、バビロニアなどの連合軍によって陥落、捲土重来を期したカルケミシュの戦い(紀元前605年)でも大敗を喫して、アッシリアは歴史の表舞台から姿を消しました。アッシリア帝国が弱体化したことも、改革断行の要因でした。

 

 4節以下に、エレミヤが預言者として召し出された出来事が記されています。主は「わたしはあなたを母の胎内に造る前から、あなたを知っていた。母の胎から生まれる前に、わたしはあなたを聖別し、諸国民の預言者として立てた」(5節)と告げられました。それに対してエレミヤは「わが主なる神よ、わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから」(6節)と答えています。

 

 「若者」(ナアル)という言葉は一般に、幼子から結婚前までの範囲の人について用いられるので、エレミヤが活動を始めたのは20歳に満たない、ティーンエイジャーであろうと想定されるのですが、ここでは年齢よりも経験不足、未熟さを言い表しているものだろうと思われます。

 

 使徒パウロが、「わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされた」(ガラテヤ書1章15節)と記しています。

 

 それは、キリスト教徒の迫害者であったパウロが、甦られたキリストと出会い、目からうろこのようなものが落ちるという出来事を経験したときに(使徒言行録9章1節以下)神から示されたものでしょう。 

 

 パウロはそこで、主が私たちをそれぞれ目的を持って母の胎においてかたち造られること、仮にそれを自覚せず、むしろ神の御心に逆行するようなことをしていても、深い憐れみによって正しい道に導いてくださるということを教えてくれます。 

 

 エレミヤが、弟子のバルクを書記として、彼が語ってきた預言を巻物に書き留めさせました。つまり、このエレミヤ書を書かせたわけですが、それは、「ヨシヤの子ヨヤキムの第4年」(36章1節)、即ち紀元前604年のことでした。エレミヤはここに、自分の召された時のことを物語りつつ、今なお自分は未熟者だと考えていたのではないでしょうか。

 

 それは謙遜というよりも、職務に対する畏れであり、主なる神に対する畏れの表れです。つまり、預言者という職務は、経験や知識などによって出来るものではなく、常に神の御前に謙り、全身を耳として、語るべき言葉を神に聴き、それを畏れの心をもって忠実に民に告げるという務めなのです。

 

 「わたしは若者に過ぎない」というエレミヤに、主は「若者に過ぎないといってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ遣わそうとも、行って、わたしが命じることをすべて語れ」(7節)と命じ、手を伸ばされてエレミヤの口に触れ、「見よ、わたしはあなたの口にわたしの言葉を授ける」(9節)と言われました。耳で聞き、目で見、手で触れるように、主なる神の召命を受け止めたのです。 

 

 エレミヤは、幻を見ました。それは「アーモンドの枝」です(11節)。アーモンドは春に桜に似た花を付けます。芽を膨らませた枝は春の訪れを示し、それを見る者に希望や喜びを抱かせるかも知れません。しかるに主は、冒頭の言葉(12節)の通り、「わたしは、わたしの言葉を成し遂げようと見張っている」と語られます。

 

 ヘブライ語原典で「アーモンド」と「見張っている」は、「シャーケード(:アーモンド)」、「ショーケード(:見張っている)」という語呂合わせになっています。エレミヤは、アーモンドの枝を見せられて、そこから、主がイスラエルに語られた言葉を実現するために見張っていると、主の霊の導きを受けて推察したということかも知れません。

 

 エレミヤはさらに、もう一つの幻を見ます。それは、煮えたぎる鍋で、北からイスラエルに傾いているというものでした(13節)。主がその実現のために見張っておられるという言葉とは、春を迎えて花が咲くというような希望や喜びを告げるものではなく、たぎっている鍋が傾いている状況から、北から恐るべき災いがエルサレムに襲いかかろうとしていることでした(14節)。

 

 そしてそれは、民が主を捨て、他の神々に香をたき、手で造ったものの前にひれ伏すという甚だしい悪に対して告げられたものでした(16節)。ここで主が見張っておられるのは、この災いが望もうとしているという言葉を、どのように受け止めるか、どう対処しようとするかというイスラエルの民の姿勢、態度でしょう。

 

 民が主を畏れ、悪を悔い改めて主に従うなら、この災いが下されるのを主は思い返されるでしょう。しかし、民が主を畏れず、その振る舞いを改めなければ、告げられたように、その煮えたぎっている鍋が倒れて中身をぶちまけ、イスラエルに恐るべき災いが臨むでしょう。

 

 ヘブライ書4章2節に「彼らには聞いた言葉は役に立ちませんでした。その言葉が、それを聞いた人々と、信仰によって結びつかなかったためです」とあります。それは、モーセによって率いられて約束の地を目指したイスラエルの民が、不信仰のゆえに荒れ野で命を落としたことを示しており、そのことで、初代キリスト者たちに、告げられている神の御言葉に対して心を頑なにしないよう教えているのです。

 

 天使ガブリエルの知らせが信じられなかった祭司ザカリアに、「あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで話すことができなくなる。時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかったからである」(ルカ1章20節)と告げられました。ザカリアは、神の御言葉がいかにして実現するのか、無言でじっと注目させられました。まさに、御言葉の実現を見張られる主のお働きに注目させられたわけです。

 

 私たちも、かならず実現すると言われた主の御言葉に日々耳を傾け、いかに実現するか、信仰をもって待ち望んでまいりましょう。信仰がなければ、神に喜ばれることはできないからです(ヘブライ書11章6節)。

 

 主よ、私たちはあなたの僕です。どうかお言葉どおり、この身に実現しますように。正しく御言葉を聴き、信仰をもって忠実に実行させてください。あなたの御言葉は真実だからです。御国が来ますように。御心が行われますように。不安と恐れの内にある人々に安息を与えてください。 アーメン

 

 

「まことに、わが民は二つの悪を行った。生ける水の源であるわたしを捨てて、無用の水溜を掘った。水をためることのできないこわれた水溜を。」 エレミヤ書2章13節

 

 新共同訳聖書は2章に「イスラエルの罪」という小見出しをつけています。

 

 イスラエルの民がエジプトで奴隷として苦しみを味わっていたとき、神の憐れみを受け、モーセに率いられてエジプトを脱出しました(出エジプト記2章23節以下、3章7節以下、10,12節、12章37節以下など)。葦の海を渡った後(同14章)、イスラエルの民はシナイの荒れ野を旅しました(同15章以下)。

 

 そのときのイスラエルのことを、「若いときの真心、花嫁のときの愛、種蒔かれぬ地、荒れ野での従順」(2節)と言われます。ナイル川によって育まれた肥沃な耕地を持つエジプトを脱出し、ただ神にのみ信頼して荒れ野を旅するイスラエルの民を、主はそのように表現されたのです。

 

 イスラエルの真心と愛と従順の対象は、主なる神です。即ち、イスラエルと主なる神との関係を、結婚を表わす言葉で表現しているのです。ただしかし、実際には、荒れ野の旅において、彼らの真心、愛、従順が絶えず試されました。

 

 荒れ野はまさに「種蒔かれぬ地」、水がなく、その地を耕して種を蒔くこともない、そこで食糧を確保することなど極めて困難な場所です。あるいはまた、野獣や盗賊といった、旅人の持ち物だけでなく、命を脅かす存在がいる場所です。

 

 イスラエルの民は、食べるに窮したときや飲み水がなくて困ったとき、この荒れ野で死ぬくらいなら、エジプトの苦役の方がまだましだ、エジプトに戻ろうと神に不平を言いました(出エジプト記16,17章、民数記14章1節以下など)。モーセの執り成しがなければ、彼らは神の怒りを買って、荒れ野で完全に滅びていたかも知れません。

 

 それだから、真心と信仰と従順を学ぶために、2週間もあればエジプトからカナンの地に入ることが出来そうなところを、40年もの間シナイ半島の荒れ野をあちらこちら行き巡ったのです。その間、毎朝マナと呼ばれるパンが天から降り(出エジプト記16章)、また岩から飲み水が出ました(同17章1節以下)。彼らの服は古びず、靴も擦り切れることがありませんでした(申命記29章4節)。

 

 神の力強い御手がイスラエルの上に延べられ、絶えず守り、助け、導きが与えられて、約束の地カナンにはいることが出来ました。けれども、カナンの地に定着し、王国を建設することが出来たとき、彼らの真心、愛、従順が揺らぎ、やがてイスラエルの民は、恵みをお与えくださる神から遠く離れて行ってしまいました(5節以下)。

 

 ダビデの子ソロモンは、その豊かさの絶頂において神に背き、妻たちのために異教の神々を祀る施設を築き、自らも偶像礼拝にふけるようになります(列王記上11章1節以下)。その結果、ソロモンの死後、国は南北に分裂してしまいました(同12章)。その後、北イスラエルはアッシリアに(列王記下17章)、南ユダはバビロンに滅ぼされることになります(同25章)。

 

 そのような国家存亡の危機にあって、王をはじめイスラエルの民は、主なる神に依り頼むのではなく、神ならぬ異教の偶像に依り頼み、あるいはまたエジプトやアッシリア、バビロンの力に頼ったのです。それが、冒頭の言葉(13節)で言われていることです。

 

 ヨシヤ王の治世第18年(紀元前622年頃)に、宗教改革が開始されました(列王記下22章3節以下)。それは、エレミヤが預言者としての活動を始めて5年後のことです。ヨシヤ王は8歳で王となりましたから(同1節)、治世第18年は26歳のときです。この改革が功を奏し、イスラエルは国力を回復します。

 

 ところが、よいことばかりは続きません。いつしかヨシヤは心高ぶり、神に尋ねることをしなくなったのです。アッシリアに助力してバビロニア軍と戦うためカルケミシュに向けて進軍するエジプトに対し、ヨシヤは国内通過を許さず、メギドで迎え撃とうとして返り討ちに遭い、戦死してしまいます(列王記下23章29節)。紀元前609年のことです。

 

 歴代誌下35章22節には「(ヨシヤは)神の口から出たネコの言葉を聞かなかった」と記されています。つまり、エジプトを迎え撃つというのが、神にその是否を尋ねての行動でなかったので、否むしろ、エジプトの王ネコの口を通して語られる神の言葉に耳を傾けようとしなかったので、神の助力を得られず、むしろ、戦死することになったというわけです。

 

 ヨシヤの死後、後を継いだ王たちはことごとく主に背き、ついに御前から捨てられることになりました(列王記下24章20節)。それが、8節で「指導者たちはわたしに背き」と告げられていることです。8節では、祭司たちや預言者たちの不従順も糾弾されています。

 

 エレミヤが預言を書き記させたのは紀元前604年のことですから、冒頭の言葉を警告として、生ける水の源なる神に依り頼み、その御言葉に聴き従っていれば、別の歴史が用意されたことでしょう。そうしなかったので、神の裁きが彼らに臨んだのです。

 

 主の御顔を尋ね求め、絶えず主の御声に聞き従いましょう。主こそまことの神であられ、生ける水の源であられるからです(12,13節)。

 

 主よ、あなたの恵みと導きを感謝致します。常に主の慈しみの御手の下に留まらせてください。私たちの心の耳を開いてください。絶えず御言葉に聴き従うことが出来ますように。私たちの心の目を開いてください。いつもその御業を見て、感謝と喜びの生活を送ることが出来ますように。 アーメン

 

 

「行け、これらの言葉をもって北に呼びかけよ。背信の女イスラエルよ、立ち帰れと、主は言われる。わたしはお前に怒りの顔を向けない。わたしは慈しみ深く、とこしえに怒り続ける者ではないと、主は言われる。」 エレミヤ書3章12節

 

 3章には「立ち帰れ」と呼びかける言葉が4度出て来ます(7,12,14,22節)。このように繰り返し呼びかけられるということは、主なる神がユダの民が立ち帰るのを、諦めず憐れみをもって待ち続けていてくださるということです。しかしながら、イスラエルはこのような再三の呼びかけにも拘らず、主に立ち帰ろうとしていないということです。

 

 1節に「もし人がその妻を出し、彼女が彼のもとを去って他の男のものとなれば、前の夫は彼女のもとに戻るだろうか。その地は汚れてしまうではないか。お前は多くの男と淫行にふけったのに、わたしに戻ろうと言うのかと、主は言われる」とあります。

 

 ユダヤの律法では、妻が離縁されて他の男と再婚すれば、死別や離縁などになっても、前の夫ともう一度ヨリを戻すことは出来ません。申命記24章1節以下に「再婚について」の規定があり、「彼女は汚されているのだから、彼女を去らせた最初の夫は、彼女を再び妻にすることはできない。これは主の御前にいとうべきことである」(同4節)と記されています。

 

 因みに「戻るだろうか」、「戻ろう(というのか)」は、「立ち帰る」と同じシューブという動詞が用いられています。他に19節の「離れる」もシューブです。12節の「背信」 はメシューバーという名詞、14,22節の「背信の」はショーバーという形容詞です。

 

 エレミヤ書全体でこれらの言葉が128回用いられており、南ユダ王国の民が主なる神に「立ち帰る」ことが、本章のみならず、預言者エレミヤに告げられた主の託宣の最重要テーマであることが示されます。

 

 1節で、夫とは主なる神のこと、妻は南ユダ王国の民を指しています。彼らは神を離れ、自分の思いのまま欲に引かれて淫行にふけって来たと言われます。であれば、再び主に立ち帰ることは不可能ということになります。

 

 そう語られるのは、主の「立ち帰れ」という呼びかけに応えるのではなく、今日はこちら、明日はあちらと自分の好きなように相手を変え、それに飽きたら元に戻ろうかなどというような振る舞いは許されるものではないということです。

 

 6節以下に、南ユダの裁きが記されます。それは、「ヨシヤ王の時代」(6節)に主がエレミヤに告げられたことです。

 

 北イスラエルは、紀元前721年にアッシリアによって滅ぼされました(列王記下17章)。南ユダはそのとき、ヒゼキヤがイザヤに執り成しを願い、その結果、難を逃れました(同19章)。苦しいときの神頼みという状況でしたが、それでも、憐れみ深い主はヒゼキヤの祈りを聞き届けてくださったのです。

 

 ところが主は、「背信の女イスラエルが姦淫したのを見て、わたしは彼女を離別し、離縁状を渡した。しかし、裏切りの女であるその姉妹ユダは恐れるどころか、その淫行を続けた。彼女は軽薄にも淫行を繰り返して地を汚し、また石や木と姦淫している。そればかりでなく、その姉妹である裏切りの女ユダは真心からわたしに立ち帰ろうとせず、偽っているだけだ」(8~10節)と言われます。

 

 さらに、「裏切りの女ユダに比べれば、背信の女イスラエルは正しかった」(11節)とさえ語られます。即ち、ヒゼキヤ王やヨシヤ王による南ユダの宗教改革は、外面的なものであって、それは真心からなされているものではなかった。ここまで好き勝手して、結婚生活を維持することは出来ないと、厳しく非難しておられるのです。

 

 それは、ヒゼキヤやヨシヤの改革が、彼らの王位を継いだ者によって元の木阿弥にされることを見れば分かります。列王記下21章3節に「彼(マナセ)は父ヒゼキヤが廃した聖なる高台を再建し、イスラエルの王アハブが行ったようにバアルの祭壇を築き、アシェラ像を造った。さらに彼は天の万象の前にひれ伏し、これに仕えた」とあります。

 

 また、列王記下23章32節に「彼(ヨシヤの子ヨアハズ)は先祖たちが行ったように、主の目に悪とされることをことごとく行った」と、ヒゼキヤの子マナセと同様に記され、ヨアハズがエジプトのファラオ・ネコに退位させられ、代わってヨシヤの子エルヤキムあらためヨヤキムが王位につけられました(同34節)が、ヨヤキムもマナセやヨアハズと同様に評されています(同37節)。

 

 冒頭の言葉(12節)で「背信の女イスラエルよ、立ち帰れ」と招かれるというのは、どういうことでしょうか。北イスラエルは南ユダの人々よりもましだから、そのように招かれたということではないでしょう。続く13節に「お前の犯した罪を認めよ」と言われているからです。

 

 彼らが招かれるのは、彼らの内にその資格があるからではありません。ユダヤの律法では不可能と言わざるを得ない復縁を、主がその深い慈しみをもって許されるということです。「わたしは慈しみ深く、とこしえに怒り続ける者ではない」と言われます。

 

 ここで「慈しみ深い」という言葉は、2章2節で「真心」と訳されている「ヘセド(慈しみ、不変の愛)」の形容詞形(ハシード)です。イスラエルの民は不実であっても、神は常に真実、変わらない愛をもって対応しようとしておられるということです。

 

 そして、北イスラエルが神の憐れみによって招かれたということは、もちろん南ユダをも憐れまれるということです。この言葉は、北イスラエルに向けられているようで、南ユダに悔い改めを求めておられるのです。エレミヤは、北イスラエルに立ち帰るように告げつつ、南ユダの悔い改めを求め、南北分裂前の統一イスラエルに戻り、真実に主を仰ぐ群れとなることを願っているわけです。

 

 ただ、聖なる神の御前に、血の贖いなしの赦しはありません(ヘブライ書9章12,22節)。神は、神に背いてはなはだしい罪を犯したイスラエルの贖いの供え物として、苦難の僕を遣わされました(イザヤ書53章参照)。

 

 苦難の僕とは、主なる神ご自身の独り子イエス・キリストのことです。私たちがまだ罪人であり、敵でさえあったときに、御子の死によって私たちの罪を贖い、神と和解させてくださったのです(ローマ書5章8節以下)。

 

 この想像を絶する神の深い慈しみ、不変の愛と憐れみのゆえに、心から御名を崇めます。この慈しみ、愛と憐れみに応えておのが罪を悔い改め、自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げ、主の器として、主の使命のために用いて頂きましょう。

 

 主よ、御名を崇め、感謝と賛美をささげます。瞬間瞬間、あなたの深い慈しみ、憐れみによって支えられ、生かされているからです。その恵みをいたずらに受けるのではなく、十字架にかかられた主イエスの僕として、神の愛に心一杯満たされて、その恵みを証しし、主の福音を宣べ伝える者とならせてください。 アーメン

 

 

「まことに、主はこう言われる。『大地はすべて荒れ果てる。しかし、わたしは滅ぼし尽くしはしない』。」 エレミヤ書4章27節

 

 5節以下には、「北から災い」(6節)がもたらされることが語られます。これは、1章13節の「煮えたぎる鍋」の幻、続く14節で「北から災いが襲いかかる」と告げられていたものです。この災いをもたらす敵について、7節で「獅子」、「諸国の民を滅ぼす者」と言われています。

 

 エレミヤが預言者としての働きを始めた頃、バビロンはまだ新興勢力でしたが、イスラエルを圧迫するアッシリアを滅ぼす希望の星として期待していたようです。岩波訳の注には、「好戦的な騎馬民族のキンメリア人やスキタイ人を指すものと解される」とあります。

 

 アッシリアは、バビロン軍に首都ニネベを落とされ、失地回復のためエジプトの助力を受けてカルケミシュでの戦いに臨みますが、この戦いに敗れて、歴史の表舞台から姿を消すことになりました。バビロン軍はその後、ヨヤキムの代にエルサレムに攻め上ってきました(列王記下24章1節)。以来、北の脅威はバビロンになりました。

 

 ヨヤキムはネブカドネツァルに降伏し、三年間服従していましたが、その後反逆しました(同1節)。ヨヤキムの死後、代わったヨヤキン王のとき、バビロン軍に都を包囲されて、王族のほか家臣、高官たちを捕虜としてバビロンに連れて行かれました。これが、第一次バビロン捕囚と言われます(同12節以下15節、紀元前597年)。

 

 ネブカドネツァルはヨヤキンに代わり、叔父マタンヤをゼデキヤと改名し、傀儡の王として立てました(同17節)。後にゼデキヤがバビロンに反旗を翻したので(同20節)、再びエルサレムがバビロン軍に包囲され、壊滅的打撃を受けることになりました(同25章1節以下)。それをさせられたのは、主なる神です(同24章20節、20章16節以下)。

 

 エレミヤが語った北からの脅威は、岩波訳のようにキンメリアやスキタイだったのか、それともバビロンのことを預言したのか、確かなことは分かりません。いずれにせよ、預言の通り北から押し寄せてイスラエルを滅ぼしたのは、バビロンだったのです。

 

 8節に「主の激しい怒りは我々を去らない」とあります。「去ら(ない)」は、シューブという動詞です。何度呼びかけて立ち帰らない民に臨んだ激しい怒りが、彼らから立ち帰らないようにされたという言葉遣いです。つまり、北からの災いとして繰り返し攻め上って来たバビロン軍は、主の激しい怒りの表れだったということです(列王記下24章20節参照)。

 

 23節以下で、「わたしは見た」(ラーイーティー)が4回繰り返されます。ここに、イスラエルが徹底的に荒らされ、滅ぼされることが語られています。

 

 預言者が最初に見たのは、「大地は混沌とし、空には光がなかった」(23節)という光景です。「混沌」という言葉は、聖書中ここと創世記1章2節の二箇所だけです。創世記では、混沌とした地に光が造られたと記されていますが、ここでは、全地の秩序が失われて混沌とした世界に戻り、光もないと語られて、ちょうど創世記の天地創造の動画を逆回ししているようです。

 

 次に見たのは、「山は揺れ動き、すべての丘は震えていた」(24節)という光景です。「国破れて山河あり」(杜甫「春望」)という詩のごとく、山や丘は不動のものの象徴ですが、安定と秩序が失われるということです。

 

 3番目は、「人はうせ、空の鳥はことごとく逃げ去っていた」(25節)という光景です。神はご自分と交わりの出来る存在として人を創られましたが、人は神に従うことをよしとしませんでした。再三「立ち帰れ」(1節、3章14節以下)と呼びかけられても、それに応じなかったので、北からの災いによって、人も空の鳥も住まないような廃墟になってしまいます。

 

 最後に「実り豊かな地は荒れ野に変わり、町はことごとく、主の御前に、主の激しい怒りによって打ち倒されていた」(26節)という光景を見ました。地を耕して産物を得るように、主なる神はアダムに使命を与えました(創世記2章15節)。アダムが神に背いてエデンの園を追い出されたように、イスラエルは裁かれて砂漠の向こうに追放され、乳と蜜の流れる実り豊かな地は、荒れ果ててしまうのです。

 

 しかしながら、かく語りつつも、神はイスラエルを、また全世界に住むすべての者を滅ぼし尽くそうと考えておられるわけではありません。27節に「大地はすべて荒れ果てる。しかし、わたしは滅ぼし尽くしはしない」と語られているからです。滅ぼし尽くさないと言われるのは、ひとえに神の憐れみです。厳正に罪が裁かれれば、神の怒りを免れることは不可能です。

 

 19節に「わたしのはらわたよ、はらわたよ。わたしはもだえる。心臓の壁よ、わたしの心臓は呻く」と記されています。「はらわた」は、感情の宿る場所と考えられていました。「断腸の思い」に通じるような表現です。また、心臓は呻く」も、心臓が破裂するような思いということでしょう。

 

 これは、御自分が選ばれたイスラエルの民を裁かねばならない神の呻きであり、そして、同胞が蒙る災いの預言を語るエレミヤ自身の呻きです。それはまた、神に裁かれて苦しむイスラエルの民の呻きに連なるものでもあります。

 

 神は、おのが罪の裁きのために呻き苦しむ民のために、永遠の救いの計画を実行に移されました。それは、独り子のイエス・キリストの十字架の死によって、私たちの罪を贖うという計画です。

 

 主イエスは、私たちが「飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれ」ました(マタイ福音書9章36節)。ここで、「深く憐れむ」(スプランクニゾマイ)という言葉が、はらわたが痛むという言葉なのです。

 

 主イエスは、私たちの罪をご自分の身に背負い、十字架に命を献げられたのです。その贖いにより、私たちは罪赦され、永遠の命が授けられ、神の子として生きる恵みに与っているのです。

 

 常に主に立ち帰りましょう。主は生きておられます。「真実(エメト)と公平(ミシュパート)と正義(ツェダカー)」(2節)、それは、主イエスによって実現される神の国の世界です。その恵みに与り、主の祝福の源なるアブラハムの子としての使命を全うさせていただきましょう。

 

 主よ、あなたが選ばれたイスラエルの民があなたに背きました。繰り返し憐れみをもって呼びかけられましたが、彼らは頑なに悔い改めを拒みました。それゆえ、救いが異邦人の私たちに広げられることになりました。救いの恵みに与らせてくださり、心から感謝致します。今、私たちを憐れまれたその憐れみをもって、イスラエルの民も救いに導いてくださると信じます。皆で神の子としての恵みと使命に生きることが出来ますように。そうして、いよいよ御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「ぶどう畑に上って、これを滅ぼせ。しかし、滅ぼし尽くしてはならない。つるを取り払え。それは、主のものではない。」 エレミヤ書5章10節

 

 1節で「エルサレムの通りを巡り、よく見て、悟るがよい。広場で尋ねてみよ、ひとりでもいるか、正義を行い、真実を求める者が。いれば、わたしはエルサレムを赦そう」と言われます。これは、創世記18章でソドムの町のために執り成すアブラハムの言葉を思い出します。

 

 アブラハムは主に向かい、「あなたは、正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。あの町に正しい者が五十人いるとしても、それでも滅ぼし、その五十人の正しい者のために、町をお赦しにはならないのですか」(同23,24節)と尋ね、「正しい者が五十人いるならば、その者たちのために、町全部を赦そう」(同26節)という主の答えを引き出します。

 

 それから、45人、40人、30人、20人、最後は10人にまで数字を減らしました。しかしながら、ソドムの町に10人の正しい者を見出すことは出来ませんでした。結局、ソドムの町は滅ぼされてしまいます。

 

 1節で「ひとりでもいるか」と主なる神が尋ねておられます。これは「ひとりもいない」ということです。「いれば赦そう」と言われますが、結局赦せないということになります。ソドムの町が滅ぼされたのも、そこに一人も正しい者がいなかったからでしょう。アブラハムの甥ロトとその家族がいましたが、彼らを正しい者とカウントすることが出来なかったわけです。

 

 さらに、そのように執り成していたアブラハム自身、自分がその正しい者の一人でないことを自覚していたのではないかと思います。それゆえ、わたしに免じて、ソドムを赦してくださらないかと主に願うことも出来なかったのです。

 

 5節に「『身分の高い人々を訪れて語り合ってみよう。彼なら、主の道、神の掟を知っているはずだ』と。だが、彼らも同様に軛を折り、綱を断ち切っていた」と言われます。正義と公正をもって国を治めるべき王や祭司、預言者ら国の指導者も、主の目に、正義を行い、真実を求める者でなく、むしろ、「軛」「綱」に示される主との関係を自ら打ち壊していたというのです。

 

 当時、聖書を手にとって読むことが出来たのは、祭司と王だけでしょう。つまり、祭司や王は、イスラエルの民が神の御言葉に聴き従うよう教え導く務めを担っていたわけです、だから、彼ら自身が御言葉に倣い、御言葉に生きつつ、民にもそうするように教えなければ、イスラエルの民は、主の道、神の掟を学ぶ術を持ち得ませんでした。

 

 そこで神は、冒頭の言葉(10節)にあるとおり、「ぶどう畑に上って、これを滅ぼせ」と言われます。5章7節に「イスラエルの家は万軍の主のぶどう畑」と言われていたとおり、「ぶどう畑」とはイスラエルのことを指しています。「つるを取り払え。それは主のものではない」と言われていますので、幹だけにするということでしょう。

 

 主イエスが、「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である」(ヨハネ福音書15章1節)と言われ、続いて「わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる」(同2節)と言われました。

 

 この関連から、実を結ばないイスラエルは、取り払われてしまうことになります。そして14節で「この民を薪とし、それを焼き尽くす」というのですから、取り払われた枝が、燃やされてしまいます(ヨハネ15章6節も参照)。

 

 そのように、北からの災い(1章13節以下、4章6節)と告げられていたバビロン軍によってイスラエルは略奪され、破壊され、滅ぼされてしまうのでしょう。15~17節にそれが語られます。

 

 神の怒りを買い、イスラエルもこれでおしまいかと思いきや、神は、「しかし、滅ぼしつくしてはならない」(10節)と言われます(18節、4章27節も参照)。これは、イスラエルの民が全滅させられるのではなく、捕虜としてバビロンに連れて行かれること、即ちバビロン捕囚のことを預言しているのです。

 

 というのは、捕囚の民がエレミヤに「何故、我々の主なる神はこのようなことを我々にされたのか」と尋ねるなら、「あなたたちはわたしを捨て、自分の国で異教の神々に仕えた。そのように、自分のものでない国で他国民に仕えねばならない」と答えよと、19節に記されているからです。

 

 これは、異教の神を慕って偶像礼拝をすれば、異国の奴隷にされるという因果応報の教えですが、徹底的に滅ぼし尽くされず、捕囚の民としてイスラエルの「残りの者」(イザヤ書4章3節、10章20,21,22節など)が生き残り、彼らにおいてイスラエルの未来が開かれます。それは、まさに主が慈しみ深く(3章12節)、イスラエルを憐れまれるからです(4章19節参照)。

 

 十字架に示された主の深い憐れみにより、その恵みに生かされた者として、日々主の御言葉に耳を傾けましょう。主の御業に目を留めましょう。主の御心を行う者とならせていただけるよう、常に御霊の導きを祈りましょう。

 

 主よ、あなたから離れては、実を結ぶことが出来ません。さらに豊かに実を結ぶために手入れをなさると言われています。どうか、あなたにふさわしくないものを私たちから取り除いてください。御言葉と御霊によって清めてください。主の十字架を仰ぎます。御言葉を慕い求めます。御霊に満たし、導きに従って歩ませてください。 アーメン

 

 

「わたしはあなたをわが民の中に、金を試す者として立てた。彼らの道を試し、知るがよい。」 エレミヤ書6章27節

 

 1節以下に、エルサレムへの裁きが宣告されます。「災いと大いなる破壊が北から迫っている」(1節)と言われていることから(22,23節、1章14節、4章6節も参照)、主なる神がバビロンを、エルサレムを裁く器として用いられることが分かります。

 

 「テコア」は、エルサレム東南の丘陵にある、預言者アモスの故郷です(アモス書1章1節)。「ベト・ケレム」は、ほかにネヘミヤ書3章14節にのみ登場する町の名で、エルサレムの南、ベツレヘムの西方にあったと考えられています。角笛やのろしは、戦いの合図で、いよいよ戦いがエルサレムに臨むということです。

 

 その合図を受けて、「羊飼いが、その群れと共にやって来る」(3節)と言われます。「羊飼い」(ローイーム)は、2章8節で「指導者」と訳されています。つまり、王が軍隊と共にやって来るということです。「彼女」たるエルサレムに向かって陣を敷きます。6節には、周辺の木が切り倒され、土塁を築く材料とされることが記されます。

 

 主は「エルサレムよ、懲らしめを受け入れよ。さもないと、わたしはお前を見捨て、荒れ果てて人の住まない地とする」(8節)と言われます。即ちバビロンがエルサレムを陥落させるのが神の御心で、それを神の懲らしめとして、民が神の御前に悔い改めることを願っておられるのです。そうしなければ、徹底的な裁きが臨み、エルサレムが人の住まない荒れ野になってしまいます。

 

 これは、まさに最後通牒なのですが、残念なことに民はエレミヤの言葉に耳を貸そうとしません。「誰に向かって語り、警告すれば聞き入れるのだろうか」(10節)とはそのことを示します。御言葉を語っても、民は主を侮り、それを受け入れようとしないのです(10節)。

 

 「耳は無割礼」について、使徒言行録7章51節でステファノが、「かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち」と語っていました。神の御告げに耳をふさぎ、預言者を嘲る行為は、無割礼の者、即ち、神の民ではないしるしというわけです。

 

 神の警告を嘲笑され、受け止めようとしないなら、語っても無駄です。けれども、だんまりを決め込もうとすると、今度は主が、「それを注ぎ出せ、通りにいる幼子、若者の集いに」(11節)と言われるので、エレミヤは徒労感で疲れ果ててしまいます。

 

 民の中には、エレミヤの預言を聞き、アッシリアに打ち勝ったバビロン帝国の台頭に不安を抱く者も少なからずいたと思われますが、そんな時、預言者から祭司に至るまで、民を欺いて(13節)、「平和、平和」(シャローム、シャローム:14節)と言います。つまり、大丈夫、心配することはないというのです。

 

 本当に大丈夫なら、本当に「平和」であるなら、確かに何の心配もありません。しかし、たとえば重傷で一刻の猶予もならないときに、適切な治療をせずにただ包帯を巻いて、もう大丈夫というだけであれば、それは、自分の無知無能ぶりをさらして、嘲りの的とされているのだと、主は言われます(15節)。

 

 神の裁きを前に、まことの癒し主である主に尋ね、その御言葉に聴き従うことなしに、真の癒しを得ることは出来ません。主こそ「平和の源」(ローマ書15章33節)であられ、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とで私たちを満たし、聖霊の力によって希望に満ち溢れさせてくださいます(同13節)。

 

 主イエスが、汚れた霊に取りつかれた子どもを癒されたことがあります(マルコ福音書9章14節以下)。初め、主イエスが不在で、弟子たちが霊を追い出そうとしましたが、出来ませんでした(同18節)。

 

 なぜ出来なかったのか議論しているところに主イエス一行がお戻りになり(同14節)、事情を聞かれます(同16節)。父親が「おできになるなら、わたしどもを憐れんでお助けください」(同22節)と願うと、主イエスは「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる」(同23節)と言われました。そして、霊を追い出してしまわれました。

 

 後から弟子たちが「なぜ、わたしたちは追い出せなかったのでしょうか」(同28節)と尋ねると、「この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことはできない」(29節)と言われました。

 

 ここで主イエスは、祈りさえすれば、信仰のあるクリスチャンなら誰でも、霊を追い出せるという、悪霊追放のノウハウを仰っておられるのではありません。弟子たちは、勿論祈って霊を追い出そうとしたことでしょう。彼らは主イエスを信じる者です。けれども、その時彼らは、汚れた霊を追い出すことが出来なかったのです。

 

 祈りという「方法」で霊を追い出すということではなく、祈りを聞かれる主が、汚れた霊を追い出してくださるということです。主イエスこそ、なんでもお出来になる方であると信じてお頼りする、主に問題を委ねる、それが信じる者の態度、祈りの姿勢ということでしょう。

 

 冒頭の言葉(27節)で神はエレミヤに、「わたしはあなたをわが民の中に、金を試す者として立てた」と言われました。金鉱石を1000度を越える温度で溶かし、そこから不純物を取り除いて純金を取り出します。1トンの鉱石から採れる純金は僅か40グラムです。エレミヤの預言が、金を試す火のような役割りを果たすということです。

 

 それは、イスラエルにとって、厳しい言葉が語られるということです。彼らがその言葉の前に謙り、聴き従うならば、信仰が清められ、高められることでしょう。もし聴き従わないならば、彼らの信仰は「青銅や鉄の滓」のように、つまり、捨てられて当然のものということが表されるということです。

 

 エレミヤは、彼の語る預言の言葉が、民に受け入れられず、むしろ侮られていることを、痛みに感じていました。しかし、その痛みは、神ご自身の痛みであり、悲しみでした。民がご自身を信頼せず、その道に歩まない「滓」のような存在であることが、いよいよ明らかになったからです。

 

 16節に、「さまざまな道に立って、眺めよ」とあります。口語訳は「分かれ道に立って、よく見」、新改訳は「四つ辻に立って見渡し」と訳しています。「幸いに至る道」を見出して、「その道を歩み、魂に安らぎを得よ」というのです。

 

 私たちにとって、主イエスこそ、その道です。主イエスは、「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ福音書14章6節)と言われました。この道を主と共に歩んで、永遠の安息に入らせていただきましょう。  

 

 主よ、私たちはあなたの深い憐れみによって主を信じる信仰に導かれ、バプテスマを受けて主の教会に加えられました。恵みと導きに感謝致します。委ねられた務めは、主イエスの証人として、キリストを知るという知識の香りを周囲に漂わせることです。神に献げられる良い香りとして用いられるように、私たちを御言葉と御霊を通して、清めてください。御心が行われますように。御国が来ますように。 アーメン

 

 

「むしろ、わたしは次のことを彼らに命じた。『わたしの声に聞き従え。そうすれば、わたしはあなたたちの神となり、あなたたちはわたしの民となる。わたしが命じる道にのみ歩むならば、あなたたちは幸いを得る』。」 エレミヤ書7章23節

 

 これまで、エレミヤの預言は詩文として記されて来ましたが、7章1節から8章3節までは散文となっています。エレミヤ書編集者の手による部分と考えられます。散文で記されている「神殿での預言」のうち、15節までは「神殿での説教」と呼ばれ、続く16節以下には「真の礼拝と偽の礼拝の比較」が語られています。

 

 後半部の22節において「わたしはお前たちの先祖をエジプトの地から導き出したとき、わたしは焼き尽くす献げ物やいけにえについて、語ったことも命じたこともない」と言った後、冒頭の言葉(23節)が語られています。主の御声に聞き従うように命じ、それに従う者には祝福を与えるというのです。

 

 出エジプト記15章26節に「もしあなたが、あなたの神、主の声に必ず聞き従い、彼の目にかなう正しいことを行い、彼の命令に耳を傾け、すべての命令を守るならば、わたしがエジプト人に下した病をあなたには下さない。わたしはあなたをいやす主である」とあります。

 

 また、同19章5,6節に「今、もしわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたたちはすべての民の間にあって、わたしの宝となる。世界はすべてわたしのものである。あなたたちは、わたしにとって、祭司の王国、聖なる国民となる」と記されています。

 

 さらに、申命記5章32,33節には「あなたたちは、あなたたちの神、主が命じられたことを忠実に行い、右にも左にもそれてはならない。あなたたちの神、主が命じられた道をひたすら歩みなさい。そうすれば、あなたたちは命と幸いを得、あなたたちが得る土地に長く生きることができる」と告げられます。

 

 同6章3節には「イスラエルよ、あなたはよく聞いて、忠実に行いなさい。そうすれば、あなたは幸いを得、父祖の神、主が約束されたとおり、父と蜜の流れる土地で大いに増える」という言葉があります。

 

 確かに神は、これまでも繰り返し、聞き従うことを命じ、そうすれば幸いを得ると約束しておられます。一方、「焼き尽くす献げ物やいけにえについて、語ったことも命じたこともない」(22節)と言われていますが、レビ記1章以下には、焼き尽くす献げ物やいけにえについて主がモーセに命じられた規定があります。これは、どう考えればよいのでしょうか。

 

 サムエル記上15章22節に「主が喜ばれるのは、焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。見よ、聞き従うことはいけにえにまさり、耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる」とあります。

 

 詩編51編19節にも、「もしいけにえがあなたに喜ばれ、焼き尽くす献げ物が御旨にかなうのなら、わたしはそれをささげます。しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を、神よ、あなたは侮られません」と記されています

 

 ただし、続く20,21節に「御旨のままにシオンを恵み、エルサレムの城壁を築いてください。そのときには、正しいいけにえも、焼き尽くす完全な献げ物も、あなたに喜ばれ、そのときには、あなたの祭壇に、雄牛がささげられるでしょう」と言われます。

 

 これを見ると、いけにえは全く必要ないということではないでしょう。ただ、神殿でいけにえを献げてさえいれば、日々の生活はどうでもよいという態度は、完全に間違っているということです。

 

 4節の「主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない」という言葉は、そのことを言っています。むしろ主なる神は、日々の生活の中で主に聴き従うことを求められます。

 

 具体的には、「この所でお前たちの道と行いを正し、お互いの間に正義を行い、寄留の外国人、孤児、寡婦を虐げず、無実の人の血を流さず、異教の神々に従うことなく、自ら災いを招いてはならない」(5,6節)と言われていることを、実行することです。

 

 ところが、イスラエルの民はその戒めを守らず、主に背く生活を送りながら、主の神殿にやって来て「救われた」と言っているということです(9,10節)。そのことをエレミヤは強烈な皮肉をもって、「わたしの名によって呼ばれるこの神殿は、お前たちの目に強盗の巣窟と見えるのか。そのとおり。わたしにもそう見える」(11節)と言います。

 

 主イエスは、十字架に架かられる前、神殿から商人たち追い出された後、イザヤ書56章7節の「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる」という言葉を引用されながら、「ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしてしまった」と、ちょうどエレミヤが語ったように、人々に教えられました。

 

 神殿を隠れ蓑に悪事を繰り返して、それを主が許されるはずはありません。そこで、エルサレムの神殿を、かつてのシロのようにすると言われるのです(14節)。ヨシュアの時代にシロに神の臨在の幕屋が建てられ(ヨシュア記18章1節)、サムエル時代初期まではそこで祭儀が行われていました(サムエル記上1章3,24節)。

 

 しかし、シロの祭司エリの息子らが「ならず者」(ベリアル:「よこしまな者、無価値、破滅」の意)で、いけにえを軽んじ、神を侮りました(同2章12節以下)。その結果、ペリシテとの戦いにイスラエルが敗れ、契約の箱がペリシテに奪われ、エリの子らも命を落とします(同4章1節以下、10,11節)。

 

 その報告を受けたエリも、城門の傍に置かれていた自分の席から仰向けに落ち、首を折って息を引き取りました(同18節以下)。聖書にその記述はありませんが、ペリシテ軍はシロの町も破壊したことが考古学的に確認されたそうです。かくて、幕屋が置かれていたシロの町の使命が終わりを告げました(詩編78編59節以下参照)。

 

 あらためて、主の言葉に聞き、道と行いを正すとは(2,3節)、主イエスが最も重要な掟として語られた、全身全霊をもって主なる神を愛すること、また、隣人を自分のように愛することという、愛の関係に生きることといってよいでしょう(マルコ福音書12章29節以下)。

 

 それは、神の独り子イエス・キリストが、私たちのための贖いの供え物となって十字架に死んでくださったからであり、全身全霊をもって私たちを愛してくださっているからです。この愛に応えて生きることが求められているのです。

 

 主よ、互いに愛し合って生きよとは、2000年前に命じられた古い掟です。しかしながら、今日改めて、新しい掟として聞きます。それこそ、主が求めておられることだからです。絶えず御言葉の光のうちを歩み、幸いを得ることが出来ますように。 アーメン

 

 

「わたしは彼らを集めようとしたがと、主は言われる。ぶどうの木にぶどうはなく、いちじくの木にいちじくはない。葉はしおれ、わたしが与えたものは、彼らから失われていた。」 エレミヤ書8章13節

 

 新共同訳聖書は4節以下の段落に「民の背信」という小見出しをつけています。主なる神がイスラエルの民を断罪する内容です。

 

 先ず、「倒れて、起き上がらない者があろうか。離れて、立ち帰らない者があろうか」(4節)とあります。人はだれでも、失敗することがあります。過ちを犯します。けれども、多くの人は、過ちに気づけば悔い改めるでしょう。ところが、エルサレムは悔い改めを拒みます(5,6節)。

 

 8節に「どうしてお前たちは言えようか。『我々は賢者と言われる者で、主の律法を持っている』と」とあります。「主の律法を持っている」と言っているのは、ヨシヤ王の宗教改革において見出された「律法の書」を指しているのでしょう(列王記下22章8節以下)。この律法の書とは、恐らく申命記の巻物のことと考えられています。

 

 確かにイスラエルには、主の律法が授けられました。しかしながら、持っていると言えるような持ち方ではありませんでした。ヨシヤ王の改革で見出されるまで、長い間失われていることすら分からなくなっていたのです。

 

 続く、「まことに見よ、書記が偽る筆をもって書き、それを偽りとした」(8節後半)という言葉は、どのような事実に基づいているのか、正確なところは分かりません。ある注解者は、律法の書を勝手に書いた、だから、偽りの律法になってしまったというのではなく、律法を書き写す書記が、誤った解釈を民に教えたということではないかと考えています。

 

 岩波訳の注に、「エレミヤが申命記のレビ的・預言者的精神は評価しつつ、祭儀的律法主義に対する懸念をここで表明している」という説が一番確からしいとあり、本来の「主の言葉」の力を、祭儀規定を細かく作成することによって薄め、自身の宗教的権威を強めるために利用したのだろうと解釈しています。

 

 いずれにせよ、主の言葉を侮り、自分勝手な解釈を施して、それで自分たちを賢者としたり、自分の権威を強めるためにそれを利用するというのは、神の怒りを買い、罰なしには済まされない悪の所業といううことになるでしょう(12節)。

 

 冒頭の言葉(13節)に「わたしは彼らを集めようとしたがと、主は言われる。ぶどうの木にぶどうはなく、いちじくの木にいちじくはない。葉はしおれ、わたしが与えたものは、彼らから失われていた」と言われています。ぶどうもいちじくも、実を結んでこそのものでしょう。実を結ばないのであれば、何の意味もありません。

 

 十字架にかかられる直前の主イエスが、エルサレムに上られた翌日、ベタニアで葉の茂ったいちじくの木を見られ、実を探されましたが、葉しかなかったので(マルコ福音書11章12,13節)、「これから後いつまでも、お前から実を食べる者がないように」(同14節)と言われ、翌朝、木が根元から枯れていたという出来事がありました(同20節)。

 

 主イエスはそのことで、「神を信じなさい。はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる」(同22~24節)と教えられました。

 

 ここに「(信じるならば)そのとおりになる」と2度繰り返されており、「そのとおりになる」というのが、信仰によって結ぶ「実」と考えられます。つまり、神を信じ、御言葉に従って歩めば、そうして、主を信じて祈り求めれば、実を結ぶことが出来るのです。

 

 さらに、「立って祈るとき、だれかに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。そうすれば、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちを赦してくださる」(同25節)と言われました。神を信じ、御言葉に従うということで、主イエスは具体的に、他人に対して恨みを抱くような苦しみ、苦難をもたらす人の仕打ちを経験している者に、それを赦してあげなさいと命じます。

 

 そんなこと、出来ますか?難しいです。出来ません。しなくて良いですか?いいえ、赦すことを主が望んでおられるのです。では、どうすればよいのですか。それは、自分の力では出来ないことを神に申し上げ、神の助けと導きを祈り求めることです。人には出来ないことも、神には出来ると信じるのです。

 

 言い訳や不平不満の言の葉を茂らせるのではなく、御言葉に聞き従って信仰の実を結ぶ者とならせていただきましょう。

 

 主よ、御子イエス・キリストが私たちを愛し、御自分の命を十字架に捨ててくださったその贖いの御業のゆえに、罪赦されて神の子とされました。神の愛を受けている神の家族、教会に連なるすべての人々が、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合う者となることが出来ますように。聖霊を満たし与えてください。その力を受けて、主の愛の証人になることが出来ますように。 アーメン

 

 

「むしろ、誇る者は、この事を誇るがよい、目覚めてわたしを知ることを。わたしこそ主。この地に慈しみと正義と恵みの業を行う事、その事をわたしが喜ぶ、と主は言われる。」 エレミヤ書9章23節

 

 1節でエレミヤは、「荒れ野に旅人の宿を見いださせるものなら、わたしはこの民を捨て、彼らを離れ去るであろう。すべて、姦淫する者であり、裏切る者の集まりだ」と言います。エルサレムで預言者として活動してきたエレミヤは、しかし、イスラエルの民がその言葉に聞き従おうとせず、神に背いて悪事を重ねていることに、ほとほと愛想が尽きてしまったのです。

 

 3節には、「人はその隣人を警戒せよ。兄弟ですら信用してはならない。兄弟といっても『押しのける者(ヤコブ)』であり、隣人はことごとく中傷して歩く」と言います。ここで「押しのける者(ヤコブ)」はヘブライ語で「アーコーブ・ヤアコーブ」と言います。これは、「押しのける」(アーカーブ)の不定詞と未完了形動詞を重ねて意味と強める表現です。

 

 それを訳語に反映させると、「必ず人を押しのける」(岩波訳参照)という言葉になります。新共同訳は未完了形の「ヤアコーブ」が族長ヤコブの名に通ずるものと考えて、「押しのける者(ヤコブ)」としていますが、預言者エレミヤがこの表現を用いたのは、彼の念頭にその語呂合わせが確かにあっただろうと思われます。

 

 ヤコブは、兄エサウの長子の権利を奪い(創世記25章27節以下)、父イサクを騙して主の祝福を自分のものとします(同27章)。紆余曲折あった後、主なる神はヤコブを祝福して、彼に「イスラエル」という名を与えました(同32章29節)。それを念頭に、ヤコブ=イスラエルはすべて、押しのける者だと言っているわけです。

 

 それでエレミヤはエルサレムを離れ、荒れ野を旅するキャラバンに着いて行きたかったのでしょう。けれども、エレミヤはエルサレムに留まって、主の御言葉を語り続けます。ここに、預言者としてのエレミヤの使命があります。そして、だからこそ悩みも深いのです。

 

 イスラエルは、自らの悪事ゆえに滅びを刈り取ることになります。11,12節はそれを示しています。この問答は、イスラエルの民がバビロンに捕囚として連行されてから、繰り返し彼らの間で交わされたことでしょう。

 

 けれども、神はイスラエルを完全に抹殺してしまおうとお考えになっていたのではありません。9節に、「山々で、悲しみ嘆く声を上げ、荒れ野の牧草地で、哀歌を歌え」と言い、16節でも、「万軍の主はこう言われる。事態を見極め、泣き女を招いて、ここに来させよ。巧みな泣き女を迎えにやり、ここに来させよ」と命じておられます。

 

 さらに19節で、「女たちよ、主の言葉を聞け。耳を傾けて、主の口の言葉を受け入れよ。あなたたちの仲間に、嘆きの歌を教え、互いに哀歌を学べ」と告げます。イスラエルが滅びることを悲しみ、泣けというわけです。

 

 「神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ」(第二コリント書7章10節)という御言葉もあります。国の滅びを悲しみ嘆く涙が、おのが罪を悔い改める涙となることを、神は願っておられるのではないでしょうか。

 

 6節で、「見よ、わたしは娘なるわが民を、火をもって溶かし、試す」と言われています。金属は、種類によって溶け出す温度が違います。温度によって分類された金属から、さらに熱によって不純物を取り除き、純度の高い金属を取り出します。神は、バビロン捕囚という試練を通して、イスラエルの民の信仰を純化、聖化しようとされるのです。

 

 しかしながら、試練に遭えば必ず信仰が純化されるというわけではありません。6章28節に、「彼らは皆、道を外れ、中傷して歩く。彼らは皆、青銅や鉄の滓、罠を仕掛けて人を滅ぼす者だ」と言われていました。金滓として捨てられるか、それとも純粋な金として取り出されるか、それは、冒頭の言葉(23節)の通り、イスラエルの民が目覚めて主を知る者となるかどうかにかかっています。

 

 そもそも2節で、「彼らは悪から悪へと進み、わたしを知ろうとしない、と主は言われる」と語られていました。ここで「知る」とは、主についての知識ではなく、主なる神と交わりを持つこと、主なる神を信頼することです。おのが知恵や力、富を頼みとして神を呼び求めなかった者たち(22節)、そしてまた、割礼を受けたことを拠って立つところとしている者たちに、あらためて主を頼みとし、主の御名を呼び求めるように教えているのです。

 

 「わたしこそ主。この地に慈しみと正義と恵みの業を行う事、その事をわたしは喜ぶ、と主は言われる」(23節)とありますが、だれよりも主ご自身が、「この地に慈しみ(ヘセド)と正義(ミシュパート)と恵みの業(ツェダカー)を行」われるお方です。だから、主を信じて神の子とされた私たちにも、主の慈しみと正義と恵みの業に与り、その恵みに応えて生きるようにと言われているのです。

 

 「怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい。希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい」、「あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」(ローマ書12章11,12,14,15節)。 

 

 主よ、罪の中にいた私たちを命の御言葉の光で照らし、光の中を歩む者としてくださったことを心から感謝します。祈りと御言葉による交わりを通して、さらに深く主を知り、その導きに従う者となり、主が慈しみ、公正と正義をもって支配される神の国の実現のために、たゆまず祈り、励む者としてください。 アーメン

 

 

「主が御声を発せられると、天の大水はどよめく。地の果てから雨雲を湧き上がらせ、稲妻を放って雨を降らせ、風を倉から送り出される。」 エレミヤ書10章13節

 

 10章の前半16節までは、主なる神に背いて異教の偶像を拝む空しさを笑い(2~5,8,9,14,15節)、まことの神の力とその御業を誉め讃えています(6,7,10~13,16節)。12~16節は、51章15~19節で再び語られます。

 

 なお、11節は紀元前5世紀頃のものと推測されるアラム語で記されており、韻律の関係から異境的環境下(たとえばバビロンにおいて)、偶像に対する呪文ではないかと思われます。それを後代の書記が関連するこの文脈の欄外注として書いたものが、後に本文に取り入れられたのではないかと想定されています(岩波訳脚注参照)。

 

 異教の神々の像は、木を彫って作られ(3節)、その上に金や銀の箔を張って飾られています(4節)。勿論、偶像が口を利いたり、歩き出したりすることはありません。エレミヤはそれを、「きゅうり畑のかかしのよう」と笑います(5節)。

 

 像を拝んでいる人々も、人間が神を作れると考えてはいないでしょうし、神に模して作られた木像が実際に口を利き、歩き出すとは考えていないでしょう。そして、彼らが拝んでいるのは、木像そのものではなく、木造の姿かたちで表されている神を拝んでいるのだと言うでしょう。

 

 しかし、美しい自然を写真に収めたり、絵に描いてストックするように、目に見えない神を描き、また像に刻むことは出来ません。神にかたちを与えるということは、神を自分のものとし、自分の思いの中に神を閉じ込めようとする行為にほかならないのではないでしょうか。

 

 また、神像を作らなければよいということでもありません。かつて、ローマ・カトリック教会が免罪符を売り出したのは、教会堂を建て直す資金を集めるという自分たちの目的のために、神の救いの恵みを利用するということで、これも神を偶像化した所業と言わざるを得ません。

 

 その意味では、神の姿かたちであれ、御言葉であれ、御業であれ、私たちがそれを定義づけて表現しようとするとき、絵画や彫刻ばかりでなく、音楽、あるいはまた言葉でするにせよ、絶えず偶像化の危険が伴っていることになります。そのような罠に陥らないためには、常に神を畏れ、その御言葉に信仰をもって従順に聴き従うほかありません(詩編119編9節以下など)。

 

 エレミヤは主なる神について、「あなたに並ぶものはありません。あなたは大いなる方」(6節)と、その比類のなさを告げます。「主は真理の神、命の神、永遠を支配する王」(10節)であり、「御力をもって大地を造り、知恵をもって世界を堅く据え、英知をもって天を広げられた」(12節)、「万物の創造者であり、イスラエルはその方の嗣業の民である。その御名は万軍の主」(16節)です。

 

 一方、「天と地を造らなかった神々は、地の上、天の下から滅び去る」(11節)と告げます。偶像礼拝の愚かさ、空しさを、このような呪詛の言葉にして教えているわけです。

 

 そして、冒頭の言葉(13節)のとおり、「主が御声を発せられると、天の大水はどよめく。地の果てから雨雲を湧き上がらせ、稲妻を放って雨を降らせ、風を倉から送り出される」と語ります。天地の創造者は、それらの地からの統治者であられるのです。

 

 イスラエル周辺では、天と地、稲妻や雨なども、神として礼拝する対象になりました。エレミヤは、それらはすべて主なる神の被造物であり、まことの神は、御声をもってそれらのものを従わせておられると告げているわけです。

 

 1993年の秋、甲子園球場で大きな集会が開かれた際、冒頭の言葉からテーマソングが造られました。日本全国から毎日3万人以上の人々が球場に詰め掛け、スタンドやグランド内の席を埋めました。そして毎晩何百人もの人々が主イエスを信じて救いに与りました。

 

 翌年には、米国の伝道者ビリー・グラハムが来日して、東京ドームで集会が開催され、その様子が衛星放送で全国各地に同時配信されました。大きなスクリーンに映し出される集会の光景を見ながら、すごい時代になったなあと思ったものです。

 

 神がその御力を表されるなら、日本国内でもっともっと大きな集会が催され、多くの人々に救いの御業が開かれるようになることでしょう。神の恵みが大雨のごとく降り注ぎ、いたるところで偉大な神の御業を見るようになるでしょう。

 

 そういうことが起こるのか、どのように起こされるのか、勿論定かではありません。期待したとおりになってもならなくても、私たちは万物の創造者にして支配者であられ、私たちをご自分の民に加えてくださった憐れみ豊かな、他に並び立つもののない絶対者なるお方を、主、わたしたちの神と信じ、キリストに従って歩ませていただいています。

 

 日々主を尋ね求め、御霊に満たされ、主の証人としての使命を果たすことが出来るように、祈りましょう。家族の救い、知人友人の救いを求めて祈りましょう。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも、その家族も救われます」(使徒言行録16章31節)と約束されているからです。

 

 主よ、あなたは御声をもって天地万物を創造し、御心のままにそれらを用いられます。この地に主の御業が表されますように。私たちの家族が、知人友人が救われますように。そのために私たちが用いられますように。喜びをもって御言葉に耳を傾け、導きに素直に従う信仰と、上よりの知恵を授けてください。御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「あなたは、この民のために祈ってはならない。彼らのために嘆きと祈りの声をあげてはならない。災いのゆえに、彼らがわたしを呼び求めてもわたしは聞き入れない。」 エレミヤ書11章14節

 

 主なる神がエレミヤに「この契約の言葉を聞け。それをユダの人、エルサレムの住民に告げよ」(2節)と言われ、そして「この契約の言葉に聞き従わない者は呪われる」(3節)と語らせます。6節、8節にも「契約の言葉」が出て来ます。

 

 この「契約の言葉」というのは、これからエルサレムの住民と新しく結ぶ契約の言葉などではなく、かつて、シナイ山でモーセを通して結んだ契約のことです(出エジプト記24章参照)。4節に「これらの言葉はわたしがあなたたちの先祖を、鉄の炉であるエジプトの地から導き出したとき、命令として与えたものである」と言われているからです。

 

 ヨシヤ王の治世第18年(BC622年頃)に神殿の修復工事をさせていたとき、律法の書が見つけられました(列王記下22章8節)。ということは、長い間失われたままになっていて、その上、そのことに気づきもしなかったということです。王はエルサレムのすべての民に、律法の書を読み聞かせ、そこで改めて主の御前に契約を結び、契約の言葉を実行することを誓いました(同23章2,3節)。

 

 モーセの時代は、紀元前1300~1400年ごろです。それからヨシヤ王による契約まで、700~800年が経過したことになります。その間、いつ契約書である律法の書の所在が不明になったのか、よく分かりません。その意味で言えば、ダビデ・ソロモン以降、初めて主なる神とイスラエルの民との間で契約が取り交わされたといってよいでしょう。 

 

 契約の基本的な目的は、イスラエルの民が神の民となり、主なる神がイスラエルの神となることです(4節)。これは、新しい契約でも同じです(31章33節)。旧約と新約の違いは、契約の条件です。古い契約の条件は、「わたしの声に聞き従い、あなたたちに命じるところをすべて行えば」(4節)というように、イスラエルの民が主に聴き従い、律法をすべて守り行うことです。

 

 それに対して新しい契約は、「わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す」(31章33節)とあり、それは、主の御言葉を信じること、心に豊かに宿らせることといってよいでしょう(コロサイ書3章16節)。それは、イエス・キリストを信じ(ヨハネ福音書1章1~3,11,12,14節)、イエス・キリストを心にお迎えすることです(黙示録3章20節)。

 

 申命記11章13節以下に「祝福と呪い」について記してあり、同27節に「あなたたちは、今日、わたしが命じるあなたたちの神、神、主の戒めに聞き従うならば祝福を、もし、あなたたちの神、主の戒めに聞き従わず、今日、わたしが命じる道をそれて、あなたたちとは無縁であった他の神々に従うならば、呪いを受ける」と語られています。

 

 エレミヤに主の言葉が臨んで、「この契約の言葉に聞き従わない者は呪われる」と告げられて、「アーメン、主よ」と応じているということは、申命記27章26節にも記される呪いの誓いをエレミヤに確認させたということです。そしてそれは、契約の言葉を守らなかったイスラエルの民に呪いが及ぶことになったということで、それをエレミヤに確認させられたのです。 

 

 律法の書を見出し、主の御前に契約を結び、御言葉の実行を誓ったヨシヤ王は、その後、エジプト軍を迎え撃とうとして返り討ちに遭い、メギドで戦死してしまいました(列王記下23章29節)。歴代誌下35章22節には、主の御声に耳を傾けなかったヨシヤの高ぶりがその原因であるように記されています。

 

 そして、ヨシヤ王の死後、即位した彼の息子ヨアハズも、エジプトの王ネコによってヨアハズに代えて王位につけられたヨシヤの子ヨヤキムも、そしてその次に王となったその子ヨヤキンも、ヨシヤに倣わず、主の目に悪とされることを行いました(列王記下23章32,37節、24章9節)。

 

 ヨヤキムの時代に、バビロンの王ネブカドネツァルが攻め上って来て、3年間服従しましたが、その後、反逆しました(同24章1,2節)。それで代が変わってヨヤキンが王となって三ヶ月後、再びネブカドネツァルがエルサレムに攻め寄せ、イスラエルはバビロンに降伏して、エルサレムの高官や勇士1万人、職人らが捕囚となります(同10節以下:第一次バビロン捕囚)。

 

 そしてネブカドネツァルはヨヤキンのおじヨヤキンの叔父マタンヤを王位に据え、その名をゼデキヤと改めさせました(同17節)。彼も主の目に悪とされることをことごとく行い、ついに、イスラエルは主の御前から捨てられる事態になります(同19,20節)。

 

 これが、9節以下に主が語られている事実で、主なる神はエルサレムの破壊とバビロン捕囚という災いを下されることを決定されたのです。主はエレミヤに冒頭の言葉(14節)の通り、「あなたは、この民のために祈ってはならない。彼らのために嘆きと祈りの声をあげてはならない。災いのゆえに、彼らがわたしを呼び求めてもわたしは聞き入れない」と言われます。

 

 預言者として、主と民との間の仲介者の役割を担い、主に立ち帰るよう民に告げ知らせていたエレミヤですが(4章1,2節参照)、主はここで、イスラエルのための執り成しの祈りは聞かないと言われます。

 

 繰り返し警告されていたにも拘らず、イスラエルはそれを聞き入れず、主に背き続けたので、「恵みのとき、救いの日」(イザヤ書49章8節、第二コリント書6章2節)は既に過ぎ去り、今や「呪いのとき、災いの日」となってしまったのです。

 

 つまり、主とイスラエルとの間に交わされた契約が、イスラエルの背きの罪のゆえに破棄されることになったわけで、おのが民のために執り成すことも適わず、そして下された災いによって苦しむ民の叫びに、主は耳を閉ざされるということなので、それはエレミヤの預言者としての使命がここに終わったということを示しています。

 

 ただ、「彼らがわたしを呼び求めてもわたしは聞き入れない」と言われますが、それは永遠に聞かれないということではありません。捕囚となって50年後、主はイスラエルの民を捕囚の苦しみから彼らを解放されたのです。

 

 イスラエルの民は、自分でその罪を贖うことが出来たわけではありません。それは、主の深い憐れみのゆえでした。民を憐れまれる慈しみ深い主が、御自分の独り子を贖いの供え物とされたのです。

 

 イスラエルの民は、神の愛と計画を知らずに御子キリストを十字架につけましたが、その打ち傷によってすべての民は癒され、その死によってすべての罪、あらゆる不義から贖われたのです(イザヤ書53章5節)。ここに、神の愛があります(第一ヨハネ4章9,10節)。

 

 私たちも、主の深い憐れみのゆえに主イエスを信じる信仰に導かれ、救いの恵みに与りました。主イエスを私たちの神とし、私たちは主イエスの民、キリスト者とならせていただきました。主イエスに属する者として、忠実にその御声に耳を傾け、喜んで従っていきたいと思います。  

 

 主よ、御子イエスの十字架の贖いゆえに、私たちの呪いは取り除けられました。主イエスが呪われ、捨てられたゆえに、私たちは捨てられることがありません。この深い愛と恵みのゆえに、心から感謝致します。絶えず、喜びと感謝をもって祈りをささげ、御言葉に従って歩ませてください。御心がこの地になされますように。御国が来ますように。そうして、御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「もしこれらの民が、かつてバアルによって誓うことをわたしの民に教えたように、わが名によって、『主は生きておられる』と誓うことを確かに学ぶならば、彼らはわたしの民の間に立てられる。」 エレミヤ書12章16節

 

 エレミヤは、数々の問題を抱えて苦しんでいます。そのひとつは、アナトトの人々から命を狙われていることです(11章21節)。アナトトは彼の故郷です。彼の命を狙う同胞の中には、エレミヤの親族含まれていたかも知れません。彼らがエレミヤに預言をやめるか、それとも死かと迫るのは、エレミヤの預言者としての活動を苦々しく、排除したいと思っているわけです。

 

 エレミヤはヨシヤ王の宗教改革を支持していたと思われます。それは、異教の偶像を国内から排除することによって、神礼拝をエルサレム神殿に集中させようとするものでした(列王記下23章4節以下)。そしてそれは、ソロモンの時代にエルサレムから追放された祭司アビアタルとその子孫にとって、エルサレムのツァドク家の祭司たちへの対抗意識、敵意を増幅させることでした。

 

 エレミヤは、アビアタルが追放されたアナトトの祭司ヒルキヤの子です(1章1節)。つまり、エレミヤはアビアタルの子孫でしょう。それなのに、敵意を抱いているツァドク系の祭司に利する行為をエレミヤが支持していること、あるいはエレミヤがヨシヤをそうするよう指導していることは、アナトトの人々にとって到底見過ごしに出来ないことだったわけです。

 

 そのような脅かし、敵意にエレミヤが報復を求めると(11章20節)、主が彼らに罰を下されると言われます(同22節以下)。しかしながら、それが実行されるのは、すぐのことではありませんでした。

 

 それで、「なぜ、神に逆らう者の道は栄え、欺く者は皆、安穏に過ごしているのですか」(1節)と問うているのです。「神に逆らう者、欺く者」とは、エレミヤを苦しめ、迫害している同郷の人々です。それで、今の苦しみから解放されるために、すぐに報復してほしいと訴えるのです(3節)。

 

 それに対する主の言葉は、「あなたが徒歩で行く者と競っても疲れるなら、どうして馬で行く者と争えようか。平穏な地でだけ、安んじていられるのなら、ヨルダンの森林ではどうするのか」(5節)という、エレミヤの問いに問いで返すものでした。即ち、これからもっと苦しくなるのに、この程度のことで弱音を吐いていてどうするのかと、エレミヤを叱咤激励するような言葉です。

 

 ということは、イスラエルの民に災いが下るという裁きが確定したので、もはや、民を教え導く預言者としての使命は終わった、これで預言するのを辞めてよいというのではなく、裁かれる同胞と運命を共にしながら、その苦しみの中で、なおその使命を果たし続けることが求められているということになります。

 

 それは、神がエレミヤに最初に語られた、「わたしは今日、あなたをこの国全土に向けて、堅固な町とし、鉄の柱、青銅の城壁として、ユダの王やその高官たち、その祭司や国の民に立ち向かわせる。彼らはあなたに戦いを挑むが、勝つことはできない。わたしがあなたと共にいて、救い出す」(1章18,19節)という言葉に、あらためて耳を傾けることが求められているわけです。

 

 7節で「わたしはわたしの家を捨て、わたしの嗣業を見放し、わたしの愛するものを敵の手に渡した」と語り、10節には「多くの牧者がわたしのぶどう畑を滅ぼし、わたしの所有地を踏みにじった」とあります。

 

 これは、列王記下24章1,2節に記されている、バビロンに反逆したためにネブカドネツァル王がアラムやモアブ、アンモンをしてユダを攻めさせた、紀元前602年の出来事を指すものと思われます。

 

 「わたしの家」、「わたしの嗣業」、「わたしの愛するもの」と呼ぶイスラエルを、裁きの手に渡されたのです。それは、主のなさりたいことではなく、せざるを得ないことでしょう。そこに、主ご自身の痛みがあります。8節の「わたしはそれを憎む」という言葉が主の悲しみ、痛みの一端を示しています。愛しているものを憎まなければならないのです。

 

 10,11節には、「うち捨てられた」という言葉が繰り返されています。原文では、「荒廃」を意味する名詞シェママーが2回、「荒れ果てた」という形容詞シャーメーム、「荒れ廃らせる」という動詞シャーメーム(ニファル形)が1回ずつ用いられています。徹底的に滅ぼそうとしておられる様子が、その言葉遣いに窺えます。

 

 しかるに神は、「わたしが、わたしの民イスラエルに継がせた嗣業に手を触れる近隣の悪い民をすべて、彼らの地から抜き捨てる。また、ユダの家を彼らの間から抜き取る」(14節)と語られます。イスラエルの民は、神の裁きを受けて嗣業の地から抜き取られて捕囚となりますが、しかし、そこから再び抜き取られ、元に戻される日が来るというのです。

 

 ここで、イスラエルを裁くために用いられた近隣の民のことを、「イスラエルに継がせた嗣業に手を触れる近隣の悪い民」と呼ばれます。神がイスラエルを裁くための道具とされた御心を越えて、イスラエルの嗣業の地を我が物にしようとして、神がそれを邪な振る舞いだと仰っているのでしょう。そこで、彼らは自分たちの土地から抜き捨てられることになるというのです。

 

 ところが、驚くべきことに、「わたしは彼らを抜き取った後、再び彼らを憐れみ、そのひとりひとりをその嗣業に、その土地に帰らせる」(15節)と言われます。神の憐れみがイスラエルだけでなく、「近隣の悪い民」にも及ぶというのです。それは、冒頭の言葉(16節)のとおり、周辺諸国の民が主の名によって、「主は生きておられる」と誓うことを確かに学ばせるためです。

 

 そして、「彼らはわたしの民の間に建てられる」と言います。「建てる」(バーナー)という言葉は、1章10節で「見よ、今日、あなたに諸国民、諸王国に対する権威を委ねる。抜き、壊し、滅ぼし、破壊し、あるいは建て、植えるために」と言われていました。そのためにエレミヤを用いるというのです。

 

 かくて、イスラエルの不従順によって、主の憐れみが異邦人にも広げられることになります(ローマ書11章30節)。そのように、異邦の民をも憐れまれると告げられ、異教の神によらず主によって、「主は生きておられる」と誓うことを確かに学ぶなら、主の民の間に建てられるのです。

 

 それがここに記されるのは、「わたしの民、わたしの嗣業、わたしの愛するもの」と呼ばれたイスラエルの民こそ、その憐れみを受けて、主の名によって「主は生きておられる」と誓うことを学び、主の民として堅く建てられることを、誰よりも主ご自身が望んでおられるということでしょう。

 

 私たちも、主の深い憐れみによって救いの恵みに与り、主の民の間に共に建てられました。絶えず御前に謙り、主の御声に耳を傾けましょう。聖霊の導きに従って歩みましょう。主は生きておられます。 

 

 主よ、御名を崇めます。あなたの御国が来ますように。この地にも御心が行われますように。それこそが、私たちの希望であり、平安であり、喜びです。あなたの恵みと慈しみとに信頼します。絶えず慈しみの御手の下に留まらせてください。命の御言葉の光のうちを歩ませてください。 アーメン

 

 

「あなたたちが聞かなければ、わたしの魂は隠れた所でその傲慢に泣く。涙が溢れ、わたしの目は涙を流す。主の群れが捕らえられて行くからだ。」 エレミヤ書13章17節

 

 主なる神がエレミヤに、「麻の帯を買い、それを腰に締めよ」(1節)と言われます。エレミヤはその通りにします(2節)。次に、「あなたが買って腰に締めたあの帯をはずし、立ってユーフラテスに行き、そこで帯を岩の裂け目に隠しなさい」(4節)と命じられます。エレミヤはその通りにしました(5節)。

 

 暫くして、「立って、ユーフラテスに行き、かつて隠しておくように命じたあの帯を取り出しなさい」(6節)と告げられます。エレミヤは言われたとおりに出かけて行き、帯を取り出しました。すると、それは腐ってしまっていました(7節)。

 

 これは、エレミヤに与えられた最初の行動預言(19章10節以下、27~28章参照)で、その行動が神から与えられた預言になっているものです。8節以下に、その意味が解説されています。帯はイスラエルで、神の民としての名声、栄誉、威光を示そうと思ったのだが、傲慢にも彼らが聴き従わないので、神にとって全く役に立たないものになったというわけです(10節)。

 

 ここで、帯を「ユーフラテス(原語:ペラート)」に行って隠せと言われています(4節)。しかしながら、行動預言として、千km以上も離れているユーフラテス河畔に隠すところをイスラエルの民に見てもらい、さらにもう一度行って、それを掘り出すのを見せるというのは、想像しにくいところです。民が預言者と共に4千kmを移動するとは、およそ考えられないからです。

 

 そこで、エレミヤの出身地アナトトの北数kmのところにあるアイン・ファラーでそれを行い、それをユーフラテスに見立てたのではないかという説が有力ではないか思われます。ギリシア語訳旧約聖書(アクィラ訳)が「フーラー」としているのも、この説を後押ししています。

 

 これは、イスラエルの民がバビロンに連行され、そこで異教の神々に仕えて駄目になったということではなく、ヒゼキヤの代にアッシリアに降伏し、賠償金を支払ったことがありますが、そうした折りに、アッシリアの宗教に大きな影響を受け、それ以降、主なる神に従わなくなったことを言っているものと思われます(11節)。

 

 既に裁きは確定し、災いが降されることになったので、執り成すこと能わずと言われておりました(11章11節以下、14節)。その災いは、異教の神々によって役立たずにされたイスラエルの民を、主の嗣業の地から抜き取って捕囚の地ユーフラテスへ連れ去ることです。

 

 そのことについて、12節以下に理由が示されます。主が「かめにぶどう酒を満たすべきだ」と言われると、イスラエルの民は「かめにぶどう酒を満たすべきだということを我々が知らないとでも言うのか」と応えるだろうと言われます(12節)。

 

 ヘブライ語の「かめ」(ネベル)と「愚か」(ナバル)が似ているので、掛け言葉として「大酒飲みの愚か者」といった意味が込められているのでしょう。また、「かめにぶどう酒を満たすべきだ」とは、酒飲みが酒席で戯れに自分たちを「かめ」に譬えて語ったことわざと言われます(岩波訳注参照)。

 

 ここでは、王や祭司、預言者を含め、イスラエルの民が神に聴き従わず、おのが欲を満たすことに営々としていることを表し、その結果、神の怒りの杯を飲み干さなければならなくなったわけで(13節)、神の怒りが注がれたかめは、回復不可能なまでに粉微塵に砕かれるのです(14節)。

 

 15節以下は、あらためてイスラエルの民を悔い改めへと招いているかのようです。ただしかし、そのときエレミヤは、民がその言葉に耳を傾けると期待していたとは思えません。彼らの前に横たわっているのは、「光」ではなく、「死の陰」(詩編23編4節参照)であり、「暗黒」です(16節)。

 

 民は愚かにも、自分たちに運命が破滅的であることを悟らず、前途に栄光が待ち受けているように思い上がっていて、災いを語る預言者の言葉に耳を傾けません。だから、結局、滅びを刈り取らなければならないのです。

 

 冒頭の言葉(17節)で預言者が嘆き、涙するのは、同胞に災いが下されるからですが、やがて民も、おのが傲慢さ、愚かさを悟って嘆き、涙するときがやって来ます。しかしながら、そのときにはもはや後の祭りです。

 

 それが、18節で語られる、王と太后への告知で明らかになります。この「王と太后」とは、列王記下24章8節に記されているヨヤキン王とその母ネフシュタのことでしょう。王冠が頭から落ちたとは、即位後三ヶ月でバビロン軍に包囲され(同10節)、退位させられたということです(15節)。バビロン王ネブカドネツァルは、ヨヤキンに替えてマタンヤを王としました(同17節)。

 

 エルサレムが包囲されたということは、南ユダの町々はバビロンに攻め落とされたということで、それが、「ネゲブの町々は閉じられて開く者はなく」(19節)と言われています。そして、「ユダはすべて捕囚となり、ことごとく連れ去られ」(同)ます。

 

 それで、イスラエルの人々は涙をもって悔い改めるかといえば、そうはなりません。傀儡の王となったマタンヤあらためゼデキヤは、主の目に悪とされることをことごとく行い(列王記下24章19節)、その結果、神に捨て去られることになります(同20節)。彼はバビロンの王に反旗を翻し、破滅を迎えます(同25章1節以下)。

 

 「クシュ人は皮膚を、豹はまだらの皮を変ええようか」(23節)という問いは、変えることは出来ないという答えを予想させます。そして、イスラエルの罪深さは変わらない、自らそれを変えることは出来ないと告げるのです(27節)。

 

 その背きの罪のゆえに、災いが降るのは確定しています。けれども、預言者が同胞イスラエルの民を思うに、憐れみの涙を禁じ得ないのだとすれば、罪のために死んでいた私たちをキリストと共に生かしてくださる憐れみ豊かな神が(エフェソ書2章4節以下)、エレミヤの涙に目をつぶり、イスラエルの嘆きの声に耳を貸さないということがあるでしょうか。

 

 「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも、わたしがあなたを忘れることは決してない」(イザヤ書49章15節)と言われる主です。

 

 「わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました」(ローマ書5章8節)。その深い憐れみが、私たちを真の悔い改めへと導くのです(同2章4節)。

 

 自分を変えることの出来ない私たちのため、キリストがすべての罰と呪いをその身に引き受けて死に、私たちを救ってくださいました。その豊かな憐れみに感謝しつつ、その導きのもとに留まり、キリストとともに歩ませていただきましょう。

 

 主よ、愚かな私たちを憐れみ、絶えず悔い改めへと導いてくださることを感謝致します。聞く耳を開かせてくださり、常に御言葉に耳を傾けさせてください。心の目を主に向け、御足跡に従って歩ませてください。この喜ばしい音信を、私たちの家族、隣人に語り伝えることが出来ますように。聖霊を通して、私たちの心に主の愛を満たしてください。 アーメン

 

 

「預言者たちは、わたしの名において偽りの預言をしている。わたしは彼らを遣わしてはいない。彼らを任命したことも、彼らに言葉を託したこともない。彼らは偽りの幻、むなしい呪術、欺く心によってお前たちに預言しているのだ。」 エレミヤ書14章14節

 

 1節に「干ばつに見舞われたとき」とあります。イスラエルはこれまで度々干ばつに見舞われました(創世記12章10節、26章1節、41章54,57節、ルツ記1章1節など)。その度に、イスラエルの民は主なる神に救いを求めたことでしょう。

 

 けれども、今回エレミヤに臨んだ主の言葉は、「ユダは渇き、町々の城門は衰える。人々は地に伏して嘆き、エルサレムは叫びをあげる」(2節)というものでした。即ち、今回エルサレムが干ばつに見舞われたのは、主によるということです。

 

 エレミヤは、「我々の罪が我々自身を告発しています。主よ、御名にふさわしく行ってください。我々の背信は大きく、あなたに対して罪を犯しました」(7節)と、エレミヤ自身がイスラエルの一員として、イスラエルを代表するようにして、主に向かって罪責を告白しています。

 

 「御名にふさわしく行ってください」と語り、続く8節で「イスラエルの希望、苦難のときの救い主よ」と呼びかけ、「なぜあなたは、とまどい、人を救いえない勇士のようになっておられるのか。主よ、あなたは我々の中におられます。我々は御名によって呼ばれています。我々を見捨てないでください」(9節)と、主の憐れみを願い求めます。

 

 2章13節に「まことに、わが民は二つの悪を行った。生ける水の源であるわたしを捨てて、無用の水溜めを掘った。水をためることのできない、こわれた水溜めを」という言葉がありました。救いを求める声に主が答えてくださらないのは、イスラエルの民が、生ける水の源である主を捨てたからです。それこそ、干ばつを招いた行為だったのです。

 

 11,12節に「この民のために祈り、幸いを求めてはならない。彼らが断食しても、わたしは彼らの叫びを聞かない。彼らが焼き尽くす献げ物や穀物の献げ物をささげても、わたしは喜ばない。わたしは剣と、飢饉と、疫病によって、彼らを滅ぼし尽くす」と記されています。

 

 この民のために祈ってはならないというのは、7章16節、11章14節についで3度目です。3度目の正直ということでしょうか。主なる神はイスラエルの祈りを聞かず、献げ物を受け入れず、「剣と、飢饉と、疫病によって、彼らを滅ぼし尽くす」という決意をされたのです。

 

 エレミヤが、偽りの預言者たちの告げたイスラエルの民への言葉を取り上げて、「預言者たちは彼らに向かって言っています。『お前たちは剣を見ることはなく、飢饉がお前たちに臨むこともない。わたしは確かな平和を、このところでお前たちに与える』と」(13節)と主に告げます。

 

 冒頭の言葉(14節)は、それに対する主の答えです。主は、「預言者たちは、わたしの名において偽りの預言をしている。わたしは彼らを遣わしてはいない」と言われました。

 

 「わたしは剣と、飢饉と、疫病によって、彼らを滅ぼし尽くす」(12節)と言われる主の言葉が真実なら、そして勿論、主は真実であられるので(申命記32章4節、詩編89編9節、イザヤ書25章9節など)、「お前たちは剣を見ることはなく、飢饉がお前たちに臨むこともない」(13節)という預言者たちの言葉は、まさに「偽りの幻、むなしい呪術、欺く心によって」語られたことになります。

 

 ただ、イスラエルの民にとって、滅びを語るエレミヤの預言と、主の名によって「確かな平和を与える」と告げる預言者たちの預言、どちらが真実な主の言葉であるか、見分けがつくでしょうか。実際には、とても難しい問題だと思います。

 

 預言者たちの預言が真実であれば、真に幸いですが、エレミヤの預言が真実であれば、イスラエルに災いが下されることになります。そうなったとき、預言者たちに欺かれたと悟っても、もはや手遅れということになってしまいます。

 

 しかし、預言者たちの数の上から、そして語られる言葉から、エレミヤの預言を真実と受け止めることは、決して容易いものではありません。「こっちの水は苦いぞ」という言葉よりも、「こっちの水は甘いぞ」という言葉の方に誘われてしまうからです。常日頃から、主の御言葉を聴き、その真実、神の御心をわきまえる訓練が必要でしょう。

 

 主イエスが、「わたしの教えは、自分の教えではなく、わたしをお遣わしになった方の教えである。この方の御心を行おうとする者は、わたしの教えが神から出たものか、わたしが勝手に話しているのか、分かるはずである」(ヨハネ福音書7章16,17節)と言われました。

 

 さらに、「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」(同37,38節)と語られました。

 

 絶えず主の御言葉に耳を傾け、主が約束された「生きた水が川となって流れ出るようになる」という恵みに与らせて頂きましょう。

 

 主よ、私たちは生ける水の源であるあなたを離れて、生きることは出来ません。絶えず私たちを御言葉と御霊によって、正しい道に導いてください。主がお与えくださる命の水に与り、私たちの内から永遠の命に至る水が泉となってわき上がりますように。聖霊に満たされて、主の恵みを証するものと慣らせてください。弱い私たちを試みに遭わせないでください。悪しきものから絶えずお救いください。御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「あなたが帰ろうとするなら、わたしのもとに帰らせ、わたしの前に立たせよう。もし、あなたが軽率に言葉を吐かず、熟慮して語るなら、わたしはあなたを、わたしの口とする。」 エレミヤ書15章19節

 

 1節で「たとえモーセとサムエルが執り成そうとしても、わたしはこの民を顧みない。わたしの前から彼らを追い出しなさい」と、災いを下す決定はもはや変更されないことを確言されます。

 

 モーセは、荒れ野の旅において主なる神の前に呟き、背いて怒りを買ったイスラエルの民のために、何度も執り成しの祈りをし、主はその祈りを聞いて災いを思い返されていました(民数記11章、14章、17章など)。

 

 また、ミツパで聖会を開いていたイスラエルにペリシテ軍が襲いかかろうとしたのを、サムエルの執り成しを受けて、主がペリシテを討たれ、サムエルの時代を通じてペリシテが抑えられたということが、サムエル記上7章5節以下、13節に記されています。

 

 モーセとサムエル、イスラエルを代表する祈り手二人の、イスラエルのための執り成しの祈りを聞いてくださらないということは、もはや主が災いを下されるのを止めることは出来ないということです。

 

 主は、疫病か剣か飢えか、もしくは捕囚によって、イスラエルを罰すると言われます(2節)。最初の三つは、14章12節にも挙げられていました。そしてこれらは、民の命を奪うものです。

 

 最後に「捕囚」と言われ、それは過酷な運命に違いありませんし、国が滅びることではありますが、しかし、民は捕囚の地で生きることになります。彼らがやがてイスラエルを再建するのですが、今はまだ、そのことが明らかにはされていません。

 

 エレミヤの告げるこの預言はまったく不人気で、「争いの絶えぬ男、いさかいの絶えぬ男とされている」(10節)と言われるほどに民の間に物議を醸し、それによって迫害を受けました(15節参照)。

 

 ここに来てエレミヤは、「ああ、わたしは災いだ。わが母よ、どうしてわたしを産んだのか」(10節)と、あのヨブのように、自分の運命を呪う言葉を口にします(ヨブ記3章1節以下参照)。そう語るのは、1章19節で「わたしがあなたと共にいて、救い出す」と言われた主の言葉が履行されていないとエレミヤが考えたからでしょう。

 

 新共同訳、口語訳は11節をエレミヤの言葉としていますが、原文は、冒頭に「主は言われる(アーマル・ヤハウェ)」と記されています。つまり、11~14節はエレミヤが主の言葉を引用して語ったことと解釈すべきではないでしょうか。であれば、訳文が少々違ってきます。

 

 岩波訳によれば、11節は「ヤハウェは言われた、『必ずわたしは、よきことのために、あなたを解き放つ。必ずわたしは、災いのときに、また苦難のときに、敵をして、あなたに執り成しをさせる」とされます。新改訳、聖書協会共同訳もほぼ同様です。この言葉によると、エレミヤは上記1章19節とともに、11~14節の主の御言葉の実現を求めて、現状を訴えていることになります。

 

 そして、主がこの御言葉の約束をいつ実行してくださるのか、いつまでも果たされないのは、もしや主に見捨てられたのか、主に欺かれたのかとさえ考えてしまったのです。18節に「なぜ、わたしの痛みはやむことなく、わたしの傷は重くて、いえないのですか。あなたはわたしを裏切り、当てにならない流れのようになられました」と語っています。

 

 ここで「当てにならない流れ」とは、パレスティナに見られる水の流れていないワーディといわれる川のことです。主なる神を「生ける水の源」(2章13節)と呼んでいたのに、ワーディのようになられたと言わなければならないのは、なんと皮肉なことでしょう。

 

 16節の「あなたの御言葉が見出されたとき、わたしはそれをむさぼり食べました」という言葉は、恐らく、エレミヤの召命の出来事を指していると思われます。1章6節では「ああ、わが主なる神よ、わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから」と、預言者就任を拒むような姿勢を見せていました。

 

 それをここで、「わたしはそれをむさぼり食べました」と語って、預言者として嫌々働いて来たのではない、むしろ喜んで仕えて来たことを、「あなたはご存じのはずです」(15節)と言い、故に「わたしを思い起こし、わたしを顧み、わたしを迫害する者に復讐してください」と願うのです。つまり、喜び躍っているはずの心に、主に対する不信や不満が燻っているわけです。

 

 主から見捨てられたと考えているエレミヤに、冒頭の言葉(19節)のとおり「あなたが帰ろうとするなら、わたしのもとに帰らせ、わたしの前に立たせよう」と主は言われます。主なる神は決してエレミヤを見捨ててはいないゆえに、主への信仰とその使命に固く立つようにと招いているのです。

 

 「帰ろうとする」、「帰らせ」は、「向く、帰る(シューブ)」という言葉です。エレミヤは、民に向かい、神に対か得るように、神の方を正しく向くようにと呼びかけていました(4章1節など)。いつの間にか、エレミヤもずれてしまっていたのでしょうか。

 

 けれども、イスラエルの民の罪をおのが罪として告白していたエレミヤに対し、改めて主のもとに帰れと言われているのではないかとも思われます。そしてそれは、捕囚とされる人々に対しても、悔い改めを呼びかける言葉として告げられているのではないでしょうか。

 

 御言葉を聴いたとき、心燃やされて立ち上がっても、この世の現実にぶつかってその炎が吹き消され、情熱が冷めてしまうというのは、私たちがよく経験するところです。しかし、私たちに求められているのは、情熱や熱心さなどではありません。主なる神とその御言葉に信頼する信仰です。

 

 「あなたが軽率に言葉を履かず、熟慮して語るなら、わたしはあなたを、わたしの口とする」(19節)と言われているごとく、私たちの心から御霊の火を消さないように、むしろ新たな御霊の油が注がれるように、信仰に固く立ち、聖霊を通して示される主の言葉を信仰をもって語りましょう。

 

 主よ、あなたは私たちの弱さをよくご存知です。いつも心が聖霊に満たされ、喜び、心躍らせて主にお仕えすることが出来ますように。絶えず御言葉に基づく信仰の言葉を語らせてください。常にあなたが共にいて、私たちを助けてくださることを信じ、感謝ます。御心が行われますように。 アーメン

 

 

「『イスラエルの子らを、北の国、彼らが追いやられた国々から導き上られた主は生きておられる』と言うようになる。わたしは彼らを、わたしがその先祖に与えた土地に帰らせる。」 エレミヤ書16章15節

 

 14節以下の段落には、「新しい出エジプト」という小見出しがつけられています。これは、前の段落で民が神の裁きにより、「わたしはお前たちをこの地から、お前たちも先祖も知らなかった地へ追放する」(13節)と言われていたことを受けて、バランスを取るかのような配置です。

 

 まず14節で、「見よ、このような日が来る、と主は言われる。人々はもう、『イスラエルの人々をエジプトから導き上られた主は生きておられる』とは言わず」と言い、続けて冒頭の言葉(15節)のとおり、「『イスラエルの子らを、北の国、彼らが追いやられた国々から導き上られた主は生きておられる』と言うようになる。わたしがその先祖に与えた土地に帰らせる」と告げています。

 

 イスラエルの人々は、かつてはエジプトの奴隷でしたが、主の憐れみにより、モーセに率いられてエジプトを脱出、400年あまりの奴隷生活にピリオドを打ちました。彼らは40年間荒れ野を旅した後、約束の地に導き入れられ、自分たちの国を建設することが出来ました。

 

 イスラエルをエジプトから解放するためになされた主なる神の偉大な救いの御業を記念するために、過越祭をはじめ(出エジプト記12,13章)、七週祭、仮庵祭を守ることが定められました(レビ記23章、申命記16章など)。十戒は、荒れ野を旅している途中で与えられました(出エジプト記20章)。

 

 イスラエルの民は、自分たちをエジプトから解放してくださった主と契約を結びました(同24章)。その契約とは、イスラエルの民が主に聴き従うなら、主がイスラエルの神となられ、イスラエルの民をご自分の宝、祭司の王国、聖なる国民となるというものです(同19章4~6節)。ここから、神の民イスラエルの歴史が始まったと言ってよいでしょう。

 

 それがここで、人々が自分たちの主なる神を呼ぶのに、「エジプトから導き上られた主」と言うのではなく、「北の国、彼らが追いやられた国々から導き上られた主」(15節)と言うようになると言われるのです。

 

 「北の国、彼らが追いやられた国々から導き上られる」とは、第二の出エジプトというべき出来事で、北の国バビロンに追いやられたユダの民が、捕囚の苦しみから解放されて、エルサレムに帰ることが出来るということです。

 

 15章2節に「捕囚に定められた者は、捕囚に」とありました。疫病や剣、飢えに定められたとは、死を意味したことでしょう。しかし、捕囚に定められた者には、希望があります。「生きて虜囚の辱を受けず」とは東条英機陸相の戦陣訓の一節ですが、しかし、生きていればこそ、明日に希望を持ち、新たな恵みを味わうことが出来ます。

 

 イスラエルの民がバビロン捕囚の憂き目を見るのは、彼らが他の神々に従って歩み、それに仕え、ひれ伏し、主を捨て、主の律法を守らなかったという罪と悪のゆえでした(11,12節)。主は「わたしは彼らの罪と悪を二倍にして報いる」と言われます(18節)。

 

 現実には、第一次バビロン捕囚(列王記下24章14節以下)が紀元前597年、第二次バビロン捕囚(同25章6,11節)が前587年に起こり、ペルシアのキュロス王による解放が前538年のことですから、先の者は60年間、後の者たちは50年間、バビロンで捕囚として過ごしました。

 

 「人生50年」と考えると、バビロンに捕囚として引いて行かれた第一世代がエルサレムに帰って来くるとは、なかなか考え難いところです。帰国を果たせるのは、子あるいは孫ということになります。とき満ちて解放の恵みを味わうまで、民が神の言葉に耳を傾け、落ち着いて捕囚の地で家庭を築き、子をなし、孫を持つようにと、イスラエルの民に求めておられるわけです(29章4節以下参照)。

 

 19~20節に「あなたのもとに、国々は地の果てから来て言うでしょう。『我々の先祖が自分のものとしたのは、偽りで、空しく、無益なものであった。人間が神を造れようか。そのようなものが神であろうか』」とあります。

 

 バビロンから解放されるのは、イスラエルの民だけではなく、様々な国の人々がいます。彼らは、偶像の空しさ、無益さを知り、天と地を造られたまことの神を求めてやってくるのです(10章11節、32章17節参照)。

 

 エレミヤは、31章で「新しい契約」について語ります。この契約は、イエス・キリストの十字架の贖いによって実現しました。そして、主イエスを信じる者は誰にでも、神の子となる資格が与えられました(ヨハネ福音書1章12節)。今日、私たちもその恵みに与ったのです。まさに、「あなたのもとに、国々は地の果てから来て言う」という御言葉が、ここに成就しているのです。

 

 イスラエルの不従順の結果、神の恵みと憐れみがイスラエルの民から異邦の民にまで広げられました(ローマ書11章30~32節)。イスラエルが捕囚から解放されるのと同様、私たちが神の子とされることも、まさに一方的な神の恵みでした。

 

 この恵みに感謝し、日々新たな思いで神の前に進み、その御言葉に耳を傾けましょう。

 

 主よ、恵みと導きを感謝します。絶えず新しい聖霊の油を受け、心に喜びと感謝の火を燃やし、周りの人々に主の愛と恵みを力強く証しすることが出来ますように。日々新しい恵みを受けて、絶えず新しいほめ歌を歌わせてください。軽率に言葉を吐かず、熟慮して、信仰に基づく言葉で語ることが出来ますように。 アーメン

 

 

「祝福されよ、主に信頼する人は。主がその人のよりどころとなられる。彼は水のほとりに植えられた木。水路のほとりに根を張り、暑さが襲うのを見ることなく、その葉は青々としている。干ばつの年にも憂いがなく、実を結ぶことをやめない。」 エレミヤ書17章7,8節

 

 17章の最初の段落(1~4節)では、バアルの祭壇やアシェラ像という異教の神々を祀るユダの人々の罪が指摘されています。それは、鉄のペン、ダイヤモンドのたがねで民の心の板、その意識に深く刻み込まれていて、容易に消し去ることが出来ません(1節)。それゆえ、富と宝を敵に奪われ(3節)、嗣業の地を失い、敵の奴隷とされる(4節)と、その罰が語られます。

 

 次の段落(5~8節)は、新共同訳聖書では「主に信頼する人」という小見出しのつけられています。ここでは、「呪われよ、人間に信頼し、肉なる者を頼みとし、その心が主から離れ去っている人は」(5節)と語られ、一方、「祝福されよ、主に信頼する人は。主がその人のよりどころとなられる」(7節)と言われます。

 

 イザヤも、「人間に頼るのをやめよ」(イザヤ書2章22節)、「エジプト人は人であって、神ではない。その馬は肉なるものにすぎず、霊ではない。主が御手を伸ばされると、助けを与える者はつまずき、助けを受けている者は倒れ、皆共に滅びる」(同31章3節)と語っていました。それは、主に信頼せず、軍事力に頼ることで、危機に際して主の保護を失うことでした。

 

 エレミヤは、あるいは、ヨシヤ王の宗教改革のことを言っているのかも知れません。確かに、それは主を喜ばせるものだったでしょう。そのことに加え、アッシリアの弱体化もあって、ヨシヤは国力を増大させることが出来ました。だからといって、ヨシヤを信仰の対象にすることなど出来はしません。

 

 ヨシヤ王がエジプトのファラオ・ネコとのメギドの戦いにおいて戦死したのは、「神の口から出たネコの言葉を聞かなかった」(歴代誌下35章22節)からです。そして、その背後にヨシヤの高ぶりが窺えます。

 

 そのことが、「荒れ地の裸の木。恵みの雨を見ることなく、人の住めない不毛の地、炎暑の荒れ野を住まいとする」(6節)と語られています。それが、生ける水の源である神から離れ去り(12節、2章13節)、その保護を受けられなくなってしまった結果なのです。

 

 それに対して、主に信頼する人は、冒頭の言葉(7,8節)のとおり、主がその人のよりどころとなり、それゆえ、「彼は水のほとりに植えられた木。水路のほとりに根を張り、暑さが襲うのを見ることなく、その葉は青々としている。干ばつの年にも憂いがなく、実を結ぶことをやめない」という祝福に与ることが出来るのです。

 

 このことについて、詩編1編にも同様の対比があります。そこでは、「主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人」(同2節)が幸いとされています。

 

 そして、「その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び、葉もしおれることがない」(同3節)と詠われていて、与えられる祝福も酷似していることから、主を信頼するとは、主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむことと解釈してもよさそうです。

 

 このように、主を信頼する者とそうでない者との相違は歴然というところですが、事態はそんなに単純でないことは、エレミヤも知っています。12章2,3節で「なぜ、神に逆らう者の道は栄え、欺く者は皆、安穏に過ごしているのですか。あなたが彼らを植えられたので、彼らは根を張り、育って実を結んでいます」と語っていました。

 

 ここに来て、エレミヤがこのように語るのは、主が15章19節で「もし、あなたが軽率に言葉をはかず、熟慮して語るなら、わたしはあなたを、わたしの口とする」と語られたので、彼の信仰が目覚めたということを示しているのではないでしょうか。あるいは、主を信頼するという言葉を語ることで、もう一度、エレミヤ自身の信仰が奮い立たせられているといっても良いのかも知れません。

 

 使徒パウロが、「わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです」(第二コリント書4章17,18節)と記しています。

 

 そのころパウロが見、また味わっていた艱難は、決して「一時の軽い」ものではなかったと思いますが(同11章23節以下)、パウロはしかし、それによって心萎えてしまうことはありませんでした。彼の目には、永遠の重い栄光が見えていたからです。

 

 それこそ、エレミヤが「水のほとりに植えられた木。水路のほとりに根を張り、暑さが襲うのを見ることなく、その葉は青々としている。干ばつの年にも憂いがなく、実を結ぶことをやめない」と語っている祝福の姿ではないでしょうか。

 

 主を信頼して、その教えを絶えず口ずさみましょう。主に堅くつながり、豊かに実を結ぶ枝となるよう、手入れしていただきましょう。 

 

 主よ、私たちに信仰の恵みをお与えくださり、感謝致します。絶えず感謝と喜びをもって、御言葉を聴き、信仰の言葉を昼も夜も口ずさみます。私たちの耳を開いてください。御心を弁えることが出来ますように。キリストの言葉を豊かに宿らせてください。御名の栄光をあらわし、主にあって実を結ぶことが出来ますように。 アーメン

 

 

「彼らは言った。『それは無駄です。我々は我々の思いどおりにし、おのおのかたくなな悪い心のままにふるまいたいのだから。』」 エレミヤ書18章12節

 

 1節以下に、主なる神とイスラエルの関係が、陶工と粘土というたとえで語られます。陶工が主、粘土がイスラエルというわけです。これは、イザヤ書29章16節、45章9節、64章7節、そして、新約聖書ローマ書9章20節以下にも取り上げられている表象です。

 

 陶工は、粘土をよくこねた後ろくろで思うままに成形し(3節)、それに上薬をかけて窯で焼き、器を作ります。気に入らなければ何度でも壊し、作り直します(4節)。これは、神が繰り返し背き続けるイスラエルを、ご自身の望まれる理想的なかたちに作り変え、再生されると解釈することが出来ます。

 

 ただし、この箇所では想定されていませんが、作り直せるのは窯で焼く前までの段階で、薬をかけて火を入れてしまえば、もう後戻りは出来ません。温度の加減で思う色が出なかったり、変形してしまったようなものは、砕かれ、捨てられるほかないのです。

 

 最も強調されるべき解釈は、陶工と粘土の関係です。つまり、陶工は、自分の思いのままに粘土を扱い、土器を作ります。気に入らなければ、壊して作り直します。この関係が逆転することはありません。陶工の作風が気に入らないので、陶工を取り替えるとか、はたまた陶工が粘土にこびて、粘土が願う通りの形に仕上げるなどということは、あり得ません。

 

 主なる神とイスラエルの関係はどうでしょうか。主は「わたしの民はわたしを忘れ、むなしいものに香をたいた。彼らは自分たちの道、昔からの道につまずき、整えられていない、不確かな道を歩んだ」(15節)と言われます。

 

 「むなしいもの」(シャーヴェ)は、「むなしさ、偽り」という普通名詞で、口語訳はこれを「偽りの神々」と訳しています。エレミヤ書にシャーヴェが5回用いられていますが。異教の偶像を意味する言葉として用いられるのはここだけです。真の神ならぬ、異教の偽りの神々に頼るのは空しいことだという表現と言ってよいでしょう。

 

 この箇所は、2章13節の「生ける水の源であるわたしを捨てて無用の水溜めを掘った。水をためることのできないこわれた水溜めを」という言葉と同様に、主なる神との確かな関係、その生活を捨てて、空しい異教の偶像に依り頼んだ結果、主の保護を失い、途方に暮れる結果となるということです。

 

 かつて、ヒゼキヤの代にアッシリアの大軍にエルサレムの都が包囲され、絶体絶命の危機に陥ったとき、主が御使いによってその大軍を打たれ、一夜にして解放されたという出来事があり、人々の心にエルサレムの都の不滅神話が宿っていました。だから、主の裁きによってユダとエルサレムが滅亡し、多くの人々が捕囚となると語るエレミヤの言葉は、聞き捨てならないものでした。

 

 18節に「エレミヤに対する計略」が記されています。これは、11章19節以下などにも記されていたことですが、同じ事件というよりも、エレミヤに危害を加えよう、いや殺してしまおうという策動が、繰り返しなされていたということを示しているのでしょう。

 

 イスラエルの民は、「祭司から律法が、賢者から助言が、預言者から御言葉が失われることはない。舌をもって彼を打とう。彼の告げる言葉には全く耳を傾けまい」(18節)と語ります。これは、自分たちは御言葉に従っている。エレミヤの方が、まるでバビロンの御用預言者でもあるかのごとき空しい預言を繰り返して、神に背いている。それに耳を貸すわけにはいかないということです。

 

 しかし、そのような民の態度こそ、主が「見よ、わたしはお前たちに災いを備え、災いを計画している。お前たちは皆、悪の道から立ち帰り、お前たちの道と行いを正せ」(11節)と言われるのに対して、冒頭の言葉(12節)のとおり、「それは無駄です。我々は我々の思い通りにし、おのおのかたくなな悪い心のままにふるまいたいのだから」と答えていることなのです。

 

 自分で「おのおのかたくなな悪い心のままに振る舞いたい」という言い方をするとは思えませんが、しかし、主の御言葉に耳を傾けず、その導きに従おうとしない態度は、頑なな悪い心のままに振る舞うことだと示しているのです。このように、自分をわきまえず、主に対して誤った態度、思い上がった心の姿勢でいることを、聖書は「罪」と呼んでいます。

 

 主なる神は罪を裁かれますが、イスラエルを断罪し、災いを下すと宣告した「その民が、悪を悔いるならば、わたしはその民に災いをくだそうとしたことを思いとどまる」(8節)と言われます。11節は、まさにその悔い改めを呼びかける、主の招きの言葉です。

 

 悔い改めの呼びかけを拒絶するならば、宣告どおりの裁きが自らの上に下されることになります。そして、民の罪を裁く災いが臨んだときに主の助けを叫び求めても、それはもはや手遅れです。

 

 パウロがローマ書11章20節で「思い上がってはなりません。むしろ恐れなさい」と告げ、同22節に「だから、神の慈しみと厳しさを考えなさい。倒れた者たちに対しては厳しさがあり、神の慈しみにとどまるかぎり、あなたに対しては慈しみがあるのです。もしとどまらないなら、あなたも切り取られるでしょう」と記しています。

 

 主は、不信仰不従順のイスラエルの民をその幹から切り離し、かわりに私たち異邦の民を接ぎ木してくださいました。本来の枝であるイスラエルに厳しい姿勢で臨まれた主は、接ぎ木された枝である私たちをも厳しく取り扱われることでしょう(同21節)。

 

 パウロの告げるとおり思い上がらず、主を畏れ、主の慈しみの御手の下に身を低くし、朝ごとに御言葉に耳を傾け、常にその導きに従って歩みましょう。

 

 天の父よ、主イエスはまことのぶどうの木、私たちはその枝です。主イエスにしっかりとつながり、豊かに実を結ぶことが出来ますように。そのために、私たちの心を探り、御前にふさわしくないものを取り除いてください。そして、聖霊を通して注がれる神の愛と恵みで私たちの心を常に満たしてください。御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「それゆえ、見よ、と主は言われる。このところがもはやトフェトとか、ベン・ヒノムの谷とか呼ばれることなく、殺戮の谷と呼ばれる日が来る。」  エレミヤ書19章6節

 

 新共同訳聖書は、19章1節から20章6節までの段落に、「砕かれた壺」という小見出しを付けています。

 

 1~3節に、「行って、陶工の壺を買い、民の長老と、長老格の祭司を幾人か連れて、陶片の門を出たところにある、ベン・ヒノムの谷へ出て行き、そこでわたしがあなたに語る言葉を呼ばわって、言うがよい」と主がエレミヤに告げられました。

 

 これは、以前行われた「麻の帯」を用いた預言(13章1~11節)や「妻をめとらない」ということで示す預言(16章1~13節)などと同じく、象徴的な行為で主なる神の御言葉を告げる「行動預言」と呼ばれるものです。

 

 「壺」はヘブライ語で「バクブーク」といいますが、壺の中のものを注ぎ出すときの「ドクドク、ゴボゴボ」といった擬声音が器の名となったようです。

 

 「陶片の門」は聖書中、ほかに言及がなく、どこにあったのか不明です。ネヘミヤ2章13節などに言われる「糞の門」と同じではないかと考える学者も多いと、岩波訳の脚注に記されています。「陶片の門」という名がついたのは、門の近くに「陶工の家」(18章1節)があり、陶片が捨てられる場所がその側にあったからだろうと想像されます。

 

 冒頭の言葉(6節)で、「トフェト」とは「燃やす」という言葉と関連して、暖炉とか火の祭壇という意味に解釈されます。7章31節に「彼らはベン・ヒノムの谷にトフェトの聖なる高台を築いて息子、娘を火で焼いた」と記されていました。

 

 このことについて、列王記下23章10節に「(ヨシヤ)王はベン・ヒノムの谷にあるトフェトを汚し、誰もモレクのために自分の息子、娘に火の中を通らせることのないようにした」という記事があります。モレクとは、ヘブライ語の「王」(メレク)に「恥ずべきもの」(ボシェト)の母音をつけて発音したもので、「恥ずべき王」という意味であろうと思われます。

 

 列王記上11章7節に「アンモン人の憎むべき神モレク」とあり、モレクがアンモンの国家神であることを示しています。同11章33節には「アンモン人の神ミルコム」と記されています。この「ミルコム」というのが本来の呼び名なのでしょう。イザヤ章57章9節に「メレク神」とあり、イスラエルの人々は「メレク」と呼んでいたのではないでしょうか。 

 

 「息子たちを火で焼く」とは、最も高価な犠牲を捧げて、神に自分たちの祈りを是非とも聞き届けて欲しいと願う行為です。特にそれは、危機的な状況からの救いを求めるようなときに行われます。いわゆる「人身御供」の一形態ということです。

 

 列王記下3章27節に「そこで彼(モアブ王)は、自分に代わって王となるはずの長男を連れて来て、城壁の上で焼き尽くすいけにえとしてささげた」とありました。モアブの神ケモシュへの人身御供が「イスラエルに対する激しい怒り」となって、イスラエル軍が撤退することになり、モアブ王は危機を脱することが出来ました。

 

 しかるに主なる神は、「自分の子を一人たりとも火の中を通らせてモレク神にささげ、あなたの神の名を汚してはならない」(レビ記18章21節)と、律法で明確に禁止しておられます。ゆえに、それを行う行為は子ども殺しにすぎず、まさにそこは、冒頭の言葉のとおり、「殺戮の谷」と言わざるを得ないところになっているというわけです。

 

 そのような場所が、エルサレム神殿のすぐ傍らにあるというのは、実に驚きです。これは、ごく一部の人が、そのような主に背く行為をしていたというのではなく、王がそれを禁止しなければ止められない、否むしろ王自らそれを行っていたというほどの影響力を持っていたわけです(列王記下16章3節、17章17節、21章6節)。

 

 

 それは逆に、まことの神を信じる信仰が失われて来ていることを、如実に表していると言えます。そこで、神はエレミヤに壺を買わせ(1節)、それをベン・ヒノムの谷まで持って行かせ(2節)、そして共に連れて行った民の長老や、長老格の祭司たちの前でその壷を砕かせました(10節)。

 

 そして、「陶工の作った物は、一度砕いたなら元に戻すことができない。それほどに、わたしはこの民とこの都を砕く。人々は葬る場所がないのでトフェトに葬る。わたしはこのようにこのところとその住民とに対して行う、と主は言われる。そしてこの都をトフェトのようにする。エルサレムの家々、ユダの王たちの家々は、トフェトのように汚れたものとなる」(11節以下)と言わせました。

 

 ベン・ヒノムの谷は、エルサレムの都の南にあるヒノムの谷のことで(ネヘミヤ記11章30節)、東の端がケデロンの谷に接しています。ヒノムの谷をヘブライ語で「ゲー・ヒノム」と言います。

 

 マタイ5章22節に「火の地獄」という言葉があります。新改訳は「燃えるゲヘナ」と訳しています。新共同訳聖書は「ゲヘナ」を「地獄」と訳しているのですが、この「ゲヘナ」は、ヘブライ語の「ゲー・ヒノム」のギリシア語音写なのです。

 

 ヨシヤ王の宗教改革で、ベン・ヒノムの谷にあるトフェトが汚されました(列王記下23章10節)。それは、その場所で二度と息子・娘を燃やして献げる儀式を行うことが出来ないように、そこを町の廃棄物や罪人の遺体の焼却場にされたということです。そうしたことから、「ゲヘナ」が永遠の刑罰を受ける場所を表すようになりました。

 

 12節に「この都をトフェトのようにする」とあります。エルサレムの都がトフェトのようになるとは、トフェトのある場所がヒノムの谷、ゲヘナなのですから、エルサレムの都がゲヘナになるということです。神がご自身の名を置かれた永遠の都エルサレムが、永遠の刑罰が降る地獄となるというのです。それが、人間の罪なのだと思います。

 

 人間は、神聖なものを汚します。そして、清めることは出来ません。最も神聖なもの、それは神の御名です。主の祈りにおいて「御名を崇めさせたまえ」と祈りますが(マタイ6章9節)、原語は「あなた(主)の名が清められますように、聖なるものとされますように」という言葉です。清めれらるように、ということは、御名が汚されているということです。

 

 誰がどのようにして、主の御名を汚したのでしょうか。それは、私たちの不従順、不信仰です。だから「御名が清められるように」と祈るのです。それでは、誰が清めるのですか。それは、御名を汚した私たちに出来ることではありません。主ご自身が清められるのです。だからこそ、天の父なる神にそう祈り願っているのです。

 

 神はご自分の御名をどのようにして清められるのでしょうか。それは、神の御子イエス・キリストが私たちのすべての罪の呪いをご自身の身に受け、血を流されることによってです。それによって、私たちは罪赦され、神の子どもとされ、永遠の御国に本籍を持つ者として受け入れられるのです。だから、神を「わたしたちの父」と呼ばせていただくことが出来るのです。

 

 慈しみ深く憐れみ豊かな主に信頼し、謙虚に主の御言葉を受け入れ、喜びと感謝をもってその導きに従いましょう。

 

 主よ、私たちの傲慢と不信仰の罪をお赦しください。御名が清められますように。御国が来ますように。うなじを柔らかくし、主の御言葉に聞き従わせてください。私たちを試みに遭わせず、悪しきものからもお救いください。力も御国も栄光も、すべてあなたのものだからです。 アーメン

 

 

「主よ、あなたがわたしを惑わし、わたしは惑わされて、あなたに捕えられました。あなたの勝ちです。わたしは一日中、笑い者にされ、人が皆、わたしを嘲ります。」 エレミヤ書20章7節

 

 預言者エレミヤが、主の神殿の最高監督者の祭司パシュフルによって鞭打たれ、拘留されました(2節)。それは、トフェトばかりでなく神殿の庭でも、エルサレムとそれに属するすべての町々に災いが下されると告げたからです(19章10節以下、15節)。パシュフルは、神殿警護のため、主の霊によって語る預言者をも監督する権限を有していたわけです(29章26節も参照)。

 

 それに対してエレミヤは、「主はお前の名をパシュフルではなく、『恐怖が四方から迫る』と呼ばれる。主はこう言われる。見よ、わたしはお前を『恐怖』に引き渡す。お前も、お前の親しい者も皆。彼らは敵の剣に倒れ、お前は自分の目でそれを見る。わたしはユダの人をことごとく、バビロンの王の手に渡す」(3,4節)と語ります。

 

 エレミヤ書で「バビロンの王」への言及は、ここが初めてです。神殿の秩序維持のために権力を行使するパシュフルに対し、主なる神の御言葉に耳を傾けないエルサレムの町は破壊され、パシュフルら宗教指導者たちのみならず、ユダの人々がバビロンの捕囚となるというのです。 

 

 本来、主なる神がその御名をおき、民のための執り成しの祈りが捧げられる神殿、そして、神の御言葉が説かれるべき場所で、真の神を知り、その御言葉に耳を傾けることが出来ないという状況が、そこにあります。だから、エレミヤは、王や祭司、預言者たちを糾弾する言葉を語らざるを得ないのです。

 

 それは、神殿でなされていることが、真の神を信じる信仰を妨げるものになってしまっているからです。主がパシュフルを「恐怖が四方から迫る(マーゴール・ミッサービーブ)」に改名されるというのは、何らかの語呂合わせがあるのではないかと思われますが、よく分かりません。パシュフルの存在、その務めが、エルサレムの脅威、恐れを引き起こすものとなっているわけです。

 

 パシュフルがエレミヤを鞭打ち、拘留したのは、エレミヤに預言することをやめさせるため、屈辱を味わわせようとしてのことです。それは勿論、エレミヤが望んでいることではありません。エレミヤの望みは、彼が語る預言を民が受け入れて、悔い改めることです。

 

 しかしながら、そういう結果を見ることが出来ません。むしろ、エレミヤが主の預言を民に告げれば告げるほど、民はますます頑なになっていくようです。冒頭の言葉(7節)の通り、語れば語るほど民に嘲られ、罵られ、苦しめられるのです。

 

 「あなたがわたしを惑わし、わたしは惑わされて」という言葉から、あるいは、自分は主なる神に欺かれているのではないか、御用預言者を偽物だと糾弾している自分が、もしかすると偽物なのではないかと疑う思いが窺えます。 

 

 10節には「わたしには聞こえています、多くの人の非難が。『恐怖が四方から迫る』と彼らは言う。『共に彼を弾劾しよう』と。わたしの味方だった者も皆、わたしがつまずくのを待ち構えている」とあります。

 

 パシュフルに向けて語った言葉が、多くの人々からエレミヤに向かって投げ返されています。つまり、イスラエルの民は、まさにエレミヤこそ偽りの預言者と考え、主の呪いはむしろエレミヤの上に臨むと考えているわけです。

 

 そのような民の反応を受けて、エレミヤは、もう主の預言を語り告げるのはよそう、彼らに主の御言葉を伝えても無駄になるだけだと考えるようになります。9節に「主の名を口にすまい、もうその名によって語るまい」という言葉が記されています。

 

 「口にすまい」、「語るまい」というところに用いられているのは、いずれも未完了形の動詞です。つまり、エレミヤはこれまで何度も、もう口にすまい、語ることはやめようと考えたのです。民の拒絶に合う度にその思いは強まって、ここまで来たのです。

 

 それなのに、黙っていられません。語るまいと思うエレミヤを、その都度主がせっつき、語らずにはおれなくするのです。だから、「主の言葉は、わたしの心の中、骨の中に閉じ込められて、火のように燃え上がります」(9節)というのです。

 

 「わたしの負けです」は、7節の「あなたの勝ちです」を受けて語られているのですが、用いられているのは、「ヤーコール」(「出来る、耐える、獲得する、勝利する」の意)という同じ動詞です。あなたは出来る、わたしは出来ない、あなたは勝利する、わたしは勝利しないといった言葉遣いです。

 

 語るまいという思いと、語らざるを得ないという思いの板挟みにあって、預言者エレミヤは、「呪われよ、わたしの生まれた日は。母がわたしを産んだ日は祝福されてはならない」(14節)と語ります。

 

 この言葉は、ヨブ記3章3節以下の言葉を思い起こさせます。このような事態に陥って、エレミヤは、これでは死んだ方がましだと考えたのでしょう。だからといって、自殺を考えているわけではありません。消極的ながら、自分の思いもすべて、神に委ねているのです。

 

 M.ルターが若い頃、「わたしには説教者は務まりません。三ヶ月以内に死ぬでしょう」と言ったところ、先輩のシュタウピッツ教授が「君がそれで死ぬというなら、死んだ方がよかろう。ただ、神に対する務めを忠実に行い、生き死にも神の御手に委ねるべきである」と忠告しました。それ以来、務めに忠実に歩み、あの偉大な宗教改革を成し遂げる者となったということです。

 

 エレミヤも、このような経験から、自らに絶望することによって、もう一度主なる神に従い、御言葉の務めに生きる道を見出したのでしょう。それが、「あなたの勝ちです」(7節)、「わたしの負けです」(9節)という言葉になったのです。

 

 日ごとに主の御言葉に耳を傾けながら、自分に委ねられている主の使命に、喜びと感謝をもって忠実に仕えて参りましょう。

 

 主よ、あなたとあなたの御言葉を信頼し、その導きに従います。どうか弱い私たち、不信仰な私たちを憐れんでください。喜びと感謝をもって信仰に歩むことが出来ますように。信仰の創始者であり、完成者である主を常に仰ぎ見て、自分に定められている競争を忍耐強く走り抜かせてください。 アーメン

 

 

「あなたはこの民に向かって言うがよい。主はこう言われる。見よ、わたしはお前たちの前に命の道と死の道を置く。この都にとどまる者は、戦いと飢饉と疫病によって死ぬ。この都を出て包囲しているカルデヤ人に、降伏する者は生き残り、命だけは助かる。」 エレミヤ書21章8,9節

 

 ゼデキヤ王が、マルキヤの子パシュフルとマアセヤの子、祭司ゼファニヤを預言者エレミヤのもとに遣わし(1節)、「どうか、わたしたちのために主に伺ってください。バビロンの王ネブカドレツァルがわたしたちを攻めようとしています。主はこれまでのように驚くべき御業を、わたしたちにもしてくださるかもしれません。そうすれば彼は引き上げるでしょう」(2節)と言わせています。

 

 ここに言われる「マルキヤの子パシュフル」は、20章1節の「主の神殿の最高監督者である祭司、イメルの子パシュフル」とは別人です。マルキヤの子パシュフルは、ゼデキヤ王に仕える役人でした。彼は後に、他の役人たちと共にゼデキヤにエレミヤを処刑するよう進言しています(38章1,4節)。

 

 また「ゼデキヤ」は、第一次バビロン捕囚(紀元前597年)で捕囚となったヨヤキン王の叔父で本名をマタンヤと言います。ヨヤキンに代わり、バビロンの王ネブカドレツァルによって王位につけられ、ゼデキヤと名を改めさせられました(列王記下24章17節)。所謂、バビロンによる傀儡政治が行われることになったわけです。

 

 ところが、やがてゼデキヤはバビロンに反旗を翻します(同20節)。それは、重い税負担のためと、エジプトの援軍に期待してのことでした。しかし、列王記の記者は、「エルサレムとユダは主の怒りによってこのような事態になり、ついにその御前から捨て去られることになった」(同20節)と、その理由を説明しています。

 

 イスラエル軍は、エルサレムを包囲したバビロン軍の攻撃によく耐えて戦いましたが(同25章1,2節)、兵糧がつきて(同3節)都の一角が破られて(同4節)、ゼデキヤは捕えられ(同6節)、町は焼かれ(同9節)、民は捕囚とされました(同11節)。これが、第二次バビロン捕囚(紀元前587年)です。

 

 ということは、ゼデキヤ王がエレミヤに使いを送ったのは、エルサレム陥落直前の、エジプトが頼りにならず、万策尽きたときだったということではないでしょうか。そこで、溺れる者は藁をも掴む、苦しいときの神頼みとばかり、預言者エレミヤを頼み、主に縋ろうとしたのです。

 

 それは、ヒゼキヤの代に、アッシリア軍がエルサレムを囲んだとき、イザヤに執り成しを頼むと、主なる神がヒゼキヤの願いを聞いてくださり、アッシリア軍は壊滅したという出来事の再現を求めているかのようです(列王記下19章参照)。

 

 しかしながら、主は既にユダを断罪して「疫病に定められた者は、疫病に、剣に定められた者は、剣に、飢えに定められた者は、飢えに、捕囚に定められた者は、捕囚に」(15章2節)と判決が言い渡されています。だから「たとえモーセとサムエルが執り成そうとしても、わたしはこの民を顧みない。わたしの前から彼らを追い出しなさい」(同1節)とさえ語られていました。

 

 それを確認するかのように、冒頭の言葉(8,9節)のとおり、主はエレミヤに「あなたはこの民に向かって言うがよい。主はこう言われる。見よ、わたしはお前たちの前に命の道と死の道を置く。この都にとどまる者は、戦いと飢饉と疫病によって死ぬ。この都を出て包囲しているカルデヤ人に、降伏する者は生き残り、命だけは助かる」と言われました。

 

 15章2節の言葉と語順は異なるものの、エルサレムを襲う災いは同じです。つまり、主なる神はゼデキヤ王の苦しいときの神頼みを突っぱねられたのです。主がエルサレムの民の前に置かれた二つの道、バビロンに降伏するという命の道と、エルサレムに留まって戦いと飢饉と疫病によって死ぬ道、この二者択一は、どちらを選んでも「幸い」とは程遠いものがあります。

 

 エレミヤは、バビロンによってエルサレムの都が剣で打たれ、火で焼き払われてしまうことが、主なる神の御心と信じており、それゆえ、バビロンに降伏し、捕囚とされることこそが、生き残る唯一の道と考えているのです。

 

 バビロンに行けば、何とかなるということではありません。そうすることが、悔い改めて主に立ち帰り、御心に従って歩むことであり、それによって、命の恵みに与らせて頂く道が開かれるということです。そう信じるからこそ、このように語っているのです。

 

 言うまでもなく、バビロン行きが幸せを約束してくれるわけではありません。捕囚の生活が安楽であるわけがありません。それは、彼らの背きの結果だからです。だから、火事場で焼け出された人のようにというのは、語弊があるかも知れませんが(第一コリント書3章15節参照)、まさに、命だけは助かるという状況です。

 

 その苦境の中で、もう一度主なる神を信じ、その御言葉に聴き従うことが求められます。そのように、試練を通して謙遜を学び、主の力強い御手の下で自分を低くすれば、キリストの日に、高めて頂くことが出来ます(第一ペトロ書5章6節)。

 

 日々主の御言葉に耳を傾けましょう。御心を弁えてそれを実行する者となれるよう、聖霊の導きを祈り求めましょう。

 

 天のお父様、主イエスと共にその軛を負い、キリストの柔和と謙遜を学ばせてください。そうして、主にある平安と喜びを得させてください。いつも目覚めて信仰にしっかり立ち、悪しきものの誘惑に陥ることがありませんように。主の口から語られる言葉で生きる者としてください。栄光と誉れが世々限りなく神にありますように。 アーメン

 

 

「主はこう言われる。正義と恵みの業を行い、搾取されている者を虐げる者の手から救え。寄留の外国人、孤児、寡婦を苦しめ、虐げてはならない。またこの地で、無実の人の血を流してはならない。」 エレミヤ書22章3節

 

 これは、ユダの王の宮殿で語られた預言者エレミヤの言葉です(1節)。ユダの王とは、誰と特定されてはいません。注解者は多く、これはヨヤキム王に向けて語られた預言と考えているようですが、すべての王が聞くべき主の御言葉と考えてよいのでしょう。同様の言葉は、21章11,12節にも記されていました。

 

 冒頭の言葉(3節)で主が「正義と恵みの業を行い、搾取されている者を虐げる者の手から救え」と言われています。「正義」は「ミシュパート(「裁き、公正」の意)」、「恵みの業」は「ツェダカー(「義、正義、正しさ」の意)」という言葉です。口語訳は「公平と正義」、新改訳は「公義と正義」、岩波訳、聖書協会共同訳は「公正と正義」と訳しています。

 

 「ツェダカー」でいう正しさとは、倫理道徳的な振る舞いの正しさというより、他者との正しい関係のことを表しています。主なる神との関係が正しくされるのは主の恵みによるということで、新共同訳は「恵みの業」と訳しているわけです。

 

 搾取されている弱い立場の者として、「寄留の外国人、孤児、寡婦」が挙げられます。申命記10章18節に「(主は)孤児と寡婦の権利を守り、寄留者を愛して食物と衣服を与えられる」とありました。ここに、「権利」と訳されている言葉が「ミシュパート」です。社会的な弱者の権利を守ることが、主なる神の望まれる「公正」な社会なのです。

 

 そして主なる神は、「もし、あなたたちがこの言葉を熱心に行うならば、ダビデの王位に座る王たちは、車や馬に乗って、この宮殿の門から入ることができる、王も家臣も民も。しかし、もしこれらの言葉に聞き従わないならば、わたしは自らに誓って言う、と主なる神は言われる。この宮殿は必ず廃墟となる」(4,5節)と告げられます。

 

 この後、3人の王たちに対する言葉が告げられます。即ち、10,11節に「ヨシヤの子シャルム」(列王記下23章30節以下ではヨアハズ)、13~19節に「ヨシヤの子ヨヤキム」(列王記下23章34節以下参照)、そして、24節以下に「ヨヤキムの子コンヤ」(列王記下24章8節以下ではヨヤキン)に対する言葉があります。

 

 いずれも、厳しい裁きの言葉です。彼らが冒頭の言葉で命じられているところを熱心に守り行わなかったわけです。列王記の記事によれば、3人とも、「先祖たちが行ったように、主の目に悪とされることをことごとく行った」(列王記下23章32,37節、24章9節)と言われています。

 

 シャルム(=ヨアハズ)とヨヤキムの父ヨシヤは、エジプトの王ネコとの戦いで戦死しました(同23章29節)。そこで、ヨシヤの子シャルムが王となりますが(同30節)、3ヵ月後にファラオ・ネコによって退位させられ、代わってエルヤキム改めヨヤキムが即位します。一方、シャルムは、エジプトに連れて行かれ、そこで死にました(11,12節、列王記下23章34節)。

 

 列王記下23章35節に「ヨヤキムはファラオに銀と金を差し出したが、ファラオの要求に従って銀を差し出すためには、国に税を課さなければならなかった」とあることから、あるいは、ヨヤキムがファラオに金銀を差し出して、それによって王位を手に入れたのではないかとも考えられます。

 

 その上、「恵みの業を行わず自分の宮殿を、正義を行わずに高殿を立て、同胞をただで働かせ、賃金を払わない」(13節)と語られています。つまり、自分の王宮を建てるために民を徴用したのですが、預言者はここで、同胞をまるで奴隷のように扱ったと、王を糾弾しているわけです。

 

 そのような悪事のために、彼の死を悼む者はなく、遺体はエルサレム門外へ投げ捨てられると言われます(18,19節)。ただ、列王記下24章6節には、「ヨヤキムは先祖と共に眠りにつき、その子ヨヤキン(=コンヤ)が代わって王となった」とあり、この表現は、ヨヤキムは自然死で、王墓に葬られたということを示します。

 

 エレミヤの預言が文字通り実行されたとすれば、それは恐らく、エルサレムがバビロンの手に落ちたとき、王墓が荒らされて、ヨヤキムの亡骸が投げ捨てられたということなのでしょう。

 

 その子ヨヤキン(=コンヤ)は、即位3ヶ月でエルサレムを包囲したバビロン軍に投降し、捕囚となります(第一次バビロン捕囚:紀元前597年、24節以下、列王記下24章10節以下)。

 

 ここにその記述はありませんが、ヨヤキン(=コンヤ)がバビロンに連れて行かれた後、代わって王とされたのは、マタンヤ改めゼデキヤです(列王記下24章17節)。彼は、ヨヤキンの甥ということですから、ヨシヤの子で、ヨヤキンの父ヨヤキムやヨアハズ(シャルム)と兄弟ということになります。

 

 そして、主の目に悪とされることをことごとく行い続けている王たちとユダの民に対して主は憤られ、その御前から捨て去られる事態となり、ゼデキヤがバビロンに反旗を翻します(同20節)。そのために、攻め寄せたバビロン軍によってエルサレムは陥落、都は徹底的に破壊され、ゼデキヤを初め多くの者が捕囚となります(同25章1~21節)。 

 

 こうして、「もしこれらの言葉に聞き従わないならば、わたしは自らに誓って言う、と主なる神は言われる。この宮殿は必ず廃墟となる」(5節)と語られた主の言葉が実現することになりました。あらためて、「わたしは、わたしの言葉を成し遂げようと見張っている」(1章12節)と告げられた主の言葉を思い起こします。

 

 しかし、憐れみに富む神は、切り倒したダビデの家から、御子イエスを生まれさせられました。その王宮は家畜小屋、揺り籠は飼い葉桶でした。そして、十字架の死によって、新しい契約を結ばれます。この正義と恵みの業により、主イエスを信じるすべての人々が永遠の御国の門をくぐることが出来るようになったのです。ハレルヤ!

 

 この恵みを無駄にせず、すべての人々がその恵みに与り、信仰によって神の公正と正義を豊かに味わうことが出来るよう、聖霊に満たされ、力を受けて、主の証人として用いていただきましょう。絶えず主の御言葉に耳を傾け、託されている主の御業に励む者となりましょう。

 

 主よ、あなたに背く罪を犯したのは、王だけではありません。その家臣も民もそうです。そして私たちも。けれども、計り知れない御愛により、罪赦され、永遠の命に与り、天に国籍を持つ神の子とされました。今、主イエスを心の王座に迎え、その御言葉に従います。聖霊に満たし、宣教の業に励む者としてください。御名が崇められますように。御心が行われますように。 アーメン

 

 

「彼に世にユダは救われ、イスラエルは安らかに住む。彼の名は、『主は我らの救い』と呼ばれる。」 エレミヤ書23章6節

 

 1節に「災いだ、わたしの牧場の羊の群れを滅ぼし散らす牧者たちは」と記されています。ここで、「牧者」と言われるのは、10章21節、21,22章で言及されたゼデキヤ(21章1節、列王記下24章18節以下)、シャルム(22章11節)、ヨヤキム(同18節)、コンヤ(同24節)に代表される、ユダの王たちのことを指すと考えられます。

 

 牧者には、羊を養い育てる務めがあります。しかし、ユダの王たちは羊を養い育てるどころか、かえって羊の群れを追い散らす結果を招いてしまいました。だから、主なる神は彼らの悪い行いを罰すると言われるのです(2節)。即ち、エルサレムの都が敵の手に落ち、民は捕囚としてバビロンに連行されます。ダビデ以来およそ400年続いて来た王朝は、ここに潰えることになりました。

 

 そして、追い散らされた羊を再び集めてもとの牧場に帰らせ(3節)、その群れを牧する牧者を立てると言われます(4節)。その牧者を、「わたしはダビデのために正しい若枝を起こす。王は治め、栄え、この国に正義と恵みの業を行う」(5節)と語ります。これは、イザヤ書11章1節の「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち」という言葉を思わせます。

 

 ダビデ王朝は、神への背きと悪しき行いによって断ち切られます。「エッサイの株」というところが味噌です。エッサイはダビデの父です。エッサイからダビデにつながる部分で断ち切られているわけです。そこに、ダビデ王朝の王たちに対する神の裁きが示されます。しかし、その切り株から再び芽が出、若枝が伸びます。つまり、ダビデの子孫から、新しいイスラエルを牧する正しい王が生まれるということです。

 

 この王は、「正義と恵みの業」を行い、国が栄えます(5節、22章3節参照)。そこで、冒頭の言葉(6節)のように「彼の世にユダは救われ、イスラエルは安らかに住む。彼の名は、『主は我らの救い』と呼ばれる」のです。

 

 ここに、ユダとイスラエルが並んで語られています。ソロモン王の没後、イスラエルは南北に分裂し、南はユダ、北はイスラエルと称しました。エレミヤがこの預言を語っているとき、既に北イスラエルはアッシリアに滅ぼされ、その民はアッシリア帝国の各地に散らされていました。そして、これから南ユダがバビロンに滅ぼされ、民は捕囚とされることになります。

 

 「ユダヤ救われ、イスラエルは安らかに住む」ということは、正義と恵みの業を行う新しい王が立てられて、イスラエル12部族が再建され、ユダとイスラエルが再び一つとされると、エレミヤは告げているのです。

 

 その王の名は、「『主は我らの救い』と呼ばれる」ということですが、原文では、「主は我らの義(ヤハウェ・ツィドケーヌー)」という言葉遣いになっています。「主は正義」という名前というと、ダビデ王朝の最後の王「ゼデキヤ(ツィドキヤーフー)」を思い起こします。

 

 しかしながら、ゼデキヤは主が立てた王ではなく、ヨヤキンに代わり、バビロンが傀儡の王として立てた人物でした(列王記下24章17節)。そして、「彼はヨヤキムが行ったように、主の目に悪とされることをことごとく行った」(同19節)と評価され、その結果、「ついに御前から捨て去られることになった」(同20節)と断じられています。

 

 あらためて、「義」とは神との正しい関係を意味しています。その罪ゆえに裁かれ、北の地に散らされた民が帰国を許され、一つの群れとなれるのは、民の正しい行いのゆえではなく、神の憐れみのゆえです。その意味で、「我らの義」とは神の救いを表しているということになります。だから、新共同訳は「主は我らの救い」と、意味を汲んで訳しているわけです。

 

 また、「主は我らの救い」という表現は、主イエスのことを思わせます。「イエス」は、ヘブライ名の「ヨシュア」をギリシア語音写したものです。そして、ヘブライ名の「ヨシュア」とは、「主は救い」という意味なのです。

 

 イスラエルの人々はもはや、エジプト脱出ではなく、バビロン脱出について語って、「主は生きておられる」と誓うようになると、7,8節に記されています。これは、既に16章14,15節で語られていました。主なる神の民族的な救いの働きとして記憶されるのは、出バビロンだということです。

 

 さらに、神は私たちを、出エジプトでも出バビロンでもなく、御子イエスの十字架の死と復活を通して、罪と死の呪いから脱出させてくださいました。南北イスラエルのみならず、全世界のすべての民が永遠の天の御国に招かれ、神の民とされたのです。だから私たちは、私たちの罪を十字架の死をもって贖ってくださった主は生きておられると証しするのです。

 

 生ける主は、日毎に新しい恵みをもって私たちを導き、養ってくださいます。「新しい歌を主に向かって歌え。全地よ、主に向かって歌え」(詩編96編1節)と言われるように、絶えず新しい理由をもって主を賛美し、その恵みを証ししましょう。

 

 主よ、あなたこそ私たちの創り主にして、救い主、癒し主であられ、主の主、王の王であられます。主イエス・キリストの他に、この世に救いをもたらすことの出来る方はおられません。主イエスを心の中心にお迎えし、その導きに従います。聖霊の力を受け、主イエスの証人として、その恵みを告げ知らせます。私たちを用いてください。御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「イスラエルの神、主はこう言われる。このところからカルデヤ人の国へ送ったユダの捕囚の民を、わたしはこの良いいちじくのように見なして、恵みを与えよう。」 エレミヤ書24章5節

 

 エレミヤが、神殿の前に置かれていた、いちじくの入った二つの籠を見ました(1節)。それは、幻だったのでしょうか。実際に神殿に献げられた供物だったのでしょうか。一つの籠には、初なりのいちじくのような、非常に良いいちじくが入っていました。もう一つは、非常に悪くて食べられないいちじくでした(2節)。

 

 悪くて食べられないいちじくは、それが神に献げられた供物であるなら、形だけの、内容の伴わないものということで、それを献げた人の信仰を、神が喜ばれるはずがありません。神棚に供えられる酒、仏壇に供えられるお菓子や果物、それが空箱だったりイミテーションが置かれているとすれば、それにはどのような意味があるのでしょうか。

 

 そのとき、冒頭の言葉(5節)のとおり主の声があり、「このところからカルデヤ人の国へ送ったユダの捕囚の民を、わたしはこの良いいちじくのように見なして、恵みを与えよう」と言われ、続けて、「彼らに目を留めて恵みを与え、この地に連れ戻す。彼らを建てて、倒さず、植えて、抜くことはない」(6節)と告げられました。

 

 さらに、「わたしは、わたしが主であることを知る心を彼らに与える。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。彼らは真心をもってわたしのもとに帰って来る」(7節)と語られます。

 

 一方、「ユダの王ゼデキヤとその高官たち、エルサレムの残りの者でこの国にとどまっている者、エジプトの国に住み着いた者を、非常に悪くて食べられないいちじくのようにする。わたしは彼らを、世界のあらゆる国々の恐怖と嫌悪の的とする。彼らはわたしが追いやるあらゆるところで、辱めと物笑いの種、嘲りの的となる」(8,9節)  と言われました。

 

 ゼデキヤ王とエルサレムの残りの者たちを「恐怖と嫌悪の的」、「辱めと物笑いの種、嘲りの的」とするために主は、「わたしは彼らに剣、飢饉、疫病を送って、わたしが彼らと父祖たちに与えた土地から滅ぼし尽くす」(10節)と告げられました。 

 

 この預言が語られたのは、エコンヤ王(1節、列王記下24章6節以下ではヨヤキン)がバビロンに連行され、ゼデキヤが王として立てられた直後のことではないかと思われます(1節、列王記下24章17節以下)。

 

 列王記によれば、ヨヤキンもゼデキヤも、「主の目に悪とされることをことごとく行った」(列王記下24章9,19節)とされています。ということは、一方は良いいちじくと言われ、もう一方が悪いいちじくと言われるのは、それが二人の評価ということではあり得ません。

 

 もしかすると、ゼデキヤが主によらずバビロンの王によって立てられた傀儡の存在なので、そのような評価になっているのかも知れませんが、おそらくこの善し悪しは、バビロンに連れて行かれた人々と、エルサレムに残り、あるいはエジプトに逃れた人々の、行く末に起こることを言い表しているものでしょう。

 

 バビロンに連行された人々は、後にエルサレムに戻ることが許されます(6節)。そして、主を知る心が与えられ、彼らは主の民となり、主が彼らの神となると言われます(7節)。これは、主なる神と彼らとの間に新しい契約が結ばれることを示しています(31章31節以下、出エジプト記19章5,6節参照)。

 

 一方、エルサレムに残り、あるいはエジプトに逃げた人々は、辱めと物笑いの種、嘲りと呪いの的となり(9節)、剣、飢饉、疫病を送って滅ぼし尽くされます(10節)。

 

 実際のところ、上述のとおりゼデキヤ王は傀儡であり、甥のヨヤキンが捕虜とされていたにも拘わらず、バビロンに反旗を翻したために、剣と飢えに見舞われ(列王記下25章1~3節)、手ひどい仕打ちを受け(同5~7節)、特に王子たちが殺されてしまいます(同7節)。そして、エルサレムの都は焼き払われ、城壁は取り壊されました(同9,10節)。

 

 それに対してヨヤキンは、捕囚となって37年目に獄から出され、バビロンの王エビル・メロダクによって手厚くもてなされ、王と食事を共にすることになったと、列王記下25章27節以下に報告されています。ヨヤキンがそのようにもてなされることになったということは、彼と共に捕囚とされた人々に対しても、寛大な措置がとられたかも知れません。 

 

 一方は恵み、一方は呪い、その違いがどこから来たのでしょうか。よく分かりません。神がバビロンに連れて行かれた人々を憐れまれたと答えるほかはないでしょう。

 

 もしかすると、エルサレムに残った人々は、バビロンの捕囚とされた人々のことを憐れに思っていたかもしれません。エルサレムは神の都で、神殿に主なる神がおられるので、この町にいればこそ、神の憐れみに与ることが出来ると考えていたかもしれません。

 

 また、エジプトに逃れた人々は、そこで臥薪嘗胆、力をためて、エジプトやイスラエル周辺諸国と共に、再びバビロンに反旗を翻し、勝利するときを待とうと考えていたのかも知れません。そこには、ゼデキヤ王がバビロンへ連れ去られ、代わりに立てられた総督ゲダルヤを殺して、エジプトに逃れた人々も含まれています(列王記下25章25,26節)。

 

 しかしながら、主なる神は、神殿の置かれた神の都エルサレムという場所が、民に恵みを与えるのではないこと、エジプトの力や周辺の国々の結束などが、将来の希望につながるものではないことを、イスラエルの民に悟らせられます。

 

 そもそも、イスラエルがバビロンに降伏し、エコンヤ(=ヨヤキン)が捕囚となったとき(第一次バビロン捕囚、紀元前597年)、エルサレムの町やその神殿は、何の助けにもなりませんでした。彼らが主の目に悪とされることを行い、主の怒りを買っていたからです。

 

 ゼデキヤはエジプトや周辺諸国を頼りとして、バビロンに反旗を翻しましたが、結局、町も神殿も、バビロンによって焼かれ、破壊されてしまいます。エジプトに代表される目に見えるものに頼る策は、それが全く信頼に足るものとはならないことを思い知らされる結果となったのです。

 

 「呪われよ、人間に信頼し、肉なるものを頼みとし、その心が主を離れ去っている人は」(17章5節)と言われていたとおりです。そうしてゼデキヤは「恐怖と嫌悪の的」「辱めと物笑いのため、嘲りと呪いの的」(9節)となったのです。

 

 主なる神は、人々がまことの神を知り、真心をもって主に仕え、主を礼拝することを求めておられるのです。主は今、私たちを良いいちじくのように見なし、恵みを与えてくださいます。主こそ神であることを知り、真心をもって主に仕えましょう。御言葉に耳を傾け、導きに従って歩みましょう。

 

 主よ、あなたは放蕩息子に、本心に返る導きをお与えになりました。それは、私たちのことでもあります。罪人に過ぎない私たちに恵みを与え、「わが子よ」と呼んでくださいます。その恵みに応え、霊とまことをもって主を礼拝する者、その使命に励む者とならせてください。耳が開かれ、目が開かれ、心が開かれますように。 アーメン

 

 

「それゆえ、イスラエルの神、主はわたしにこう言われる。『わたしの手から怒りの酒の杯を取り、わたしがあなたを使わすすべての国々にそれを飲ませよ。』」 エレミヤ書25章15節

 

 1節のはじめに「ユダの王、ヨシヤの子ヨヤキムの第4年」とあります。これは、紀元前605年のことです。そしてそれは、「バビロンの王ネブカドレツァルの第1年」、即ちネブカドレツァルが王に即位した年にあたります(1節)。

 

 36章1節以下に、ネリヤの子バルクを呼んで、これまで語ってきた預言を書き留めさせたと記されているので、この箇所は、その預言集の序文か結語にあたるのではないかと考えられています。

 

 エレミヤは、アモンの子ヨシヤの第13年、即ち紀元前627年に預言者として召命を受け、以来605年まで、足かけ23年間、主の言葉を語り続けて来ました(3節、1章1節参照)。それは、「立ち帰って、悪の道と悪事を捨てよ。そうすれば、主がお前たちと先祖に与えられた地に、とこしえからとこしえまで住むことができる」(5節)という言葉でした。

 

 4節の「主は僕である預言者たちを倦むことなく遣わしたのに、お前たちは耳を傾けず、従わなかった」という言葉で、イスラエルの背きの罪は、出エジプトのとき以来繰り返されていて(出エジプト記32章1節以下参照)、その罪を指摘して悔い改めるように預言し続けられて来たのに、それに従わなかったということで、ついに主なる神の堪忍袋の緒が切れたと語られているのです。

 

 紀元前605年というのは、アッシリアとエジプトの連合軍を、バビロンがカルケミシュにおいて撃破し、アッシリアが歴史の舞台から姿を消した年です。ヨヤキムは、父ヨシヤの戦死後、王位に就いたヨアハズがエジプトに幽閉され(列王記下23章33節)、代わって王位につけられました(同34節)。エジプトによる傀儡の王です。

 

 エジプトがバビロンに打ち破られたことで、その後ろ盾を失ったヨヤキムは、攻めて来たバビロン軍に降伏し、3年間税を納めますが、負担の重さに再び反逆しました(同24章1節)。ヨヤキムの死後、その子ヨヤキンが即位して3ケ月後、エルサレムを包囲したバビロンに降伏し、ヨヤキン王は捕囚とされます(紀元前597年・第一次バビロン捕囚、同24章10節以下)。

 

 ネブカドレツァルは、ヨヤキンに代えてその叔父、つまりヨシヤの子であるマタンヤを王とし、名をゼデキヤと改めます(同24章17節)。つまり、ゼデキヤはバビロンによる傀儡の王だということです。

 

 そのゼデキヤが、兄弟のヨヤキムと同様、再びバビロンに背きます(同20節)。重い税負担に加え、新エジプト派が王ゼデキヤに対して力を発揮していたということでしょう。そして、バビロンの傀儡として立てられたゼデキヤが、国内に確固とした足場を持てず、国内の有力な者たちの意見を無視できなかったということかも知れません。

 

 そこでネブカドレツァルが全軍を率いてエルサレムに攻め寄せ、陥落させます(同25章1節以下)。王宮、神殿は焼かれ、城壁は破壊され、殆どの民が捕囚としてバビロンに引いて行かれます。紀元前587年のことです。8節以下に預言されていることが成就したわけです。

 

 9節に「わたしの僕バビロンの王ネブカドレツァル」と記されています。これは、主なる神がイスラエルを裁くための器として彼を召し、用いられたからですが、ネブカドレツァル自身には、主の僕とされたという自覚はなかったでしょう。

 

 もしも彼にその自覚があり、主に忠実に仕えていれば、「70年が終わると、わたしは、バビロンの王とその民、またカルデア人の地をその罪のゆえに罰する」(12節)と言われることはなかったはずです。

 

 主は冒頭の言葉(15節)で「怒りの酒の杯を取り、わたしがあなたを遣わすすべての国々にそれを飲ませよ」とエレミヤに告げられます。「怒りの酒の杯」は、主の裁きを示す象徴的なものです(イザヤ書51章17節以下、哀歌4章21節、ハバクク書2章16節参照)。

 

 これは、罪の疑いをかけられた人が、毒の入った杯を飲むことなどで無罪か有罪かを証明する、「神明裁判」の習慣に由来する象徴だという注解を見ました。

 

 詩編116編13,14節に「救いの杯を上げて主の御名を呼び、満願の献げ物を主にささげよう、主の民すべての見守る前で」という言葉があります。死の恐怖に襲われる危機的な状況から、主なる神に救われた喜びを、「救いの杯」と象徴的に表現しているわけです。

 

 ここで、救いの出来事がおきたとき、それが逆に「怒りの酒の杯」として与えられた相手があるかも知れません。「主の日」が、救いの御業を完成される主キリスト・イエスの到来を意味すると共に、それによって悪が裁かれ、滅ぼされることを意味するのと同様です。

 

 怒りの酒の杯を飲ませよと言われるのは、「エルサレムとユダの町々」(18節)だけでなく、南方のエジプト(19節)、ウツ(20節、ヨブ記1章1節、哀歌4章21節)、地中海沿岸のペリシテ(アシュケロン、ガザ、エクロン、アシュドド:20節)、死海南方のエドム、モアブ、東方のアンモン(21節)、北方のティルス、シドン(21節)と、イスラエル周辺諸国が挙げられます。

 

 さらに海の向こうの島々(22節)や、アラビア半島のデダンとテマとブズ(23節)、アラビア(24節)、ジムリ(25節)、そしてペルシアのエラムとメディア(25節)、最後にシェシャク(バビロン:26節)で、ここにイスラエルの人々の知る全世界が提示されています。すべての国々が主の御前で酒の杯を飲まされます(17節)。神の御前で、それが怒りの杯か祝福の杯か、問われるわけです。

 

 パウロが「主の晩餐」について記しているところで(第一コリント書11章17節以下)、「主の体のことをわきまえずに飲み食いする者は、自分自身に対する裁きを飲み食いしているのです」(同29節)と語っています。

 

 「わきまえる」というのは、「ディアクリノー」(区別する、見分ける)という言葉です。「主の体」なる教会を、他のものと区別する、聖なるものとするという表現です。それはつまり、主の体なる教会の頭は主、教会は主のもの、主キリストによって呼び集められた群れであるとすることです。

 

 主の体であるキリストの教会を形作る信徒の交わり、キリストによって呼び集められた群れが、神の御前にあってその救いを共に喜び祝う群れであるか、それとも神を怒らせて裁きをその身に見に招くような群れであるか、主の晩餐をもって試されていると告げているようです。

 

 キリストの贖いの恵みに与った者として、常に御霊に満たされ、その導きを受けて一つとされ、共にキリストの身の丈にまで成長させていただき、互いに愛し合うことを通して、神の子としてその栄光をあらわすものとしていただきましょう。

 

 主よ、あなたの富と知恵と知識とはなんと深いことでしょう。主の定めを究め尽くし、その道を理解し尽くすことなど、誰にも出来はしません。私たちは計り知れない愛と憐れみのゆえに、救いの恵みに与りました。ただ感謝をもって御名をたたえ、喜びをもって御言葉に聴き従うのみです。常に聖霊に満たされ、主の恵みの証人として用いられる器としてください。栄光が永遠に主にありますように。 アーメン

 

 

「しかし、シャファンの子アヒカムはエレミヤを保護し、民の手に落ちて殺されることのないようにした。」 エレミヤ書26章24節

 

 「ヨシヤの子ヨヤキムの治世の初め」(1節)とは、ヨシヤ王がメギドで戦死し(列王記下23章29節、紀元前612年)、その子ヨアハズが王となって3ヶ月後、エジプトの王ネコがヨアハズをハマトの地リブラに幽閉し(同23章33節)、代わりにヨシヤの子エルヤキムをヨヤキムと改名させて王位に就けたときということです(同34節)。

 

 ヨヤキムの即位後、間もない時にエレミヤが主の神殿の庭で、「もし、お前たちがわたしに聞き従わず、わたしが与えた律法に従って歩まず、倦むことなく遣わしたわたしの僕である預言者たちの言葉に従わないならば-お前たちは聞き従わなかったが-わたしはこの神殿をシロのようにし、この都を地上のすべての国々の呪いの的とする」(4~6節)という主の言葉を告げました。

 

 「シロのようにする」というのは、サムエル記上4章の出来事を指しています。そこには、ペリシテ軍との戦いにおいて、戦地に運ばれた神の箱が奪われ、同行した祭司エリの子らが死に、その報告を受けたエリも、息子の嫁も死んだという報告が残されています。

 

 それは、同3章13節で「わたしはエリに告げ知らせた。息子たちが神を汚す行為をしていると知っていながら、とがめなかった罪のために、エリの家をとこしえに裁く」と言われた主の言葉が成就したものです。

 

 そのとき、シロの神殿で何が起こり、シロの町がどうなったのか、サムエル記には何も記されていません。「この神殿をシロのようにし」というエレミヤ書の表現から、ペリシテとの戦闘で祭司エリの子らが打たれ、神の箱が奪われた際、勢いづいたペリシテによってシロの聖所が破壊され、町にも大きな被害があったのではないかと想像されます。

 

 そのことから、「わたしはこの神殿をシロのようにし」というのは、主の御言葉に聴き従おうとしない王や祭司、預言者たちがとこしえに裁かれ、エルサレムの神殿は破壊され、都は永遠にあらゆる国々に呪われるということになるでしょう。

 

 それを聞いた祭司、預言者たちとすべての民は、エレミヤを捕らえて「あなたは死刑に処せられねばならない」(8節)と言います。バビロンに対抗するため、エジプトや周辺諸国と力を合わせ、国を挙げて戦わなければならないというときに、エルサレムの呪いを語るエレミヤは「非国民」であり、このような男を生かしておくことは出来ないというわけです。

 

 国粋主義者たちにとっては、主の名によって語るエレミヤの預言よりも、国の秩序を維持する自分たちの思いの方が重要で、彼が何を語ろうと、結論は同じなのです。そして、そのような主なる神の御言葉に耳を傾けない頑なな姿勢が、イスラエルを滅ぼすのです。

 

 そこにユダの高官たちが登場し、主の神殿の新しい門の前で裁きの座を設けます(10節)。エレミヤが祭司や預言者たちの思いのままにされようとしていたところに高官たちが介入し、法によらない暴力から救出されたという形です。

 

 そこで祭司と預言者たちは、高官たちと民のすべての者に向かって、「この人の罪は死にあたります。彼は、あなたがた自身が聞かれたように、この都に敵対する預言をしました」(11節)と訴えます。

 

 訴えに対してあらためてエレミヤは、「お前たちは自分の道と行いを正し、お前たちの神、主の声に聞き従わねばならない」(13節)と告げた後、「わたしはお前たちの手中にある。お前たちの目に正しく、善いと思われることをするがよい」(14節)と、自らを相手に差し出します。

 

 そう言いつつ「確かに主はわたしを遣わし、これらのすべての言葉をお前たちに耳に告げさせられた」(15節)と語り、彼の言葉が自分の意見や考えではなく、まさに主の御言葉であること、主の預言を語り伝える立場から一歩も退く考えのないことを示しています。

 

 それを見た高官たちと民のすべての者は、「この人には死にあたる罪はない。彼は我々の神、主の名によって語ったのだ」(16節)と言い、長老の数人も、預言者ミカを引き合いに出した上で(18節)、「主を畏れ、その恵みを祈り求めたので、主は彼らに告げた災いを思い直されたではないか。我々は自分の上に大きな災いをもたらそうとしている」(19節)と語っています。

 

 その頃、エリヤと同様の預言をしていたキルヤト・エアリムの人、シェマヤの子ウリヤを殺しました(20節以下23節)。それは、エレミヤをも同様にするという示威行動です。さながら、モーセの前に頑なにされたエジプトのファラオのようです(出エジプト記7章3節など)。

 

 そのとき、冒頭の言葉(24節)のとおり、「シャファンの子アヒカムはエレミヤを保護し」ました。シャファンはヨシヤ王の書記官で(列王記下22章8節)、その子アヒカムと共にヨシヤの宗教改革を支援しました。また、アヒカムの子ゲダルヤは、第二次バビロン捕囚後のエルサレムを統治する総督に任命されています。

 

 こうしてイスラエルで重く用いられているアヒカム一族により、エレミヤは主の預言者と信任され、保護を受けました。それによって、彼の命を狙うヨヤキム王の治世に、それを批判する預言活動を続けることが出来たのです。

 

 まさに、「ヤーウェ・イルエ」、「主の山に、備えあり」(創世記22章14節)ではないでしょうか。エレミヤの預言者としての使命がまだ終わりのときを迎えていないからこそ、彼は守られ、生かされているのです。

 

 私たちが生かされているのも、使命があるからです。めいめいに委ねられている主の使命を弁え知り、忠実にそれを実行することが出来るよう、日々主の御言葉に耳を傾けましょう。 

 

 主よ、なぜウリヤは殺され、エレミヤが守られたのか、その理由はつまびらかではありませんが、その結果、エレミヤは預言者として、御言葉を語り続け、そして、それがどのような結末を迎えることになるのかを見ることになりました。それがエレミヤの使命でした。私たちも、主を信じ、一切を御手に委ねてその使命に励むことが出来ますように。 アーメン

 

 

「バビロンの王ネブカドネツァルに仕えず、バビロンの王の軛を負おうとしない国や王国があれば、わたしは剣、飢饉、疫病をもってその国を罰する、と主は言われる。最後には彼の手をもって滅ぼす。」 エレミヤ書27章8節

 

 1節に「ユダの王、ヨシヤの子ゼデキヤの治世の初め」とありますが、ヘブライ語原典には、「ゼデキヤ」ではなく「イェホヤキム」(26章1節の「ヨヤキム」のこと)と記されています。

 

 ただ、3節、28章1節などとの関連やここに記されている出来事が、この箇所を「ゼデキヤ」と読むべきであると教えています。新改訳チェーン式聖書の脚注には、筆記者による誤記で、「ゼデキヤの第4年」とするべきであろうと記されています。

 

 「ゼデキヤの治世の初め」とすると、それは紀元前597年、ヨヤキンが捕囚としてバビロンに連行された後、バビロンの王がその叔父マタンヤを王とし、名をゼデキヤと改めさせたときのことです(列王記下24章15節以下)。

 

 そして、ゼデキヤのもとにエドム、モアブ、アンモン、ティルス、シドンの王の使者たちが遣わされて来たのは(3節)、バビロンの王ネブカドネツァルがシリアに遠征して来た紀元前594年頃のことだろうと考えられています。つまり、ゼデキヤの第4年ということになります。新改訳チェーン式の脚注は、このことを指していたわけです。

 

 バビロンの王を「ネブカドツァル」と呼ぶのは、本書中27~29章だけで、この箇所以外では、「ネブカドツァル」と記されています。また、この箇所では、エレミヤを「イルメヤーフー」ではなく、短形の「イルメヤー」が用いられています。この箇所が、これ以外の箇所とは違う形で伝承されてきた証拠と言ってよいでしょう。

 

 ただし、「ネブカドレツァル」は、この箇所以外ではエゼキエル書にそう記されるだけで、それ以外は「ネブカドネツァル」(列王記下24章1,10,11節、歴代誌上5章41節、エズラ記1章7節など)です。聖書辞典によれば、「ネブカドレツァル」が本来の名前に近いヘブライ語の音写で、「ネブカドネツァル」はアラム語に由来する呼び名ということだそうです。

 

 話を元に戻して、ネブカドネツァルはそのころ、外敵だけでなく、国内にクーデターが起こり、双方に対処しなければならないという大変な状態でした。それを機に、バビロンの重税に苦しめられているパレスティナ諸国の使者たちがゼデキヤのもとに集まり、この事態にどう対処すべきかと協議していたのです。

 

 そのときに主がエレミヤに臨み、冒頭の言葉(8節)の通り、「バビロンの王ネブカドネツァルに仕えず、バビロンの王の軛を首に負おうとしない国や王国があれば、わたしは剣、飢饉、疫病をもってその国を罰する、と主は言われる。最後には彼の手をもって滅ぼす」と告げさせました。

 

 主は、バビロンの王ネブカドネツァルを「わたしの僕」と呼び(6節)、彼に服従せよというのです。勿論、25章でも見たとおり、ネブカドネツァル自身に「主の僕」という意識があるはずもありません。

 

 これは5節で「わたしは、大いなる力を振るい、腕を伸ばして、大地を造り、また地上に人と動物を造って云々」と言われているように、すべてのものを主なる神が創造されたのであり、その偉大な力と意志によってすべてのものを支配しておられるわけで、主がその力と意志をもって、イスラエルと周辺諸国をネブカドネツァルの手に委ねたと言われるのです(6,7節)。

 

 5節の「与える」(ナータン)という動詞には、3人称女性形単数の接尾辞が付属しています。「これを与える」という表現で、この動詞の前にある女性形名詞といえば、「大地」と「動物」です。単数形なので両方を指すはずはなく、ここでは文脈上「大地」を指していると解して、「大地を与える」と読むべきだと思われます。

 

 それは、神が創造された地球全体ということになりそうですが、著者が考えているのは、25章19~27節で見たような、当時のイスラエルの民が考えていた、エジプトからバビロンに至る「全世界」のことでしょう。

 

 その地がネブカドネツァルに与えられるということは、そこに住む人々を支配するということでしょう。だから、「これらの国を、すべてわたしの僕バビロンの王ネブカドネツァルの手に与え、野の獣までも彼に与えて仕えさせる」(6節)といい、さらに、「諸国民はすべて彼とその子と、その孫に仕える」(7節)というのです。

 

 そして、このときに「バビロンの王に仕えるべきではない」、「バビロンの王に仕えるな」というのは、主なる神に背くことであり、そのように語るのは、偽りの預言者であり、占い師、夢占い、卜者、魔法使いたちという、主の忌み嫌う者たちだというわけです(9,14節)。

 

 しかしながら、パレスティナ諸国は勿論、イスラエルの民も、このように語るエレミヤの預言に喜んで耳を傾けようとはしなかったでしょう。特に、バビロンの王ネブカドネツァルが「主の僕」であり、彼に服従せよと言われたとしても、彼自身が主に忠実に仕える僕であればまだしも、彼は全くの異教徒なのですから、ネブカドネツァルに従うべきだという結論には、到底達し得ません。

 

 むしろ、「主なる神はイスラエルを愛し、異教徒ネブカドネツァルの手からこのエルサレムの都を必ず守ってくださる」という言葉を聞きたいと願い、「今こそ、一緒にバビロンから独立を勝ち取ろう!」と叫ぶ言葉に喝采を送りたいと思っているのです。

 

 もしもこのとき、ゼデキヤがエレミヤの言葉に従って、バビロンに仕えることを決断していたら、どういう結果になったのでしょうか。歴史に「タラレバ」は無意味かもしれませんが、町が破壊されたり、神殿が焼かれたりすることなく、民が捕囚となることも回避出来たかも知れません。

 

 そして、主なる神は、謙って御言葉に従うことを求められるのですから、そのように歩むイスラエルの民のためには、70年などと言わず、速やかにバビロンの軛を撃ち砕き、重い税負担などの支配から解放してださったのではないでしょうか。

 

 偽りの預言者が語る耳触りのよい言葉と、エレミヤの語る受け入れ難い言葉、いずれが真実な神の言葉であるのか、常日頃から主の御心を尋ね求め、その御言葉に聞き従っていれば、きっと聞き分けることが出来たでしょう。

 

 しかしながら、ゼデキヤをはじめイスラエルの民は、それを聞き分けることはできませんでした。ということは、彼らがずっと主の御言葉に聞き従ってこなかったということなのです。そのゆえに、その呪いを受けざるを得なかったわけです。

 

 主イエスは、「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである」(マタイ福音書11章29,30節)と招かれます。

 

 ヘブライ書5章8節には、「キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました」と記されていました。その主イエスから柔和と謙遜を学ぶのです。苦労が全くないはずはありません。しかし、「疲れた者、重荷を負う者」(同28節)に対する言葉で、その重荷の上にさらに苦労を重ねようというのは、どうしたことでしょう。

 

 「軛」は重荷を担い易くするための道具です。そして、「わたしの軛」とは、主イエスが用意してくださるものであり、また、主イエスが共に担ってくださるものということです。だから、そこには、苦労が苦労でなく重荷が重荷ではなくなる、真の安らぎがあります。

 

 移ろいゆくものに目を奪われないように、その状況に躍らされ、振り回されないように、絶えず御言葉に耳を傾けましょう。御心を弁え、聖霊の導きに従って、主に委ねられた使命を主と共に担い、備えられた主の道を共に歩ませて頂きましょう。

 

 主よ、私たちはあなたに感謝します。あなたは私たちを救われる神。私たちはあなたに信頼して恐れません。主こそわが力、わが歌、わが救いとなられました。私たちの耳を開き、いつも御言葉を聞かせてください。私たちの目を開きて、絶えず御業を拝させてください。そうして、どんなときにも主を仰ぎ、その御心を行う者となりますように。 アーメン

 

 

「そして、ハナンヤは民すべての前で言った。『主はこう言われる。わたしはこのように、二年のうちに、あらゆる国々の首にはめられているバビロンの王ネブカドネツァルの軛を打ち砕く。』そこで、預言者エレミヤは立ち去った。」 エレミヤ書28章11節

 

 1節に「その同じ年、ユダの王ゼデキヤの治世の初め、第4年の5月に」とあります。27章1節と同じ年というのですから、紀元前594年、ゼデキヤがバビロンに反旗を翻したときのことです(列王記下24章10節)。

 

 ギブオン出身の預言者ハナンヤが、「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。わたしはバビロンの王の軛を打ち砕く」(2節)と語ります。これは、27章2,11,12節でエレミヤに示された預言を取り上げ、反対のことを告げるものです。エレミヤはバビロン軍の侵攻を主による裁きと捉え、捕囚に服するよう語りましたが、ハナンヤは、愛国主義的な立場でそれに反対します。

 

 そして、「2年のうちに、わたしはバビロンの王ネブカドネツァルがこの場所から奪って行った主の神殿の祭具をすべてこの場所に持ち帰らせる。また、バビロンへ連行されたユダの王、ヨヤキムの子エコンヤおよびバビロンへ行ったユダの捕囚の民をすべて、わたしはこの場所へ連れ帰る、と主は言われる。なぜなら、わたしがバビロンの王の軛を打ち砕くからである」(3,4節)と告げています。

 

 けれども、27章16節に「主の神殿の祭具は今すぐにもバビロンから戻って来る、と預言している預言者たちの言葉に聞き従ってはならない。彼らは偽りの預言をしているのだ」と語られた主の言葉がありました。その流れから言えば、ハナンヤはここで、偽りの預言をしているということになります。

 

 しかしながらハナンヤも、「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる」という語り方をしており、エルサレムの民にとって、エレミヤとハナンヤ、どちらが本当の預言者なのか、どちらの預言に耳を傾けるべきなのか、外見上は見分けがつけ難いでしょう。

 

 エレミヤが軛の横木と綱を作って首にはめ(27章2節)、「首を差し出してバビロンの王の軛を負い、彼に仕えるならば、わたしはその国民を国土に残す、と主は言われる」(同11節)と語っていました(同12節も参照)。

 

 28章でハナンヤがエレミヤの首からその軛をはずして打ち砕きました(10節)。そして冒頭の言葉(11節)のとおり、「わたしはこのように、二年のうちに、あらゆる国々の首にはめられているバビロンの王ネブカドネツァルの軛を打ち砕く」と語りました。

 

 それを聞いた預言者エレミヤは、そこを立ち去りました(11節)。エレミヤのその行動は、そこに居合わせた人々に、ハナンヤがエレミヤに勝った、ハナンヤに言い負かされてエレミヤは退場したという印象を与えたことでしょう。なぜエレミヤは、このときハナンヤに、「あなたは偽りの預言をしている」と、はっきり言わなかったのでしょうか。

 

 エレミヤの語った言葉とハナンヤの言葉、二人の言葉を聞いた祭司やすべての民は、どちらを歓迎し、どちらの声に耳を傾けたでしょうか。それは言うまでもなく、ハナンヤの言葉でしょう。ですから、歓迎されない言葉を繰り返し告げる空しさを、エレミヤ自身が一番感じていたのかも知れません。

 

 そして、もう一つ考えるべきポイントがあります。12節に「預言者ハナンヤが、預言者エレミヤの首から軛をはずして打ち砕いた後に、主の言葉がエレミヤに臨んだ」と記され、13節以下にその預言が記されています。そして15節で「ハナンヤよ、よく聞け。主はお前をつかわされてはいない。お前はこの民を安心させようとしているが、それは偽りだ」と糾弾しています。

 

 何を言いたいのかというと、エレミヤに主の言葉が臨んで、それでハナンヤに語っているということは、主の言葉が臨まなければ、エレミヤには語る言葉がないわけです。自分の告げた預言がハナンヤに否定されたからといって、そうしてイスラエルの民がますますエレミヤから離反するようになったからといって、それで、自分の意見などを語るわけには行かなかったのです。

 

 エレミヤはハナンヤに、「それゆえ、主はこう言われる。『わたしはお前を地の面から追い払う』と。お前は今年のうちに死ぬ。主に逆らって語ったからだ」(16節)と告げます。そして、そのとおりになりました(17節)。主に逆らって語った者に対する死罪の宣告は29章32節にもあり、申命記13章6節がその判決の根拠となる規定といってよいでしょう。 

 

 あらためて、ヤコブの告げた「だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい」(ヤコブ書1章19節)という御言葉を思い出しました。この言葉を守れるかと尋ねられて、胸を張って「ハイ」と答えられる人がどのくらいあるでしょうか。私自身には殆ど実行不可能に思われる言葉です。

 

 けれども、主の語られたことに対して、「やっても無駄です、答えは見えています」というのではなく、「お言葉ですから、やってみましょう」と言うべきでしょう。それが「聞くに早く」ということです。そして、わたしの能力の問題ではなく、主の御心が行われることが重要なのです。

 

 日々主の御前に謙り、聴くべき言葉を聴き、立つべきところに立ち、行くべきところに行き、留まるべきところに留まり、なすべきことをなし、語るべきことを語って、主の御心を行う者とならせていただきましょう。

 

 主よ、御言葉を聞かせてください。あなたは命のパンであり、それなしに、新しい命を生きることは出来ないからです。聖霊をお与えください。その力を受けずに、主の証人となることが出来ないからです。御心を行わせてください。この地において、主の御名が崇められますように。御国が来ますように。 アーメン

 

 

「わたしが、あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。その町の平安があってこそ、あなたたちにも平安があるのだから。」 エレミヤ書29章7節

 

 エレミヤは、第一次バビロン捕囚(BC597年)で連れて行かれた長老、祭司、預言者たちと民のすべてに手紙を書き送りました(1節)。それは、「家を立てて住み、園に果樹を植えてその実を食べなさい。妻をめとり、息子、娘をもうけ、息子には嫁をとり、娘は嫁がせて、息子、娘を産ませるように。そちらで人口を増やし、減らしてはならない」(5,6節)というものです。

 

 8節に「あなたたちのところにいる預言者や占い師たちにだまされてはならない。彼らの見た夢に従ってはならない」と記されています。ということは、捕囚の民の間に、バビロンからすぐにエルサレムに戻れると考える立場の者がいたわけです。

 

 それは、28章2節以下で預言者ハナンヤが、主が2年の内にバビロンの王の軛を打ち砕き、捕囚の民を神殿祭具と共に帰らせてくださると預言したのと同様に、エコンヤ王と共に捕囚となった者たちの中に偽りの預言者や占い師たちがいて、捕囚の民に偽りの預言を語っていたのです(21節、24節以下)。

 

 さらに、彼らはそうした預言に基づいて、謀反などを計画していたようです。だから、バビロンの王が彼らを、捕囚民の前で火あぶりにしたのでしょう(22節)。また、そうした偽預言者の中には、エレミヤを取り締まり、手枷足枷をはめるよう、書き送ってくる者もいました(26節以下)。

 

 エレミヤが手紙を持たせたのは、ゼデキヤ王がバビロンの王ネブカドネツァルに遣わした二人の使者たちでした(3節)。ゼデキヤの使者がエレミヤの手紙を携えているということは、王がその手紙の内容を了解していることをあらわしていると考えるべきでしょう。それによって、ゼデキヤは、バビロンに弓引く意志がないということを示したわけです。

 

 また、使者として派遣された一人が「シャファンの子エルアサ」と記されています。エレミヤはかつて、ヨヤキム王に命を狙われた際、シャファンの子アヒカムによって保護されたことがありました(26章24節)。エルアサはその兄弟ということでしょう。であれば、エレミヤは安心して手紙を託すことが出来たでしょう。

 

 そういう人物をゼデキヤが選んで使者としたと考えると、ゼデキヤはそのとき、エレミヤと歩調を合わせていたということになるのではないでしょうか。

 

 エレミヤは冒頭の言葉(7節)のとおり、「わたしが、あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。その町の平安があってこそ、あなたたちのも平安があるのだから」と告げます。主なる神の御心は、捕囚の民がバビロンにおいて平安のうちに70年のときを過ごすことであり、その後、エルサレムへの帰還を果たさせることなのです(10節参照)。

 

 70年は、完全数の「7」と「10」を乗じた年数ですから、主なる神が定められた期間が満ちることを示します。また、70年は人の一生を示す期間であり、捕囚として連行された人々がそこで一生を過ごす間という表現と考えてもよいでしょう。

 

 先年召された西南学院大学名誉教授の関谷定夫先生は、「ベルゼブルとイェシュアの指導によって、ダレイオス1世の治世第6年の前515年にやっと第2神殿が完成した。・・それは第1神殿が破壊されてから70年目のことである。これはエレミヤが捕囚期間を70年と預言したことと対応する」と、著書『図説・旧約聖書の考古学』P.223で述べておられます。

 

 主はイスラエルの民に、捕囚を「災い」と考えるのではなく、そこで、新しい将来と希望を与える「平和の計画」が実行されていることを学びぶよう求められます(11節)。それゆえ、「町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい」(16節)と命じられるのです。

 

 これはしかし、驚くべき言葉でしょう。祖国を滅ぼし、自分たちを捕囚として様々な苦しみを味わわせたバビロンのためには、その滅亡を願う呪いにも似た祈りをささげてもおかしくありません。しかしながら、バビロンの町の平安が、捕囚の民の平安につながるからと説明されています(7節後半)。「平安」と訳されている「シャローム」は「繁栄」をも意味します(新改訳参照)。

 

 そして、「そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしに出会うであろう」(12~14節)と言われます。即ち、ここでバビロンの平和を祈り求めることこそが、神を尋ね求め、主と出会う道であると言われているわけです。

 

 これは主イエスが、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイ福音書5章44節)と語られた言葉につながります。主イエスは、その御言葉どおりに歩まれました。そのようにして、私たちが父なる神と出会い、交わることが出来るように、私たちのための「道」となってくださったのです(ヨハネ福音書14章6節)。

 

 主に倣い、御言葉に従って、すべての人々の平安と祝福を祈りましょう。

 

 主よ、敵を愛し、迫害する者のために祈るのは、たやすいことではありません。しかし、主はそれを自ら実践されました。それによって、私たちは罪赦され、神の子とされ、永遠の命を受けるという恵みに与ったのです。祝福を受け継ぐ者として、御言葉に従い、平和と祝福を祈らせてください。そのために、聖霊の力と恵みに満たしてください。御心が行われますように。御国が来ますように。 アーメン

 

 

「わたしの僕ヤコブよ、恐れるなと主は言われる。イスラエルよ、おののくな。見よ、わたしはお前を遠い地から、お前の子孫を捕囚の地から救い出す。ヤコブは帰って来て、安らかに住む。わたしがお前と共にて救うと、主は言われる。」 エレミヤ書30章10,11節

 

 30~33章には、未来の希望を告げる預言が集められており、「慰めの書」と呼ばれます。1~3節に「回復の約束」という小見出しがつけられていますが、「慰めの書」の前半部、30,31章の序文と考えられます。ここに、捕囚からの解放が告げられています。

 

 6節に「尋ねて、見よ、男が子を産むことは決してない。どうして、わたしは見るのか、男が皆、子を産む女のように、腰に手を当てているのを。だれの顔も土色に変わっている」とあります。男が子を産むことは不可能です。それなのに、なぜ子を産む真似をしようとしているのでしょうか。

 

 4章31節に「産みの苦しみのような声が聞こえる。初めて子供を産む女のような苦しみの声が、あえぎながら手を伸べる娘シオンの声が。『ああ、殺そうとする者の前に、わたしは気を失う』」と記されていました。それは、子を産む喜びの呻きなどではなく、彼らが愛し慕うものによって命が奪われようとする苦しみであり、嘆きの声なのです(同30節)。

 

 子を産めないイスラエルとユダ、それは、神ならぬものに依り頼んで神の怒りを買い、裁かれることになったからです。7節の「災いだ、その日は大いなる日、このような日はほかにない。ヤコブの苦しみの時だ」というのはそのことを示しています。

 

 ところが、最後に「しかし、ヤコブはここから救い出される」と言います。この言葉で、「子を産むことは決してない」はずのヤコブでしたが、罪が裁かれ、国が滅び、バビロンの捕囚とされた民の苦しみが、まさに産みの苦しみとなるということです。

 

 12,13節に「主はこう言われる。お前の切り傷はいえず、打ち傷は痛む。お前の訴えは聞かれず、傷口につける薬はなく、いえることもない」とあり、その理由が14節後半で、「お前の悪が甚だしく、罪がおびただしいので、わたしが敵の攻撃をもってお前を撃ち、過酷に懲らしめたからだ」と言われています。

 

 14節前半に「愛人たちは皆、お前を忘れ、相手にもしない」という言葉があり、「愛人たち」とは、イスラエルが頼りとしたエジプトなど近隣列強国のことを指していると思われます。しかし、神の怒りの前に、それらは何の役にも立ちません。紀元前588年にエジプトはバビロンと戦って敗れ、その数ヶ月後にエルサレムはバビロンに攻め落とされました。

 

 あるいはまた、異教の偶像のことを言っているとも考えられます。異教の偶像を慕い、偶像礼拝をやめなかったことが、神を憤らせた原因です。しかし、異教の偶像は、まことの神の裁きの前に、何の助けも与えてはくれません。「お前を忘れ、相手にもしない」とは、そのことでしょう。主に捨てられ、人に捨てられて、絶望的な状況がそこにあります。

 

 けれども、そうなったときに主なる神が、「さあ、わたしがお前の傷を治し、打ち傷をいやそう」(17節)と言われます。ここに、真に畏れるべきは主であり、また真に頼るべきも、主なる神であることが示されます。そのことを、イスラエルの民がこれから経験する苦難を通してしっかりと学ぶならば、まさにその苦難は産みの苦しみになるのです。

 

 「イスラエル」という名は、彼らの父祖ヤコブが神の使いから、祝福として頂いた名前です(創世記32章27,29節)。ヤコブは、父イサクが兄エサウに与えるはずの祝福を、母リベカと一緒になって騙し取りました(同27章1節以下)。それを知った兄エサウが激怒して、「父の喪の日も遠くない。そのときがきたら、必ず弟を殺してやる」(同41節)と決意します。

 

 そこで、リベカは嫁娶りを理由に、偏愛する息子ヤコブを自分の故郷ハランの地に逃がします(同42節以下、46節)。かくて、神の祝福を受けるどころか、それが呪いとなったごとくに、ヤコブは家を出て、ひとり遠い地まで行かなければならなくなりました。

 

 ところが、ルズの地で石を枕に野宿していたとき、枕辺に天にまで達する階段が立ち、神の御使いが上り下りしている幻を見ます。そのとき、ヤコブはその階段を上りませんでした。およそ神の前に立つことの出来る心境ではなかったと考えられます。畏れ入っているヤコブの傍らに主が立たれ、ヤコブを祝福されました。

 

 主は、「①見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、②わたしはあなたを守り、③必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない」(同28章10節以下、15節)と言われました。ヤコブはそこをベテル(「神の家」の意)と言います。主なる神は、絶望の荒れ野を、栄光の神の家にすることが出来るのです。

 

 この祝福が、あらためて冒頭の言葉(10,11節)で「わたしの僕ヤコブよ、恐れるなと、主は言われる。イスラエルよ、おののくな。見よ、③わたしはお前を遠い地から、お前の子孫を捕囚の地から救い出す。ヤコブは帰って来て、②安らかに住む。彼らを脅かす者はいない。①わたしがお前と共にいて救うと主は言われる」と記されているわけです。ここに、神の真実があります。

 

 そして、主イエスは私たちに「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ福音書28章20節)と約束してくださいました。神が私たちと共におられるというのを、ヘブライ語で「インマヌエル」(同1章23節)と言います。主イエスは、十字架の死をもって贖いの業を成し遂げてくださり、罪と死の力を打ち破って甦られ、今も生きて共にいてくださいます。

 

 常に主に信頼し、「行って、すべての民をわたし(主イエス)の弟子にしなさい。かれらに父と子と聖霊の名によってバプテスマを授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」(同28章19,20節)と語られた主イエスの宣教命令に、日々喜びをもって従う者となりましょう。

 

 主よ、父祖ヤコブの祝福が世代を超え、また民族の壁を越えて、今日の私たちにも届けられています。絶望の夜を希望の朝に代え、意気消沈の荒れ野を栄光の神の国としてくださる主の御名を賛美し、その恵みを感謝します。常に聖霊に満たされ、主の慈しみの御手のもとに留まり、主の御業に励むことが出来ますように。 アーメン

 

 

「見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。」 エレミヤ書31章31節

 

 新共同訳聖書は31章に「新しい契約」という小見出しをつけています。これは、冒頭の言葉(31節)を含む27~34節の段落に視点を置いたものです。旧約聖書の中でこの箇所にだけ「新しい契約」(ブリート・ハダーシャー)という言葉が記されています。

 

 2節に「主はこう言われる。民の中で、剣を免れた者は、荒れ野で恵みを受ける、イスラエルが安住の地に向かうときに」と言われます。剣を免れて、荒れ野で恵みを受けるとは、エルサレムがバビロンに攻め寄せられた際、剣を免れた者たちが捕囚の地で恵みを受けたということでしょう。それで、捕囚後に安住の地イスラエルに向かうことが許されるのです。

 

 その恵みを受けたのは、ただ主なる神の深い憐れみによるものであり、そのことが「わたしは、とこしえの愛をもってあなたを愛し、変わることなく慈しみを注ぐ」(3節)と告げられています。その愛と慈しみがなければ、荒れ野で滅ぼされてしまったり、そうでなくても、捕囚の地からの帰還が適わなかったことでしょう。

 

 冒頭の言葉(31節)に「見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる」と記されています。この預言の言葉が、主イエス・キリストにおいて成就しました。ルカ福音書22章20節に「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である」と語られた主イエスの言葉が記されています。

 

 これは、キリストが十字架で流された血潮によって、主なる神と主イエスを信じる人々との間に、新しい契約が結ばれるという表現です。ここに語られている「新しい契約」という言葉から、「新約聖書」(新しい契約の書)なる言葉が作られたのです。

 

 新しい契約があれば、古い契約もあります。それが記されているのが、「旧約聖書」(古い契約の書)です。古い契約は、エジプトを脱出したイスラエルの民と主なる神との間で、モーセがシナイ山に登ったときに結ばれたものです。そしてその契約書として、石の板に記された十戒を授かりました(出エジプト記19章5節、24章、31章18節、34章)。

 

 けれども、イスラエルの民はそれを守ることが出来ませんでした。「わたしが彼らの主人であったにもかかわらず」(32節)という、結婚関係を思わにせる言葉遣いから、その関係を破壊する姦淫の罪が行われたことが示されます。即ち、神ならぬものを神としたということです。

 

 ですから、「彼らはこの契約を破った」(32節)という言葉は、単に契約内容を蔑ろにしたということではなく、契約を無効にする違反をあえて行う罪を犯したということを意味しているのです。そのゆえに、イスラエルとユダの民はその家を出され、主人たる神の保護を失ってしまったため、アッシリア、バビロンとの戦いに敗れ、捕囚とされるという結果を招いてしまったわけです。

 

 ところが、「新しい契約を結ぶ日が来る」と主が言われます。ということは、古い契約を破棄させた罪が赦されたということです。新しい契約の新しさとは、契約内容の新しさではありません。「わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる」(33節)というのは、旧約においても、新約においても語られる契約の内容です(創世記17章7,8節、出エジプト記19章5,6節参照)。

 

 つまり、契約の新しさとは、まず、授けられ方にあります。古い契約は、石の板に記されていました(十戒:出エジプト記31章18節)。けれども、新しい契約は、その律法が人々の胸の中に授けられ、心に記されます(33節)。それは、新しく神と契約を結ぶ民は、神の御言葉に従うことが、彼らの心にある思いとなるということです。

 

 そのことをパウロは、「神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。文字は殺しますが、霊は生かします」 (第二コリント書3章6節)と言っています。

 

 この契約が、主イエスによって成就したと、先に記しました。そして、主イエスを信じる者は誰でも、この新しい契約を結んだ者とされます。そこでは、民族としてのユダヤ人であるか、そのために割礼を受けたものであるかどうかは、問題になりません。

 

 ローマ書2章29節に「文字ではなく、霊によって心に施された割礼こそ割礼なのです」とあり、また、フィリピ書3章3節に「わたしたちこそ真の割礼を受けた者です。わたしたちは神の霊によって礼拝し、キリスト・イエスを誇りとし、肉に頼らないからです」と記されています(コロサイ書2章11節以下も参照)。

 

 ただ、新しい契約が心に記されて、お互いに「主を知れ」といって教えることはないと言われますが(34節)、主イエスを信じている者は、御言葉を教わる必要がない人々ではありません。むしろ、信仰に熱心な者ほど、御言葉を学びたい、さらに深く主の御心を知るために教えが必要だと言います。

 

 それは、「主を知る」ということが、単なる知識としてではなく、主を愛し、主との交わりをとおして、人格的に相手を理解するということだから、主を愛すれば愛するほど、交わりを持てば持つほど、さらにそれを深めたいと思うのです。その意味で、契約が心に記されるとは、主イエスを信じて、主イエスを私たちの心の王座、日々の生活の中心にお迎えすることなのです。

 

 日々主を仰ぎ、その御言葉に耳を傾け、聖霊の助けと導きを受けて、示された道に従い、主の御心を行う者とならせていただきましょう。  

 

 主よ、私たちに信仰の恵みをお与えくださり、感謝致します。私たち人間が神の律法に完全に従うことは不可能です。しかし、人には出来ないことも神には出来ると言われた主イエスを信じ、日毎に主の御言葉に耳を傾け、その導きに従って歩みます。御心を行わせてください。御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「イスラエルの神はこういわれる。これらの証書、即ち、封印した購入証書と、その写しを取り、素焼きの器に納めて長く保存せよ。」 エレミヤ書32章14節

 

 1節に「ユダの王ゼデキヤの第十年、ネブカドレツァルの第十八年のこと」とあるのは、紀元前587年のことです。39章1,2節(列王記下25章1節以下も参照)によれば、バビロン軍はその前年に押し寄せてエルサレムを攻撃していたので、いよいよ陥落させられる直前という状況です。

 

 そのとき、「預言者エレミヤは、ユダの王の宮殿にある獄舎に拘留されて」(2節)いました。それは、バビロン軍に都が包囲されている中、エレミヤがエルサレムの民の士気をくじくような言動が出来ないように、そしてまた、敵国バビロンへ投降することが出来ないようにするということでしょう(37章参照)。

 

 ただ、その拘留は緩やかなものだったらしく、叔父シャルムの子ハナムエルの面会が許されただけでなく、ハナムエルの求めに応じて、アナトトの畑を銀17シェケルで買い取り、その証書をネリヤの子バルクに預けることも出来ました。

 

 1シェケルは銀11.4グラムで、17シェケルは193.8グラム。現在の銀価格は、1グラム65円前後ですから、銀17シェケルは12,600円程度という安価。2600年前のイスラエルでは、銀の価値はもっと高かったのでしょうね。

 

 拘留されているエレミヤのもとにハナムエルがやって来たのは、エレミヤが、土地を買い戻す義務を負うべき、最も近い親戚だったからでしょう(レビ記25章25節以下参照)。ハナムエルが嗣業の畑を売ることにしたのは、バビロンに占領されるのを恐れ、国外へ逃亡するための資金を得たかったということでしょう。

 

 しかし、エレミヤがその土地を購入することにした理由は、主がハナムエルの来訪について、予めエレミヤに告げられ(6,7節)、御言葉どおりハナムエルがやって来たからです(8節)。つまり、ハナムエルの求めに応ずることが、主の御心であるとエレミヤは信じたのです(9節以下)。

 

 そこでエレミヤは、封印した購入証書と封印していないその写しをネリヤの子バルクに預け(11,12節)、冒頭の言葉(14節)のとおり、「素焼きの器に納めて長く保存せよ」と命じました。

 

 そしてそう命じるのは、「イスラエルの神、万軍の主が、『この国で家、畑、ぶどう園を再び買い取るときが来る』と言われるからだ」(15節)と、その理由を説明しています。即ち、バビロン捕囚の後、国を再建するときが来るということです。

 

 「長く保存せよ」というのは、バビロンでの奴隷生活が「70年」と言われているからです(25章11節、29章10節など)。 実際には、紀元前587年から538年までの足かけ50年でした(第二神殿の完成までの期間も加えて70年とする解釈もありますが)。

 

 エレミヤが、その行為で示したのは、未来の希望でした。それは、ヒゼキヤのときのような、エルサレムを包囲しているバビロン軍を滅ぼし、絶体絶命の危機から救われるという希望ではありません(列王記下19章参照)。エルサレムが焼かれ、イスラエルの国が滅びてしまおうとも、それによって完全に押し潰されることはない、もう一度国を再興することが出来るという希望です。

 

 イスラエルの父祖ヤコブの寵愛を受けた11番目の息子ヨセフが、兄弟たち、そして家族が自分の前に跪くという夢を見たと告げました(創世記37章5節以下)。その話を聞いて憎悪の念に燃えた兄たちは、弟ヨセフを殺した上で、その夢がどうなるか見てやろうと計ります(同20節)。

 

 けれども、命まで取るのはよそうという長子ルベンの意見でヨセフを空井戸に投げ込み(同21,24節)、イシュマエル人に売る方が得だとユダも応じます(同26節)。しかし、兄弟たちが話し合っている間に、ミディアン人のキャラバンがヨセフを見つけて井戸から引き上げ、イシュマエル人に売ったので、彼らは奴隷としてエジプトに連れて行ってしまいます(同28節)。

 

 エジプトの役人・侍従長ポティファルのものとなったヨセフは、そこで主人の妻の機嫌を損ね、無実の罪で獄につながれてしまいますが(同39章1節以下、20節)、そこで腐らず、主がヨセフと共におられ、恵みを施し、彼のすることをすべて上手くはからわれたので(同21,23節)、紆余曲折を経てエジプトの総理大臣に抜擢されることになります(同41章40節)。

 

 やがて、世界的な飢饉でエジプトに穀物を買いに来たヨセフの兄弟たちは、弟ヨセフが宰相になっているとはつゆ知らず、その前にひれ伏します(同42章6節)。そのとき、ヨセフがかつて見た夢が実現したわけです(同8節)。

 

 そこに、神の与えられた夢は必ず実現するということが示されると同時に、その夢が実現したことで、エジプトのみならず周辺諸国が、そしてそこにいたヤコブ=イスラエル一族も飢饉から守られる役割を果たしたということを見ることが出来ます。

 

 エレミヤ自身、捕囚となった民が解放され、家、畑、ぶどう園を再び買い取るときが来るという預言の言葉の実現を見ることは出来ませんでした。イスラエルの民が捕囚となったのち、彼はエジプトに連れて行かれ、そこで殉教したと考えられています。しかし、捕囚の民は、エレミヤの預言に希望を置き、その恵みに与ることが許されるのです。

 

 彼らはエルサレムに帰り、主が彼らの神となり、彼らは主の民となります(38節)。これが主なる神と民との契約で、40節に「わたしは、彼らと永遠の契約を結び、彼らの子孫に恵みを与えてやまない」と告げられています。31章31節に述べられた「新しい契約」が、ここでは「永遠の契約」と言われています。

 

 31章3節で「わたしは、とこしえの愛をもってあなたを愛し、変わることなく慈しみを注ぐ」と語られたように、イスラエルとの関係は、その愛と慈しみに支えられて「永遠」に続くのです。そこに、神の愛があります。

 

 「希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです」(ローマ書5章5節)と言われているとおりです。とこしえの愛、変わることのない慈しみを注がれた者として、日々主の御言葉に耳を傾け、信仰をもって主の恵みに応えて参りましょう。 

 

 主よ、御子キリストの贖いにより、恵みによって救いに導かれ、神の栄光に与る希望を感謝しています。信仰の歩みに苦難が伴っても、神の恵みによってそれが希望となることを味わうからです。今、悲しみの中にいる人々に慰め、苦しみの中にいる人々に安らぎ、失望している人々に希望、何よりも信仰による喜びを与えてください。忍耐と慰めの源であり、希望の源、平和の源である神が常に共にいてくださいますように。 アーメン

 

 

「わたしを呼べ。わたしはあなたに答え、あなたの知らない隠された大いなることを告げ知らせる。」 エレミヤ書33章3節

 

 冒頭の言葉(3節)で「わたし」と言われているのは主なる神で、2節に「創造者、主、すべてを形づくり、確かにされる方。その御名は主」と紹介されています。万物の創造者であり、主である神が、「わたしを呼べ」、即ち、祈り求めよと言われるということは、その祈りを聞いてくださるということです。

 

 そして、「あなたの知らない隠された大いなることを告げ知らせる」というのですから、今までにない新しい主の御業が告げられるというわけです。しかも、主の御言葉は必ず実現するのですから(創世記1章3節、詩編33編6,9節、イザヤ55章11節、ルカ1章45節参照)、かつてなかった創造的な御業が起こされるということになります。

 

 あらためて、ここで「わたしを呼べ」と言われるということは、イスラエルの民が主なる神を呼んでいなかった、主に祈りをささげていなかったということでしょう。エルサレムがバビロン軍に包囲されて、命運尽きかけているときにも、なおまことの神に頼らず、自分たちの力に加えてエジプトの援軍に期待し、その上、異教の偶像に祈り願っていたというのでしょうか。

 

 だからこそ、主なる神の怒りを買い、亡国の憂き目を見、捕囚とされる屈辱を味わわなければならないようにされたわけです。「彼らはカルデア人と戦うが、都は死体に溢れるであろう。わたしが怒りと憤りをもって彼らを打ち殺し、そのあらゆる悪行のゆえに、この都から顔を背けたからだ」(5節)と言われます。

 

 けれども、それによってイスラエルを破壊し尽くし、民をこの世から完全に消し去るというのではありません。そのことについて、31章2節に「民の中で、剣を免れた者は、荒れ野で恵みを受ける」という言葉がありました。

 

 荒れ野に引き出されることは、絶えず命が脅かされる、死に直面させられるということです。しかし、バビロンという荒れ野に導かれた者、即ち、バビロンの捕囚とされた者はその地で恵みを受け、それを拒む者は剣で滅ぼされてしまうということです。

 

 主イエスは、洗礼者ヨハネからバプテスマを受けられた後、聖霊の導きで荒れ野に行かれ(マタイ4章1節)、悪魔の誘惑を受けられました(同3節以下)。「誘惑をうける」(ペイラゾー)は、「試みにあう」という言葉です。艱難辛苦を試練と考えて耐え忍ぶならば、豊かな成長の時となり、信仰を確固たるものとするでしょう。

 

 ヘブライ書5章8節には「キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました」と記されています。神の御子といえども、荒れ野に行かなければ、その苦しみを経なければ、学び得ないものがある。従順を学ぶために、多くの苦しみを味わわなければならなかったということです。

 

 イスラエルの民は、バビロン捕囚という荒れ野の苦しみを経て、主への従順を学び、予想もしていなかったところからの大いなる恵みに浴することになると言われているわけです。そのときの鍵となるのが、そこで主の御名を呼ぶこと、主なる神に祈り求めることです。

 

 故榎本保郎先生が、列王記上18章のエリヤとバアルの預言者との戦いの箇所で、「彼(エリヤ)は壊された主の祭壇を修復した」(30節)という言葉から、「あなたの祈りの祭壇は壊れていませんか。主の御名を呼ぶ祈りが絶えず芳しい香りとして主の御前に立ち上っているでしょうか。実に、壊れやすいのは祈りの祭壇です」と語られていました。もっと熱く、信仰をもって祈る者になりたいと思います。

 

 6節に「見よ、わたしはこの都に、いやしと治癒と回復をもたらし、彼らをいやしてまことの平和を豊かに示す」と語られています。30章17節にも、「さあ、わたしがお前の傷を治し、打ち傷をいやそう、と主は言われる」と告げられていました。

 

 ペトロがイザヤ書53章5節を引用しながら、「(キリストが)十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが罪に死んで、義に生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました」(第一ペトロ書2章24節)と語っています。

 

 こうして、私たちの身代わりとなられたキリストの受難、荒れ野の苦しみを通して、私たちに癒やしと平和が与えられたのです。

 

 詩編91編14~16節にも「彼はわたしを慕う者だから、彼を災いから逃れさせよう。わたしの名を知る者だから、彼を高く上げよう。彼がわたしを呼び求めるとき、彼に答え、苦難の襲うとき、彼と共にいて助け、彼に名誉を与えよう。生涯、彼を満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せよう」という言葉があります。

 

 日々主の恵みに与り、喜びと感謝を込めて絶えず主の御名を呼び、心からなる祈りと願いをささげましょう。  

 

 主よ、あなたは今も生きて私たちと共におられ、私たちの内に働いていてくださいます。絶えず、御名を呼び求めます。感謝をもって祈りと願いをささげます。私たちの人生に、この町に、日本に、不思議な大いなる御業を表してください。主イエスを信じる信仰により、神の恵みと助けをしっかりと受け取ることが出来ますように。 アーメン

 

 

「ところがお前たちは、またもや、態度を変えてわたしの名を汚した。彼らの望みどおり自由の身として去らせた男女の奴隷を再び強制して奴隷の身分としている。」 エレミヤ書34章16節

 

 バビロンによる攻撃が続く中、エレミヤに主の言葉が臨みました(1節)。それは、ゼデキヤ王がバビロンの捕囚となること(3節)、しかし、平和(シャローム)のうちに死に、葬りの儀が行われるということでした(5節)。

 

 3節の言葉は、32章4,5節とほぼ同じものです。しかし、5節はその言葉通りに実現しませんでした。39章4~7節、52章7~11節に、その実態が記されています。そのことを、エレミヤの預言が外れたと解する向きもあるようですが、38章17,18節などとの関連で、エレミヤの預言を受けてバビロンに降伏するならばという条件付きだったのではないかと思います。

 

 しかしながら、8節以下の段落には、ゼデキヤ王が主の言葉に聞き従う思いのないことが明らかにされています。8節に「ゼデキヤ王が、エルサレムにいる民と契約を結んで奴隷の解放を宣言した」という言葉が記されています。

 

 申命記15章12節に、ヘブライ人の奴隷を買うなら、7年目には無償で自由の身として去らせなければならないという規定があります。また、レビ記25章39節以下に、同胞が貧しく、あなたに身売りしたならば、その人をあなたの奴隷として働かせてはならない。雇い人か滞在者として共に住まわせ、ヨベルの年の後、家族のもとに帰ることが出来ると規定されています。

 

 これらの規定は、かつてイスラエルの民がエジプトの奴隷であったとき、主なる神が強い御手をもって彼らを救い、約束の地へ導き入れてくださったことを忘れず、更に主の恵みに与らせるために定められたものでした(申命記15章14節以下、18節参照)。しかしながら、民はこの規定を守ってはいませんでした(14節)。

 

 ここで、この契約が成立した背景には、律法の規定を守ることで、バビロン軍の攻撃(7節)からエルサレムの都が守られるのではないかという期待があったものと思われます。また、エルサレムの都がバビロン軍に包囲されて兵糧攻めが行われ(列王下25章1~3節)、奴隷を養うことが困難になったということも考えられます。

 

 ところが、この契約は直ぐに反故にされます。一旦自由の身として去らせたものを、再び奴隷とします(11,16節)。それは、エルサレムを包囲していたバビロン軍が、その包囲を解いて撤退したためでした(21節)。というのは、バビロン軍を背後から攻めるため、イスラエル待望のエジプト軍が北上して来たからです。

 

 それにより、かつてヒゼキヤの代にエルサレムを包囲したアッシリア軍が全滅させられたように(列王下19章)、バビロン軍が敗走して平和が回復するなら、奴隷を解放するという契約は必要ない、元通りの生活が出来るようになるなら、やなり奴隷は必要だというわけです。

 

 これは、エジプトの王が初子が打たれるという苦しみを味わって、イスラエルの民を解放した後(出エジプト記12章29節以下)、再び頑迷になって(同14章5節)彼らの後を追い(同6節以下)、結局葦の海の中に投げ込まれて、一人残らず命を落とした(同27,28節)という記事を思い起こさせます。

 

 身勝手な振る舞いに対して、主は冒頭の言葉(16節)のとおり、「お前たちは、またもや、態度を変えてわたしの名を汚した」と断じ、「お前たちが、同胞、隣人に解放を宣言せよというわたしの命令に従わなかったので、わたしはお前たちに解放を宣言する。それは剣、疫病、飢饉に渡す解放である」(17節)と宣告されます。即ち、主の守りが彼らを離れ、彼らは裁かれるわけです。

 

 「剣、疫病、飢饉に渡す」というのは、これまで何度も語られて来た裁きの言葉です(14章12節、21章9節、24章10節、27章8節、29章17節、32章14,36節)。 剣を逃れても、疫病や飢饉が待ち受けていて、死を免れることは出来ないということです。

 

 契約を結ぶとき、彼らは子牛を二つに切り裂き、その間を通るという儀式を行いました(18節)。これは、アブラハムが神と契約を結ぶときにも行われた方法です(創世記15章9節以下17,18節)。もしも契約を破るようなことをすれば、その身が二つに裂かれることになるという呪いの誓いなのです。だから、「あの子牛のようにする」と言われるのです。

 

 そして、契約に参加したユダとエルサレムの貴族、役人、祭司、および国の民のすべてが敵に手に渡され、その死体は鳥や獣の餌食となると告げられます(20節)。そして、それを実行するために、神はゼデキヤ王と貴族たちを敵の手に渡し、エルサレムの都を占領して火を放ち、ユダの町々を廃墟とするよう命令を下すと言われました(22節)。

 

 振り返って考えてみるまでもなく、苦しいときの神頼みで、祈りをかなえて欲しくて神に善行などを誓ったりしますが、苦しみが去るとその誓いを忘れ、実行を怠ったという経験があります。私には、ゼデキヤを非難する資格はありません。

 

 あらためて、主なる神がイスラエルの民に同胞を奴隷とすることを禁じ、奴隷を解放するように命じたのは、彼らが主の憐れみによってエジプトでの奴隷生活から救い出されたからでした(申命記15章15節)。私たちが主の憐れみに与ったのは、その憐れみを受けて他者と愛し合う生き方をするようにと、導かれているわけです。

 

 「あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される」(ルカ6章36,37節)と主イエスが教えておられます。

 

 ペトロも「悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです」(第一ペトロ3章9節)と告げています。

 

 主の救いに与ったアブラハムの子として、隣人を愛し、常に祝福を祈るものとならせていただきましょう。 

 

 主よ、ここに見るゼデキヤの罪は、あなたの恵みに慣れ、自分のなすべき務めを忘れて人を裁き、不平を言う私たち自身の罪の姿です。どうか私たちの罪を赦してください。心を清め、新しい霊を授け、人を裁かず、罪人と定めず、互いに赦し赦され、祝福を祈り合う者とならせてください。御名が崇められますように。御国が来ますように。 アーメン

 

 

「我々はぶどう酒を飲みません。父祖レカブの子ヨナダブが、子々孫々に至るまでぶどう酒を飲んではならない、と命じたからです。」 エレミヤ書35章6節

 

 35章には「レカブ人の忠誠」という小見出しがつけられています。ただ、ここに登場する「レカブ人」について、詳しいことはよく分かりません。歴代誌上2章25節に「これらは、ベト・レカブの父ハマトから出たカイン人である」と記されており、ユダ南部の荒れ野のカイン人と血縁関係にあるものと思われます。

 

 冒頭の言葉(6節)に「レカブの子ヨナダブ」という人物の名が記されていますが、この名は、列王記下10章15節に「イエフがそこを出て進んで行くと、彼を迎えに出たレカブの子ヨナダブに会った」と記されており、そのときヨナダブは、イエフと協力してアハブ王の家を滅ぼし(同16,17節)、バアルに仕える者たちを一掃したと述べられています(同23節以下)。

 

 1節の「ヨシヤの子ヨヤキムの時代」とは、紀元前609年から598年までの間の11年間を指します(列王記下23章36節以下)。11節に「今は、バビロンの王ネブカドレツァルがこの国に攻め上ってきたので」と記されているところから、ある程度、時期が特定されます。

 

 紀元前612年にアッシリア帝国の首都ニネベがバビロンとその連合軍によって陥落、国王も戦死しましたが、ハッラーンに都を遷して対抗しようとしますが、前609年に連合軍に占領されます。次に都を移したのがカルケミシュです。

 

 アッシリア帝国の属国だったエジプトが、バビロンを撃退するために軍を出しました。それが、列王記下23章29節に「エジプトの王ファラオ・ネコが、アッシリアの王に向かってユーフラテスを目指して上ってきた」と記されていることです。

 

 エジプトがカルケミシュに行くにはイスラエルを通過する必要がありますが、それを領土侵犯として許さず、エジプトを迎え撃とうとしてヨシヤ王がメギドで開戦し、返り討ちに遭いました(同29,30節)。

 

 アッシリア・エジプト同盟軍がカルケミシュでバビロンの連合軍と激突しましたが、同盟軍はネブカドレツァル率いるバビロン軍に撃破され(紀元前605年)、アッシリア帝国は滅亡、エジプトもユーフラテス地方への足がかりを失います。そして、バビロンの王ネブカドレツァルがパレスティナの制覇を目論み、エルサレムに攻め上って来たのです(列王記下24章1節)。

 

 そのときレカブ人一族は、バビロン軍の攻撃により、エルサレムで避難生活をしていたのです(11節)。主はエレミヤに、彼らを神殿に招き、ぶどう酒を飲ませよと命じられました(2節)。そこでエレミヤは主の命に従い、一族全員を神殿の一室に招き、ぶどう酒を振舞います。

 

 ここで、異邦人がエルサレム神殿の一室に入ることが出来たというのは、とても不思議なことです(エゼキエル書44章7節、使徒言行録21章28,29節参照)。主のご命令ということで、特別に許可されたのでしょうか。それとも、イエフに協力して北イスラエルからバアルに仕える者を一掃した折りに、彼らは主に仕える者となったということでしょうか。

 

 話を元に戻して、エレミヤが「ぶどう酒を飲んでください」(5節)と言ったとき、レカブ人はだれ一人、振舞われたぶどう酒を飲もうとしませんでした。それは、父祖レカブの子ヨナダブが、子々孫々に至るまで、ぶどう酒を飲んではならないと命じていたからです(6節)。

 

 ヨナダブはまた、家を建てるな、種を蒔くな、ぶどう園を作るな、また、それらを所有せず、生涯天幕に住むようにと命じ(7節)、そうすれば、お前たちが滞在する土地で長く生きることが出来ると請け合っていました。ある種、農耕文化を拒否し、遊牧生活に留まるということを家訓としたわけです。そして、ヨナダブの子孫は、その家訓を忠実に守り続けていたのです(8~10節)。

 

 主なる神はエレミヤに、レカブ人は父祖ヨナダブの命令に従っているのに、ユダの人々とエルサレムの住民が、神である主の言葉に聞き従おうとしないのはどういうことか。だから、予告していたとおり、あらゆる災いをユダとエルサレムの全住民に送るとエレミヤに告げさせます(12節以下、17節)。

 

 主は今、イスラエルの民が断酒を実行するよう求めておられるわけではありません。禁欲的な生活を求めておられるというわけでもありません。求められているのは、「おのおの悪の道を離れて立ち帰り、行いを正せ。他の神々に仕え従うな」(15節前半)との主の命令に、レカブ人のごとく忠実に聴き従うことです。

 

 そうすれば、「わたしがお前たちと父祖に与えた国土にとどまることができる」(15節後半)と約束されていました。それはヨナダブが子孫に、お前たちの滞在する土地で長く生きることができると請け合っていたこと(7節)に通じています。

 

 主なる神は繰り返し預言者を遣わして、御言葉に聴き従うよう、招き続けてこられました(14,15節)。7章25節には「お前たちの先祖がエジプトの地から出たその日から、今日に至るまで、わたしの僕である預言者らを、常に繰り返しお前たちに遣わした」と記されていました。けれども、ユダの人々は主の御言葉に耳を傾けず、その招きに応答しませんでした。

 

 主が繰り返し語られ、繰り返し預言者が遣わされたのは、民がその言葉に耳を傾けようとしなかったからです。それゆえ彼らの上にあらゆる災いが臨み(17節)、結局、主が彼らに与えた国土に留まることが出来ないようになってしまったわけです。

 

 主が忠実さを求められるという点で思い出されるのは、マタイ福音書25章14節以下にある「タラントンのたとえ話」です。主人が僕たちに財産を預けて旅に出、帰って来たときにそれを精算するという話です。

 

 主人に預けられたもので商売し、利益をもたらした僕に「忠実なよい僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ」(同22,23節)と言い、そうしなかった僕には「怠け者の悪い僕だ」(同26節)と言って彼に預けた財産を取り上げ(同28,29節)、外の暗闇に追い出します(同30節)。

 

 忠実な僕と怠惰な僕の違いは、主人に委ねられたものに対する態度であり、それは、主人に対する信頼の違いといってもよいのでしょう。怠惰な者は、主人を信頼するよりもむしろ恐れていて、主人から委ねられたものを活かして用いることが出来ませんでした。

 

 私たちの命、私たちの人生は、主から預けられたものです。私たちが自分の好き勝手に出来るものではありません。自分の人生という主から委ねられているものを、どのように受け止めているのか、どう活かしているのかが問われます。人生を精算するとき、「忠実なよい僕だ。よくやった」と言われたいものです。

 

 そのために、主に信頼して日々御言葉に耳を傾け、その導きに従って歩ませて頂きましょう。

 

 主よ、エルサレムの民には、エレミヤの言葉は役に立ちませんでした。その言葉が、民と、信仰によって結び付かなかったためです。あなたの憐れみによって、主を信じ、キリストの教会に連なることを許された私たちが、キリストから離れることがないように、絶えず御言葉をお与えください。御霊の導きに与り、忠実な僕とならせてください。御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「このすべての言葉を聞きながら、王もその側近もだれひとり恐れを抱かず、衣服を裂こうともしなかった。」 エレミヤ書36章24節

 

 1節に「ユダの王、ヨシヤの子ヨヤキムの第4年」とあるのは、紀元前605年のことで、バビロンがカルケミシュでアッシリア・エジプト同盟軍を撃破してメソポタミア地域を支配下に治め、シリア・パレスティナへの進軍を始めた時期です。

 

 主がエレミヤに「巻物を取り、わたしがヨシヤの時代から今日に至るまで、イスラエルとユダ、および諸国について、あなたに語ってきた言葉を残らず書き記しなさい」(2節)と命じられました。「ヨシヤの時代」は、1章2節の「その治世の第13年」(紀元前627年)ごろということで、それから20年余りに亘り、エレミヤは預言者としての務めをなしてきたのです。

 

 エレミヤの預言がすべて書き記されることで、「ユダの家は、わたしがくだそうと考えているすべての災いを聞いて、それぞれ悪の道から立ち帰るかもしれない。そうすれば、わたしは彼らの罪と咎を赦す」(3節)と言われました。そこで、エレミヤはネリヤの子バルクを呼び、巻物に口述筆記させます(4節以下)。こうして、エレミヤ書のプロトタイプが出来ることになりました。

 

 「ヨヤキムの治世の第5年9月」(9節)、それはエレミヤの預言が筆記されて1年余り後(1節参照)の、紀元前604年12月ごろのことです。そのとき「エルサレムの全市民およびユダの町々からエルサレムに上って来るすべての人々に、主の前で断食する布告が出され」(9節)ました。

 

 バビロンとその連合軍がカルケミシュにおける勝利、そしてパレスティナに向けて進軍を開始しているというニュースが届いたので、やがて訪れるであろう国の危機にあたってユダのすべての民に、主の前に断食して祈るよう告げ広められたということです。

 

 そしてそのとき、主の神殿に集まって来る人々に、エレミヤが書き留めさせた主の言葉を読み聞かせました。エレミヤはそのとき、神殿への出入りが禁じられていました(5節)。ヨヤキム王にとってエレミヤは好ましからざる存在で、神殿でエレミヤの言葉をユダの民に聞かせたくなかったのです。そこで、彼の預言が書き留められ、バルクがそれを読み聞かせることになったのです。

 

 バルクは、「書記官、シャファンの子ゲマルヤの部屋からすべての人々の読み聞かせ」(10節)ました。ゲマルヤの父シャファンも書記官で、ヨシヤ王に仕え(列王記下22章3節以下)、祭司ヒルキヤが見つけた律法の書(申命記と考えられる)を王のもとで読み上げ、女預言者フルダのもとに祭司ヒルキヤらと共に遣わされ、主の託宣を求めています(同14節以下)。

 

 

 あるいは、そのときの再現、即ち、ヨヤキム王が読み聞かせられるエレミヤの預言を聞いて衣を裂いて悔い改めて主に立ち帰り(列王記下22章11,12節参照)、主の御心を尋ねるようになることを期待して、シャファンの子ゲマルヤが自分の部屋を提供し、預言の書を読ませたのかも知れません。

 

 それを聞いたゲマルヤの子ミカヤは、王の高官たちにそれを伝え、そこでバルクはもう一度読みます(13節以下)。12節に記されている高官たちについて、詳細はほとんど不明ですが、彼らは「この言葉はすべて王に伝えねばならない」(16節)と言います。彼らはゲマルヤと同様のことを考え、期待したのではないでしょうか。

 

 しかし、それと同時にヨヤキム王の日頃の言動を知る高官たちは、エレミヤの預言の言葉を聞いたヨヤキムが「書記バルクと預言者エレミヤを捕らよ」(26節)と言うだろうとも考えて、彼らに危害の及ぶのを恐れ、「あなたとエレミヤは急いで身を隠しなさい」(19節)とバルクに告げます。

 

 宮殿の冬の家にいた王の前で、エレミヤの預言が記された巻物が読み上げられます(21節)。王は、読む端からその巻物を切り裂き、暖炉の火にくべてしまいました(23節)。単にエレミヤの言葉に腹を立てたというようなことではなく、その言葉を無力化するために、侮辱的な扱いをしたのです。

 

 彼らは、冒頭の言葉(24節)のとおり、エレミヤの言葉を聞きながら、だれも神の裁きを恐れず、ゲダルヤやその子ミカヤ、王の高官たち、そして何より主ご自身が期待しておられたような、衣服を裂いて悔い改め、「悪の道から立ち返ろう」(3節)というそぶりも見せませんでした。

 

 その時、ヨヤキムは何を拠り所に、そのような振る舞いに及んだのでしょうか。それはここに記されてはいませんが、それが、生ける水の源である主を捨てて無用の水溜を掘り、しかもそれは、水をためることのできないこわれた水溜だったということです(2章13節)。

 

 

 ここに、ヨシヤ王と書記官シャファン、ヨシヤの子ヨヤキムとシャファンの子ゲマルヤという2世代の王と書記官の組み合わせがあります。しかしながら、書記官が伝えた神の言葉に対する王の対応は、全く違いました。ヨシヤの子ヨヤキムは、シャファンの子ゲマルヤがエレミヤの預言が記された巻物を燃やさないようにと懇願するのに、耳を貸しませんでした(25節)。

 

 ヨシヤ王について「彼のように全くモーセの律法に従って、心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして主に立ち帰った王は彼の前にはなかった。彼の後にも、彼のような王が立つことはなかった」(列王記下23章25節)と、最大限の賛辞が贈られています。

 

 ですが、続く同26節には「(ヨシヤの祖父)マナセの引き起こした主のすべての憤りのために、主はユダに向かって燃え上がった激しい怒りの炎を収めようとはなさらなかった」と報告されています。ヨシヤ王の悔い改め、徹底的な服従も、焼け石に水ということなのでしょうか。

 

 しかし、エレミヤに語りかけられた3節の主の言葉からすれば、いかに焼け石に水であっても、続けていけばいつか焼け石の熱を冷まし、炎を消すことが出来るということになるでしょう。けれども、ヨシヤの子ヨヤキムは、主の言葉に耳を傾けようともしません。逆に、火に油を注ぐような振る舞いをします。

 

 これが、31章29節で「先祖が酸いぶどうを食べれば、子孫の歯が浮く」と言われた、旧い契約に基づいて、先祖の罪で子孫が祟られるという、罪の呪いでしょう(出エジプト記20章5節)。

 

 けれども、主なる神は御子キリストをこの世に遣わされ、罪の呪いを断ち切って「新しい契約」(31章31節)を結ぶために、十字架で贖いの業を完成してくださいました。主イエスを信じる信仰により、誰もがその救いに与ることが出来るようにしてくださったのです。

 

 主イエスが開いてくださった新しい道を、主を信じて真心から神に近づきましょう(ヘブライ書10章20,22節)。互いに愛と善行に励むように心がけ、共に集まり、励まし合いましょう(同24節)。主イエスを通して、賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の実を、絶えず神に献げましょう(同13章15節)。

 

 主よ、ヨヤキムはあなたの御言葉を暖炉の薪程度にしか考えず、その結果、そこに記されていた罪の呪いを身に受けることになりました。御言葉を蔑ろにし、わがままに振る舞う愚かな私たちを憐れんでください。常に聖霊に満たされ、心から御名を褒め称えつつ、御言葉の導きに従って歩むものとしてください。御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「ゼデキヤ王は使者を送ってエレミヤを連れて来させ、宮廷でひそかに尋ねた。『主から何か言葉があったか』。エレミヤは答えた。『ありました。バビロンの王の手にあなたは渡されます』。」 エレミヤ書37章17節

 

 「ヨヤキムの子コンヤに代わって、ヨシヤの子ゼデキヤが王位についた」(1節)というのは、紀元前597年のことです。コンヤとはヨヤキンのことで(列王記下24章8節以下参照)、ヨヤキム以来の反バビロン政策に対してバビロンがエルサレムに攻め寄せ、コンヤ=ヨヤキンはバビロンに降伏して捕囚となります(同12,15節)。これが、第一次バビロン捕囚です。

 

 そして、バビロンの王はコンヤ=ヨヤキンに替えて叔父マタンヤを王とし、その名をゼデキヤと改めさせました(同17節)。バビロンによる傀儡政権が誕生したわけです。21歳でバビロン王の思惑で王となったゼデキヤにとって、国内を掌握するのは容易いことではありませんでした。

 

 イスラエルには親エジプト派の高官たちがいて、エジプトと手を結んでバビロンに背くようゼデキヤに圧力をかけます。またエジプトも、バビロンに対抗するためにイスラエルをはじめパレスティナ諸国に同盟を呼びかけます。そのような動きに負けて、ゼデキヤはついにバビロンに反旗を翻します。

 

 列王記下24章20節の「エルサレムとユダは主の怒りによってこのような事態になり、ついにその御前から捨て去られることになった。ゼデキヤはバビロンの王に反旗を翻した」という記述は、主がエルサレムとユダを御前から捨て去るために、ゼデキヤを頑なにしてバビロンに背かせたと読めます。 

 

 バビロンの王ネブカドネツァルは、全軍を率いてエルサレムを攻めます(同25章1節以下)。エルサレムはその攻撃に対し、2年の長きにわたり持ちこたえました(同2節)。三方を谷に囲まれているエルサレムは、確かに「シオン=要害」と呼ばれるにふさわしい都でした。

 

 その間、エジプトがエルサレムに援軍を送ったことがあります。紀元前588年のことです。それが5節で「折しも、ファラオの軍隊がエジプトから進撃してきた」と言われていることです。そのため、バビロン軍は一旦エルサレムの包囲を解き、エジプト軍を迎撃するために向かいます。

 

 ちょうどその頃、ゼデキヤがエレミヤのもとに使いを遣わして、「我々のために、我々の神、主に祈って欲しい」(5節)と頼んでいたのです。日頃、エレミヤの預言には耳を貸そうともしていなかったのに(2節参照)、バビロン軍の包囲を受けて、溺れる者が藁をつかもうと、苦しいときの神頼みに走ったわけです。

 

 かつて、アッシリア軍がエルサレムを攻め囲んだときのこと(列王記下18章13節以下参照)、ヒゼキヤ王が預言者イザヤに執り成しの祈りを依頼します(同19章1節以下)。すると、クシュの王ティルハカが戦いを交えようと軍を進めているという知らせがアッシリア王のもとに届きます(同9節)。

 

 それを聞いたアッシリア王は、それで軍を引いて帰国したというのではなく、さらにヒゼキヤを脅し、降伏させようとします(同10節以下)。強く脅せば、感嘆に陥落させられると考えたのでしょう。そして、ユダを片付けたうえで、ティルハカと対峙しようと考えていたのではないでしょうか。

 

 アッシリア王の脅迫を受けて、ヒゼキヤは主の前に祈りをささげます(同15節以下)。それは、アッシリア王がいける神を侮り、罵っている言葉をきき、そのようなアッシリア王の手から救い、地上のすべての王国が主こそ神であることを知るに至るようにという祈りでした。

 

 すると主はイザヤに「彼(アッシリア王)が都に入城することはない、そこに矢を射ることも、盾を持って向かって来ることもない」(同32節)、「わたしはこの都を守りぬいて救う。わたし自らのために、わが僕ダビデのために」(同34節)とヒゼキヤに告げさせます。そしてその夜の内に主の御使いがアッシリア軍を撃ち、全滅させたのです(同35節)。

 

 ゼデキヤは、そのときのような展開になることを期待していたのではないでしょうか。しかしながら、事態はそのようには動きませんでした。主はエレミヤに「お前たちを救援しようと出動したファラオの軍隊は、自分の国エジプトへ帰って行く。カルデア軍が再び来て、この都を攻撃し、占領し火を放つ」(7,8節)と告げました。

 

 エジプト軍の進撃でエルサレムを包囲していたバビロン軍が撤退したとき、エレミヤは郷里の親族の領地を相続するため、ベニヤミンの地に行こうとしたのを、カルデヤ軍に投降しようとしていると誤解され、無実の罪で書記官ヨナタンの家に監禁されました(11節以下、15節)。

 

 そのときにゼデキヤがエレミヤを宮廷に呼び、冒頭の言葉(17節)のとおり、「主から何か言葉があったか」と尋ねます。監禁された苦しみから解放されるために、ゼデキヤのためになる預言が引き出せないかと期待していたのかも知れません。けれども、エレミヤの答えは、「バビロンの王の手にあなたは渡されます」というものでした。

 

 王に気に入られる言葉を語らないエレミヤは、その後も監禁生活が続きます。偽りの預言者は、自由に行動しています(19節参照)。ゼデキヤに限らず、私たちも、自分の気に入らない言葉は、たとい真実であっても、それに耳を傾けることは困難です。嘘でも、自分に快い言葉を聞きたいと思うのです。

 

 ゼデキヤは、エレミヤを書記官ヨナタンの家の地下牢に戻さず、自分の監視下に置き、食べ物を与えました。あるいは、洗礼者ヨハネを監禁していたヘロデのような心境だったのかも知れません(マルコ6章17節以下参照)。しかし、大切なことは、私たちの気に入る言葉が聞けるかどうかではなく、真実な主の言葉に耳を傾け、その導きに忠実に従うことなのです。

 

 「心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい」(ローマ書12章2節)と言われます。

 

 日々主の前に進み、謙ってその御言葉に耳を傾けましょう。その導きに従い、喜びと感謝をもって歩みましょう。

 

 主よ、あなたの御言葉を聴かせてください。それによって御旨を悟り、真理のうちを歩むことが出来ますように。あなたの恵みを与えてください。それによって御心を行い、主の御名の栄光を表すことが出来ますように。 アーメン

 

 

「あの男のことはお前たちに任せる。王であっても、お前たちの意に反しては何もできないのだから。」 エレミヤ書38章5節

 

 38章にも、37章とは違った理由や状況で、エレミヤ逮捕の記事が記されています。

 

 役人たちが「どうか、この男(エレミヤ)を死刑にしてください」(4節)と王に願っています。その理由は、エレミヤが「都にとどまる者は剣、飢饉、疫病で死ぬ。しかし、出てカルデア軍に投降する者は生き残る。命だけは助かって生き残る。主はこう言われる。この都は必ずバビロンの王の軍隊の手に落ち、占領される」(2,3節)とすべての民に向かって語っていたからです。

 

 このエレミヤの言葉は、21章9,10節で、マルキヤの子パシュフルと祭司ツェファンヤに告げたのとほぼ同じ言葉です。どこでも、誰に対しても、主が示されたとおりに語っていたのです。けれども、その言葉は役人たちにとって、エルサレムを守るために残っている兵士や民衆の士気を挫き、平和を願わず、むしろ災いを望んでいるとしか思えないものでした(4節)。

 

 ゼデキヤ王は冒頭の言葉(5節)のとおり「あの男のことはお前たちに任せる。王であっても、お前たちの意に反しては何もできないのだから」と応じます。役人たちはそのとき、ゼデキヤを王とは思っていなかったのかも知れません。

 

 28章4節に「バビロンに連行されたユダの王、ヨヤキムの子エコンヤ」とあり、正当な王はエコンヤ(ヨヤキン:列王記下24章6節以下)と考えられていたのでしょう。というのも、ゼデキヤはバビロンの王が王位に就けただけで、主なる神が彼に油を注いで王としたわけではないからです。

 

 役人たちはゼデキヤの同意を得て「エレミヤを捕らえ、監視の庭にある王子マルキヤの水溜めへ綱でつり下ろし」(6節)ました。これまでエレミヤが監禁されていたのは、書記官ヨナタンの家の地下牢でした(37章16節)。

 

 原語を調べると、「地下牢」は「水溜めの家」(ベイト・ハッボール)という言葉で、王子マルキヤの「水溜め」(ハッボール)と同じ言葉でした。つまり、水溜めを地下牢としてエレミヤ監禁に利用していたのです。即ち、書記官ヨナタンにせよ、役人たちにせよ、エレミヤを捕らえ、亡き者にしようと考えているというところでは、違いはなかったわけです。

 

 水溜めには「水がなく泥がたまっていたので、エレミヤは泥の中に沈んだ」(6節)とあり、泥に埋まって窒息するかもしれませんし、そのまま長期間放置すれば、9節にあるように、飢えて死んでしまうでしょう。けれども、37章と同様、エレミヤはその水溜めから救い出されます。それは、宮廷にいたクシュ人の宦官エベド・メレクがエレミヤの助命を嘆願したからです。

 

 「エベド・メレク」とは「王の僕」という意味のヘブライ語ですから、宦官になるときに与えられた名前でしょう。王の周囲の役人たちがエレミヤの命を狙っている中で、この外国人宦官だけが親切にするというのは、とても不思議な光景です。それはまるで、強盗に襲われた人の隣人になったのがサマリア人だけだったという、主イエスの「善いサマリア人」のたとえ話のようです(ルカ10章30節以下)。

 

 また、クシュとはエチオピアのことで、エチオピア人の宦官といえば、フィリポの伝道によってバプテスマを受けた人物のことを思い出します(使徒言行録8章26節以下)。まさか、エチオピアにキリスト教が伝えられる遠因になったということではないのでしょうけれど。

 

 ゼデキヤ王は、エベド・メレクが「この人々は、預言者エレミヤにありとあらゆるひどいことをしています」(9節)と報告するのを聞き、「ここから30人の者を連れて行き、預言者エレミヤが死なないうちに、水溜めから引き上げるがよい」(10節)と命じます。

 

 しかし、「どうか、この男を死刑にしてください」(4節)と訴えた役人たちに、上述のとおり、「あの男のことはお前たちに任せる」(5節)と答えていました。その段階では、王はエレミヤの処刑に加担していたわけです。

 

 ただそれは、全面的な賛意ではなく、お前たちがそうしたいというなら仕方ないといったところでしょう。勿論、だからといって、エレミヤを役人たちの手に委ねた王の責任が不問にされるものではありません。

 

 水溜めから引き出したエレミヤと密かに会談した際、エレミヤはゼデキヤに「イスラエルの神、万軍の神なる主はこう言われる。もし、あなたがバビロンの王の将軍たちに降伏するなら、命は助かり、都は火で焼かれずに済む。また、あなたは家族と共に生き残る」(17節)と告げます。

 

 それに対してゼデキヤは、「わたしが恐れているのは、既にカルデア軍のもとに脱走したユダの人々のことである。彼らに引き渡されると、わたしはなぶりものにされるかもしれない」(19節)と答えています。

 

 ゼデキヤは、役人を恐れて自分の思うような政治が出来ず、またユダの民を恐れてエレミヤの言葉に聴き従うことも出来ません。しかし、本来畏れるべき主なる神を畏れず、預言者の語る主の御言葉に耳を傾けようとしないので、結局彼は、自分の家族を守ることも(列王記下25章7節)、都を守ることも出来ませんでした(同9節以下)。

 

 そのようなゼデキヤの態度から、「だから、神の慈しみと厳しさを考えなさい」(ローマ書11章22節)というパウロの言葉に耳を傾けることを示されます。神の慈しみのもとに留まれば、私たちには慈しみがあります。もしも神の慈しみから離れるならば、神の峻厳が臨み、実を結ばない枝として切り取られてしまうということです。

 

 あらためて、人を恐れるのではなく、神を畏れるべきこと、御言葉に耳を傾け、その慈しみの翼のもとに留まるべきことを肝に銘じたいと思います。

 

 主よ、あなたこそ、「殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方」です。そのお方が、しかし、髪の毛までも一本残らず数えるほどに、私たちに絶えず目をとめ、慈しみを与えようとしていてくださいます。主の慈しみのもとに留まり、御言葉の導きに従って歩むことが出来ますように。 アーメン

 

 

「わたしは必ずあなたを救う。剣にかけられることはなく、命だけは助かって生き残る。あなたがわたしを信頼したからである、と主は言われる。」 エレミヤ書39章18節

 

 ゼデキヤ王の治世の第9年10月から第11年4月9日まで(2節)、エルサレムの都は、およそ一年半にわたって力に優るバビロン軍の攻撃に耐えました。それは、神の都エルサレムが、東にケデロン、南にヒンノム、西にチュロペオンという、三方を谷に囲まれている自然の要害(シオン)だったからです。

 

 しかし、幾重にも大軍で取り囲み、土塁が築かれて兵糧攻めにされていたので(1節)、都の中で飢えが厳しくなり、食糧が尽きて(列王記下25章2,3節)、ついに都の一角が破られました(2節)。兵士が飢えで倒れ、守りが手薄になったということでしょう。あるいは、町を見限り、敵に投降する者も少なからずいたということでしょう。

 

 そうした様子を見たユダの王ゼデキヤと戦士たち、それは、王を警護する親衛隊の兵士たちのことでしょうが、彼らは夜の闇に紛れ、都を逃げ出します(4節)。アラバ、即ち死海方面に向かい、エリコまで行くことが出来たということは(5節)、バビロン軍のエルサレム包囲網を突破したということになりますが、あるいは、逃走用に秘密の通路が設けられていたのかもしれません。

 

 エリコの荒れ地で捕えられたゼデキヤ王とその一行は、シリアのハマト地方リブラにいたバビロンの王ネブカドレツァルのもとに連行され、そこで厳しい裁きを受けます(5節)。なんと、子らがゼデキヤの目前で処刑、同行の貴族たちも殺されました(6節)。その上で、ゼデキヤは両目を潰されて、バビロンに引いて行かれることになりました(7節)。

 

 もしも、ゼデキヤがエレミヤの預言を聞いて、主の前に謙り、衣を裂いて悔い改め、その御言葉に従ってバビロンに投降していれば、ゼデキヤは家族と共に生き残ることが出来たのです(38章17節)。しかし、ゼデキヤはそうしませんでした。

 

 それどころか、密かにエルサレムを逃げ出して、自分たちだけ助かろうとしたのです。それは、都に住む民を置き去りにすることでした。とはいうものの、誰がゼデキヤを責められるでしょうか。エレミヤの預言に耳を貸そうとせず、主に従わなかったという点では、エルサレムとユダの民も同罪だからです。だから、ゼデキヤとその家族だけが厳しい裁きを受けたわけではありません。

 

 カルデア人はエルサレムに火を放って焼き払い、城壁を取り壊しました(8節)。神殿の祭具、金属製品などもはすべて、奪い去られました(列王記下25章13節以下)。住民は、飢えや疫病、戦いで死んだ者以外は、バビロンの捕囚えとされました(9節)。最も貧しい者たちだけがエルサレムに残され、畑やぶどう園の管理が任せられます(10節)。

 

 エルサレムが占領される日まで王の監視の庭に留め置かれていたエレミヤは(38章28節)、親衛隊の長ネブザルアダンによって釈放され(12節以下)、シャファンの孫で、アヒカムの子ゲダルヤに預けられ、家に送り届けられました(14節)。

 

 アヒカムの子ゲダルヤは、バビロンの王ネブカドレツァルによってユダの総督に立てられます(40章7節、列王記下25章22節)。彼の祖父シャファンはヨシヤ王の書記官で(列王記下22章3節)、父アヒカムもヨシヤ王に仕えて、ヨシヤに命じられて女預言者フルダのもとに遣わされ、主の託宣を求めた高官の一人でした(同12,14節)。

 

 そして、アヒカムはエレミヤの後援者でした(26章24節)。だから、その子ゲダルヤも親エレミヤ派だったわけです。ということは、ゲダルヤの一族はエレミヤが語っていた預言に従い、バビロンに反抗することにも反対していたものと思われます。だから、ユダの総督に立てられるわけです。

 

 そしてもう一人、主の約束の言葉を聞いた人がいます。それは、クシュ人の宦官エベド・メレクです。主が彼に「その日に、わたしはあなたを救い出す。あなたが恐れている人々の手に渡されることはない」(17節)と告げられ、冒頭の言葉(18節)の最後に「あなたがわたしを信頼したからである」と、エベド・メレクを救い出す約束の理由を語っておられます(17章7節参照)。

 

 ただ、この言葉を聞いたエベド・メレクは、大変驚いたことでしょう。あるいは、何のことかと訝ったことでしょう。そもそも、何をもって主を信頼したと言われるのでしょうか。

 

 エベド・メレクは、エレミヤが水溜めに投げ込まれたこと聞いてゼデキヤ王に助命を願い出(38章7節以下、9節)、王の許しを得て(同10節)、水溜めからエレミヤを引き上げました(同13節)。それ以外のことはよく分かりません。

 

 新共同訳聖書はマタイ福音書25章31節以下の段落に「すべての民族を裁く」という小見出しを付けています。世の終りにすべての民が裁かれ、神に祝福される者と呪われる者が、羊と山羊を分けるようにより分けられるというのです。

 

 その時に、主が御国を受け継ぐべき祝福された人々に「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(同40節)と言われます。つまり、エベド・メレクが預言者エレミヤに親切にしたことが、主なる神に対してなしたことと見なされ、それで、主を信頼しているという評価を受けたというわけです。

 

 かつて、宦官となるために去勢した人物は、主の会衆に加わることはできないとされていました(申命記23章2節参照)。しかし、イザヤ書56章3節に「主のもとに集ってきた異邦人は言うな、主はご自分の民とわたしを区別される、と。宦官も、言うな。見よ、わたしは枯れ木にすぎない、と」と言われます。主の会衆に加わることが出来るというのです。

 

 そして、「なぜなら、主はこう言われる。宦官が、わたしの安息日を常に守り、わたしの望むことを選び、わたしの契約を堅く守るなら、わたしは彼らのために、とこしえの名を与え、息子、娘を持つにまさる記念の名を、わたしの家、わたしの城壁に刻む。その名は決して消し去られることがない」(同4,5節)と約束しておられます。

 

 異邦の民や宦官が主の民とされるのは、神の恵み以外の何ものでもありません。イザヤは捕囚から帰って来る民に対して、その言葉を語りました。エレミヤがエベド・メレクに祝福の言葉を告げたのは、エルサレム陥落前のことです。エベド・メレクのエレミヤに対する振る舞いが、その恵みが開かれる端緒となったということでしょうか。

 

 主は、他者のために水一杯汲んだことを忘れないと言われます(マルコ9章41節)。慈しみ深い主に信頼し、いつも全力で主の業に励みましょう(第一コリント書15章58節)。

 

 主よ、敵対し、背き続けている私たちのために、贖いの業を成し遂げ、命の道を開いてくださったことを感謝致します。罪の呪いを受けて死ぬべき私たちが、深い憐れみのゆえに命に与ったのです。絶えず主の恵みに感謝し、喜びをもって主のみ言葉に耳を傾け、聖霊の導きに従って歩ませてください。御心を行う道具として用いてください。御名が崇められますように。御国が来ますように。 アーメン

 

 

「こうしてエレミヤは、ミツパにいるアヒカムの子ゲダルヤのもとに身を寄せ、国に残った人々と共にとどまることになった。」 エレミヤ書40章6節

 

 ついにエルサレムが陥落し、多くの民が捕囚とされ、バビロンへ連行されました(39章9節)。その中に預言者エレミヤもいましたが、バビロンの親衛隊長ネブザルアダンがエレミヤをラマで釈放しました(1節)。

 

 39章11節以下の記事も合わせて考えると、バビロンの王ネブカドレツァルの命によって、監視の庭から連れ出されたエレミヤが、捕囚の民の中に入れられてラマまで連れて来られ、そこで解放されることになったということです。

 

 ネブザルアダンは、「さあ、今日わたしはあなたの手の鎖を解く。もし、あなたがわたしと共にバビロンに来るのが良いと思うならば、来るがよい。あなたの面倒を見よう。一緒に来るのが良くなければ、やめるがよい。目の前に広がっているこのすべての土地を見て、あなたが良しと思い、正しいとするところへ行くがよい」(4節)と言います。

 

 バビロンに降伏するよう説いていたエレミヤだから、エルサレムに留まっても親バビロン派として統治に協力してくれるだろうと考えていたのでしょう。5節で「シャファンの孫でアヒカムの子であるゲダルヤの元に戻り、彼と共に民の間に住むがよい。彼は、バビロンの王がユダの町々の監督をゆだねた者である」と告げたのは、エレミヤの身の安全を図ろうという意図を感じます。

 

 親衛隊の長から「食糧の割り当て」(5節、口語訳、新改訳、岩波訳、聖書協会共同訳は「食糧と贈り物」)を受けたエレミヤは、冒頭の言葉(6節)のとおり、ミツパにいるアヒカムの子ゲダルヤのもとに身を寄せ、国に残った人々と共に留まることにしました。

 

 エレミヤはこれまでの預言で、バビロンに投降すれば命は助かる(21章9節など)。バビロンに家を建てて住み、園に果樹を植え、妻を娶り、子をもうけ、そこで人口を増やすように(29章5節以下)、語って来ました。捕囚の民こそが将来の希望ということでした。それなのに、なぜ彼はイスラエルに留まることにしたのでしょうか。

 

 その理由の一つが、「シャファンの孫でアヒカムの子であるゲダルヤ」(5節)が総督とされたということでしょう。シャファンは、ヨシヤ王の書記官としてその宗教改革に協力した人物でした(列王記下22章8節以下)。その子アヒカムは、ヨヤキムの世にエレミヤを保護した人物です(同26章24節)。

 

 アヒカムの子ゲダルヤが総督とされたので、彼のもとに身を寄せ、残されたユダの民の統治に協力することにしたのではないかと考えられるのです。ゲダルヤは、イスラエルを治める拠点をエルサレムからミツパに移します。それは、エルサレムがバビロン軍によって徹底的に破壊されてしまったからですが、別の理由があるのかも知れません。

 

 エルサレムはダビデの町と呼ばれたところで(サムエル記下5章9節、イザヤ書22章9節など)、ここに王宮が建てられ(サム下5章11節)、神の幕屋が建てられて契約の箱が運び入れられ(サム下6章1節以下、17節)、後にソロモンによって神殿が建設されました(列王記上5章15節以下)。まさに、政治的宗教的な中心地だったのです。

 

 このイスラエルを治める中心がミツパに移されたということは、ダビデ家によるイスラエル支配が終わったこと、かつてシロにあった聖所が廃棄されたように、エルサレムの神殿が廃棄されてしまったこと(26章6節)などを表わすといってもよいと思います。

 

 「ミツパ」とは「見張り所、物見やぐら」という意味で、聖書中、ギレアド山地(創世記31章49節)、ヒビ人の住む地(ヨシュア記11章3節)、ユダの低地(同15章38節)、ベニヤミンの町(同18章26節)、モアブの町(サムエル記上22章3節)など数箇所に、この名がつけられています。国防上の拠点に「ミツパ=見張所」が設けられたわけです。

 

 この中で、ベニヤミンの地のミツパは、士師時代、ギブアのベニヤミン人がレビ人のそばめに暴行を加えたことで、全イスラエルが結集して、ベニヤミン族を罰した場所です(士師記19章1節以下、20章1,3節節以下など)。

 

 また、神の人サムエルが宗教改革を行うために祈りと断食を呼びかけ、全イスラエルを召集した場所です(サムエル記上7章3節以下5節)。その後、ベニヤミン族のサウルをイスラエル初代の王として立てた場所でもあります(同10章17節以下、24節)。サムエルはラマに住んでいましたが、ベテル、ギルガル、ミツパを巡りながら、イスラエルを指導しました(同7章16節)。

 

 エレミヤ書に14回言及されているのは、このベニヤミンのミツパです。エルサレムが破壊されてしまった今、預言者エレミヤは新しい中心地ミツパで、まことの神、主に従う新しく正しい政治がゲダルヤによって行われていくことに期待し、残された貧しい農民に主の御言葉を指導しようと考えていたのではないでしょうか。

 

 エレミヤが預言者として召されたとき、主が御言葉を成し遂げようと見張っているという幻を見ました。主の裁きが実行され、ゲダルヤによる新しい統治が実行されるときに、ミツパ(見張所)がその拠点となったというのは、偶然、たまたまということではないかも知れません。かくてエレミヤは、どこまでも預言者として、主の御言葉に仕えようとしているのです。

 

 パウロが、「御言葉を宣べ伝えなさい。折りが良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです」(第二テモテ書4章2節)と言っています。

 

 彼は、神の御言葉を宣べ伝えること、信徒を忍耐強く教えることが、教会に、そして教会に仕えている自分たちに委ねられた使命だと考えていました。だから、自分の置かれた環境や、そのときどきの状況に左右されないで、委ねられている神の使命を果たすために励みなさいというのです。

 

 私たちも、聴くべき主の御言葉をしっかり聴き、その御心をわきまえて、行くべきところに行き、留まるべきところに留まり、立つべきところに立ち、語るべき言葉を語り、なすべきことをなして、主の使命を果たしたいと思います。

 

 天のお父様、御子キリストはまことのぶどうの木、あなたは良い農夫であられます。実を豊かに結べるように、手入れしてください。キリストから離れては、実を結ぶことが出来ません。いつも、主の御言葉で私たちを導き、養ってください。御言葉に留まり、その告げるところを実行させてください。御心がこの地になりますように。 アーメン

 

 

「そのとき、ネタンヤの子イシュマエルと、彼と共にいた十人の部下は、突然襲い掛かって、バビロンの王がその地に立てて総督としたシャファンの孫でアヒカムの子であるゲダルヤを剣にかけて殺した。」 エレミヤ書41章2節

 

 ゲダルヤが、「七月に、王族の一人で、王の高官でもあった、エリシャマの孫でネタンヤの子であるイシュマエル」に暗殺されました(1,2節)。エルサレムが陥落したのが、ゼデキヤ王の第11年4月9日のことですから(39章2節参照)、ゲダルヤが総督になって、まだそれほど月日が経ってはいないということでしょう。

 

 この暗殺について、カレアの子ヨハナンと軍の長たちが、「アンモンの王バアリスが、あなたを暗殺しようとして、ネタンヤの子イシュマエルを送り込んでいるのをご存じでしょうか」(40章14節)と告げ、「わたしが行って、だれにも知られないようにネタンヤの子イシュマエルを殺して来ます」(同15節)と進言していました。総督を暗殺すれば、バビロンから報復されて、残留者は難民となってしまうからです。

 

 けれどもゲダルヤは、「そのようなことをしてはならない。イシュマエルについてあなたの言うことは誤りだ」(同16節)と答えていました。何を根拠に「誤りだ」と断じたのでしょうか。

 

 ゲダルヤは、ヨハナンとイシュマエルの権力闘争と考えたのかも知れません。ヨハナンとイシュマエルは、ゲダルヤがその地に立てられた総督であることを聞いて彼のもとに集って来た軍の長でした(40章8節)。しかしながら、そういう人物がアンモン人の王と結託して、総督として立てられている自分を暗殺することなど、想像も出来なかったのでしょう。

 

 そして、主イエスが語られたとおり、内輪で分かれ争っているようでは、新生イスラエルは立ち行きません(マルコ福音書3章24節)。ですから、ゲダルヤは疑うよりも、信頼することを選んだわけです。そこには、バビロンの圧倒的な力を背景として総督に立てられているということで、暗殺されることなどないと安心しきっているゲダルヤの甘さがあるようです。

 

 残念なことに、誤っていたのはヨハナンではなく、ゲダルヤの方でした。イシュマエルはゲダルヤの信頼を裏切ります。本来なら親しさを確認し合うはずの食事の席で(1節)、冒頭の言葉(2節)のとおり、突然襲い掛かりました。イシュマエルの悪意が、ゲダルヤの好意を粉砕してしまいました。

 

 ヨハナンの進言に耳を傾けていれば、会食を回避するか、あるいはそこにヨハナンを同席させるなどして、この悲劇を免れることも出来たはずです。そして、行動を共にしている預言者エレミヤの指導を仰ぎながら、まことの神、主の御言葉に聴き従い、正義と公正をもって政治を行うことが出来、そしてあるいは、エルサレムを再興することも出来たかも知れません。

 

 アンモンの王バアリスが、ゲダルヤを暗殺して何の得があるかと思うのですが、アンモンは反バビロン計画に加わっていましたし(27章3節)、エゼキエル書21章25節には、エルサレムと共にアンモンのラバもバビロンの攻撃対象とされています。バビロンの傀儡政権を快く思っていなかったことでしょう。

 

 だから、ゲダルヤを暗殺させることでユダを混乱させ、反バビロン同盟の動きを再構築しようとしていたのでしょう。また、アンモンの手先として使われたイシュマエルは、王族の一員として、バビロンに従うことを良しとせず、またダビデの町と呼ばれた神の都エルサレムからミツパへの遷都を快く思っていなかったので、アンモンを後ろ盾にゲダルヤ暗殺に臨んだわけです。

 

 さらに、シケム、シロ、サマリアから主の神殿に献げる供え物と香を携えていた80人に襲いかかって、彼らを殺してしまいます(4節以下)。ミツパに、エルサレム神殿に代わる主の神殿が建てられたというのでしょうか。それだから、ミツパのゲダルヤのところを通りかかった80人を殺すという所業に及んだというのでしょうか。

 

 イシュマエルらは、ミツパに残っていた民をすべて捕虜として、アンモンへ向かいます(10節)。その蛮行を聞いたカレアの子ヨハナンをはじめ軍の長たちは(11節)、すべての兵を率いてイシュマエルを追います(12節)。それを見たイシュマエルは、捕虜を手放し、8人の家来と共にアンモンに逃げます(15節)。解放されたミツパの人々は、ヨハナンのところに帰って来ました。  

 

 ミツパの人々を取り戻したカレアの子ヨハナンは、バビロンの王が立てた総督ゲダルヤを暗殺したイシュマエルを捕らえ損ねたため、カルデア人の報復を恐れて、エジプトに向かいます(16~18節)。この計画は、上手く行くでしょうか。これは主の御心に適うものでしょうか。

 

 ところで、ゲダルヤのもとに身を寄せ、ミツパにいるはずの預言者エレミヤが、40章7節以降、全く顔を見せていません。総督ゲダルヤがイシュマエルに暗殺されたとき、彼はどこにいたのでしょう。何をしていたのでしょう。全く分かりません。

 

 ただ、ゲダルヤを暗殺したイシュマエルは、親バビロン派と目されていた預言者エレミヤがゲダルヤのすぐ傍にいれば、それを見逃すはずがないでしょう。それゆえ、その難を逃れさせるために、主がエレミヤをゲダルヤの傍から引き離し、守っておられたということなのでしょうか。

 

 詳細は不明ですが、「人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する」(箴言19章21節)ということでしょう。この後、エレミヤは預言者としてヨハナンたちのエジプト行きに同行し、主の言葉を語り続けるのです。

 

 保身を考えず使命に生きるエレミヤに真似ることは、なかなか出来るものではありません。ただ、主はすべての必要を満たし与えてくださる方です。エレミヤのように生きることを主が望まれるならば、そうする力、助けと導きをお与えくださるでしょう。使命を果たすにふさわしい知恵と力を授かるよう、聖霊の満たしと導きを祈りましょう。 

 

 主よ、いつもあなたの御声を聞かせてください。常に主の御傍におらせてください。たえず御顔を拝し、御名の栄光を褒め称えさせてください。主に聴き従うことこそ、最も善いことだからです。すべての必要が満たされ、御業のために用いられる器として整えてください。御心がなりますように。御国が来ますように。 アーメン

 

 

「良くても悪くても、我々はあなたを遣わして語られる我々の神である主の御声に聞き従います。我々の神である主の御声に聞き従うことこそ最善なのですから。」 エレミヤ書42章6節

 

 カレアの子ヨハナンとホシャヤの子エザンヤをはじめ、軍の長と民の全員が預言者エレミヤを訪ねて(1節)、「我々のため、またこの残った人々のために、あなたの神である主に祈ってください」(2節)と願い、「あなたの神である主に求めて、我々に歩むべき道、なすべきことを示していただきたいのです」(3節)と求めました。

 

 バビロンの王ネブカドレツァルが立てた総督ゲダルヤを暗殺し(41章2節)、ゲダルヤと共にミツパにいたユダのすべての人々と、占領軍として駐留していたカルデア人を撃ち殺し(同3節)、アンモンに向かったイシュマエルを捕らえ損ねたことで、彼らはカルデア人の報復を恐れ(同18節)、ミツパを離れてエジプトに逃れようとしていたのです(同17節)。

 

 ゲダルヤのもとにいたはずのエレミヤは(40章6節)、イシュマエルの蛮行が起きる前にミツパを離れていたのでしょう。それによって、難を逃れることが出来ました。どこに身を隠していたのかは不明です。

 

 ヨハナンたちがエレミヤを訪ねて来たということは(1節)、彼らと同行していたわけではなかったわけです。あるいは、エレミヤがベツレヘムかキムハムに身を隠していて、彼を訪ねるため、ヨハナンたちがキムハムに宿営したのでしょうか(41章17節参照)。

 

 ヨハナンたちからの執り成しと託宣の求めに対して、預言者エレミヤは、「あなたたちの神である主に祈りましょう。主があなたたちに答えられるなら、そのすべての言葉をお伝えします」(4節)と答えます。

 

 ヨハナンは「あなたの神である主に祈ってください」(2節)と言い、エレミヤと主との間に特別な関係があることを認めています。一方エレミヤは、「あなたたちの神である主に祈りましょう」(4節)と言って、エレミヤが託宣を求める神は、イスラエルの神、主であること、それゆえ、主の言葉に民のすべてが聞き従うべき義務と責任のあることを示しました。

 

 イスラエルの民はエレミヤの言葉を受け止めて、「わたしたちは、必ずあなたの神である主が、あなたを我々に遣わして告げられる言葉のとおり、すべて実行することを誓います」(5節)と請け合い、そして冒頭の言葉(6節)のとおり、「良くても悪くても、我々はあなたを遣わして語られる我々の神である主の御声に聞き従います」と答えました。

 

 「良くても悪くても」とは、「主の託宣がどんな内容であっても」という表現です。自分たちの思いをニュートラルにして、主の言われるとおりにするというこの言葉を聞いてエレミヤは喜び、祈りに赴きます。彼らがこの言葉のとおりに行動するならば、主は民の信仰を喜ばれ、本当に恵みと平和が授けられることでしょう。

 

 そして、10日後に主の言葉がエレミヤに臨んだので(7節)、ヨハナンたちを召集し(8節)、「もし、あなたたちがこの国にとどまるならば、わたしはあなたたちを立て、倒しはしない。植えて、抜きはしない。わたしはあなたたちにくだした災いを悔いている」(10節)と主の言葉を伝えました。

 

 さらに、「今、あなたたちはバビロンの王を恐れているが、彼を恐れてはならない。彼を恐れるな、と主は言われる。わたしがあなたたちと共にいて、必ず救い、彼の手から助け出すからである。わたしはあなたたちに憐れみを示す。バビロンの王もあなたたちに憐れみを示して、この土地に住むことを許すであろう」(11~12節)と告げました。

 

 この言葉はしかし、必ずしもイスラエルの民が聞きたい言葉ではありませんでした。彼らがエレミヤに主の言葉を求めたのは、このままエルサレムを離れることに、国を捨てる後ろめたさを覚えていたからでしょう。いわば、主の託宣を求めたというアリバイ作りのようなものだったようです。

 

 そして、自分たちの願いどおり、「安心してエジプトに逃れなさい、わたしがあなたたちと共にいて、あなたたちを必ず守ります。そして、時が来たらイスラエルに連れ帰りましょう」といった主の御言葉が語られるのを期待していたのです(創世記28章15節参照)。

 

 けれども主は、そのようには語られませんでした。むしろ、「もしあなたたちが、どうしてもエジプトへ行こうと決意し、そこに行って寄留するなら、まさに、あなたたちが恐れている剣が、エジプトの地で襲いかかり、心配している飢えがエジプトまで後を追ってとりつき、あなたたちはそこで死ぬ」(15、16節)と語られます。

 

 そして、「エジプトへ行って寄留しようと決意している者はすべて剣、飢饉、疫病で死ぬ。わたしが臨ませる災いを免れ、生き残る者はひとりもない」(17節)と断言されました。つまり、ヨハナンたちの期待、願いを明確に否定されたのです。

 

 そしてエレミヤは、「わたしが今日それを告げたのに、自分の神である主の声を聞こうとせず、主がわたしを遣わして語られたことを全く聞こうとしない」(21節)と、民の姿勢を批判します。

 

 エレミヤの言葉に対するヨハナンたちの応答は、43章2節以下に記されています。つまり、エレミヤは彼らの応答を聞く前に、彼らが主の言葉を拒絶することを予め知って、「良くても悪くても主に聞き従うのではなかったのか」と批判しているのです。

 

 主の御言葉が自分の思いと違っていても、当然主に聴き従うべきです。「天が地を高く超えているように、わたしの道は、あなたの道を、わたしの思いはあなたたちの思いを、高く超えている」(イザヤ書55章9節)、「わたしの口から出るわたしの言葉も、空しくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ、わたしが与えた使命を必ず果たす」(同11節)と言われます。

 

 「わたしたちは、必ずあなたの神である主が、あなたを我々に遣わして告げられる言葉のとおり、すべて実行することを誓います。良くても悪くても、我々の神である主の御声に聞き従います。我々の神である主の御声に聞き従うことこそ最善なのですから」(5,6節)という主に対する信仰の告白に固く留まりましょう。

 

 「わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に感謝しよう。わたしの兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです」(第一コリント15章57,58節)。

 

 主よ、あなたを離れては、私たちは実を結ぶ歩みをすることが出来ません。イスラエルの民が御言葉に従い得なかったのは、恐れのゆえでした。私たちにも様々な恐れがあります。信仰に立ち、主の御言葉に留まることが出来ますように。感謝をもって祈りと願いをささげます。私たちの心と考えを、絶えずあなたの平安をもってお守りください。御心をわきまえ、御業に励むことが出来ますように。 アーメン

 

 

「ホシャヤの子アザルヤ、カレアの子ヨハナンおよび高慢な人々はエレミヤに向かって言った。『あなたの言っていることは偽りだ。我々の神である主はあなたを遣わしていない。主は、「エジプトへ行って寄留してはならない」と言っておられない』。」 エレミヤ書43章2節

 

 ヨハナンたちの求めに応じて、主の言葉が預言者エレミヤによって語り伝えられました(1節)。それは、イスラエルに留まるなら、主が共にいて必ず救い、バビロンの王の手から助け出す(42章11節)、憐れみを示す(同12節)、エジプトに行って寄留しようと決意している者はすべて剣、飢饉、疫病で死ぬ。災いを免れ、生きる残る者はひとりもない(同17節)というものです。

 

 ヨハナンたちは「わたしたちは必ずあなたの神である主が、あなたを我々に遣わして告げられる言葉のとおり、すべて実行することを誓います」(同5節)と約束していましたが、彼らは主の御告げのとおり、イスラエルに留まろうとはしません。

 

 それどころか、冒頭の言葉(2節)のとおり「あなたの言っていることは偽りだ。我々の神である主はあなたを遣わしてはいない」などと言い、民全員が、全くその御言葉に聞き従おうとはしません(4節)。彼らはすべての民を集め、エレミヤとその書記バルクをも伴い(5,6節)、エジプトの地に赴きました(7節)。

 

 エレミヤの言葉を偽りとした根拠について、「ネリヤの子バルクがあなたを唆して、我々に対立させ、我々をカルデア人に渡して殺すか、あるいは捕囚としてバビロンへ行かせようとしているのだ」(3節)と言っています。

 

 バルクがエレミヤの書記を務めただけでなく(36章2,4節)、エレミヤに対して影響力のある助言をしていたというのは興味深いところです。ただ、それを示す証拠を本書中に見出すことは出来ません。 

 

 そのような振る舞いが神を喜ばせないどころか、怒りを招く愚かな行為であるということが、8節以下の「エジプトにおける預言」の言葉に示されています。エレミヤは、バビロンの王ネブカドレツァルによるエジプトの審きを告げます。ということは、エレミヤとバルクがエジプトに赴いたのは彼らの意志によらず、ヨハナンたちに強制連行されたということでしょう。

 

 ユダヤ人歴史家ヨセフスが著書『ユダヤ古代史』に「エルサレム陥落後5年、ネブカドネツァルの第23年に、ネブカドネツァルはコイレ・シリヤに進撃し、これを占領した後、モアブ人とアンモン人と戦った。これらの国々を従えてから、彼はエジプトに侵入し、これを屈服させた。位についた王を殺し、新しい王を定め、その地にいたユダヤ人を捕らえてバビロンに連れ去った」と記しているそうです。

 

 それが正しければ、エレミヤが告げた言葉が実現したことになりますが、残念ながら、それを裏付ける歴史的、考古学的事実を見出すことが出来ません。バビロンの資料には、ネブカドレツァルの治世第37年、エジプトのアフメネスⅡ世と戦ったとあるそうですが、その結果はしかし、占領には至りませんでした。

 

 エジプトは、ペルシア時代に征服されるまで、独立を保ち続けました。ネブカドレツァルの攻撃は、占領を目的としていたというよりは、バビロンに敵対しても無駄だということを知らしめる、牽制的、あるいは警告的なものだったようです。

 

 その意味で、エレミヤの預言が文字通りに実現することはなかったということになりますが、エジプトが滅びるかどうかが問題ではありません。エレミヤが語っているのは、エジプト軍はイスラエルの民を守ってはくれず、その神々も頼りにはならないということなのです(12,13節)。

 

 エレミヤの言葉を「偽り」と断じたアザルヤやヨハナンのことを、聖書は「高慢な人々」と括っています。彼らは、自分たちの決定をエレミヤの告げる主の御言葉よりも大事にし、そうして、主なる神を蔑ろにしているのです。その態度が「高慢」と言われているわけです。

 

 ヤコブ書4章4節に「神に背いた者たち、世の友となることが、神の敵になることだとは知らないのか」とあり、箴言3章34節を引用して「神は、高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる」(ヤコブ書4章6節)と記しています。高慢な者、不遜な者は、神を敵とし、世を友とすること、そうなりたいと願う者だというのです。

 

 そして、世の友、神の敵とならないために「神に近づきなさい。そうすれば、神は近づいてくださいます。手を清めなさい。心の定まらない者たち、心を清めなさい。悲しみ、嘆き、泣きなさい。笑いを悲しみに変え、喜びを愁いに変えなさい。主の前にへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高めてくださいます」(同8~10節)と語ります。

 

 「主の前にへりくだる」とは、主を畏れて御前に身を低くし、御言葉に聴き従うことです。私たちは今、日毎に御言葉を聴き、静かに御言葉を瞑想すること、主に祈ることを教えられています。そこで聴いた言葉を繰り返し口ずさみ、瞑想し、またその導きに従って歩むことを通して、御言葉が確かに神の言葉であることを知り、味わいます。

 

 御言葉はまた、教会を清めます。エフェソ書5章26節に「言葉を伴う水の洗いによって、教会を清めて聖なるものとし」とあります。教会とは、礼拝堂(チャペル)のことではありません。主イエスを信じる信徒の集まりをエクレシア=教会と言います。だから、私たちが繰り返し主の御言葉を口ずさみ、瞑想することによって、私たち自身が主キリストのものとして清められるのです。

 

 謙って主に近づき、その御言葉に耳を傾けましょう。聴いた主の御言葉を口ずさみ、瞑想しましょう。そうして主の御心をわきまえ、導きに従って歩みましょう。 

 

 主よ、あなたの愛と憐れみのゆえに感謝致します。私たちは、キリストの贖いなしに御前に進むことの出来るものではありませんでした。絶えず感謝をもって御前に進み、悔い改めて福音に生きることが出来ますように。ただひたすら、あなたの恵みに依り頼みます。御前に謙る者を高く引き上げてくださると、約束されているからです。 アーメン

 

 

「エジプトの地へ移って寄留しているユダの残留者には、難を免れて生き残り、ユダの地に帰りうる者はひとりもない。彼らは再びそこに帰って住むことを切望しているが、少数の難を免れた者を除けば、だれも帰ることはできない。」 エレミヤ書44章14節

 

 エジプトに下ったユダの民は「ミグドル、タフパンヘス」(ナイル川デルタ地帯)、「メンフィス」(古代エジプトの首都、カイロの南20㎞)、「上エジプト地方」(エジプト南部)と、エジプト各地に広く散らばって居住していました(1節)。

 

 彼らに対して、預言者エレミヤに主の言葉が臨みました(1節以下)。それは、ユダの民の罪を厳しく裁く言葉です。広く散らばっているユダの民への言葉というのですから、恐らく彼らが祭儀で集まってきたときに、語りかけたのでしょう。

 

 8,9節に「何故、お前たちは移って寄留しているエジプトで、自分の手で偶像を造り、異教の神々に香をたき、わたしを怒らせ、自分を滅ぼし、世界のあらゆる国々で、ののしりと恥辱の的となるのか。ユダの国とエルサレムの巷で行われたお前たちの父祖の悪、ユダの王と王妃たちの悪、また、お前たち自身と妻たちの悪を忘れたのか」と記されています。

 

 即ち、エルサレムとユダのすべての町が荒れ果てて廃墟となったのは、異教の神々を拝むという悪を行って神を憤らせたからだったのに、エジプトに下った彼らは、それを悔い改めようとせず、むしろ異教の神々の像を自ら造り、それを拝んでいるというのは、神を畏れない所業だというわけです(10節)。それゆえ、神は民に災いを下し、ユダをことごとく滅ぼすと言われるのです(11節)。

 

 それを聞いた民らは悔い改めるどころか、むしろエレミヤに反論して、「あなたが主の名を借りて我々に語った言葉に聞き従う者はない。我々は誓ったとおり必ず行い、天の女王に香をたき、ぶどう酒を注いで献げ物とする」(16,17節)と言い放ちます。彼らがエジプトに下ることにして以来、主の言葉に聴き従う心を失ってしまったようです(43章4節)。

 

 彼らが主の言葉に聴かない理由を、「我々は、昔から父祖たちも歴代の王も高官たちも、ユダの町々とエルサレムの巷でそうしてきたのだ。我々は食物に満ち足り、豊かで、災いを見ることはなかった。ところが、天の女王に香をたくのをやめ、ぶどう酒を注いでささげなくなって以来、我々はすべてのものに欠乏し、剣と飢饉によって滅亡の状態に陥った」(17,18節)と告げました。

 

 つまり、異教の偶像を拝んだから滅びたのではなく、偶像を拝むのをやめたから乏しくなり、滅亡したという説明です。だから、もう一度しっかりと偶像を拝むことにしたというわけです。

 

 これは、ヨシヤ王の宗教改革と非業の死から、イスラエルは滅亡に向かったこと、マナセ、アモンという異教の神に積極的に仕えていた時代の方が繁栄していたのだという主張です。ここに、確かに彼らは神に背き、その怒りを買う者たちであることが、はっきりと示されています。

 

 以前、右翼の人々が、我々が戦争について反省するのは、戦争を始めたことではなく、戦争に負けたことだと語っているのを聞いて、冗談だろうと思ったことがあります。彼らは、過去の歴史から何も学んでいないのです。きちんと学べば、物量においてはるかに優る米国に対し、勝てるはずもない戦争を始めたこと自体、決定的な誤りだったと分かるはずではありませんか。

 

 エレミヤは冒頭の言葉(14節)で、「エジプトの地へ移って寄留しているユダの残留者には、難を免れ生き残り、ユダの地に帰りうる者はひとりもない。彼らは再びそこに帰って住むことを切望しているが、少数の難を免れた者を除けば、だれも帰ることはできない」と語っています。

 

 この言葉の前半で、「難を免れ生き残り、ユダの地に帰りうる者はひとりもない」と言われますが、後半では、「少数の難を免れた者を除けば」と、少数の例外者があることを示しています。

 

 もしも、ユダの民が16節以下に記されているとおり、偶像を拝むのをやめたから国が滅びたと考え、それゆえもう一度偶像礼拝を断固行うということであるならば、生き残る者はひとりもないという結果になってしまうでしょう。そこに「少数の難を免れた者」が出る可能性は、ゼロではないでしょうか。

 

 にもかかわらずそのように言われるのは、その人々が自分の知恵や力でその難局を乗り越えられるというのではなく、少数の者が特別に神の憐れみを受けた、それ以外の何ものでもなかったということになるでしょう。だれも、自分の行いなどで神の救いを獲得することは出来ないからです(エフェソ書2章8,9節)。

 

 ペトロも「皆互いに謙遜を身に着けなさい。なぜなら、『神は、高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる』からです。だから、神の力強い御手の下で自分を低くしなさい。そうすれば、かの時には高めていただけます。思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです」(第一ペトロ書5章5~7節)と告げています。

 

 謙遜が神の恵みを受ける不可欠の前提であるならば、神の力強い御手のもとに身を屈め、自分に与えられた運命を進んで受け止める必要があります。それは諦めではありません。神の全能の御手に支えられていることを知っているからです。すべてを主に委ね、その導きに従うことにより、主の約束の御言葉に基づく希望が確かなものとなっていくのです。

 

 私たちに絶えず目を注ぎ、すべての必要を豊かに満たし与えてくださる主なる神に信頼し、あらゆる思い煩いを主に委ね、私たちのなすべき務めに全力で励みましょう。私たちの労苦は決して無駄にはなりません。神がイエス・キリストによって勝利をお与えくださるからです(第一コリント書15章57,58節)。 

 

 主よ、私たちがまだ弱く、罪人であり、敵であったときに、御子キリストが私たちのために十字架に死なれ、神の愛を示され、あなたと和解させてくださいました。神の栄光に与る希望をもって主を誇り、感謝と賛美をささげます。絶えず御言葉に耳を傾けます。御心をわきまえ、聖霊の導きに従って歩ませてください。御心がこの地になりますように。御国が来ますように。 アーメン

 

 

「あなたは自分に何か大きなことを期待しているのか。そのような期待を抱いてはならない。なぜなら、わたしは生けるものすべてに災いをくだそうとしているからだ、と主は言われる。ただ、あなたの命だけは、どこへ行っても守り、あなたに与える。」 エレミヤ書45章5節

 

 1節に「ユダの王ヨシヤの子ヨヤキムの第4年」とあり、これは36章1節と同じで、紀元前605年のことです。その意味で45章の記事は、36章8節に続く出来事と考えてよいでしょう。

 

 36章で主なる神がエレミヤに預言の言葉を書き記すように命じられ(同2節)、エレミヤはネリヤの子バルクに口述筆記をさせました(同4節)。それに続いて、バルク自身について語られた主の言葉をエレミヤが告げたのが、今日の箇所45章です。

 

 3節にバルク自身の言葉が引用されています。これがどのような状況で語られたものか、詳細は分かりませんが、「あなたは、かつてこう言った」という言葉から、バルクが語ったのは、36章で言われるユダとエルサレムに臨む神の裁きが書き記される前のことだと考えられます。

 

 バルクが何に苦しみ、主が加えた悲しみとはどのようなものか、具体的に記されているわけではありませんが、「わたしは建てたものを破壊し、植えたものを抜く。全世界をこのようにする」(4節)という言葉から、この世が主に聴き従わないことに苦しみ、それを断罪する預言者の活動が制限されることを悲しく感じているということなのでしょう。

 

 44章3,4節に、バルクが預言者エレミヤを唆して「エジプトへ行って寄留してはならない」と告げさせているのだろうといったヨハナンらの言葉がありました。これは、バルクが単なるエレミヤのメッセンジャーボーイなどではなく、自身の意志で発言し、行動しているという証しのようです。

 

 バルクの苦しみは、エレミヤ自身の悲しみ、苦しみでもありました(20章7節以下参照)。そればかりか、これは、主ご自身の痛みでもあったのです。預言者を遣わして預言を語らせておられるのが、主だからです。それゆえ、聴き従わないこの世を破壊し、抜き取ることにされたのです(4節)。

 

 エジプトの奴隷の苦しみから救い出し、契約を結んで約束の地に住まわせたイスラエルの民が主に背き、罪を侵し続けているため、その呪いを受けてエルサレムの都が破壊され、神殿は焼かれ、ユダの民は剣か飢饉か疫病か、あるいは捕囚という苦しみを味わわなければならないのです。

 

 かつて、すべての民の間にあって主の宝となり(出エジプト19章5節)、主にとって祭司の王国、聖なる国民とされたイスラエル(同6節)断罪し、刑罰を与えなければならなくなった主の心情は、エレミヤやバルク以上に、はるかに辛く悲しいものであったに違いありません。

 

 冒頭の言葉(5節)に「あなたは自分に何か大きなことを期待しているのか」とありますが、バルクがどんなことを期待していたのか、その内容は分かりません。もしかすると、エレミヤと共に活動することで、評価されることを求めていたということでしょうか。であれば、バルクは師と仰ぐ人物をとり違えました。ゆえに、彼は人々から疎まれるものとなりました(43章3節参照)。

 

 51章59節に「ネリヤの子であるセラヤ」なる人物が、ゼデキヤ王の宿営の長と言われています。バルクも「ネリヤの子」(1節)であることから、セラヤとバルクが兄弟同士であるならば、バルクも政治的に高い地位を手に入れたいという願いを持っていたかも知れません。しかしながら、主の裁きがイスラエルに下れば、一切のものを失うことになってしまいます。

 

 5節後半に「ただ、あなたの命だけは、どこへ行っても守り、あなたに与える」と言われています。「守る」と訳されているのは、「シャーラール=分捕り物、戦利品」という言葉です。21章9節の「助かる」、38章2節の「助かって」、39章18節の「助かって」も同じ言葉です。命以外の戦利品はないということで、ようやく生き延びているということでしょう。

 

 バルクは、常にエレミヤと行動を共にしているので、ヨハナンらによってエジプトに連行されることになります。エジプトに下ろうとしている者に対して、43章8節以下、厳しい裁きの言葉が語られていました。

 

 44章14節に「少数の難を免れた者を除けば、だれも帰ることはできない」と告げられていて、バルクはその少数者の一人になったでしょう。だから、バルクへの言葉が、この場所に置かれることになったのだと思われます。

 

 この後、バルクがどのような行動をとったのか、正確には分かりません。たとえば、エルサレムに戻ったとか、あるいはバビロンに身を寄せたとか。いずれにせよ、苦難に取り囲まれ、命からがらではありましょうけれども、彼は生き残り、エレミヤの語った預言の言葉とその生涯の出来事について、後世に書き残すことが出来たのです。

 

 彼が生きている間にその役割が評価され、正当に報いを受け取ることはできなかったかも知れません。「そのような期待を抱いてはならない」(5節)と言われているからです。けれども、エレミヤ書が残された功績は、計り知れません。天において、大きな報いに与ったことでしょう。

 

 主イエスが、「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか」(マルコ福音書8章34~36節)と言われました。

 

 使命を負って主に従う者の幸いを思います。その時、その人は、自分で自分の命を守る自己責任から自由になり、そこにおいて初めて、真の命に生きる者とされるのです。主イエスこそ、道であり、真理であり、命であられるからです(ヨハネ福音書14章6節)。

 

 心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようにならせていただきましょう。 

 

 主よ、人は皆草のようで、その華やかさはすべて、草の花のようです。草は枯れ、花は散ります。しかし、あなたの御言葉は永遠に変わることがありません。主の福音によって信仰に導かれた私たちが、御言葉に土台し、御言葉に従って歩み、その真実と恵みを証しすることが出来ますように。栄光が世々限りなくあなたにありますように。 アーメン

 

 

「わたしの僕ヤコブよ、恐れるな。イスラエルよ、おののくな。見よ、わたしはお前を遠い地から、お前の子孫を捕囚の地から救い出す。ヤコブは帰ってきて、安らかに住む。彼らを脅かす者はいない。」 エレミヤ書46章27節

 

 2節に「ユダの王、ヨシヤの子ヨヤキムの第4年」とあり、45章と同様、これが紀元前605年のことであることを示しています。そして、「ユーフラテス河畔のカルケミシュに近い地点に出陣していたエジプトの王ファラオ・ネコの軍隊に対する言葉」と記されています。

 

 エジプトのファラオ・ネコは、その4年前、紀元前609年にメギドでユダの王ヨシヤと戦ってこれを打ち破り、ユーフラテス河畔のカルケミシュに進軍しました(列王記下23章29節、歴代誌下35章20節)。それは、アッシリアを助力し、勢力を伸ばしてきたバビロンを牽制するための出陣でした。

 

 エジプトとしては、アッシリアとバビロンとが牽制し合う状態でいてくれる方が、国防上都合がよかったのです。ユダの王ヨシヤは、アッシリアに苦しめられていましたから、バビロンによってアッシリアが滅ぼされることを期待していたでしょう。だから、アッシリアを助力しようとするエジプトの領土通過を看過できなかったのです。

 

 エジプトは、クシュとプト、ルドの兵に呼びかけて(9節)、戦いに臨んでいました。クシュはエチオピア、プトはリビア、ルドは複数形で、エジプト人の子孫でアフリカの民族を指すようです。けれども、「ユーフラテス川の岸辺」(2,6,10節)のカルケミシュに出陣したエジプト軍は、バビロンとの戦いに敗れました(2節)。

 

 10節に「その日は、主なる万軍の神の日、主が敵に報いられる報復の日」と記されており、エジプトの敗戦をなる万軍の神の報復と説明しています。主なる神が敵となられれば、エジプトがどんな大軍をもってしても、打ち勝つことは出来ません。ということは、エジプトがアッシリアを助けようとして出陣したのを、ヨシヤが妨げようとする必要などなかったわけです。

 

 ここで「報復の日」とは、ヨシヤ王のための報復と考えるのが、最も分かり易いところですが、歴代誌下35章20節以下の記述によれば、メギドの戦いについては、ファラオ・ネコが望んで行ったのではなく、むしろ、戦いを回避しようとしたのに、ヨシヤがネコを通して語られる主の言葉に耳を貸さなかったことが原因というのですから、その件でエジプトに罪はないということでしょう。

 

 むしろ、ユダに働きかけて、反バビロン連合を形成しようとしたことなどが、主なる神に敵対する行為と考えられたのではないでしょうか。主が「カルデア軍に投降する者は生き残る」(38章2節など)と言われるのに、ユダの民は、エジプトを頼りとして徹底抗戦することにしたからです。 

 

 13節以下の預言は、バビロンがエジプトに進軍して、その戦いにエジプトが敗れることを告げています(19節以下、24節)。25節に「見よ、わたしはテーベの神アモンを罰する。またファラオとエジプト、その神々と王たち、ファラオと彼に頼る者を罰する」と記されており、エジプトがバビロンに敗れる理由を、アモン神に代表されるエジプトの神々に頼っているからと説明しています。

 

 ところで、14節に「エジプトで告げ、ミグドルで知らせよ。メンフィスとタフパンヘスで知らせて言え」(14節)と言われていますが、これらの町は44章1節で、「エジプトのミグドル、タフパンヘス、メンフィス並びに上エジプト地方に住む、ユダの人々」と語られており、バビロン捕囚後、総督ゲダルヤが暗殺されて、その報復を恐れるユダの人々が難を逃れて居住地とする町々です。

 

 ということは、これらの言葉は、そこに住むユダの人々に向けて語られていることになります。即ち、エジプトがその偶像礼拝の罪のゆえに、あるいは、かつてイスラエルに対してなした悪、敵対行為のゆえに主に裁かれるとユダの人々に語ることで、彼らがバビロンを恐れてエジプトに逃れているのは、主の御心に反するものであると予告しているわけです。

 

 そして、冒頭の言葉(27節)のとおり、「わたしの僕ヤコブよ、恐れるな。イスラエルよ、おののくな。見よ、わたしはお前を遠い地から、お前の子孫を捕囚の地から救い出す」と語られます。これは、「捕囚の地」、即ちバビロンにいるユダの民のことを指していますが、エジプトにいる民に語りかけることで、彼らがもう一度主の御言葉に信頼して、エルサレムに帰ってくることを促す意図があるのでしょう。

 

 ユダの人々が主の御言葉に聴き従うことこそ、かつて彼ら自身が「良くても悪くても、我々はあなたを遣わして語られる我々の神である主の御声に聞き従います。我々の神である主の御声に聞き従うことこそ最善なのですから」(42章6節)と語っていたとおり、最も善いことなのです。

 

 「主は従う人に目を注ぎ、助けを求める叫びに耳を傾けてくださる」、「主は打ち砕かれた心に近くいまし、悔いる霊を救ってくださる。主に従う人には災いが重なるが、主はそのすべてから救い出し、骨の一本も損なわれることのないように、彼を守ってくださる」(詩編34編16,19~21節)と詩人は詠います。

 

 主に従う者は、災いの合わないというのではありません。むしろ、災いが重なると言います。しかし、そのところで主が神であられることを知る、主が恵み深いお方であることを味わう救いを経験するというのです。

 

 御前に謙り、主の御声に耳を傾けましょう。その導きに従って歩みましょう。 

 

 主よ、深い憐れみにより、絶えず私たちに目をとめ、祈りに耳を傾けてくださり、感謝致します。いつも、「恐れることはない」と呼びかけてくださる主の言葉に慰められ、励まされます。私たちに恐れと疑いをもたらす嵐も、主の一言で静められ、私たちは平安に満たされます。常に御言葉に耳を傾け、その導きに従うことが出来ますように。 アーメン

 

 

「災いだ、主が剣を取られた。いつまで、お前は静かにならないのか。鞘に退き、静まって沈黙せよ。どうして、静かにできようか。主が剣に命じて、アシュケロンと海辺の地に向けて遣わされたからには。」 エレミヤ書47章6,7節

 

 47章には、ペリシテに対する預言が記されています。表題に「ファラオがガザを撃つ前に」と記されていますが、それが歴史的にいつのことを指しているのかは、定かではありません。

 

 岩波訳の脚注に「パロ・ネコが前609年にメギドでヨシヤを殺した後、ペリシテ人の町ガザを攻撃したことが、前5世紀のギリシアの歴史家ヘロドトス(『歴史』Ⅱ,159)によって報告されている」と記されています。

 

 その後に「但し2節以下は、ガザだけでなく全ペリシテへの攻撃を問題としており、しかも攻撃するのは『パロ』ではなく『北から』のバビロニアと思われるので、1節の表題自体、2節以下の預言に余りそぐわない。70人訳のように元来の表題は『ペリシテ人について』とだけなっていて、後代まちがった敷衍がなされた公算が大きい」と付け加えられています。

 

 紀元前605年にカルケミシュでエジプト軍を撃破したバビロン軍が、勢いを駆ってパレスティナに進撃し、前604年にアシュケロンを滅ぼしました。このとき、ペリシテ全地がバビロンに占領されたのではないかと思われます。

 

 援軍を求められたエジプトも、しばらくバビロンに抑え込まれていましたが、前601年に勢いを取り戻し、ネブカドネツァル軍に打撃を与えて、パレスティナを奪回することに成功しました。ファラオがガザを撃つとは、あるいは、そのときのことを指しているのかも知れません。

 

 2節以下に記されているのは、バビロン軍の攻撃です。それを「北から水が湧き上がり」と、ユーフラテス川の氾濫を思わせるような表現で示しています。46章7節には「ナイルのように湧き上がり、大河のように逆巻く者は誰か」と、エジプト軍の攻撃のことが描かれていました。

 

 バビロン軍のアシュケロン攻撃は、先に記したとおり、前604年に起こっています。つまり、先ずバビロン軍によるペリシテの撃破があり、その後、前601年にエジプト軍がペリシテにいるバビロン軍を打つためにやって来たのです。それが、「ファラオがガザを打つ前にペリシテ人に向かって」、紀元前605年にエレミヤによって語られた主の言葉ではないかということです。

 

 あるいは、ファラオ・ネコがアッシリアを援助するためにカルケミシュに出陣した紀元前609年、メギドでユダの軍隊を打ち破ったときに、先にガザを撃破していたという可能性も排除出来ませんが、それでは、その前にエレミヤに主の言葉が臨んだという時期が分らなくなります。いずれにせよ、バビロンとエジプトという南北の大国に挟まれて、その支配にペリシテ人が翻弄される様子をそこに見ることが出来ます。

 

 6節で「主が剣を取られた」と言われています。主が御自分の剣として用いられるのが、バビロン軍であり、また、エジプト軍であるわけです。5節の「頭をそり落とし」は、武士が髷を切られて辱められたといった表現のように見えますが、その後の「身を傷つける」と合わせて、愛する者を失ったという最も深い悲しみを表わすしるしかも知れません。

 

 それによって、いつまでこの苦しみが続くのか、この悲しみは癒されないのかと問う表現と見るわけです。だから、「いつまで、お前は静かにならないのか。鞘に退き、静まって沈黙せよ」(6節)というのです。けれども、主がペリシテを滅ぼすことに決めておられるので(4節)、徹底的に滅ぼし尽くされるまで、剣が鞘に退いて鎮まることはありません(6,7節)。

 

 なぜ、主の剣がペリシテに送られ、滅ぼされることになるのか、その理由は、ここには全く説明されてはいません。しかし、イスラエルと国境を接する国として、長い歴史の中で繰り返された戦いの記憶があって(士師記3章1節以下、サムエル記上4章1節以下など)、それを必要としなかったのかもしれません。また、神の裁きの前に、罪なしとされる民族、国家は存在しないでしょう。

 

 ただ、この預言がペリシテの民に対して伝えられたとも思われません。なぜ、この預言が語られたのかを考えると、単に主がユダを喜ばせるために仇敵に報復されることをエレミヤに告げられたということではないでしょう。ペリシテもユダも、そしてバビロンやエジプトも、すべて主の御手のもとにあるということ、主は世界の歴史を支配しておられるをユダの民に知らせたいのです。

 

 主の剣という表現について、新約聖書中に「霊の剣、すなわち神の言葉」(エフェソ書6章17節)、「神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄を切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができる」(ヘブライ書4章12節)という言葉があります。

 

 この剣を振り回して、他人を裁き、滅ぼす道具として用いることも出来るでしょう。そして、その裁きは正しいものです。しかし、腕のよい医師の手にあるメスのように、人々の内にある悪しきものを切れ味鋭く切り取り、切り離し、人を豊かに生かすための道具として用いることも出来ます。

 

 そのことでパウロは、「神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。文字は殺しますが、霊は生かします」(第二コリント書3章6節)と言います。新約の使徒としてなす福音宣教が、殺す文字ではなく、生かす霊に仕える働きだというのです。 それが、「霊の剣」の働きと言ってもよいでしょう。

 

 第二テモテ書3章16節に「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をする上に有益です」と記されています。日々いただく御言葉を通して、自分の内側を点検し、主の御心に相応しくないものを取り除き、御旨に添う歩みをすることが出来るように、祈りつつ励みましょう。

 

 「こうして、神に仕える人は、どのような善い業をも行うことができるように、十分に整えられるのです」(同3章17節)。

 

 主よ、御霊と御言葉の導きにより、心の内側から新たにされ、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるか、わきまえることが出来ますように。怠らず励み、霊に燃えて主に仕える者としてください。希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、絶えず祈りに導いてください。そのために、内側から整えてくださいます。御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「しかし、終りの日に、わたしはモアブの繁栄を回復すると、主は言われる。ここまでがモアブの審判である。」 エレミヤ書48章47節

 

 48章には、モアブの審きが記されています。モアブは、ロトの姉娘がロトによって産んだ男児の名であり、その子孫がモアブ人です(創世記19章37節)。因みにロトの妹娘はベン・アミを産み、それがアンモン人の先祖となりました(同38節)。

 

 ロトは、アブラハムの甥(弟ハランの子)ですから(同11章31節)、イスラエル人とモアブ人,アンモン人とは、血のつながりのある親戚関係ということになります。しかし、双方の関係は決して良好とは言えません。そもそも、アブラハムとロトは、財産が多すぎて一緒に住めず、家畜を飼う者たちの間で争いが起きたため、二手に分かれたという経緯があります(同13章)。

 

 それから数百年後、イスラエルがエジプトの奴隷から解放されて約束の地に向かって進んでいるとき、主なる神が、モアブ、アンモンについて、彼らを敵として戦いを挑んではならない、それは既にロトの子孫に領地として与えたものだと言われました(申命記2章9,19節)。モアブ人の領地は、北をアンモン、南をエドム(セイルの山地)に挟まれた死海東岸の地域です。

 

 そのとき、モアブの王バラクは、イスラエルの大軍に恐れをなし(民数記22章以下)、遠くアラム・ナハライムの地から預言者バラムを雇い、イスラエルを呪わせようとしました。そのため主は、「アンモン人とモアブ人は、決して主の会衆の加わることができない。十代目になっても、決して主の会衆に加わることができない」(申命記23章4節)と言われました。

 

 ただし、ダビデ王の曾祖母ルツは、モアブ人であり(ルツ記1章4節)、また、ダビデの逃避行の最中、両親をモアブの王に託すということがありましたので(サムエル記上22章3,4節)、非常によい関係のときもあったようです。けれども、ダビデが王となった後、モアブを討って彼らを隷属させており(サムエル記下8章2節)、その後、しばしば戦いが繰り返されています。

 

 イザヤ書15,16章、エゼキエル書25章、ゼパニヤ書2章にもモアブの滅びを預言する言葉があります。それは、彼らがイスラエルに対して高ぶり、嘲ったからということのようです(29,30節参照)。それは、かつて隷属させられた恨みから、バビロンに攻め囲まれたとき、イスラエルを嘲ったといったことでしょう。

 

 そして、主なる神がアブラハムを祝福して、「あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る」(創世記12章3節)と言われたことが、ここでも生きて働いているということになります。

 

 エレミヤは7,8節で「自分の業と富に頼ったゆえに、お前もまた占領される。ケモシュは捕囚となっていく、その祭司も役人たちも共に。略奪する者がすべての町を襲い、一つとして免れるものはない。谷は滅び、平野は荒らされる。主が言われたとおりである」と裁きを告げます。

 

 モアブの奢りは、一つはぶどう酒製造によってもたらされた富により(32,33節)、今一つはケモシュ礼拝によります。ここでは、富もケモシュ神も、主の裁きの前には何の頼りにもならないことが明示されており、それゆえ他国に占領され、捕囚とされるのです。

 

 ところが、冒頭の言葉(47節)のとおり、「終りの日に、わたしはモアブの繁栄を回復する」と主が言われます。なぜ、主はモアブの繁栄を回復されるというのでしょうか。その理由は記されていません。

 

 ただ、それが主なる神のご計画であるとしか、言いようがありません。即ち、主の選びの民ではない、否むしろ、決して主の会衆に加わることができないといわれるモアブをさえ、主は憐れまれるということです。

 

 歴史的には、イスラエルと同様バビロンに屈服させられ、後に反逆して、さらにひどい荒廃を味わい、結果として国としてのアイデンティティーが失われ、再びそれが回復することはありませんでした。それでも、終わりの日には、主なる神の憐れみによって回復されるという希望は、決して失望に終わることはないのです。

 

 であれば、ましてご自分の名をもって贖い出したイスラエルの民を憐れまず、苦難のうちに滅びを刈り取らせたまま放置されるようなことはありません。「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである」(29章11節)と言われるとおりです。

 

 「主は倒れようとする人をひとりひとり支え、うずくまっている人を起こしてくださいます」(詩編145編14節)。その深い憐れみに信頼し、神の民として立ち上がらせていただきましょう。主が支えてくださいます。 

 

 主よ、あなたがモアブを憐れまれたように、私たちをも憐れみ、絶えず目を留め、恵みをお与えくださることを感謝致します。私たちが御名を呼び、祈り求めるとき、親しく聞いて答え、その栄光を見せてくださいます。主の平和の計画を信頼し、いつも喜び、絶えず祈り、どんなことも感謝する信仰で前進させてください。平和の神ご自身が、私たちを全く聖なる者としてくださいますように。 アーメン

 

 

「しかし、終わりの日に、わたしはエラムの繁栄を回復すると、主は言われる。」 エレミヤ書49章39節

 

 49章には、アンモンの人々に向かって(1~6節)、エドムに向かって(7~22節)、ダマスコに向かって(23~27節)、ケダルに向かって(28~33節)と、イスラエルと国境を接する諸国民に対する預言が語られて、最後に、エラムに向かっての預言(34~39節)が記されます。

 

 アンモンは、エルサレムの東方60㎞のラバを首都とするヨルダン川東部地域の国です。エドムはパレスティナの南南東、死海の南からアカバ湾に至る地域で、「セイルの地、セイル山」と呼ばれることもあります。ダマスコは、ヘルモン山の東方、シリアの中心都市です。ケダルは、パレスティナからメソポタミアに至るシリア・アラビア砂漠の遊牧民です。

 

 そしてエラムは、バビロンの東、ペルシア湾の北に位置する国です。創世記14章1節に、「エラムの王ケドルラオメル」の名があり、これは実在の人物ですが、ケドルラオメルがパレスティナに攻めて来たという考古学的な証拠は、まだ見つかっていないようです。

 

 なぜ、このはるか東方の国への預言が、イスラエルに国境を接する国に混じってここに記されているのか、定かではありませんが、「ユダの王ゼデキヤの治世の初め」(34節)という時期、バビロンの記録によると、ネブカドレツァルは、チグリス川の東から攻撃され、これに反撃したそうです(紀元前596~595年)。

 

 これがエラムによる攻撃ではないかと考えられ、そこで、ネブカドネツァルが東に軍を動かさなければならない事態になり、そのために、はるか西方のパレスティナ、イスラエルへの目配りは、疎かになったものと思われます。

 

 それを機に、ゼデキヤ王に対して、ユダ国内の親エジプト派が、バビロンに反旗を翻すように、強く求めたのかもしれません(列王記下24章20節)。即ち、バビロンがエラムとの戦いに戦力を割き、それが続くことで、国力を弱めてしまうことになる、あるいは、エラムがバビロンに打ち勝つかも知れないと、彼らは期待したわけです。 

 

 それに対して主は、「わたしは、エラムの弓、彼らの最上の武器を折る」(35節)と語られます。イザヤ書22章6節に「エラムは矢筒を取り上げ」とあり、彼らは弓の名手だったようです。最上の武器が折られることで、エラムが寄って立つものを失ってしまいます。

 

 そして主は、「エラムに向かって、天の四隅から、四方の風を吹きかけ」(36節)られます。具体的には、「彼らの命を求める者ら」と言われる「敵」が四方から攻め寄せるということでしょう(37節)。エラムを滅ぼし尽くす「剣」として、主がこの「敵」を送り込まれたのです。

 

 38節に「わたしはエラムから王と貴族を滅ぼし、そこに、わたしの王座を据えると、主は言われる」と記されています。「わたしの王座を据える」とは、主を神とする王朝が誕生するということではなく、主がエラムを滅ぼすために、そこで裁きの座に着かれるということでしょう。

 

 岩波訳は「わたしは、わが玉座をエラムの中に据え、そこから王と高官たちを滅ぼす。-ヤハウェの御告げ-」と訳出し、脚注に「1章15節、43章8~13節も参照」と記しています。1章15節の脚注には「原語キッセーは『玉座』も指すが(創世記41章40節、申命記17章18節)、一般に『座席』も指す(士師記3章20節、詩編122編5節)」とあります。

 

 主がエラムを裁き、敵の手によって打たれること、それゆえ、エラムに期待して、あるいはまたエジプトなどを頼りとして、バビロンに反旗を翻すというユダの人々の判断は誤っているということを、ここに示しておられるといってよいでしょう。

 

 ところが、この預言の最後に、冒頭の言葉(39節)のとおり、「しかし、終わりの日に、わたしはエラムの繁栄を回復すると、主は言われる」(39節)と語られます。「わたしは彼らの後ろに剣を送る、彼らを滅ぼし尽くすまで」(37節)と言われていたのに、最後に「繁栄を回復する」と言われるのは何故でしょうか。

 

 これは、モアブに対する言葉の最後(48章47節)、またアンモンに対する言葉の最後にもありました(6節)。モアブとアンモンは、アブラハムの甥ロトの子孫でした。エラムについて、創世記10章22節でセムの子孫とされています。

 

 つまりセムの子アルパクシャドの子孫であるアブラハム(同11章10節以下、26節)の親族ということになりそうです。だから、アブラハムのゆえに、主の選びの民ではないモアブやアンモン、エラムを憐れまれるというのでしょうか。

 

 イザヤ書21章2節に「欺く者は欺き続け、荒らす者は荒らし続けている。上れ、エラムよ、包囲せよ、メディアよ、わたしは呻きをすべて終わらせる」と語られています。この「欺く者」、「荒らす者」とは、バビロンのことです(同9節)。神が、エラムとメディアに呼びかけて、バビロンを攻めさせ、打ち倒されるという預言が、ここに語られています。

 

 バビロンの王ネブカドレツァルを「わたしの僕」と呼ばれた神ですが(25章9節、27章6節、43章10節)、そのバビロンを滅ぼすために、裁きの座を置いて滅ぼし尽くすまで剣を送ると言われていたエラムに向かって、「上れ」と呼び起こされるのです。

 

 神に呼びかけられたエラムとメディア、即ちペルシアによってバビロンが倒された結果、捕囚のイスラエルの民は解放され(紀元前538年)、帰国を許されて、エルサレムの神殿を再建します。かくて、主なる神はあらゆる国民を御自分の計画のために意のままに用いられ、そしてそれは、イスラエルと無関係ではないことが示されます。

 

 深い憐れみをもって私たちを招き、御業のために呼び出してくださる主なる神に素直に耳を傾け、導きに従って歩みましょう。 

 

 主よ、エラムを憐れみ、用いられたように、私たちにも目を留め、御旨を行うために選び立ててくださったことを感謝します。私たちが選ばれたのも、あなたの憐れみ以外の何ものでもありません。主よ、どうかこの国を憐れみ、聖霊の風を吹かせ、救霊の働きを前進させてください。私たちの教会をリバイブし、御業のために用いてください。御名が崇められますように。 アーメン

 

 

「その日、その時には、と主は言われる。イスラエルの咎を探しても見当たらず、ユダの罪も見いだされない。わたしが、生き残らせる人々の罪を赦すからである。」 エレミヤ書50章20節

 

 46章から語り始められている諸国民に対する預言の最後に、諸国民を打つ主の剣として遣わされるバビロンに対して、50~51章と大きなスペースをとって、主の言葉が語られます(1節)。諸国民に対する預言の初めがエジプト、最後がバビロンというのは、両国がイスラエルを南と北から挟む強大な国であり、共に他国民を隷属させた国ということなのでしょう。

 

 因みに、バビロンをヘブライ語では「バベル」と言います。創世記11章9節で言葉が乱されて高い塔(バベルの塔)を建設することをやめた町の名が「バベル」と呼ばれていますが、同じ綴りですから、それはバビロンの町のことを言っているということになります。

 

 話を戻して、2節に「バビロンは陥落し、ベルは辱められた。マルドゥクは砕かれ、その像は辱められ、偶像は砕かれた」と言われます。「ベル」は「主」という意味で、バビロンの主神マルドゥクを指しています。

 

 もともと、マルドゥクはバビロンの町の守護神でしたが、この町がバビロニア帝国の首都となったので、帝国の最高位の神として崇められるようになりました。しかしながら、帝国の首都バビロンが陥落すると、マルドゥクの威光も地に落ち、全く空しいものとなると言われているのです。

 

 かつて、イスラエルが約束の地に入るに当たり、主なる神は「あなたの神、主があなたの前から彼ら(アナクの子孫)を追い出されるとき、あなたは、『わたしが正しいので、主はわたしを導いてこの土地を得させてくださった』と思ってはならない。この国々の民が神に逆らうから、主があなたの前から彼らを追い払われるのである」(申命記9章4節)と言われたことがあります。

 

 その意味で、バビロンがイスラエルをはじめパレスティナ諸国を敗北せしめ、多くの民を捕囚としたのは、バビロンが心正しく神の前を歩んでいたからではありません。イスラエルが主なる神に背き、異教の神々に心迷わせ、それに仕える生活をして、神の怒りを買ったからです。

 

 捕囚となって70年の時が満ちたとき(25章11,12節、29章10節など)、今度は「一つの国が北からバビロンに向かって攻め上り、バビロンの国を荒廃させ」(3節)ます。「一つの国が北から」と言われていますが、この方角はユダから見てということで、実際にバビロンを攻め寄せるのは、東方のエラムとメディア(イザヤ書21章2節)、即ちペルシアのことです。

 

 北からの敵という預言について、主はユダを裁くために「北」からバビロンを攻め上らせられました(1章13節以下、4章5節以下、6章22節以下など)。バビロンに向かって「北」から一つの国が攻め上るというのも、それが主なる神の裁きであることを示しているのでしょう。

 

 主なる神は、ペルシアの王キュロスに油を注いで(イザヤ書44章28節、45章1節など)、神に背く罪を犯しているバビロンを罰するのです。それを14節で「バビロンは罪を犯した」と言われ、18節で「見よ、かつてアッシリアの王を罰したように、今、わたしはバビロンの王とその国を罰する」と告げられます。

 

 そうして、「イスラエルを元の牧場に連れ戻す。イスラエルはカルメルとバシャンで草をはみ、エフライムとギレアドの山で心ゆくまで食べる」(19節)と語られます。カルメルやバシャン、エフライムとギレアドなどは、北イスラエルに属する地域です。エレミヤはここで、南ユダのみならず、北イスラエルをも含めた回復を語り告げているわけです。

 

 さらに冒頭の言葉(20節)のとおり、「その日、その時には、と主は言われる。イスラエルの咎を探しても見当たらず、ユダの罪も見いだされない。わたしが、生き残らせる人々の罪を赦すからである」と語ります。

 

 「イスラエルの咎を探しても見当たらず、ユダの罪も見いだされない」と言われていることについて、31章34節で「わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない」と語り、33章8節でも「わたしに対して犯したすべての罪から彼らを清め、犯した罪と反逆のすべてを赦す」と告げられていました。

 

 これは、主とユダの民との間に結ばれる、新しい契約のことです。かつて、イスラエルの民がエジプトを脱出した際、シナイ山において主と契約を結びましたが(出エジプト記24章参照)、今度は、バビロンに捕囚とされたユダの民と新しい契約を結ぼうと言われるのです(31章31節以下、32章40節)。

 

 ユダの民がバビロンから解放されて帰国を果たすことが出来、そして、彼らの罪を赦すと言われるのは、彼らがバビロンで心正しく歩んでいたからではありません。主のユダに対する深い愛と憐れみのゆえです。そしてこの新しい契約は、御子イエス・キリストが十字架にかかって贖いの死を遂げられたことによって、成立しました(ヘブライ書8,9章参照)。

 

 私たちも、主イエスを信じる信仰によって、神の子となる資格が与えられました(ヨハネ福音書1章12節)。神の一方的な恵みにより、主との契約関係に入れていただいたのです。

 

 高ぶってはなりません。いつも主の前に謙り、神の力強い御手の下で自らを低くしましょう。そうすれば、あらゆる恵みの源である神が私たちを高く上げ、完全な者として強め、力づけ、揺らぐことがないようにしてくださいます(第一ペトロ書5章6,10節参照)。

 

 主よ、あなたは私たちの罪を赦すと宣言されました。そして、御子イエス・キリストの十字架の死と甦りによって、それを確かなものとされました。私たちは、神の変わることのない生きた御言葉によって新たに生まれたのです。その御業に心から感謝して主の御名を褒め称えます。主の福音を力強く証しするため、聖霊に満たされ、その力を受けることが出来ますように。 アーメン

 

 

「しかし、わたしはバビロンとカルデアの全住民に対し、お前たちの目の前で報復する。彼らがシオンで行ったあらゆる悪に対してと、主は言われる。」 エレミヤ書51章24節

 

 50章に続き、51章でもバビロンに対する預言が告げられています。1節に「バビロンに対し、レブ・カマイの住民に向かって」とあります。「レブ・カマイ」とは、アトバシュと呼ばれる暗号表記によるカルデア人のことです。アトバシュとは、ヘブライ語のアルファベットのア(アレフ)をト(タウ)、バ(ベート)をシュ(シン)と、逆順に当てはめて読む読み方です。

 

 それによれば、「レブ・カマイ」は「カスディーム」という言葉になり、これは、カルデア人を示します(4,5節、50章10,45節など)。同様に「シェシャク」(41節)もアトバシュ表記で、元に戻せば、「バベル」=バビロンという言葉になります(25章26節も)。

 

 このような表記方法を用いるのは、バビロンの隆盛期にバビロンやカルデア人について否定的に言及するのがはばかられたからでしょう。ただ、「レブ・カマイ」という言葉の前後に「バビロン」という言葉があり、ここで「レブ・カマイ」と隠語的に語る意味はありません。

 

 最初は「レブ・カマイ」と記されていたものが、後の編集段階で「バビロン」と書き換えられたり、あるいは「バビロン」を含む文節が書き加えられたりしたのかも知れません。なお、「レブ・カマイ」とは、「わたしに立ち向かう者の心」という意味です。カルデア人をそのように言うというのは、偶然以上の表現ですね(5節参照)。

 

 15~19節は、10章12~16節とほぼ同一です。主なる神は「御力をもって大地を造り、知恵をもって世界を固く据え、英知をもって天を広げられた方」(15節)であり、御声をもって天の万象を支配しておられます(16節)。当然、人が鋳て造った偶像とは比べることも出来ません(17節以下)。

 

 主は、マルドゥクなど異教の偶像に仕えるバビロンの民を、「お前はわたしの鎚、わたしの武器であった」(20節)と言われ、ユダをはじめ多くの国々を砕き、諸王国を滅ぼす道具として用いられました。これは、7節で「バビロンは主の手にある金の杯」と言われ、25章15節以下、諸国の民に主の怒りを注いで飲ませる杯として用いられるのと同様です。

 

 けれども、冒頭の言葉(24節)では、「しかし、わたしはバビロンとカルデアの全住民に対し、お前たちの目の前で報復する。彼らがシオンで行ったあらゆる悪に対してと、主は言われる」と記されています。そのことも、主の怒りの杯を最後はバビロンの王が飲むと言われるのと同じです(25章26節)。

 

 バビロン軍はエルサレムの城壁を打ち破り、神殿を破壊し、町を焼きました。神殿と王宮の宝物をすべて奪い去りました。多くのユダの民を殺しました。そして、王族や高官らをはじめ多くの人々を奴隷として引いて行きました。

 

 それは、主がバビロンを「鎚」として振るい、エルサレムを砕かれるためで、それらのことはすべて、預言者によって預言されていたことです(22章6,7節、25章9節、26章6節、34章22節、38章18節、イザヤ書39章など)。何が、「シオンで行ったあらゆる悪」と言われていることなのでしょうか。どうして、その悪に対する報復が語られるのでしょうか。

 

 捕囚とされた民にとって、当時のバビロンの文明は、驚嘆すべきものだったでしょう。そして、否応なくマルドゥクなどバビロンの神々を拝む生活や慣習に引き込まれていったことでしょう。そもそも、ユダの民が主の怒りを買って裁かれたのは、偶像礼拝の罪が原因だったからです。

 

 それゆえ、偶像の空しさ、偶像を拝むこと愚かさを語り(17,18節)、バビロンに対する裁きを語ることで、ユダの民がまことの神、主に立ち返るように促しているのではないかと考えることが出来ます。

 

 かつて、エジプトや周辺諸国と組んでバビロンに反抗することを企てた人々がいました。そこには、エルサレムが神の都であり、主の御名がおかれた神殿のある町が滅ぼされることはない、必ず神風が吹いて、救ってくれるという考えがあったのではないかと思われます。

 

 確かに、イスラエルは主の選びの民であり、エルサレムは神の都と呼ばれました。けれども、主の選びの民とされたことが、主による町の保護を保証するのではありません。神の都、そこに建てられた神殿や、町を囲む二重の城壁などがその保証でもありません。主はユダの背きのゆえに、エルサレムを裁く「鎚」としてバビロンを選び、用いられたのです。

 

 しかし、今ここにそのバビロンが、シオンで行ったあらゆる悪のゆえに主の裁きを受けると告げられました。ということは、イスラエルの民の選びは、彼らが従順にその使命を果たすところにその目的があるのであり、義務を果たさないどころか、異教の神礼拝に走ったユダの民とエルサレムの都が、主なる神に守ってもらえる道理はなかったわけです。

 

 そう考えると、「彼らがシオンで行ったあらゆる悪」とは、バビロンが行ったことというよりも、むしろ、バビロンの裁きを通して、イスラエルの民がエルサレムとその神殿においてなした罪を思い出させようとしていると言ってもよいのかも知れません。

 

 主イエスは、「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものはなんでも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである」(ヨハネ福音書15章16節)と言われました。

 

 私たちが主に選ばれたのは、私たちの資格や能力ではなく、神の憐れみにより、恵みによるものです。そして、私たちには、主の手足となって働くように、使命が授けられています。「出かけて行って実を結び」とはそのことです。

 

 主に従うとき、その実が残ると約束されています。また、主の名で父に願うこと、即ち、主を信じて祈ることが求められています。そして、願い求めるならば、何でもかなえられると約束されています。

 

 そのような恵みを授けられた主の御前に恐れ畏み、御言葉に耳を傾けましょう。主と主の御言葉に信頼して、委ねられた神の御業に全力で励みましょう。私たちの労苦が無駄になることはないと、私たちは知っているからです(第一コリント書15章58節)。

 

 主よ、極東に住む異教の民であった私たちを憐れみをもって導き、主を信じる者としてお選びくださいました。その恵みに感謝し、その喜びを隣人と分かち合う宣教の業に励み、30倍、60倍、100倍の実を結ぶことが出来ますように。主がその願いに応え、祈りをかなえてくだると信じて感謝します。御心がこの地になされますように。 アーメン

 

 

「ユダの王ヨヤキンが捕囚となって37年目の12月25日に、バビロンの王エビル・メロダクは、その即位の年にユダの王ヨヤキンに情けをかけ、彼を出獄させた。」 エレミヤ書52章31節

 

 51章の最後に「ここまでが、エレミヤの言葉である」とありました。エレミヤ書が現在の形になったときの編集者による付加でしょう。

 

 その言葉が明らかにしているとおり、52章はエレミヤの預言ではありません。列王記下24章18節~25章30節の記事を、ほぼそのまま再録したものです。また、4節~16節(列王記下25章1~12節)は、39章1~14節に記されていました。ただし、列王記下25章22~26節の記事はエレミヤ書にはなく、逆に28~30節は列王記に記されていません。

 

 52章は、エレミヤが預言したことがどうなったのか、イスラエルの歴史の中で現実のものとなったのかどうかということを明らかにするために、掲載しているわけです。

 

 ゼデキヤの代に、イスラエルの国はバビロンによって完全に滅ぼされました。王の目前で王子たちが殺され(10節)、その後、王の両目が潰され、バビロンに連行されて、牢につながれました(11節)。また、神殿や王宮が焼き払われ(13節)、城壁が取り壊されました(14節)。これは、32章4節、34章21,22節、38章23節に告げられていたことです。

 

 捕囚として連れ去られた民の数が28節以下に記されています。しかし、列王記下24章10節以下を見ると、ネブカドネツァルの第8年(同12節、第一次バビロン捕囚)に、エルサレムのすべての高官とすべての勇士1万人、それにすべての職人と鍛冶を捕囚として連れ去ったと記されています(同14節)。

 

 16節には「職人と鍛冶千人」と記されているので、14節と合わせ、1万1千人以上が捕囚とされたはずです。さらに、ネブカドネツァルの第19年(列王記下25章8節、第二次バビロン捕囚)に、都に残っていたほかの者、自ら投降した者、その他の民衆が捕囚とされています(同11節)。

 

 エレミヤ書では、最初の捕囚とされた民の数が3023人、次が832人、合わせて4千人弱と、かなり少なくなっています。何故そうなのか、よく分かりませんが、これは家族全員ではなく、家長を数えたのではないかという注解者がいます。それが、一番理解しやすいものと思われます。

 

 かつて、モーセに率いられてエジプトを脱出したイスラエルの民の数が数えられたとき、成人男子の数は60万人余りでした(民数記1章46節、26章51節)。その後、ダビデが剣を取り得る戦士を調べたところ、イスラエルに80万、ユダに50万、あわせて130万を数えました(サムエル記下24章9節)。

 

 バビロンに捕え移された人の数が、列王記の言う1万1千人余りであれ、30節に記されている4千6百人であれ、それがある仲介者の見解のごとく家長の数で、それを数倍する数だとしても、ごく僅かな数になって今っています。つまり、多くの者が剣に倒れ、でなければ、飢えや病などで命を落としたわけです(14章12節、29章17節、32章24,36節など)。

 

 イスラエルの民がエレミヤの預言に耳を傾け、バビロンに降伏して捕囚となることを受け入れていれば、もっと多くの人々が死なずにすんだでしょう。将来に希望をつなぐことが出来たでしょう。主はバビロン捕囚について、「それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである」(29章11節)と言われていました。

 

 そもそも、主に背かず、第一に主を求め、主との正しい関係に生きていれば、国が滅びること、捕囚となることさえなかったでしょう。そうしなかったから、主の怒りを買い、亡国と捕囚の憂き目を見たのですが、それでも、滅ぼし尽くされず、残りの民によって国を再建することが出来るように、将来と希望を与える平和の計画が立てられていたのです。 

 

 ところで、52章の最後にユダの王ヨヤキンの解放記事があります。ヨヤキンは、父ヨヤキムの死後3ヶ月、王としてユダを治めたところで、攻めてきたバビロンに投降し、捕囚となりました。彼が王となったのが18歳(列王記下24章8節)、そして37年をバビロンの牢獄につながれて過ごしました(31節)。その間、彼が何を考え、どのように過ごしていたのか、全く分かりません。

 

 しかし、37年目の12月25日、それは、紀元前561年の2~3月のことでしょう。そのとき、突然牢から出されたのです。それは、エビル・メロダクがバビロンの王として即位したことを受けて、囚人であったヨヤキンに恩赦を与えたというかたちです。

 

 「情けをかけ」(ナーサー・エト・ローシュ)を、岩波訳は「恩赦を与え」としています。これはしかし「頭を上げる」という言葉で(創世記40章13,19,20節)、王の前に出頭させるという表現です。岩波訳には「新王の即位に祭司、属国の王たちが改めて臣下の誓いをなしたことと結びついていたはずである」という脚注がつけられています。 

 

 ヨヤキンが捕囚となった原因は、ヨヤキンの父ヨヤキムがバビロンに反逆したためで(列王記下24章1節)、ヨヤキン自身の罪ではなかったということでしょう。また、彼はネブカドレツァルの軍に包囲されたとき、抵抗することなく自ら王族と共にバビロン王の前に出て行き、捕らえられました。

 

 そのためか、ネブカドレツァルから食料を支給された人々とその食料の一覧表を記した粘土板(紀元前592年)がバビロンの王宮蹟から発見されており、ヨヤキンとその子ら5人の息子の名も記されていました。そこでは、ヨヤキンが「ユダの王」と呼ばれ、他の受給者たちより遥かに多くの配給を受けていました。

 

 とすると、同じくユダの王として牢獄につながれていたはずのゼデキヤに恩赦が与えられなかったのは、ネブカドレツァルによって王位に就けられた者であるにも拘らず(列王記下24章17節)、バビロンに反旗を翻したためであり(同20節)、都がバビロン軍に包囲されても降伏を拒否して徹底抗戦したためでしょう(同25章1節以下)。

 

 マタイ福音書の最初の系図に、「バビロンへ移住させられた後、エコンヤ(ヨヤキンのこと)はシャルティエルをもうけ、シャルティエルはゼルバベルを」(マタイ1章12節)という記述があります。シャルティエルの子ゼルバベルは、捕囚から解放され、エルサレムに戻って来た一人です(エズラ記2章2節)。

 

 ハガイ書1章1節に「ユダの総督シェアルティエルの子ゼルバベル」と記されています。即ち、ヨヤキンの孫が帰国の指揮を執ったのです。さらに、ゼルバベルらはエルサレムで主を礼拝し始め(エズラ記3章2節)、第二神殿建築に携わります(同8節以下、同5章2節以下)。

 

 ヨヤキンが牢を出され、バビロンの王と共に食卓に着くことになったこと、またヨヤキンの孫ゼルバベルが総督となって帰国の指揮をとり、神殿再建を行ったということは、ユダの民にとって「あなた(ダビデ)の家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据えられる」(サムエル記下7章16節)という約束が破棄されてはいないことを示します。

 

 また、「わたしは数え切れない満天の星のように、量り知れない海の砂のように、わが僕ダビデの子孫と、わたしに仕えるレビ人の数を増やす」(エレミヤ33章22節)という預言が、確かなものとされることを意味しています。そしてそれが、主イエスの系図に連なっているわけです。

 

 ここに、先に記した「それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである」という預言の実現を見ることができます。主にあって、災いとしか見えないようなところを通って、まことの希望を見出すことが出来、そして、その希望は私たちを欺くことがないのです(ローマ書5章5節)。

 

 主に信頼し、その御言葉に耳を傾けましょう。謙ってその導きに従いましょう。 

 

 主よ、ヨシヤ王の子らが悪を行って裁かれました。しかし、ヨヤキンが縄目から解放され、バビロン王の食卓に着いたのは、私たちにとって、主に罪赦されてその呪いから解放され、主と共に食卓に着き、親しい交わりが持てるという徴です。主の恵みに感謝し、その導きに従って歩ませてください。主の恵みと慈しみが常に豊かにありますように。 アーメン

 

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2014年8月6日サイト開設