今月の御言葉

 

 

 

 4章7節で「万物の終わりが迫っています」とペトロが告げる背景には、使徒言行録12章でのヘロデ王による迫害でヤコブが殉教した後、ペトロが投獄された体験などがあるのではないでしょうか。「身を慎んで」は、「酒に酔わず、素面で」という意味の言葉です。それは、厳しい現実から目をそらさず、しかも、神の恵みを待ち望むという態度を表しています。

 

 続く8節の「愛は多くの罪を覆うからです」という言葉も、ペトロの経験に裏打ちされたものでしょう。キリストの愛によってペトロ自身の背きの罪が覆われたのです。

 

 そして、冒頭の言葉(10節)の通り、「賜物を生かして互いに仕え合いなさい」と勧めています。なぜ、それが必要なのでしょうか。「それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して、神が栄光をお受けになるためです」(11節)。つまり、神は互いに仕え合うように私たちに賜物を授けられました。

 

 「賜物」(カリスマ)は、主なる神の恵みにより、聖霊を通して私たちキリスト者に授けられる力の表れです。この賜物は、キリストの教会を内から外から、築き上げるために用いられます。その多様性は、キリストの教会に与えられた恵みがいかに大きく豊かなものであるかということを、あらためて私たちに認識させるものです。

 

 ペトロは「賜物」を「神のさまざまな恵み」といって、神より授けられた賜物が決して少ないもの、わずかなものではないことを暗示しています。キリスト者各自は、神の御心に従い、教会の内外で授けられた賜物を生かして用い、それをもって互いに仕え合うべきだというのです。そのようにして私たちが共に歩むとき、主なる神が栄光をお受けになるのです。

 

 パウロが、「一人一人に霊の働きが現れるのは、全体の益となるためです」(第一コリント書12章7節)と語るのも、同じ消息でしょう。

 

 あなたの賜物は、何ですか。あなたの隣におられる方の賜物は、どのようなものだと思われますか。その賜物は生かされていますか。それによって互いに仕え合い、共に歩んでいますか。

 

 これを、8節との関連でいえば、私たちの賜物は誰のために用いられたのか、私たちの愛の奉仕は、誰のどのような罪を覆うことが出来たのか、ということが問われるということです。

 

 愛の貧しさ、賜物の乏しさを言えば済む話ではありません。私たちに賜物を授けられたのは主であり、主は、私たちを命がけで愛してくださったのです。その愛に応え、神の恵みにより、互いに愛し合うことが出来るよう祈りましょう。

 

 主よ、私はあなたの恵みなしに生きることは出来ません。そして、私にも恵みによって賜物が授けられています。その賜物を生かして、互いのために用いる愛の奉仕が出来ますように。 アーメン

 

 

 

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2014年8月6日サイト開設