今月の御言葉

 

 

 エゼキエル書36章では、イスラエルの山々の繁栄の回復が語られます。6章にイスラエルの山々に対する裁きの預言がありました。6章と36章をあわせて読むと、神の御心が伝わってきます。

 

 イスラエルの民は、主の宝の民、祭司の王国、聖なる国民として選ばれました(出エジプト記19章5,6節)。イスラエルが裁かれたのは、主のみ声に聴き従い、主なる神こそ唯一、真の神であることを全世界に示すという使命を疎かにし、かえって異教の神々を祀るという背きの罪を犯し、派閥争いで流血の事態を生じていたからです。それを17節で「イスラエルの家は自分の土地に住んでいたとき、それを自分の歩みと行いによって汚した」と告げています。

 

 その結果、イスラエルの民は国々の中に散らされ、諸国に追いやられました(19節)。即ち、北イスラエルはアッシリアに、南ユダはバビロンに滅ぼされ、それぞれ捕囚とされてしまいました。エルサレムに残された者も、その後、エジプトなどへ四散させられてしまったのです。

 

 ところが、ここから思いがけない展開を迎えます。主の裁きを受けて四散させられてなお悔い改めず、御名を汚しているイスラエルを、さらに厳しく裁いて滅ぼしてしまおうとはなさらないのです。

 

 主は「わたしはお前たちのためではなく、お前たちが行った先の国々で汚したわが聖なる名のために行う。わたしは、お前たちが国々で汚したため、彼らの間で汚されたわが大いなる名を聖なるものとする。わたしが彼らの目の前で、お前たちを通して聖なるものとされるとき、諸国民は、わたしが主であることを知るようになる」(22,23節)と、イスラエルの家に告げさせられます。

 

 即ち、主ご自身がイニシアティブをとって、イスラエルの民に主の御名が聖であることを表させるというのです。それは、イスラエルの民の内側からの変革です。

 

 そのためにまず、清い水が振り掛けられます(25節)。そして、冒頭の言葉(26節)のとおり、心が変えられるように、新しい霊、即ち、新しい命が授けられます。頑なで真理を悟ることも信仰を保つこともできなかったイスラエルの民が、主なる神に聴き従う柔らかな心を持つようになるのです。

 

 主は彼らを先祖に与えた地に住まわせ、イスラエルの家が主の民となり、主がイスラエルの神となられます(28節、11章19節参照)。それは、イスラエルと主との間に新しい契約が結ばれるということです。それが、イスラエルの家を主の民とされる神の御業ですが、そのためには、イスラエルの家は亡国と捕囚という苦難を通らなければならなかったのです。

 

 主イエスが、「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」(ヨハネ福音書3章3節)と言われ、さらに「だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない」(同5節)と言われました。これは、エゼキエルが語った言葉が、主イエスによって確認されているようです。

 

 今、捕囚の苦しみの中にいるユダの民にとって、この預言は彼らに大きな希望を与えたことでしょう。辛いことがあっても、希望があれば乗り越えることが出来ます。辛いとき、私たちは十字架の主イエスを仰ぎます。主イエスが私たちを癒し、慰め、助けてくださいます。

 

 「辛い」という字の上に十字架を置くと「幸せ」という字になります。辛い人が主の十字架を仰ぐと幸せになるという、偶然などという言葉では済ませられない、キリストの福音が示される文字です。私たちに新しい心を与え、新しい霊を授けてくださる主を信じ、絶えず御声を聴きましょう。

 

 主よ、私たちに新しい心を授けてください。石のように冷たく固い心ではなく、柔らかなみずみずしい心、人の痛みの分かる心を授けてください。キリストの愛が人々の心を満たしますように。全世界に、キリストによる平和がありますように。 アーメン

 

 

 

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2014年8月6日サイト開設